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本編
残っていた蕾
しおりを挟むあの後。
泣きじゃくる私が落ち着くまで、ぎゅうっと抱き締めてくれていたフェリクス様は、そのまま私を王太子宮の中へとお姫様抱っこで運んでくれた。
客室へ入り、私を慎重にソファーへ降ろすと、その隣に座って、私の頭を優しく撫でてくれる。
「……取り乱してしまって、申し訳ありません」
フェリクス様の上着は、私から溢れた沢山の涙で、胸の辺りや肩口辺りが濡れてしまっていた。
あんなに泣いてしまうなんて。
今更ながら恥ずかしくなり、顔を赤くしながら俯いてしまう。
フェリクス様の撫でてくれる手が気持ちいい。
「謝らないでくれ。私の方こそ、すまない」
フェリクス様の謝罪を聞くのは、これで何度目だろう?
私はふるふると左右に首を振る。
「フェリクス様こそ、もう謝らないで下さい。……魅了の魔法の事はどうしようもなかったと、理解、しております。だから」
「マリアンヌ」
フェリクス様に名前を呼ばれて、私の身体がビクリと揺れる。
「無理しなくていい。……無理に私を、許そうとしなくていいんだ。君は優しすぎるよ」
「ちがっ、違います!優しいとかじゃないんです。全然、そんなんじゃなくて……」
「私は、私が許せない。それなのに、君を傷付けておきながら、私は今でも……君の隣を欲している」
――――え?
俯いていた私は耳にした言葉が信じられなくて、驚きのあまりに、一瞬、息をする事を忘れてしまっていた。
フェリクス様は、今、なんて言ったの?
「……フェリクス様……?」
私が思わず顔を上げて瞳を瞬かせると、フェリクス様は苦し気な表情で、その青い瞳にはどうしようも出来ない熱が籠っていた。
「浅ましくも愚かな男だと呆れてくれていい。……未だに君を諦められないんだ」
未だにって……
その言葉で、散々泣いたつい今し方も思い出したばかりの、婚約破棄前の日々。
あの頃のフェリクス様が、再び私の脳裏へ鮮明に蘇る。
「一度は魔法で捻じ曲げられてしまったこの想いを、君は信じられないかもしれない。だけど、君がさっき私に言ってくれた。“離さないで”、と。」
「そっ……それは、せめて今だけはと思っ……!わ、忘れて下さい!私の戯れ言など、どうか……!」
「忘れられないよ。もう、私の全てに刻まれてしまった。……聞いて欲しい、マリアンヌ。私の想いも、全部」
「フェリクス、さま……」
フェリクス様に腰を抱かれて、引き寄せられて、私の心臓が早鐘のように煩くなり、この激しい鼓動が彼に聞こえてしまうのではないかと思った。
幼い頃は政略結婚の為の、ただの婚約者だと思っていた。
けれど、優しい彼に惹かれて。
私の中で新しい気持ちが芽生えた。
成長と共に、その小さな芽はぐんぐん伸びて、いつしか私の中で大きく大きく育っていった。
きっとその育った芽が“恋”だったのだろう。蕾となり、花開く前に手折られてしまったけれど。
まだ小さな蕾が、残っていた。
「マリアンヌ。私は、君を……幼い頃から、ずっとずっと君だけを――――」
――――コンコン。
扉をノックする音が聞こえてきた。
私がさっきよりもビクリと激しく身体を揺らすと、フェリクス様は私を一度だけ強く抱き締めながら、苦々しげな顔をする。
「殿下、申し訳ありません」
扉の向こうから聞こえてきたのは、王太子宮の執事長の声。
「いや。……時間か?」
「はい、公務のお時間です」
「分かった。すぐに行く」
執事長に返事をしてから、フェリクス様は私をじっと見つめて、愛おしげに頬を撫でた。
「すまない、マリアンヌ。公務から戻ってきたら、続きを言わせて欲しい」
「は、はい……!お待ちしております。その、お務め、頑張って下さいませ」
「ありがとう。……なるべく、早く戻るよ。昼食は部屋に運ばせる。何かあれば、遠慮なくミシェル達を頼るように」
「はい。ありがとう存じ……」
私が言い切る前に、額に何か柔らかいものが掠める。
「行ってくる」
「……い、行ってらっしゃいませ」
扉に向かうフェリクス様の後ろ姿を見送っていると、彼の耳がほんのりと赤く色付いている事に気付いた。
そうして客室の扉が開き、フェリクス様がその向こうへと消えて扉が閉まると、私の身体は一気に真っ赤に茹だってしまう。
今、額にキスをされた?
婚約破棄される前にも、たまにされる事はあったけれど。
掠めただけなのに。
それに、フェリクス様が私を諦められないと言った。あの言葉の真意。
まさか、彼は私の事を……?
気持ちが落ち着かなくて、久しく感じていなかった幸福感が、私の胸の内を満たしていく。
けれど、それと同時に、どうしようもない不安が押し寄せてきた。
一度は失ってしまったのだ。
それに、私の勘違いという可能性もある。
仮に、本当に仮に、彼が私へ想いを寄せてくれていたとして。
私は既に穢れてしまっている。
こんな私が、彼の隣に居てはいけない。だからこそ、今だけは傍に居たいと願ってしまったのだけど。
出来れば、彼の傍に居たい。
けれど、私はもう、彼の隣に相応しくない。
(……彼が助けに来てくれて、保護してくれて、優しくしてくれたからって自惚れちゃ駄目。)
確かに、さっきの彼の言葉は告白のように聞こえたけれど。
(期待しては駄目。むしろ期待すること自体、今の私では恐れ多い)
彼はこの国の王太子で
私はもう、ただの平民。
平民……なのよね?
そこだけ何だかハッキリしないけれど。
保護してもらっている間に体力をつけて、元気になったら出ていかなくちゃ。
……でも、せっかく元気になれても、外に出たら一人きり。すぐに野垂れ死んでしまうかもしれない。
“生きる”なら、少し考えなければ。
手を伸ばしてはいけない。
私は、“穢れた身”なのだから。
この胸に残る蕾は、花開いてはいけない。
あれだけ泣いたのに、また一滴、頬を伝った。
ほんの少しだけ、穢れる前の私だったらと考えそうになり、私はすぐに考える事を止めた。
有り得ない『もしも』を考えるなんて虚しいだけだと、身に染みてよく分かっていたからだ。
私は侍女であるミシェルが運んできてくれた温かな昼食をいただいた後、ぼうっと窓の外を眺めながら、期待しないようにと自身に言い聞かせ、フェリクス様が戻ってくるのを待った。
* * *
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