サーシェ

天山敬法

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第十三章 戦いの終わり

157話 それでも、美しくは終わらない

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 生きる意味が何もなくなってしまったとしても腹が減る……人間って不自由だ。
 そんなことを思いながら、ひもじい胃袋を腹の上からさすって商店街をうろついていた。
 お金はない、仕事もない。……かと言って娼婦稼業に戻る気分にはどうしてもなれなかった。
 街には、戦災によって住居や家族を失った、同じ境遇の者は他にいくらでもいた。その中を薄汚れた女が一人うろついていても目立ちもしない。
 食えないのなら盗むしかない、そう思って店を物色していた。他にも同じ境遇の者が多く、大抵は捕らえられ、市街の治安維持のために駆け回っている黒髪の兵士に突き出されてどこかへ連れ去られていく。どこへ連れて行かれるのかは知らない。
 だけど私はなんたってプロの密偵である。そう簡単に捕まるなんてヘマはしない。気付かれることさえなく華麗に盗み出し……。
 そう胸中でほくそ笑みながら作り笑顔を浮かべて、買い物をしている振りを装っていた……しかし、まだ実行に移ってもいないというのに、突然私の襟首を乱暴に掴む腕があった。思わず息を詰まらせて尻餅をつく。
 なぜだ、盗もうとしていることがバレたのか。ただ薄汚れた格好でうろついているだけで捕まるのか? なんて厳しい監視体制だ……、そんなことを思いながら苦しげに目を開けた。
 視界に逆さまに映った顔はしかし、意外にも見知った顔だった……金髪の若い男だ。
「やっと見つけたぞ、こんなところで何をしている」
 私はぼんやりとしてそれを見上げる。髪の長さから察して……弟の方だ。
「な……何もしてないわよ。何か用?」
 思わず突っ慳貪な返事を言った。本当にそう、何もしていない。何もすることがないせいでお金もなくて飢えて、今泥棒に身を落とそうとしていたところだ。
 カルロスは相変わらず不機嫌そうで、暗い目をして私を睨んでいる。
「何か用とはご挨拶だな。何も言わず勝手に消えやがって……部下なら報告のひとつぐらいしろ」
「あなたの部下になった覚えなんかないんだけど……」
 呆れた声で言うが、どうにもカルロスの中では既にそのつもりらしく、余計に苛立った顔で舌打ちをし始めた。
「お前にそのつもりがなくとも、あの戦闘で俺達を手伝った功績は評価せねばならん。報酬ぐらい受け取りに来い。今後も俺の部下でいるつもりがないなら退役願を申告しろ」
「報酬?」
 そのひと言で、前後の話を全て忘れ去って私は目を輝かせた。カルロスは荒っぽいため息をつく。
「受け取る気があるならとにかく司令本部へ……いやその前にその泥だらけの服どうにかしろよ、そのナリじゃどう見ても浮浪者だ」
「実際浮浪者なのよ。司令本部での受け取りとか、そんなの後でいいからなんか食べ物と服買ってよ。もう丸一日何も口にしてない。死にそう」
「馬鹿かお前は? 俺の部下のくせに勝手に浮浪者になるなよ。ああもう、とにかく買ってやるから服屋に連れていけ」
 そう言われて私はうきうきと歩き出した。部下になった覚えはないが、この際、施しがもらえるのなら何だっていい。
 服屋に寄って好きな服を見繕い、それを着替えるついでにと風呂屋に連れて行かれ、身なりを整えてから酒場に連れ込まれて食事を取ることになった。
 ずっと汚れるままだった体をスッキリとさせると、まるで世界が見違えたような開放感に包まれる。
 そして酒場で出てきた料理を目にして、私は思わず感動して涙さえ滲ませた。脂の乗った肉はもちろん、しなびた野菜も空腹にはご馳走だ、そして木の実を混ぜたパンはパサパサしているのにとんでもなく香ばしい。
 それらを空いた胃袋に流し込む快感にただ悶える私を見て、カルロスは始終呆れた顔だった。
「俺の元からいなくなったから、てっきりロードの所へ戻ったもんだと思ってたが、まさか乞食に成り下がってるとはな……。あの男も存外冷酷だな」
 その名前を出されると、思わずがっついていた料理がむせそうになった。
 ただただ必死だった戦闘のさなか、私は気を失って……目が覚めると全てが終わっていたのだ。ロードがどうなったのかなんて知りもしない。
「ロードは結局生き延びたの? ズミ軍が勝ったんだから処刑にでもされたのかと思ってたわ」
「そんな話すら聞いてないのか? あいつは俺ともどもイグノールに寝返ったぞ。本当に狡い立ち回りをする奴だ、まったくいけ好かん」
 そんな話を聞いて私も呆れ顔を浮かべてやった。……結局寝返ったのか。本当にいけ好かない……同感だ。
「じゃあ何、まだロードはこの街にいるの?」
「いや、あいつはもうトレンティアに帰った。命の恩人が浮浪者になって飢えてるのを見向きもしないのか、信じられん」
 そんなことをブツブツと言うカルロスは……彼などが人道らしいことを語っているのもどこか奇妙だ。いつかは私を殺そうとしたくせに。
 それにしても命の恩人だという自覚も、言われるまで私には思い付かなかった。
 ……確かにあの夜、ズミの剣士に斬り殺されようとしているラファエルを見て、咄嗟に庇うようなことをした、ような気がする。あの時は無我夢中で何も考えられなかった……あまり思い出したくもないし、記憶は曖昧だ。
「別にいいわよ、彼とはその前に縁切ってたし……。あなたが無理やり私を連れ出すものだから成り行きでああなっただけよ」
 つんと口を尖らせてそう強がってやった。カルロスはまたため息をついた。
「それにしたって何で浮浪者になってるんだよ。正式にズミ軍に雇われるとか、そうでなくてもお前もともと娼婦だろ、客取れば食うぐらいできるだろうが」
「ええ……? 私もともと完全にロードの私兵だったからズミの国軍にコネなんかないし、戦えもしない女の働き口なんて軍にはないでしょ」
 そうぼやきながら、ズミ軍にいる知り合いの顔を思い浮かべたが……国王夫妻ぐらいしかいない。今となっては娼婦くずれの浮浪者が近付ける相手ではない。
「それに娼婦はもうね、やる気なくなったの。もう男となんか二度と寝たくない。男なんてみんなクソッタレだわ」
 そんな悪態をつく心の出どころは自分でもよく分からないが、深く考えもせずに乱暴に吐き捨てる。カルロスの顔は相変わらずだ。
「それで飢え死にしてたら世話ないだろうが。食うにも困ってるんなら俺が雇ってやるが、どうする」
 私はむっと眉を寄せてカルロスを睨んだ。……いまいち何を考えているのか分からない男だ。
「あなたが雇うって……何するのよ? 戦争はもう終わったんでしょ?」
「終わっとらん。これからはトレンティアでの戦いになる。俺はカディアルの騎士として飽きるほど戦う羽目になる」
「はあ? じゃあ何、私にもトレンティアで仕事しろってこと? 密偵の?」
「ズミ人じゃトレンティアでの密偵は務まらんだろ……。まあ適当な下働きか、俺の愛人かだ」
「ええー……、男とは寝たくないって言ったじゃないの。トレンティアくんだりまでそんなの嫌よ」
 トレンティアという国がどんな場所なのかは知らないが、ただの下働きになるにしても、どうせ男だらけの軍にいたらシモの世話をさせられるに決まっているのだ。
「ケッ、この期に及んで我儘な女だな。まあいい、それならズミで真っ当な仕事を探せ。今日ちょうど国王と会う予定があるから仕事を斡旋するよう言っておく」
 そんなことを軽々しく言うものだから、また私は食事を喉に詰まらせかけながら咳き込んだ。相変わらず不機嫌そうな顔で睨んでくるのを、目を白黒させながら見つめ返す。
 食うにも困る浮浪者なのだ、施しや報酬とやらがもらえるだけで舞い上がるのに……よりによって国王に仕事の斡旋を依頼するなんて、いくらなんでも話が大きすぎる。そんな都合の良い話があるものか、なんてつい警戒してしまう。
「あ……あなたにそこまでのことをしてもらう謂れはないと思うんだけど……」
 躊躇いがちにそう言うが、やっぱりカルロスは不機嫌そうに舌打ちをするのだ。
 どうにも甘い誘惑で騙そうとしているという態度には見えないが……いや分からない、それも計算づくなのかもしれない。本当に何を考えているのか分からない男だ。
「お前が今までロードの元でどれだけの働きをしてきたのかは、俺も概ね把握している。あれだけ使い潰されて、ズミでの戦争が終われば途端に捨てられるなんてあんまりだろ。……一人の主人を一途に想って尽くし続けた……捨て犬の気持ちは俺にもよく分かるんだよ。ただの同情だ」
 カルロスの言葉はどこかちぐはぐとして感じられて、私は呆気にとられてしまった。同情されるような、そんな境遇だったんだろうか。
「使い潰されて……なんか、ないわよ。私が自分の意志でやってたことだもの。私は自分で選んで、レジスタンスとして……私だって彼を利用してやってたのよ。そんなんじゃないわ」
 ぽつりぽつりと、零れるように言った言葉はどこか薄ら寒くさえ感じた。そんな話、だったのだろうか。今となっては何もかもが分からなかった。
「フン、くだらん意地を張りやがって。とにかく報酬は受け取りにこい、司令本部まで来て名前を言えば通るように整えておく。国王にも話は通しておくが、その後のことは好きにしろ。俺とお前の関係もここまでだ、じゃあな」
 そう言い捨てて、カルロスは食事途中の私を放ってさっさと席を立ってしまった。もののついでに彼も肉料理をつまんでいたようだが、どうやら口と胃が大きいらしく、いつの間にやらものすごい速さで平らげていた。
 立ち上がり際にどんと机を叩いたかと思うと、そこに食事代のつもりなのか、数枚の銀貨が乱暴に置かれていた。それを私は唖然として見つめていたが、構わずに彼は大股で歩き出す。
 何やら分からないが同情してくれているようだし、愛人にしてやるとまで言うのだから、きっと私を気に入っているのだろう。今すぐ立ち上がってそれを追いかけ、腕に縋り付いて甘えたのなら……きっとこの男は私の手に落ちる。
 長年の癖だろうか、女の勘というものだろうか。そんな思いはよぎっていったが、そうはしなかった。
 ……ただ、やっぱり私はトレンティアの貴族が好みなのだ。いい男だな、なんて呟きだけは料理と共に噛んで、ただ飲み込んだ。
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