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第三章 溢れる想い、深まる苦悩

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 聖堂に入ると、幸いなことに、他に人の姿はなかった。

 二人は祭壇からもっとも遠い席に並んで座った。
 
「誰にも気取られずに来られまして?」
「ああ、そんなヘマはしやしない」

 天音の口調はもうすっかりくだけている。
 桜子が望んだとおりに。

 天音はそっと桜子の手を取り、大きく温かい手で優しく包み込んだ。

「ねえ、天音。『ロメオとジュリエット』というお芝居は御存じ?」
「ああ、知っているよ。英国のシェイクスピアが書いた悲恋ものだろう?」

「二学期にクラスでそのお芝居をすることになったの」
「へえ、桜子は何を演じるんだい? ジュリエットか?」
「わかりません。まだ配役は決まっておりませんから」

 天音は少し声を曇らせた。

「ジュリエットだと困るな」
「どうして?」
「美しく着飾った桜子を見られないのはつらいし、他の誰にも見せたくない」

 あの日も、天音はそう言っていた。
 侯爵様の舞踏会のために着たドレスを他人に見せたくないと。
 
 天音が、それほどの、あからさまな独占欲を示してくれることが、桜子には言いようもなく嬉しい。

「天音はどの場面がお好き?」

「そうだな、ふたりが出会うところ……仮面舞踏会の場面かな」
「わたくしはふたりが行動的なところが好き。こんな教会でしたわね。ふたりきりで結婚式を挙げるのは」

「ああ、そうだな。でもその後はすれ違って、結局、最後は心中だけどな」
 
 心中……

 わたくしたちふたりが添うにも、やはりそれしか道はないのだろうか……

 とたんに暗く沈む桜子の心を察したのか、天音は手に力を込めた。

「心配しなくてもいい。桜子にそんな憂き目は見せない」
「天音……」

「来年には、おそらく徴兵の知らせが届くはずだ。だが俺は兵士になる気はない。その前に英国に行って、何か仕事を始めようと思う。そうすれば、身に着けた英語も役にたつしね」
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