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閑話8 マリーナ王女視点 母アンネット側妃の教え
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王女マリーナ視点 母アンネット側妃の教え
許せなかった。
――いいえ、そんな生易しい言葉では足りない。
王城の私室。
天蓋付きの寝台に放り投げられたクッションを、マリーナは踏みつけた。
柔らかな羽毛が、まるで彼女の怒りを吸い込むかのように沈む。
「……ありえませんわ」
吐き捨てる声は、思った以上に震えていた。
わたしの自慢の婚約。
帝国随一の名門、マドリーレ公爵家。
そして、その嫡男――フエルテ=マドリーレ。
さらさらした金髪。
彫刻めいた、非の打ちどころのない顔立ち。
柔らかく、すべてを包み込むような蒼眼。
帝国一の美男子。
誰もがそう評する男。
それだけではない。
二十歳にして剣の極みに至り、“剣聖”の称号を許された天才。
女たちの心を虜にし、男たちを嫉妬で狂わせる。
帝国だけではなく、フランセ王国の女性までもを魅了する存在。
(……それが、わたしの婚約者だったはずなのに)
「解消、ですって?」
ローデリック宰相の冷淡な声が、脳裏に甦る。
理由は分かっている。
すべては兄フェリップとモナコラ伯爵の愚行である。
ペネロペ皇女への侮辱の報復が、わたしにまで広がったのだ
(……これもすべて、あの女のせい)
ペネロペ=スペイラ第三皇女。
兄の元婚約者だった女。
最初から気に入らなかった。
ですわ、というお嬢様口調で男女問わず、
多くの人たちから可憐で、守ってあげたくなると囁かれていた。
それでいて、帝国という“最強のカード”を後ろ盾に持つ女。
(わたしが、あんな女に負けるはずがないのに)
爪が、掌に深く食い込む。
その時だった。
「……マリーナ」
背後から、静かな声。
振り返ると、そこに立っていたのは、金髪の貴婦人だった。
年齢を感じさせぬ張りのある肌。冷ややかな青い瞳。
側妃――アンネット。
「母上……」
アンネットは、室内を一瞥し、乱れた空気を一瞬で理解したように微笑んだ。
「聞きましたわ。フエルテ公爵子息との婚約解消」
その声音には、同情が溢れていた
「可哀そうに、あなたは、何一つ悪くないのに……」
マリーナは、唇を噛みしめる。
「わたし、悔しいです……」
「ええ、わたしの可愛いマリーナ。あなたには関係ないことなのに、こんな仕打ちをするなんて
帝国はなんて野蛮なのでしょう」
アンネットは、マリーナを優しく抱きしめて、諭すようにゆっくりと言った。
「あきらめるのはまだ早いわ――婚約者を取り戻すのよ……」
「……取り戻す?」
「そうです。フエルテ公爵子息との婚約をね」
その時、控えめなノックが響いた。
「側妃様」
入ってきたのは、長年アンネットに仕える侍女カーラだった。
彼女は無言で、小さな小瓶を差し出す。
透明な液体。
だが、ただの水ではないことは、すぐにマリーナにも分かった。
「……これは?」
「帝国でも禁じられている、強力な睡眠薬です」
アンネットは、何の躊躇もなくそれを受け取る。
「一滴で、成人男性でも深い眠りに落ちるわ。目覚めた頃には……朝を迎えているわね」
マリーナの胸が、高鳴った。
「母上……まさか」
「その“まさか”です」
アンネットは、ゆっくりと微笑む。
「既成事実を作りなさい。
フエルテ=マドリーレは、剣聖と呼ばれるお人。ならば、責任を取るはずです」
その瞬間、扉が再び開いた。
「……母上?」
現れたのは、フェリップ王子だった。
謹慎が解けたばかりの、疲れ切った顔。
アンネットは、彼を見据える。
「ちょうどいいところに来ましたわ」
そして、淡々と告げた。
「ジュリエット=トラップの件、聞いていますね?」
フェリップの顔色が、さっと変わる。
「……なぜ、それを」
「婚約破棄の慰謝料を払えず、奴隷商人に売られたそうですわ」
「やめてくれ……」
「可哀想ですわね。真実の愛だったのでしょう?」
フェリップは、その場に崩れ落ちた。
「俺は、何もできなかった……!」
アンネットは、力強く言い放つ。
「なら、今から“できること”をなさい」
「……?」
「奴隷商人を襲い、ジュリエットを救い出すのです」
「そんなこと……!」
「愛しているのならできるでしょう」
さらに、追い打ちをかける。
「それにペネロペ皇女との関係を修復する手段もありますよ」
「……無理だ」
「簡単ですよ。既成事実を作ればいいのですから」
沈黙。
やがて、フェリップの口元が歪む。
「……そうか」
その目に、かつての傲慢な光が戻った。
「ペネロペは、俺に惚れていた。拒めるはずがない」
マリーナは、静かに確信した。
(――母上は、いつも正しいわ)
アンネットは、小瓶を娘と息子に手渡す。
「さあ、行きなさい。
あなたたちは、王族です。
だから、あなたたちの行動は、すべて正しいのです」
二人は、それを受け取り、にこりと微笑み合った。
乱雑とした王女の部屋で、
王女マリーナは、母の言葉を疑いもしなかった。
この夜が、
母と兄と自分――すべてを破滅へと導く第一歩であったのに……。
許せなかった。
――いいえ、そんな生易しい言葉では足りない。
王城の私室。
天蓋付きの寝台に放り投げられたクッションを、マリーナは踏みつけた。
柔らかな羽毛が、まるで彼女の怒りを吸い込むかのように沈む。
「……ありえませんわ」
吐き捨てる声は、思った以上に震えていた。
わたしの自慢の婚約。
帝国随一の名門、マドリーレ公爵家。
そして、その嫡男――フエルテ=マドリーレ。
さらさらした金髪。
彫刻めいた、非の打ちどころのない顔立ち。
柔らかく、すべてを包み込むような蒼眼。
帝国一の美男子。
誰もがそう評する男。
それだけではない。
二十歳にして剣の極みに至り、“剣聖”の称号を許された天才。
女たちの心を虜にし、男たちを嫉妬で狂わせる。
帝国だけではなく、フランセ王国の女性までもを魅了する存在。
(……それが、わたしの婚約者だったはずなのに)
「解消、ですって?」
ローデリック宰相の冷淡な声が、脳裏に甦る。
理由は分かっている。
すべては兄フェリップとモナコラ伯爵の愚行である。
ペネロペ皇女への侮辱の報復が、わたしにまで広がったのだ
(……これもすべて、あの女のせい)
ペネロペ=スペイラ第三皇女。
兄の元婚約者だった女。
最初から気に入らなかった。
ですわ、というお嬢様口調で男女問わず、
多くの人たちから可憐で、守ってあげたくなると囁かれていた。
それでいて、帝国という“最強のカード”を後ろ盾に持つ女。
(わたしが、あんな女に負けるはずがないのに)
爪が、掌に深く食い込む。
その時だった。
「……マリーナ」
背後から、静かな声。
振り返ると、そこに立っていたのは、金髪の貴婦人だった。
年齢を感じさせぬ張りのある肌。冷ややかな青い瞳。
側妃――アンネット。
「母上……」
アンネットは、室内を一瞥し、乱れた空気を一瞬で理解したように微笑んだ。
「聞きましたわ。フエルテ公爵子息との婚約解消」
その声音には、同情が溢れていた
「可哀そうに、あなたは、何一つ悪くないのに……」
マリーナは、唇を噛みしめる。
「わたし、悔しいです……」
「ええ、わたしの可愛いマリーナ。あなたには関係ないことなのに、こんな仕打ちをするなんて
帝国はなんて野蛮なのでしょう」
アンネットは、マリーナを優しく抱きしめて、諭すようにゆっくりと言った。
「あきらめるのはまだ早いわ――婚約者を取り戻すのよ……」
「……取り戻す?」
「そうです。フエルテ公爵子息との婚約をね」
その時、控えめなノックが響いた。
「側妃様」
入ってきたのは、長年アンネットに仕える侍女カーラだった。
彼女は無言で、小さな小瓶を差し出す。
透明な液体。
だが、ただの水ではないことは、すぐにマリーナにも分かった。
「……これは?」
「帝国でも禁じられている、強力な睡眠薬です」
アンネットは、何の躊躇もなくそれを受け取る。
「一滴で、成人男性でも深い眠りに落ちるわ。目覚めた頃には……朝を迎えているわね」
マリーナの胸が、高鳴った。
「母上……まさか」
「その“まさか”です」
アンネットは、ゆっくりと微笑む。
「既成事実を作りなさい。
フエルテ=マドリーレは、剣聖と呼ばれるお人。ならば、責任を取るはずです」
その瞬間、扉が再び開いた。
「……母上?」
現れたのは、フェリップ王子だった。
謹慎が解けたばかりの、疲れ切った顔。
アンネットは、彼を見据える。
「ちょうどいいところに来ましたわ」
そして、淡々と告げた。
「ジュリエット=トラップの件、聞いていますね?」
フェリップの顔色が、さっと変わる。
「……なぜ、それを」
「婚約破棄の慰謝料を払えず、奴隷商人に売られたそうですわ」
「やめてくれ……」
「可哀想ですわね。真実の愛だったのでしょう?」
フェリップは、その場に崩れ落ちた。
「俺は、何もできなかった……!」
アンネットは、力強く言い放つ。
「なら、今から“できること”をなさい」
「……?」
「奴隷商人を襲い、ジュリエットを救い出すのです」
「そんなこと……!」
「愛しているのならできるでしょう」
さらに、追い打ちをかける。
「それにペネロペ皇女との関係を修復する手段もありますよ」
「……無理だ」
「簡単ですよ。既成事実を作ればいいのですから」
沈黙。
やがて、フェリップの口元が歪む。
「……そうか」
その目に、かつての傲慢な光が戻った。
「ペネロペは、俺に惚れていた。拒めるはずがない」
マリーナは、静かに確信した。
(――母上は、いつも正しいわ)
アンネットは、小瓶を娘と息子に手渡す。
「さあ、行きなさい。
あなたたちは、王族です。
だから、あなたたちの行動は、すべて正しいのです」
二人は、それを受け取り、にこりと微笑み合った。
乱雑とした王女の部屋で、
王女マリーナは、母の言葉を疑いもしなかった。
この夜が、
母と兄と自分――すべてを破滅へと導く第一歩であったのに……。
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