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前編

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 俺、来人らいとと幼馴染みの貴彦たかひこは、生まれた頃からご近所さんで、幼少時から当たり前のように一緒に遊ぶ仲だった。
 両親はどちらもベータで、だからこそ対等につきあえる関係だった。
 運命の歯車が狂ったのは、俺と貴彦が十三歳になった頃だ。
 十三歳になると、国が決めた血液検査を受けなくてはならない。そこで俺たちは初めて、自分がアルファなのかベータなのかオメガなのかを知ることになる。
 人はみな生まれた頃から男女に分かれているが、それ以外にもうひとつの性別がある。それがアルファとベータとオメガだ。
 生まれた頃から十三歳まで、自分がどれなのか不明なまま育つ。
 誕生日を迎えたその日、各家庭に国から派遣されてきた役員が訪れ、決められた機関に連れて行かれ、厳重な環境の中で血液検査が行われる。
 もしアルファだと判明したら、その後の人生がバラ色になる。高度な能力を持ち、国から支援され、すべてにおいて優遇される。高い地位にもつけるし、一生を約束されたようなものだ。
 もしオメガだと判明したら、死刑宣告されたのも同然だ。世間からは下等生物のような扱いをされ、あらゆる差別を受けることになる。オメガだとわかった途端、絶望感に打ちひしがれて自害してしまう人だっている。出世街道からも外され、将来への夢も希望もなくなる。性処理や性玩具として扱われている人もいる。
 だから、オメガにだけはなりたくなかった。
 両親がベータなので、俺もベータだろうと漠然と思っていた。周囲もそんな感じでいたし、両親もそう思っていたに違いない。
 アルファもオメガも希少な存在なので、大半の人間がベータとして生まれてベータのまま一生を終える。特殊な能力もなければ蔑まれることもない。ごく普通の平凡な人間。それがベータだ。
 貴彦もベータだろうと思っていた。二人はいつでも対等だったし、一生そのままの関係でいられると思っていた。
 なのに。
 貴彦の十三歳の誕生日の翌日、あいつはアルファとして帰って来た。
 そして俺は。
 十三歳の誕生日の翌日から、オメガとして生きなければならなくなった。
 国もオメガを丸腰で放り出すほど鬼畜ではなかった。俺は抑制剤と避妊薬を渡され、毎日欠かさず飲みなさいと告げられた。
 オメガは男でも性交渉で妊娠できる。十三歳の少年は、自分の置かれた状況に絶望とめまいを感じながら、言われた通りに薬を飲んだ。オメガであるという現実がずっしりと背中にのしかかり、貴彦の前では笑うことさえもできなくなった。
 両親は初めのうちは悲しんでいたけれど、根がいい人たちなのか、俺を差別することなく今までと同じように接してくれた。
 案の定、学校では俺がオメガであることがあっという間に広まり、イジメの対象になった。アルファの貴彦は、先生からも特別扱いをされるようになった。
 対等だったはずの俺たちは、対等ではいられなくなった。
 笑えなくなった俺を貴彦は気にかけてくれたけど、俺のほうから遠ざかるようになった。
 対等ではなくなった今、隣に並ぶだけでも苦痛だったからだ。
 でもアルファの貴彦と友達だったおかげか、イジメは思っていたほどひどくはならず、なんとか無事に中学を卒業することができた。

 抑制剤のおかげか、十三歳から二十四歳までの間に、発情することは一度もなかった。避妊薬もずっと飲んでいたけれど、誰かに襲われるようなことも特になかった。
 貴彦は国からの支援もあって、一流の大学に進学した。俺は高校を卒業してからはバイト生活だった。オメガはオメガである時点でまともな就職先がない。オメガを雇うのをみんな嫌がるからだ。
 本来オメガは三ヶ月に一度ぐらいのペースで、発情期が来る。俺は抑制剤でむりやり抑え込んでいるので、まだ発情したことはなかった。
 発情したオメガは手がつけられなくなる。調和を乱す。迷惑な存在。そんな風に思われてるようだった。
 実際オメガが発情すると、アルファだけじゃなくベータの性欲も刺激するらしく、オメガの襲われる確率もあがる。考えただけでもぞっとした。
 発情への恐怖から、強迫観念にかられたように、抑制剤だけは毎日きちんと飲んだ。ところ構わず発情するオメガの性質に憎悪すら湧く。悪い見本のようなオメガの噂や事件を聞くたびに、俺だけは絶対にそうなるものかと自分に言い聞かせた。
 大学を卒業した貴彦は一流企業に就職した。それと同時に独り暮らしを始めたので、俺たちは自然と疎遠になった。バイトの安い給料しかもらえない俺は、実家から離れられない。格差を感じ、劣等感にさいなまれた俺は、自分から貴彦に声をかけることもなくなっていた。
 対等だったあの頃がなつかしい。
 そもそも俺たちは、初めから対等だったんだろうか。
 年月が経つにつれて、だんだんわからなくなっていく。
 いい職場に恵まれず、バイトを転々とするようになった俺は、脳裏にちらりとよぎるオメガの末路の話を思い出した。
 すべてのオメガがつがいを見つけられるわけではない。
 ただの性欲処理として扱われるだけのオメガだっている。
 そんな風にされるぐらいなら、一生誰とも身体を重ねずに過ごしたい。
 でも、すでに人生つまづき始めている俺に、未来なんてあるのだろうか。
 実家の自分の部屋のベッドの上に寝転がってもんもんとしていると、スマートフォンの音が鳴った。
 貴彦からのメールだった。
「三ヶ月経って、やっと新生活に慣れてきたよ。実家を出てから一度も来人とは会ってない気がする。俺から連絡するのもこれが初めてだよね。元気かな。抑制剤と避妊薬はちゃんと飲んでる? ずいぶん長い時間離れていたような気がするよ」
 心配されるのは心地よかった。
 俺が貴彦をわざと避けていることに、気づいているはずだ。だけどそのことには触れない。それが貴彦だった。言わなくても、俺が避けている理由もきっとわかっている。
「新居に遊びに来ないか? 都合のいい日を教えてくれると助かる」
 俺はメールを読みながら瞠目した。
 独り暮らしの貴彦の家に遊びに行く。そんなことは今まで考えたこともなかった。
 貴彦はどういうつもりで誘ってきたのだろう。俺がオメガだから? 貴彦がアルファだから? 今まで考えもしなかった。俺と貴彦がそうなる可能性。
 でも、まさかと首を振る。貴彦がそんな卑しい考えで俺を誘って来るとは思えない。純粋に、幼馴染みとして、友達として、変な意味じゃなく遊びに来てほしいだけかもしれない。
 だけど、と打ち消す言葉が脳裏に走る。俺はオメガだ。だから怯える。アルファの貴彦をそこまで信用していいのか。
 二人きりになるのが怖い。それが俺の正直な気持ちだった。

 貴彦が独り暮らしをしている高層マンションは、どこからどう見ても高級そうで、ああこれが一流の暮らしをしているやつの世界なのかと思った。
 いつの間にこんな風になってしまったのだろう。十三歳までは同じような生活環境だったはずなのに。
 また得体の知れない劣等感が俺を苦しめ始めた。たまたまアルファに生まれただけ。たまたまオメガに生まれただけ。それなのに、どうしてこんなに差が開いてしまうのだろう。
 まだ二十四歳のくせして、こんなとこに住みやがって。
 俺は実家から出る金さえもまだないっていうのに。
 マンションのエントランスにはコンシェルジュがいた。ジーパンにTシャツという安っぽい服装の俺を見て、軽く眉をひそめる。
「何か御用ですか?」
「あ、いや……ちょっと友達に会いに」
 貴彦の名を告げると、コンシェルジュが内線電話をかけた。
「では、あちらのエレベーターをご利用ください」
 オートロックが解除され、エレベーターホールへと足を踏み入れた。
 慣れない世界に肩がこりそうだ。これが貴彦の住む世界なのか。
 貴彦が遠い存在に感じられて、少し寂しくなった。劣等感を刺激されたり、寂しくなったり、俺の感情が忙しい。こんな風に乱されるから、来るの嫌だったんだ。
 十五階に到着し、貴彦の部屋の前に立つ。
 チャイムを押す前にドアが開いた。
「来人、久しぶり」
 反射的に俺は戸惑った。
「あ、久しぶり……」
「遠慮せずに入って。あ、コーヒー飲む?」
「う、うん」
 案内されたリビングは広かった。また胸の奥で痛みがじくじくする。
 俺の中の劣等感が刺激される痛みだ。
 リビングのソファに座り、じっくりと室内を眺めた。置いてある家具も、家電も、みんな高そうなやつばかりだ。
 アルファに生まれただけで、すべてが約束される。優遇される。
 そこから見える景色はどんななんだろう。
 コーヒーをテーブルに置いた貴彦が、向かい側に腰掛けた。
 身のこなしもどことなく優雅で自信に満ち溢れている。
 いつから貴彦はこんな風になったのだろう。
 十三歳までは俺たちに差なんてなかったのに。
 居丈高なわけでもなく、俺を小馬鹿にしているわけでもない。貴彦の俺を見る眼差しは昔と変わりなく優しい。わかってる。俺が一方的にやさぐれているだけだ。
「来人は、抑制剤を飲み忘れたことってある?」
 意味深な表情で貴彦がそんなことを言い出した。
「ないよ。どうして?」
「これまで発情経験は?」
「ないよ。そのための抑制剤だし」
 貴彦がソファの上で足を組み、膝の上で手を組んだ。
「実は、俺もずっと抑制剤を飲んでいたんだ」
「え?」
「言ったことなかったけど」
 貴彦が自嘲気味に笑った。
「どうして?」
 俺は不思議に思って問いかけた。アルファも抑制剤を飲むなんて知らなかったからだ。
「俺たちアルファは、オメガの発情に影響される。我をなくすんだ。どうしようもないほどに脳が狂って犯したくてたまらなくなる。それを抑えるための抑制剤だ」
 はっきりと言われて、俺はぎくりと強張った。
 貴彦はさらに話を続ける。
「俺も抑制剤を飲み忘れないように毎日気をつけてた。だから、まだ狂ったことはない」
「そ……そうなんだ」
 貴彦は俺に何を言いたいのだろう。不穏な何かを感じて、内心で身構えた。
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