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第一章 異世界転生と新天地への旅立ち
1-7 公爵令嬢の憂鬱
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時を少々遡り、ロウとディエラが盗賊団拠点を離脱した頃。
リマージュ中心にある貴族の館で、フードの人物が依頼主──白髪が混じる金髪の、しかし覇気が漲る壮年の男性に、任務報告を行っていた。
「盗賊団バルバロイの後方支援に回っている連中も含め、始末が完了した」
「うむ、ご苦労。しかし『赤蠍』はどうしたのだ? まさか数合わせに雇った連中に、返り討ちにされたのか?」
矢継ぎ早に問いただす男性。その声には隠し切れない焦燥が滲んでいた。
それもそのはず。もし今回の依頼──ジラール公爵令嬢の誘拐が自身の企みであると明るみに出れば、彼が処刑されるだけでは済まないからだ。
彼の持つ領土や資産も接収され、一族郎党路頭に迷ってしまうことは避けられない。このリーヨン公国で公爵家に手を出すというのは、それほどに危険を伴う行為だ。
それにもかかわらず公爵家の三女誘拐に踏み切ったのは、件の娘に関する、確度の高い噂があったからである。
曰く、「ジラール公爵三女は人間族ではない」というものだ。
壮年の男性──サルミネン子爵は、この噂の調査を進めていく中で裏付けとなりうる様々な状況証拠を入手していた。
例えば、件の少女は隣国にある魔術大学へ無試験で入学したばかりか、魔力適性検査──魔力の総量や個人の資質や種族によって分かれている魔力の色を調べる検査──すら受けていなかったこと。
加えて、多種族に比べ魔術的な素養で劣るはずの人間族でありながら、入学してニ年で実践的な魔術研究の分野で成果を出し、派閥内で中核を担う存在になっていること。
更には、彼女が十二歳の時、野外演習の際に紛れ込んだ二階建ての家屋ほどもあるヒポグリフ──鷲頭に獅子の胴体で有名なグリフォン、その亜種──のつがいを、単独で仕留めたこと。
他にも、この三女を生んだとされる妾の女性が魔術的な素養が極めて低いこと、等々。
この「人間族ではない」という噂、これが獣人やエルフ、ドワーフやハーフリングなどの亜人なら何の問題もない。確かにリーヨン公国の支配者たる公爵家に人間族以外の種族がいた歴史はないが、排斥しているというわけではないからだ。
しかし、ジラール公爵もその妾も姿は人間族そのものであり、どちらも優れた魔力を有した家系ではなかった。
そして、三女は外見からも亜人に見られる特徴が見られない。完全に人間族の姿へ変化できる亜人種も存在するが、人化の術は修練の果てになせる業であり、年若い亜人が使えるような代物ではなかった。
故に、仮に公爵の妾が人間族へ変じている亜人種であれば、その娘の幼いうちは亜人の特徴が見て取れたはずだったのだ。
魔力に関しても問題がある。教育や修練である程度は伸ばせるが、生まれついた才能や種族による違いが大きいのが魔力である。魔力的な資質で劣る人間族が若くして魔術大学に功績を残すなど、長い歴史の中でも異例のことだった。
これらを総合して、サルミネン子爵は公爵の妾とその娘が魔族なのではないか、と半ば確信していたのだ。
約900年前に大英雄ユウスケが大陸に巣食っていた魔神と魔族を駆逐して以降、この世界では人間と魔族の接触など禁忌。子を生すなど言語道断である。
もし公爵令嬢に魔族の血が流れているとなればその血族は例外なく処刑され、領地は宙に浮くことだろう。
自分がそのことを証明できれば、この大都市リマージュも己の支配領になるかもしれない──そんな考えのもと、サルミネン子爵は危ない橋を渡っているのだ。
──それ故に、フードから語られた言葉に彼の肝は冷えた。
「『赤蠍』の二人は、その場に現れた『小さく黒い影』と思わしき少年に殺された」
「馬鹿な……あの手練れ二人がか? いくら『小さく黒い影』相手とはいえ、子供と思い油断したのか」
「油断するしないというより、圧倒的な実力差があった。鋼鉄製の防具を体当たりで半壊させたり、ロックリザードマンの甲殻を使った鎧を蹴り砕いたり。とにかく異常な相手」
優れた鋼鉄製の防具は、一般に出回っている粗末な武器では傷つけることすら敵わないほどの硬度がある。武器無しに破壊するなど、よほど身体能力に優れた者でなければ不可能な芸当だ。
他方、ロックリザードマンは渓谷や洞窟に住むリザードマンの亜種で、石材や鉱石を主食としてその成分を外殻に反映し堅硬な鎧とする。個体差はあれど、ものによっては鋼鉄どころか魔力的に変質した金属──マナタイトやミスリルに匹敵するものもある。その素材を利用した鎧は言うまでもなく前者を上回る硬度だ。
そんなものをやすやすと破壊するなど、子供の力を明らかに逸している。故に、フードはロウのことを“異常”と形容したのだ。
「忌々しいことだ。もしや私の計画に感づき妨害してきた魔族かもしれんな」
子爵が苦々しくこぼすとフードが無機質な声で追従する。
「纏っていた魔力量、身体強化の質。どちらも桁違いだったし十分ありうる。技量面は私が上回っていたと思うけれど、戦っていれば敗北していた可能性もある」
「まさかこのようなことになろうとはな……魔族が組織立って動いていれば国家の危機だ。今すぐにでも公爵令嬢の魔力を確かめ、大公様や他の公爵たちに知らせねば──」
「──その必要はありませんわ」
焦燥の表情を強くしたサルミネンが、控えていた執事に指示を出そうとした直後──透き通るような美声が言葉を遮る。
輝く象牙色の長髪をなびかせ登場したのは渦中の人物。ジラール公爵三女──エスリウ・ジラールその人であった。
「馬鹿な!? 何故ここに!? 拘束はどうしたのだぁ!」
寒気立つような微笑みを浮かべる少女を見て大いに取り乱す子爵だが……無理もない。
彼女はこの屋敷の地下牢で拘束されていたはずであり、その拘束は魔力的な干渉の一切を無効化する特殊な拘束具によってなされていた。身体強化や魔術での解除は不可能なのだ。
加えて、物理的にも極めて頑丈な特注品。拘束具の鍵を子爵が持っている以上、抜け出せるはずがない。そのはずだった。
「素敵な拘束具でしたけれど、ワタクシ、縛られるより縛る方が好みなのですよ……うふふ」
「「ヒッ……」」
十四歳とは思えぬ妖艶さと魔性を感じさせる笑みに、捕食者を前にした小動物のようにすくみ上る子爵と執事。
「は、『白狼』! もはや殺しても構わん! 奴が魔族なら体内に魔石があるはずだ。それをもって証明すれば良い!」
だから早く始末しろ──そう命じたのに、フードは動かない。
いや、そもそもフードは、公爵令嬢が登場するのを予め知っていたかのような落ち着きぶりだ。
「……まさか!?」
子爵は己の額に脂汗がにじむのを自覚する。
「お嬢様、もうよろしいので?」
「ええ、もうお聞きすることもないですから。痕跡残さないようにお願いしますね」
「承知しました」
予感が正しかったと証明するかのようなやり取りを聞き、サルミネン子爵は己の命運がとうに尽きていたことを悟った。
◇◆◇◆
「それにしても、コソコソと嗅ぎまわっていた犬をつり出したら、一緒に魔族が釣れるなんてね」
始末した子爵と執事を樽に詰め、馬車でジラール家別邸へと向かう帰り道、ふとこぼすエスリウ。
今回の誘拐は不穏分子をあぶり出すために、彼女はあえて身を自由にさせたのだ。
魔神の娘であり膨大な魔力を内に秘めるエスリウにとって、就寝時にあっても魔力による周囲索敵を行い続けるなど造作もない。本来は身の危険など起こりようがなかった。
「人の世を崩したい者たちが、お嬢様を同志とでも思い探っていたのかもしれませんね」
フードが無機質な声で答えると、彼女の彫りの深い美しい顔立ちに陰りが差し、銀の眉尻がにわかに下がる。
「はあっ。そういった考えが嫌いだからお父様たちの言う通り人間族に溶け込んで、人の世のための貢献を重ねているというのに……全くもう」
エスリウはやれやれと嘆息し、宝石のようなすみれ色の瞳が閉じられる。
──彼女の母親である魔神バロールは、肉体が滅びても百年ほど時が経てば復活を果たす、神や魔神の中でも特異な存在だ。
対象を見るだけで惑わし、支配し、硬直させ、焼き殺す。悪夢的な効力を持つ様々な「魔眼」を有したバロールは、魔神の中でも上位に位置している。
そんな彼女も以前は闘争や支配領域の拡大に明け暮れていたが、破滅と再生を繰り返すうちにそれらが馬鹿らしくなってしまった。ここ数十年など、人が治める世界を見て回ることに楽しみを見出す有様だ。
その戯れの旅で出会ったのが彼女の現在の夫であるジラール公爵。そうして魔神と人が結ばれるという珍妙なことになっていたのだ。
「バロール様やお嬢様の考えは、魔族一般では理解されないものらしいですからね。そういった意味では御屋形様も同様ですが」
ジラール公爵も見染めた相手が魔族、それも魔族の祖たる魔神の一柱と知った時は動揺し心が迷ったが、彼女が人に仇をなす存在ではないと信じ愛を貫いた。愛欲に溺れたともいうが。
「まあ、お父様とお母様のことは置いておくとして……実際にその少年を見た感想はどうでしたか?」
自分たちの敵となりうるか──そう主から問われ、フードはしばし黙考する。
「……そうですね、少なくとも人ならば問答無用で襲いかかる手合いではなさそうです。あの少年は『赤蠍』を退ける際に殺さずに意識を奪っていたので、ある程度分別があるように見えました。しかし、盗賊業をやっている以上清廉でないことは確実ですね。最終的には、『赤蠍』も含めて全員殺害していましたし」
数秒たっぷり置いたのち、そう評す。しかし、それを聞いてジト目になるエスリウ。
「要するに、よく分からないってことですよね」
──長々と語っていても、そういうことだった。無言で項垂れるフード。
「サルミネン子爵を始末する以上、それが世に広まれば少年はワタクシが魔族であると確信するでしょうし、そうなれば遠からず直接接触しに来るのは間違いありません。ですから、万が一強硬手段をとられた場合でも相手に不覚を取らぬよう、今のうちに魔術や魔法に磨きをかけ、戦闘術を鍛えておかねばならないでしょう」
「お嬢様の足手まといにならぬよう精進します」
実際には、ロウは公爵令嬢が魔族だという疑いすら持っていないのだが……それを知らぬ主従は決意に燃え、気炎を上げるのだった。
リマージュ中心にある貴族の館で、フードの人物が依頼主──白髪が混じる金髪の、しかし覇気が漲る壮年の男性に、任務報告を行っていた。
「盗賊団バルバロイの後方支援に回っている連中も含め、始末が完了した」
「うむ、ご苦労。しかし『赤蠍』はどうしたのだ? まさか数合わせに雇った連中に、返り討ちにされたのか?」
矢継ぎ早に問いただす男性。その声には隠し切れない焦燥が滲んでいた。
それもそのはず。もし今回の依頼──ジラール公爵令嬢の誘拐が自身の企みであると明るみに出れば、彼が処刑されるだけでは済まないからだ。
彼の持つ領土や資産も接収され、一族郎党路頭に迷ってしまうことは避けられない。このリーヨン公国で公爵家に手を出すというのは、それほどに危険を伴う行為だ。
それにもかかわらず公爵家の三女誘拐に踏み切ったのは、件の娘に関する、確度の高い噂があったからである。
曰く、「ジラール公爵三女は人間族ではない」というものだ。
壮年の男性──サルミネン子爵は、この噂の調査を進めていく中で裏付けとなりうる様々な状況証拠を入手していた。
例えば、件の少女は隣国にある魔術大学へ無試験で入学したばかりか、魔力適性検査──魔力の総量や個人の資質や種族によって分かれている魔力の色を調べる検査──すら受けていなかったこと。
加えて、多種族に比べ魔術的な素養で劣るはずの人間族でありながら、入学してニ年で実践的な魔術研究の分野で成果を出し、派閥内で中核を担う存在になっていること。
更には、彼女が十二歳の時、野外演習の際に紛れ込んだ二階建ての家屋ほどもあるヒポグリフ──鷲頭に獅子の胴体で有名なグリフォン、その亜種──のつがいを、単独で仕留めたこと。
他にも、この三女を生んだとされる妾の女性が魔術的な素養が極めて低いこと、等々。
この「人間族ではない」という噂、これが獣人やエルフ、ドワーフやハーフリングなどの亜人なら何の問題もない。確かにリーヨン公国の支配者たる公爵家に人間族以外の種族がいた歴史はないが、排斥しているというわけではないからだ。
しかし、ジラール公爵もその妾も姿は人間族そのものであり、どちらも優れた魔力を有した家系ではなかった。
そして、三女は外見からも亜人に見られる特徴が見られない。完全に人間族の姿へ変化できる亜人種も存在するが、人化の術は修練の果てになせる業であり、年若い亜人が使えるような代物ではなかった。
故に、仮に公爵の妾が人間族へ変じている亜人種であれば、その娘の幼いうちは亜人の特徴が見て取れたはずだったのだ。
魔力に関しても問題がある。教育や修練である程度は伸ばせるが、生まれついた才能や種族による違いが大きいのが魔力である。魔力的な資質で劣る人間族が若くして魔術大学に功績を残すなど、長い歴史の中でも異例のことだった。
これらを総合して、サルミネン子爵は公爵の妾とその娘が魔族なのではないか、と半ば確信していたのだ。
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もし公爵令嬢に魔族の血が流れているとなればその血族は例外なく処刑され、領地は宙に浮くことだろう。
自分がそのことを証明できれば、この大都市リマージュも己の支配領になるかもしれない──そんな考えのもと、サルミネン子爵は危ない橋を渡っているのだ。
──それ故に、フードから語られた言葉に彼の肝は冷えた。
「『赤蠍』の二人は、その場に現れた『小さく黒い影』と思わしき少年に殺された」
「馬鹿な……あの手練れ二人がか? いくら『小さく黒い影』相手とはいえ、子供と思い油断したのか」
「油断するしないというより、圧倒的な実力差があった。鋼鉄製の防具を体当たりで半壊させたり、ロックリザードマンの甲殻を使った鎧を蹴り砕いたり。とにかく異常な相手」
優れた鋼鉄製の防具は、一般に出回っている粗末な武器では傷つけることすら敵わないほどの硬度がある。武器無しに破壊するなど、よほど身体能力に優れた者でなければ不可能な芸当だ。
他方、ロックリザードマンは渓谷や洞窟に住むリザードマンの亜種で、石材や鉱石を主食としてその成分を外殻に反映し堅硬な鎧とする。個体差はあれど、ものによっては鋼鉄どころか魔力的に変質した金属──マナタイトやミスリルに匹敵するものもある。その素材を利用した鎧は言うまでもなく前者を上回る硬度だ。
そんなものをやすやすと破壊するなど、子供の力を明らかに逸している。故に、フードはロウのことを“異常”と形容したのだ。
「忌々しいことだ。もしや私の計画に感づき妨害してきた魔族かもしれんな」
子爵が苦々しくこぼすとフードが無機質な声で追従する。
「纏っていた魔力量、身体強化の質。どちらも桁違いだったし十分ありうる。技量面は私が上回っていたと思うけれど、戦っていれば敗北していた可能性もある」
「まさかこのようなことになろうとはな……魔族が組織立って動いていれば国家の危機だ。今すぐにでも公爵令嬢の魔力を確かめ、大公様や他の公爵たちに知らせねば──」
「──その必要はありませんわ」
焦燥の表情を強くしたサルミネンが、控えていた執事に指示を出そうとした直後──透き通るような美声が言葉を遮る。
輝く象牙色の長髪をなびかせ登場したのは渦中の人物。ジラール公爵三女──エスリウ・ジラールその人であった。
「馬鹿な!? 何故ここに!? 拘束はどうしたのだぁ!」
寒気立つような微笑みを浮かべる少女を見て大いに取り乱す子爵だが……無理もない。
彼女はこの屋敷の地下牢で拘束されていたはずであり、その拘束は魔力的な干渉の一切を無効化する特殊な拘束具によってなされていた。身体強化や魔術での解除は不可能なのだ。
加えて、物理的にも極めて頑丈な特注品。拘束具の鍵を子爵が持っている以上、抜け出せるはずがない。そのはずだった。
「素敵な拘束具でしたけれど、ワタクシ、縛られるより縛る方が好みなのですよ……うふふ」
「「ヒッ……」」
十四歳とは思えぬ妖艶さと魔性を感じさせる笑みに、捕食者を前にした小動物のようにすくみ上る子爵と執事。
「は、『白狼』! もはや殺しても構わん! 奴が魔族なら体内に魔石があるはずだ。それをもって証明すれば良い!」
だから早く始末しろ──そう命じたのに、フードは動かない。
いや、そもそもフードは、公爵令嬢が登場するのを予め知っていたかのような落ち着きぶりだ。
「……まさか!?」
子爵は己の額に脂汗がにじむのを自覚する。
「お嬢様、もうよろしいので?」
「ええ、もうお聞きすることもないですから。痕跡残さないようにお願いしますね」
「承知しました」
予感が正しかったと証明するかのようなやり取りを聞き、サルミネン子爵は己の命運がとうに尽きていたことを悟った。
◇◆◇◆
「それにしても、コソコソと嗅ぎまわっていた犬をつり出したら、一緒に魔族が釣れるなんてね」
始末した子爵と執事を樽に詰め、馬車でジラール家別邸へと向かう帰り道、ふとこぼすエスリウ。
今回の誘拐は不穏分子をあぶり出すために、彼女はあえて身を自由にさせたのだ。
魔神の娘であり膨大な魔力を内に秘めるエスリウにとって、就寝時にあっても魔力による周囲索敵を行い続けるなど造作もない。本来は身の危険など起こりようがなかった。
「人の世を崩したい者たちが、お嬢様を同志とでも思い探っていたのかもしれませんね」
フードが無機質な声で答えると、彼女の彫りの深い美しい顔立ちに陰りが差し、銀の眉尻がにわかに下がる。
「はあっ。そういった考えが嫌いだからお父様たちの言う通り人間族に溶け込んで、人の世のための貢献を重ねているというのに……全くもう」
エスリウはやれやれと嘆息し、宝石のようなすみれ色の瞳が閉じられる。
──彼女の母親である魔神バロールは、肉体が滅びても百年ほど時が経てば復活を果たす、神や魔神の中でも特異な存在だ。
対象を見るだけで惑わし、支配し、硬直させ、焼き殺す。悪夢的な効力を持つ様々な「魔眼」を有したバロールは、魔神の中でも上位に位置している。
そんな彼女も以前は闘争や支配領域の拡大に明け暮れていたが、破滅と再生を繰り返すうちにそれらが馬鹿らしくなってしまった。ここ数十年など、人が治める世界を見て回ることに楽しみを見出す有様だ。
その戯れの旅で出会ったのが彼女の現在の夫であるジラール公爵。そうして魔神と人が結ばれるという珍妙なことになっていたのだ。
「バロール様やお嬢様の考えは、魔族一般では理解されないものらしいですからね。そういった意味では御屋形様も同様ですが」
ジラール公爵も見染めた相手が魔族、それも魔族の祖たる魔神の一柱と知った時は動揺し心が迷ったが、彼女が人に仇をなす存在ではないと信じ愛を貫いた。愛欲に溺れたともいうが。
「まあ、お父様とお母様のことは置いておくとして……実際にその少年を見た感想はどうでしたか?」
自分たちの敵となりうるか──そう主から問われ、フードはしばし黙考する。
「……そうですね、少なくとも人ならば問答無用で襲いかかる手合いではなさそうです。あの少年は『赤蠍』を退ける際に殺さずに意識を奪っていたので、ある程度分別があるように見えました。しかし、盗賊業をやっている以上清廉でないことは確実ですね。最終的には、『赤蠍』も含めて全員殺害していましたし」
数秒たっぷり置いたのち、そう評す。しかし、それを聞いてジト目になるエスリウ。
「要するに、よく分からないってことですよね」
──長々と語っていても、そういうことだった。無言で項垂れるフード。
「サルミネン子爵を始末する以上、それが世に広まれば少年はワタクシが魔族であると確信するでしょうし、そうなれば遠からず直接接触しに来るのは間違いありません。ですから、万が一強硬手段をとられた場合でも相手に不覚を取らぬよう、今のうちに魔術や魔法に磨きをかけ、戦闘術を鍛えておかねばならないでしょう」
「お嬢様の足手まといにならぬよう精進します」
実際には、ロウは公爵令嬢が魔族だという疑いすら持っていないのだが……それを知らぬ主従は決意に燃え、気炎を上げるのだった。
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