アンフェア・ゲーム ~傲慢上司は生意気なインターンに勝てない~

つむぎ薫

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「――は? データが飛んだ?」

遊佐の怒号がフロアの空気を凍りつかせた。
プレゼン開始まであと二十分。社運を賭けたプロジェクトの最終資料が、システムのエラーで藻屑と消えたらしい。

「ば、バックアップは……!」
「直前の同期ミスで、昨日の古いデータしか残ってません……今から数値を洗い直してたら、半日はかかります!」

担当社員が青ざめた顔で叫ぶ。フロア中がパニックに陥り、誰もが「終わった」という絶望的な顔を見合わせた。
遊佐は舌打ちし、ネクタイを乱暴に緩める。

「……遊佐さん」

喧騒を切り裂くように、平坦な声が響いた。
羽柴だ。彼は騒ぎなど聞こえていないかのように、自分のデスクでキーボードを叩き始めていた。

「経理部から生データを引っこ抜きました。今から、プレゼンに必要な『収支予測』と『ロードマップ』の二点だけに絞って再構築します」

「……二十分だぞ。全部は無理だ」

「全部やる必要はありません。遊佐さんが口頭で補足できる部分は捨てます。僕が作るのは、視覚的に見せないと説得力がない『数字』のグラフだけです」

羽柴は顔も上げずに言い放つと、画面上のウィンドウを凄まじい速度で切り替え始めた。
その判断の速さ。
遊佐の脳裏に、かつてコート上で戦況を一瞬で読み解いた司令塔の姿が重なる。

「……チッ。おい、お前ら!」

 遊佐は社員たちに吠えた。

「羽柴に最新の売上データを集めろ! 俺は先方に電話して時間を稼ぐ。――羽柴、5分だ」

「3分でいいです。その代わり、遊佐さんはプロジェクターの準備を。接続コード、接触悪いんで交換しておきました」

「……指図すんな」

憎まれ口を叩きながらも、遊佐の身体は思考より早く動いていた。

 
そこからの時間は、周囲の社員たちにとって「魔法」を見ているようだった。

 カタカタカタ、ッ、ターン!
 羽柴のタイピング音が、ボールが床を叩くドリブルの音のように一定のリズムで響く。

「……遊佐さん、22年度の比率」
「6対4だ。あと昨対比は110%強気で盛れ」
「了解。……デザイン崩れますけど、修正は?」
「いらん。俺が喋りでカバーする」

短い単語の応酬。
遊佐が電話対応しながら片手を伸ばすと、そこに羽柴が無言でプリントアウトした資料を滑り込ませる。
視線すら合わせていない。
だが、資料は遊佐が「欲しい」と思ったその瞬間に、完璧なタイミングで手元に来る。

 ノールック・パス。

かつて遊佐がコートの外から見て「鼻につく」と忌み嫌ったそのリズムが、今は背筋が震えるほど心地よい。
思考のラグがない。説明する手間がいらない。
俺が走れば、そこにボールがある。

(……クソッ、やりやすい)

 自分でも高揚してるのがわかる。
 最悪だ。
 昨夜、あれほど拒絶し合い、今朝は嫌がらせのような苦いコーヒーを出してきた相手だぞ。
 性格も、態度も、何一つ噛み合わないはずなのに。
 「仕事」というコートに立った瞬間だけ、こいつは俺の手足のように機能する。

「……できました。転送します」

エンターキーが叩かれた瞬間、会議室のスクリーンに完成されたグラフが映し出された。
 時計の針は、開始3分前を指していた。

「……完璧だ」

周囲から安堵の溜息と拍手が漏れる中、遊佐は荒くなった呼吸を整え、隣のデスクを見た。
羽柴もまた、小さく息を吐き、乱れた前髪を無造作にかき上げている。
その白い額に、うっすらと汗が滲んでいた。

ふと、羽柴が顔を上げ、遊佐を見た。

そのカフェオレ色の瞳に、一瞬だけ、達成感と――共犯者のような熱が宿る。

「……間に合いましたね」

「当たり前だ。誰が指示出したと思ってる」

 遊佐は強がってみせたが、心臓の早鐘はまだ収まらない。
 トラブルへの焦りではない。
 こいつとの「パス回し」に、快感を覚えてしまった自分への苛立ちだ。

羽柴はフン、と鼻を鳴らし、いつもの冷めた表情に戻って言った。

「勘違いしないでくださいよ。僕はただ、自分の評価(スコア)を守っただけですから」

「可愛くない口だ。……だが、パスだけはマシだったぞ」

「それはどうも。……フィニッシャーが良いと、アシストも楽で助かります」

羽柴は皮肉めいた笑みを浮かべ、冷めきった自分のコーヒーを煽った。
 
 最悪の相性。
 けれど、このオフィスで誰よりも速く走れるのは、間違いなくこの二人だけだった。

「……行くぞ。プレゼン、勝ちに行く」

 遊佐が資料を掴んで歩き出すと、背後で羽柴が立ち上がる気配がした。
 その足音が、ピタリと自分の歩調に重なっていることに気づき、遊佐は微かに口元を歪めた。


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