109 / 179
第109話 エリーゼの諜報活動 仮面の奴ら
しおりを挟む
王都の夕暮れは、黄金の光を落としながら石畳を照らしていた。エリーゼ=アルセリアは、マントのフードを深く被り、雑踏の中を歩いていた。
――今日は一人で動くと決めていた。
「怪しい噂ほど、陽が沈んだあとの方が集まりやすいって言うしね」
軽く笑うが、その瞳に宿るのは真剣な光。潜伏中のスプレーマムの仲間たちと情報を持ち寄る約束の日は近い。その前に、何か一つでも手がかりを掴まねばならなかった。
目指すは、王都でも特に裏社会に近いとされる“東裏市場”。夕暮れ以降は、表向きの商店がシャッターを下ろす代わりに、いくつかの酒場がひっそりと灯を灯すのだ。
「……あった、ここね」
エリーゼが足を止めたのは、軒先に赤いランタンがぶら下がる古びた酒場。看板には『死者の杯亭』と、物騒な名が刻まれていた。
中に入ると、鼻をつくのは酒と煙草と獣脂が混ざった独特の匂い。視線が集まりかけたが、エリーゼは背を丸め、無言でカウンターの隅に腰を下ろす。背中の剣も布で隠し、冒険者風の格好にとどめていた。
「飲むかい、姐さん?」
バーテンの老人が皺だらけの顔をほころばせる。
「黒麦酒を一杯。あと、何か話のネタになるような“面白い話”もあれば……」
言葉の裏に含みを持たせる。すると、老人はふっと片目を閉じてから、泡の立つ木製のジョッキを差し出した。
「ちょうどさっき、奥の卓で“魔術”がどうのと言ってた連中がいたぜ。もう帰ったがな。残された酒の代金は、面白い話の代わりになるかもな」
エリーゼは礼を言い、言われた席へ向かった。座ってみると、木のテーブルには焦げ跡のような黒い痕が残っていた。魔術の痕跡か、あるいは――
「アンタも興味あるのかい、“仮面の奴ら”に」
低くくぐもった声に振り向くと、隣のテーブルに座っていた年配の男が、杯を傾けながらエリーゼを見ていた。灰色の髪、無精髭、片目に古い傷。冒険者崩れか、あるいは元兵士だろう。
「“仮面の奴ら”? ……何のことかしら」
エリーゼがとぼけると、男は苦笑した。
「東の区画で若い魔術師が消える事件が続いてる。“紅の仮面”を名乗る連中が勧誘してるって噂さ。“力が欲しいか”“世界を変えたいか”――そんな言葉で心の隙を突いてくるってな。あんたも気をつけな」
「まるで宗教ね……」
「その通りさ。しかも最近じゃ、裏の市場にまで手を伸ばしてるって話だ。高位魔術の巻物、禁書、異種族の遺物……あいつらは“力”を欲しがる者には何でも与える。代わりに……魂を取られるかもしれんがな」
エリーゼの目が細まる。
――やはり、“紅の仮面”はただの陰謀団体じゃない。
「……あたしの弟も、勧誘されかけた」
不意に、別の席から細い声が漏れた。そちらを向くと、酒を一口も飲まずにうつむいていた若い女性が、唇を震わせていた。
「弟は優秀な魔術師だった。けど、父が亡くなって心が弱っていた時に……“紅の仮面”の使いが近づいたの。『君の力はもっと役立つ』って。『今の世界は間違ってる、だから我々が導く』って……」
「……それで?」
「行ってしまったの。二度と戻ってこなかった。連絡も、痕跡もない。調べようとしたけど、誰も知らない、見ていないって……」
女性の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
「……紅の仮面は、弱い心を狙う。そこに入り込んで、抜け出せない場所へ引きずり込む。そんな奴らなのよ」
エリーゼは、ゆっくりと立ち上がった。
「ありがとう、話してくれて」
彼女は小声でそう言い、代金の他に銀貨を二枚、テーブルに置いた。
――地下魔術会合。勧誘。仮面。異種の力。心の隙。
そのどれもが、王都に渦巻く“異常”の兆しと一致していた。
「……仲間に伝えなきゃ」
フードを被り直し、エリーゼは再び石畳の道を歩き出した。背には、剣聖としての決意と、かすかな怒りが宿っていた。
――もう誰にも、こんな涙を流させたくない。
その歩みは、確かな情報と共に、仲間のもとへと続いていく。
――今日は一人で動くと決めていた。
「怪しい噂ほど、陽が沈んだあとの方が集まりやすいって言うしね」
軽く笑うが、その瞳に宿るのは真剣な光。潜伏中のスプレーマムの仲間たちと情報を持ち寄る約束の日は近い。その前に、何か一つでも手がかりを掴まねばならなかった。
目指すは、王都でも特に裏社会に近いとされる“東裏市場”。夕暮れ以降は、表向きの商店がシャッターを下ろす代わりに、いくつかの酒場がひっそりと灯を灯すのだ。
「……あった、ここね」
エリーゼが足を止めたのは、軒先に赤いランタンがぶら下がる古びた酒場。看板には『死者の杯亭』と、物騒な名が刻まれていた。
中に入ると、鼻をつくのは酒と煙草と獣脂が混ざった独特の匂い。視線が集まりかけたが、エリーゼは背を丸め、無言でカウンターの隅に腰を下ろす。背中の剣も布で隠し、冒険者風の格好にとどめていた。
「飲むかい、姐さん?」
バーテンの老人が皺だらけの顔をほころばせる。
「黒麦酒を一杯。あと、何か話のネタになるような“面白い話”もあれば……」
言葉の裏に含みを持たせる。すると、老人はふっと片目を閉じてから、泡の立つ木製のジョッキを差し出した。
「ちょうどさっき、奥の卓で“魔術”がどうのと言ってた連中がいたぜ。もう帰ったがな。残された酒の代金は、面白い話の代わりになるかもな」
エリーゼは礼を言い、言われた席へ向かった。座ってみると、木のテーブルには焦げ跡のような黒い痕が残っていた。魔術の痕跡か、あるいは――
「アンタも興味あるのかい、“仮面の奴ら”に」
低くくぐもった声に振り向くと、隣のテーブルに座っていた年配の男が、杯を傾けながらエリーゼを見ていた。灰色の髪、無精髭、片目に古い傷。冒険者崩れか、あるいは元兵士だろう。
「“仮面の奴ら”? ……何のことかしら」
エリーゼがとぼけると、男は苦笑した。
「東の区画で若い魔術師が消える事件が続いてる。“紅の仮面”を名乗る連中が勧誘してるって噂さ。“力が欲しいか”“世界を変えたいか”――そんな言葉で心の隙を突いてくるってな。あんたも気をつけな」
「まるで宗教ね……」
「その通りさ。しかも最近じゃ、裏の市場にまで手を伸ばしてるって話だ。高位魔術の巻物、禁書、異種族の遺物……あいつらは“力”を欲しがる者には何でも与える。代わりに……魂を取られるかもしれんがな」
エリーゼの目が細まる。
――やはり、“紅の仮面”はただの陰謀団体じゃない。
「……あたしの弟も、勧誘されかけた」
不意に、別の席から細い声が漏れた。そちらを向くと、酒を一口も飲まずにうつむいていた若い女性が、唇を震わせていた。
「弟は優秀な魔術師だった。けど、父が亡くなって心が弱っていた時に……“紅の仮面”の使いが近づいたの。『君の力はもっと役立つ』って。『今の世界は間違ってる、だから我々が導く』って……」
「……それで?」
「行ってしまったの。二度と戻ってこなかった。連絡も、痕跡もない。調べようとしたけど、誰も知らない、見ていないって……」
女性の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
「……紅の仮面は、弱い心を狙う。そこに入り込んで、抜け出せない場所へ引きずり込む。そんな奴らなのよ」
エリーゼは、ゆっくりと立ち上がった。
「ありがとう、話してくれて」
彼女は小声でそう言い、代金の他に銀貨を二枚、テーブルに置いた。
――地下魔術会合。勧誘。仮面。異種の力。心の隙。
そのどれもが、王都に渦巻く“異常”の兆しと一致していた。
「……仲間に伝えなきゃ」
フードを被り直し、エリーゼは再び石畳の道を歩き出した。背には、剣聖としての決意と、かすかな怒りが宿っていた。
――もう誰にも、こんな涙を流させたくない。
その歩みは、確かな情報と共に、仲間のもとへと続いていく。
2
あなたにおすすめの小説
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。
婚約破棄で追放されて、幸せな日々を過ごす。……え? 私が世界に一人しか居ない水の聖女? あ、今更泣きつかれても、知りませんけど?
向原 行人
ファンタジー
第三王子が趣味で行っている冒険のパーティに所属するマッパー兼食事係の私、アニエスは突然パーティを追放されてしまった。
というのも、新しい食事係の少女をスカウトしたそうで、水魔法しか使えない私とは違い、複数の魔法が使えるのだとか。
私も、好きでもない王子から勝手に婚約者呼ばわりされていたし、追放されたのはありがたいかも。
だけど私が唯一使える水魔法が、実は「飲むと数時間の間、能力を倍増する」効果が得られる神水だったらしく、その効果を失った王子のパーティは、一気に転落していく。
戻ってきて欲しいって言われても、既にモフモフ妖狐や、新しい仲間たちと幸せな日々を過ごしてますから。
※第○話:主人公視点
挿話○:タイトルに書かれたキャラの視点
となります。
妹が聖女に選ばれました。姉が闇魔法使いだと周囲に知られない方が良いと思って家を出たのに、何故か王子様が追いかけて来ます。
向原 行人
ファンタジー
私、アルマには二つ下の可愛い妹がいます。
幼い頃から要領の良い妹は聖女に選ばれ、王子様と婚約したので……私は遠く離れた地で、大好きな魔法の研究に専念したいと思います。
最近は異空間へ自由に物を出し入れしたり、部分的に時間を戻したり出来るようになったんです!
勿論、この魔法の効果は街の皆さんにも活用を……いえ、無限に収納出来るので、安い時に小麦を買っていただけで、先見の明とかはありませんし、怪我をされた箇所の時間を戻しただけなので、治癒魔法とは違います。
だから私は聖女ではなくて、妹が……って、どうして王子様がこの地に来ているんですかっ!?
※第○話:主人公視点
挿話○:タイトルに書かれたキャラの視点
となります。
婚約破棄され森に捨てられました。探さないで下さい。
拓海のり
ファンタジー
属性魔法が使えず、役に立たない『自然魔法』だとバカにされていたステラは、婚約者の王太子から婚約破棄された。そして身に覚えのない罪で断罪され、修道院に行く途中で襲われる。他サイトにも投稿しています。
【完結】天下無敵の公爵令嬢は、おせっかいが大好きです
ノデミチ
ファンタジー
ある女医が、天寿を全うした。
女神に頼まれ、知識のみ持って転生。公爵令嬢として生を受ける。父は王国元帥、母は元宮廷魔術師。
前世の知識と父譲りの剣技体力、母譲りの魔法魔力。権力もあって、好き勝手生きられるのに、おせっかいが大好き。幼馴染の二人を巻き込んで、突っ走る!
そんな変わった公爵令嬢の物語。
アルファポリスOnly
2019/4/21 完結しました。
沢山のお気に入り、本当に感謝します。
7月より連載中に戻し、拾異伝スタートします。
2021年9月。
ファンタジー小説大賞投票御礼として外伝スタート。主要キャラから見たリスティア達を描いてます。
10月、再び完結に戻します。
御声援御愛読ありがとうございました。
不倫されて離婚した社畜OLが幼女転生して聖女になりましたが、王国が揉めてて大事にしてもらえないので好きに生きます
天田れおぽん
ファンタジー
ブラック企業に勤める社畜OL沙羅(サラ)は、結婚したものの不倫されて離婚した。スッキリした気分で明るい未来に期待を馳せるも、公園から飛び出てきた子どもを助けたことで、弱っていた心臓が止まってしまい死亡。同情した女神が、黒髪黒目中肉中背バツイチの沙羅を、銀髪碧眼3歳児の聖女として異世界へと転生させてくれた。
ところが王国内で聖女の処遇で揉めていて、転生先は草原だった。
サラは女神がくれた山盛りてんこ盛りのスキルを使い、異世界で知り合ったモフモフたちと暮らし始める――――
※第16話 あつまれ聖獣の森 6 が抜けていましたので2025/07/30に追加しました。
侯爵令嬢に転生したからには、何がなんでも生き抜きたいと思います!
珂里
ファンタジー
侯爵令嬢に生まれた私。
3歳のある日、湖で溺れて前世の記憶を思い出す。
高校に入学した翌日、川で溺れていた子供を助けようとして逆に私が溺れてしまった。
これからハッピーライフを満喫しようと思っていたのに!!
転生したからには、2度目の人生何がなんでも生き抜いて、楽しみたいと思います!!!
ヒロインですが、舞台にも上がれなかったので田舎暮らしをします
未羊
ファンタジー
レイチェル・ウィルソンは公爵令嬢
十二歳の時に王都にある魔法学園の入学試験を受けたものの、なんと不合格になってしまう
好きなヒロインとの交流を進める恋愛ゲームのヒロインの一人なのに、なんとその舞台に上がれることもできずに退場となってしまったのだ
傷つきはしたものの、公爵の治める領地へと移り住むことになったことをきっかけに、レイチェルは前世の夢を叶えることを計画する
今日もレイチェルは、公爵領の片隅で畑を耕したり、お店をしたりと気ままに暮らすのだった
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる