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第五章の-二
魔女と悪魔と普通の少女と
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『彼』は、ひどく上機嫌な心持ちで時を過ごしていた。
あの日見つけた子供は何事も無く成長し、自分が目の前に現れたことにすぐに気がついた。
それだけでも、今まで待った甲斐があるというものだ。
誰にも気取られぬように、低く笑みを漏らす。
昔つけた『契約』の痕も、出会った頃の輝きも、無事に汚れること無く成長しており、もはや時間が来れば自分のものとなるだけだ。
だが……。
あれは、いったい何だったのか。
『彼』が見つけた時、とっさに守るように張られた力。
自分の力を半減させ、なおかつそれをはね除けようとした、この世界では滅多に見られない大きな力。
ただの人間が造ったにしては少々厄介だが、『彼』の力の前ではそれは余り問題にならないものだろう。
そう考え、『彼』は空席となっている机に視線をちらりと向ける。
今はまだ何も知らない。
だからこそ、知った時の絶望はどれほど深いのだろう。
その時浮かべる表所は、きっと自分を魅了してやまないものとなるだろう。
『彼』が生きてきた中で、それは今までに無い極上の代物となるであろう感情。
考えるだけで、顔がにやけてしまいそうになる。
それを必死に押しとどめる『彼』は、自分の力をはね除けた存在のことを、綺麗に頭の中から消していた。
その結果が、『彼』にとって思いもかけないことになるとは、その時はまだ知らずに。
目を覚ました途端に入ってきたのは、自分の顔をのぞき込む後輩の顔だった。
寝ぼけた頭で、いったい何故彼女がここに居るのか考え込み、そして堂々と『サボり』と言い切ったことを思い出して、自分がどのような状態に陥っていたかを再度確認した。
ふと気になって壁に掛かっている時計を見やれば、すでに下校時間に近い時間を針は示している。
「ふえ?」
「よく寝てましたよ」
驚きの余り声を上げてしまえば、そんな雫に対してずっと側に居たのであろう優誠が、片手に持っている本を畳みながら態とらしい溜息とともにそう告げる。そして、眠っている間に側に寄せたらしい丸椅子の上に、手にしていた文庫本を積み上げた。
その仕草を視線で追ってしまい、雫は軽く目を見張る。
そこには、本当にその量を読んでしまったのか、と問いたくなるほど-もはや山と言っても過言では無い-置かれた本の冊数は多かった。加えて、文庫からハードカバーと種類も多いだけではなく、ジャンルも無秩序と言いたくなるほど様々なものがあり、英語などの横文字系も積まれている。
「えーっと」
思わず突っ込んでしまいそうになるが、それを言ってしまえばお終いになりそうに感じて、雫は出かかった言葉を飲み込んだ。
小首を傾げて不思議そうに雫を見た優誠だが、不意に難しい顔で雫の瞳に視線を合わせる。
余りにも真剣な光に、雫は気圧されつつも何とか声を出した。
「な、なに?」
「いえね。このまま正直に家に戻しても大丈夫か、なんて考えてしまいまして」
「へ?」
素っ頓狂な雫の声に優誠は肩をすくめ、雫の心臓に人差し指を向けた。
小首をかしげてしまった雫に、優誠は噛んで含めるような口調で話しかける。
「分かってます?狙われてんの」
言われて、何度か雫は瞬きを繰り返す。
その様子に頭を抱えると優誠は大きな溜息を吐き出して、どこか可哀想なものを見る視線で雫を見やった。
思い切り馬鹿にされたように感じたが、それをぐっと我慢して雫は優誠の言葉の続きを待つ。
「言いましたよねー、呪いがかかってるって」
「それは、覚えてるけど」
「覚えてても、実感は持ってなかったでしょう」
ぐっと言葉に詰まった雫を見て、優誠は溜息を再度こぼした。
それがクセなのだろうか。乱雑に前髪をかき回しながら、優誠は説明するような口調で語り始める。
「さっき渡したそれ、一応魔除けなんですよ。っつっても、いつも高坂先輩が見てるような低級を近寄らせないだけじゃ無くて、呪いをかけた本人からの直接接触も撥ね除けるように造ってたんですけど、それが見事に砕かれてるんです」
「……えっと、つまり?」
「あーもー、家に返しても平気かなー、このまま」
訳の分からない言葉の数々に、盛大な疑問符を頭に飛ばした雫にかまうこと無く、優誠はうーんと頭を抱え込み、やがて嫌々な顔付きで自分の頭上を見上げた。
それでもしばらくの間沈黙を貫いていたが、やがて諦めたように肩を落として急に声を上げる。
「おい、聞いてんだろ」
『えぇ、もちろん』
『おまえの阿保っぷりが、よーく分かったがな』
二人しか居ない空間に突如響いた二つの声。それは充分すぎるほど、雫の身体を大仰に跳ね上げさせた。
一つは、柔らかく丁寧なのだが、悪戯っぽさを多分に表に出しているであろう、若々しい青年の声色。
もう一つは、男でもあり、女のようでもあり、年老いたような、子供のような、本当に不思議な声音。
慌てて辺りを見回すが、気配一つも感じられない声の持ち主達に、優誠は苦々しげに口元を歪めて言葉を綴る。
「とりあえず、おまえらがいれば問題は無いだろしなー。
ってか、問題起こしたらぶっ飛ばす」
『相変わらず、乱暴じゃな』
「うっせっ」
『もしも相手が手を出したらどうします?』
「潰せ」
優誠がそう簡潔に言い切った途端、同時に二つの溜息が空気を震わせた。
それを完全に聞き流し、優誠は文句でもあるのかと言わんばかりの表情で天井を見上げる。
同じように雫も視線を向けるが、そこには清潔感を表す真っ白な天井しか無い。
何かが居るらしいが、いつものような悪意も感じらる事も無かったため、雫はただただ事の成り行きを見守る。
『あなたらしいと言うか、あなただからと言うべきか』
嘆息した青年の声に、優誠の口端がぴくぴくと動きだした。
そんな姿を見てなのか、今度は深く長い二人の溜息が室内に満ちた。
瞬間、優誠の顔に一瞬怒りがあふれるが、次には爽やかだが青筋を浮かべた笑顔を浮かべる。いつにもましてどす黒いオーラをまき散らすその姿に、雫はベッドの上で少しずつ距離をとりながら、いつでもその場から逃げ出せるように足を縁にかける。
普段ならばそんな些細な仕草も見逃さぬ優誠だが、今はそれどころでは無いのだろう。殺意を隠すこともなく、優誠は笑顔で空中に問いかけた。
「んで、言い残すことはそれだけか?」
『言い残すも何も……もしあなたが我々をどこかにやった場合、あなたの言ったことが実行されませんが、いいのですか?』
にこやかな声で言い放たれたそれに、ぷちん、と、雫の耳に何かが切れる音が聞こえた。
フッと、優誠の唇が弧を描く。
と、突然空に向かって中指を突き立て、優誠は室内いっぱいに広がる怒声をあげた。
「ざっけろ!てめぇ」
『巫山戯ているつもりは無いんですがねぇ』
むしろ、本気で言っているんですが、とやれやれといった口調が付け加えられ、ぶるぶると優誠の身体が震える。
一色触発状態の空気に耐えかね、雫はそれを打ち切るために、なんとかかんとか後輩へと疑問を投げつけた。
「あの、誰と話してるの?」
もっともな疑問は、今まで怖くて聞けなかったことだ。
そんな雫の声に、ようやく存在に気がついたというか、今の今まで雫が居たことすら忘れていたのだろう。優誠の視線が雫へと向けられ、やべ、と小さな声が漏れた。
そこまで存在が希薄になっていたのか、と、嫌みを述べたいのをこらえつつ、雫にしては珍しく唇をへの字に曲げ、優誠に対して不満を表していますと顔に書き、先を促すように眼を細める。
どう説明しようかと口を開閉させ、優誠はなるべくならば避けたいのだと言いたげに眉尻を下げる。だが、それを許さぬように彼等は雫へと声をかけてきた。
『今は姿を見せることが出来ませんが、一応名だけ告げておきますね。
私は、エイド、と申します』
『儂は、サライじゃ』
「あ、はじめまして」
『いえいえ。うちの主が、ご迷惑をかけて申し訳ありません』
主、とはっきりとした言葉に、雫は僅かに首を傾げた。
主従関係にあるのは一連の流れで分かっているが、どうにも主従と言うには会話が対等でしか無い。もっとも、優誠の場合は先輩後輩という概念も無いのだから、こういう関係があるのは当たり前なのかもしれないが。
それにしても、である。
そっと優誠の顔を盗み見た雫だけに聞こえるように、エイドがくすりと笑いを漏らす。
むすりとした顔付きで窓の外へと視線を向けていた優誠だが、態とらしい咳払いでその場の空気を変えた。
「とにかく、こいつらが先輩の護衛をしますので、後は煮るなり焼くなり好きにしてください」
『おい』
優誠のぶっきらぼうな言葉にサライの突っ込みが入るが、それを華麗にスルーして雫へと優誠は言葉をつなげた。
「まぁ、こいつらの実力は保証しますんで、安心してください」
「はぁ」
自分でも気のない返事だと思いながらも、雫はその言葉にうなずきを返し、小さな息を吐き出した。
あの日見つけた子供は何事も無く成長し、自分が目の前に現れたことにすぐに気がついた。
それだけでも、今まで待った甲斐があるというものだ。
誰にも気取られぬように、低く笑みを漏らす。
昔つけた『契約』の痕も、出会った頃の輝きも、無事に汚れること無く成長しており、もはや時間が来れば自分のものとなるだけだ。
だが……。
あれは、いったい何だったのか。
『彼』が見つけた時、とっさに守るように張られた力。
自分の力を半減させ、なおかつそれをはね除けようとした、この世界では滅多に見られない大きな力。
ただの人間が造ったにしては少々厄介だが、『彼』の力の前ではそれは余り問題にならないものだろう。
そう考え、『彼』は空席となっている机に視線をちらりと向ける。
今はまだ何も知らない。
だからこそ、知った時の絶望はどれほど深いのだろう。
その時浮かべる表所は、きっと自分を魅了してやまないものとなるだろう。
『彼』が生きてきた中で、それは今までに無い極上の代物となるであろう感情。
考えるだけで、顔がにやけてしまいそうになる。
それを必死に押しとどめる『彼』は、自分の力をはね除けた存在のことを、綺麗に頭の中から消していた。
その結果が、『彼』にとって思いもかけないことになるとは、その時はまだ知らずに。
目を覚ました途端に入ってきたのは、自分の顔をのぞき込む後輩の顔だった。
寝ぼけた頭で、いったい何故彼女がここに居るのか考え込み、そして堂々と『サボり』と言い切ったことを思い出して、自分がどのような状態に陥っていたかを再度確認した。
ふと気になって壁に掛かっている時計を見やれば、すでに下校時間に近い時間を針は示している。
「ふえ?」
「よく寝てましたよ」
驚きの余り声を上げてしまえば、そんな雫に対してずっと側に居たのであろう優誠が、片手に持っている本を畳みながら態とらしい溜息とともにそう告げる。そして、眠っている間に側に寄せたらしい丸椅子の上に、手にしていた文庫本を積み上げた。
その仕草を視線で追ってしまい、雫は軽く目を見張る。
そこには、本当にその量を読んでしまったのか、と問いたくなるほど-もはや山と言っても過言では無い-置かれた本の冊数は多かった。加えて、文庫からハードカバーと種類も多いだけではなく、ジャンルも無秩序と言いたくなるほど様々なものがあり、英語などの横文字系も積まれている。
「えーっと」
思わず突っ込んでしまいそうになるが、それを言ってしまえばお終いになりそうに感じて、雫は出かかった言葉を飲み込んだ。
小首を傾げて不思議そうに雫を見た優誠だが、不意に難しい顔で雫の瞳に視線を合わせる。
余りにも真剣な光に、雫は気圧されつつも何とか声を出した。
「な、なに?」
「いえね。このまま正直に家に戻しても大丈夫か、なんて考えてしまいまして」
「へ?」
素っ頓狂な雫の声に優誠は肩をすくめ、雫の心臓に人差し指を向けた。
小首をかしげてしまった雫に、優誠は噛んで含めるような口調で話しかける。
「分かってます?狙われてんの」
言われて、何度か雫は瞬きを繰り返す。
その様子に頭を抱えると優誠は大きな溜息を吐き出して、どこか可哀想なものを見る視線で雫を見やった。
思い切り馬鹿にされたように感じたが、それをぐっと我慢して雫は優誠の言葉の続きを待つ。
「言いましたよねー、呪いがかかってるって」
「それは、覚えてるけど」
「覚えてても、実感は持ってなかったでしょう」
ぐっと言葉に詰まった雫を見て、優誠は溜息を再度こぼした。
それがクセなのだろうか。乱雑に前髪をかき回しながら、優誠は説明するような口調で語り始める。
「さっき渡したそれ、一応魔除けなんですよ。っつっても、いつも高坂先輩が見てるような低級を近寄らせないだけじゃ無くて、呪いをかけた本人からの直接接触も撥ね除けるように造ってたんですけど、それが見事に砕かれてるんです」
「……えっと、つまり?」
「あーもー、家に返しても平気かなー、このまま」
訳の分からない言葉の数々に、盛大な疑問符を頭に飛ばした雫にかまうこと無く、優誠はうーんと頭を抱え込み、やがて嫌々な顔付きで自分の頭上を見上げた。
それでもしばらくの間沈黙を貫いていたが、やがて諦めたように肩を落として急に声を上げる。
「おい、聞いてんだろ」
『えぇ、もちろん』
『おまえの阿保っぷりが、よーく分かったがな』
二人しか居ない空間に突如響いた二つの声。それは充分すぎるほど、雫の身体を大仰に跳ね上げさせた。
一つは、柔らかく丁寧なのだが、悪戯っぽさを多分に表に出しているであろう、若々しい青年の声色。
もう一つは、男でもあり、女のようでもあり、年老いたような、子供のような、本当に不思議な声音。
慌てて辺りを見回すが、気配一つも感じられない声の持ち主達に、優誠は苦々しげに口元を歪めて言葉を綴る。
「とりあえず、おまえらがいれば問題は無いだろしなー。
ってか、問題起こしたらぶっ飛ばす」
『相変わらず、乱暴じゃな』
「うっせっ」
『もしも相手が手を出したらどうします?』
「潰せ」
優誠がそう簡潔に言い切った途端、同時に二つの溜息が空気を震わせた。
それを完全に聞き流し、優誠は文句でもあるのかと言わんばかりの表情で天井を見上げる。
同じように雫も視線を向けるが、そこには清潔感を表す真っ白な天井しか無い。
何かが居るらしいが、いつものような悪意も感じらる事も無かったため、雫はただただ事の成り行きを見守る。
『あなたらしいと言うか、あなただからと言うべきか』
嘆息した青年の声に、優誠の口端がぴくぴくと動きだした。
そんな姿を見てなのか、今度は深く長い二人の溜息が室内に満ちた。
瞬間、優誠の顔に一瞬怒りがあふれるが、次には爽やかだが青筋を浮かべた笑顔を浮かべる。いつにもましてどす黒いオーラをまき散らすその姿に、雫はベッドの上で少しずつ距離をとりながら、いつでもその場から逃げ出せるように足を縁にかける。
普段ならばそんな些細な仕草も見逃さぬ優誠だが、今はそれどころでは無いのだろう。殺意を隠すこともなく、優誠は笑顔で空中に問いかけた。
「んで、言い残すことはそれだけか?」
『言い残すも何も……もしあなたが我々をどこかにやった場合、あなたの言ったことが実行されませんが、いいのですか?』
にこやかな声で言い放たれたそれに、ぷちん、と、雫の耳に何かが切れる音が聞こえた。
フッと、優誠の唇が弧を描く。
と、突然空に向かって中指を突き立て、優誠は室内いっぱいに広がる怒声をあげた。
「ざっけろ!てめぇ」
『巫山戯ているつもりは無いんですがねぇ』
むしろ、本気で言っているんですが、とやれやれといった口調が付け加えられ、ぶるぶると優誠の身体が震える。
一色触発状態の空気に耐えかね、雫はそれを打ち切るために、なんとかかんとか後輩へと疑問を投げつけた。
「あの、誰と話してるの?」
もっともな疑問は、今まで怖くて聞けなかったことだ。
そんな雫の声に、ようやく存在に気がついたというか、今の今まで雫が居たことすら忘れていたのだろう。優誠の視線が雫へと向けられ、やべ、と小さな声が漏れた。
そこまで存在が希薄になっていたのか、と、嫌みを述べたいのをこらえつつ、雫にしては珍しく唇をへの字に曲げ、優誠に対して不満を表していますと顔に書き、先を促すように眼を細める。
どう説明しようかと口を開閉させ、優誠はなるべくならば避けたいのだと言いたげに眉尻を下げる。だが、それを許さぬように彼等は雫へと声をかけてきた。
『今は姿を見せることが出来ませんが、一応名だけ告げておきますね。
私は、エイド、と申します』
『儂は、サライじゃ』
「あ、はじめまして」
『いえいえ。うちの主が、ご迷惑をかけて申し訳ありません』
主、とはっきりとした言葉に、雫は僅かに首を傾げた。
主従関係にあるのは一連の流れで分かっているが、どうにも主従と言うには会話が対等でしか無い。もっとも、優誠の場合は先輩後輩という概念も無いのだから、こういう関係があるのは当たり前なのかもしれないが。
それにしても、である。
そっと優誠の顔を盗み見た雫だけに聞こえるように、エイドがくすりと笑いを漏らす。
むすりとした顔付きで窓の外へと視線を向けていた優誠だが、態とらしい咳払いでその場の空気を変えた。
「とにかく、こいつらが先輩の護衛をしますので、後は煮るなり焼くなり好きにしてください」
『おい』
優誠のぶっきらぼうな言葉にサライの突っ込みが入るが、それを華麗にスルーして雫へと優誠は言葉をつなげた。
「まぁ、こいつらの実力は保証しますんで、安心してください」
「はぁ」
自分でも気のない返事だと思いながらも、雫はその言葉にうなずきを返し、小さな息を吐き出した。
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