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第二章 花散る所の出涸らし姫

十六、真に恐ろしきは

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「出涸らし、来たわよ!」
 のどかな昼下がり、邸宅の門扉を叩く音が聞こえる。
 迎えるまで叩くのを止めない、と言わんばかりに繰り返して。
「ちょっと、開けなさい!」
「聞こえてるんでしょ!?」
 甲高い声が二人分と、乱暴な所作は――

「・・・・・・甲と乙かしら」
 箒を片手に藤花は呟いた。


 この邸宅に来て出会った、天津家の使用人・・・・・・名乗ることの無かった彼女達を、藤花は『甲』『乙』と勝手に命名した。
「やつらに『甲』と評せる部分はどこかにあるのか?」
「・・・・・・意地悪さ?」
 紅鏡とそんな会話をしたのも、いつだったか・・・・・・忘れた頃に、二人は再びやって来た。

 天津家で重鎮達と良夜達が話し合って以降、大きな動きはなく、撫子の待遇は曖昧なまま。
 向こうからは、『内職の業者さん』こと青柳が時々来るのみであった。
 彼は撫子に会いたそうな素振りを時々見せるが、当の本人が怖がっているので、会わせていない。
 父の弟子である青柳も、自分を嫌っている――撫子がそう思っているからである。
 そして青柳に付いて来た友人・・・・・・霜凪家の人間が、時々差し入れを届けてくれる。


 これをいつまで続けられるのか不安は少しあるが、穏やかで優しい日々を繰り返し――
 撫子と暮らす生活は、気付けば卯月を迎えていた。

「いやだわぁ、何しに来たのかしら」
 ここまで姦しく、悪意に満ちた来客は、久方振りのこと。
 自分と激しく遣り合い、紅鏡に二度も返り討ちにされたので、もう顔を出さないだろうと思っていたのだ。
「またちび姫を甚振りに来たかの」
 藤花の足元では、紅鏡が肩を竦めている。
「・・・・・・懲りない人達ねぇ」
 本当に、彼女達の邪悪さには辟易してしまう。
「お嬢様が起きてしまうじゃない・・・・・・」
 藤花がちらりと見た先は、撫子の部屋の窓。
 先程まで紅鏡と追いかけっこをしていた撫子は、疲れてお昼寝をしている所なのだ。
(お嬢様が、あんなに元気になられて・・・・・・)
 枯れ枝みたいだった撫子の手足は年相応の肉付きを取り戻し始めており、体力もついてきた。
 先程までの姿を思い出すだけで胸が温かくなるのだが・・・・・・外からの騒音で、興が醒めた。
「追い返してくるか」
 紅鏡も同じことを考えていたのか、うんざりした顔をしながら地を蹴る。
 あっという間に門扉を乗り越えると、向こうからは悲鳴が聞こえ出していた。
「ひいい、また、炎の術!」
「何なのよぉ!」

「・・・・・・やっぱり、あの猫、強いのねぇ」
 紅鏡がいれば、すぐに追い返せるだろう――と暢気に考えていたが、扉を叩く音は鳴りやまない。
 よほど、大事な用件があるらしい。

「無能を出しなさい!」
「私達が来なくて困っているでしょう? 出涸らしに謝らせて、私達の謹慎を解かせなさい!」
 彼女達が暫く顔を見せていなかったのは、天津家で処罰を受けていた為らしい。
 しかし、自らの行為を反省せず、撫子を責めるような発言を繰り返す姿は、本当に浅ましい。
(・・・・・・何なのよ)
 自分勝手な甲乙の言動に、藤花は些か憤慨していた。
 紅鏡だけに任せてられないと駆け出し、台所から塩の袋を持ち出した。

 先日、霜凪家の男達が来た際、修繕の為に使った梯子が庭に残されていた。
 それを門扉の傍の壁に立て掛ける。
 壁から頭を出せば、扉にしがみつく女性二人の姿が確認できた。
 濃い化粧や派手な髪形は、以前見たときと変わりなかった。

「あ、出たわね、馬の骨!」
 甲乙の内一人が藤花を指差す。
「あんた、一体なんなのよ!?」
 此方を見上げる瞳には、怒りと共に怯えの感情も見受けられる。
 何度も正体不明の炎を受けたことで、多少堪えているのだろう。
「変な術使っちゃって!」
「あんた、妖怪じゃないの?」
「やっぱり、あの無能が穢れに塗れてるから・・・・・・」
「穢れてるのは、あんた達よ!」
 口々に叫ぶ二人の言葉に、とうとう我慢の限界だった。
 藤花にとっては、平気で幼子を害することができる二人こそが、穢れそのもの。
「妖怪より、あんた達の方が、最低だわ!」
 藤花にとっては、天津家の人間より、化け猫の紅鏡の方が信頼できる存在。
 怒りのままに、塩を掴み、投げつけた。

「ぎゃっ」
「お、覚えてなさい!」
 塩の粒がとどめとなったのか、甲乙は門扉から離れて逃走した。
 その後ろ姿を、肩で息をしながら見送る。
「はあ、はあ・・・・・・」
 全力で叫び、体を動かした身が、深い呼吸を要していた。
「無茶をしよる」
 一足で壁を乗り越えた紅鏡は、藤花を労わるように、前脚で肩を叩く。
 その柔らかさが、心地よい。
「だって、頭来ちゃう」
 甘えるように、紅鏡の腹に顔を埋めて抱きしめた。
「あんな小物の相手など、我に任せておけ・・・・・・おんしの手は、ちび姫を慈しみ育てるためにあるのだ」
「だって、あんなこと言われちゃったら、つい・・・・・・」
 愚痴を零しつつ、飼い猫の温もりを堪能する。
(やっぱり、紅鏡がいてくれてよかった・・・・・・)
 この飼い猫の強さと優しさが、心の支えであった。


 藤花が現状に気付いたのは、暫くしてからのこと――

「藤花・・・・・・何、してるの?」
 昼寝から覚めた撫子は、目を丸くして此方を見上げていた。
 梯子の上で猫を抱きしめる使用人など、初めて見ただろう。
 彼女に先程の遣り取りを説明するわけにはいかず、笑って誤魔化す他なかった。
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