黒しっぽ様のお導き

宮藤寧々

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26、たった一つのお願い

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「いやあ、壮観だったねぇ」
「・・・・・・申し訳ありません」

 王妃宮よりは地味に見えるけど、品の良い家具が置かれた応接室で、私は一人の男性と向き合っています。
 淡い金髪と紫紺色の瞳が目を引く、端正な美貌を持つ方は、ウォレス・プルウィア王子殿下。
 私が先程お会いしていた王妃陛下が産んだ、第一王子に当たる方です。
 私と変わらぬ年齢で、既に公務に取り組んでいる、素晴らしい御方・・・・・・そして、つい先程、譲位を受けたので、国王陛下とお呼びしなければいけません。


 私達が王妃宮にいる間に、譲位の儀は滞りなく行われたようです。
 そして、即位した陛下の最初の仕事が、前王妃の処罰・・・・・・身内を捕らえに行くという、非常にお辛いものでした。
 下々の者が、陛下の心情を慮るのも烏滸がましいですが・・・・・・なんと声を掛けたらよいか・・・・・・。

 本来であれば、伯爵夫人である私に危害を加えた現場を押さえて、前王妃を処罰する議会を開く予定だったそうです。
 でも、陛下が到着した際には、前王妃は使用人に抱き着いたまま、二人で倒れ込んでいて・・・・・・しかも、色々と取り乱しておられたから、服も、その、少し乱れていて・・・・・・。

「こ、こんな所で不貞に及ぶとは・・・・・・母上は少し心の不調を来しているかもしれない」
 陛下はわざとらしく声を張り上げると、騎士達に前王妃を連れて行かせました。

 そして、本来の予定とは異なりましたが――
 前国王は胃腸の不調、前王妃は心身の不調という建前で、極めて平和的に譲位が行われた形となったのです。


「どんな魔法を使ったかは知らないけれど、血を見ずに済んでよかったよ・・・・・・君、怪我はない?」
「は、はい・・・・・・おかげさまで・・・・・・」

 前王妃が悲鳴を上げた時、私は猫達を隠すのに必死でした。
 庭から外に出して、間に合わない子はテーブルクロスの下に――
 そのおかげで、私の体質は知られないですんだと思いますが、前王妃は『白昼堂々、使用人を押し倒した』人になってしまいました・・・・・・。
 猫を隠して良かったのか、猫がいた方が良かったのか・・・・・・もう、考えないことにします。

「ドレスまで、ありがとうございます」
「いや、こちらこそすまない」
 私の尼僧服は濡れてしまったので、王宮で用意していただいたデイドレスに着替えたのです。
 淡い緑色のドレスは、滑らかな肌触りと軽い着心地で・・・・・・物凄く、高い素材だと分かります。
 そして、『念のため』と紅茶をかけられた部分もお医者様が見てくれましたが、特に問題ありませんでした。


「さて、これからが大変だ・・・・・・母上の被害に合った者達にも補償を考えたいし・・・・・・」
 計り知れない心労を抱えておられるでしょうに、陛下は努めて明るく振る舞っておられます。
「君にも、何か謝罪をしないとな・・・・・・希望はあるかい?」
「え、私はブライアン様の健康と幸福を・・・・・・」
「そういうの、いいから」
 私の本当の望みを、陛下は片手を上げて制します。

「ブライアン・ハーキュリー卿には大変申し訳ないことをした・・・・・・彼には、一度、伯爵家当主の仕事に専念してもらう。執務や内政に必要な人員も派遣するつもりだ」
「まあ・・・・・・それは、ありがとうございます」
 少しでも、あの方の負担が減れば、喜ばしい限りです。

「それで、君自身の望みはないの?」
「わ、私ですか・・・・・・?」

 少し考えましたが・・・・・・何も思いつきません。
 貴族夫人や令嬢なら、いい縁談や宝飾品の類が妥当でしょうが・・・・・・私には、必要ありませんし。
 隣に座っていたお父様の方を向きますが、軽く首を振るばかりで・・・・・・『自分で決めろ』ということでしょうか?
 王族の方に頼めること・・・・・・それでしたら。

「あの、それでしたら・・・・・・」

 私のお願いを聞いて、陛下は少し固まった後、声を上げて笑っていました。
「そんなことで良いなら、構わないよ。私が紹介状を書いてやろう」
 へ、陛下にそこまでしていただかなくても・・・・・・。


「フローレ! あんた無事だったかい?」

 久し振りに訪れた洗い場は、石鹸の香りがして。
 短い間しか働いていないのに、不思議と懐かしさを感じてしまいます。

 そこで働いていたハンナさんも、記憶と変わらない溌剌とした姿。
 私の顔を見ると、一目散に駆け寄ってくれました。

「聞いたよ、男に追い掛け回されたって! 碌でもないやつがいるもんだねぇ」
 ・・・・・・それは、私が旦那様から逃げただけで・・・・・・。
 ブライアン様が、狼藉者みたいになってしまいました・・・・・・。

「大丈夫だった、か・・・・・・い?」
 そこで、ハンナさんは違和感を覚えたのでしょう。
 髪はいつものように後ろで括っていますが、服は上等なドレス・・・・・・スカートの裾を摘み、質を確かめるように凝視します。

「どうしたんだい、お貴族様みたいな格好してさぁ」
 ハンナさんは、私を庶民だと、ずっと思っておられました。
 でも、今日こそ、本当のことを話さないといけません。

「あの、実は、貴族なんです」
「はあ?」
「あの、伯爵家の産まれで、先日伯爵夫人となりまして」
「はあ?」
 状況を受け止めかねているのか、ハンナさんはぽかんと口を開けています。

「私、ハンナ様みたいな方が、うちで働いてくれたら、屋敷も明るくなるんじゃないかなって、ずっと思っていまして・・・・・・あの、ずっと、騙していてごめんなさい・・・・・・よろしかったら、ハンナさんを雇用させていただけませんか?」
「伯爵、フローレが、奥様?」
「はい・・・・・・あの、これ、国王陛下からの紹介状で・・・・・・」

「ひぃやぁぁぁぁっ!」
 王家の紋章を一目見たハンナさんは、その場にひっくり返ってしまいました。
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