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第八章 帝都壊乱

8-23 邪竜顕現

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 時はさかのぼり、地震発生の少し前。

 帝都一の観光地である大英雄の墳墓ふんぼ、その大広間では。

「──神々の石像が完全に破壊されている。まさか本当に、この大広間を占拠してしまうとは……」
「あの異形の魔物たちは一体どうやって……? 神の結界までをも無効化したというのか」

「「「……」」」

問答もんどうは抜きで。私の配下が巡回する者やここへ来る観光客の気を引いていますが、限度がありますから。手早くお願いします」

 竜を信仰する教団の教祖らが、協力者を名乗る女の手腕に舌を巻いていた。

 数日前、組織の者だけが知る教団本部に女が現れた時、教祖は目の前の女を全く信用していなかった。

 如何いかにして教団本部を突き止めたのかも、胡散臭うさんくさい協力の申し出も。朗々ろうろうと語る女の全てが信用ならない。そう考えた彼は、申し出をはねのけ口封じに出た。

 だが教団の抱えていた腕利きさえも、女は容易くねじ伏せてしまう。術式によらない自在な風と大男を指先一つで吹き飛ばす力とで、全ての信者を返り討ちとしてしまったのだ。

 そのため彼女の協力の申し出を拒否できなくなってしまったが、寝首を掻いてやろうという思いは教祖の内にくすぶったまま。

 竜召喚儀式のにえにでもしてやろうかと、彼は今の今まで考えていたが──。

「──これほどの贄を無抵抗状態で用意した時も驚いたが。この大英雄の墳墓に魔物を連れ込み、あまつさえ守護者たる神のゴーレムを破壊して見せるとは! 人間業とは思えん」

 彼女の有能ぶりを目の当たりにして、もはやその考えも吹き飛んでいた。

「目を盗んで行っているだけですから、ほんのひと時です。口を動かさず手を動かしてください」
「失敬な奴め、術式の準備はもう終わっておるわい。後は贄だが……そちらの魔物ども、そこにいては巻き込まれるぞ。動かせるか?」

「贄としてもらって結構ですよ。石像を破壊した時点で彼らの役目は終わっていますし、強力な魔物がいた方が竜の召喚数も多くなるでしょう」
「……なら良いが」

 神のゴーレムすら打ち倒す異形の魔物を、全く惜しまず使い捨てる。現実味を欠片も感じないその態度に冷たいものを覚えつつ、教祖は儀式を開始した。

 教祖が信者の証たるメダルを掲げると、外周を囲う信者も応じて続く。

 そうして掲げられたそれに、信者たちの魔力が注ぎ込まれたところで──儀式の中心地に異変が起きた。

「……ぉ。ぉぉ……」
「ぅぁ……」

 心ここにあらずと広場の中心で呆ける者たちや、その人々を囲む異形の魔物。贄と呼ばれた彼らの体がぐずぐずと崩れだし、液体となったそれらが大きな塊を創り始めたのだ。

「順調……だがやはり、臭気が酷いな。これではすぐに異変が知られてしまうか」
「でしょうね。しかし、贄さえ十分であれば召喚も時間がかからないのでしょう? 数が集まろうとも、召喚した邪竜の力で薙ぎ払ってしまえば問題ありません」

 女と教祖が見解を語る間に、球となった液体がみるみる縮み、浮き上がり──拳大となったところで、突如爆ぜた。

「「「っッ!」」」

 球体の炸裂と共に発生したのは、音や光が遠くなるような空間のゆがみ。

 その歪みと共に現れ降り立ったのは、人と変わらぬ背丈の存在だった。

「っ!」「……?」「小さい……子供の竜?」「亜人、なのか?」

【ハッ。久方ぶりに受肉した思うたら……うやまいが足らん連中やなぁ】

 爬虫類はちゅうるいの特徴を具え赤き瞳を持つそれが、一体何を思ったのか。不意に浅黒い腕を突き出し、拳を握り込んだ。

「あ゛っ?」「ぎげッ?」

 その無造作な動作と全く同時。

 教祖の近くにいた信者二人の頭と手足が捻じれて潰れ、血を吹き出す肉塊が出来上がる。

【言葉には気を付けると良い。で、だ。貴様らは人族やな? 中々に悪くない肉体と魔力やが、何を贄としたんや?】

「は……?」「あ、あああぁぁぁ!?」
「魔力抜きの干渉……『ひずみ』の権能かっ!」

【んん? なんや、儂を知っとる者もおったんか】

 理解を超えた現象で恐慌状態となる信者たち。

 その有象無象うぞうむぞうの反応に嘆息しつつ、男はただ一人異なる反応をした女へ近づく。

「邪竜ニーズヘッグ。滅ぼされてなお転生を繰り返す特異な竜。……地脈からでないと生まれないものかと思っていましたが、が出ましたか」

【カハハハ。おんし、よう知っとるやんか。確かに儂は地脈から生じることが多いが、こうして魔族や人族に供物くもつを捧げられて召喚されることもある……しかし、やかましいのう】

 男が腕をわずらわしげに振るえば、身の毛のよだつ音が大広間に響き渡る。

 皮が裂け肉の千切れる断裂音。
 骨が砕け臓物が飛び散る炸裂音。
 固い肉塊同士がぶつかる重低音。

 空間の力場をゆがませる権能が荒れ狂い、捻じれ弾けて潰れる信者たち。

 老いも若きも血となり肉となり骨となり……大広間にはたちまち赤き山河が生まれ落ちた。

「は……はは。はははッ!」

 自分と協力者の女以外がしゃてしまった現実を前に、教祖は歓喜に打ち震える。

「素晴らしい、素晴らしいですぞ邪竜様! これぞ、この力こそが竜たる御力! どうぞお気の召すままお気の向くままに、世に竜というものをお示しください!」

【ふうむ? はべるもんを殺されたんに、変わりもんやのう。……おんし、儂を召喚したんなら我が眷属けんぞくも呼び出せよう? 材料集めてくるきぃ、準備せい】

「何の騒ぎだ──ッ!?」「なぁ……!?」「うッ……!?」

 高笑いする教祖に爬虫類の男が首を傾げた直後。

 鮮血と汚物の混ざった臭いが充満する大広間に、誰何すいかの声が木霊こだまする。

 剣を構える者に魔法陣を浮かべる者、槍を掲げ大盾を前面に出す者。広間の入り口に現れたのは十名ほどの騎士たちだ。

 人族社会の英雄をまつる重要施設、大英雄の墳墓ふんぼ。その警固にあたる彼らは、いわば帝都を影から護る守護者。霊廟れいびょうけがす如何なる侵入者も退ける、高位冒険者にすら比肩する実力者たちである。

【人の戦士か。面白い、遊んでみるかのう──】

 そう独り言つ浅黒い男──邪竜ニーズヘッグは、入り口をふさぎ大盾を構えていた衛兵に迅雷の如く接近。

 騎士たちが状況を把握するその前に、勢いそのままかいなを一振り。紙きれを裂くかのように重厚なる騎士の鎧を斬り裂いた。

「「「ッ!?」」」

 技とは言えぬ、爪を用いた無造作な引っかき。そのなんでもない攻撃が熟達の戦士の守りをあっさり崩し、命を奪い取る。

「えっ……」「レオンッ!?」

【ハハッ、そう呆けるな。どんどん行くぞ?】

 喋る間に追加で首の一つを追加で潰した邪竜の男は、吹き上がる血を狼煙のろし代わりに蹂躙じゅうりんを開始した。

「お、おぉまえッ──!」

 同僚の血を浴びいきり立った若い男。

 大上段に剣を構え、渾身の力で振り下ろそうとして──竜の手刀ですっぱり裁断。きらりとはしったニーズヘッグの爪により、両腕と頭部を切断される。

「死、ねぇいッ!」
【カカカッ。活きがいいのう】

 憤怒ふんぬの形相で槍を突き込む白髪交じりの男。

「くッ、う゛!?」

 穂先ほさきままれじ上げられ、体勢の崩れたところに邪竜からの横蹴り一発。

 背骨が横から“く”の字となり、血反吐をぶちまけた老いたる騎士が屍山しざんの一部に加わった。

「きっさまぁッ!」「亜人如きがッ!」

 殺意をたぎらせニーズヘッグの左右から長剣を突き込む、よく似た顔の男たち。

【同時か。少しは頭を──おッ?】

「今! あわせてっ!」

 先に殺すのはどちらから──と考えたところで、足に絡む樹木に邪竜は気が付く。

 彼の注意が逸れた刹那、遅延魔術が放たれていたのである。

 見事な魔術だと笑みを刻む竜人に、双子の刃が全霊で突き込まれ──しかし、その硬さの前に砕け散る。

「「「なっッ!?」」」

 産毛うぶげすらない浅黒い肌。
 一見なめらかなるそれは、しかしやはり竜の肌。竜鱗に及ばずとも金剛石の如き硬さを誇る代物しろものだ。

 を想定していない彼らの武器で、傷つけられる道理がない。

【悪くはなかったぞ、人族どもよ──にしてはな】

 手刀、足刀、尾刀。

 邪竜の三部位が研ぎ澄まされた刃と化し、騎士たちの首を刈り、胸を裂き、胴を断つ。

 双子の青年に、彼らをしたっていた後輩の女性。死後一つとなった彼らが肉の山をうるおした。

「ひッ……うあああッ!?」

 ほんのつい先ほどまで生きていた仲間たちの、あまりに無惨な姿。それを前に思考が弾け、最後の一人となった騎士は身をひるがえして駆けていく。

 叫び声や爆発音を耳にして集まり始めた野次馬たちの間を、一目散に走り抜けようとした彼は……“歪”の権能により捻じれて潰れ、血肉と臓腑ぞうふを撒き散らす。

 竜からは逃げられない。

 その事実と力を知らしめる、単純明快なデモンストレーションである。

【さあ、供物どもよ──あまり散らかってくれるなよ?】

「えっ……」「なあぁッ!?」「いやっ、いやあああ!」

 ニーズヘッグが不敵に笑い──惨劇が幕を開けた。

◇◆◇◆

「──あー。サロメ様、本当綺麗だったなー」

「な。まあ正直、守護天使様が神々しすぎてあんまり見る余裕なかったが」

 同刻。
 暮れていく空を見上げる外部衛兵たちは、昼間に起きた出来事を思い返していた。

 日々多くの観光客や信心しんじん深い者が訪れる大英雄の墳墓ふんぼ

 ここを警備する彼らは日夜不審者がいないか警戒しているが、一般客が少なくなる夕方はどうしても気が抜けがちだ。

 彼らも精兵な事には違いないが、内勤ないきんの巡回兵と比べると能力や意欲で劣っている。それ故の雑談でもあった。

「今日も何事もなし。いやあ、平和だねえ」
「そりゃそうだろ。外には俺らがいて神様の結界も張ってあるし。内には帝都屈指の騎士に加えて、神様のゴーレムが控えてる。亜竜すら一捻りだっていうし、本当に俺たち必要なのか? っていっつも疑問に思ってるよ」
「ユウスケ様の霊廟れいびょうを荒らそうとする馬鹿の中には、ゴーレムのこと知らないやつもいるだろうし。俺たちは警備してるぞーっていうことを示す役割なのかもな──」

 等々、欠伸あくび混じりの雑談が続いていたが──。

「おおッ? 揺れたなー」「最近多いな?」「ここ一か月は地震ばっかりだよなあ」

 ──ここで強震発生。

「ギヤアアアッ!」「アアアァァァッ!?」

 そう間を置かず、おぞましい悲鳴が弛緩しかんした空気をつんざく。

「ひぃッ!?」「なな、なんだ!? 一体、どこから……?」「霊廟の方からか?」

 獣じみた叫びは断続的に響き、衛兵たちも只事ならない事態を把握。

 何事かと集まる帰り際の観光客を散らした後、彼らは墳墓へと調査に向かう。

「「「……」」」

 一見、常と変わらぬ入り口付近。

 しかし、ただよう空気は吐き気をもよおす臭気と異様な気配。

 あれほど響いていた叫び声は既に絶無ぜつむ。地を揺らす震動こそ続くが、中に残る観光客や内部を警固する騎士たちが出てくる様子がない。

「「「……ッ」」」

 生唾を飲みこむ彼らは本能的に悟る。

 この場所に留まれば死ぬ、と。

「……どうする?」
「どうもこうもねえ。まずは報告だ」
「明らかにヤバいぜ。早く伝えないと、とんでもないことになりそうだ。緊急時の狼煙のろし、使っちまうか?」

「いや……あれを使うと勘違いだった時に言い訳が利かないし。俺が直接報告に行く」
「いやいや、俺が行くって。お前足遅いじゃん」
「うっせー馬鹿! さっさと離れたいんだよ!」
「ちょっとくらい逃げる気隠せよ……」

 間抜けな衛兵たちがののしり合っている内に状況が推移し、地を揺らす者の正体があらわとなる。

「ゴル……」

 墓所の入口よりぬうと現れたるは、二階建ての家屋に等しい肉色の巨体。

 鱗を持たざるなりそこない。邪竜ニーズヘッグの眷属けんぞくである。

「んなッ!?」「嘘だろ。竜!?」

「……俺が逃げ回って気を引くから、さっさと報告してこい。ここのことは俺に任せろ」
「馬鹿野郎ッ。こんな時に狼煙使わないでいつ使うんだよ!」

 身をよじり這い出てきた邪竜たちを前に、携帯している魔道具を作動させる衛兵。

 打ちあがる赤い光魔術に目もくれない彼らは、邪竜の一挙手いっきょしゅ一投足いっとうそくに全神経を傾けるのだった。
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