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第四章 魔導国首都ヘレネス
4-23 拳理と竜眼
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ロウがヘレネスに到着してから六日目。吸血鬼姉妹に血をたかられた日の翌日、その早朝。
「……」
「……ふぅ」
天から地まで白一色の奇怪な世界「異空間」で、人の姿へと変じた竜──ウィルムからじっとりとした視線を向けられつつも、少年は日課の鍛錬を終えた。
未明に彼が異空間へとやってきてからというもの、ウィルムは終始無言である。
昨日自分に叩きのめされたことが尾を引いているのか、それとも別の要因によるものなのか。人生経験の足りぬ幼い魔神である彼には判断不能であった。
いずれにしても、魔眼の魔神バロールへ殴りこむという彼女の意気を挫けたのだから問題なかろう──そう少年が内面で決定づけたところで、彼の下へと眷属たちが寄ってきた。
[[[──、──]]]
「うん? なになに……ウィルムに稽古をつけた? 前にもやってたし、特に変なことでも……前より真剣? 真面目にやるのは良いことだな。うんうん」
[[[……]]]
いつもとは様子が違うと報告を行うも、特に気にした様子もなく流されてしまう眷属たち。
彼らの創造主は基本的にルーズである。
竜が修練を行っているというのに、危機感が足りていないとも言えるが、異空間に閉じ込めている以上命にかかわる様な重大な事態は発生しないだろうという算段も彼の頭にはあった。空間魔法がある故の余裕と言える。
「それじゃあ、おとなしくしとくんだぞー」
[[[──]]]
「ふんっ」
手を振る眷属たちと鼻を鳴らすウィルムに見送られ、ロウは入浴や朝食のために異空間を後にした。
◇◆◇◆
少年が去った後、異空間にて。
「やつとぬしら、同じ動きをしているというのに、ああも力の流れが変わるものか」
褐色少年の動きを目に焼き付けていたウィルムは、彼とその眷属らの鍛錬模様を思い返しながら、眉間と鼻に皺の寄せたままの表情で呟く。
未明にロウが現れてから鍛錬が終わる瞬間まで、鼻息以外の音を発しなかった彼女は、彼の体術の分析に全力を傾けていた。
己が「竜眼」を駆使し、五百年以上生きた中でもかつてないほどの集中力で、かの魔神の動きを紐解いていった彼女。
その結果は、彼の眷属たちと動きは同一ながらも、その実は大きく異なっている──というものだった。
「シアンよ。ぬしは何故、ロウと己とが同質の技を掛け合った時に力負けをするか、理解できているか?」
[──? ──]
ウィルムから問われたシアンブルーの長髪を靡かせる眷属は、おとがいに手を当てしばしの思案。
ほどなく結論に至り、身振り手振りによって身体能力、並びに魔力による強化度合いの差だと示した。
「そう考えるだろうな。妾も先ほどまで同じ見解だったが……残念ながら否だ」
[?]
「やつはぬしと対する際に、肉体の強化度合いを同程度になるよう調整している。本来ならば、同様の動きで打ち出された技は拮抗するはずなのだ」
[──、──?]
ウィルムの言葉に手を打って納得の意を示したシアンだったが、ならばどうして打ち負けてしまうのかという疑問が浮上し、今度は小首を傾げてしまう。
彼女たち魔神の眷属は、創造主たるロウから知識の殆どを受け継いでいるため、彼の戦闘技術を余すことなく使うことが出来る。
魔法こそ模倣することは出来ないが、剣技に隠形術、開錠術と幅広い技術を扱える彼女たち。
その中には当然大陸拳法も含まれているし、これにより、決まった手順での技の掛け合いや、実戦形式の模擬戦など、少年が普段行っている鍛錬も可能となっているのだ。
にもかかわらず、ロウは模擬戦の最中、人型状態でも彼の数倍もの体重を誇るコルクやテラコッタと力を拮抗させている。それどころか、重量がさほど変わらないシアンに対しては押し勝つ場面が多々あったのだ。
肉体の強化度合いを同程度に調整ていて、同じ技術を体得しているはずなのに、なるほどこれは不可解である。
「──すなわち、ぬしら眷属の動きはロウと似て非なるもの、ということだ。外形的には同質に見えても、内面を異にする異質なもの。……これは、うぬらに技術を学んだところで、やつに対抗することは出来んやもしれんな」
[──]
ウィルムが導き出した答えに、シアンは頷きつつも疑問符を浮かべる。
創造主から得た知識は確実なものであるし、その動きは同一なものなのだが……。
──実際、ロウとその眷属たちの操る大陸拳法は、全く同一である。
差が出る要因は技術にはなく、扱う者の肉体にあった。
言わずもがな、人の肉体を元に創られた体術が大陸拳法である。
人の筋肉、人の骨格、人の関節。ロウはそこから多少、いや、かなり外れてはいるものの、筋肉や骨を持つ直立歩行存在であるため、この技術を十全に使いこなすことが出来ている。
もっとも、これは本人が頻繁に鍛錬を行うことで、“魔神式”に馴染ませているところが大きいが。
翻って、彼の眷属たちは水や溶岩、液体岩石など、流体が人型を模っている存在である。
各部位を硬質化させることで骨の様な機能を果たすこともあるが、基本的に肉なし骨なし関節なしの神造物。
大陸拳法の要訣である力を筋肉や骨に伝わせて伝達することや、呼吸により筋肉を収縮/膨張させ力を発することなど、出来ようはずがなかったのだ。
つまるところ、彼女ら眷属は発勁の一切が出来なかったのである。
ウィルムが“外形的には同質だが内面は異質”と見抜いたのは、いみじくも本質を捉えたものだったと言えよう。
「まあ、外形的な動きが同質であれば、あやつの動きに対応する修練にはなるか。やい、ものども。妾の鍛錬に付き合うが良い」
[[[……]]]
しばしの間眷属らを眺めて思考の海に沈んでいたウィルムだったが、外面が似ているならばそれで良かろうと、彼女は居丈高に宣言して構えをとった。
眷属たちは肩をすくめたり肩を落としたり肩を抱いたりと、様々な反応をとりながら彼女と対峙し、鍛錬を始めたのだった。
◇◆◇◆
ウィルムが万物を氷結させる拳によって、シアンの片腕を丸ごと粉砕している頃。
「──ってな訳で、エスリウの母親と会ってきますんで、よろしく」
「エスリウの母親か。昨日は吸血鬼に今日は魔神、ロウはまっこと奇縁だらけよな」
「そういうセルケトも大概な存在だし……」
ロウは自身の室内で、セルケトに今日の予定を説明していた。
朝食も着替えも済んでいるため、後は手土産でも買えば準備は万端。念のために彼女へ話を伝えておくといった具合だった。
「しかし、ロウより格が上であろう魔神に会いに行くというのに、眷属も連れず向かうのか」
「戦争しに行くわけでもないしなー。何より、魔神が相手だと、シアンたちは居てもいなくてもあんまり変わらないところがある。昨日は全力のウィルムと戦ったけど、あいつら逃げるのが精一杯って感じだったし」
「全力の、ウィルム? またあの竜の逆鱗に触れるような真似をしたのか?」
「なんでも、エスリウの母親が竜にとっての不倶戴天……恨みの深い相手だったらしくてな。俺が会いに行くって言ったら、それはもう怒髪天を衝く感じだったぞ」
吹き荒れる猛吹雪と金の奔流を思い出したロウが身震いして言うと、納得半分呆れ半分という表情でセルケトも頷く。
「それを制すロウも大概だと思うがな。それにしても、シアンたちでさえ回避に専念せねばならんとは、やはり竜とは逸脱している存在よな」
「身体能力で言えば、劣るは劣るけど、ひっくり返せないほどの差ではない感じなんだけどな。如何せん魔法の有無が大きいし、その上あいつは飛び回るから、攻撃手段的に割とどうしようもない」
「ふむ。我も宙に居られると石礫くらいしか攻撃の手段がなき身故、他人事ではないな。何か考えるべきか」
「足場を浮かべて跳び回れば良いんじゃないか? 似たような戦術やったら、ウィルムには叩き落されたけども。っと、話が逸れた。そんな訳で魔神バロールのところへ行くから、万が一俺が帰ってこないような事があった場合は、ここにある金を使って適当に暮らしてくれ」
本題を思い出したロウが脱線していた話を戻すと、セルケトは眉間に皺を寄せ口をへの字にして不愉快そうな表情となった。
「……貴様はいつもそれだな。ふん、好きにするが良かろう」
「は? ちょ、セルケト!?」
竜胆色の長髪を揺らし金のメッシュを輝かせ、一層の不快感を表したセルケト。そのまま身を翻し、彼女は制止など聞こえぬと部屋を出ていった。
「訳分からん。なんだったんだ? あいつ」
(フッ。セルケトが何で怒ったか分からないうちは、お前さんもまだまだ子供ってことさ)
(ロウは自己完結しているところがありますからね。彼女は自分に相談もなく、そして頼りもしないところ、蚊帳の外である様な扱いに苛立ったのでしょう)
「うーん、何となく把握は出来たけど……それで拗ねるなんて、意外に可愛いところあるのな? あいつも」
(あっさり種明かししやがったな。まあ連れて行かないにしても、早めに相談すべきだったって話だ。仮にも行動を共にしていて、お前さんはあいつの保護者をしているわけだしな)
「つっても、会いに行く相手が伝説級の魔神だしなあ。何が起こるか分からない以上、幾らあいつでも連れて行くってのは無いかなー。相談しなかったのは悪かったと思うけどさ」
曲刀たちから魔物心理学講座を受けつつ部屋を出たロウは、セルケトの部屋の前に向かい一声かけ謝罪を行った。
非を感じたら素早く謝る。一度は死んだ彼の、友人や親に感謝や謝罪の機会を失ってしまった故の行動力である。
「おーい、セルケトー? ……何も話さず勝手に決めて悪かった。顔見て謝りたいから、扉を開けてくれないか」
「……」
声を掛けられてから一分程沈黙が続き、しかるのち扉が開く。
内開きの戸を開けた彼女の表情は、相も変わらず眉間にしわが寄り、しかし先ほどとは異なりへの字の口角が若干上がっていた。
ロウは奇怪な彼女の表情に笑みを浮かべそうになる己の表情筋を懸命に律し、謝罪の言葉を捻り出した。
「相談せずに決めちゃってごめんなさい」
「ふん。水に流してやろう、我は寛大故にな。では、行くか」
「えーっと……。あ、そうだ。折角だし、異空間でウィルムと模擬戦でもやってたらどうだ? さっき言ってた空中戦の訓練も、実戦で試行錯誤するなら覚えも早いだろうし。なんかあった時は呼ぶからさ」
「……我が魔神に会いに行くのは渋るというのに、竜との模擬戦は推奨する。貴様の考えは全く理解できん」
「見ず知らずの魔神よりは顔見知りの竜の方が危険は少ないだろーってことで。ほれ、いってらっしゃーい」
柴染色のジト目を向けるセルケトを、半ば強引に戦闘音の聞える異空間へと押し込んだロウは、主不在となった彼女の部屋を開錠術によって戸締りしていく。
鍵を閉め終え宿を出た後、ロウは大通りで手土産を購入し、都市の中心地、行政区域近くにあるジラール公爵の別邸へと向かったのだった。
「……」
「……ふぅ」
天から地まで白一色の奇怪な世界「異空間」で、人の姿へと変じた竜──ウィルムからじっとりとした視線を向けられつつも、少年は日課の鍛錬を終えた。
未明に彼が異空間へとやってきてからというもの、ウィルムは終始無言である。
昨日自分に叩きのめされたことが尾を引いているのか、それとも別の要因によるものなのか。人生経験の足りぬ幼い魔神である彼には判断不能であった。
いずれにしても、魔眼の魔神バロールへ殴りこむという彼女の意気を挫けたのだから問題なかろう──そう少年が内面で決定づけたところで、彼の下へと眷属たちが寄ってきた。
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「うん? なになに……ウィルムに稽古をつけた? 前にもやってたし、特に変なことでも……前より真剣? 真面目にやるのは良いことだな。うんうん」
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いつもとは様子が違うと報告を行うも、特に気にした様子もなく流されてしまう眷属たち。
彼らの創造主は基本的にルーズである。
竜が修練を行っているというのに、危機感が足りていないとも言えるが、異空間に閉じ込めている以上命にかかわる様な重大な事態は発生しないだろうという算段も彼の頭にはあった。空間魔法がある故の余裕と言える。
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「ふんっ」
手を振る眷属たちと鼻を鳴らすウィルムに見送られ、ロウは入浴や朝食のために異空間を後にした。
◇◆◇◆
少年が去った後、異空間にて。
「やつとぬしら、同じ動きをしているというのに、ああも力の流れが変わるものか」
褐色少年の動きを目に焼き付けていたウィルムは、彼とその眷属らの鍛錬模様を思い返しながら、眉間と鼻に皺の寄せたままの表情で呟く。
未明にロウが現れてから鍛錬が終わる瞬間まで、鼻息以外の音を発しなかった彼女は、彼の体術の分析に全力を傾けていた。
己が「竜眼」を駆使し、五百年以上生きた中でもかつてないほどの集中力で、かの魔神の動きを紐解いていった彼女。
その結果は、彼の眷属たちと動きは同一ながらも、その実は大きく異なっている──というものだった。
「シアンよ。ぬしは何故、ロウと己とが同質の技を掛け合った時に力負けをするか、理解できているか?」
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ウィルムから問われたシアンブルーの長髪を靡かせる眷属は、おとがいに手を当てしばしの思案。
ほどなく結論に至り、身振り手振りによって身体能力、並びに魔力による強化度合いの差だと示した。
「そう考えるだろうな。妾も先ほどまで同じ見解だったが……残念ながら否だ」
[?]
「やつはぬしと対する際に、肉体の強化度合いを同程度になるよう調整している。本来ならば、同様の動きで打ち出された技は拮抗するはずなのだ」
[──、──?]
ウィルムの言葉に手を打って納得の意を示したシアンだったが、ならばどうして打ち負けてしまうのかという疑問が浮上し、今度は小首を傾げてしまう。
彼女たち魔神の眷属は、創造主たるロウから知識の殆どを受け継いでいるため、彼の戦闘技術を余すことなく使うことが出来る。
魔法こそ模倣することは出来ないが、剣技に隠形術、開錠術と幅広い技術を扱える彼女たち。
その中には当然大陸拳法も含まれているし、これにより、決まった手順での技の掛け合いや、実戦形式の模擬戦など、少年が普段行っている鍛錬も可能となっているのだ。
にもかかわらず、ロウは模擬戦の最中、人型状態でも彼の数倍もの体重を誇るコルクやテラコッタと力を拮抗させている。それどころか、重量がさほど変わらないシアンに対しては押し勝つ場面が多々あったのだ。
肉体の強化度合いを同程度に調整ていて、同じ技術を体得しているはずなのに、なるほどこれは不可解である。
「──すなわち、ぬしら眷属の動きはロウと似て非なるもの、ということだ。外形的には同質に見えても、内面を異にする異質なもの。……これは、うぬらに技術を学んだところで、やつに対抗することは出来んやもしれんな」
[──]
ウィルムが導き出した答えに、シアンは頷きつつも疑問符を浮かべる。
創造主から得た知識は確実なものであるし、その動きは同一なものなのだが……。
──実際、ロウとその眷属たちの操る大陸拳法は、全く同一である。
差が出る要因は技術にはなく、扱う者の肉体にあった。
言わずもがな、人の肉体を元に創られた体術が大陸拳法である。
人の筋肉、人の骨格、人の関節。ロウはそこから多少、いや、かなり外れてはいるものの、筋肉や骨を持つ直立歩行存在であるため、この技術を十全に使いこなすことが出来ている。
もっとも、これは本人が頻繁に鍛錬を行うことで、“魔神式”に馴染ませているところが大きいが。
翻って、彼の眷属たちは水や溶岩、液体岩石など、流体が人型を模っている存在である。
各部位を硬質化させることで骨の様な機能を果たすこともあるが、基本的に肉なし骨なし関節なしの神造物。
大陸拳法の要訣である力を筋肉や骨に伝わせて伝達することや、呼吸により筋肉を収縮/膨張させ力を発することなど、出来ようはずがなかったのだ。
つまるところ、彼女ら眷属は発勁の一切が出来なかったのである。
ウィルムが“外形的には同質だが内面は異質”と見抜いたのは、いみじくも本質を捉えたものだったと言えよう。
「まあ、外形的な動きが同質であれば、あやつの動きに対応する修練にはなるか。やい、ものども。妾の鍛錬に付き合うが良い」
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しばしの間眷属らを眺めて思考の海に沈んでいたウィルムだったが、外面が似ているならばそれで良かろうと、彼女は居丈高に宣言して構えをとった。
眷属たちは肩をすくめたり肩を落としたり肩を抱いたりと、様々な反応をとりながら彼女と対峙し、鍛錬を始めたのだった。
◇◆◇◆
ウィルムが万物を氷結させる拳によって、シアンの片腕を丸ごと粉砕している頃。
「──ってな訳で、エスリウの母親と会ってきますんで、よろしく」
「エスリウの母親か。昨日は吸血鬼に今日は魔神、ロウはまっこと奇縁だらけよな」
「そういうセルケトも大概な存在だし……」
ロウは自身の室内で、セルケトに今日の予定を説明していた。
朝食も着替えも済んでいるため、後は手土産でも買えば準備は万端。念のために彼女へ話を伝えておくといった具合だった。
「しかし、ロウより格が上であろう魔神に会いに行くというのに、眷属も連れず向かうのか」
「戦争しに行くわけでもないしなー。何より、魔神が相手だと、シアンたちは居てもいなくてもあんまり変わらないところがある。昨日は全力のウィルムと戦ったけど、あいつら逃げるのが精一杯って感じだったし」
「全力の、ウィルム? またあの竜の逆鱗に触れるような真似をしたのか?」
「なんでも、エスリウの母親が竜にとっての不倶戴天……恨みの深い相手だったらしくてな。俺が会いに行くって言ったら、それはもう怒髪天を衝く感じだったぞ」
吹き荒れる猛吹雪と金の奔流を思い出したロウが身震いして言うと、納得半分呆れ半分という表情でセルケトも頷く。
「それを制すロウも大概だと思うがな。それにしても、シアンたちでさえ回避に専念せねばならんとは、やはり竜とは逸脱している存在よな」
「身体能力で言えば、劣るは劣るけど、ひっくり返せないほどの差ではない感じなんだけどな。如何せん魔法の有無が大きいし、その上あいつは飛び回るから、攻撃手段的に割とどうしようもない」
「ふむ。我も宙に居られると石礫くらいしか攻撃の手段がなき身故、他人事ではないな。何か考えるべきか」
「足場を浮かべて跳び回れば良いんじゃないか? 似たような戦術やったら、ウィルムには叩き落されたけども。っと、話が逸れた。そんな訳で魔神バロールのところへ行くから、万が一俺が帰ってこないような事があった場合は、ここにある金を使って適当に暮らしてくれ」
本題を思い出したロウが脱線していた話を戻すと、セルケトは眉間に皺を寄せ口をへの字にして不愉快そうな表情となった。
「……貴様はいつもそれだな。ふん、好きにするが良かろう」
「は? ちょ、セルケト!?」
竜胆色の長髪を揺らし金のメッシュを輝かせ、一層の不快感を表したセルケト。そのまま身を翻し、彼女は制止など聞こえぬと部屋を出ていった。
「訳分からん。なんだったんだ? あいつ」
(フッ。セルケトが何で怒ったか分からないうちは、お前さんもまだまだ子供ってことさ)
(ロウは自己完結しているところがありますからね。彼女は自分に相談もなく、そして頼りもしないところ、蚊帳の外である様な扱いに苛立ったのでしょう)
「うーん、何となく把握は出来たけど……それで拗ねるなんて、意外に可愛いところあるのな? あいつも」
(あっさり種明かししやがったな。まあ連れて行かないにしても、早めに相談すべきだったって話だ。仮にも行動を共にしていて、お前さんはあいつの保護者をしているわけだしな)
「つっても、会いに行く相手が伝説級の魔神だしなあ。何が起こるか分からない以上、幾らあいつでも連れて行くってのは無いかなー。相談しなかったのは悪かったと思うけどさ」
曲刀たちから魔物心理学講座を受けつつ部屋を出たロウは、セルケトの部屋の前に向かい一声かけ謝罪を行った。
非を感じたら素早く謝る。一度は死んだ彼の、友人や親に感謝や謝罪の機会を失ってしまった故の行動力である。
「おーい、セルケトー? ……何も話さず勝手に決めて悪かった。顔見て謝りたいから、扉を開けてくれないか」
「……」
声を掛けられてから一分程沈黙が続き、しかるのち扉が開く。
内開きの戸を開けた彼女の表情は、相も変わらず眉間にしわが寄り、しかし先ほどとは異なりへの字の口角が若干上がっていた。
ロウは奇怪な彼女の表情に笑みを浮かべそうになる己の表情筋を懸命に律し、謝罪の言葉を捻り出した。
「相談せずに決めちゃってごめんなさい」
「ふん。水に流してやろう、我は寛大故にな。では、行くか」
「えーっと……。あ、そうだ。折角だし、異空間でウィルムと模擬戦でもやってたらどうだ? さっき言ってた空中戦の訓練も、実戦で試行錯誤するなら覚えも早いだろうし。なんかあった時は呼ぶからさ」
「……我が魔神に会いに行くのは渋るというのに、竜との模擬戦は推奨する。貴様の考えは全く理解できん」
「見ず知らずの魔神よりは顔見知りの竜の方が危険は少ないだろーってことで。ほれ、いってらっしゃーい」
柴染色のジト目を向けるセルケトを、半ば強引に戦闘音の聞える異空間へと押し込んだロウは、主不在となった彼女の部屋を開錠術によって戸締りしていく。
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