【あなたが夢中のその女を殺す!】と叫んだ悪役令嬢カンヌは、前世の記憶を思い出したので、クズ男は捨ててカフェ巡りを楽しむ。新しい恋の予感がかけ

山田 バルス

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第15話 秘密の時間 ― カンヌ視点

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秘密の時間 ― カンヌ視点

 夜の帳がゆっくりと街を覆い、ランプの明かりが石畳をやわらかく照らしていた。
 カフェを出てからしばらく、私たちは並んで歩き続けていたけれど、言葉は少なかった。胸の奥にいろんな感情が渦巻いていて、簡単に言葉にできるものではなかったからだ。

 ――婚約破棄。
 それは私にとって、ひとつの終わりであり、同時に始まりでもあった。けれど人々は噂を好む。理由を正しく知ろうとするより、面白おかしく囁くほうを選ぶ。だから、サンオリ様との破談が「ランス様との親しさのせい」だなんて誤解されたら……。

「……少し寄り道をしないか?」
 ランスがふいに声をかけてきた。
 顔を上げると、彼は人通りの少ない細道を指していた。街灯の明かりがかすかに届く程度で、昼間の喧騒とは無縁の静けさが広がっている。

「こんなところに……何が?」
「小さな公園があるんだ。昔、父とよく散歩した場所でね。人目も少ないから、君も少し落ち着けるんじゃないかと思って」

 その気遣いに、胸がじんと熱くなる。
 私は頷き、彼のあとについて道を曲がった。

 そこには本当に、小さな公園があった。丸い噴水の周りにベンチがあり、花壇には月明かりを受けた白い花が咲いている。人影はなく、静けさが支配していた。

「どうかな。少しは落ち着ける?」
「……はい。とても、静かで……」

 私はベンチに腰を下ろし、そっと深呼吸した。ランスも隣に座る。距離は少しあったのに、不思議と近くに感じる。

 沈黙が訪れる。夜風が髪を揺らし、噴水の水音だけが響いていた。

「君が気にしていること、わかっているよ」
 唐突に、ランスが低い声で言った。
「サンオリ殿とのこと……婚約破棄の原因が、僕にあると人に思われたくないんだろう?」

 図星だった。
 私は思わず息を呑み、彼を見つめた。ランスの横顔は真剣で、どこか切なげだった。

「僕だって同じさ」彼は続ける。「君に余計な噂がかかるのは、絶対に避けたい。だから……今は、この気持ちを大きな声で言うべきじゃないとわかっている」

 ――気持ち。
 その言葉に、胸が跳ねる。
 でも、彼はそれ以上言葉を進めず、ただ私を見つめてきた。

 私は視線を落とした。
 正直に言えば、私だって彼に惹かれている。彼の優しさも、まっすぐな眼差しも、私の心を何度も救ってくれた。だけど……。

「私……怖いんです」小さく声が震えた。
「人にどう思われるかとか、これからどうなるのかとか……。ランス様の優しさに甘えすぎたら、私、また誰かを傷つけてしまう気がして……」

 言葉が詰まる。
 けれど、ランスは静かに首を振った。

「怖がる必要はない。君は何も悪くない。君を傷つけようとしたのはサンオリ殿だ。僕はただ……君の隣で、君の笑顔を守りたい」

 そのまっすぐな声が、私の心を揺さぶる。
 気づけば涙が滲んでいた。

 ランスは慌てたようにハンカチを差し出す。
「ご、ごめん! 泣かせるつもりはなかったんだ」

「……違います」私は首を振った。
「泣きたかったのかもしれません。誰かに、こんなふうに言ってもらえることを……」

 彼の手からハンカチを受け取り、そっと涙を拭う。
 ふと気づけば、二人の距離はずいぶん近づいていた。指先が少し触れただけで、心臓が跳ねそうになる。

 ――これは秘密の時間。
 誰にも言えない、誰にも見せられない。
 でも確かに、私たちの心はつながっている。

「ランス様」
 小さな声で呼ぶと、彼は「ん?」と優しく返してくれる。
 その響きが嬉しくて、胸が温かくなる。

「今はまだ……はっきりとは言えません。でも……私も、ランス様と一緒にいると、安心します」

 その言葉を聞いたランスは、ふっと安堵の笑みを浮かべた。
「それで十分だ。無理に答えを急がなくていい。君の心が整うまで、僕は待つから」

 夜風が二人の間をそっと通り抜けた。
 噴水の水音が静かに響くなか、私たちはただ並んで座っていた。言葉はなくても、心は確かに寄り添っている――そんな不思議な時間だった。

 やがて街の鐘が遠くで鳴り、帰る時間を告げる。
 私は名残惜しさを抱きながら立ち上がった。

「秘密ですよね、今日のこと……」
「もちろん。僕たちだけの秘密だ」

 そう言って笑う彼の横顔は、どんな宝石よりも輝いて見えた。

 ――きっとまた、会いたくなる。
 そう思った瞬間、私は少しだけ自分の未来に希望を抱いていた。
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