3 / 8
3
しおりを挟む
インターン初日の業務終了を告げるチャイムが鳴ると、フロアに張り詰めていた空気が一気に緩んだ。
「じゃあ、今日の主役もいることだし。予約してる店に行こうか」
課長の一声で、社員たちが立ち上がる。
羽柴の歓迎会――という名目の、いつもの飲み会だ。
「羽柴くん、飲める?」
「無理しなくていいからね」
「若いんだから、潰れない程度に付き合ってよ」
善意とも下心ともつかない声が、四方から飛んでくる。
羽柴は軽く会釈しながら、曖昧に笑った。
「はい。少しなら」
その様子を、遊佐は少し離れた場所から見ていた。
“八方美人はやめろ”と言われたくせに、他人に囲まれる羽柴を見ると、胸の奥がざらつく。
「……遊佐くんも来るよな?」
課長から見たら上役の息子で扱いづらい遊佐は目の上のたんこぶだろう。
「まあ」
短く答え、遊佐は羽柴の隣に立った。
自然な流れを装って、だが逃げ道を塞ぐような距離で。
会場は会社の近くにある、少し洒落た個室居酒屋だった。 遊佐は当然のように羽柴の隣を確保しようと動いた。だが、それよりも一瞬早く、大きな手が羽柴の肩をガシッと掴んだ。
「君が噂の新人? へぇ、すっげー男前じゃん!」
快活な笑い声と共に現れたのは、営業部のエース、桐島(きりしま)だった。長身で日焼けした肌、屈託のない笑顔。社内の女子社員人気を遊佐と二分する、いわゆる「陽」のオーラを纏った男だ。
「あ、桐島さん。お疲れ様です」 「おう! ちょっとこっち来てよ。俺、君と話したかったんだよねぇ」
桐島は強引に、しかし嫌味のない手つきで羽柴を奥の席へと連れ去ってしまう。遊佐の手が空を切り、行き場を失った。舌打ちを噛み殺し、遊佐は仕方なく対面の席――羽柴の顔は見えるが、触れることはできない位置にドカりと座った。
宴が始まると、桐島はすぐにその本性を発揮した。
「羽柴くんさ、何かスポーツやってたでしょ」
ビールジョッキを傾けながら、桐島が鋭い指摘をする。
「……えぇ、少しだけ」 「やっぱり! 姿勢いいし、何よりその手。指が長くて、関節がしっかりしてる。これ、何か『掴む』競技の手だよな?」
桐島はそう言うと、あろうことか羽柴の広げた手を自分の手のひらに乗せ、無遠慮にまじまじと観察し始めた。指先で、羽柴の手のひらの硬くなった豆の跡をなぞる。
「……っ」
羽柴がわずかに眉を寄せ、手を引っ込めようとする。だが桐島は気づかないふりで、さらに顔を近づけた。
「バスケ? バレー? ……もしかして、強豪の高校にいた?」 「弱小ですよ……昔の話です」
羽柴が視線を逸らす。その頑なな態度が、逆に桐島の狩猟本能を刺激したようだ。
「へぇ、秘密主義? そういうの、俺嫌いじゃないよ。ねぇ、今度の日曜空いてる? 営業部のフットサルに混ざりなよ。君なら即戦力だ」
桐島の腕が、羽柴の椅子の背もたれに回される。まるで囲い込むようなその距離感に、周囲の女子社員たちが「桐島さん積極的~!」とはやし立てる。
対面の席で、遊佐はグラスを持つ手にギリギリと力を込めた?あいつは何も知らないくせに。羽柴の指がボールを操る時の美しさも、汗に濡れた項(うなじ)の色気も、あのコートでの傲慢な笑みも。
(……気安く触るな)
自分ですら、まだその指にまともに触れていないのに。 遊佐の中で、どす黒い感情が酒と共に胃の腑で煮えたぎった。
「……桐島」
周囲の喧騒を切り裂くように、遊佐が低い声を上げた。
「あ?」
「新人いびりもその辺にしておけ。羽柴が困ってるだろう」
「いびってないって。勧誘だってば。なぁ、羽柴くん?」
桐島がニカっと笑い、同意を求めるように羽柴の顔を覗き込む。その瞬間、羽柴がふと顔を上げ、正面にいる遊佐を見た。その瞳が、店内の薄暗い照明を反射して、怪しく揺らいだ。
次の瞬間、羽柴は桐島に向かって、今日一番の「愛想笑い」を浮かべた。
「いえ、光栄です、桐島さん。僕でよければ、ぜひお話聞かせてください」
羽柴はそう言うと、手元にあったビール瓶を手に取り、桐島の空いたグラスに注ぎ始めた。泡の比率が完璧な、美しい手酌だった。
「おっ、気が利くねぇ! さすが!」
「いえ。桐島さんのような、営業部のエースの方に注がせていただけるなんて」
「なんだよ、照れるなぁ! よし、飲もう飲もう!」
上機嫌になった桐島がグラスを煽る。羽柴は自分のグラスにはほとんど口をつけず、桐島のグラスが空になる瞬間に、すかさず次のビールを注いだ。それは、相手に考える隙を与えない、速攻のパス回しそのものだった。
「すごいペースですね、さすが体育会系だ。……あ、ハイボールの方がお好きでしたか? すみません、気が付かなくて。濃いめでいいですか?」
「お、おう! 頼むわ!」
羽柴は、店員を呼ぶことすらせず、テーブルにあったウイスキーと炭酸水で、あっという間に濃いハイボールを作り上げた。遊佐は対面の席で、その光景を呆然と見ていた。羽柴は、桐島のペースに合わせているふりをして、完全に主導権を握っている。相手の調子に乗せ、アルコールという「負荷」をかけ、思考能力を奪っていく。
三十分も経たなかった。
「……う、ん……はしば、くん……きみ、つよい、ねぇ……」
あれほど快活だった桐島が、真っ赤な顔でテーブルに突っ伏した。完全に許容量オーバーだ。周囲の社員たちが「えっ、桐島さんもう潰れたの?」「珍しい!」と騒ぎ始める。
その喧騒の中、羽柴は一度だけ深く息を吐くと、自分のグラスを持って静かに立ち上がった。そして、テーブルを回り込み――呆気にとられている遊佐の隣、空いたばかりの席にすとんと腰を下ろした。
ふわりと、アルコールの臭いではなく、あの清潔な柔軟剤の香りが遊佐の鼻孔をくすぐる。
「……お前、まさか」
遊佐が低い声で問うと、羽柴は潰れた桐島を一瞥し、冷ややかに言い放った。
「彼、ペース配分が下手ですね。最初の勢いだけで、後半バテるタイプだ。……試合(ゲーム)運びが雑すぎます」
まるで、対戦相手の弱点を分析するような口調だった。 羽柴は手元のウーロン茶を一口飲むと、隣にいる遊佐の方を向き、少しだけ首を傾げた。
「……ようやく、騒がしい障害物がなくなりましたね。これで、ゆっくり話せますか? 遊佐さん」
その瞳は、酔いなど微塵も感じさせないほど澄んでいて、ぞくりとするほど冷たい光を宿していた。 遊佐は、喉の奥で唸り声を飲み込んだ。助けようとした自分が馬鹿みたいだ。この男は、守られるべき華奢な存在などではない。
あのコートにいた時と同じ、いや、それ以上に厄介な「怪物」なのだと、遊佐は改めて思い知らされる。
「じゃあ、今日の主役もいることだし。予約してる店に行こうか」
課長の一声で、社員たちが立ち上がる。
羽柴の歓迎会――という名目の、いつもの飲み会だ。
「羽柴くん、飲める?」
「無理しなくていいからね」
「若いんだから、潰れない程度に付き合ってよ」
善意とも下心ともつかない声が、四方から飛んでくる。
羽柴は軽く会釈しながら、曖昧に笑った。
「はい。少しなら」
その様子を、遊佐は少し離れた場所から見ていた。
“八方美人はやめろ”と言われたくせに、他人に囲まれる羽柴を見ると、胸の奥がざらつく。
「……遊佐くんも来るよな?」
課長から見たら上役の息子で扱いづらい遊佐は目の上のたんこぶだろう。
「まあ」
短く答え、遊佐は羽柴の隣に立った。
自然な流れを装って、だが逃げ道を塞ぐような距離で。
会場は会社の近くにある、少し洒落た個室居酒屋だった。 遊佐は当然のように羽柴の隣を確保しようと動いた。だが、それよりも一瞬早く、大きな手が羽柴の肩をガシッと掴んだ。
「君が噂の新人? へぇ、すっげー男前じゃん!」
快活な笑い声と共に現れたのは、営業部のエース、桐島(きりしま)だった。長身で日焼けした肌、屈託のない笑顔。社内の女子社員人気を遊佐と二分する、いわゆる「陽」のオーラを纏った男だ。
「あ、桐島さん。お疲れ様です」 「おう! ちょっとこっち来てよ。俺、君と話したかったんだよねぇ」
桐島は強引に、しかし嫌味のない手つきで羽柴を奥の席へと連れ去ってしまう。遊佐の手が空を切り、行き場を失った。舌打ちを噛み殺し、遊佐は仕方なく対面の席――羽柴の顔は見えるが、触れることはできない位置にドカりと座った。
宴が始まると、桐島はすぐにその本性を発揮した。
「羽柴くんさ、何かスポーツやってたでしょ」
ビールジョッキを傾けながら、桐島が鋭い指摘をする。
「……えぇ、少しだけ」 「やっぱり! 姿勢いいし、何よりその手。指が長くて、関節がしっかりしてる。これ、何か『掴む』競技の手だよな?」
桐島はそう言うと、あろうことか羽柴の広げた手を自分の手のひらに乗せ、無遠慮にまじまじと観察し始めた。指先で、羽柴の手のひらの硬くなった豆の跡をなぞる。
「……っ」
羽柴がわずかに眉を寄せ、手を引っ込めようとする。だが桐島は気づかないふりで、さらに顔を近づけた。
「バスケ? バレー? ……もしかして、強豪の高校にいた?」 「弱小ですよ……昔の話です」
羽柴が視線を逸らす。その頑なな態度が、逆に桐島の狩猟本能を刺激したようだ。
「へぇ、秘密主義? そういうの、俺嫌いじゃないよ。ねぇ、今度の日曜空いてる? 営業部のフットサルに混ざりなよ。君なら即戦力だ」
桐島の腕が、羽柴の椅子の背もたれに回される。まるで囲い込むようなその距離感に、周囲の女子社員たちが「桐島さん積極的~!」とはやし立てる。
対面の席で、遊佐はグラスを持つ手にギリギリと力を込めた?あいつは何も知らないくせに。羽柴の指がボールを操る時の美しさも、汗に濡れた項(うなじ)の色気も、あのコートでの傲慢な笑みも。
(……気安く触るな)
自分ですら、まだその指にまともに触れていないのに。 遊佐の中で、どす黒い感情が酒と共に胃の腑で煮えたぎった。
「……桐島」
周囲の喧騒を切り裂くように、遊佐が低い声を上げた。
「あ?」
「新人いびりもその辺にしておけ。羽柴が困ってるだろう」
「いびってないって。勧誘だってば。なぁ、羽柴くん?」
桐島がニカっと笑い、同意を求めるように羽柴の顔を覗き込む。その瞬間、羽柴がふと顔を上げ、正面にいる遊佐を見た。その瞳が、店内の薄暗い照明を反射して、怪しく揺らいだ。
次の瞬間、羽柴は桐島に向かって、今日一番の「愛想笑い」を浮かべた。
「いえ、光栄です、桐島さん。僕でよければ、ぜひお話聞かせてください」
羽柴はそう言うと、手元にあったビール瓶を手に取り、桐島の空いたグラスに注ぎ始めた。泡の比率が完璧な、美しい手酌だった。
「おっ、気が利くねぇ! さすが!」
「いえ。桐島さんのような、営業部のエースの方に注がせていただけるなんて」
「なんだよ、照れるなぁ! よし、飲もう飲もう!」
上機嫌になった桐島がグラスを煽る。羽柴は自分のグラスにはほとんど口をつけず、桐島のグラスが空になる瞬間に、すかさず次のビールを注いだ。それは、相手に考える隙を与えない、速攻のパス回しそのものだった。
「すごいペースですね、さすが体育会系だ。……あ、ハイボールの方がお好きでしたか? すみません、気が付かなくて。濃いめでいいですか?」
「お、おう! 頼むわ!」
羽柴は、店員を呼ぶことすらせず、テーブルにあったウイスキーと炭酸水で、あっという間に濃いハイボールを作り上げた。遊佐は対面の席で、その光景を呆然と見ていた。羽柴は、桐島のペースに合わせているふりをして、完全に主導権を握っている。相手の調子に乗せ、アルコールという「負荷」をかけ、思考能力を奪っていく。
三十分も経たなかった。
「……う、ん……はしば、くん……きみ、つよい、ねぇ……」
あれほど快活だった桐島が、真っ赤な顔でテーブルに突っ伏した。完全に許容量オーバーだ。周囲の社員たちが「えっ、桐島さんもう潰れたの?」「珍しい!」と騒ぎ始める。
その喧騒の中、羽柴は一度だけ深く息を吐くと、自分のグラスを持って静かに立ち上がった。そして、テーブルを回り込み――呆気にとられている遊佐の隣、空いたばかりの席にすとんと腰を下ろした。
ふわりと、アルコールの臭いではなく、あの清潔な柔軟剤の香りが遊佐の鼻孔をくすぐる。
「……お前、まさか」
遊佐が低い声で問うと、羽柴は潰れた桐島を一瞥し、冷ややかに言い放った。
「彼、ペース配分が下手ですね。最初の勢いだけで、後半バテるタイプだ。……試合(ゲーム)運びが雑すぎます」
まるで、対戦相手の弱点を分析するような口調だった。 羽柴は手元のウーロン茶を一口飲むと、隣にいる遊佐の方を向き、少しだけ首を傾げた。
「……ようやく、騒がしい障害物がなくなりましたね。これで、ゆっくり話せますか? 遊佐さん」
その瞳は、酔いなど微塵も感じさせないほど澄んでいて、ぞくりとするほど冷たい光を宿していた。 遊佐は、喉の奥で唸り声を飲み込んだ。助けようとした自分が馬鹿みたいだ。この男は、守られるべき華奢な存在などではない。
あのコートにいた時と同じ、いや、それ以上に厄介な「怪物」なのだと、遊佐は改めて思い知らされる。
0
あなたにおすすめの小説
従僕に溺愛されて逃げられない
大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL!
俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。
その傍らには、当然のようにリンがいる。
荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。
高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。
けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。
当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。
居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。
さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。
主従なのか、恋人なのか。
境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。
従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。
優しい檻に囚われて ―俺のことを好きすぎる彼らから逃げられません―
無玄々
BL
「俺たちから、逃げられると思う?」
卑屈な少年・織理は、三人の男から同時に告白されてしまう。
一人は必死で熱く重い男、一人は常に包んでくれる優しい先輩、一人は「嫌い」と言いながら離れない奇妙な奴。
選べない織理に押し付けられる彼らの恋情――それは優しくも逃げられない檻のようで。
本作は織理と三人の関係性を描いた短編集です。
愛か、束縛か――その境界線の上で揺れる、執着ハーレムBL。
※この作品は『記憶を失うほどに【https://www.alphapolis.co.jp/novel/364672311/155993505】』のハーレムパロディです。本編未読でも雰囲気は伝わりますが、キャラクターの背景は本編を読むとさらに楽しめます。
※本作は織理受けのハーレム形式です。
※一部描写にてそれ以外のカプとも取れるような関係性・心理描写がありますが、明確なカップリング意図はありません。が、ご注意ください
彼の巨大な体に覆われ、満たされ、貪られた——一晩中
桜井ベアトリクス
恋愛
妹を救出するため、一ヶ月かけて死の山脈を越え、影の沼地を泳ぎ、マンティコアとポーカー勝負までした私、ローズ。
やっと辿り着いた先で見たのは——フェイ王の膝の上で甘える妹の姿。
「助けなんていらないわよ?」
は?
しかも運命の光が私と巨漢戦士マキシマスの間で光って、「お前は俺のものだ」宣言。
「片手だけなら……」そう妥協したのに、ワイン一杯で理性が飛んだ。
彼の心臓の音を聞いた瞬間、私から飛びついて、その夜、彼のベッドで戦士のものになった。
相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~
柊 千鶴
BL
【執着攻め×強気受け】
人付き合いを好まず、常に周囲と一定の距離を置いてきた篠崎には、唯一激しく口論を交わす男がいた。
その仲の悪さから「天敵」と称される同期の男だ。
完璧人間と名高い男とは性格も意見も合わず、顔を合わせればいがみ合う日々を送っていた。
ところがある日。
篠崎が人肌恋しさを慰めるため、出会い系サイトで男を見繕いホテルに向かうと、部屋の中では件の「天敵」月島亮介が待っていた。
「ど、どうしてお前がここにいる⁉」「それはこちらの台詞だ…!」
一夜の過ちとして終わるかと思われた関係は、徐々にふたりの間に変化をもたらし、月島の秘められた執着心が明らかになっていく。
いつも嫌味を言い合っているライバルとマッチングしてしまい、一晩だけの関係で終わるには惜しいほど身体の相性は良く、抜け出せないまま囲われ執着され溺愛されていく話。小説家になろうに投稿した小説の改訂版です。
合わせて漫画もよろしくお願いします。(https://www.alphapolis.co.jp/manga/763604729/304424900)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる