黒しっぽ様のお導き

宮藤寧々

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9、あれは私の継母です

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「お嬢さん、少しよろしいですか?」

 あれから、ブライアン様のことを考える日々が続き、私も油断していたのでしょう。
 正門の近くで草むしりをしていた私は、誰かが近くに来ていたなんて、全く気付いていませんでした。

 気付けば、正門を挟んですぐ外の所に、赤い隊服を纏った壮年の騎士様が——この隊服は、貴族街を警備する方々です。
 騎士様は、私をただの『下働きのお嬢さん』とでも思っているのでしょう。

「か、家令を呼んでまいりますっ」
 私は裏返った情けない声で、その場から逃げ出しました。
 伯爵夫人が、作業着で草むしりしているなんて、余所様に見られてはいけないのに・・・・・・恥ずかしい・・・・・・。


「一体、どうしたのでしょう?」
「不審者が出たとか、近くで騒ぎが起きたとか・・・・・・ですかねぇ」
 モーリスに騎士様の対応をお任せしている間、私はエイダとお茶の支度をしていました。
 温かいお茶に、余ったパンを再利用したプディング・・・・・・贅沢はできませんが、お茶の時間はささやかな楽しみです。

 卵と砂糖を混ぜてオーブンで焼いていると、美味しそうな匂いが広がります。
 そろそろ焼き上がりかしら、と思った頃に、モーリスは戻ってきました。

「おかえりなさい」
「あんた、何かあったのかい?」
 モーリスは、私達の顔を見て、何か渋いものを噛んだようなお顔をしています。
 緊急の危機が差し迫っているわけではないけど、困ったことがおきているような感じ、でしょうか?

「それが、何とも、屋敷の周囲に不審な人物がいるそうで・・・・・・」
 まあ、それは恐ろしいですね。
 旦那様が不在のお屋敷に、誰かが入って来ても、私達ではどうにもならなさそうです・・・・・・。
 でも、お金になる物は全くないお屋敷なので、物盗りが来ても、すぐ帰ってしまいそうですけれど。

「嫌だねぇ。変な輩が来ても、あんたが追い出してくださいよ」
 エイダはそんなことを言いながら、焼き上がったプディングをお皿に分けています。
 私も、お茶のカップを机に置きました。

「その不審者というのが、何とも妙で・・・・・・」
 お茶を飲みながら、モーリスが話を続けます。
 温かいお茶に、美味しいおやつ、そして不審者情報。
 今日のお茶会は、何だか、変な空気です。

「身形は立派なご婦人なのだが」
 ご婦人・・・・・・それなら、貴族街に住んでいる方なのでは?
「分厚い眼鏡をかけて、深く帽子を被り」
 分厚い眼鏡・・・・・・どこかで見たことがあるような。
「口元も布でぐるぐる巻きにして、素性がほとんど分からず」
 口元の布・・・・・・見たことが、あるような・・・・・・。

「ハーキュリー伯爵家の正門から屋敷を覗いているのだが、急にその場から逃げたりと、ここ数日、怪しい動きを見せているらしい」
「何だい、その女は。旦那様に懸想してる雌猫かい?」
「おい、やめんか」
「あ、あの!」
 モーリス達の会話に割り込むように、私は声を上げました。
 私は、その方に心当たりがあるからです。

「あの、その方は、おそらく・・・・・・」
 不審者ではなくて——
「おそらく、私の、継母です・・・・・・」


「ごめんなさいねぇ、トリィさん」

 数日後の晴れた日——

 私は、ライラ・ロドニー伯爵夫人・・・・・・私の継母に当たる御方を、ハーキュリー伯爵邸に招待していました。

「旦那さまったら、『嫁いですぐ義両親が様子を見に行くなんて、体面が悪いだろう』って意地張っているから・・・・・・こっそり様子を見に来たのだけれど・・・・・・」
 ・・・・・・お義母様、もの凄く目立っていたらしいです。


 ライラお義母様は、私の実母が亡くなった後、父と見合いして嫁いで来られました。
 明るく、大らかな性格で、血の繋がらぬ私にも心を砕いて下さる、お優しい方です。
 私の前では無表情な父も、お義母様と一緒の時は笑顔を見せられるので、きっと、心を許しているのでしょう。

 ですが、私とお義母様は、どうしても相容れない点がありまして・・・・・・。
 お義母様は、猫が合わない体質なのです。

 初めてお義母様とお会いした時も、私は猫に囲まれていました。
 使用人すら気味悪がって遠巻きに見ていたのに、お義母様は『あら可愛いわね』と猫を抱えた私を抱き上げてくださいまして——
 その日、お義母様は、一日中くしゃみが止まりませんでした。

 自分が猫が駄目だったと知らなかったお義母様は、少ししょんぼりとされていましたが、これから子を産むかもしれないお体に猫を近付けるわけにいかない——と、私は親戚の家に預けられたのです。

 そんなお母様の身形は、分厚い眼鏡と口元を覆う布・・・・・・榛色の髪と大きな瞳を持つ愛らしいお顔立ちは、すっかり隠されています。
 私に近付く際は、猫の毛が入らぬように、いつもこのような格好をされています。


「お、お気遣いいただいて、ありがとうございます・・・・・・私は、この通り元気にしておりますので・・・・・・」
 そんなお義母様と向かい合って座っている私は、今日はお仕着せではなく橙色のドレスを着ています。

「そう? なら、いいのだけれど・・・・・・」
 お義母様はそう答えながら、今いる応接間の内装をぐるりと見渡します。
 この日の為に掃除をして、カーテンやテーブルクロスは新しくしましたが、飾っているのは花瓶と花だけ・・・・・・伯爵家の応接間にしては、かなり寂しいとお義母様も感じているのでしょう。

「ブライアン様は、領民のことを第一に考える、素晴らしい方なんです」
 あのような方の妻になれた私は、恵まれているのですから。
 だから、贅沢な暮らしなど、私には必要ないのです。

「トリィさんが、そのように言うなら、大丈夫なのかしら・・・・・・」
 私の言葉を聞いた後、お義母様は呟きました。
「あの人が、王宮でブライアンさんを見た時に、様子がおかしいと気にされていたから・・・・・・へっしゅ! もう、限界みたいね・・・・・・トリィさん、またねっ・・・・・・」
「お、お義母様っ」

 見送ろうとしたモーリスを振り切って、お義母様はロドニー家の馬車に飛び乗って帰って行かれました。

 お義母様・・・・・・ああなってしまっては、湯浴みをするまでくしゃみが止まらないかもしれません。
 いくら気を付けていても、長時間の接触は難しいようです・・・・・・。


「それにしても・・・・・・お義母様、何を言おうとしていたのかしら・・・・・・」

 父は宮中で庶務に関わっています。
 そこでブライアン様の姿を見たのでしょう。
 でも、『様子がおかしい』というのは、何があったのでしょうか・・・・・・?
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