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閑話7 アルル姫と宰相の会談
― アルル姫と宰相の会談
王都から南へ二日の道のり。川沿いに開けた小さな町の外れに、宰相アントニー=モント―パンの馬車は停まっていた。
彼は王国の政を一手に担う老獪な政治家でありながら、柔らかな物腰と温かな人柄で民に慕われる人物でもある。今回は視察の帰りに、男爵領の近くへ立ち寄ることになった。そこに、ひとりの“姫”が彼を訪ねてきた。
「宰相殿。お時間をいただけて光栄ですわ」
涼やかな声と共に現れたその人物を見た瞬間、アントニーは思わず目を見張った。
金糸の髪を緩やかに結い上げ、深紅のドレスを纏った麗しき令嬢。だが、その瞳の奥に漂う強い意志と気高さを、彼はよく知っていた。
「……殿下。いや、今は“姫”とお呼びすべきでしょうな」
静かな驚きを含んだ声に、アルル姫は微笑んだ。
「お気づきになられましたか。ええ、わたくしはこれから“王子”としてではなく、“王女”として生きていく決意をいたしましたの」
◆
馬車の中。外の喧騒を遮るカーテンが揺れ、二人は向かい合って腰を下ろす。
アントニーは慎重に言葉を選びながら問いかけた。
「どうして、そのような決心を?」
アルル姫は一瞬、遠くを見つめるように視線を落とした。
やがてゆっくりと口を開く。
「わたくしはこの国を守りたいのです。これまでの断罪劇は、ルーレット帝国の間者が、わたしくたちを操作魔法で操っていたのです。最近、ようやく洗脳が解け、自分たちがしたことの罪の大きさを実感しています。また、帝国に対抗するために父が外交し、同盟しました。しかし、それでは足りないのです。だから、わたしくが犠牲になってでも強国と同盟を結ぶ必要があるのです」
宰相アントニーは驚いて動きが止まった。アルル姫が同盟を結ぼうとしているあの二つの大国といえば、普通の方法では同盟は難しいだろう。しかし、今のアルル姫ならば可能かもしれない。
あなたは自らを犠牲にしてでも同盟を結ぼうというのですね。
去勢の刑を終え、目の前にいる姫は、すでに行動に起こしていたのだ。
王子改め姫の身をもって国のために尽くす気持ちに、アントニーは感銘を受けた。確かに今のアルル姫ならば、国に有利になるようにできるかもしれない。
国境沿いではあの巨大なルーレット帝国が軍事演習をしている。
彼らが攻めて来たとき、このままでは大敗し、多くの民が殺されるだろう。
「そして……」
アルル姫は少し声を震わせた。
「わたくしは、弟エリオットと争いたくはありません。あの子こそ、王太子にふさわしい存在ですわ。わたくしが王位継承権を主張すれば、国を揺るがす争いになります。そんなことは望んでいません。それにわたくしは、すでにルーレット帝国の間者がこの国の中枢にいることを知ってしまったのです」
その瞳に映るのは、愛情と罪悪感の入り混じった色。
ローゼ嬢を断罪し、婚約者としての立場を奪わせたこと、そして弟エリオットに余計な重荷を背負わせたこと。そのすべてを、彼女は“姫”となることで償おうとしているのだ。
「せめてもの、罪滅ぼしに……。父上にも、弟にも、そしてローゼ嬢にも。わたくしは姫として、国のためにこの身を捧げます。ルーレット帝国の思い通りにはさせません」
◆
アントニーはしばし沈黙した。重い空気が馬車の中を満たす。
やがて、ゆっくりと口を開いた。
「殿下――いや、アルル姫。あなたのお考え、まことに立派でございます。確かにその道を歩めば、王位継承の争いは避けられましょう。弟君も安心して国を背負える。民も混乱せずにすむ。それにかの国と同盟も結べる可能性も高いです。これほど理にかなった選択はありません」
彼の瞳には真摯な光が宿っていた。
ただの奇抜な思いつきではない。王国の未来を思う深い覚悟がそこにあるのだと、アントニーは感じ取った。
「ですが……一つ、条件を設けましょう」
アルル姫は首をかしげる。
「条件?」
「はい。姫様の姿は、式典当日まで国王陛下にも、王太子殿下にも、そしてローゼ嬢にも内密といたしましょう。驚きと共にお披露目することで、むしろ周囲は納得せざるを得なくなる。姫様が“本気”であることを、皆に一目で示せます。それにルーレット帝国の間者の目がどこにあるかもわかりませんから」
アルル姫はその提案に目を見開き、やがて笑みを浮かべた。
「まあ……宰相殿は策士でいらっしゃること。確かに、そのほうが良いのかもしれませんわね。父上や弟も、今のわたくしの姿を知れば、王子に姿に戻るように説得するかもしれませんものね。でも、すべてを整えてから披露すれば、受け入れるしかない……」
「左様でございます」
アントニーは深く頷いた。
「では、わたくしも、全力でその舞台を整えましょう」
◆
会談を終え、馬車を降りたとき、夕陽が町を金色に染めていた。
アルル姫の横顔は、光を浴びてまるで本物の王女のように輝いていた。
アントニーは心の内で静かに誓った。
――この姫の決意を、必ずや支えてみせよう。
彼の胸には、政治家としての冷徹な計算を超えた、ひとりの少女?への敬意が芽生えていた。
「姫様。どうか、無理はなさらずに」
「お気遣いありがとう。アントニー殿、わたくしはもう迷いません」
風が二人の間を抜け、未来へと続く扉をそっと開いた。
こうして、アルル姫と宰相アントニー=モント―パンの秘密の協定は結ばれたのである。
――すべては、ルーレット帝国からの侵攻から国を守り、家族を守り、そして自らの新しい生き方を貫くために。
王都から南へ二日の道のり。川沿いに開けた小さな町の外れに、宰相アントニー=モント―パンの馬車は停まっていた。
彼は王国の政を一手に担う老獪な政治家でありながら、柔らかな物腰と温かな人柄で民に慕われる人物でもある。今回は視察の帰りに、男爵領の近くへ立ち寄ることになった。そこに、ひとりの“姫”が彼を訪ねてきた。
「宰相殿。お時間をいただけて光栄ですわ」
涼やかな声と共に現れたその人物を見た瞬間、アントニーは思わず目を見張った。
金糸の髪を緩やかに結い上げ、深紅のドレスを纏った麗しき令嬢。だが、その瞳の奥に漂う強い意志と気高さを、彼はよく知っていた。
「……殿下。いや、今は“姫”とお呼びすべきでしょうな」
静かな驚きを含んだ声に、アルル姫は微笑んだ。
「お気づきになられましたか。ええ、わたくしはこれから“王子”としてではなく、“王女”として生きていく決意をいたしましたの」
◆
馬車の中。外の喧騒を遮るカーテンが揺れ、二人は向かい合って腰を下ろす。
アントニーは慎重に言葉を選びながら問いかけた。
「どうして、そのような決心を?」
アルル姫は一瞬、遠くを見つめるように視線を落とした。
やがてゆっくりと口を開く。
「わたくしはこの国を守りたいのです。これまでの断罪劇は、ルーレット帝国の間者が、わたしくたちを操作魔法で操っていたのです。最近、ようやく洗脳が解け、自分たちがしたことの罪の大きさを実感しています。また、帝国に対抗するために父が外交し、同盟しました。しかし、それでは足りないのです。だから、わたしくが犠牲になってでも強国と同盟を結ぶ必要があるのです」
宰相アントニーは驚いて動きが止まった。アルル姫が同盟を結ぼうとしているあの二つの大国といえば、普通の方法では同盟は難しいだろう。しかし、今のアルル姫ならば可能かもしれない。
あなたは自らを犠牲にしてでも同盟を結ぼうというのですね。
去勢の刑を終え、目の前にいる姫は、すでに行動に起こしていたのだ。
王子改め姫の身をもって国のために尽くす気持ちに、アントニーは感銘を受けた。確かに今のアルル姫ならば、国に有利になるようにできるかもしれない。
国境沿いではあの巨大なルーレット帝国が軍事演習をしている。
彼らが攻めて来たとき、このままでは大敗し、多くの民が殺されるだろう。
「そして……」
アルル姫は少し声を震わせた。
「わたくしは、弟エリオットと争いたくはありません。あの子こそ、王太子にふさわしい存在ですわ。わたくしが王位継承権を主張すれば、国を揺るがす争いになります。そんなことは望んでいません。それにわたくしは、すでにルーレット帝国の間者がこの国の中枢にいることを知ってしまったのです」
その瞳に映るのは、愛情と罪悪感の入り混じった色。
ローゼ嬢を断罪し、婚約者としての立場を奪わせたこと、そして弟エリオットに余計な重荷を背負わせたこと。そのすべてを、彼女は“姫”となることで償おうとしているのだ。
「せめてもの、罪滅ぼしに……。父上にも、弟にも、そしてローゼ嬢にも。わたくしは姫として、国のためにこの身を捧げます。ルーレット帝国の思い通りにはさせません」
◆
アントニーはしばし沈黙した。重い空気が馬車の中を満たす。
やがて、ゆっくりと口を開いた。
「殿下――いや、アルル姫。あなたのお考え、まことに立派でございます。確かにその道を歩めば、王位継承の争いは避けられましょう。弟君も安心して国を背負える。民も混乱せずにすむ。それにかの国と同盟も結べる可能性も高いです。これほど理にかなった選択はありません」
彼の瞳には真摯な光が宿っていた。
ただの奇抜な思いつきではない。王国の未来を思う深い覚悟がそこにあるのだと、アントニーは感じ取った。
「ですが……一つ、条件を設けましょう」
アルル姫は首をかしげる。
「条件?」
「はい。姫様の姿は、式典当日まで国王陛下にも、王太子殿下にも、そしてローゼ嬢にも内密といたしましょう。驚きと共にお披露目することで、むしろ周囲は納得せざるを得なくなる。姫様が“本気”であることを、皆に一目で示せます。それにルーレット帝国の間者の目がどこにあるかもわかりませんから」
アルル姫はその提案に目を見開き、やがて笑みを浮かべた。
「まあ……宰相殿は策士でいらっしゃること。確かに、そのほうが良いのかもしれませんわね。父上や弟も、今のわたくしの姿を知れば、王子に姿に戻るように説得するかもしれませんものね。でも、すべてを整えてから披露すれば、受け入れるしかない……」
「左様でございます」
アントニーは深く頷いた。
「では、わたくしも、全力でその舞台を整えましょう」
◆
会談を終え、馬車を降りたとき、夕陽が町を金色に染めていた。
アルル姫の横顔は、光を浴びてまるで本物の王女のように輝いていた。
アントニーは心の内で静かに誓った。
――この姫の決意を、必ずや支えてみせよう。
彼の胸には、政治家としての冷徹な計算を超えた、ひとりの少女?への敬意が芽生えていた。
「姫様。どうか、無理はなさらずに」
「お気遣いありがとう。アントニー殿、わたくしはもう迷いません」
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