黒しっぽ様のお導き

宮藤寧々

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18、夫婦初めての共同作業

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「ま、待ってくれ!」

 まさか私が逃げ出すと思わなかったのでしょう。
 ブライアン様は、一呼吸遅れてから私を追いかけてきます。

 どんくさい私と、鍛えているブライアン様――
 単純に考えれば、すぐに私など追い付かれてしまいそうですが・・・・・・。

 にゃあ、と小さい鳴き声と共に、視界の端に一筋の線が走りました。

「うわ、お、お前、あの時の?」
 どうやら、また『ほうき星』が旦那様に飛び乗ったようです。

 後ろの足音が止まったため、私は今の内に距離を空けようと足を早めました。


 このままハンナさんの所へ帰っても、見つかってしまうし、どこか違う所へ・・・・・・。
 いつもの洗い場への道ではなく、宮殿内の廊下を走っていた時、開いている扉を見つけました。

「失礼します!」
「う、うわっ」

 どうやら、丁度、誰かが外へ出る予定だったようです。
 顔はよく見ていませんでしたが、上等な服を着た、貴族の男性のようです。

「き、君、何を・・・・・・」
 いきなり氏素性の分からない女中が入って来るなんて、不快や恐怖でしかありませんよね。
 でも、今の私は、なりふり構って居られませんでした。

「おおおお願いします! 匿って下さいぃ!」
 もし、ブライアン様に顔を見られてしまったら・・・・・・ブライアン様に、こんな不細工が妻だと知られてしまったら・・・・・・その恐怖だけが、私を突き動かしていました。

 この部屋は、文官の執務室のようで、大きな机と書類棚が目を引きます。
 私は机の下に隠れ、入り口から見えないように身を潜めました。

「何だ、痴情の縺れなら外で・・・・・・」
 私は男性の足元しか見ておりませんでしたが、文句を言いに近付いてきた足が、途中で止まります。
「お前、もしかして・・・・・・」
 そして、何か呟くと、踵を返して外へ向かいました。

 外からは、誰かが走っているような物音が近付いてきます。

「失礼する!」
 扉の開く音と、ブライアン様の声・・・・・・ああ、此方まで来てしまいましたか・・・・・・。
 猫の鳴き声もするので、『ほうき星』も近くにいるのでしょう。

「・・・・・・ハーキュリー卿、貴方でしたか・・・・・・」
「あ・・・・・・あ、その・・・・・・お久し振りです」
 どうやら、ブライアン様と男性は、お知り合いのようです。
 お二人の声は、少しぎこちなくて、あまり仲がよろしくなさそうですが・・・・・・。

「あ・・・・・・此方に、その、不審な女中が来ておりませんでしたか・・・・・・」
「・・・・・・いや、そのような者はおりませんが・・・・・・」

 不審な女中・・・・・・私の様相は、まさしくその通りでございます。
 ですが、男性は何故か私のことを庇って下さるようです。

「ハーキュリー卿・・・・・・貴殿は、少し、疲れているのでは・・・・・・? 休暇でも取って、療養された方が良いかと」
「いえ・・・・・・『契約』がありますので」
「そうか・・・・・・」
「では、失礼」

 来た時よりも静かで、弱い足音が、少しずつ遠ざかって行きます。
 ブライアン様を見送っていたのでしょうか、暫くしてから扉の閉まる音がしました。


 部屋の中はとても静かで、物音一つ聞こえません。
 暫く、その場所で蹲っていた私も、どうしていいか分からず、立ち上がりました。

 私を匿ってくれた男性は、扉の前で佇んでいて。
 何故か肩に乗っている『ほうき星』を静かに撫でておられます。

 その姿を見て、私は思わず息を呑んでいました。

 少し白い物も目立つ、灰銀色の髪。
 黒色の服を纏った、大柄の体格。
 そして、寂しそうに、少し肩を落としている後ろ姿――

「宮殿で追いかけっこなどと・・・・・・夫婦で何をしているんだ、トリーシャ」

 振り返って私を見つめる表情は、険しく、絶えず苦痛に苛んでいるかのよう。
 常に、私をそのような表情で見下ろし、溜め息を吐いていた姿が記憶に残っております。

 この方の名は、ダニエル・ロドニー伯爵当主。
 私の、実父に当たる方です。
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