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《狐野 椛》編
『謎の登山家』①
しおりを挟む『歴史的大偉業を成し遂げ、姿を消した謎の登山家。その正体は未だに判明されておらず────』
ある日の夕方。某テレビ局のドキュメンタリー番組から、こんなナレーションが聞こえてくる。私はカップに入ったコーヒーを啜りながら、就職に必要な重要書類へペンを走らせていた。
「名前、『狐野 椛』……25歳……よし、おっけー。次は……『学歴・履歴』……?」
ふとペンが止まる。……学校にすらまともに行かず、ただ好きなことばかりして生きてきた、自分勝手な私。家族の抑止すらも耳を傾けなかった、頑固な私。そうして最後に残ったのは、何もかもが中途半端な私。一体何をここに綴ればいいのか、私にはわからなかった。
ペンを置き、軽く背伸びをする。随分と長い間椅子に座っていたみたいだ。身体中からポキポキと骨の鳴る音がした。
「……ふー……」
ひとつ呼吸を置いて、天井の照明をぼーっと見つめた。私ももう25歳。この歳になっても就職先が見つかっていないようでは、この先の人生が思いやられてしまう。今まで転々とアルバイトをしてきたが、流石に収入が足りるはずもない。お母さんからの仕送りを含めて辛うじて生きていけるくらい、ギリギリの生活だ。まぁ、幼い頃より持ちあわせていた人並外れたこの体力のおかげで、バイトの疲労によって苦しむことはあまりなかったけれど、それでも、いつまでも親の脛を齧ってはいられない。この国で生きていくためには、それなりの安定した収入が必要だった。
〖世界最高峰、エベレスト。あらゆる登山家に試練を与え、そして我々人類は、幾度となくそれに挑み続けてきた。そんな全登山家の夢の舞台へ、ある日突如として、1人の登山家が現れた。
「実は、私は彼の姿を一瞬だけ見ました。黄色っぽいウェアを着ていたので直ぐに目にかかったのですが、私はそれ以来、彼の姿を見ることはありませんでした」
当時、その姿を見たことがあるという登山家チームのリーダーはこう話す。
「その日、登山を予定していたのは私のチームのみでした。私のチームに黄色いウェアの班員はいませんから、直ぐに他のチームだとわかったんです。しかしその時、彼はたった1人で歩いていた。他の班員はどこにいるか疑問に思い、声をかけようとしましたが……少し目を離した隙に、どこかへ去ってしまったのです」
そう言って目の前に出されたものは、3枚の写真だった。
「この写真は、私が山頂に着いた時に撮った写真です。結局、彼のチームの班員らしき人には誰にもすれ違うことはなかった。しかし、これを見てください。」
彼の指す1枚の写真には、手のひらサイズの小さなキツネのぬいぐるみがそこに座っていた。
「私は本当に驚きました。どうしてこんなものがあるのか、と。そして、私がさらに驚かされたのは、このキツネのお腹あたりに、小さく『My 17th Bd 20XX.5.12』という文字が書かれていたということです。なんと、これは私たちが山頂に着くより2日も早い日付でした。この時、この瞬間、私は確信しました。これを置いたのは彼であり、しかも彼はこの山を単独で登り、ここまで辿り着いたのだ、と。それもたった17歳で!間違いない、私があの時、山の麓で見かけた黄色いウェアの彼に違いありません!」
そして、彼への想いをこう続けた。
「できることならば、私は彼に1度会って、これが紛れもない事実であるということを、皆さんに証明したい。たった17歳でエベレスト単独登頂、この大偉業を、我々人類の歴史に刻まない理由は無いのですから!」
彼は一体何者なのか。果たして本当に存在しているのか。謎に包まれたその正体を探るため、番組スタッフはさらなる情報を求め、地元メディアに───〗
テレビを消した。胸の内に、何か複雑な思いが込み上げてくる。私はそれをどうにか押し戻そうと、カップに残ったコーヒーをくっと飲み干した。そして、目の前の書類に貼り付けられた自分の顔写真と睨み合う。視線の隅に映る履歴書の空白が、一段と大きく見えた。
就寝前。私は寝室の片隅に佇むクローゼットの前に立っていた。夕方のあの放送を観て、ふと懐かしい思いに駆られたのだろうか。今は、自分の気持ちがよくわからない。
ゆっくりとクローゼットの戸を開く。そこには、この身体と共に世界各地を回った、なんとも思い入れ深いような、今となっては憎たらしいような、黄色いウェアが静かに眠っていた。
「……」
そう。私だった。あの日エベレストをたった一人で登り切ったのは、私。本当は、誰にも知られず、ひそかに登るつもりだった。まさか、あの人の視界に入ってしまっていたとは……
エベレストの単独登山は、そのあまりの危険性から、法律で禁止されている。それでも、私にはどうしても登りたかった、いや、登らなければいけない理由があった。
お父さんに最も近いあの山頂で、私は────
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