黒しっぽ様のお導き

宮藤寧々

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19、二重生活の終わり

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「お、お久し振りです、お父様・・・・・・」
「ああ」

 この方の前で、素性を隠すことはできません。
 私は誤魔化すことなく、頭を下げました。

 ブライアン様とお知り合いだったのも、当然ですよね。
 一応は、婿と舅の関係に当たるのですから。
 おそらく、書類上の夫婦である私達よりも、会話を交わしておられるかもしれません。

「この度は、ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳――」
「そういうのはいい。早く王宮を離れろ」
 再び頭を下げようとする私を手で制し、お父様は何かを書いた封筒を渡してきます。
 これは・・・・・・地図でしょうか?

「その経路なら、ハーキュリー卿と会わずに王宮から出られる・・・・・・どうやって来た? 今の所属は?」
「あの、洗濯番のハンナさんという方の下で働いていて・・・・・・いつも、乗合馬車で・・・・・・」
「どうしてそんなことに・・・・・・」
 私の言葉を聞いて、お父様は肩を落としておられます。
 家の体面を守る為に、契約結婚を結んだはずの娘が、まさか女中として働いているなんて、思わなかったのでしょうね・・・・・・本当に申し訳ありません。

「そのハンナとかいう女には、私の方から説明しておく・・・・・・取りあえず、お前は屋敷から出るな」
 その言葉に急かされるようにして、私は部屋を飛び出しました。


 お父様の教えってくださった経路は、限られた人間しか通れない区域のようでした。
 途中、文官らしき方とすれ違うこともありましたが、大きな封筒を抱えた私は、遣いか何かに見えていたのでしょう。
 誰かに咎められること無く、そしてブライアン様に見つかることも無く、私は宮殿から出られました。


「はあ・・・・・・」

 乗合馬車で帰路に就く途中、私は溜め息が止まりませんでした。
 また、お父様を失望させてしまった・・・・・・私の心は、それだけで占められていました。

 幼少期の折より、父は、私に声を掛けてくださることが殆どなくて。
 いつも私の顔を見ては溜め息を吐いてばかりでした。

 お母様の命と引き換えに産まれてしまった私は、後継になれない女児。
 そして、社交も商売も内政も、何もできない出来損ない・・・・・・。
 私が産まれたことを嘆くのも、無理はありません。

 折角纏めていただいた結婚を台無しにするような振る舞いまでして・・・・・・大層、失望されていることでしょう。


 とぼとぼと落ち込んだ気持ちで歩く、ハーキュリー伯爵邸までの帰り道。
 屋敷の門を潜る時、私を呼び止める鳴き声がありました。

「あら、どうしたの?」
 門の傍の大きな木の陰で、猫が何匹か集まっています。
 みんな様々な形の尻尾を揺らして、私を呼んでいるかのようです。

「何か面白いものでも見つけたのかしら?」
 私は猫達の傍に近付いて、木の根元を覗き込んでみました。
 ですが、そこには何もなくて・・・・・・様々な毛並みの可愛い前脚が並ぶばかりで。

 どうやら、呼ばれていたのも、私の勘違いかも・・・・・・。
 そう思い、立ち上がろうとした時です。

 屋敷の扉が勢いよく開かれて、中から飛び出す人影がありました。
 びっくりした私は、思わず、木の影に隠れてしまいました。

「まさか、いないなんて!」
 そんなことを叫びながら、馬で駆けて行った方は・・・・・・騎士服のブライアン様でした。
 私を見失った後、先に御屋敷へ戻られていたのですね。
 このまま帰っていたら、危うく鉢合わせしてしまう所でした。

「もしかして、私のことを匿ってくれていたの?」
 私の問いに、猫達は『みゃあ』『なあ』と返すだけ。
 それでも、私は感謝を込めて猫達の頭を撫でました。

 ブライアン様が気に掛けてくださるのは申し訳ないのですが、きっと、私の顔を見てしまったら、きっと失望してしまうので。
 あの方が傷付くのは偲びありません・・・・・・いいえ、私が傷付くのが怖いのでしょうね。
『こんな不細工が』と言われてしまったら、私は、二度と立ち直れないでしょうから。


 ブライアン様のお姿が見えなくなった頃、私は屋敷へと歩き出しました。

「・・・・・・ああ、奥様、よくお戻りで」
 屋敷の玄関広間では、モーリスとエイダが佇んでおりました。

「先程、旦那様が急に戻られて・・・・・・その、奥様の不在を知られてしまいました」
「それで、旦那様は、奥様がご実家に戻られたと考えて」
 汗を流しながら、必死に状況を説明してくれるモーリス達・・・・・・そんな二人の姿を見て、私はただただ申し訳なさを感じていました。

 私が、大人しく、『お飾り妻』として過ごしていれば、二人にいらぬ心労を掛けることも無かったのです。
 お忙しいブライアン様にも、このような形で手を煩わせてしまって・・・・・・。

「モーリス、エイダ・・・・・・本当に、ごめんなさい」
「そんな、奥様ったら」
「おやめください」
 頭を下げた私に、二人は、さらに困り果てた様子でした。

「父に・・・・・・ロドニー伯爵に見つかったの。私が軽率でした。もう、女中の真似ごとは止めようと思います」
「そ、そうですか・・・・・・」
 私がそう言うと、何故か二人は少し残念そうで。

「私はね、少し、嬉しかったんですけどねぇ・・・・・・奥様が、ブライアン坊ちゃまに興味を持っていただけたことに・・・・・・」
「奥様でしたら、坊ちゃまの心をお慰めできるのではと、思いましたが・・・・・・伯爵様に知られてしまっては・・・・・・」

 お二人は、ブライアン様のこれまでの苦労を誰よりも知っている人物・・・・・・それだけに、あの方を案ずる気持ちが強いのでしょう。
 でも、私ができることは、『お飾りの妻』でいることだけ・・・・・・少し、胸がきゅっとなるけど、そう思うことが、一番、最善なのです。

 ブライアン様・・・・・・どうか、このような女のことなど気にせず、どうか、ご自身のことだけを――
 そう願う、私の内面は、何だか苦しいもので満たされていくようでした。
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