96 / 179
第96話 ダリル、沈黙は金なり
しおりを挟む
【夜更けの静話】―マスキュラー視点・宿の一室にて続き
***
扉をノックする音がしたのは、灯りが半ば燃え尽きかけた頃だった。
誰かと思えば、青髪に銀縁眼鏡――いつもながら神経質そうな顔つきのダリルだった。
「マスキュラー殿。……夜分、失礼いたしまする」
少しだけ逡巡した様子で、彼は扉の向こうに立っていた。
「どうした。説教なら明日の朝にしてくれ」
「ち、ち、ちがっ……ちがいまする! 拙者、そんな鬼ではありませんぞ……!」
あたふたと両手を振る様が滑稽で、思わず苦笑が漏れた。
「入れよ。別に寝てねぇ」
「……では、失礼いたしまする」
軋む床板の音と共に、ダリルが部屋に入ってくる。ランプの明かりで眼鏡が鈍く光る。彼は部屋の隅の椅子に腰を下ろし、しばらく口を開かなかった。
俺も何も言わなかった。こんな夜だ。沈黙の一つや二つ、悪くねぇ。
「……エリーゼ殿とアリスター殿、素敵でございましたな」
ようやく、ダリルが言った。いつものように肩をすくめたような喋り方。だが、その声色にはどこか温かさがあった。
「ああ。お似合いだよ」
俺は答える。強がりでも嘘でもない。たぶん、本心だった。
「拙者、こう見えて、祝福する気持ちはございます。……いや、もちろん、うらやましさも混ざっておりますが、それはそれ、ですな」
思わず顔を上げる。ダリルは眼鏡の奥で視線を外し、どこか遠いところを見ていた。
「……好きだったのか?」
「い、い、いやいや! そっちではなく! 拙者の話などどうでもよろしいのです! マスキュラー殿、あなたこそ……」
こちらに視線を戻すダリルの顔には、普段見せない真剣さが浮かんでいた。
「……お辛いのでは、ありませんか」
その言葉が、やけに静かに響いた。
ああ、わかってたんだな。こいつは。ずっと気づいてたんだ。
「オレが、エリーゼに惚れてたことか?」
「……はい」
嘘のつけない神官だ。マイナス思考で面倒なやつだけど、こういうときは正直だ。
「……辛くねぇって言ったら嘘になるな」
胸の奥で、まだ火種みたいなもんが燻ってる。でも、口に出すと少しだけ軽くなる。
「でも、言ったろ。あいつが幸せなら、それでいいって」
「……はい。おっしゃっておられました」
「それに、オレにゃ荷が重いんだよ。あいつの隣に立つにはな」
「そんなことは……!」
ダリルが勢いよく立ち上がる。普段の彼からは考えられないほど、強い声音だった。
「……そんなことは、誰にも決められませんぞ」
言葉のあとに続く、沈黙。
たぶん、それがこの夜いちばんの言葉だった。
「拙者は、かつて信じていた聖女に裏切られ、訴えて、追放されました。誰にも信じてもらえず、信じることもできなくなった。……でも、今は違う。あなたたちが、信じてくれるから」
ダリルの手が膝の上で震えていた。ぎゅっと握りしめるその拳が、過去を思い出しているようで。
「マスキュラー殿、あなたは、過去の痛みを知っている。だからこそ、黙って誰かの背中を支えることができる。……その選択は、尊いものです」
「……」
「沈黙は金なり、雄弁は銀なりとも言います。何も言わないことが、時に最も雄弁であることもあるのです」
俺は、何も言えなかった。言葉に詰まったんじゃない。胸にじんと来たんだ。
「……ありがとな、ダリル」
ポツリと、それだけ口にした。
「い、い、いえっ! 拙者、ただ思ったことを申しただけで……! で、ですが、ですな!」
急に言葉が戻ってきたダリルは、もごもごと口を動かしながら立ち上がる。
「ええと、つまり……その……夜風が冷えるゆえ、あまり深酒などせぬように。あっ、酒飲んでおられませんでしたな!? ああもう、拙者はなにを……!」
「おいおい、落ち着けって」
思わず笑ってしまった。こいつは本当に、不器用で、優しいやつだ。
ダリルがドアの前で振り返る。
「マスキュラー殿。……あなたが沈黙を選んだこと、それだけで、誰かが救われておりますぞ。拙者も、そうだったように」
最後にそう言って、静かに扉を閉じた。
***
ひとりになった部屋に、また沈黙が戻る。
でも、それはもう、重たいものじゃなかった。
誰にも言わず、誰にも見せず。それでも、誰かが気づいてくれる。
それだけで、心ってのは少しだけ軽くなるんだな。
「……明日も、頑張らねぇとな」
誰に聞かせるでもなく、独り言をこぼす。
夜はまだ深い。でも、少しだけ、星が綺麗だった。
***
扉をノックする音がしたのは、灯りが半ば燃え尽きかけた頃だった。
誰かと思えば、青髪に銀縁眼鏡――いつもながら神経質そうな顔つきのダリルだった。
「マスキュラー殿。……夜分、失礼いたしまする」
少しだけ逡巡した様子で、彼は扉の向こうに立っていた。
「どうした。説教なら明日の朝にしてくれ」
「ち、ち、ちがっ……ちがいまする! 拙者、そんな鬼ではありませんぞ……!」
あたふたと両手を振る様が滑稽で、思わず苦笑が漏れた。
「入れよ。別に寝てねぇ」
「……では、失礼いたしまする」
軋む床板の音と共に、ダリルが部屋に入ってくる。ランプの明かりで眼鏡が鈍く光る。彼は部屋の隅の椅子に腰を下ろし、しばらく口を開かなかった。
俺も何も言わなかった。こんな夜だ。沈黙の一つや二つ、悪くねぇ。
「……エリーゼ殿とアリスター殿、素敵でございましたな」
ようやく、ダリルが言った。いつものように肩をすくめたような喋り方。だが、その声色にはどこか温かさがあった。
「ああ。お似合いだよ」
俺は答える。強がりでも嘘でもない。たぶん、本心だった。
「拙者、こう見えて、祝福する気持ちはございます。……いや、もちろん、うらやましさも混ざっておりますが、それはそれ、ですな」
思わず顔を上げる。ダリルは眼鏡の奥で視線を外し、どこか遠いところを見ていた。
「……好きだったのか?」
「い、い、いやいや! そっちではなく! 拙者の話などどうでもよろしいのです! マスキュラー殿、あなたこそ……」
こちらに視線を戻すダリルの顔には、普段見せない真剣さが浮かんでいた。
「……お辛いのでは、ありませんか」
その言葉が、やけに静かに響いた。
ああ、わかってたんだな。こいつは。ずっと気づいてたんだ。
「オレが、エリーゼに惚れてたことか?」
「……はい」
嘘のつけない神官だ。マイナス思考で面倒なやつだけど、こういうときは正直だ。
「……辛くねぇって言ったら嘘になるな」
胸の奥で、まだ火種みたいなもんが燻ってる。でも、口に出すと少しだけ軽くなる。
「でも、言ったろ。あいつが幸せなら、それでいいって」
「……はい。おっしゃっておられました」
「それに、オレにゃ荷が重いんだよ。あいつの隣に立つにはな」
「そんなことは……!」
ダリルが勢いよく立ち上がる。普段の彼からは考えられないほど、強い声音だった。
「……そんなことは、誰にも決められませんぞ」
言葉のあとに続く、沈黙。
たぶん、それがこの夜いちばんの言葉だった。
「拙者は、かつて信じていた聖女に裏切られ、訴えて、追放されました。誰にも信じてもらえず、信じることもできなくなった。……でも、今は違う。あなたたちが、信じてくれるから」
ダリルの手が膝の上で震えていた。ぎゅっと握りしめるその拳が、過去を思い出しているようで。
「マスキュラー殿、あなたは、過去の痛みを知っている。だからこそ、黙って誰かの背中を支えることができる。……その選択は、尊いものです」
「……」
「沈黙は金なり、雄弁は銀なりとも言います。何も言わないことが、時に最も雄弁であることもあるのです」
俺は、何も言えなかった。言葉に詰まったんじゃない。胸にじんと来たんだ。
「……ありがとな、ダリル」
ポツリと、それだけ口にした。
「い、い、いえっ! 拙者、ただ思ったことを申しただけで……! で、ですが、ですな!」
急に言葉が戻ってきたダリルは、もごもごと口を動かしながら立ち上がる。
「ええと、つまり……その……夜風が冷えるゆえ、あまり深酒などせぬように。あっ、酒飲んでおられませんでしたな!? ああもう、拙者はなにを……!」
「おいおい、落ち着けって」
思わず笑ってしまった。こいつは本当に、不器用で、優しいやつだ。
ダリルがドアの前で振り返る。
「マスキュラー殿。……あなたが沈黙を選んだこと、それだけで、誰かが救われておりますぞ。拙者も、そうだったように」
最後にそう言って、静かに扉を閉じた。
***
ひとりになった部屋に、また沈黙が戻る。
でも、それはもう、重たいものじゃなかった。
誰にも言わず、誰にも見せず。それでも、誰かが気づいてくれる。
それだけで、心ってのは少しだけ軽くなるんだな。
「……明日も、頑張らねぇとな」
誰に聞かせるでもなく、独り言をこぼす。
夜はまだ深い。でも、少しだけ、星が綺麗だった。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。
婚約破棄で追放されて、幸せな日々を過ごす。……え? 私が世界に一人しか居ない水の聖女? あ、今更泣きつかれても、知りませんけど?
向原 行人
ファンタジー
第三王子が趣味で行っている冒険のパーティに所属するマッパー兼食事係の私、アニエスは突然パーティを追放されてしまった。
というのも、新しい食事係の少女をスカウトしたそうで、水魔法しか使えない私とは違い、複数の魔法が使えるのだとか。
私も、好きでもない王子から勝手に婚約者呼ばわりされていたし、追放されたのはありがたいかも。
だけど私が唯一使える水魔法が、実は「飲むと数時間の間、能力を倍増する」効果が得られる神水だったらしく、その効果を失った王子のパーティは、一気に転落していく。
戻ってきて欲しいって言われても、既にモフモフ妖狐や、新しい仲間たちと幸せな日々を過ごしてますから。
※第○話:主人公視点
挿話○:タイトルに書かれたキャラの視点
となります。
妹が聖女に選ばれました。姉が闇魔法使いだと周囲に知られない方が良いと思って家を出たのに、何故か王子様が追いかけて来ます。
向原 行人
ファンタジー
私、アルマには二つ下の可愛い妹がいます。
幼い頃から要領の良い妹は聖女に選ばれ、王子様と婚約したので……私は遠く離れた地で、大好きな魔法の研究に専念したいと思います。
最近は異空間へ自由に物を出し入れしたり、部分的に時間を戻したり出来るようになったんです!
勿論、この魔法の効果は街の皆さんにも活用を……いえ、無限に収納出来るので、安い時に小麦を買っていただけで、先見の明とかはありませんし、怪我をされた箇所の時間を戻しただけなので、治癒魔法とは違います。
だから私は聖女ではなくて、妹が……って、どうして王子様がこの地に来ているんですかっ!?
※第○話:主人公視点
挿話○:タイトルに書かれたキャラの視点
となります。
婚約破棄され森に捨てられました。探さないで下さい。
拓海のり
ファンタジー
属性魔法が使えず、役に立たない『自然魔法』だとバカにされていたステラは、婚約者の王太子から婚約破棄された。そして身に覚えのない罪で断罪され、修道院に行く途中で襲われる。他サイトにも投稿しています。
【完結】天下無敵の公爵令嬢は、おせっかいが大好きです
ノデミチ
ファンタジー
ある女医が、天寿を全うした。
女神に頼まれ、知識のみ持って転生。公爵令嬢として生を受ける。父は王国元帥、母は元宮廷魔術師。
前世の知識と父譲りの剣技体力、母譲りの魔法魔力。権力もあって、好き勝手生きられるのに、おせっかいが大好き。幼馴染の二人を巻き込んで、突っ走る!
そんな変わった公爵令嬢の物語。
アルファポリスOnly
2019/4/21 完結しました。
沢山のお気に入り、本当に感謝します。
7月より連載中に戻し、拾異伝スタートします。
2021年9月。
ファンタジー小説大賞投票御礼として外伝スタート。主要キャラから見たリスティア達を描いてます。
10月、再び完結に戻します。
御声援御愛読ありがとうございました。
不倫されて離婚した社畜OLが幼女転生して聖女になりましたが、王国が揉めてて大事にしてもらえないので好きに生きます
天田れおぽん
ファンタジー
ブラック企業に勤める社畜OL沙羅(サラ)は、結婚したものの不倫されて離婚した。スッキリした気分で明るい未来に期待を馳せるも、公園から飛び出てきた子どもを助けたことで、弱っていた心臓が止まってしまい死亡。同情した女神が、黒髪黒目中肉中背バツイチの沙羅を、銀髪碧眼3歳児の聖女として異世界へと転生させてくれた。
ところが王国内で聖女の処遇で揉めていて、転生先は草原だった。
サラは女神がくれた山盛りてんこ盛りのスキルを使い、異世界で知り合ったモフモフたちと暮らし始める――――
※第16話 あつまれ聖獣の森 6 が抜けていましたので2025/07/30に追加しました。
侯爵令嬢に転生したからには、何がなんでも生き抜きたいと思います!
珂里
ファンタジー
侯爵令嬢に生まれた私。
3歳のある日、湖で溺れて前世の記憶を思い出す。
高校に入学した翌日、川で溺れていた子供を助けようとして逆に私が溺れてしまった。
これからハッピーライフを満喫しようと思っていたのに!!
転生したからには、2度目の人生何がなんでも生き抜いて、楽しみたいと思います!!!
ヒロインですが、舞台にも上がれなかったので田舎暮らしをします
未羊
ファンタジー
レイチェル・ウィルソンは公爵令嬢
十二歳の時に王都にある魔法学園の入学試験を受けたものの、なんと不合格になってしまう
好きなヒロインとの交流を進める恋愛ゲームのヒロインの一人なのに、なんとその舞台に上がれることもできずに退場となってしまったのだ
傷つきはしたものの、公爵の治める領地へと移り住むことになったことをきっかけに、レイチェルは前世の夢を叶えることを計画する
今日もレイチェルは、公爵領の片隅で畑を耕したり、お店をしたりと気ままに暮らすのだった
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる