結婚して3年経っても子供ができないという理由で離縁されたエマは、前世の記憶を思い出して幸せになる。周りが勝手に復讐してくれました。

山田 バルス

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閑話8 マリーナ王女視点 母アンネット側妃の教え

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 王女マリーナ視点  母アンネット側妃の教え


 許せなかった。
 ――いいえ、そんな生易しい言葉では足りない。

 王城の私室。
 天蓋付きの寝台に放り投げられたクッションを、マリーナは踏みつけた。
 柔らかな羽毛が、まるで彼女の怒りを吸い込むかのように沈む。

「……ありえませんわ」

 吐き捨てる声は、思った以上に震えていた。

 わたしの自慢の婚約。
 帝国随一の名門、マドリーレ公爵家。
 そして、その嫡男――フエルテ=マドリーレ。

 さらさらした金髪。
 彫刻めいた、非の打ちどころのない顔立ち。
 柔らかく、すべてを包み込むような蒼眼。

 帝国一の美男子。
 誰もがそう評する男。

 それだけではない。
 二十歳にして剣の極みに至り、“剣聖”の称号を許された天才。

 女たちの心を虜にし、男たちを嫉妬で狂わせる。
 帝国だけではなく、フランセ王国の女性までもを魅了する存在。

(……それが、わたしの婚約者だったはずなのに)

「解消、ですって?」

 ローデリック宰相の冷淡な声が、脳裏に甦る。
 理由は分かっている。
 すべては兄フェリップとモナコラ伯爵の愚行である。
 ペネロペ皇女への侮辱の報復が、わたしにまで広がったのだ


(……これもすべて、あの女のせい)

 ペネロペ=スペイラ第三皇女。
 兄の元婚約者だった女。

 最初から気に入らなかった。
 ですわ、というお嬢様口調で男女問わず、
 多くの人たちから可憐で、守ってあげたくなると囁かれていた。
 それでいて、帝国という“最強のカード”を後ろ盾に持つ女。

(わたしが、あんな女に負けるはずがないのに)

 爪が、掌に深く食い込む。

 その時だった。

「……マリーナ」

 背後から、静かな声。

 振り返ると、そこに立っていたのは、金髪の貴婦人だった。
 年齢を感じさせぬ張りのある肌。冷ややかな青い瞳。
 側妃――アンネット。

「母上……」

 アンネットは、室内を一瞥し、乱れた空気を一瞬で理解したように微笑んだ。

「聞きましたわ。フエルテ公爵子息との婚約解消」

 その声音には、同情が溢れていた

「可哀そうに、あなたは、何一つ悪くないのに……」

 マリーナは、唇を噛みしめる。

「わたし、悔しいです……」

「ええ、わたしの可愛いマリーナ。あなたには関係ないことなのに、こんな仕打ちをするなんて
 帝国はなんて野蛮なのでしょう」

 アンネットは、マリーナを優しく抱きしめて、諭すようにゆっくりと言った。

「あきらめるのはまだ早いわ――婚約者を取り戻すのよ……」

「……取り戻す?」

「そうです。フエルテ公爵子息との婚約をね」

 その時、控えめなノックが響いた。

「側妃様」

 入ってきたのは、長年アンネットに仕える侍女カーラだった。
 彼女は無言で、小さな小瓶を差し出す。

 透明な液体。
 だが、ただの水ではないことは、すぐにマリーナにも分かった。

「……これは?」

「帝国でも禁じられている、強力な睡眠薬です」
 アンネットは、何の躊躇もなくそれを受け取る。

「一滴で、成人男性でも深い眠りに落ちるわ。目覚めた頃には……朝を迎えているわね」

 マリーナの胸が、高鳴った。

「母上……まさか」

「その“まさか”です」

 アンネットは、ゆっくりと微笑む。

「既成事実を作りなさい。
 フエルテ=マドリーレは、剣聖と呼ばれるお人。ならば、責任を取るはずです」

 その瞬間、扉が再び開いた。

「……母上?」

 現れたのは、フェリップ王子だった。
 謹慎が解けたばかりの、疲れ切った顔。

 アンネットは、彼を見据える。

「ちょうどいいところに来ましたわ」

 そして、淡々と告げた。

「ジュリエット=トラップの件、聞いていますね?」

 フェリップの顔色が、さっと変わる。

「……なぜ、それを」

「婚約破棄の慰謝料を払えず、奴隷商人に売られたそうですわ」

「やめてくれ……」

「可哀想ですわね。真実の愛だったのでしょう?」

 フェリップは、その場に崩れ落ちた。

「俺は、何もできなかった……!」

 アンネットは、力強く言い放つ。

「なら、今から“できること”をなさい」

「……?」

「奴隷商人を襲い、ジュリエットを救い出すのです」

「そんなこと……!」

「愛しているのならできるでしょう」

 さらに、追い打ちをかける。

「それにペネロペ皇女との関係を修復する手段もありますよ」

「……無理だ」

「簡単ですよ。既成事実を作ればいいのですから」

 沈黙。

 やがて、フェリップの口元が歪む。

「……そうか」

 その目に、かつての傲慢な光が戻った。

「ペネロペは、俺に惚れていた。拒めるはずがない」

 マリーナは、静かに確信した。

(――母上は、いつも正しいわ)

 アンネットは、小瓶を娘と息子に手渡す。

「さあ、行きなさい。
 あなたたちは、王族です。
 だから、あなたたちの行動は、すべて正しいのです」

 二人は、それを受け取り、にこりと微笑み合った。

 乱雑とした王女の部屋で、
 王女マリーナは、母の言葉を疑いもしなかった。

 この夜が、
 母と兄と自分――すべてを破滅へと導く第一歩であったのに……。
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