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第八章 帝都壊乱

8-7 帝都探訪

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 褐色少年が守護天使と鉢合はちあわせた日の夕刻、帝都宮殿の一室にて。

「──突発的な状況を利用し、大英雄の末裔まつえいの血を得ようとしましたが……一歩及びませんでした。申し訳ありません、アノフェレス様」

 灰色と墨色すみいろの入り混じった長髪を垂らす女性が、同色の髪を持つ男性に臣下の礼をとって報告をあげていた。

「血を得られなかったことは残念だが、それ以上の収穫もある。かの少年が既にここ帝都へやってきていること、聖獣どもとは敵対状態にあること。これらは得難い情報だ。よくやった、テラジア」

「ありがたきお言葉です!」

 ねぎらいの言葉を受けると打ち震え、感極まる女性──テラジア。眼前の魔神の眷属けんぞくである彼女が、創造主をこの上なく敬愛することを示す一例である。

「聖炎で焼かれた腕は大事ないか?」
「万全です。アノフェレス様より“血”を頂き、完全回復いたしましたから……げへへへ」

「……そうか。さわりないならば言うことはない」

 ほほを紅潮させて身をくねらせる美女を見て、思わず閉口する壮年男性。

 脳内から今見た映像を消し去った彼は、次なる事柄──褐色少年や聖獣への対処へと、思考を向ける。

「あの少年が神とつるむ魔神だと分かった以上、排除しておきたいところだが……少年の背後にはバロールや太陽神がいる。ならば末裔の血を優先するかといえば、これも聖獣の護りが堅固である、か」

「難しい状況です。今日血が取れていれば、大きく状況が好転していたのですが……申し訳ありません」
「過ぎたことを悔いても仕方があるまい。前を向け、テラジア。そして行動で意を示してみよ」
「はい!」

 主の言葉で失意に沈んだり奮起し気炎をあげたりと、感情表現の忙しい従者である。

(テラジアの言葉通り難儀する状況だが……光明があるとすれば、少年も聖獣も反目しあっている点か。ここを突けば共倒れの目もあるやもしれん。ここは一つ、知恵者たるバエルの力を借りてみるか)

 そんな百面相といった彼女を眺めつつ思案したアノフェレスは、協力関係にある魔神を呼び寄せるのだった。

◇◆◇◆

 同じ頃、帝都で名のある宿の一つ「水の宮殿」では。

「──また暴れてきたんですか。ロウ君って本当、いつもそうですよね」
「すみません。気を付けてはいるんですけど、周りが放っておいてくれないんですよねー」

 夕食を終えた褐色少年が、転生者の少女からなじられている最中だった。

「もう、適当なことばっかり言って。斬りかかられたって聞いて心配したんですよ。こっちの身にもなってください」
「ご心配おかけしました。でもまあ俺って、首斬られたりバラバラにされたりってこともありましたし。斬りかかられるくらい平気の屁の河童かっぱですよ」

「……え? 首を斬られた!? だ、大丈夫なの!?」
「おふぅ。今はピンピンしてますから、問題なしですって」

 少年が冗談めかして語ってみるも、少女は大いに動じて確認を急ぐ。髪が触れ合う間合いで少年の首に目を凝らす様は、傍目には抱き合っているようにしか見えない距離である。

(ぎぎぎ……ががが……)

 故に、ロウの相棒たる黒刀の嫉妬心しっとしんは凄まじい。ベッドの上で鞘に納まったまま小刻みに振動する様は、怪奇現象以外の何物でもない。

「あれ? なんだかシーツが揺れてる……?」
「ああ、曲刀が振動してるからですね。アレは魔剣なもんで、時折ああやって震えるんですよ。ハハハ」

「そうだったんだ? 魔剣……凄い切れ味だもんね──」
「──お兄ちゃん、はいるよー」

 ノックなしに扉が開けば、褐色少女が現れる。ロウの妹フォカロルである。

「……」

 食事を済ませそれなりに上機嫌だった彼女だが、至近距離で向かい合う少年少女を見ると筋肉運動の全てが停止した。

「「……」」

 のみならず、第三者に見られたことで自分たちの距離を再確認したロウたちも、動きをぴたりと止めるに至る。

「……何やってるの? お兄ちゃん」

 普段の溌溂はつらつとした声とは異なる低い声音を前にして、ロウの背筋に怖気おぞけが走る。

「やあやあフォカロル。それがしは別にヤームル殿と何かしていたわけではござらぬそうろう。先ほどそちにも話した宮殿の話をして、その流れで怪我が残ってないか確認されただけです故。やましいことなど一切合切いっさいがっさいございませぬ」

「なんで時代劇口調……」
「ふーん?」

 冷や汗をかきながらも言い訳を並べる兄に、ずいと詰め寄り心を見透かさんとする妹。

 しばしジト目状態で少年の金眼を覗き込んでいた褐色少女だが、とぼけ続ける様を見て諦めたように嘆息した。

「はぁ。お兄ちゃんが色々とだってのは、分かってたけどね。そういうとこパパと正反対だよ、本当」
「だから緩くないってば。誤解だっつーのに。というかフォカロル、この部屋にきたなら話があったんじゃないのか?」

 言い訳が効かぬならと、ロウは中島太郎なかじまたろう流処世術之三・強引的話題転換を発動。力技でもって話を変える。

「んー? 兄妹水入らずで一緒にお風呂に入らないかって誘おうと思ったけど、お兄ちゃんは粉かけてばっかりって感じだし。一人で入ってくるよ」

「さいですか……。どの道兄妹で入るのは年齢的にナシ……いやアリ? いやいや、成長度合い的にまずいから、却下だ。一人で入ってらっしゃい。……あ、でもセルケトやニグラスは誘っていいんじゃないか? 浴室結構広いし、誘ってみるといい」
「それもそうだね。折角だし誘ってみる」

 提案を受け入れた褐色少女は栗色の少女を一瞥いちべつし、身をひるがえして去っていく。

「……お昼に会った時も思ったけど。ロウ君、フォカロルさんから随分と好かれてるよね」

「これでも唯一の肉親ですから。元々父親が大好きだったみたいで、その父親が死んだ以上依存っぽい感じになるのも仕方がないことなのかなあと」
「……そっかあ。魔神にも、大切な家族がいて当然よね」

「人から生まれる場合を除くと、両親じゃなくて片親だけになりますけどね。神様もそうですけど、生殖によらない方法で子を生み出しますから」

 投げかけられた疑問に対し、ロウは魔神としての常識を交えながら返答した。

 当たり前のように語られた魔神としての言葉を前に、ヤームルは目の前の友人が人外だということを再確認する。

(そういえば、この宿にいるシアンさんたちやお爺様の家にいるマリンも、ロウ君の眷属なのよね。眷属っていうならロウ君が生み出したってことなんだろうし、もう子持ちってこと? 前世でも今世でも私より年下なのに、なんて手の早い……)

 関係があるのか定かでない前世のことまで持ち出しつつ、ヤームルはじっとりジト目モード。美少女の灰色の瞳で覗かれる少年は、突然の変化についていけずに困惑した。

「生殖云々ってのは生々しすぎましたね。いきなり魔神トークしちゃって申し訳ないです」

「そこにもびっくりしたけど、やっぱりロウ君って魔神なんだなあって。エスリウさんもそうだったけど……ふとした瞬間に“らしさ”が出るものなのね」
「俺もエスリウ様も半分は人間族ですが、やっぱり視点はどうしても人を超越した感じになっちゃうんですよね。力を持ちすぎる弊害へいがいです」

 大げさに嘆いてみせる少年だが、つまるところ上から目線がやめられないというだけである。

「はぁ。まあ実際魔神だもんね……っと、私もフォカロルさんと一緒にお風呂入ろうかな? まだ全然話せてないし」
「いってらっしゃい。あいつは魔神そのものって感じの性格ですけど、根はいい奴……? なんで、仲良くしてやってくださいね」

 如何にも適当な言葉で少女を送り出した少年は、一人になると大きく息を吐いた。

「ふぃ~。ギルタブ、そう無言の念話を飛ばさないでくれよ。まだお前たちのこと、ヤームルさんに話してないんだからさ」

(ロウの性は乱れ過ぎなのです。女性相手であれば誰かれ構わず鼻の下を伸ばすなど、私の主として相応しくありません)
「よくわからんけど、めっちゃ怒ってる?」
(クク、お前さんは男としての自覚が足りてないからな。もう少しギルタブの意に沿ってくれると、俺も気が休まるんだが)

「何じゃそら。普通に返答してるだけじゃんよ。わけ分らんし、汗流してくる」

 曲刀たちへの理解を諦めたロウは、一人自室の浴室へと向かうのだった。

◇◆◇◆

 ロウが聖獣と会敵した翌日。

 魔神の痕跡を探す少年は念を入れ、宮殿以外の場所も調査していく。

 帝都臣民のいこいの場であり上流階級の交流の場にもなる、緑豊かな植物園。
 大衆の娯楽にして競技者たちが名誉を競い合う場でもある、熱気あふれる大競技場。
 光が差さず人々も寄り付かない、カビと汚物はびこる下水道。

 魔神フォカロルの記憶を頼りに、ロウは三日ほどかけて各地を探し回る。

 しかしながら、気配はおろか痕跡すら見つからず。調査は全くの空振りに終わった。

「──ん~。今日も手掛かりなしかあ。残りは闘技場くらいしかないって言うし、やっぱりもう一回宮殿に忍び込むしかないのかね?」

 その調査の帰り道。移動ついでに購入した品々を振り回しながら、ロウは隣を歩く妹に問いかける。

「そうかもね。私やエスリウが居なくなった後に眷属けんぞくが湧いたって話だし、まだ残ってる可能性も高いだろうし……。ただ、誘いのような気もするんだよね」
「誘い? 眷属があえて姿を現したってことか? あの時、俺の出現を見越してるような感じじゃなかったけどなあ」
「それ自体は偶発的かもしれないけど、その出来事を布石として罠を仕掛けてそうなんだよね。あいつら、奸計かんけいが大好きだから」

 ほんのりツリ目な目元を鋭くして語るフォカロル。妹のかすかで確かな怒りを見たロウは、警告に感謝しつつも方針を定めた。

きもめいじとくよ。逆に言えば連中がいる可能性が高くなるし、さっさと仇討ちといきたいところだ」
「だね。私とお兄ちゃんで宮殿を墓標にしてやろうよ」
「そこまでやらねーよ! お前ちょっと過激すぎるわ。関係ない人まで巻き込むとか、絶対だめだからな」

 などと会話しつつ、魔神の兄妹は宿へ戻ったのだった。

◇◆◇◆

 更に翌日。

 朝食を終えたロウたちは早々に準備を済ませ外出した。目的地は昨日彼らが話していた通り、闘技場である。

「君ら、頼むから暴れるなよ。例の魔神たちを見つけた場合も極力戦闘を避けるように。今日は大きな大会の決勝かなにかで、物凄く人が集まるって話だから」

「くどいぞ。二度も三度も繰り返すとは、妾たちをなんだと思っている?」
「ロウは我らを聞き分けのない赤子と思い違いしているのであろう。馬鹿げた話だ」

「あーはいはいごめんなさいねー。他人事みたいな顔してるけど、フォカロルもネイトも、大人しくしてるんだぞ」
「むー。お兄ちゃんってば、私も竜と同列に扱っちゃうの? 心外だなあ」
「魔神たちがアタシを害するというなら迎え撃つが、そうでないなら手は出さない。アタシも魔神へ至りはしたが、お前たちのように魔を見極める『眼』を持っているわけでもないからな」

 問題児の四柱へ釘を刺した後、少年は街歩きを開始した。

 少年が注意をうながしたのは竜二柱と魔神二柱。この場にいない面々は宿への奇襲を考慮し、宿で待機している。

 さておき、一行は闘技場を目指して進んでいく。

 夜明けを告げる鐘が鳴ってから二時間ほど経った現在、街路には人があふれかえっている。

 仕事場へ向かう者、買い物に出かける者、時間潰しを探す者。様々な目的を持つ人々が思い思いの場所を目指す。その密度は地球の大都会における公共交通機関での通勤ラッシュにも匹敵する、身じろぎさえ難しいものだ。

 そんな中、特に人が集まる帝国闘技場へ向かうのがロウたちである。

「ものども。灰となりたくなければ道を空けよ」

「ひぃッ!?」「助けてくれぇッ!」「なんだあの覇気は!?」「な、何者なんだ……」

「竜の一睨み。流石に覿面てきめんだ」
「お兄ちゃん、あいつのせいで凄く目立ってるけど。いいの?」

「……まあ、これくらいならギリギリ許容内かな? 多分」

(いや、駄目だろ)(ロウの判断基準は不明瞭なのです)

 枯色かれいろの青年が見せた眼力により、川に生まれる中州なかすのように空白地帯となったロウ周辺。多少目立とうが絡まれるよりマシだと開き直った少年は、特に問題とせず進むことにした。曲刀たちの念話など馬耳東風ばじとうふうである。

「うん? 空間が空いたのは良いが、アタシたちは注目されているようだ」
「ふんっ。今日は増して不愉快な視線が多い」
「目立つ集団だからなあ。それにほら、ネイトは可愛いし、ウィルムも美人だし。男としてはどうしても目が引き寄せられちゃうんじゃないかな」
「そういうものなのか」

「……ふっ。そうか。妾の気品にあてられたというのならば致し方あるまいな」
「おい、ロウ。ウィルムに色目を使うなという約定やくじょう、忘れたのではあるまいな? 我が同胞をも毒牙にかけるならば……如何に貴様といえど、滅ぼすぞ」
「やい、やかましいぞドレイク。妾とロウの問題にぬしが入る余地などない」

 口を出すも即座に梯子はしごを外されてしまうドレイク。消沈する彼が兄弟分からかえりみられることは稀なのだ。

 やかましくかしましい声を無視した少年が突き進み続けること、一時間ほど。

「──おほ~! 競技場も凄かったけど、建物自体はこっちの方が凄いな!」

 一行の眼前に、巨大な円形闘技場が姿を現した。

 円筒状えんとうじょうに配された石の外壁には、遠目からそれと分かるほど精緻せいちに動植物が彫り込まれ。
 壁を補強する装飾的な柱には、神や偉人たちの石像がこれ見よがしに立ち並び。
 その内からは、地を揺るがす大歓声や空をつんざく悲鳴が途絶えない。

 この世界を旅してきたロウの度肝を抜くに足る建築物。それが帝国首都ベルサレスの誇る大闘技場だった。

「なるほど、悪くはない。しかし配している石像が詰まらんな。闘技場をうたうならば、貧相ひんそうな神どもではなく力強く美しい竜属を置くべきだろうに」
「フッ。ウィルムよ、卑小な人族どもに頂点たる我らを理解せよというのはこくだ。己らの理解が及ぶ神で妥協してしまうのも、竜属が力を持ちすぎる故であろう」

「ふーん?」
「……何か言いたげだな?」
「べっつにぃ~?」

「はいそこ、口喧嘩しないの。調査にきてるんだから、いがみ合いは後にしてくれ」

 煽り合いに発展しそうになるも、即座に褐色少年が場を収める。彼女たちは衝突することが常であるため、彼の介入も慣れたものだ。

「うっ。そんな睨まなくたっていいじゃん……ちょっとした息抜きなのにさー」
「異空間でやる分には構わないけど。ここには宿敵が居るかもしれないし、その上人が沢山いる街中だ。時と場合を考えてくれ」

「はははっ。ざまあないなフォカロル!」
「言ったそばから煽ってんじゃねえ!」
「……アタシにはどうにも、根本的に人選を間違っているように感じられる」

 唯一人冷静なネイトに呆れられながらも、ロウは人外たちを引きつれ闘技場へ入っていったのだった。
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