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序章
犠牲
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屍人達の苦しげなうなり声が、教会の敷地全体に響く。肉の腐り落ちた歪な脚を引きずるようにして向かってくる屍人達の哀れな姿に、セレスの胸は鬱々とした悲しみに沈んだ。
彼らも、元は自分と同じように人間であったのだ。なのに、その遺体を無下に扱われ、しまいには人を食らう化け物に成り果ててしまった。
そんな彼らを葬り去ることに、セレスは常に胸を痛めていた。老成したジルベールは「屍人と化した肉体からその魂を解き放ってやることこそが救いである」と割り切っているようだが、年若く、加えてここ一年の記憶しか持たないセレスにとって、その達観はまだ遠い境地であった。
「――来ます‼︎」
老眼ゆえに夜目の利かなくなったジルベールに代わり、セレスが先頭に立って屍人達の動きを伝える。
「――浄化光線‼︎」
町に向かって墓場を突っ切っていこうとする個体、遺体を貪るために墓標の下を掘り起こそうとする個体……それら全てが、ジルベールが放つ一直線の光に呑まれて蒸発していく。
同時にセレスも、杖の石突で強く地面を突いた。その瞬間、上空がパッと明るくなり、光の粒が流星群のように屍人達に降り注ぐ。
第六階位聖属性魔法、聖流星群……聖属性魔法の使い手の中でも、千人に一人しか習得できない稀有な魔術だ。記憶は戻らずとも、屍人との戦いを繰り返す中で、セレスは少しずつ魔法の感覚を取り戻していっていた。
記憶を失う前のセレスは、もしかしたらそれなりに名の知れた司祭だったのかも知れない。大司教のジルベールとも、王都で顔を合わせたことがあるかも知れない――そう思って尋ねてみたが、全く心当たりがないと返されてしまった。
そもそもジルベールが王都を退いたのは十年も前であるため、セレスとは時期が被っていないのだろう。
自分は一体何者なのか。どうして記憶を失ったのか。何一つ分からないまま、ひたすら戦う日々。それでもセレスの心が折れないのは、ひとえにその戦いによって守られる人がいるからだ。
(ここは、絶対に通させない。教会の子供達も、町の人々も、誰一人傷つけさせるものか)
「――北西側、さらに来ます‼︎」
セレスは声を張り上げ、光の弾を叩き込んで屍人を浄化していく。守るのは生きた人間だけではない。死者達が静かに眠るこの安らぎの場所を守ること、遺族達の思いもまた、自分たち司祭が守るべきものなのだと、セレスは強く己に言い聞かせた。
腐った肉の臭い、飢えた死人達の呻き声、魔術を放つ度に響く断末魔。それでも、セレスは手を止めなかった。手を止めるわけにはいかなかった。
――そんな鬱々とした戦いの時間が、どれほど続いたときだっただろうか。
それは、あまりにも唐突な出来事だった。
「――ジッ、ジルベール様、セレス様ッ……‼︎」
張り詰めた空気を切り裂いた、幼い少年の悲痛な叫び声。その瞬間、セレスとジルベール、二人の顔から血の気が失せた。襲撃の夜は危ないから、寝室に鍵をかけて絶対に出てきてはならないと、そう言い含めていたはずなのに。
教会の裏口から出てきたのは、最年長の少年、リシューだった。
「リシュー、何をしているんです‼︎ 出てきてはいけないと言ったはずでしょう‼︎」
ジルベールが切羽詰まった声で中に戻りなさいとたしなめるのに、リシューは戻るどころか、目に涙をためてジルベールの元に駆け寄り、縋り付く。
「ミリアがっ……ミリアが高熱なんです、すごく苦しそうで、僕、どうしたらいいか分からなくてっ」
屍人への恐怖より、年下の子を想う優しさが彼を突き動かしたのだろう。だが、飢えた死者たちがその幼く新鮮な血肉の匂いを見逃すはずがなかった。屍人たちが一斉に、ギチギチと首を回し、少年へと狙いを定める。
「リシューッ‼︎」
その瞬間、セレスの頭の中が真っ白になって、その視界から色が消えた。
時の流れが引き伸ばされたような感覚の中、屍人達の尖らせた爪の先が、むき出した牙が、リシューに迫った――その時だった。ジルベールが、リシューを庇うように胸に抱きくるんだのは。
刹那、ジルベールの司祭服の背中側が引き裂かれ、生きた人間の熱い鮮血が墓場の乾いた地面を真っ赤に染め上げる。
「――ジルベール様‼︎」
気が遠のくような感覚。二人の元に駆け寄ろうとするセレス、しかしその脚に、新手の屍人達が群がり、服の上から噛みつこうとして牙をむいてくる。
今この場を放棄して二人の元に向かえば、屍人たちの群れが一斉に町の方に流れ込むのは間違いなかった。
肉を食いちぎられ、骨に達するほど深くまで牙を突き立てられたであろうジルベールの絶叫が背後で木霊する。
セレスの心臓が早鐘を打ち、全身が凍り付くかのような寒気に支配される。
「――セレスッ、絶対に、手をッ……止めては、いけません‼︎」
「し、しかしっ……」
「今、今手を止めたら、村がっ……子供たちが……‼︎」
「うわあぁぁぁぁぁあッ‼︎」
屍人に襲われているというのに、それでも尚気高く、他者の命を案ずるジルベールのしわがれた声が、墓場に響く。そして、リシューの喉が裂けんばかりの絶叫……。
生き地獄とは、まさにこのような状況を指すのだろう。
「あぁッ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!!!!」
セレスは、半ば発狂したように叫び、滅茶苦茶に魔法を放ち続けた。溢れる涙で視界が歪み、呼吸もまともに出来ない。
やがて、ジルベールの声が、リシューの声が消えた。
永遠とも思える長い長い夜が明け……空が白み始めると、光を嫌う屍人たちが逃げるように山へと帰っていって。凄惨な戦場の跡には、生気を失い、魂が抜けたように立ち尽くす一人の青年だけが残されていた。
ゆらり、とセレスが振り返る。淡い朝日に照らされていく墓地、そこには――散々に食い荒らされ、骨を覗かせたジルベールの亡骸と、彼に抱かれたまま息絶えた幼いリシューの姿があった。
(ジルベール様、リシュー……)
セレスはがっくりとその場に膝をつくと、立ち上がることすら出来ずに呆然と二人を見つめた。そのまま、どれほどの時が経っただろうか。
「……セレスさま、ジルベールさま、リシューは……?」
やがて、中々戻ってこない大人達とリシューを心配に思ったのか、恐る恐るといった様子で教会の裏口の扉がゆっくりと開かれ、その影から子供達が不安そうに顔を覗かせた。
その瞬間、セレスはいつもの穏やかで落ち着いた優しい彼からは想像も出来ないような剣幕で、喉が裂けんばかりの声を上げた。
「――見ては駄目ですッ‼︎ 戻りなさいッ‼︎」
子供達は一瞬ぎょっとして、悲鳴のような吐息を漏らすと、セレスのただ事ではない雰囲気に慌てて顔を引っ込め扉を閉める。
セレスは、動揺を抑えきれず、自分よりもずっと繊細で多感な子供達に当たってしまった自己嫌悪と、二人を守れず死なせてしまったという圧倒的な無力感に、ただ力無く頭をたれることしかできなかった。
自分にもっと力があれば、とっさの判断力があれば。ジルベールもリシューも死なせずに済んだのだろうか。拭い去れない後悔が、絶望が、セレスの心を深く蝕んでいった。
彼らも、元は自分と同じように人間であったのだ。なのに、その遺体を無下に扱われ、しまいには人を食らう化け物に成り果ててしまった。
そんな彼らを葬り去ることに、セレスは常に胸を痛めていた。老成したジルベールは「屍人と化した肉体からその魂を解き放ってやることこそが救いである」と割り切っているようだが、年若く、加えてここ一年の記憶しか持たないセレスにとって、その達観はまだ遠い境地であった。
「――来ます‼︎」
老眼ゆえに夜目の利かなくなったジルベールに代わり、セレスが先頭に立って屍人達の動きを伝える。
「――浄化光線‼︎」
町に向かって墓場を突っ切っていこうとする個体、遺体を貪るために墓標の下を掘り起こそうとする個体……それら全てが、ジルベールが放つ一直線の光に呑まれて蒸発していく。
同時にセレスも、杖の石突で強く地面を突いた。その瞬間、上空がパッと明るくなり、光の粒が流星群のように屍人達に降り注ぐ。
第六階位聖属性魔法、聖流星群……聖属性魔法の使い手の中でも、千人に一人しか習得できない稀有な魔術だ。記憶は戻らずとも、屍人との戦いを繰り返す中で、セレスは少しずつ魔法の感覚を取り戻していっていた。
記憶を失う前のセレスは、もしかしたらそれなりに名の知れた司祭だったのかも知れない。大司教のジルベールとも、王都で顔を合わせたことがあるかも知れない――そう思って尋ねてみたが、全く心当たりがないと返されてしまった。
そもそもジルベールが王都を退いたのは十年も前であるため、セレスとは時期が被っていないのだろう。
自分は一体何者なのか。どうして記憶を失ったのか。何一つ分からないまま、ひたすら戦う日々。それでもセレスの心が折れないのは、ひとえにその戦いによって守られる人がいるからだ。
(ここは、絶対に通させない。教会の子供達も、町の人々も、誰一人傷つけさせるものか)
「――北西側、さらに来ます‼︎」
セレスは声を張り上げ、光の弾を叩き込んで屍人を浄化していく。守るのは生きた人間だけではない。死者達が静かに眠るこの安らぎの場所を守ること、遺族達の思いもまた、自分たち司祭が守るべきものなのだと、セレスは強く己に言い聞かせた。
腐った肉の臭い、飢えた死人達の呻き声、魔術を放つ度に響く断末魔。それでも、セレスは手を止めなかった。手を止めるわけにはいかなかった。
――そんな鬱々とした戦いの時間が、どれほど続いたときだっただろうか。
それは、あまりにも唐突な出来事だった。
「――ジッ、ジルベール様、セレス様ッ……‼︎」
張り詰めた空気を切り裂いた、幼い少年の悲痛な叫び声。その瞬間、セレスとジルベール、二人の顔から血の気が失せた。襲撃の夜は危ないから、寝室に鍵をかけて絶対に出てきてはならないと、そう言い含めていたはずなのに。
教会の裏口から出てきたのは、最年長の少年、リシューだった。
「リシュー、何をしているんです‼︎ 出てきてはいけないと言ったはずでしょう‼︎」
ジルベールが切羽詰まった声で中に戻りなさいとたしなめるのに、リシューは戻るどころか、目に涙をためてジルベールの元に駆け寄り、縋り付く。
「ミリアがっ……ミリアが高熱なんです、すごく苦しそうで、僕、どうしたらいいか分からなくてっ」
屍人への恐怖より、年下の子を想う優しさが彼を突き動かしたのだろう。だが、飢えた死者たちがその幼く新鮮な血肉の匂いを見逃すはずがなかった。屍人たちが一斉に、ギチギチと首を回し、少年へと狙いを定める。
「リシューッ‼︎」
その瞬間、セレスの頭の中が真っ白になって、その視界から色が消えた。
時の流れが引き伸ばされたような感覚の中、屍人達の尖らせた爪の先が、むき出した牙が、リシューに迫った――その時だった。ジルベールが、リシューを庇うように胸に抱きくるんだのは。
刹那、ジルベールの司祭服の背中側が引き裂かれ、生きた人間の熱い鮮血が墓場の乾いた地面を真っ赤に染め上げる。
「――ジルベール様‼︎」
気が遠のくような感覚。二人の元に駆け寄ろうとするセレス、しかしその脚に、新手の屍人達が群がり、服の上から噛みつこうとして牙をむいてくる。
今この場を放棄して二人の元に向かえば、屍人たちの群れが一斉に町の方に流れ込むのは間違いなかった。
肉を食いちぎられ、骨に達するほど深くまで牙を突き立てられたであろうジルベールの絶叫が背後で木霊する。
セレスの心臓が早鐘を打ち、全身が凍り付くかのような寒気に支配される。
「――セレスッ、絶対に、手をッ……止めては、いけません‼︎」
「し、しかしっ……」
「今、今手を止めたら、村がっ……子供たちが……‼︎」
「うわあぁぁぁぁぁあッ‼︎」
屍人に襲われているというのに、それでも尚気高く、他者の命を案ずるジルベールのしわがれた声が、墓場に響く。そして、リシューの喉が裂けんばかりの絶叫……。
生き地獄とは、まさにこのような状況を指すのだろう。
「あぁッ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!!!!」
セレスは、半ば発狂したように叫び、滅茶苦茶に魔法を放ち続けた。溢れる涙で視界が歪み、呼吸もまともに出来ない。
やがて、ジルベールの声が、リシューの声が消えた。
永遠とも思える長い長い夜が明け……空が白み始めると、光を嫌う屍人たちが逃げるように山へと帰っていって。凄惨な戦場の跡には、生気を失い、魂が抜けたように立ち尽くす一人の青年だけが残されていた。
ゆらり、とセレスが振り返る。淡い朝日に照らされていく墓地、そこには――散々に食い荒らされ、骨を覗かせたジルベールの亡骸と、彼に抱かれたまま息絶えた幼いリシューの姿があった。
(ジルベール様、リシュー……)
セレスはがっくりとその場に膝をつくと、立ち上がることすら出来ずに呆然と二人を見つめた。そのまま、どれほどの時が経っただろうか。
「……セレスさま、ジルベールさま、リシューは……?」
やがて、中々戻ってこない大人達とリシューを心配に思ったのか、恐る恐るといった様子で教会の裏口の扉がゆっくりと開かれ、その影から子供達が不安そうに顔を覗かせた。
その瞬間、セレスはいつもの穏やかで落ち着いた優しい彼からは想像も出来ないような剣幕で、喉が裂けんばかりの声を上げた。
「――見ては駄目ですッ‼︎ 戻りなさいッ‼︎」
子供達は一瞬ぎょっとして、悲鳴のような吐息を漏らすと、セレスのただ事ではない雰囲気に慌てて顔を引っ込め扉を閉める。
セレスは、動揺を抑えきれず、自分よりもずっと繊細で多感な子供達に当たってしまった自己嫌悪と、二人を守れず死なせてしまったという圧倒的な無力感に、ただ力無く頭をたれることしかできなかった。
自分にもっと力があれば、とっさの判断力があれば。ジルベールもリシューも死なせずに済んだのだろうか。拭い去れない後悔が、絶望が、セレスの心を深く蝕んでいった。
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