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第四章 魔導国首都ヘレネス

4-29 神魔竜会談、竜増加中

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 高級宿「竜の泥酔亭でいすいてい」の庭園で、褐色の少年が灰色髪の少年と蒼髪の美女を指導している様は、宿泊していた者や付近を通りかかった者の関心を引くこととなった。

 その主たる要因は、先にロウが放った二度の蹴りにある。

 特に一度目の蹴りなどは、その轟音が数百メートル先にまで届き、宿に居た者たちや付近を歩いていた者たちは、地震のような揺れを感じてしまうほどだった。

 その音や震動の原因を探るべく動いた者たちの目に映ったのは、冒頭の凸凹でこぼこメンバーである。

 一体何を目的として集まった集団なのか心惹かれた者たちは、彼らを観察すべくそのまま居座ってギャラリーと化し、その人だかりが更なる関心を呼ぶ。

 そうやって鼠算式ねずみざんしき的に増えていき、少年たちが訓練を終える頃にはお祭り騒ぎのような状態となっていた。

「──騒がしいな。何事だ? これは」

「ウィルム姉ちゃん、気が付いてなかったのかよ」
「自分で言うのもなんだけど、ヘンテコ集団だし。さもありなんってやつだな」

 蒼髪をなびかせて周囲を一瞥いちべつしたウィルムが鼻を鳴らすと、人だかりから感嘆の息が漏れる。

 服装が人族の物へと変わったことで以前より露出が大幅に抑えられているとはいえ、天上の美を湛えるのが彼女である。そんな彼女が髪をかき上げうなじをあらわにすれば、男女問わず思わず声が漏れ出るというものだ。

 そんなウィルムにお近づきになろうとする人の波を、彼女は虫を払うような所作で氷塊群を構築して薙ぎ払う。

「──全く。人族相手に、相変わらず無茶をするのう」

 その竜の氷塊を、あろうことか片腕で粉砕して道を創る者たちがいた。

 焔立ほむらたつような赤髪を靡かせる長身の美女と、仄かに青みを帯びた月光のような銀髪の男性。

 自身の氷を砕き現れたガーネットの瞳を持つ男女を見たウィルムは、あり得ないと言わんばかりに瞠目どうもくして叫ぶ。

「なっ!? 何故ぬしらがここに居る!?」
「……あー。あれな人たちか?」

 他方、竜独特のガーネットのような瞳が零れ落ちんばかりに目を見開き驚愕に打ち震える彼女を見て、ロウはおおよその事情を悟る。

「ウィルムを探しにきたみたいだし、積もる話もありそうだし。君は一人で話してきなさい」

 大いに動揺する彼女を尻目に、少年は素早く彼女を切り捨てる判断を下し、己の身の安全を図ろうと画策した。

 保身のためには手段を選ばぬ腐った性根、外道ここに極まれり、である。

 しかし、少年が身をひるがえすよりも早く、ウィルムのひんやりとした手が彼の首根っこを掴んだ。

「ほげぶッ」

「おい、待て。こやつらは妾の“同族”だぞ? どの道貴様について話すことになるのだろうから、貴様もここに居るが良い。空間魔法での逃走など、それを破る術を持つこやつらの前では無駄だからな」
「いやいやいや。同族同士水入らずで話してこいよ。遠慮する必要はないって」
「やかましい。四の五の言わず、貴様は妾のためのにえとなれば良いのだ」

 などと、醜い舌戦ぜっせんを繰り広げる褐色少年と蒼髪美女。「竜眼」を持ちその正体を看破しているウィルムの同族たちは、魔神と竜のじゃれ合いを見ながら首を捻る。

「あの魔神嫌いが、随分と懐いている。金毛九尾きんもうきゅうびにつままれたような気分であるぞ」
「ふぅむ。しからば人の街での捜索などせず、放り投げておいても良かったか。……しかしまさか、魔神だけではなく、あの口煩くちうるさい古老もいようとはのう。状況が全く読めんぞ」

「古老とは随分な言いようですね、ティアマト? あなただって似たような年齢でしょうに」

 おとがいに手をあて唸っていた炎髪の美女──ティアマトの隣に、いつの間にか移動していた妖精神が、片頬を膨らませて不満を表した。

 一方、一連の展開を呆然と見ていた灰色髪の少年は、正気を取り戻したかのように感嘆の言葉を口にする。

「うわーすげえな。滅茶苦茶堅いウィルム姉ちゃんの氷を、普通にぶっ壊したぞ、あの人」

「レルヒ、今日の指導はもう終わりだから、お昼ご飯でも食べてきてくれ」
「もうそんな時間かー。うん? ロウは一緒に食べないのか?」
「俺はこの人たちと話があるからなあ。……全力で回避したいけど」

 諦観を帯びた表情で少年を送り出したロウは、人型へと変じているカラフルな竜たちに向き直る。

 妖精神イルマタルと何事かを言い争っているのは、赤髪の佳人ティアマト。

 目鼻はくっきりとしながらも、どこかオリエンタルな空気をかもすのは、彼女の肌がやや黄色がかった黄色人種風だからだろうかと、少年は思案しながら観察する。

 彼女の纏う衣服はウィルムがそうであったように、長い布を巻き付ける、地球で言うところの古代ギリシアにおけるキトンと呼ばれる衣服に似たものだ。

 ただし、彼女のように激しい露出をしていなければ、布地がサファイアブルーでもない。白く輝くその布地は、シンプルながらも気品が溢れている。

「久しい……というほどではないか。また会ったな、幼き魔神よ」

「どうもどうも。ウィルムの同族で俺と会ったことがあるということは、貴方はあの時のシュガールさんですか?」
しかり。アレが迷惑をかけたようであるが……よもや飼いならすとは思いもよらなんだ」
「飼いならすどころか、大いに振り回されてる感じですけどね……」

 ロウがティアマトを観察している内に傍へとやってきた巻き癖の強い銀髪の男性は、月白竜シュガール。

 女性陣とは異なり、白を基調とし金と黒の装飾を施された人の貴族のような上衣と、黒のスラックスという出で立ちの壮年男性は、やんごとなき人物であることを窺わせる高貴さが香る。

 そんな彼に対し、少年はここへ現れた用件を訊ねた。

「シュガールさんとティアマトさん? はウィルムを回収しに顕れた、ってことでいいんでしょうか」
「左様。されども、ウィルムの安否が確認できた今、あやつが支配や洗脳、隷属れいぞくさせられている風でなければ、放っておいても良いとも考えている」

「なるほど……こちらとしては引き取ってもらいたいんですけどね。曲がりなりにも竜ですし」
「クックックッ……アレを竜としては不全と評すか。いや、確かに気位ばかりが高く、若き故につたない点も多分にあるが」

 褐色少年の愚痴に対し月白竜がくつくつと喉を鳴らす様にして笑い、意見に同意していると、一人あぶれていたセルケトがロウに状況の説明を求めにきた。

「一体全体、どういうことなのだ? これは」

「ざっくり言うと、ウィルムの同族の方々が物見遊山ものみゆさんに来たって感じかな? えーっと、皆さん? 立ち話もなんですし、あちらにあるテラスで話すのはどうですか?」
「ウィルムの同族……それも二柱か。この国、滅びるぞ」

 シュガールやロウと共にテラスを目指しながら歩く彼女は、呆れたようにそう零すのだった。

◇◆◇◆

 昨日に続く神魔竜の会談。

 しかし、魔神の割合が多かった前回と比べ、今回は竜が三柱と増している。

 ロウは頭を抱え込みたくなる気持ちを押し殺して、開催の音頭おんどを取った。

「──はい。それでは神魔竜の会談を始めたいと思います」

「昨日と同じ言葉だな。もっと気の利いたことを言えんのか、貴様は」
「昨日は魔神、今日は竜ですか。明日は神が増えるのでしょうか?」
「昨日? 何か神や魔神が集まる様なことがあったのか? いやそれよりも、何故汝が魔神とつるんでいる? 妖精神よ」

 そうやってロウが切り出すも、各々が好き好きに喋り出すため、卓上は一瞬にして混沌とした空気となってしまう。

(なんかもう帰りたくなってきた)
(「竜眼」の前では帰っても無駄だぞ。それも、大地竜ティアマト……神すら凌ぎ、万事一切を見通す眼を具えると伝えられている竜がいるんだ。諦めるんだな)
(まさか、伝説たる竜の中でも最強とうたわれる存在に、曲刀である私が出会う日が来るとは思ってもいませんでしたよ。妖精神に会った時も、相当に驚きましたが)

(随分と大きな反応だな君ら。感想をよこすのは良いけど、全部竜たちに聞こえてると思うぞ)
((あっッ!))

「ふぅむ。意志ある武器とは、また随分と妙なものを持っているものよのう」

 少年の指摘の通り曲刀たちの念話を傍受していたティアマトは、卓ごしに彼の腰に佩かれている曲刀を眺め、驚きと感心のない交ぜになったような感想を口にした。

「えっと、どうも? そういえば自己紹介していませんでしたね。魔神のロウです。お宅のウィルムに勘違いの末に襲われたので、返り討ちにしました」

「はんっ!」「ふふっ」「……その紹介、どうなのだ?」
「幼き故だろうか、聞かぬ名であるな。ティアマトよ、汝はどうか?」
「我も知らぬ名であるよ、シュガール。しかし、ウィルムを打ち倒した魔神がこうも幼いとはのう。シュガールから聞いてはいたが、見ると聞くとではやはり違うものだ」

 ティアマトが感心の色を込めた言葉を口にすると、彼女の隣にいたウィルムの機嫌がみるみるうちに悪化していく。

「はんっ! こやつは卑怯にも空間魔法を操ることで、僅かに妾を上回ったに過ぎん。純粋な力比べならば、当然妾の方が上なのだぞ!」
「そんなに拗ねるなって。あと冷気出すのやめろ」

「ほう、空間魔法か。幼いわりに複雑な魔法を操るのだな」
「ロウは幼いからといって侮ることは出来ませんよ、シュガール。この子の扱う魔法にはあの上位魔神『影食らい』にも似た奇怪なものもありますし、その場で新しい空間魔法を構築してしまうような、異常ともいえる構築力もありますし」

 話が転がり出せば、眉間にしわを寄せ唸り声をあげる蒼髪美女を除き、険悪な空気もなく会話が続く卓上である。ロウはそれを意外に感じ、自分の話が行われているついでに問いかけることにした。

「魔法の構築は得意みたいですからね。それはそうと、シュガールさんは前に話したから分かりますけど、ティアマトさんも随分温和な方なんですね? ウィルムやドレイクが魔神と見れば即ブレス、直ちに魔法って感じだったので、驚きました」

「ふっ。我ら竜属は魔神と反目しあってはいるが、どうにも汝は毛色が違うようだからのう。そこの妖精神から妙に気に入られていることも然り、ウィルムを殺さなかったことも然り」

 ロウの問いかけに対し、いつくしむように目を細め語るティアマトだが、その内面では──。

(ふぅむ。ウィルムが襲い掛かったという話であったが、この魔神は竜に対してそう悪感情を抱いておらんようだ。この分ならばバロールと似た魔力の件に関して、直接聞けるやもしれん)

 ──「竜眼」を駆使し、魔力の流れから呼吸心拍数まで、に入りさいを穿つ観察をしていた。

 表面上は友好的な態度で応じつつも、内面では相手の腹を探り己の目的を達せんとする。若き竜を取りまとめる彼女だけあって、そのやり口は巧妙だった。

「わたしが気に入っているかどうかは置いておきますが、ロウが変わっているというのはその通りですね。なにせ、わたしと知り合う前からミネルヴァの眷属けんぞくと友誼を結んでいたくらいですから」

 そんな彼女を古くから知るイルマタルは、ロウの事情を探ろうとする意図を見透かしたように、彼の特異性を示す情報を一つ開示する。

 彼女に協力するというよりは、少年がどのような反応をするのか興味惹かれた、というのが正しいようで、その表情は楽しげである。

「俺が変わっているというより、グラウクス……神の眷属が変わった方だった感じなんですけどね」

「ほう、知恵の女神の眷属か。神域やかび臭い書庫から出てこない者だったと記憶しているが、良く知り合えたものだ」
「こやつは魔神であるのに人の記した書を読む習慣があるからな。人のように図書館へ行き、その過程で神の眷属に出会ったようだ」
「好き好んで書庫へ出向くとは、一層変わっている。……変わっているといえば、おぬしも相当に変わり種であるが」
「む?」

 補足するような言葉に頷いたシュガールは、その言葉の発信者であるセルケトをつぶさに観察し、話を続ける。

「魔物とも魔族ともつかぬ、深く濃い紫の魔力。それに、妙な濁りも見て取れる。ロウの創り出した眷属ならぬ配下、ということで良いのか?」
「むう。我はこやつに創り出されたわけではないぞ? 元々は迷宮より生まれたのだ。ウィルムの言うところによると、何やら人が関与した痕跡があるようだが」

「ふぅむ。セルケトと言ったか? 汝には魔物や魔族特有の魔石が体内にあるようだが……普通のそれとは違うようだ」

「そうなのか?」「……」
「いかにも。我の『眼』は同族の中でも特に優れていてな。魔力のあるがままの姿を『視』ることが可能なのだ。そして汝の魔石は……通常結晶化した魔力が成長するように形作られていくところ、異質な核を中心に不均一な結晶化を遂げている」

 卓に肘を置き顎を手の甲に乗せ、眠たげなまなこでティアマトは語る。

 ウィルムやシュガールとは異なり、彼女はセルケトの持つ魔力のみならず、体内で結晶化している魔石までをも見通す。それに言及しつつ、彼女の生まれについて推測を述べていく。

「汝の内にある魔石は、いびつだ。人が神や我ら竜を超えんとして創り出した、人造生物に共通してみられるもの同様にな。あれらは上位の精霊や魔物の肉体を器とし、それへ膨大なる魔力を注ぎ込むことで創り出されていたが……。汝の場合は迷宮の魔物を媒質ばいしつとして、迷宮の魔力を取り込み、生まれたのだろうな」

「……我の姿は、様々な魔物を合成したようなものであったが。媒質となったのは、複数の魔物であったということか?」
「さてな。元がどうであったかは分からんが、結果は数百……いや、千もの魔物を吸収し、内へと凝縮したようだ。魔物の身であっても爆ぜてしまうような莫大な力であるのに、よくその身を保てたものだのう」

「ふむ……。生まれ落ちた当初は、母たる迷宮の怨念おんねんに突き動かされておったからな。破壊衝動のままに行動したことで、内なる力を発散できていたのやもしれん」

 ティアマトの推論に対し、セルケトは自身の行動を思い返しながら見解を返した。

 彼女の言の通り、生まれた当初は迷宮へと調査に訪れていた冒険者や研究者を殺し尽くし、のみならず視界に入った魔物もことごとく食らい尽くす、一切合切をほふる異形の存在だった。

 このため迷宮の魔物は彼女へと近づかなくなり、それにより獲物を求める彼女は迷宮の外へと活動領域を広げることになった。

 その結果が、かつてリーヨン公国の大都市ボルドーで指定されていた危険地帯である。破壊衝動が落ち着いた後も迷宮の魔物から避けられていた彼女は、この領域で行動することが多かったのだ。

 他方、しばらく口を閉ざしていたウィルムは、ティアマトとセルケトの話を聞き合点がいったという風に一つ頷く。

「なるほどな。僅かとはいえ、妾の竜鱗を貫くのも道理だ。こやつの外殻から造られたという槍の異様さも納得よ」

「ほう? ウィルムの竜鱗を貫くほどか」「ふぅむ。魔力の練りが甘いのではないか? ウィルムよ」
「えッ!? 竜鱗を抜くってマジかよ。サルガスもギルタブも、性能負けてるじゃん」

(ぐっ……)(まあ、突くと斬るとじゃ貫通しやすさが違うだろうし、一概には言えんだろう)

「はははっ。なんだ、ロウはウィルムの竜鱗を貫けんのか? 魔神も存外大したことは無いのだな」
「おい貴様、いい気になるなよ? 所詮人型へと変じている妾を少しばかり傷つけたにすぎんのだ。竜なる姿の鱗は、この状態より堅牢強固。魔物如きが貫けるなどとは思わぬことだな」

 なんでもないようなウィルムの言葉から一転、何故か険悪な空気が一部に発生する。

「はぁ……全くもう。じゃれ合うために集まったわけではないでしょうに」

 一人冷静に周囲を観察し、そして話に混じれないわびしさを誤魔化すため紅茶を飲んでいたイルマタルが、虚しく零すテラスでの一幕だった。
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