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第四章 魔導国首都ヘレネス
4-24 妖精神イルマタル
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魔導国首都ヘレネス、その中心地。ジラール公爵家別邸に向かう途中目にした光景に、時を忘れて見入ってしまった。
広大な広場。いや、滅茶苦茶広大な広場である。
商業区域とを隔てる城門を超え行政区域に入るとすぐに顔を見せるこの広場は、とにかく広い。いや、視覚的に広いと言えば良いのだろうか。
視界を占有するのは、長大な壁のようにも見える白と黄で構成された行政府の建物だけだ。
灰白色のタイルが敷き詰められた地面と、それらの間に配置された背の低い植物しかない空間は、都市の中とは思えぬほどの圧倒的な開放感である。
「いや~。これは凄いな。今までも色々な広場を見てきたけど、ここはスケールが違う」
(よくもまあ、都市の中にこれ程の広場を創り出したもんだな。市民に一般開放されていないのが惜しいくらいだ)
(開放されていないからこその景色とも言えるのです。一たび市民が入れば、景色を見る者、その景色を見る者を客とした商人によって、この静謐な空間は失われてしまうことでしょう)
「かもなー。まあ、青空市やら武闘大会やら、国の行事で開放されることもあるみたいだけど」
幾何学的な美しさを湛えた広場を堪能したところで目的を思い出し、公爵家別邸を目指し歩きだす。
天候は秋晴れ。
天高く、からりと晴れた空は、日差しも程よい具合である。行楽日和というやつか。
こんな日は魔神と会いに行かずその辺をぷらぷらしたいものだ──などと、益ないことを考えていると、突然周囲に甘い香りが立ち込める。
「──うん? なんだ……?」
「ようやく見つけました。あなたを探し当てるのには骨が折れましたよ」
匂いの発生源を探していると、後方より美声が通る。
透明感のある声に誘われ振りむいてみれば、どこかでお会いしたような、二人といないほど美しい少女が微笑みを浮かべ佇んでいた。
太陽の光で煌めく銀のショートヘアと、空色の瞳。真珠の様な温かみのある白い肌に、長く尖った耳。それらと調和する純白のワンピースと同色のサンダルを見事に着こなす、絶世の美少女。
間違えようもない。かつて女神ミネルヴァの神域で拝んだ、妖精神イルマタルだった。
金の四枚翅がなかろうともそれと分かる、光彩陸離たる美を放つ彼女だが……この子、なんでここにいんの?
「どうも、こんにちは? 女神イルマタル。ごく自然に人の街に居ますけど、大丈夫なんですか?」
「ふふっ、こんにちは、魔神ロウ。もっと驚き取り乱すかと思っていたのですが、中々どうして動じませんね」
「いやー。一周回って驚きがどこかに行ってしまったというか。探していたと言いますけど、どういったご用向きで?」
(女神、イルマタル……妖精神イルマタルか!? 馬鹿な、最も古い神の一柱だぞ!? おい、どういうことだ!)
(妖精神!? ロウ、どういうことなんですか!?)
完全なる不意打ちに半ば思考停止状態で受け答えをしていると、曲刀たちから怒声のような念話の嵐が飛んできた。彼らもしっかり動揺しているようだ。
それにしても曲刀たちのこの反応ぶり。この神はそんな古い神なのか。
古くから生き残ってる神ってことは、例の大英雄の時代にあった大戦を生き抜いた力ある神ってことだろう。なんかもう全力で転移の逃走劇したくなってきたわ。
「用向き……そうですね。『青玉竜』ウィルムを打ち倒すほどの力ある魔神が、誰憚ることなく人の世を出歩いている現状は、神にとって好ましいものではありません」
「はあ。神にとっては、怨敵が自分の子らの生活圏をうろちょろしているわけですもんね」
「そういうことです。魔神など、いつ気まぐれを起こし世を乱し破壊をもたらすか分かりませんからね。もっとも、わたしにとっては、人の子らがどうなろうとあまり関係は無いのですが」
「……そういえば、人の神じゃなくて妖精の神でしたっけ。こわー」
彼女の“人間どもなんて割とどうでもいい”発言で、神域でグラウクスがブラック就労させられていた一件を思い出した。
眷属をこき使っていた女神ミネルヴァも大概だったが、あの時のイルマタルは輪をかけて酷かった。
なにせ、過労で干乾びつつあったグラウクスに対し、「働きすぎて死んでしまっても、ミネルヴァが癒してくれるから大丈夫」と言い放ったのだ。暗に力尽きるまで働けという、女神どころか悪魔そのものの言動である。
「あら、酷いことを言うのね。こんなにも清らかなわたしに対して」
拗ねたように片頬を膨らませジト目となったイルマタルは、自身の清らかさを示す様にその場でくるりとターンをしてみせた。
嗅ぐだけで骨抜きとなってしまいそうな甘い芳香を振り撒き、回転の勢いで秘所を覆う純白の三角形を露にする美しい少女。その姿は絶大な力を持つ妖精神などではなく、ただの超絶美少女にしか見えない。
……いや、超絶腹黒美少女か?
(おいロウ。妖精神の下着見てくだらないことを考えてる場合じゃないぞ)
(本っ当っに、ロウはいつでも、色欲に囚われていますよね。相手は神、竜を超える力を持つとまで言われる妖精神ですよ? 真面目に対応してください)
神なるショーツをガン見していたら叱られてしまった。残念無念。
「話を戻しますが、清明な女神イルマタルは、人の世をふらついている俺をどうするのですか?」
「ふふっ、簡単なことです。何事かを企て世の転覆など成さないよう、監視するのですよ。あなた自身にそういった気がなくとも、あなたの持つ力を利用しようとする魔族魔神が、居ないとも限りませんからね」
「なるほど。ただでさえ魔神と竜とが一緒に行動しているわけですもんね。そりゃ神側としては監視したくもなりますか」
真面目に用件を聞いてみると、ドンパチやりにきたわけではなく監視とのことだった。断りを入れにくるあたり、思いのほか礼儀正しい神様である。
「話が早くて助かります。それと、わたしのことはイルマタル、で結構ですよ? 魔神から女神という冠詞を付けられるのも、妙な気分ですし」
「そうですか? ならイルマタルと……あ。今更ですが、人の世でイルマタルって呼ぶの不味くないですか? 俺は無名ですけど、イルマタルは古い神のようですし」
「まあ! 古い神だなんて、女性に対して随分な物言いですね」
「えッ!? そこに反応します? 敬意を込めたつもりだったんですけども」
「ふふふっ、冗談ですよ。わたしは人の世においてはそれほど名の通っていない神ですから、偽りの名は不要でしょうね。妖精から分化したエルフが多くいる場所では、そうもいかないでしょうけれど」
和音のように不思議と耳に残る美声でコロコロと笑う様子に、眩暈動悸息切れがしてくる。
気さくな一面を覗かせるイルマタルだが、竜をも凌ぐ力を持つ妖精神が怒った振りなんてすると、心停止するほど驚くから止めて欲しい。
と、そういえば。彼女の言葉の中で聞き逃せないものがあったか。
「俺、友達にエルフの混血の子がいるんですよね。その子がイルマタルのことを知っているかもしれませんし、どこでその子の耳に入るか分からない現状では、やはり直接名前を呼ぶのは避けたいところです」
「あら……。ミネルヴァの眷属だけではなくわたしの子らとも友だなんて、あなたは本当に変わっている魔神なのね」
「正体を知った人には毎回言われてますよ。まあ、魔神という自覚を持つまでは人のつもりで育ってきましたからね。偽名の件ですけど、何か別の名を持っていたりしますか?」
「ええ。“イル”という名がありますね。愛称のようなものですが。ふふふ……」
瑞々しい唇を指でなぞり、あだめいた雰囲気を醸す妖精神イルマタル。
古き神の一柱を愛称で呼ぶ、か。
魔神がそれで大丈夫なのか? とも思うが、神と知己があったり竜を自前の空間に住まわせてたりするし、今更だと捨て置くことにした。
((……))
曲刀たちはもはや突っ込む気力すらないようで、ただただ無言である。なんだかすみませんね。
「それでは、イルと。実はあなたと会う前、人族の貴族の家へお呼ばれしていたのですが……」
「そうだったのですか。ではあなたの友人ということで、ついていきましょう。案内をよろしくお願いしますね」
「いやいやいや。貴族の方ですし、それはちょっと通らないと思いますよ? イルは人の世で確かな身分があるわけではないですよね?」
バロールとの面会を思い出してイルマタルに別れを告げようとしたが、恐ろしいことについてくると意思表明した彼女。
……あれ? これって、もしかしなくても、物凄く危険な状態なんじゃないか?
片や、伝説級の魔神バロール。竜の怨敵にして神の敵対者。不滅と言われ絶大な力を持つらしい存在。
片や、最も古き神の一柱、妖精神イルマタル。ギルタブ曰く、竜をも凌ぐ力を有する、神の中でも上位の存在。
会ったが最後、都市が吹き飛び国が消滅しそうな面子である。
やべーぞこれ!
「確かに、わたしは人の世の身分のようなものは持ち合わせていません。とはいえ、わたしには“魅惑”の権能がありますから、人の社会など、どこへだって立ち入れるのですよ」
「“魅惑”……甘い香りも、その力の一部ということでしょうか?」
「ふふっ、ドキドキしていただけましたか? さあロウ、早くエスコートして下さいな」
魅惑の芳香を振り撒いてこちらの手を握るイルマタルは、理性が溶け落ちそうなほど魅力的な美少女である。
俺が魔神ではなく、向かう先が魔神の屋敷でなければ、きっと忠犬のように彼女の言うことを聞いていたことだろう。そう思えば、今の境遇もそう捨てたものではないのかもしれない。理性を手放さずに済むのだから。
(現実逃避してるところ悪いが、どうするんだ? このままだとバロールとエスリウがイルマタルに鉢合わせるぞ。そうなればこの都市は、いや、この国は終わりだ)
サルガスから無慈悲な現状報告が飛んできた。己は血も涙もないのか。曲刀だからないわな。
(ロウ、冗談を言っている場合ではないのです。このままではロウの身も危ういのですよ? バロールからすれば妖精神を連れてきた敵対者に見えるでしょうし、イルマタルからすれば案内と称して魔神の巣窟へ連れ出されたことになります。どちらの視点でも、ロウは極めて悪辣な行為を行った魔神ということになってしまうのです)
他方、ギルタブからは更に鋭利な切り口の念話が飛んできた。
彼女の情け容赦ない言葉は確実に訪れる未来を示している。確かにこのままジラール公爵家別邸に向かえば、上位魔神と上位神のどちらからも敵対者と見なされてしまうかもしれない。
とはいうものの、イルマタルに事情を話すわけにもいかない。
神域でミネルヴァに対して俺が野良の魔神であると話しているし、あの場へやってきた彼女も、友人である知恵の女神から話を聞いているだろうからだ。野良の魔神が何故バロールへ会いに行くのかという話になれば、エスリウに殺されかけたという俺の言い分が通るかは分からない。
前もっての事情説明は難しく、さりとてこのまま会いに行けば絶体絶命。
絵に描いたような窮地である。
しからば、如何にするか?
答え: 自分の手札をもって三者会談を成す。
こうなってしまえばもはやどちら側につくということもせず、ウィルムも呼んで第三勢力となって、貴様らの事情など知らぬと勢いで誤魔化す寸法だ。
(どちらとも敵対する可能性もあるが……竜による抑止力を期待できる、か。とんだ奇策だな)
(どちらかと言えば弥縫策という気もしますが……。無策で突入するよりは幾分マシでしょうか)
曲刀たちからはあんまり受けの良くない方策だが、交渉の場に着くことが出来れば十分でもあるため、一時凌ぎ上等であろう。
ぶっちゃけた話、こちらの言い分さえ聞いてもらえれば、後は好きにやってくれということである。俺の話が終わった後にイルマタルとバロールが大戦おっぱじめても、知らぬ存ぜぬってな。
神や魔神がいるところになどいられるか! 私は帰らせてもらう。そういうわけだ。
……まあ、ヤームルやアイラたちの保護くらいはしないとだけど。
(自分で引き合わせておいて、それか。やはりお前さんが一番たちが悪い)
(この美しい広場も、今日が見納めかもしれませんね)
曲刀たちの諦観を帯びた念話を聞き流しつつ方針を固めた俺は、まずは手札を用意すべく、イルマタルにウィルム召喚の了承を取り付けるのだった。
広大な広場。いや、滅茶苦茶広大な広場である。
商業区域とを隔てる城門を超え行政区域に入るとすぐに顔を見せるこの広場は、とにかく広い。いや、視覚的に広いと言えば良いのだろうか。
視界を占有するのは、長大な壁のようにも見える白と黄で構成された行政府の建物だけだ。
灰白色のタイルが敷き詰められた地面と、それらの間に配置された背の低い植物しかない空間は、都市の中とは思えぬほどの圧倒的な開放感である。
「いや~。これは凄いな。今までも色々な広場を見てきたけど、ここはスケールが違う」
(よくもまあ、都市の中にこれ程の広場を創り出したもんだな。市民に一般開放されていないのが惜しいくらいだ)
(開放されていないからこその景色とも言えるのです。一たび市民が入れば、景色を見る者、その景色を見る者を客とした商人によって、この静謐な空間は失われてしまうことでしょう)
「かもなー。まあ、青空市やら武闘大会やら、国の行事で開放されることもあるみたいだけど」
幾何学的な美しさを湛えた広場を堪能したところで目的を思い出し、公爵家別邸を目指し歩きだす。
天候は秋晴れ。
天高く、からりと晴れた空は、日差しも程よい具合である。行楽日和というやつか。
こんな日は魔神と会いに行かずその辺をぷらぷらしたいものだ──などと、益ないことを考えていると、突然周囲に甘い香りが立ち込める。
「──うん? なんだ……?」
「ようやく見つけました。あなたを探し当てるのには骨が折れましたよ」
匂いの発生源を探していると、後方より美声が通る。
透明感のある声に誘われ振りむいてみれば、どこかでお会いしたような、二人といないほど美しい少女が微笑みを浮かべ佇んでいた。
太陽の光で煌めく銀のショートヘアと、空色の瞳。真珠の様な温かみのある白い肌に、長く尖った耳。それらと調和する純白のワンピースと同色のサンダルを見事に着こなす、絶世の美少女。
間違えようもない。かつて女神ミネルヴァの神域で拝んだ、妖精神イルマタルだった。
金の四枚翅がなかろうともそれと分かる、光彩陸離たる美を放つ彼女だが……この子、なんでここにいんの?
「どうも、こんにちは? 女神イルマタル。ごく自然に人の街に居ますけど、大丈夫なんですか?」
「ふふっ、こんにちは、魔神ロウ。もっと驚き取り乱すかと思っていたのですが、中々どうして動じませんね」
「いやー。一周回って驚きがどこかに行ってしまったというか。探していたと言いますけど、どういったご用向きで?」
(女神、イルマタル……妖精神イルマタルか!? 馬鹿な、最も古い神の一柱だぞ!? おい、どういうことだ!)
(妖精神!? ロウ、どういうことなんですか!?)
完全なる不意打ちに半ば思考停止状態で受け答えをしていると、曲刀たちから怒声のような念話の嵐が飛んできた。彼らもしっかり動揺しているようだ。
それにしても曲刀たちのこの反応ぶり。この神はそんな古い神なのか。
古くから生き残ってる神ってことは、例の大英雄の時代にあった大戦を生き抜いた力ある神ってことだろう。なんかもう全力で転移の逃走劇したくなってきたわ。
「用向き……そうですね。『青玉竜』ウィルムを打ち倒すほどの力ある魔神が、誰憚ることなく人の世を出歩いている現状は、神にとって好ましいものではありません」
「はあ。神にとっては、怨敵が自分の子らの生活圏をうろちょろしているわけですもんね」
「そういうことです。魔神など、いつ気まぐれを起こし世を乱し破壊をもたらすか分かりませんからね。もっとも、わたしにとっては、人の子らがどうなろうとあまり関係は無いのですが」
「……そういえば、人の神じゃなくて妖精の神でしたっけ。こわー」
彼女の“人間どもなんて割とどうでもいい”発言で、神域でグラウクスがブラック就労させられていた一件を思い出した。
眷属をこき使っていた女神ミネルヴァも大概だったが、あの時のイルマタルは輪をかけて酷かった。
なにせ、過労で干乾びつつあったグラウクスに対し、「働きすぎて死んでしまっても、ミネルヴァが癒してくれるから大丈夫」と言い放ったのだ。暗に力尽きるまで働けという、女神どころか悪魔そのものの言動である。
「あら、酷いことを言うのね。こんなにも清らかなわたしに対して」
拗ねたように片頬を膨らませジト目となったイルマタルは、自身の清らかさを示す様にその場でくるりとターンをしてみせた。
嗅ぐだけで骨抜きとなってしまいそうな甘い芳香を振り撒き、回転の勢いで秘所を覆う純白の三角形を露にする美しい少女。その姿は絶大な力を持つ妖精神などではなく、ただの超絶美少女にしか見えない。
……いや、超絶腹黒美少女か?
(おいロウ。妖精神の下着見てくだらないことを考えてる場合じゃないぞ)
(本っ当っに、ロウはいつでも、色欲に囚われていますよね。相手は神、竜を超える力を持つとまで言われる妖精神ですよ? 真面目に対応してください)
神なるショーツをガン見していたら叱られてしまった。残念無念。
「話を戻しますが、清明な女神イルマタルは、人の世をふらついている俺をどうするのですか?」
「ふふっ、簡単なことです。何事かを企て世の転覆など成さないよう、監視するのですよ。あなた自身にそういった気がなくとも、あなたの持つ力を利用しようとする魔族魔神が、居ないとも限りませんからね」
「なるほど。ただでさえ魔神と竜とが一緒に行動しているわけですもんね。そりゃ神側としては監視したくもなりますか」
真面目に用件を聞いてみると、ドンパチやりにきたわけではなく監視とのことだった。断りを入れにくるあたり、思いのほか礼儀正しい神様である。
「話が早くて助かります。それと、わたしのことはイルマタル、で結構ですよ? 魔神から女神という冠詞を付けられるのも、妙な気分ですし」
「そうですか? ならイルマタルと……あ。今更ですが、人の世でイルマタルって呼ぶの不味くないですか? 俺は無名ですけど、イルマタルは古い神のようですし」
「まあ! 古い神だなんて、女性に対して随分な物言いですね」
「えッ!? そこに反応します? 敬意を込めたつもりだったんですけども」
「ふふふっ、冗談ですよ。わたしは人の世においてはそれほど名の通っていない神ですから、偽りの名は不要でしょうね。妖精から分化したエルフが多くいる場所では、そうもいかないでしょうけれど」
和音のように不思議と耳に残る美声でコロコロと笑う様子に、眩暈動悸息切れがしてくる。
気さくな一面を覗かせるイルマタルだが、竜をも凌ぐ力を持つ妖精神が怒った振りなんてすると、心停止するほど驚くから止めて欲しい。
と、そういえば。彼女の言葉の中で聞き逃せないものがあったか。
「俺、友達にエルフの混血の子がいるんですよね。その子がイルマタルのことを知っているかもしれませんし、どこでその子の耳に入るか分からない現状では、やはり直接名前を呼ぶのは避けたいところです」
「あら……。ミネルヴァの眷属だけではなくわたしの子らとも友だなんて、あなたは本当に変わっている魔神なのね」
「正体を知った人には毎回言われてますよ。まあ、魔神という自覚を持つまでは人のつもりで育ってきましたからね。偽名の件ですけど、何か別の名を持っていたりしますか?」
「ええ。“イル”という名がありますね。愛称のようなものですが。ふふふ……」
瑞々しい唇を指でなぞり、あだめいた雰囲気を醸す妖精神イルマタル。
古き神の一柱を愛称で呼ぶ、か。
魔神がそれで大丈夫なのか? とも思うが、神と知己があったり竜を自前の空間に住まわせてたりするし、今更だと捨て置くことにした。
((……))
曲刀たちはもはや突っ込む気力すらないようで、ただただ無言である。なんだかすみませんね。
「それでは、イルと。実はあなたと会う前、人族の貴族の家へお呼ばれしていたのですが……」
「そうだったのですか。ではあなたの友人ということで、ついていきましょう。案内をよろしくお願いしますね」
「いやいやいや。貴族の方ですし、それはちょっと通らないと思いますよ? イルは人の世で確かな身分があるわけではないですよね?」
バロールとの面会を思い出してイルマタルに別れを告げようとしたが、恐ろしいことについてくると意思表明した彼女。
……あれ? これって、もしかしなくても、物凄く危険な状態なんじゃないか?
片や、伝説級の魔神バロール。竜の怨敵にして神の敵対者。不滅と言われ絶大な力を持つらしい存在。
片や、最も古き神の一柱、妖精神イルマタル。ギルタブ曰く、竜をも凌ぐ力を有する、神の中でも上位の存在。
会ったが最後、都市が吹き飛び国が消滅しそうな面子である。
やべーぞこれ!
「確かに、わたしは人の世の身分のようなものは持ち合わせていません。とはいえ、わたしには“魅惑”の権能がありますから、人の社会など、どこへだって立ち入れるのですよ」
「“魅惑”……甘い香りも、その力の一部ということでしょうか?」
「ふふっ、ドキドキしていただけましたか? さあロウ、早くエスコートして下さいな」
魅惑の芳香を振り撒いてこちらの手を握るイルマタルは、理性が溶け落ちそうなほど魅力的な美少女である。
俺が魔神ではなく、向かう先が魔神の屋敷でなければ、きっと忠犬のように彼女の言うことを聞いていたことだろう。そう思えば、今の境遇もそう捨てたものではないのかもしれない。理性を手放さずに済むのだから。
(現実逃避してるところ悪いが、どうするんだ? このままだとバロールとエスリウがイルマタルに鉢合わせるぞ。そうなればこの都市は、いや、この国は終わりだ)
サルガスから無慈悲な現状報告が飛んできた。己は血も涙もないのか。曲刀だからないわな。
(ロウ、冗談を言っている場合ではないのです。このままではロウの身も危ういのですよ? バロールからすれば妖精神を連れてきた敵対者に見えるでしょうし、イルマタルからすれば案内と称して魔神の巣窟へ連れ出されたことになります。どちらの視点でも、ロウは極めて悪辣な行為を行った魔神ということになってしまうのです)
他方、ギルタブからは更に鋭利な切り口の念話が飛んできた。
彼女の情け容赦ない言葉は確実に訪れる未来を示している。確かにこのままジラール公爵家別邸に向かえば、上位魔神と上位神のどちらからも敵対者と見なされてしまうかもしれない。
とはいうものの、イルマタルに事情を話すわけにもいかない。
神域でミネルヴァに対して俺が野良の魔神であると話しているし、あの場へやってきた彼女も、友人である知恵の女神から話を聞いているだろうからだ。野良の魔神が何故バロールへ会いに行くのかという話になれば、エスリウに殺されかけたという俺の言い分が通るかは分からない。
前もっての事情説明は難しく、さりとてこのまま会いに行けば絶体絶命。
絵に描いたような窮地である。
しからば、如何にするか?
答え: 自分の手札をもって三者会談を成す。
こうなってしまえばもはやどちら側につくということもせず、ウィルムも呼んで第三勢力となって、貴様らの事情など知らぬと勢いで誤魔化す寸法だ。
(どちらとも敵対する可能性もあるが……竜による抑止力を期待できる、か。とんだ奇策だな)
(どちらかと言えば弥縫策という気もしますが……。無策で突入するよりは幾分マシでしょうか)
曲刀たちからはあんまり受けの良くない方策だが、交渉の場に着くことが出来れば十分でもあるため、一時凌ぎ上等であろう。
ぶっちゃけた話、こちらの言い分さえ聞いてもらえれば、後は好きにやってくれということである。俺の話が終わった後にイルマタルとバロールが大戦おっぱじめても、知らぬ存ぜぬってな。
神や魔神がいるところになどいられるか! 私は帰らせてもらう。そういうわけだ。
……まあ、ヤームルやアイラたちの保護くらいはしないとだけど。
(自分で引き合わせておいて、それか。やはりお前さんが一番たちが悪い)
(この美しい広場も、今日が見納めかもしれませんね)
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旅の仲間になるのは、いずれも大陸屈指の実力者、そして、揃いも揃って絶世の美女たち。しかし、彼女たちは全員、致命的な欠点を抱えていた! 方向音痴すぎて地図が読めない女剣士、肝心なところで必ず魔法が暴発する天才魔導士、女神への信仰が熱心すぎて根本的にズレているクルセイダー、優しすぎてアンデッドをパワーアップさせてしまう神官僧侶……。凄腕なのに、全員がどこかポンコツ! 彼女たちが集まれば、簡単なスライム退治も、国を揺るがす大騒動へと発展する。息つく暇もないドタバタ劇が、あなたを爆笑の渦に巻き込む!
基本は腹を抱えて笑えるコメディだが、物語は時に、世界の運命を賭けた、手に汗握るシリアスな戦いへと突入する。絶体絶命の状況の中、試されるのは仲間たちとの絆。そして、主人公が示すのは、愛する人を、仲間を守りたいという想いこそが、どんなチート能力にも勝る「最強の力」であるという、熱い魂の輝きだ。笑いと涙、その緩急が、物語をさらに深く、感動的に彩っていく。
王道の異世界転生、ハーレム、そして最高のドタバタコメディが、ここにある。最強の力は、一途な愛! 個性豊かすぎる仲間たちと共に、あなたも、最高に賑やかで、心温まる異世界を旅してみませんか? 笑って、泣けて、最後には必ず幸せな気持ちになれることを、お約束します。
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