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しおりを挟む週明け、いつも通りギリギリに登校した撫子が教室に入ると、待ち構えていたように咲恵と美南が立ち上がって必死に手招きをした。
早く来いと促されるまま席につくと、咲恵が身を乗り出して叫ぶ。
「ちょっとなっちゃん! 大丈夫だったの!?」
なんのことだか分からずきょとりと首を捻ると、咲恵が「駅で美南のこと助けたんでしょ?」と焦れたようにつけ加えた。
「ごめんね、なっちゃん。勝手に喋っちゃって」
「俺はいいけど……美南ちゃんのほうこそ、あのあと大丈夫だった?」
相手の捨て台詞を思い出して心配になって訊くと、美南は困ったような、けれどどこかすっきりした顔で笑う。
「あのあと何回か連絡来てるんだけど、今は話す気分じゃなくてそのままにしちゃってる」
「少し懲らしめてやればいいのよ。私がその場にいたらビンタの一発でもしてやったのに!」
怒りで顔を歪めた咲恵がぐっと力強く拳を握ったと思ったら、すぐに子犬のような顔で撫子を窺った。
「助けに入ったって聞いたけど、なっちゃん大丈夫だった? 怖かったでしょ?」
「私も気になってて……慌てて帰っちゃってごめんね」
「二人ともそんなに心配しないでよ。俺だって一応男だもん。大丈夫だよ」
気にかけてくれるのは嬉しいが、あまり大袈裟に騒がれるとそこまで頼りないかと切なくなる。
(俺が男が苦手だって知らなくてここまで血相を変えるなんて……)
それだけ普段から男として意識されていないのだと、改めて実感した。まあ、二人とは色恋沙汰なく仲良くしたいと思っているのでありがたいことではある。
そう経たずに教師がやってきて、当事者でないのに一番気遣われているという居心地の悪さからは解放された。かと思ったが、休み時間になってそうそうに一楓が顔を出したおかげで再び状況は繰り返された。
「あの男、前から悪い噂はあったのよ! でも美南の前ではいい彼氏をしてるみたいだったから様子見してたら……!」
くそ! と一楓は拳を机に叩きつけた。普段の落ち着いた様子からは想像も出来ないほどの荒れように、美南や撫子が慌てて宥めにかかる。その横では、怒りに同意するように咲恵がうんうんと大きく頷いていた。
美南と彼氏は中学時代の先輩後輩だ。すなわち、一楓とも当然のごとく顔見知りなわけだ。しかも一楓は同級生であるぶん相手をよく知っているだけに、余計怒りがおさまらないのだろう。
教室を訪れたときは、顔を白くして美南と撫子をおろおろ見渡していたのが嘘みたいだ。
このまま相手のところに乗り込みに行きそうな剣幕に、やがて咲恵も少し引き気味に一楓に制止をかけ始めた。
最終的には、当人である美南が「落ち着いたら別れを切り出します」と宣言したことで腹に収めてくれた。
関節が白くなるほど握りしめられた一楓の拳が下がり、三人がほっとしたとき、ふいに美南が撫子の鞄に目をとめた。
「あれ? なっちゃんてそんなキーホルダーつけてたっけ?」
それ、と指さされた先を追って、みんなの視線が机の横にかかった鞄に落ちる。ファスナーの引き手にピン玉程度の大きさのキーホルダーがぶら下がっていた。球体の表面に星空が描かれたそれは、四条と出かけたときに揃いで買ったパズルだった。
「ああ、これね。ついこの前買ったんだ」
パズルの縫い目の感触を楽しむように指先でなぞる。このパズルを見ているだけで、撫子の胸には温かく甘やかな気持ちがじんわりと広がった。だが一方で、その裏側には眼のそらせない切なさも潜んでいる。
まだ自覚したばかりのこの感情を持て余してもいるけれど、いつか折り合いをつけられるだろうとも思っていた。
そんな思いがにじみ出た撫子の儚くも穏やかな笑みに、三者三様に息を呑み、すぐ真横にいた一楓なんかは、捕まえるようにとっさに撫子の手を取った。
不意に強く手首を握られ、撫子はきょとりとしばたたく。緊張した面持ちで眼を逸らさぬようじっと見てくる三人の気迫に、わずかに体が仰け反った。
「なっちゃん、それどこで買ったの? 先週はつけてなかったよね?」
恐る恐る訊ねてきた美南に、「駅前のショッピングモールで買ったんだ」とけろりと言うと、三人が一瞬だけ眼を合わせ、引き継ぐように咲恵が口を開いた。
「それってさ、誰かと一緒に――」
言いかけた咲恵の言葉は、「すみません」とか細く、けれども無視できぬ至近距離で割って入った言葉に遮られた。
反応した四人が一斉に向くと、呼びかけてきたボブヘアの大人しそうな女子生徒はビクリと肩を揺らしてもじもじと両手を結んだ。
見覚えのない生徒だが、名札に差し込まれた学年カラーは撫子たちと同じ二年生を示してる。
「どうしたの? 俺たちに用事?」
先頭をきった撫子が柔らかに問いかけると、あからさまにホッとした様子で力を抜いた。
しかし、それでも緊張は解けないのかおどおどとした口調でつっかえながら「恋愛相談をしたいんですが……」と言った瞬間、咲恵と美南の瞳がキラリと輝くのが分かった。
美南がすぐさま空いていた斜めの席から椅子を持ってくると、それを待っていたように咲恵が手のひらを向けて座るように促す。見事な連携に呆気にとられた彼女は、困惑顔でされるがままちょこんと椅子におさまった。
さすがにここが昼休みの教室であることを配慮しているのか、咲恵と美南は瞳を輝かせつつも小声で囁きかける。
「恋愛相談っていうけど、相手は彼氏? それとも片思い?」
「あ、はい。片思いです」
「相談に来るぐらいだもん。目標は成就させることだよね? 相手はどんな人?」
鼻先に人参をぶら下げられた馬のように奮起した二人に、一楓がしょうがない子たちとばかりに額に手を置いた。女子も律儀に答えていたが、「成就」という言葉にぴたりと口を引き結んだ。
黙り込んで俯いた彼女に心配になった四人が目配せし合っていると、不意に彼女は顔を上げて小さく笑った。
さっきまでのようなおどおどした様子もなく綺麗な姿勢だった。しかし、その笑みに浮かぶのは恋に対する自信から来るものではなく、キッパリとした諦めだった。
「成就は無理だと思います。でも、ずっと想ってきた人なので、気持ちだけは伝えたいんです」
諦念の笑みの中、その言葉には意志の強さを感じる。
「ただ、告白しようにもそういった経験もなく……相談できるような友達もいなくて……」
さっきの凜とした雰囲気から一転、恥ずかしがる少女の顔で頬を染めた女子に美南が優しく相づちをうった。
「そっかあ。それでなっちゃんに相談しに来たんだね」
「まあなっちゃんは相談のプロって言ってもいいぐらいにはこの一年で経験積んだからね」
「ちょっと咲恵ちゃん! いや、俺ってほんと愚痴聞いたり一緒に買い物行くぐらいしか出来ないからさ……絶対成就させるとか相手を惚れさせるテクとかそういうのは持ってないんだ」
ふんと自分の事のように胸を張った咲恵の調子の良い言葉に、慌てて撫子は訂正を入れた。
変に期待を持たれたら困ってしまう。今まで撫子がやって来たことなんて大したことはない。ただ聞き役に徹し、適度に相手の望む答えを返していただけなのだから。
相手に振り向いてもらうための相談、というのは四条限定での話だ。
撫子の慌て具合に、女子生徒はくすりと笑った。
「分かってます。結局は相手の気持ち次第ですし、香月くんにどうにかして欲しいという訳ではなくて……ただ、話をするときのアドバイスをもらえたらと思って」
「話をするときのアドバイス……?」
「はい。恥ずかしながら本当にひっそり見ていただけで、ほとんど話をしたこともないんです。告白する前にせめて彼に私を認識して欲しいと思うのですが、その……話しかけるにもどうしたらいいか分からなくて……」
要は話のとっかかりが欲しいというわけだ。
「なるほどね。それで男のなっちゃんに話を聞こうと」
「それもありますけど、香月くんがその人と仲がいいので共通の話題になっていただけたらなあと思って」
ダメでしょうか? おずおずと撫子を見上げる彼女の言葉に、途端に心臓が嫌な音を立てた。
(俺と仲がいい男子……?)
選択肢は一つしかない。心臓が軋んだ音を立てる。ここから逃げろと急かすような心臓を、どうにか静めようとごくりと唾を呑んだ。それなのに全然静まらない。むしろ、どんどん主張を大きくしていく。
三人も同じ答えに行き着いたのだろう。まさか……と窺うように四人の視線が相談者の女子に集まった。彼女はさっと頬に赤みを差して小さな唇でその名を紡いだ。
「……はい。私、小学校の時からずっと四条くんのことが好きなんです」
周囲に届かぬようひっそりと零された秘め事は、春の陽気のような温かさを含んでいたのに、撫子の心は氷を押し当てられたようにひやりとした。
届いた四条の名前が、耳の中でたわんで頭痛のように脳にしみる。動揺は、表には出ていなかったと思う。今まで笑顔を貼り付けて生きてきてよかったと、今ほど感謝したことはない。
けれど、心は正直なもので。鞄につけられた夜空の球体に、つい縋るように視線が吸い寄せられてしまった。
肩を抱かれたときのことを思い出し、胸がきゅんと疼いた。同時に、泣きたいような切なさもあった。
(四条くん……)
彼女の思い人であり、つい先日撫子が自覚した恋の相手を、ひっそりと胸の内で呼んだ。
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