永遠のヴァンパイアと海の恋人

七瀬渚

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9.恋人

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 あれから約一年半の時が流れました。
 崖の上にそびえ立つ屋敷の窓から、カナタは青く煌めく海を眺めます。身体の下半分は海水を溜めた浴槽に浸かっています。浴槽はもっと大きなものが他の部屋にもありますが、カナタは特にこの場所が気に入っているのです。そして今はスノウと二人で暮らしています。

 約一年半前のあの夜、誰も追い付けない程の俊足と空を飛ぶ能力まで得たスノウは、カナタを抱えて遠い海まで逃げました。財産の入った荷物は背中に括り付けました。
 カナタは長い時間陸に上がっていると死んでしまうので、穏やかな海へとすぐに放ちました。スノウは次に海の近くに小屋を作り始めました。自分も間違いなく指名手配となった身、人間たちに見つからないよう慎重に、老紳士と住んでいた元の屋敷とを行ったり来たりして家具や財産を持ち込み、ついに新しい屋敷を築き上げたのです。

 新しい海に住む人魚たちはカナタに対しても好意的で食事を分け与えてくれたりと生きていく手助けをしてくれました。そのときは甘えるしかなかった。でもカナタは海に定住することを選びませんでした。わかっていたのです。自分は人魚たちにとっての敵であるヴァンパイアと結ばれた。万が一、スノウを追う者がここまで来たらお世話になった人魚たちは自由に海から上がれなくなる。いつまでもここに居てはいけないと。

 特に親友のロータスのことが心配でした。しかし生まれ育った海に帰るなんて最も許されないこと。家族も仲間も裏切ってしまった。カナタなりのけじめでもあったのです。スノウの話によると、あの事件以来人間たちは恐れをなしてカナタの故郷の海には近付いていないとのこと。それだけが心の救いでした。


「スノウはこんなに優しいのに……」

 普段の穏やかなセピアの瞳を思い浮かべてカナタは呟きます。一人考えます。

 ヴァンパイアが人の血を欲するのは本来自然なこと。人間たちの言う弱肉強食と一体何が違うのか。食べなければ生きられない、ただそれだけのことなのに、蔑まれ居場所を追われて、人に害を及ぼさないよう薬を開発をするなどの工夫をして、それでも受け入れられなかった。だから結果的に当初人々が想像していた以上の脅威となった。
 月夜のもとで確かに目にした。血に塗れた狂気の微笑みの中に潜むやるせなさ。あんな哀しい殺戮者は初めて見た。自分の為に彼一人が手を汚した。なす術もないカナタは胸を痛めるばかりです。

 だけど心は共に罪を背負う覚悟で。カナタは残りわずかとなった時間を大切に生きようと心に誓います。また胸が痛みました。悲しみとは違う、こっちは物理的なもの。鱗も少し剥がれました。

 このことはスノウも既に知っています。海と砂を操ることが出来るカナタ。その能力を使う度に寿命が削られる。故郷の海に居た頃、皆に心配かけぬよう内緒にしていたけれど、実は不審な船をカナタが追い払っていました。命がけだとしても海の世界の平穏を保つ為に必要なことだと判断したのです。
 カナタは持ってあと三年がいいところでしょう。ずっとずっと側に居たくても、そう遠くないうちに彼を置いて逝くことになる。永遠を手にしたヴァンパイアの孤独な時間はきっととてつもなく長くなります。

 カタ、と。カナタの背後で扉が鳴る。庭の手入れを終えたスノウが戻って来たところです。窓際の恋人へゆっくりと歩み寄り、優しい目をして問いかけます。

「何を考えてたの?」

 見上げるカナタは答えることが出来ません。その代わりに目が潤み、眉がぎゅっと中央に寄ります。スノウがふふ、と含み笑いをしました。

「カナタは本当にわかりやすいね。また僕の心配をしていたんでしょう」

「それと平和な世を願ってた。スノウがもう戦わなくて済むように」

「気長に待つよ」

 スノウの声が儚く響いて、心が震えて、カナタはたまらず濡れた頰を彼の胸に擦り寄せました。食事にしようとスノウが言う。プランクトンの入った瓶をカナタの頰に当てました。その冷たさにカナタはやっとくすぐったげな笑い声を零します。

 それぞれに異なる食事を済ませた後は、からの瓶が二つテーブルの上で寄り添いました。スノウの錠剤も残り少なくなってきた様子。また調合を始めるのでしょう。
 だけど今日はその前に約束していることがあります。あと少しで画家がこの屋敷にやってきます。どんな客でも深追いはせず黙って描いてくれるというその人に、現在の二人の姿を描き残しておいてもらうことにしたのです。

「雪が降りそうだね、スノウ」

「うん、ちょうど良かった。浴槽を動かすことも考えていたけど、もし降ったら窓をバックにして描いてもらおうか。僕と一緒に雪が見たいと言っていたもんね、カナタは」

――うん。君と私の思い出だから。

 胸がいっぱいで声にはならず。カナタは雪の結晶のネックレスを握り、温かな雪の音色を自分の中に響かせるのです。
 ずっとずっと願っていた。人間たちに追われるなんて殺伐とした状況ではなく、こんな穏やかな環境で愛する彼と雪が見たいって。去年のスノウは屋敷を建設する準備で忙しくて落ち着いて見られなかったから、今年こそは叶えたいって。白さを増していく空。冷たげなのに何故か優しく感じられる。

「思い出をいっぱい作ろう。この生涯をかけて君を幸せにする。君に能力を使わせてしまった原因は僕にもあるから……」

「やめて。そんなこと言わないで。私が好きでしたことだ。ねぇ、私はもうスノウから沢山の幸せを貰っているよ」

「……カナタ。これからも変わらず君を愛してる」

 白き天使たちの訪れを待つ人魚と吸血鬼は、隠れ家である屋敷の中、そっと手を取り額を合わせ、今ここにある平穏、確かな平穏を噛み締めて瞼を閉じました。

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