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第一章 青き衣(ジャージ)をまといし者

つるの まい

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 元々、依頼を受けたのはエルアルトとママの二人だけのはずだ。
 ホワイトドラゴンの討伐だけではなく、地域住民とのトラブルなんて複雑で面倒くさいじゃないか。
 悪いけど、そんなのは当事者だけでやってくれ。

「たー! えいっ!」

 突如、気合いの入った声が廊下の奥から聞こえてきた。
 忍び足で進んでいくと、声が近くなってくる。

 声の主は窓の外にいた。
 庭には、

「はっ、やー!」

 可愛らしくも威勢のある声でノエルが空中にパンチを何度か繰り出し、足を高く上げて蹴りを入れていた。
 どうやら、朝の鍛錬といったところだろうか。

「ほわぁぁぁあ」

 一際気合いを入れて、ゆっくりとした動作で構えた。
 両手を翼のように大きく広げ片足で立つ。

 あれは、武闘家ザット師匠曰く『鶴の型』ではないだろうか。

 ノエルはヒュッと短く息を吸うと、

「たぁぁぁああっ!」

 あ、あの動きは……!

 両の拳を水平に胸の前で揃え、上下にガンガン激しく動かしている。
 ノエルが必殺技らしきものを繰り出したのだが、俺からすると、ポンプ式の空気入れを動かす動作にしか見えない。

「ぷふっ」

 これには笑いが堪えきれなかった。
 真面目な顔で頑張る彼女の姿が余計に微笑ましく感じられる。

「あっ!」

こちらが笑ったものだから、ノエルは気が付いたようだ。

「おまえ! だっそうするきか! そうはさせんぞ!」

 騒がしい足音を立てて走ってくると、そのまま窓を破らん勢いで開け放ち、窓枠に飛びついた。

 朝から元気の良い幼女だ。

 窓枠にしがみつき、じたばたと暴れること数秒。
 やっと足を窓枠に引っ掛けて、上に乗り上げることに成功した。
 俺はというと、逃げもせずにのんびりとそれを眺めていた。
 窓枠を乗り越えてやってきた彼女は荒く息を切らしつつ、

「ひみ、ひみつの、とっくんを、みて、いたな?」

 大きな瞳を険しく歪め、俺を睨み上げる。

「見た。秘密の特訓って、ポンプをガコガコ動かすアレのことか?」

 正直に言うと、彼女の頬が僅かに紅潮したのが見えた。
 どうやら本人も、相当恥ずかしかったようだ。
 キッと鋭い目を向けてくると、

「ひみつをしられたからには、しんでもらうぞ!」

 小さな拳を振り上げた。
 ちびっ子が拳を振り上げたところで怖くもない。

「あっ」

 俺が言うのとほぼ同じタイミングだろう。
 ノエルの影からバルトがにゅっと姿を現し、ぺっちーんと平手で彼女の頭頂部を叩いた。
 叩いたというよりも押し潰した。

「ぺぷっ」

 奇妙な声を上げて、ノエルの小さな背が更に縮む。
 平手で打ったのは、相手が子どもだということをバルトなりに配慮したのだろう。

「小娘、アルカに手を出すということは、 それなりに覚悟があるのだろうな?」

「なっ……どこからでてきた!」

 不意打ちに目を白黒させて、ノエルが背後のバルトを見上げる。

「影渡りを使えばたやすいこと」

 こともなげに言うと、懐から取り出した黒い針を数本、彼女の影に打ち込んだ。
 相手の動きを封じる影縛りの魔法だ。

「うっ、うごかん……」

 彼女は顔を真っ赤にさせて小さく呻いた。
 必死になって体を動かそうとしているのだろうが、術者よりも魔力が上でない限りは無駄なこと。

 ちなみに、いましがたバルトが言っていた『影渡り』とは、ありとあらゆる影から出入りし、その中で移動することを可能とした闇魔法の一つだ。
 長い歴史の中で何度か暗殺で使われたこともあり、今では国際法にて使用を禁止されている魔法の一つである。
 この魔法が記された魔法書は、国立図書館で厳重に保管されており、現在は国王から『色』の称号を受けた上位の魔法使いしか手にすることも、使用することもできない。
 エルフは人間の法に適用されていないようで、別らしいけど。

 俺も権利を持っているので知的探求心から一度は読んでみたいとは思うのだが、色々と面倒な手続きがあるそうなので、そこで気分が萎えた。

 マスターすれば女湯が覗き放題だと、とても魅力的な活用法をゲオルグじぃちゃんは言っていたけれども。


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