母を亡くし、父もいない愛蘭は、伯爵家を追放され、路頭で死そうになるが、皇都で後宮画家になり、イケメン上司原水と出会い、溺愛される!

山田 バルス

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第十六話 愛蘭(あいらん)、フラン大使館でアンソニード・ラ・ロシュと対談する

 愛蘭(あいらん)とフラン大使館



 翌朝、愛蘭は劉原水とともに、緑港のフラン大使館へ向かった。

 港の一角、帝国の区画とは明確に異なる西洋風の建物。
 白と淡い青を基調とした外壁に、丸みを帯びた窓枠。屋根にはフラン国旗がはためいている。

(……懐かしい)

 胸の奥が、わずかに疼いた。

 愛蘭はもう、あの国には戻らないと決めたはずだった。
 けれど、色も、匂いも、石畳の配置ですら、記憶は容赦なく引きずり出してくる。

 正門をくぐると、応接の間へ案内された。
 そこにいた男は、椅子から勢いよく立ち上がる。

「――愛蘭!」

 次の瞬間、愛蘭は強く抱き寄せられていた。

「え、ちょ……!」

 腕を回され、頬に軽く触れられる。
 フラン式の、親愛の挨拶。

「久しぶりだね、マ・シェリ。無事でよかった」

 その様子を、劉原水が完全に固まった表情で見ているのが、愛蘭の視界の端に入った。

「……ええと」

 彼は、明らかに戸惑っている。

「こちらは?」

「フラン大使、アンソニー・ド・ラ・ロシュです」

 愛蘭は、慌てて紹介した。

 アンソニーは、金髪をきっちり撫でつけた青年だ。
 だが、その笑顔は昔と変わらない。どこか芝居がかった、軽やかなもの。

「いやあ、失礼。あまりにも久しぶりで」

 そう言いながら、劉原水へ向き直る。

「あなたが噂の外務省の切れ者ですね。お会いできて光栄です」

「……こちらこそ」

 劉原水は、まだ整理がついていない顔で、ぎこちなく応じていた。

 着席すると、すぐに本題に入る。

「パリスグリーンの件について、説明を」

 劉原水の声は、公的なそれだった。

 アンソニーは、軽くため息をつく。

「まったく、厄介な話です」

 彼は、指を組んで言った。

「まず前提として。パリスグリーンは――フランでは現在、使用も製造も禁止されています」

 愛蘭は、やはり、と思った。

「毒性が強すぎる。壁画や衣装の染料として使われ、多くの職人が体を壊しました」

 アンソニーは、苦々しく続ける。

「だから、フラン政府としては、公式には一切関与していません。東国での対応は、お任せします」

「責任は、取らないと?」

 劉原水の目が、鋭くなる。

「正確には、取れない、です」

 アンソニーは、肩をすくめた。

「大量に輸出された時期――それは、まだ禁輸品になる前でした」

 なるほど。
 法の隙間。

「在庫を抱えた商人たちが、困り果てたのでしょう」

 アンソニーは、静かに語る。

「西洋では売れない。だが、捨てるには惜しい。そこで――悪い商人が、東国へ目を向けた」

 愛蘭は、拳を握った。

「そして、東国では」

 愛蘭が、続ける。

「西洋の顔料は危険だ、という噂を広めるために、あえて大量に流された……」

 アンソニーは、頷いた。

「まさに、人災です」

 事故ではない。
 誰かの悪意と、無責任と、利益のために生まれた毒。

 応接の間に、重い沈黙が落ちる。

「……話は、それだけではありませんがね」

 アンソニーは、ふと表情を変え、愛蘭を見る。

「さて、ところで愛蘭。君は、いつフランに戻る?」

 胸が、跳ねた。

「愛蘭は……」

 答えは、決まっている。

「ここで、やることがあります」

 愛蘭は、はっきりと言った。

「今は、戻れません」

 アンソニーは、少し驚いた顔をした。

 だが、次に口を開いたのは、劉原水だった。

「彼女に、フランへ行く理由はない」

 その言葉に、愛蘭は息を呑んだ。

「愛蘭には、東国の皇族の血が流れている」

 アンソニーの目が、細くなる。

「……ほう?」

「彼女は、皇族だ」

 空気が、張り詰める。

「だから、ここにいる。それだけだ」

「待ってください!」

 愛蘭は、思わず声を上げた。

 そんな言い方を、する必要はない。

 だが――

「それなら」

 アンソニーが、静かに告げる。

「彼女は、なおさらフランにいるべき理由がある」

「なぜだ?」

 劉原水が、即座に返す。

 アンソニーは、愛蘭を見つめた。

 まるで、逃げ場を塞ぐように。

「彼女は――現フラン国王の娘だからです」

 世界が、止まった。

「……え?」

 劉原水の動きが止まった。

 アンソニーは、淡々と続ける。

「正式な発表はされていない。だが、王宮では周知の事実です」

 愛蘭の頭は、真っ白になった。

(知られたくなかった……劉原水には)

 でも知られてしまった。
 愛蘭がフランに行って知った、父親の消息を。

 母と父の出会い。
 なぜ、愛蘭と母を東国に残して、父はフランに戻ったのか?

 すべての答えは――

「わたしと愛蘭の仲を怪しんでいるようなので、ご説明しますが、わたしも王族の血が流れています。愛蘭とは従妹の関係です」

 アンソニーは、苦笑した。

 劉原水は、愛蘭を見た。

 その目に、初めて迷いが浮かんでいる。

「……どうする、愛蘭」

 愛蘭は、答えられなかった。

 東国の皇族。
 フラン国王の王女。

 どちらも、愛蘭が選んだものではない。

 けれど、どちらからも、逃げきれない。

 アールを選ぶことはできても。
 愛蘭の出生は、選べない。

 愛蘭は、ただ、戸惑うしかなかった。

 この身を、どこに置くべきなのか。
 どの国のために、描くべきなのか。

 緑港の海は、今日も静かだ。
 だが、愛蘭の中では――

 二つの国が、静かに、衝突し始めていた。
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