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第七章 混沌の交易都市

7-4 異形の魔物、ネイトの受難

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 交易都市リマージュの西部森林地帯、その深奥しんおう

 褐色少年から完膚かんぷなきまでに叩きのめされた少女、もとい異形の魔物──ネイトは、自分の生まれた場所である迷宮「神獣のほこら」を前にして立ち往生おうじょうしていた。

「くう。あの子供に敗北したことはともかく、アタシが我を失っている間に母の内部で暴れまわっていたとは。あれほど暴れ、今更戻れるのだろうか?」

 自責の念に囚われうつむく彼女の独白通り、彼女は今日のみならず二週間ほど前から我を忘れ暴れまわっていた過去がある。

 ──迷宮の魔力を吸い上げ迷宮の魔物の肉体を苗床なえどこにして生まれた彼女は、ロウと行動を共にしているセルケト同様に、人の創りし魔道具を核としている。

 しかし、セルケトの生まれた迷宮「獣のうろ」と異なり、ネイトの生まれた「神獣の祠」は人への怨念おんねんを持っていなかった。

 そのため、彼女は迷宮そのものを破壊したり周囲の魔物を食い散らすような真似はしなかった。セルケトと異なり、今まで迷宮から魔物をけしかけられることなどなかったのだ。その力を発散するため、駆けまわったり跳ねまわったりすることはあったが。

 ところが、二週間ほど前に異変が起きる。

 上位魔神と最上位竜との尋常ならざる戦いにより、大陸全土が激震。その波動は人のみならず魔物にも恐怖を与え、ひときわ高い感知能力を持っていた異形の魔物ネイトも、その圧倒的な力に本能的な恐怖を感じとってしまう。

 元より力を持て余していた彼女は、恐怖により力と精神のたがが外れてしまった。

 結果が彼女が悔恨するような迷宮内部での殺戮劇さつりくげきであり……迷宮内を破壊し尽くした彼女が地上へと侵出し、周囲の魔物を恐怖のどん底へと叩き落したのが今日の出来事である。

 先ほど魔石を修復されたことで己の力を掌握しょうあくし理性を獲得したものの、理性を得たがため迷宮へ戻ることに二の足を踏んでいる──それが、ネイトの現状だった。

「──うう~。ここで足踏みしていても仕方がないか。入らねば分からんことだ、入るとしよう」

 三十分ほど入り口付近をうろうろした彼女は覚悟を決め、石造りの入り口から迷宮内部へと入っていく。

 外界とは異なる領域にある迷宮内部は、それぞれが様々な形態をとる。

 工業都市ボルドーにある「獣のうろ」であれば、獣の巣穴にも似た洞窟状の空間に、発光する鉱石がほのかに照らす幻想的な迷宮に。

 ここリマージュの「神獣の祠」であれば、天を貫く巨大樹たちとそれらが張り巡らせる根の大地、その下に広がる空色の湖だけがたゆたう静かな迷宮に。

 そんな外界と隔絶かくぜつされた迷宮を少女の身となって歩くネイトは、巨大樹より落ちてきた果実を頬張ほおばりながら周囲を観察する。

「うん? 警戒してみたものの、取り立てて変化はないようだ。アタシが暴れた影響で所々根の大地が傷ついているが、それくらいか」

 彼女が自分の暴れた痕跡や巨大樹の根に吸収されていく魔物の死骸しがいを眺め進むこと、一時間ほど。

 魔物と遭遇せずに迷宮の中心付近へと到着した彼女は、丁度良い位置にあった根に腰かけ、しばし巨大樹を見上げ思索にふける。

「魔物の襲ってくる気配はないが、これはアタシが滅ぼしたからなのか、それとも母に敵対の意思がないからなのか……分からない。分からないが、他へ行くあてもない。状況やアタシ自身の変化が把握できるまで、しばらくここに留まろう──ん?」

 新たに見つけた果実をかじり自身の置かれている状況を整理していた彼女。そんな折に、彼女の傍で魔力が集束し始めた。

 何事かと眉をひそめたネイトが行動を起こす前に、集束しきった魔力が人型をかたどり人へと変じる。

「……」

 そこから顕れしは、獅子ししを擬人化させたような雄々しい体格を誇る青年。

 白く輝く壮麗な衣服に、日輪のように輝くたてがみにも似た銀の頭髪。そして、たぎる溶岩のような熱をはらむ紅の瞳。

 それは人の形をしておきながら、人ならぬ美しさと力強さを備える青年であった。

 更には、肉体より発せられるただ事ならぬ覇気。ただたたずむだけで大気がきしみ空間がゆがむ様は、この青年が圧倒的上位者であることをネイトに理解させた。

「この凄まじい気配。神……いや、竜か? 何故この場に?」

「否、どちらでもない。しかし、お前が知る必要もない。我が領域を荒らす不届きものよ、この巨大樹のかてとなれ」
「っ!?」

 強引に会話を打ち切った青年は、腰をひねって拳を振りかぶり──直後、雷光の如き中段突きッ!

「な、あっ!?」

 大気が焼け焦げ発光するほどの速度で放たれた拳は、魔力を拳先から射出することで魔拳となり、直線上を蹂躙じゅうりん。拳のただ一撃で、竜の息吹が如き大破壊を実現した。

「ぐうっ」

 超常現象級の拳を見舞われたネイトといえば、青年が拳を打ち出す寸前に側方へ回避。なりふり構わず転がることで辛うじて直撃を避けていた。

 とはいえ、竜の息吹に等しい一撃は衝撃波が擦過さっかするだけでも大魔法級。彼女の身体は衝撃波によって無数の傷が生まれ、纏っていたローブは熱と烈風によりボロボロである。

「全く訳が分からんが、逃げねば不味いかっ!」

 叫ぶ少女は着地と同時に魔物状態へと移行。強靭な脚部を生かして神速で駆け、迷宮の出口に向かいひた走る!

「なんと、避けたか。我が領域より吸い上げし力、侮れぬ」

 しかし、青年は攻撃の手を休めない。

 単なる人造魔物が神をも超える己の一撃を避けたことに動じたのも束の間、青年はすぐさま逆手で拳を返し、次いで前蹴り。その蹴り足を振り降ろせば、再び雷鳴轟く中段突き。

 衝撃波だけで根の大地を吹き飛ばし燃え上がらせる、桁違いの猛攻で攻め立てる!

「グ、オ、オ、オッ!」

 背後から迫る剛打連撃に対し、魔力感知のみを頼りに避けるネイト。

 衝撃波で金毛を焼かれながら飛び上がり、被膜ひまくを消し飛ばされつつも滑空し、神殺しの連撃をかつがつ回避。

 その過程で墜落ついらくするも、四つ脚となって駆け抜けた彼女は、そのまま転がるようにして出口へと駆け込み──。

「見事だ。しかし、諦めよ」

「っ!」

 ──立ちはだかる銀髪の青年から、死を宣告されることになる。

 空間魔法を使いこなす青年にとっては、魔物の俊足を凌駕りょうがするなど容易いことだったのだ。

「受け入れ、られるかぁっ!」

 あと一歩というところで出現した絶対強者を前にして、しかし首を縦に振らなかったネイトは、魔神ロウによって変質した魔力のありったけを注ぎ込み肉体を強化。

 鋼のような拳を金剛石のように固め、血路を切り開かんと殴り掛かる!

「──ふむ」

 彼女の動きと気迫に決死の覚悟を見て取った青年もまた、拳を固めて迎え撃つ。

 流麗でさえある動きをもって腰元へ添えられた腕から繰り出すは、対象へ向けて直線的に打ち出す必殺の一撃。

 大きく振りかぶるような初撃と異なり儀式的な所作でさえあるそれは、神をもほふり竜さえもおびやかす、青年が本気の拳である。

「ぬんッ!」
「おおっ!」

 赤く発光する巨大な右拳と、白く輝く閃光の左拳が交錯し──魔物の右腕は、肩口から先が蒸発した。

 つまるところ青年の圧勝である。

 神殺しの獣を前にすれば、如何いかなる魔物であっても塵芥ちりあくたなのだ。

「オ゛、オ、オッ!」
「む?」

 渾身の一撃を挫かれ右腕を失ったネイトは、力を失い倒れ伏す──どころか更に足を踏み込み、青年の脇をすり抜け出口へ疾走。

 相手を一顧いっこだにしない逃げっぷりで、迷宮から素早く離脱した。

「……なるほど。勝てぬと分かっていたうえで真っ向勝負を挑んだのは、勝負が終わった直後の隙を生み出すためであったか。このベヒモス、見事にしてやられたぞ。大した執念だ」

 文字通り身を捨ててみせたネイトの策に唸った青年は、血の落ちている方向を見据えしばし黙考もっこう

 五分ほど経ったところでポンと手を叩き、青年は件の魔物を殺さずとも自身の領域から追い払えたのならよいか、という結論に至った。

「これほどの痛い目に逢ったならば、もはや我が領域へは近付くまい。しかし……最後の拳、一介の人造魔物とは思えぬ破壊力であった。若き竜にも比する膂力りょりょくを発揮するとは、人の創りし魔物というものも中々に侮れぬのものよ」

 拳に残るかすかな痛みに感心した青年は、己とネイトが荒らしてしまった周囲環境の再生に着手する。

 といっても、行う処置は至極簡単。己が膨大なる魔力を迷宮へ供給し再生をうながす、ただこれだけである。

「ふむ。やはり相当に魔力が吸われているが……。む? 我が到着が遅れた故にこうも荒らされた、と? 許せ、我が時間は限られている。近頃は琥珀竜こはくりゅうや海魔竜が暴れたことで魔物どもが狂乱し、各地の我が領域も荒れに荒れる有様だ。その上、先のように領域の力を吸い上げる人造魔物も跋扈ばっこする始末。お前にばかり構ってもいられない」

 魔力を供給中、くるならもっと早くきてくれと陳情ちんじょうしてきた迷宮に対し、謝罪しつつも時間は割けないと明言する青年。

 大陸中に己の領域を持つこの青年も、褐色少年と竜とが戦って生まれた余波で難儀している存在の一人である。

 絶大な力を持ち空間魔法さえほしいままにするこの青年は、神や魔神同様に外見上からは考えられないほどの永い時を生きている。

 そんな彼は現在、様々な土地をさすらったことで己の関係する場所が増えに増え、神をも超える力であっても手が回らない状況におちいっていた。

 こうして迷宮に顕れる寸前も大陸中央部へ出向き竜たちへ小言を言ってきたほどに、ロウと古き竜の件で厄介をこうむっていたのだ。

 もっとも、管理しきれないほど領域を増やす、無計画でさえあった己の行いが原因とも言えるが。

 さておき、いささか身勝手ともいえる青年の言葉を受け、迷宮は巨大樹たちをざわめかせ湖畔こはんを波立たせて不満を表した。

「そうへそを曲げるな。こうして荒れ果てた原因たる人造魔物を打ち払い、再生するに足る魔力も与えた。何の問題があろう?」

 もはやすべてが元通りだろうとのたまった創造主に対し、今度は大樹に実った果実を落下させることでいきどおりを表す迷宮。創造主と創造物の関係でありながら、中々に気安い仲である。

「む。いたずらに実りを落下させるとは。それも我が頭上に。それほど不満に感じたのか? ……そうか、よかろう。なれば今後は可能な限り迅速に動くことを約束しよう」

 果実の雨で全身をしたたか打たれた青年は渋々しぶしぶ迷宮の言葉を聞き届け、彼女の意に沿うと約束した。

 その言葉で喜ぶように脈動する大樹の根を見届け、用を終えた青年は空間魔法を構築してその場を去っていった。
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