23 / 38
閑話2 ナンテーヌ視点 公爵夫人への野心
しおりを挟む
ナンテーヌ視点:公爵夫人への野心
その夜。
ナンテーヌ=ド=マルセルは、自室の化粧台の前で、長い時間をかけて髪を梳いていた。蝋燭の炎がゆらめき、鏡に映る自分の姿を幻想的に照らし出す。
薔薇色の唇、長い睫毛、艶やかな髪――。
鏡の中にいるのは、社交界において十分戦える美貌を備えた「武器」そのものだった。
彼女は小さく鼻で笑った。
「サンオリなんて……所詮は小石。けれど、わたくしが踏みしめるべきは――公爵家の大理石の階段よ」
社交界の噂は耳に入っている。
ランスロット公爵令息が、アヴィニヨン伯爵家の娘カンヌと親しい仲である、と。
カフェでの談笑、馬車で並ぶ姿……誰かが見ては吹聴し、王都中に広まっていた。
ナンテーヌは鏡越しに自分の瞳を見据え、冷笑を浮かべた。
「カンヌ=アヴィニヨン……伯爵令嬢に過ぎないくせに。あの方と並ぶなど、分不相応だわ」
たしかにカンヌは可憐だ。けれど、性格は気弱で恋に溺れる類いの女。そんな女が公爵夫人として家を支えられるはずがない。
――公爵夫人になるのは、このわたくし。
決意を胸に、ナンテーヌは机に向かい、便箋を広げて羽根ペンを走らせた。
第一の作戦。
舞踏会での接近。
来月、王都で夏季舞踏会が開かれる。王弟家系や公爵家は必ず顔を出す。
その場でランスロットと「自然な会話」を交わすこと――それが最初の関門だ。
「舞踏会用のドレスは……もっと華やかに」
深紅のサテンか、翡翠のシルクか。だが彼の瞳に映える色がいい。確か、あの方の瞳は澄んだ青。ならば淡いエメラルドか、白銀のドレスが効果的かもしれない。
第二の作戦。
偶然を装った弱者の演出。
ランスロットは騎士道精神に篤い青年と聞く。困っている女性を放ってはおけない。
ならばわざと小さく転ぶ、手紙を落とす、誰かにぶつかられて困る――些細な出来事でいい。
助け起こす彼の手が差し伸べられれば、その瞬間から縁は始まるのだから。
ナンテーヌは鏡に向かって首をかしげ、小首を傾げる仕草を練習した。頬の角度、まつ毛の伏せ方、唇のわずかな開き……。
「この愛らしさがあれば、きっと心を動かせる」
第三の作戦。
カンヌの孤立。
ただ待つだけでは駄目。ライバルを退けなければ、自分の未来は拓けない。
「カンヌのドレスを『古臭い』と噂してやろうかしら。それとも、別の男性と親しげにしているように見せかける?」
噂は真実である必要はない。人々が信じれば、それが「真実」になる。
カンヌが社交界で笑い者になれば、自然とランスロットの心は冷めていく。そこに自分が優しく寄り添えばいい。
第四の作戦。
支援者の活用。
彼女の叔母は、かつて宮廷侍女を務めていた。今でも王宮に顔が利く。
その人脈を使えば、ランスロットの予定や趣味を探り出すことも容易だ。
「わたくしは顔だけじゃない。人脈も情報も、すべて駆使して公爵夫人の座を奪う」
便箋の上にはびっしりと戦略が並んだ。
舞踏会での接触、偶然を装った出会い、ライバルの失墜、情報網の利用――。
完璧だ。
ナンテーヌはペンを置き、満足げに微笑んだ。
翌朝、彼女は早速行動に移した。
仕立て屋を呼びつけ、舞踏会用のドレスを依頼する。
「生地はリヨンの最高級シルクを。色は……彼の瞳に映える青緑を基調に。裾には銀糸を」
仕立て屋が慌ててメモを取る。ナンテーヌはさらに胸元のレース、袖口のラインまで細かく指定する。
その後は香水商を呼び、彼女自身の印象を形作る香りを探す。
柑橘の爽やかさに甘さを加えた香水――清廉で可憐だが、余韻に色気を残す。
準備を進める彼女の胸には、炎のような野心が燃えていた。
サンオリに縛られかけた過去。
もしもあの男と結ばれていたら、一生を棒に振っていただろう。
けれど今は違う。
狙うのは公爵令息、そして公爵夫人の座。
「必ず、この手に入れる」
窓辺に立ち、青空を仰ぐ。
未来の自分は、煌びやかな舞踏会の中央でランスロットに手を取られ、貴族たちの羨望を浴びている――そんな光景が脳裏に描かれていた。
ナンテーヌはそっと笑みを深める。
「カンヌ=アヴィニヨン。あなたには退場してもらうわ。
公爵夫人になるのは、このわたくし……ナンテーヌ=ド=マルセルなのだから」
その夜。
ナンテーヌ=ド=マルセルは、自室の化粧台の前で、長い時間をかけて髪を梳いていた。蝋燭の炎がゆらめき、鏡に映る自分の姿を幻想的に照らし出す。
薔薇色の唇、長い睫毛、艶やかな髪――。
鏡の中にいるのは、社交界において十分戦える美貌を備えた「武器」そのものだった。
彼女は小さく鼻で笑った。
「サンオリなんて……所詮は小石。けれど、わたくしが踏みしめるべきは――公爵家の大理石の階段よ」
社交界の噂は耳に入っている。
ランスロット公爵令息が、アヴィニヨン伯爵家の娘カンヌと親しい仲である、と。
カフェでの談笑、馬車で並ぶ姿……誰かが見ては吹聴し、王都中に広まっていた。
ナンテーヌは鏡越しに自分の瞳を見据え、冷笑を浮かべた。
「カンヌ=アヴィニヨン……伯爵令嬢に過ぎないくせに。あの方と並ぶなど、分不相応だわ」
たしかにカンヌは可憐だ。けれど、性格は気弱で恋に溺れる類いの女。そんな女が公爵夫人として家を支えられるはずがない。
――公爵夫人になるのは、このわたくし。
決意を胸に、ナンテーヌは机に向かい、便箋を広げて羽根ペンを走らせた。
第一の作戦。
舞踏会での接近。
来月、王都で夏季舞踏会が開かれる。王弟家系や公爵家は必ず顔を出す。
その場でランスロットと「自然な会話」を交わすこと――それが最初の関門だ。
「舞踏会用のドレスは……もっと華やかに」
深紅のサテンか、翡翠のシルクか。だが彼の瞳に映える色がいい。確か、あの方の瞳は澄んだ青。ならば淡いエメラルドか、白銀のドレスが効果的かもしれない。
第二の作戦。
偶然を装った弱者の演出。
ランスロットは騎士道精神に篤い青年と聞く。困っている女性を放ってはおけない。
ならばわざと小さく転ぶ、手紙を落とす、誰かにぶつかられて困る――些細な出来事でいい。
助け起こす彼の手が差し伸べられれば、その瞬間から縁は始まるのだから。
ナンテーヌは鏡に向かって首をかしげ、小首を傾げる仕草を練習した。頬の角度、まつ毛の伏せ方、唇のわずかな開き……。
「この愛らしさがあれば、きっと心を動かせる」
第三の作戦。
カンヌの孤立。
ただ待つだけでは駄目。ライバルを退けなければ、自分の未来は拓けない。
「カンヌのドレスを『古臭い』と噂してやろうかしら。それとも、別の男性と親しげにしているように見せかける?」
噂は真実である必要はない。人々が信じれば、それが「真実」になる。
カンヌが社交界で笑い者になれば、自然とランスロットの心は冷めていく。そこに自分が優しく寄り添えばいい。
第四の作戦。
支援者の活用。
彼女の叔母は、かつて宮廷侍女を務めていた。今でも王宮に顔が利く。
その人脈を使えば、ランスロットの予定や趣味を探り出すことも容易だ。
「わたくしは顔だけじゃない。人脈も情報も、すべて駆使して公爵夫人の座を奪う」
便箋の上にはびっしりと戦略が並んだ。
舞踏会での接触、偶然を装った出会い、ライバルの失墜、情報網の利用――。
完璧だ。
ナンテーヌはペンを置き、満足げに微笑んだ。
翌朝、彼女は早速行動に移した。
仕立て屋を呼びつけ、舞踏会用のドレスを依頼する。
「生地はリヨンの最高級シルクを。色は……彼の瞳に映える青緑を基調に。裾には銀糸を」
仕立て屋が慌ててメモを取る。ナンテーヌはさらに胸元のレース、袖口のラインまで細かく指定する。
その後は香水商を呼び、彼女自身の印象を形作る香りを探す。
柑橘の爽やかさに甘さを加えた香水――清廉で可憐だが、余韻に色気を残す。
準備を進める彼女の胸には、炎のような野心が燃えていた。
サンオリに縛られかけた過去。
もしもあの男と結ばれていたら、一生を棒に振っていただろう。
けれど今は違う。
狙うのは公爵令息、そして公爵夫人の座。
「必ず、この手に入れる」
窓辺に立ち、青空を仰ぐ。
未来の自分は、煌びやかな舞踏会の中央でランスロットに手を取られ、貴族たちの羨望を浴びている――そんな光景が脳裏に描かれていた。
ナンテーヌはそっと笑みを深める。
「カンヌ=アヴィニヨン。あなたには退場してもらうわ。
公爵夫人になるのは、このわたくし……ナンテーヌ=ド=マルセルなのだから」
229
あなたにおすすめの小説
婚約破棄追放された公爵令嬢、前世は浪速のおばちゃんやった。 ―やかましい?知らんがな!飴ちゃん配って正義を粉もんにした結果―
ふわふわ
恋愛
公爵令嬢にして聖女――
そう呼ばれていたステラ・ダンクルは、
「聖女の資格に欠ける」という曖昧な理由で婚約破棄、そして追放される。
さらに何者かに階段から突き落とされ、意識を失ったその瞬間――
彼女は思い出してしまった。
前世が、
こてこての浪速のおばちゃんだったことを。
「ステラ?
うちが?
えらいハイカラな名前やな!
クッキーは売っとらんへんで?」
目を覚ました公爵令嬢の中身は、
ずけずけ物言い、歯に衣着せぬマシンガントーク、
懐から飴ちゃんが無限に出てくる“やかましいおばちゃん”。
静かなざまぁ?
上品な復讐?
――そんなもん、性に合いません。
正義を振りかざす教会、
数字と規定で人を裁く偽聖女、
声の大きい「正しさ」に潰される現場。
ステラが選んだのは、
聖女に戻ることでも、正義を叫ぶことでもなく――
腹が減った人に、飯を出すこと。
粉もん焼いて、
飴ちゃん配って、
やかましく笑って。
正義が壊れ、
人がつながり、
気づけば「聖女」も「正義」も要らなくなっていた。
これは、
静かなざまぁができない浪速のおばちゃんが、
正義を粉もんにして焼き上げる物語。
最後に残るのは、
奇跡でも裁きでもなく――
「ほな、食べていき」の一言だけ。
才能が開花した瞬間、婚約を破棄されました。ついでに実家も追放されました。
キョウキョウ
恋愛
ヴァーレンティア子爵家の令嬢エリアナは、一般人の半分以下という致命的な魔力不足に悩んでいた。伯爵家の跡取りである婚約者ヴィクターからは日々厳しく責められ、自分の価値を見出せずにいた。
そんな彼女が、厳しい指導を乗り越えて伝説の「古代魔法」の習得に成功した。100年以上前から使い手が現れていない、全ての魔法の根源とされる究極の力。喜び勇んで婚約者に報告しようとしたその瞬間――
「君との婚約を破棄することが決まった」
皮肉にも、人生最高の瞬間が人生最悪の瞬間と重なってしまう。さらに実家からは除籍処分を言い渡され、身一つで屋敷から追い出される。すべてを失ったエリアナ。
だけど、彼女には頼れる師匠がいた。世界最高峰の魔法使いソリウスと共に旅立つことにしたエリアナは、古代魔法の力で次々と困難を解決し、やがて大きな名声を獲得していく。
一方、エリアナを捨てた元婚約者ヴィクターと実家は、不運が重なる厳しい現実に直面する。エリアナの大活躍を知った時には、すべてが手遅れだった。
真の実力と愛を手に入れたエリアナは、もう振り返る理由はない。
これは、自分の価値を理解してくれない者たちを結果的に見返し、厳しい時期に寄り添ってくれた人と幸せを掴む物語。
似非聖女呼ばわりされたのでスローライフ満喫しながら引き篭もります
秋月乃衣
恋愛
侯爵令嬢オリヴィアは聖女として今まで16年間生きてきたのにも関わらず、婚約者である王子から「お前は聖女ではない」と言われた挙句、婚約破棄をされてしまった。
そして、その瞬間オリヴィアの背中には何故か純白の羽が出現し、オリヴィアは泣き叫んだ。
「私、仰向け派なのに!これからどうやって寝たらいいの!?」
聖女じゃないみたいだし、婚約破棄されたし、何より羽が邪魔なので王都の外れでスローライフ始めます。
聖女を怒らせたら・・・
朝山みどり
ファンタジー
ある国が聖樹を浄化して貰うために聖女を召喚した。仕事を終わらせれば帰れるならと聖女は浄化の旅に出た。浄化の旅は辛く、聖樹の浄化も大変だったが聖女は頑張った。聖女のそばでは王子も励ました。やがて二人はお互いに心惹かれるようになったが・・・
婚約破棄され家を出た傷心令嬢は辺境伯に拾われ溺愛されるそうです 〜今更謝っても、もう遅いですよ?〜
八代奏多
恋愛
「フィーナ、すまないが貴女との婚約を破棄させてもらう」
侯爵令嬢のフィーナ・アストリアがパーティー中に婚約者のクラウス王太子から告げられたのはそんな言葉だった。
その王太子は隣に寄り添う公爵令嬢に愛おしげな視線を向けていて、フィーナが捨てられたのは明らかだった。
フィーナは失意してパーティー会場から逃げるように抜け出す。
そして、婚約破棄されてしまった自分のせいで家族に迷惑がかからないように侯爵家当主の父に勘当するようにお願いした。
そうして身分を捨てたフィーナは生活費を稼ぐために魔法技術が発達していない隣国に渡ろうとするも、道中で魔物に襲われて意識を失ってしまう。
死にたくないと思いながら目を開けると、若い男に助け出されていて……
※小説家になろう様・カクヨム様でも公開しております。
婚約破棄? 国外追放?…ええ、全部知ってました。地球の記憶で。でも、元婚約者(あなた)との恋の結末だけは、私の知らない物語でした。
aozora
恋愛
クライフォルト公爵家の令嬢エリアーナは、なぜか「地球」と呼ばれる星の記憶を持っていた。そこでは「婚約破棄モノ」の物語が流行しており、自らの婚約者である第一王子アリステアに大勢の前で婚約破棄を告げられた時も、エリアーナは「ああ、これか」と奇妙な冷静さで受け止めていた。しかし、彼女に下された罰は予想を遥かに超え、この世界での記憶、そして心の支えであった「地球」の恋人の思い出までも根こそぎ奪う「忘却の罰」だった……
盗んだだけでは、どうにもならない~婚約破棄された私は、新天地で幸せになる~
キョウキョウ
恋愛
ハルトマイヤー公爵家のフェリクスが、スターム侯爵家の令嬢であり婚約者のベリンダを呼び出し、婚約を破棄すると一方的に告げた。
しかもフェリクスは、ベリンダの妹であるペトラを新たな婚約相手として迎えるという。
ペトラは、姉のベリンダが持っているものを欲しがるという悪癖があった。そして遂に、婚約相手まで奪い取ってしまった。
ベリンダが知らない間に話し合いは勝手に進んでいて、既に取り返しがつかない状況だった。
※カクヨムにも掲載中の作品です。
【完結】経費削減でリストラされた社畜聖女は、隣国でスローライフを送る〜隣国で祈ったら国王に溺愛され幸せを掴んだ上に国自体が明るくなりました〜
よどら文鳥
恋愛
「聖女イデアよ、もう祈らなくとも良くなった」
ブラークメリル王国の新米国王ロブリーは、節約と経費削減に力を入れる国王である。
どこの国でも、聖女が作る結界の加護によって危険なモンスターから国を守ってきた。
国として大事な機能も経費削減のために不要だと決断したのである。
そのとばっちりを受けたのが聖女イデア。
国のために、毎日限界まで聖なる力を放出してきた。
本来は何人もの聖女がひとつの国の結界を作るのに、たった一人で国全体を守っていたほどだ。
しかも、食事だけで生きていくのが精一杯なくらい少ない給料で。
だがその生活もロブリーの政策のためにリストラされ、社畜生活は解放される。
と、思っていたら、今度はイデア自身が他国から高値で取引されていたことを知り、渋々その国へ御者アメリと共に移動する。
目的のホワイトラブリー王国へ到着し、クラフト国王に聖女だと話すが、意図が通じず戸惑いを隠せないイデアとアメリ。
しかし、実はそもそもの取引が……。
幸いにも、ホワイトラブリー王国での生活が認められ、イデアはこの国で聖なる力を発揮していく。
今までの過労が嘘だったかのように、楽しく無理なく力を発揮できていて仕事に誇りを持ち始めるイデア。
しかも、周りにも聖なる力の影響は凄まじかったようで、ホワイトラブリー王国は激的な変化が起こる。
一方、聖女のいなくなったブラークメリル王国では、結界もなくなった上、無茶苦茶な経費削減政策が次々と起こって……?
※政策などに関してはご都合主義な部分があります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる