黒しっぽ様のお導き

宮藤寧々

文字の大きさ
27 / 30

27、過去との決別

しおりを挟む
「ああ、主よ、愚かな私をお許しください」

 医務室の前で蹲った私は、ただただ神に己の愚かさを悔いていました。

「私が己を偽ったせいで、ハンナさんが・・・・・・」


 あの後、洗濯場で倒れたハンナさんは、王宮の医務室に運ばれてしまいました。
 お父様からも、『貴族と縁の無い庶民からすれば、伯爵家ですら遠い存在だろうに』とお叱りの言葉を受けてしまいました。
 やはり、急なお誘いはよろしくなかったのでしょうか・・・・・・非常に軽率でした。


「奥様、此方におられましたか!?」

 悔悟と内省を繰り返す私に声を掛けたのは、モーリスでした。
 確か、ブライアン様の身支度を手伝って居たはずです。
 それなら、旦那様も近くに・・・・・・と周囲を見渡しましたが、お姿は何処にもありません。

「モーリス、もう帰宅するのですか?」
 旦那様が帰宅する前に、私は一足先にハーキュリー伯爵邸へ戻る予定だったのです。
『病弱なお飾り妻』である私が、旦那様と顔を合わせるわけにはいきませんでしたから。

 ハンナさんのことは気掛かりですが、伝言だけ託して、後日こっそりお詫びでも――

「それが、大変なことに!」
 すっかり旦那様が帰宅するものだと信じていた私は、その声でモーリスへと向き直りました。
 その顔からは、汗が噴き出ています。
 不測の事態でも起きたのでしょうか?

「旦那様が、決闘を申し込まれたのです・・・・・・カーライル・クリムトとかいう輩に」


 どうして、カーライルが?
 焦る気持ちを抑えつつ、私はモーリスに案内を頼みました。

 そして、辿り着いた場所は、宿泊所の近く。
 私が、以前にカーライルを見かけた場所でした。

 そこには、多くの人が集まっていました。
 文官や騎士に女中・・・・・・多種多様な人達が取り囲む中に、見知った顔を見つけました。

「ブライアン・ハーキュリー! 今日こそ、お前の悪事を白日の下に晒す!」
 剣を高く掲げ、朗々と口上を述べる赤毛の男・・・・・・それは、間違いなくカーライルの姿でした。
 彼の姿を見ると、体の震えが止まりません。

「お前は、前王妃と共謀し、ロドニー伯爵家の資金をだまし取る為に偽装結婚を企てた!」
 カーライルの言葉に、周囲の人達から驚きの声が上がります。
「欲に塗れたお前の悪行、騎士として見逃せるものではない。一刻も早くロドニー家の令嬢を開放しろ!」
 カーライルの振る舞いは堂々としていて、まるで芝居に登場する正義の騎士のよう。
 でも、その陰には、悍ましい悪意が隠されているのです。

 ブライアン様は、あくまで、貴族としての責務を果たそうとしているだけなのに・・・・・・どうして、そのような詭弁を語れるのでしょうか。
 どうして、ブライアン様をそこまで恨んでいるのか・・・・・・それとも、私への復讐なのでしょうか・・・・・・?

「私は騎士として、私欲に走ったことはない、とだけ言っておく」
 対峙しているブライアン様の方は、平然としていらして・・・・・・でも、剣を構えているので、二人の闘いは避けられないのでしょうか?。

 妻である私が『違う』と声を上げれば、全て解決するのに・・・・・・。
 この場から、逃げ出したいぐらい怖くて・・・・・・。

「覚悟しろよ」
 カーライルは剣を構え直すと、旦那様に切りかかって行きます。
 彼の攻撃を、旦那様はただ受け止めるだけ・・・・・・そのように見えましたが、旦那様の表情は崩れていないので、余裕があるのでしょう。

 剣がぶつかり合う度に、周囲で見ている人達の歓声が上がります。
 まるで、この曇り空を晴らすぐらいの、燃え上がるような熱気を感じます。
 皆様からすれば、娯楽のつもりなのでしょうが・・・・・・私は、旦那様が心配で・・・・・・。

「くそっ」
 気付けば、攻めていたはずのカーライルが、次第に押されている形となっていました。
 旦那様は、本当にお強い方なのですね。
 私の気の緩みを表すかのように、曇り空から一筋の光が射していました。
 それは、カーライルを照らしています。

 その時、私の視界に、白い輝きが映りました。
『ほうき星』では無くて、もっと輝く、無機質な――

「旦那様っ!」
 何故か、カーライルが袖口から何かを出そうとしていたことに気付いた私は、思わず声を上げていました。

 ブライアン様は動じることなく剣を振り上げます。
「うわっ」
 カーライルの声と、小さな金属音が響き、かれの袖から小さなナイフが落ちていました。
 そして、ブライアン様はカーライルの腕を掴むと捻り上げました。

 軽く回転しながら、地面に倒れるカーライル・・・・・・どうやら、決着がついたようです。
 周囲からも一際大きな歓声が上がります。

「これで満足か?」
 ブライアン様は、淡々とした様子でカーライルを見下ろしています。
「まだ、まだだ・・・・・・」
 右肩を押さえながらも、カーライルは立ち上がろうとしています。
「許さないぞ・・・・・・お前のような、顔だけの卑怯者が、トリーシャと・・・・・・」

「ブライアン様は、そのような方ではありません!」
 二人の決闘を見ている内に、体の震えは自然と治まっていて。
 気付けば、私は観衆を掻き分けてブライアン様の前に立っていました。

「と、トリーシャ、か?」
 カーライルが私の顔を見て、ぽかんと口を開けています。
 その顔からは、私に暴力を振るっていた時の面影は見当たらなくて・・・・・・不思議と、落ち着いた心で彼と対面することができていました。

「私はトリーシャ・ハーキュリー! この方の妻です!」
 後ろでは、息を呑む音が聞こえます。
 ああ・・・・・・とうとう、皆様の前に出てしまいました・・・・・・。

 ですが、ブライアン様が悪人のように言われたままなのが、我慢できなくて・・・・・・。
 私は、真実を明らかにしたいのです。

「と、トリーシャ・・・・・・俺は、知ってるんだぞ・・・・・・お前が、無理矢理結婚させられたって・・・・・・俺は、お前を助けに・・・・・・」
「愚かなことを言わないで下さい!」

 私達の始まりは、利益が一致しただけの、契約結婚。
 所詮、妻の務めも果たせないお飾りでも――
 私は、ブライアン様をお慕いしているのです。

「ブライアン様は、当主の務めを果たしている、立派な騎士様なの! 『顔だけの卑怯者』は貴方の方じゃない!」
 私の言葉に、カーライルが歯噛みする様子が見えます。
 ずっと見下していた私から非難されて、自尊心が傷つけられたのでしょう。
 でも、私は言葉が止まりませんでした。

「暴力的で陰湿で、人の心がない貴方なんて大っ嫌い! 二度とブライアン様に近付かないで!」
 ああ、主よ、お許しください・・・・・・私は汚い言葉を使ってしまいました・・・・・・。
 でも、自分の嫌な気持ちを吐き出せたような気がして、清々しいです。
 いつの間にか、空も晴れ渡っています。

 カーライルは激昂してしまうのでは、と心配しましたが、何故か項垂れた様子を見せています。

「カーライル・クリムト! お前は王宮へ立ち入る権限を失っている! おまけに私刑を企てるなど、恥を知れ!」
「お前たちは持ち場へ戻れ! これ以上残ると、処罰の対象となるぞ!」
 そこへ、なだれ込むようにして現れた騎士様達。
 カーライルはどこかへ連れて行かれ、観客の皆様も追い立てられて・・・・・・気付けば、私とブライアン様と、モーリスだけが残されていました。

「トリーシャ・・・・・・貴女が、私の、妻なんだな?」
「あ・・・・・・」
 先程までの高揚感は消え失せて、私の背に冷たい汗が流れます。

 旦那様が私の前に回り込みます。
 ふわふわした栗毛色の髪に金茶の瞳――間近で見上げるブライアン様の顔は、いつも以上に眩しくて・・・・・・。

「ずっと、探していたんだ・・・・・・やはり、貴女の顔は――」
「ご、ごめんなさぁぁぃ!」

 申し訳なさと恥ずかしさで胸が苦しくて、私はその場から走り出していました。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

旦那様、離婚しましょう ~私は冒険者になるのでご心配なくっ~

榎夜
恋愛
私と旦那様は白い結婚だ。体の関係どころか手を繋ぐ事もしたことがない。 ある日突然、旦那の子供を身籠ったという女性に離婚を要求された。 別に構いませんが......じゃあ、冒険者にでもなろうかしら? ー全50話ー

転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。

ラム猫
恋愛
 異世界に転生した|天音《あまね》ことアメリーは、ある日、この世界が前世で熱狂的に遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気が付く。  『煌めく騎士と甘い夜』の攻略対象の一人、騎士団長シオン・アルカス。アメリーは、彼の大ファンだった。彼女は喜びで飛び上がり、推し活と称してこっそりと彼に贈り物をするようになる。  しかしその行為は推しの目につき、彼に興味と執着を抱かれるようになったのだった。正体がばれてからは、あろうことか美しい彼の側でお世話係のような役割を担うことになる。  彼女は推しのためならばと奮闘するが、なぜか彼は彼女に甘い言葉を囁いてくるようになり……。 ※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

離婚した彼女は死ぬことにした

はるかわ 美穂
恋愛
事故で命を落とす瞬間、政略結婚で結ばれた夫のアルバートを愛していたことに気づいたエレノア。 もう一度彼との結婚生活をやり直したいと願うと、四年前に巻き戻っていた。 今度こそ彼に相応しい妻になりたいと、これまでの臆病な自分を脱ぎ捨て奮闘するエレノア。しかし、 「前にも言ったけど、君は妻としての役目を果たさなくていいんだよ」 返ってくるのは拒絶を含んだ鉄壁の笑みと、表面的で義務的な優しさ。 それでも夫に想いを捧げ続けていたある日のこと、アルバートの大事にしている弟妹が原因不明の体調不良に襲われた。 神官から、二人の体調不良はエレノアの体内に宿る瘴気が原因だと告げられる。 大切な人を守るために離婚して彼らから離れることをエレノアは決意するが──。

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

処理中です...