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第三部
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1 ミント王子
仕事の帰り道、芳香は薫樹に会えるかもと思い、彼の勤める化粧品会社『銀華堂化粧品』の前を通ることにした。社員たちはすでに帰宅してしまっているが、研究開発部の薫樹は定時に帰ることがあまりない。本人が仕事が好きだという理由で残業ではないが居残っていることが多いのだ。
芳香も遅い時間まで勤めているので、平日は待ち合わせることなくふらっと薫樹の職場を通りがかっている。
「まだ、帰らないかもなあー」
時間は7時半だ。いつも8時までは会社に残っているようなので、期待せずに少しだけうろつく。
道路に小石が落ちているのを見つけた。思わず、芳香はポーンと蹴ろうとするが、小石にかすることなくシューズがスポッと足から抜け会社の入り口付近まで飛んでしまった。
「ああー、やっちゃたあー」
ケンケンと片足で跳びながらシューズを拾いに向かう。すると男の話す声が聞こえ始めた。
長身の男二人が玄関から話し合いながら出てきている。遠目にもわかる、一人は薫樹だ。
「あっ、薫樹さんだ。珍しいー」
嬉しくて駆け寄りたかったが、シューズを飛ばしてしまい、もう一人知らない人物がいることに芳香はためらい少しずつ近づいて行った。
薫樹よりも、もう少し背の高い男が「おや?」と芳香のシューズを拾う。
「あっ、まずいっ」
芳香は急いで駆け寄り二人に近づいた。
「あ、あの、すみません、それ」
声を掛けるより前に長身の男があろうことかシューズの匂いを嗅ぎだす。
「いっ!ちょっ!」
ひるんでいると男はシューズを薫樹に嗅ぐように促す。
「やっ、やだっ!」
男二人がうんうん頷きあっている。
たまらず芳香は「そ、それ私のです! 返してください!」と目の前に飛び出した。
「ああ、芳香。やっぱり君の靴か。こんな芳香をさせる足がまだ世の中にあるのかと思ってびっくりしていたところだ。ああ彼女は柏木芳香。僕のフィアンセです」
「いやあ、芳しい。素晴らしい香りだ。留学中によく食べたエポワスを思い出しますね」
「ああ、確かに。僕もよく食べた。やはり合わせるのは同郷のブルゴーニュ産のワインだろうか」
「ええ、でも日本酒も案外合うんですよ」
「ほう。今度その組み合わせで食べてみたいものだな」
二人は芳香のシューズを持ったままお構いなしでチーズについて話し合っている。
「ちょ、ちょっとあの、返してもらえませんか?」
「ああ、失礼、シンデレラさん」
男は屈んで芳香の裸足の足を掌に載せシューズを履かせようとする。
「え? あ、あの自分で――」
ぐらつく芳香を薫樹が支え、「履かせてもらうといい」と足を差し出すように言う。
「ええー?」
困惑する芳香に男は「うーん、これはこれは。香りもさることながら足の形も素晴らしい」と褒め始めた。
薫樹はそこにまた食いつく。
「ん? 形もいいのか」
「ええ、エジプト型で多い形ですが、指も爪も綺麗に伸びている。土踏まずもしっかりあって、踵も柔らかいな」
「ほう」
「さすがは匂宮様、素晴らしい恋人をお持ちですね」
薫樹はまんざらでもない様子だが、芳香は気が気ではない。夜で人気はさほどなくまばらだが、通りがかる人々はこの奇妙な三人組をチラチラ見ている。
「か、返し下さいっ」
「おっと、失礼。僕は女性の足が一番、女性らしさが出る美しいところだと思っているのでついつい」
すっとシューズを履かせ立ち上がる。
ふわっとミントの爽やかな香りが芳香を包み込む。
「さ、爽やか……」
「芳香。彼は清水涼介君。うちの会社にしばらく助っ人で来てくれているフリーの調香師だ」
「よろしく。僕はパフューマ―(化粧品の調香師)の兵部さんと違って、フレーバリスト(食品の調香師)なのでちょっと毛色が違いますけどね」
「日本で彼の手が入っていないミント製品はないんじゃないかな。この業界では『ミント王子』と呼ばれているんだ」
「み、ミント王子……」
フフフと微笑むミント王子こと清水涼介を改めて見る。
長身でゆるいウエーブのかかった長めの真黒な髪に健康的に焼けた肌に彫りの深いはっきりとした顔立ち。薫樹とは対照的にギリシャの彫刻のようだ。
このような『宮様』やら『王子様』などの貴族階級のような人たちは変わった人が多いのだろうと芳香は少しめまいを感じた。自分の庶民さを再確認して「かっこいいけど変かあ……」とぼんやり呟いた。
「これから彼と仕事の打ち合わせがあるんだ」
薫樹の言葉にはっとし「いえ、通りがかっただけなので、また週末に」と告げて芳香はその場を去った。
後姿を見送る薫樹のとなりで清水涼介は「うーん。素晴らしい足だ」と感心していた。
2 ミントの効果
店の前にミントの苗を整頓しながら芳香は「変な人だったなあ」とミント王子のことを思い出した。
そこへ常連の勝俣房枝がやってきた。
「おはようございます。勝俣さん」
「おはよう、芳香ちゃん。あらあ、ミントあるのねえ。それ頂くわー」
「あらミントお好きでしたっけ? いつもはお花を飾られるのに」
「うふふっ、芳香ちゃん昨日のハーブ講座のテレビ観てないのぉ?」
「ああ、昨日は見逃がしちゃって」
「もうっ、ミント王子のカッコいことカッコイイこと!」
「み、ミント王子……」
「王子が言うことにはねえ――」
房枝はぽっちゃりした身体を揺さぶりながらミントのリフレッシュ効果と消化の促進の話を始める。
「で、さっそくフレッシュミントティーを飲んで、ミントのサラダを食べたいなあ、なんてね」
溌剌と恋をする少女のように初々しい様子で房枝は苗を取り上げる。
「あ、そっちはペパーミントですね。こっちのスペアミントの方が香りも優しいのでお料理に使いやすいかも」
「あらっ、ほんと。ちょっと違うわねえ。さすがね。芳香ちゃんもよく知ってるのね」
「いえー、まだまだ店長の聞きかじりで。じゃ、袋に入れてきますね」
ミントの葉が揺れると清涼な風が吹いたように爽やかな気持ちになる。(薫樹さんもミントティー好きだもんね)
芳香はミントを房枝に手渡しながら、今週末はちょっと手の込んだミントの飲み物を薫樹に振舞ってみようかと思案した。
週末に芳香は店長の小田耕作から商品にするには少し不格好なミントを大量にもらい、薫樹のマンションを訪れた。
「薫樹さん喜ぶかなあ」
ミントの香りを嗅ぎながら今日はまずモロッコミントティーを淹れようとエントランスの扉を開ける。
芳香は薫樹からいつでも来ていいということで鍵をもらっている。しかし遠慮深い彼女は結局、薫樹のいる週末にしか使わない。
「失礼します」
玄関に入ると、薫樹のシンプルな黒のビジネスシューズの隣に薄いグリーンのスニーカーがあった。
「ん? 薫樹さん、ランニングでも始めたのかな」
上がって少し廊下を歩きダイニングに近づくと話し声が聞こえる。
「あ、来客なのかな……。どうしよ……」
入るのを躊躇っていると、カチャリとドアが開き薫樹が芳香に気づく。
「やあ、待ってたよ。さあ、中へ」
「は、はい。お邪魔します」
頭を下げ、入って上げるとダイニングで背の高い男が立って何か作業をしている。後姿ではあるが見覚えがあった。
「み、ミント王子?」
「ん? ああ、芳香ちゃん、いらっしゃい」
明るい笑顔で涼介はまるで我が家のように芳香を出迎える。服装の会社の前で会ったときのスーツ姿とはまるで違い、薄いグリーンのパーカーに白いハーフパンツという軽装ぶりだ。
「こ、こんにちは……」
「清水君が美味しいモロッコミントティーをご馳走してくれるようなんだ」
「ああ、そうなんですかあ……」
「少し待ってて」
せっかく自分が振舞いたかったのにと思い、持ってきたミントに一瞥をくれ芳香は荷物をリビングの隅に置き、ソファーに腰かけた。
ふうっとため息をつき、すべすべしたヒノキのセンターテーブルを撫でて木の香りを嗅いでいると、清水涼介が「じゃ、そちらに持っていきますので」と作業を見ている薫樹にリビングに移動するように促した。
カチャカチャと茶器が運ばれる音がし、銀の丸い盆に、やはり銀のポットとグラスが乗せられてテーブルに置かれる。
「うわっ、本格的」
芳香は自分が淹れようと思っていたグレードをはるかに上回っている様子に、自分がやらなくて良かったかもと考え直した。
涼介はポットからミントティーを立ったままグラスに注ぎ始めた。器用なものでこぼれることはなく、ふわっと爽やかな香りが部屋を包み込む。
「ほぉ。素晴らしい」
「わあー。いい香りー」
爽快感が突き抜ける。
「さあ、どうぞ。今回はアップルミントを多めにしてみましたよ」
芳香の隣に薫樹は座り、涼介は床に胡坐をかく。
「あ、こっちへどうぞ」
慌てて芳香は立ち上がり、涼介をソファーへ促すが「ありがとう。俺、床好きだから気にしないで」と爽やかな笑顔で答える。
「は、はあ」
非常にカジュアルな振る舞いで屈託なく明るく爽やかでしかも濃い顔だがイケメン。
先日、店にミントを買いに来た客の房枝を思い出す。一番初めの出会いがなければ彼女のように涼介を素直に素敵だと思えたのかもしれないが、おそらく足フェチだろう彼を芳香は『残念なイケメン』だと思うだけだった。
一方、涼介は、床が好きというのは嘘ではないが実は芳香の足を眺めてるだけだった。(スリッパ邪魔だなあ)
踵から足首、ふくらはぎのラインを眺めて悦に入ってはいるが、本当は爪先が好きだ。
薫樹の恋人なのでうかつなことはできないが、まだ結婚してないしなと気楽に芳香にちょっかいを出してみようと考えている。
美味しそうにミントティーを飲んでいる二人を尻目に涼介はリビングの隅の紙袋から、ミントの葉が覗いているのが見えた。
「ん? ミント?」
近寄って袋を覗くとやはり大量のミントが入っている。
「あ、それ、私のお店の……」
「ふーん。お店でミント扱ってるの?」
「え、ええ。園芸店に勤務してますので」
「見ていい?」
「ええ、ああ、でもそれちょっと商品にするには今一つなのでもらったものだから」
ミントを袋から出し涼介は長いムエット(試香紙)を嗅ぐように、ミントから少し距離をとり、高く筋の綺麗に通った鼻先で香りを吸い込んでいる。
「いいスペアミントだ。香りが強いし元気だね」
「そうですか」
店のミントが褒められて芳香は嬉しかった。
ミントティーを飲み終えた薫樹が「ご馳走様。とても美味しかったよ。これならお客もたくさんくるだろうね」と涼介に話しかける。
「お客?」
芳香が首をかしげていると薫樹が説明を始める。
「今度、彼はミント専門のカフェをプロデュースするんだよ。うちの会社には今開発中のメンズボディーローションの調香に来てくれている」
「へー、多忙極まりないですねえ」
にっこり笑って涼介は「疲労もミントでばっちりリフレッシュですよ」とウィンクしながらまるでタレントのように決めていた。
「は、はあ、すごいですね」
「フフ、僕も最近香りの効果というものを実感したばっかりだ。清水君は造詣が深いね」
「いやあ、匂宮さまにそういわれると――。俺はミントだけですからね」
同じ調香師ではあるが少し専門が違う二人は互いを敵視することもなく認め合っているようだ。
芳香は男同士は爽やかなものだなあと甘くて爽やかなミントティーを味わっていた。
3 カフェ『ミンテ』
ミント王子のおかげですっきりと爽やかに薫樹と過ごしてまた新しい一週間を迎える。
今月は薫樹の出張と開発の追い込みによってあまり会える時間がないので芳香はつまらない気分で町をうろうろしている。
親友の真菜も結婚式に向けて忙しい様で、あまり邪魔もできない。
一人でいることに慣れていたはずなのに、このところ濃密な人間関係を形成するようになってから、誰かと過ごす時間の楽しさを芳香は知ってしまっていた。
適当に歩いていると新しくオープンされるカフェに出くわす。
「カフェ『ミンテ』もうすぐオープンかあ。真菜ちゃんとこれるかなあ」
外観はレンガ造りで大きな窓がたくさんあり、まるで童話にでも出てきそうな建物だ。
看板を眺めていると後ろから声を掛けられる。
「芳香ちゃん?」
「え?」
振り返るとかっちりとスーツで決めた清水涼介が立っている。
「あ、清水さん。こんにちは。どうしてこんなところで……」
芳香が不思議がっていると涼介は「ここが、この前、兵部さんと話してたカフェなんだ」と看板を指さした。
「そうなんですかあ。ミンテって書いてるからわからなかったです」
「ははっ。ミンテっていうのはね。ミントの語源になった妖精の名前なんだ」
「へえー。きっと可愛い妖精でしょうねえ」
「うん。ミンテはね。ハーデスって神様に無理やり連れていかれるところを嫉妬した妻のペルセポーネがミントに変えたんだってさ」
「えー。ミンテは何も悪くないのに可哀想」
「だよねえ。もう一つ話が合って、やっぱりハーデスに連れていかれそうにはなるんだけど、ペルセポーネがそれを気の毒に思って助けようとしてミントに変えたらしい。俺はこっちの話の方が好き」
「そうですね、そっちのほうが随分いいですよね」
ほっとする芳香に涼介は「今一人で暇してるの?」と尋ねる。
「え、ひ、暇というわけじゃ」
どう見ても暇に見えるだろうが芳香は暇ですとは言えず口ごもる。
「時間があるなら、店の中見てみない?ミントのメニューもたくさんあるんだ。良かったら何か意見してよ」
「中、見てもいいんですか?」
可愛い外観にミントのメニューと芳香は好奇心をくすぐられ、誘われるまま裏口から店内に入った。
レンガ造りの内部のあちこちにミントの鉢植えが置いてあり、光をとる窓は大きく明るい。
「中も可愛いー」
「ほんと? 良かった」
人懐っこい笑顔を見せ、涼介はメニューを持ってきて芳香に見せる。
「モロッコミントティー、モロッカンサラダ、ミントノカプレーゼ、ミントアイス――へえ色々あるんだあ」
「どうかな? まだ増やしたいけど」
「んー、そうですねえ。夏はいいけど、冬ってなんかミントは寒い気がして――」
「はあはあ。なるほど。芳香ちゃんは鋭いねえ。うーん、冬メニューね、うんうん」
「すみません、あんまり気にしないでください」
「いやいや、いい意見だよありがとう。ミントで何か鍋とかどうかなあ。ちょっとまた考えてみよう」
仕事に真剣に向き合っている姿は恰好いいんだなと芳香は涼介を見つめた。
「じゃあ、この辺で私は失礼します」
「ああ、待って。急いでる?」
「いえ、そういうわけじゃありませんけど」
「ご飯でも行こうよ。夜、何か約束がある? 今日、兵部さん出張中でしょ?」
「よくご存じで……。でもほかの男性と食事するとかってちょっと……」
「ええー。ご飯だけだよ? 兵部さんが怒るかなあ。ちょっと待ってて」
薫樹ははたして怒るのだろうかと考えていると、涼介はスマートフォンをさっと取り出し電話を始めた。
「――そうですか。わかりました。きっちり最後までエスコートしますからご心配なく」
電話を切り芳香の方へ向き直る。
「兵部さん良いってさ」
「ええ!?」
「今電話で聞いたら、よろしくって言ってたよ」
「……」
「いこうよ、すぐ近くに美味しい串料理屋があるんだ」
薫樹がダメだと言わないことが芳香を複雑な気分にさせる。
「ですね、じゃ、いきます」
あまり気分が乗らないが夕飯をまだ決めていなかったのでついて行くことにした。
4 続・ミントの効果
明るく元気な掛け声で迎えられ、串料理屋に入る。
まだ早い時間なのに座敷は一杯でカウンターしか席は空いていないようだ。
「ああ、残念。座敷の方が楽だよねえ」
「あ、いえ。私、カウンターの方が好きなんですよ」
今でも人前で靴を脱ぐことが躊躇われる芳香にとって、座敷に案内されるより随分気が楽だ。
今日はよく歩いていたようで、肉の焼けた匂いが芳香の空腹を促す。
「お腹空いてきたなあ」
「ははっ、いっぱい食べてよ。ここはさあ、いろんな串があるんだよ。ほら、シュラスコとか」
炭火で焼かれた肉が大きな串に刺され、カップルが嬉しそうに店員から受け取っている。目の前のメニューを見ると串カツなど揚げ物もあり、焼き鳥、シシカバブなど多国籍な串料理が並んでいる。
「へえ、美味しそう」
「しかもここはね、飲み物も色々あるんだ。お酒飲める?」
「え、強くはありませんが、少しなら」
「じゃ、とりあえずモヒート二つ」
涼介が飲み物を注文し、少しずつ串ものを頼んだ。
「じゃ、かんぱーい」
「あ、乾杯」
初めて飲むロングスタイルのモヒートの匂いを嗅ぎ、芳香はそっと口をつける。
「わっ、美味しい。さっぱりしてる」
「初めてだった? ミントとラムのカクテルなんだ。本来はミントじゃなくてキューバのハーブを使うんだけど、日本じゃミントを使っててさ。俺はもちろんミントが好きだから本場よりこっちがいいかな」
「へえ。揚げ物ともあいますねえ」
「うん。この店はとくに甘さも控えめだからね」
気さくな涼介は芳香になんら緊張を与えず、楽しく朗らかだ。芳香には今まで恋人はおろか友人もやっとまともに出来たので、異性の友人はもちろん居ない。男の友達とはこういう感じなのかなと思い始めていた。
「ねえねえ。兵部さんとの馴れ初めは?」
唐突な質問に芳香は手が停まる。
「え、な、馴れ初めですか……」
「うん。今を時めく匂宮さまを射止めるなんてなかなか出来ないでしょ。彼っていつもうわさが絶えないし。ちょっと前までは今売れっ子モデルの野島美月ちゃんと付き合ってたとか」
「……」
野島美月とは仕事上の関係しかなかったのにいつの間にか薫樹の恋の遍歴に加えられている。
「なんか芳香ちゃんみたいなタイプが兵部さんの恋人ってちょっと不思議だよなって」
「で、ですよね」
自分でもわかっていることなので指摘されてもおかしくないだろうと芳香は腹も立たない。
「しかも兵部さん君にべた惚れっぽいしね」
「え? ど、どこが」
「ん? 昼とかランチ行こうって俺が誘うとさ、君の料理の話を始めたり、会社にいる可愛い子を褒めても、全く興味がないみたいだし」
「そ、そうですか」
「まあ、芳香ちゃんは確かにぱっと人目を惹くタイプじゃないけど、兵部さんが選ぶだけあって奥が深いんだろうねえ」
「そんなことはないと思います……」
他所で自分の話をされているとは全く思っていなかった芳香は嬉しくもあり恥ずかしくもあるが、聞いた人は首をかしげるのだろうなと苦笑した。
涼介は軽快で王子と呼ばれる割に気取ることもなく芳香は楽しく過ごせた。
帰りもアパートまで送ってくれるという。
「まだ早い時間ですから、ここで全然大丈夫です」
「うーん、兵部さんにちゃんと送り届けるっていってあるしなあ」
「いえ、ほんとに」
頭を下げて芳香は帰ろうとすると涼介が「まって」と引き留める。
振り返る芳香に「芳香ちゃん、足、痛くない?」と爪先を指さす。
「えっ」
長い間歩くのに適していないパンプスは芳香の足に靴擦れを引き起こしていた。軽く痛んではいたが気にするほどではないのに、少し違和感のある引きずった様子を涼介は鋭く見つけている。
「ダメだよ。そのままにしちゃ。ほら、そこ座って」
ひらりとスーツからハンカチを出し、道端のブロックに敷き芳香を座らせる。
「あの、何を」
「いいからいいから」
ポケットからウエットティッシュと小瓶を取り出した涼介は芳香のてのひらにそれらを置き、スッと手早く彼女のパンプスを脱がせる。
「あっ」
すぐにウエットティッシュを取り出し、爪先を綺麗に拭き上げ、今度は小瓶の蓋を開け手のひらに数滴落とし、指でかき回す。
「ペパーミントの精油で作ったアロマオイルだよ。鎮静効果もあるし、炎症も抑えるんだ」
優しくマッサージするように涼介は芳香の爪先にオイルを塗る。
「ふぁっ」
まるで上等なリフレクソロジーを受けているかのようで、気持ちの良さに思わず声を出してしまった。
「少し合わない靴で歩きすぎたみたいだね。このオイルあげるから、たまにフットバスに使ってみてよ」
「すごい。むくみが取れてる」
少し赤く膨れた足が鎮静されていく。
すっきりと軽くなった足に涼介はするっとパンプスを履かせ芳香の手を取り立たせる。
「はい。どうぞ、シンデレラさん」
「あ、ありがとうございます」
もう少しだけ送るという彼にバス停まで送ってもらい、芳香がバスに乗るまで一緒に涼介はいた。
バスの窓から振り返ると、涼介はまだこっちも見送っている。
「変な人かと思ったけどいい人なのね」
警戒心が少し薄れた芳香は楽しくて親切な涼介の好感度を上げる。そして薫樹にミントの効果を報告したいなと思っていた。
「やっぱ、良い足だなー。触った感じもよかったし。もうちょっとで舐めちゃうとこだったな。アブナイアブナイ」
涼介はニヤニヤしながら芳香の爪先の感触を思い返している。
「次、また触れる機会があるかなあ」
とりあえず、薫樹と仲良くしていれば芳香の足を堪能できるかもしれないと思い、ラインで「芳香ちゃんは無事帰宅しました^^」と報告を入れておいた。
「さて、明日からも忙しいぞ」
ウエーブのかかった前髪をさっとかき上げ、ミントの香りをその場に残し、涼介は人ごみの中に消えていった。
5 招待状と妄想
涼介、プロデュースのカフェ『ミンテ』はオープンしてから数日たったが人は途切れることなく流行っている。
芳香は久しぶりに会える真菜との時間をこのカフェで過ごしたかったが、賑やかで落ち着きがない様子にいつものオープンテラスのあるカフェに行った。
「真菜ちゃん、久しぶり」
「ほんと久しぶりだね。元気だった?」
「うん」
三ヵ月も会っていなかったので芳香はいっぱいお喋りがしたかった。
「今日はゆっくりできる?」
「うん、もうね、ほとんど決まったから大丈夫だよ。これ招待状」
「あ、くれるの? 嬉しい!」
「そりゃ呼ぶよー。来てくれる?」
「ぜったーい、いく! 何があっても行くよ!」
「ふふっ、ありがとう」
シンプルだがキラキラ光るピンクの招待状には真菜の幸せが詰まっているような気がする。
眩しく招待状を眺めていると「芳香ちゃんたちは最近どう? 何か進展した?」と真菜は優しく聞いてくる。
「えっとねえ」
特に進展はないが仲良くしている話と少しずつだが薫樹の愛情を心から感じられるようになったことを話す。
「うんうん。いいねいいね。順調じゃん」
真菜に肯定されると芳香も嬉しくなり少し自信が付く。そして薫樹と同じ会社に勤める真菜からミント王子の話題が出た。
「ミント王子がまた人気でさあー。匂宮さまとはまた違って気さくだし爽やかでイケメンだから会社中もうざわざわしちゃって」
相変わらず真菜はマイペースで他の女子社員が騒ぐ男たちに関心は薄い。
「その、ミント王子なんだけどね」
最初からの出会いとこれまでのことを包み隠さず、真菜に話す。
「んんー、なんか匂う」
「えっ? ごめん。あたしかなあ?」
「やだっ、ふふっ、違うわよ。――そのミント王子よ」
「ん? ミントのいい匂いするねえ」
「もうっ、芳香ちゃん、気を付けて。ミント王子、きっと芳香ちゃんのこと狙ってるよ?」
「ええっ!? まさかー」
「兵部さんいるから、たぶん大丈夫だとおもうけどさ」
「ううーん。変な人だけどそんな感じはしないなあ」
「ふふっ、芳香ちゃんの方は心配なさそうだね」
「なにが?」
「んんー、ミント王子のこと好きにならなさそうってこと」
「やだぁー、ならないよー」
男女の機微に疎い芳香は真菜の話があまり理解できなかったが、やはり薫樹という恋人がいるのだから誤解を招くような行動は慎もうと心に決めた。
また涼介のことを好きになれるかどうか考えたとき、全く心が動かされないと実感する。出会いの印象が良かろうとも彼に恋はしないだろう。
もし薫樹と涼介と出会い方が逆であったらどうだろうか。
――こっそりと芳香は妄想を愉しむ。
「君の足を研究させてよ」
薫樹に変わり、爽やかにミント王子に言われ検体になったと想像する。
(すっきりして終わりそうかな)
「失礼、シンデレラ」
無表情な薫樹に靴を履かされる。
(やっばーい。すっごいドキドキする)
はあはあしていると真菜が心配して顔を覗き込む。
「どうかした、芳香ちゃん、顔赤いよ」
「え、そう? 今日暑いもんね」
「ん、夏日だね」
薫樹のことを考えると胸がどきどきして、彼の指先を嗅ぎたくなる。
「ねえ、真菜ちゃん、いつまで好きな人のことを考えるとドキドキするのかな。結婚してもドキドキするのかなあ」
「ふふっ、芳香ちゃんはときめいてるねえ」
「え、あ、うん」
「私はなんかときめいたことないんだよねえ」
「へー、そうなんだあ」
「うん、興奮することはあるけどね。それってドキドキじゃないよね」
「そ、そうだね、なんか違うね」
赤面する芳香に真菜はニヤニヤする。
「まあでもさ、相手のことを想う気持ちがあるのが大事じゃないかな。ドキドキでもワクワクでも」
真菜のさっぱりとした回答はいつ聞いても気持ちが良い。想う人がいることは幸せなことだと芳香は実感した。
――真菜は芳香と別れてスーパーに立ち寄った。
恋人の鳥居和也は隣同士に住んでいるので、結婚を機に二人でアパートを借りることにしている。
今はお互いの家を行き来して、和也の母親と一緒に料理を作ったり、また真菜の家に和也がやってきて夕飯を食べたりする。今日は真菜の家で彼女が夕飯を作る。
二人が結婚すると言い始めたとき双方の両親は非常に驚いたが、もともと仲の良い隣人であったため、すぐに満場一致、万歳という状況になった。
スムーズな結婚なので楽に事を運べるのだが一つ問題なのがセックスに関してだ。
真菜と和也が家族同然なので二人で部屋に居ても、お互いの家族が遠慮なく平気で出入りしてくる。
「はやく二人で暮らしたいなあ」
家族が目の前にいない隙に、真菜は和也をこっそりいじめる。昨日は和也のペニスの根元に輪ゴムをつけ、人がいないときに上から擦ってやった。
和也は目をウルウルさせ、勃起を必死で隠していた。
そのまま時間があればわずかな時間で真菜と和也は繋がったが、昨日はそんな時間がなく和也を置いて、真菜は自宅へと戻った。
「あの後自分でしたのか聞いてやろう」
くくっと思い出し笑いをしてしまい、人目をハッと気にして適当な野菜をかごに入れる。
二人きりになったらしたいことはいっぱいある。
「目隠しいいなー。スパンキングははずせないし」
新居探しに一番骨を折ったのが防音だ。鉄筋コンクリート造りの角部屋を選び、ペット可のアパートを選んだ。
自分たちが静かに暮らしたいのではない。音がよりごまかされやすい環境を選んでいる。
真菜が「バイブの振動音って案外響くみたいだものね」と和也に告げると、彼は目を泳がせながら「ど、どっちが使うんだよぉ」と大きな身体をもじもじさせた。
「ああー、楽しみだなー」
ご機嫌で買い物を終え、真菜は精力のつくメニューを考えながら帰宅した。
6 宮と王子
研究開発のピークを終えて薫樹は帰宅し自室の研究室で調香をする。何を調香しているのか興味があるという清水涼介を薫樹は気にせず部屋に招き入れる。
勿論涼介は邪魔をせず、静かに調合する様子を見ている。芳香の足に触れるチャンスをうかがっていることもあるが、純粋に薫樹が個人的な調香をすることに興味があるのだ。
「清水君、ちょっといいかな」
「ええ、いいですよ」
「この部分の配合なんだが――」
「ん? どれどれ――ちょっと酢酸ベンジル多いんじゃないですか?」
「そうか」
「んんー。この配合……。フェロモン香水でも作ってるんですか? はははっ」
「流石だな。よくわかったね」
「ちょ、ちょっと、匂宮さまともあろうものがフェロモン香水なんか必要なんですか? それ会社の企画じゃないでしょう」
「うむ。実は僕と芳香はまだ結ばれていないんだが、できるだけ良い夜にしたいと思っていて――前回の配合はちょっと彼女を暴走させてしまって」
「いっ、あ、そ、そうですか、ははっ……」
眼鏡を直しながら真剣にレシピを眺める薫樹を涼介は気を取り直して咳払いしアドバイスする。
「兵部さん。真面目な話、この調合だと女性が男性に向けるフェロモン効果になりますよ。兵部さんが芳香ちゃんを落とすほうなんでしょ?」
「ああ、そう言われてみればそうだな。僕は十分、その気だからね」
「いやあ、参った、のろけか……。まあとにかく彼女をその気にさせる男のフェロモンと暴走させ過ぎないストッパーも必要ですね」
涼介は配合メモにサラサラと万年筆で書き加える。
「カストリウムにメントール……か。ほうっ、さすがミント王子だな。これはいい!」
「お役に立てて光栄です」
芳香にモーションを掛けていたことなどに気づかず、調香の配合のアドバイスを素直に聞き信頼してくる薫樹を涼介は感心して眺める。
「今まで友人なんかいなかったけど……」
「ん? 何か?」
「いえ、別に」
薫樹とは友人になれる気がしていた。
「俺も紫の上探さないとなあ」
「ふっ、芳香は紫じゃないな。どちらかというと宇治の大君かな。育てるところなんかなかったから」
「なーるほどね。対等なわけだ」
「それどころか彼女は新しい創作のヒントをくれたりすることもある。女神だな」
「はあ。ああ、確かにこの前カフェのメニュー見せたら冬のミントメニューを考えさせられたなあ。鋭いですねえ彼女」
「フフッ、そうだろうそうだろう」
薫樹の満足そうな様子に涼介は芳香を手放すことはないだろうと実感する。
「あーあ、あんないい足の娘。滅多にいないのになあ。宮様のものかあ」
「よく、足、足言ってるがそんなに珍しい足なのか」
「付き合った娘たちと眺めた数と、これからの出会いの予想で換算すると、たぶん万分の1かなあー」
「ほう、万分の1か」
「ええ、ほんとそれくらいかな」
「ふむ。僕は女性と付き合うのは芳香が初めてだが、恐らく彼女の香りは億に一つだな」
「ほええー、億に一つかあ。じゃあ、やっぱかなわないなあ。諦めます――」
「何を?」
「いえいえ、こっちの話です」
「万に一つならまだまだ出会えるだろう。希望を捨てないように。僕は芳香に出会うまで、一生独りで過ごすだろうとさえ思っていたからね」
大げさではないだろうが本当に妥協をしそうにない薫樹に涼介は自分ももう少しストイックに過ごそうかと一瞬考えたが、性格的に無理だなと思い直す。同じ調香師でも、人の口に入るものに香り付けをするフレーバリストを選んでいる時点で涼介は人と交わっていくこと、社交が好きなのだ。
「完成した。どうかな」
「どれどれ」
細く長いムエット(試香紙)に鼻先をそっと近づけ涼介は香りを嗅ぐ。
「うんっ、素晴らしい! これ商品化した方がいいですよ」
「うーん。ちょっと目的が目的だけによした方がいいだろう」
「むうっ、確かにこれじゃアダルト商品になっちゃうかなあ。――それなら、いっそ、どうです? こうしたら」
「ほうっ。ルームフレグランスよりもいいかもしれないな。流石だな。パフューマ―にはない発想かもしれない」
「お役に立てて光栄です。いつか僕も使いたいのでレシピ置いといてくださいね」
「ああ、もちろんだ」
「さて、俺、ミントティーでも淹れますよ」
「ありがとう」
色々なことにすっきり納得した涼介は心爽やかにキッチンへと向かった。
キッチンでは薫り高いミントティーが薫樹を待っていた。
「どうぞ、あったかいうちに」
「いただきます」
「芳香ちゃんが持ってきてたミントを乾燥させて淹れてみましたよ」
「そうなのか。フレッシュとはまた違った味わいだ」
以前、芳香が持ってきていた大量のスペアミントは涼介が持ち帰り、ドライハーブにしていた。
「長持ちしますしね。これはこれでいいものですよ」
二人はいつの間にか仕事関係を超えている。薫樹にとっても涼介のように人懐っこい男は初めてだが不愉快ではない。
女性なら薫樹に対して親しく接するのは恋愛関係を想定してのことであるが、男の涼介には勿論ない。利益を得ようとすることなく接してくる涼介に好感を得ている。学生時代に友人はいたが、各々研究と追及が主にやることであり、このように日常会話を交わすような交流は皆無だったような気がする。
「本当に君はミントのようだな。ミント王子という名は伊達じゃない」
「なんですか。いきなり。はははっ」
薫樹も芳香と同様に人と親密な関係を構築している最中であった。
7 スーパーモデル『TAMAKI』
『銀華堂化粧品』では創立50周年を記念してパーティーが行われることになった。
社員である薫樹はもちろんのこと、真菜も参加する。
ミント王子こと清水涼介もゲスト招待されていた。芳香は薫樹から同伴で参加しないかと誘われていたが、自分を知っている他の女子社員に彼と付き合っていることを知られたくないため断った。しかも社員とはいえ、会社の中でエースという立場の薫樹と平凡な自分が一緒に出掛けても場違いであろう。
薫樹にパーティの様子を聞いても、きっとよくわからないだろうと思い、芳香は後で真菜にどんなパーティだったか聞こうと思っていた。
パーティーはホテルを貸し切って行われる。
招待人数も多いので立食パーティーだ。壇上では開会式の挨拶をはじめ、『銀華堂化粧品』を設立した会長、現取締役たちがスピーチを行った後、今後の方針、展開について語られた。
『銀華堂化粧品』は今までスキンケア、ボディケア用品に力が入っており、それらに香りをつけるため薫樹は調香をしていた。今回、50周年を記念して、香水を開発、販売するという。日本では香水そのものに販売力があるわけではない。日本人の体臭が薄く、香水を必要とすることがないためである。古代では香を着物に焚き込み、現在、柔軟剤などで衣服に香料を浸み込ませる、そのやり方は間接的であって、直接、身体に身に着けるものではない。また香水を好むものは海外の有名ブランドのものをすでに身に着けている。
会社の狙いとしては、日本人を対象とした香水開発ではなく海外に向けた日本の異国情緒を感じさせる、ジャパネスクパフュームを販売したいのだ。それが海外に評価されて初めて国内のユーザーが増えるであろうという目論見だ。
ある意味社運を賭けた開発になるだろう。
薫樹も調香師として意欲を燃やしている。
司会のものがここで今回の香水のイメージとなるモデルの紹介を始める。カツコツと軽妙なヒールの音がする方を社員一同目を向ける。そして息をのみざわついた。
「皆さん、お静かに」
壇上にすらりと伸びた高い身長のエキゾチックな女性が現れる。漆黒で硬いまっすぐなショートボブに切れ長で鋭い目。鼻筋は細く、高く鷲鼻に小さいが肉厚の唇が、東洋人だが謎めいた印象を与え無国籍な様子でもある。くっきりとした鮮やかなオレンジ色のタイトなカクテルドレスが浅黒い肌を引き立たせている。
「ご存じない方はいらっしゃらないと思いますが、ご紹介いたします。世界でも活躍中のスーパーモデル『TAMAKI』さんです!」
「よろしく。TAMAKIです」
クールな表情に少しだけ笑みを乗せ会場を一瞥する。
社員たちはまたざわめき始める。
「すごいなあー。TAMAKI呼んだのかあー」
「これ、会社めっちゃ本気じゃん」
「うわー、でっかいのに顔ちっちぇえー」
「何、あのウエストの細さ、信じらんないー」
コホンと司会者が咳払いすると会場は静まった。
「えー、では皆さん、今夜はゆっくりと楽しんでください」
管弦楽団による演奏が始まり、会場は賑やかになった。
壇上の下で薫樹はスーパーモデルのTAMAKIこと唐沢環を眺め、懐かしく感じていた。
彼女とはまだ薫樹が調香学校の学生であったころ、フランスのヴェルサイユで出会っていた。もう10年以上前のことだ。
彼女は売り出し中のモデルで薫樹の調香学校の教師でもあるジャン・モロウの恋人だった。
会長をはじめとする会社の重鎮に囲まれ、媚びることなく環は言葉を交わしている。
「さすがにスーパーモデルを間近で見るのは初めてですよー。かっこいいですねえ。女性だけどきりっとして」
薫樹の隣で涼介が感嘆している。
「うん、そうだね」
やがて環が社長に連れられて薫樹の前にやってきた。環より背は低いが恰幅の良い社長は機嫌よく薫樹に紹介始めると環が制する。
「社長、私、彼とは旧知の仲なのです。ご紹介は結構ですわ」
「えっ? 兵部君と知り合いなのか? それは知らなかったなあ。そうなのかね?」
「ええ、とは言っても、お会いするのは10年以上ぶりですがね」
「そうかそうか。まあコンセプトは君に伝えてあったがTAMAKI君を目の前にするとよりイメージが沸くだろう。あとは君に任せるよ」
社長は愛想を振りまきながら他会社の重役たちの中へ入っていく。
「お久しぶり」
「本当に久しぶりだね。そうだ紹介するよ、今、チームに加わってくれている清水涼介君」
「清水涼介です。お美しい環さんにお会いできて光栄です。よろしく」
「よろしく」
爽やかに笑顔を見せる涼介とは対照的ににこりともしない環は差し出された手にも無視をする。
「馴れ馴れしかったですかね。失礼」
さっと手を涼介は引いた。後ろの方で自由にパーティを愉しむ女子社員たちが着飾った様子で涼介の様子をうかがっている。
彼女たちは涼介が今フリーであることを知っており、あわよくばと狙っているのだ。薫樹と違い気さくな涼介はそんな女子社員たちに愛想よく振舞う。
「じゃ、兵部さん、僕も楽しんできます」
「ああ」
涼介はこちらをチラチラ見ている女子社員数名の中に紛れ込んでいった。軽く黄色い歓声が上がっている。
「ふん。何、あの人。軽そうな男ね」
「清水君は日本では有名なフレーバリストでね。ミント王子と呼ばれている。気さくで楽しい人だよ」
「へえ。王子様ね」
「ところで、珍しいね。日本の企業の仕事を引き受けるなんて。ジャンは一緒に居ないのか」
「ジャンは……。死んだの……」
「えっ!? いつ?」
「去年。もう高齢だったし、いつでもおかしくないって思ってたけど」
「そうか……。残念だ。調香界の王が……」
「それで、私ももうフランスにもいる意味がないし、モデルにも飽きたから日本で適当に過ごそうと思ってた時に『銀華堂化粧品』からこの話が来たのよ。ジャンもいないし、もう落ち目の私には断る理由がなかったから」
「……」
「今回の香水の名前『KOMACHI=小町』ですってね。私に本当に合ってるのかしらね」
「君は小町というよりも楊貴妃というイメージだからかなり僕にとっても違うんだが、まあ善処するつもりだ」
「ふふん。ジャンが最後に私のために作ったパフュームがまさに『KIHI=貴妃』よ。今、身に着けてるわ」
1メートル離れて話していた二人の距離をスッと縮めて環が薫樹の懐に入る。
「むっ、これは!」
「どう?」
「素晴らしい。ちょっとこっちに来てくれないか」
薫樹は環に庭へ出るように促す。
二人が会場を後にするのを涼介と真菜だけが気づいていた。
8 楊貴妃の香り
木の陰ですんなりとした肢体の環を、薫樹は上から下まで一瞥し、彼女の首筋に鼻先を添わせ、やがて胸元、二の腕、から指先までたどる。
「素晴らしいな。これは名香中の名香だ。彼はどうしてこれを商品化しなかったのだろう。このパフュームを発表すればまたトップに躍り出でただろうに」
「そんなにいいの? 実は未完成だったの。私が着けて初めてこの香りになるのよ。ベースはこちら」
環はゴールドのパーティバッグから小さなアトマイザーを取り出す。
「嗅いでもいいかな」
「ええ」
薫樹はスーツの中から手帳を取り出して白紙の部分を少し破り取り、環の香水をかけた。そしてゆっくりと鼻先に近づける。
「ふーむ。このままでも素晴らしいが、確かに、何か足りない。君の体臭と混じることで完成度が高くなっているようだ」
「ジャンは楊貴妃の香りを再現したかったみたいよ」
「なるほど。ジャンも君のイメージを小野小町でなく楊貴妃ととらえたわけだ」
濃厚でセクシーな名香を前に薫樹は興味を隠せない。
「もっと近くで嗅いでもいいわよ」
月光に照らされた環の冷たい笑顔と香りが薫樹の思考を停止させる。思わず手を伸ばしかけたとき、ガサガサと茂みから音がしてするっと涼介が現れた。
「やあ、兵部さん、こんなところに居たんですかー。おや? 環さんもご一緒で。お邪魔だったかな? そろそろ閉会式の挨拶ですよ」
「あ、いや、ありがとう。今行くよ」
環は冷たい視線を涼介に送り、すっと会場へ入っていた。
後姿を見送り、涼介は薫樹に尋ねる。
「どうしたんですか? 兵部さん。なんか彼女とわけありなんですか? お二人やけに親密だなあ」
「そういうわけじゃないが」
「ふーん。まあ、しかし怖い女性ですねえ。にこりともしないし。あんな態度女性にとられたのは初めてですよ」
涼介は珍しく機嫌を悪くしている。
「元々アイスドールと呼ばれてたくらいだからね。でも、去年恋人を失くしたんだ。こんなところへ出てきてるだけでもすごいと思うよ」
「ああ、恋人を……」
同情を見せる涼介は気を取り直した様子で、会場へ戻ろうと薫樹を促した。
帰り際、環は「いつでも連絡して」と薫樹に名刺を渡した。『KIHI=貴妃』の香り付きで。
名刺の香りを嗅いでいると、涼介がまた薫樹を構う。
「兵部さん、そんなに彼女の匂いがいいんですか?」
「あ、ああ。久しぶりにハッとする香りなんだ」
「ふーん。芳香ちゃんよりもですか?」
「芳香……か。彼女はムスク(ジャコウ鹿)だが、環の体臭はシベット(ジャコウ猫)の香りがする。しかも香水と混ざって完成度を高めている。配合が少しつかめなかった」
「なんだかなあ。環さんに興味があるのか、匂いだけなのかはっきりしてくださいよ。芳香ちゃんが心配しますよ」
「ん? ああ。大丈夫。環自身に関心を寄せることはないと思う。――ふぅ、なんだか少し疲れた。今日はもう帰って休むよ。じゃ」
「はーい。お疲れ様でした」
環の出現が何かしら薫樹に揺らぎを与えている様子に涼介も何かしらの動揺を感じる。
「兵部さんに限ってなあ」
涼介から見ても、環と薫樹の関係は芳香と彼の関係以上の深さが感じられた。なぜか薫樹が環の方へ流れてしまわないように、芳香を支えたい気持ちが芽生えている
「あれ? おかしいな。兵部さんと環が上手くいけば占めたものじゃないか」
自分自身の感情に困惑する。涼介はいつの間にか薫樹と芳香のカップリング自体も好きになっているのだ。
とんちんかんな薫樹と芳香のやり取りはまるで漫才のようにも見える。
「ふー、なんか俺も色々忙しいんだけどなあ」
お節介を焼こうとしている自分がなんだか愉快に感じる。胸元からスッとアトマイザーを出しミントのオーデコロンをさっと顔に向けて吹きかける。
「さて、俺も帰ろう」
濃厚な『KIHI=貴妃』の香りを爽快なミントの香りが打ち消す。しかしそれぞれのラストノートは仲良く交わっていた。
9 魅惑の足
彼が関わったメンズボディーローションは驚異的な売り上げを見せ、他社を圧倒する。メンズ製品はもう街にあふれており、いくらミント王子による芳しい爽快なローションを開発したとしても、そこまでの売り上げは見込めないはずだった。そこを他社と差別化を図るべく、涼介はある提案をした。
「どうでしょう。ペアローションにしてみては?」
「ペア?」
「ペアねぇ」
開発チームの社員にメンズのみならず、それに添ったレディースのローションを同時発売することを進言する。
薫樹をはじめとする、チームのメンバーは有能ではあるが、社交の部分では著しく欠けがあり、開発することに関して長けてはいるが企画には向かない。
早速、涼介の提案は会議に掛けられ、すんなり通る。
開発が二種類になるので社員たちは過労気味ではあったが、黙々と作業をこなす。
こうしてできたのがペアローション『ナギ&ナミ』だ。主にニホンハッカ(ジャパニーズ・ミント)を使用し、男性用のナギには清涼感を強くし、女性用のナミは潤い成分を多く配合している。ペアローションではあるが個別販売にした。
カップルで使用したり、プレゼントに使われたりとそれぞれ偏ることなく売れ行きは上々だ。
会社から十分な報酬と評価をもらい、涼介はまた『ミント王子』の名称を確固たるものにする。
もう会社との契約は切れているが、こうして開発中の研究室以外、自由に出入りできることになっている。
「兵部さん、どうですかー、一緒に僕のプロデュースしたカフェ行きませんか?」
一応終業時刻を待ち、涼介は薫樹を誘う。
「んー、そうだな。今日はキリがいいからそうしてみようかな」
二人連れ立っていると帰宅する女子社員たちはザワザワざわめいている。
「まだまだミント王子、うちに来てくれるのかなあ」
「あーん、かっこいいー」
「匂宮さまはクールで素敵だけど、王子は甘くて母性本能くすぐられちゃうー」
「二人並んで歩いてるとほんと貴公子って感じよねえ」
「はあー。いい香り」
やはり残り香を嗅ぎながら女子社員たちはうっとりして後姿を見送り続けていた。
カフェ『ミンテ』は賑やかでほぼ満席だ。
「奥に、席とってありますから」
「ありがとう」
二人が店内を歩くと、ほぼすべての女性客が騒めき視線を送る。
「あ、あれミント王子じゃない?」
「ほんとだー、隣の人だれ?かっこいー」
「芸能人じゃないの? あの二人って」
涼介は教育番組ではあるがテレビ出演したこともあるので、知っているものは知っているようだ。
艶やかなナラの木の椅子に腰かける。
「ミント王子はやはり人気者だな」
「いやあ、兵部さんも女性の注目集めてるじゃないですかあ」
「しかし、意外な内装だな。もっとスタイリッシュな雰囲気だと思っていた」
「俺、こういうカントリーちっくなほうが好きなんですよ。寒々しいのやだし」
「なるほど」
香り高いミントアイスティーを飲んでリフレッシュしていると、また店内が騒めき始める。
「ん? なんだろ。有名人でも来たのかな」
テーブルに影ができ、見上げると環が立っていた。身体のラインが見えにくいメンズライクな白いシャツと黒のワイドパンツ姿は環のスタイルの良さを隠すどころか引き立てている。
「ここ、いいかしら?」
4人掛けのテーブルの薫樹の隣に環は一瞥をくれる。
「どうぞ」
薫樹が答えると環はスッと腰かけ、長い足を組むと、テーブルからミュールを履いた爪先がはみ出て見えた。
「こんにちは」
涼介が挨拶すると環も「どうも」と返す。
「どうしてここに?」
「会社の人からたぶんここだって。あなた全然連絡を寄こさないから」
淡々と会話を交わす薫樹と環を交互に涼介は眺めた後、店内の様子をチェックし、店員の接客態度や客の年齢層性別など素早く判断する。
カップルは少なくほぼ女性グループで占められている。
一通り眺め、視線をふと環の足元に置く。
涼介は心臓に矢が刺さったような衝撃を感じた。
「な、なんて小さい……」
白い革製のミュールはとても小さい。環の身長は高いヒールを履くとほぼ薫樹に近くなる。彼女をかっこいい女性だと涼介は思ったが、大きな女性は大抵足も大きいだろうと、全く好みの対象ではなかった。相手も全く自分に関心がない様なのでお互い様なのだが。
ところがいざ足を見るとどうだろう。身体と比例しなくてもサイズが小さいことがわかる。恐らく22センチないだろう。自分のてのひらよりも小さいかもしれないと涼介は環の足と自分の手を見比べる。
環のような素っ気ない女性になんら好感は持てないが涼介は彼女の足のことが頭にこびりつく。頭を抱えていると薫樹との話は終わったようで、「それじゃ」と彼女は立ち上がり、また濃厚な香りを残して立ち去った。
10 涼介のお節介
「彼女何しに来たんですか?」
「ふーん……。彼女自身もどうすればいいのかわからないんだろう。彼女は天涯孤独でね。亡くなった恋人以外に親密な知り合いがいないんだ」
「兵部さんは親密なんですか?」
「いや。一応友人かな。出会った頃は彼女とその恋人と一緒に過ごすこともあったが」
「うーん。なんかイマイチ分かり辛いなあ。なんで恋人なんです? 夫じゃなくて」
「大きな声じゃ言えないが彼女の恋人はジャン・モロウ氏なんだ」
「ええっ!? あの!? 香水王の!?」
「うん。清水くんならフランスにもいたし、知ってると思うが彼は結婚していたんだ」
「あらまあ。でも離婚すればいいじゃないですか、そんなに長く恋人関係を築いてるんなら奥さんに愛情なかったでしょ」
「なかなか簡単にはいかないようだったよ。宗教上の問題もあったしね」
「ああ、まあ、あの辺の国はそこら辺が大きい壁になりそうですねえ」
「しかも、環は売り出し中だったから、スキャンダルもまずいしね。それで僕がよく一緒に関わることになっていたんだ」
「はあー。兵部さんがまさかのカモフラージュとはねえ。すごい世界だ」
「ジャンの奥方が亡くなって、再婚するかと思ったがもうそのころには環は有名になっていてね。ジャンの愛人になって仕事を取ったと中傷されることもまずかったのだろう。結局二人は親密な関係で終わったんだ」
「なるほど。なんだかかわいそうですね」
「ん。性格が悪いわけじゃないから、優しくしてやって欲しい」
「え? あ、はあ。そんな機会があったらですけどね」
残りのミントアイスティーを飲み干し、二人は女性客の騒めきに見送られながら店を出た。
ちょうどそこへ芳香と真菜が通りがかる。
「あ、薫樹さんと清水さん。こんにちは」
「こんにちはー」
「ああ、芳香と立花さんか。お疲れ様」
仕事帰りの芳香と真菜はこれからカフェ『ミンテ』でゆっくり過ごすつもりのようだ。
「やあ、芳香ちゃんと、えっと、『銀華堂化粧品』の社員さんだよね?」
涼介は言葉も交わしたことのない真菜のことを覚えている。
「ええ。そうです。よく私のことご存じでしたねえー」
感心する真菜に「そりゃあ、可愛い女性は一回見たら忘れないからね」と涼介は爽やかに笑顔を見せる。
「ふふっ、ありがとうございます」
「じゃあ、私たちここでお茶しますから、また」
「ああ、また週末に」
「お店に来てくれてありがとうね」
頭を下げて芳香と真菜は店内に入っていった。
涼介は「うーん」と腕組みをして首をかしげる。
「どうかした?」
「いえね、ここんとこ素っ気ない女性が多いなって」
「そうかな」
「そうですよ」
「ふむ」
芳香も真菜も環もまるで涼介に関心がない様子に涼介は少し不満げだ。
「モテ期が終わったってことかなあ」
「そんな期間があるのか」
「ええ。人生には3回モテ期があるようですよ」
「ふむ。君は面白いことをいっぱい知ってるな」
「やだなあ。常識ですって。さてなんか場所換えて飯でも食べません?」
「ん? ああ、いいよ。しかし君も忙しいだろうによくうちの会社やらに来る暇があるね」
「え、ええ、まあ、ちょっと色々心配もありますしね」
「そうか。無理しないように」
「そうしますー」
「じゃ、この近くの串屋いきましょうー。前、芳香ちゃんといったとこですよー」
「うん、いこう」
涼介は薫樹と環が接近しないようにできるだけ見張るつもりだ。そして早く薫樹と芳香が結ばれてほしいと親心のように願っている。
11 続・涼介のお節介
手がけている仕事のキリをつけ涼介は『銀華堂化粧品』に向かう。今日も薫樹と夕飯を共にしようと思っている。明日は恐らく薫樹は芳香と過ごすだろうが、平日はいつ環がやってくるかわからない。天涯孤独で恋人を失くした環のことを考えると少し罪悪感が沸くが、薫樹には芳香と結びついていてほしいと思っていた。薫樹と芳香の出会いを知り、やっと巡り合えた二人が結ばれることは涼介にとっても唯一の相手と結ばれる理想的なもので、邪魔されたくなかった。
玄関が見えると、長身の女が見えた。環だ。(ほらみろ、やっぱりな)
警戒は当たったと涼介は環に近づいて声を掛けた。
「こんにちはー、環さん」
くるっと振り向き、環は鋭い目で涼介を一瞥し「こんにちは」と静かに返す。
「どうしたんですか? こんなところで。注目集まってますよ? 兵部さんに会いに来たんですか?」
「そうよ」
「ああ、それは残念だ。今日、彼、出張でいないんですよ」
「出張?」
「ええ、僕もさっき思い出して。明後日まで帰ってこないみたいですよ」
「そう……なの。じゃ、帰るわ」
適当な嘘をつき、その場を凌いだ涼介は、帰ると言う環の言葉にほっとする。立ち上がると環は涼介の鼻先くらいに頭があり、ふわりとエキゾチックな香りが漂う。
少し香りにくらっとして環の後ろ姿に目をやると、片足を引きずっていることに気づいた。
「ちょっと待って」
環を引き留め、「足、怪我したの?」と指をさす。
「あ、さっきくじいて」
環は小さな中国の花の刺繍が可憐に施された赤いビロードの靴を履いている。涼介はまるで纏足のような見える小さな足にごくりとつばを飲み込むが、冷静さを取り戻し、「そこに座って」バス停のベンチに環を促す。やはり足が痛いのだろうか、素直に環は腰かけた。
涼介は胸元からミントの精油を取り出し、ハンカチに垂らして環の足首に巻く。
「ありがとう」
素直に礼を言う。モデルだからなのだろうか、人に何かされることに無抵抗でいる環は非常に無防備に見える。
「病院に行く? それとも帰る?」
「病院はいい。帰る」
「どこまで帰るの?
「グランデホテル」
「ああ、ホテル住まいなのか。送るよ」
「タクシー呼ぶから平気」
「いやあ、君は薫樹さんの友人でしょ。こんなんで放置しちゃったら俺も、気まずいからさ。ちょっと肩を貸すだけだから」
「そう、じゃあいいわ」
話していると目の前をバスが停まる。
「これに乗る」
「ん? バスにする? まあこれなら一本で行けそうか」
環の手を取り、二人でバスに乗り込むと、当然のように車内はざわめく。席はちょうど二人掛けの席が一つ空いていたので環を奥に座らせ涼介は立ったまま、シートの肩を持つ。
「座らないの?」
「うん。狭いでしょ」
「そう」
出会った頃や、カフェで会った時の環と違い、今日はやけに大人しくきつさがない。薫樹がいないせいで元気がないのだろうか。そんな環の様子に涼介はペースを崩されるような、かき乱されるような、もやもやしたものを抱えている。
バスはちょうどホテル前につく。
「部屋まで送るよ」
腕を出すと環はすがりつくように腕を組み、軽く足を引きずってゆるゆる歩く。
若いドアマンの「おかえりなさいませ」との第一声を始め、部屋に着くまでに何人ものスタッフに声を掛けられ、その度に環は「ただいま」と言い尋ねられる足のことを答えた。
全てのスタッフを無視することのない環に感心しながら涼介はどんどん印象が変わっていくのを感じる。
部屋に入るとスーパーモデルという存在とは無縁の小さな簡素な部屋だった。
「ありがとう。どうぞ、そこへ。今お茶を頼むわ」
「あ、いや。お構いなく。足、痛む?」
「いえ、もう、ほとんど痛くない」
「そっか、よかった。しかしシンプルな住まいだねえ。もっと贅沢してても良さそうなのに。ドレスがバンバン飾られててさー、なんかごちゃごちゃアクセサリーがあって、化粧品臭いかと思ってたよ」
「くふっ」
初めて環が笑う。思わずそのあどけない笑顔に涼介は見入ってしまった。
「私、服とアクセはあんまりないの。靴だけはいっぱいあるけど」
「ああ、そうなんだ。君の足小さいからシューズなかなかないでしょ」
見ないようにしていた環の足を見てしまう。
「そうね」
「綺麗な……靴だ。可愛い足だ……」
「ありがとう。ジャンもよく言ってたわ」
「そ、そうか」
ジャンの名前が出たことで涼介は本来の目的を思い出す。
「あ、あのちょっと聞いておきたいんだが、環さんは兵部さんとどうしたいのかな?」
「どうって?」
「うーん。彼には今恋人がいてね。なんていうか環さんがそのー、なんていうか」
「私が薫樹を奪うと思ってるの?」
はっきりという環に涼介は言葉を濁す。
「ジャンと私の関係を知ってるから、そう思うの? それともそういう女に見えるの?」
「いや……。そんな風にはとても見えない。なんていうか思いたくないんだ」
「あなたっていい人なのね。育ちがいいのかしら。あまり人に悪意を持たないのね」
「さあ、どうだろうか……」
涼介は狭い部屋で環とその香りに圧迫され息苦しさとめまい、そして喉の渇きを感じる。
「ねえ。私のとこどんな女だと思う?」
「どんなって……。最初は素っ気なくて高慢そうだと思ったが……今は……無防備で、あどけなくて、少女のようだ」
「少女……。ジャンはよく私をプリンセスって呼んでいたわ」
「そうか……。そろそろ帰るよ」
ソファーから立ち上がろうとする涼介の前に環は立ちはだかる。
「ねえ。男と女が部屋に二人きりってただお喋りするだけなのかしら。私のことを、どんな女か確認しなくていいの?」
「なっ、何を言い出すんだ。――俺を誘ってるのか」
答えずに環は白いシャツのボタンを外し始めた。その下には何も身につけていない。
滑らかで一切の無駄がないしなやかな肢体を環は晒す。
「一体、何をしているんだ」
「やっぱりモデルの身体なんて男には魅力的じゃないわよね」
切れ長の大きく鋭い目と浅黒い細い体は美しいネコ科の獣のようだ。
「こ、こんな綺麗な身体――初めて見たよ……」
「じゃあ、きて……」
めまいを感じながら涼介は環の薄いかろうじてふくらみのある胸元に顔をうずめ、スパイシーな獣の香りを嗅いだ。
12 王と姫
環の乾いたさらさらした褐色の肌に涼介は頬ずりしながら背中に指を這わせ、ワイドパンツとTバックの小さなショーツをずらし形の良い上向きのヒップを出させる。
身体を抱きかかえ、ベッドに寝かせ涼介は覆いかぶさったまま浅黒い肌に柘榴のように輝く小さな乳頭にキスをする。
9等身の整ったスタイルと手足や小さなパーツのあどけなさが涼介を倒錯させる。
「綺麗なのに……なんて……可愛い」
肌を撫で、身体中にキスを降らせ、そっと短く整えられた茂みに手を伸ばす。環は身動きせず簡単に涼介の指先を秘園へ迎え入れる。
優しく指先で柔らかい波打つそこを愛撫している涼介が、いきなりがばっと上体を起こす。
「どうしたの?」
環は不思議そうに尋ねた。
「君は……初めてじゃないか……」
涼介は大きく深呼吸をしてベッドの端に引っかかっていた環の白いブラウスを、彼女の身体を見ないように背中からふわりと掛けた。
「わかる――の」
「あまり大きな声では言えないが、それなりに女性経験はあるんだ。――女性がヴァージンかどうかは、最後までしなくてもわかるよ」
「そう――。じゃあ、抱かないのね」
「抱きたいと思ったのは本当だが……。もっと大事にした方がいい」
「もうジャンもいないのに……」
「そうだ。どうしてなんだ。君はジャンの恋人だっただろう?」
「ジャンの……私はリトルプリンセス……」
――施設を出た後、旅費をため単身でパリに渡り、モデルになるべくオーディションを受けて歩く。帰る家もなく背水の陣で挑んできたが、世界の壁は大きく日本人への蔑みも手伝い受け入れは針の孔よりも小さい。
有名なセーヌ川を眺めながら、自分はどこにも行くところはないと環は冷たい指先をこすり合わせる。
何度もオーディションに落ちて気持ちは沈んでいるが、まだまだ環は頑張るつもりでいた。
悩んでもいてもしょうがないと思い、ウォーキングの練習を始める。靴を痛めてはいけないと思い、彼女は裸足で冷たい道を気取って優雅に歩いていた。
そこを通りがかったのがジャン・モロウと妻のマリーだった。
「ねえ、ジャン、その靴見て頂戴」
「ああ、娘のクロエのものと全く同じだ――サイズも34だ」
「どこかに子供がいるのかしら?」
グレーのつばの広い帽子を脱いでマリーはきょろきょろとあたりを見渡す。その間、ジャンは小さな赤いダブルストラップのフラットシューズを手に取り、ふわっと香る匂いを嗅いでいた。
向きを変えて歩く環が自分の靴をまえに二人の夫婦が話しているのを見かけ慌てて駆け寄る。
「あ、あの、ムッシュウ、マダム。それ、私の靴です」
ジャンとマリーは振り返って大柄な東洋人に目を見張る。
「ん? マドモアゼル、君のなのか」
「あ、はい」
片言のフランス語と混じった英語で足をもじもじさせながら環は答える。
マリーは目を細めて赤い靴を見る。
「この靴はもう販売されてないはずなのに……」
環は日本から履いてきた靴がボロボロでパリで買い替える際に、出来れば安くて丈夫なものをと店主に頼んだ。店に入ってきた大きな東洋人に店主はからかい半分で「4足買っても足りないんじゃないか?」と笑ったが、環は自分の足を指さし「大人のだと1足でも余ってしまう」と返す。店主は「こりゃあ参った」と薄くなった髪を撫で、店の奥からこのシューズを出してきた。
「ああ、フィリップの店に行ったのか」
「クロエの靴はいつもあそこで買ったわね」
二人のしんみりした様子に環は首をかしげて見守った。
ジャンはグレーのジャケットを直して、マリーの肩を抱き、環に話す。
「実は娘が亡くなって10年なんだ。今日が命日でね。最後に――事故に会った時に履いていた靴が、それと同じものなんだよ」
マリーもジャンとお揃いのグレーのシックなワンピースを着て、目元を白いハンカチで拭う。
「そうですか……」
「君はここで何をしているんだね?」
環はしんみりとした二人に自分はモデルになるべく日本からパリに着てオーディションを受けている最中だと説明した。
擦り切れたジーンズと寒空の下、薄いシャツ1枚の環にマリーは同情の目を向ける。
「あの、あなた、一人なの? 友人とかご家族とか。どこに住んでらっしゃるの?」
日本人は裕福だと彼らも思っており、実際に日本人留学生は裕福層が多いため、環は非常に珍しく映る。
「え、と、この通りを右に曲がったパン屋の上です。独りです」
環の話を聞きながらマリーはどんどん彼女に傾倒していく。
「ねえ、あなた、うちにいらっしゃいよ。きっとこれは神様の思し召しだわ。クロエが生きていたらあなたと同じ歳になる。ねえ、ジャンそう思わなくて?」
すっかりその気になっているマリーを優しく見つめるジャンは環の靴の匂いが気になっていた。
「ふむ。そうかもしれない」
「あ、あの……」
戸惑いを隠せない環はどうしたら良いのかわからない。遠い異国の地で初めて会った夫婦にうちに来いと言われる。二人が悪人ではないと信じたいが、警戒心を緩めるわけにはいかない。
落ち着きなく目を泳がせる環にジャンが名刺を渡す。
読めないフランス語であったが、裏を返すと英語でも書かれてあり読むことが出来た。
「調香……学校。ジャン・モロウ……」
「確か、あそこが今度モデルをオーディションするって言っていたな。公開じゃないから情報は知ってるものしか知らない。私の紹介だと言いなさい」
「え、で、でも……」
「まさか、君は実力だけで勝負したいとか言わないだろうね。国籍ですら不利なのに。ちゃんとチャンスを使うように。ダメな時はそれでもだめなのだから」
マリーは優しい目で頷きながら環を見つめる。
「あ、ありがとうございます」
初めて希望の光が見え始めた環は頭を深くさげた。
「今日は、ここで失礼するわ」
二人の夫婦を見送り、セーヌ川の向こうのオーディション会場へ目をやった。
そのオーディションをきっかけに環はモデルの道を進むことが出来た。いつの間にかジャンとマリー夫婦のところへ居候することになり、家族のような関係を築く。
ジャンは調香学校やら、公私ともに行く先々に環を連れて行った。環がジャンの恋人だと噂されるのは至極当然のことである。
そのことについてマリーに申し訳ないと胸を痛め、一緒に出歩くのは止したいと申し出たが、マリーは逆に環の身が安全であると言うことを説いた。
香水王の愛人であれば、並の男はもちろんのこと、悪意のある権力者からも危険な目に合うこともないだろうと言うことだった。
ジャンもマリーも一人娘を失くしているせいで、環を過保護に守る。自分たちが醜聞の的になることなど、全く恐れないのだ。
亡くなったクロエが履いていたシューズを20足ほど受け取る。ジャンは仕事や旅行に出かけたときにいつも娘にお土産として靴を買っていた。亡くなる前、最後に履いていた靴――環が二人と出会った時に履いていた靴――は捨てたらしい。
こうしてジャンとマリーに守られながら、環はTAMAKIとしてスーパーモデルの道を歩み続ける。ジャンが亡くなるまで。
13 姫と王子
「そうか……。そんな事情が……。兵部さんも知らないのか」
「ええ。薫樹は、そういうことにあまり関心がないから、周囲が私とジャンが恋人だと噂していれば、そうだと思って追及もしないはず」
「う、ん。確かに。普通、そういう関係には否定的な反応もあるだろうに、彼は淡々としてたなあ」
「そうなの。薫樹は肯定も否定も、非難もしない。そこがジャンにとっても安心して付き合えると思っていたようなの」
「なるほどね」
「マリーは臨終の際に、よかったらジャンと結婚しなさいと言っていたけど、ジャンと私はやっぱり父と娘だった。ジャンは自分が死んだら薫樹のところへ行くようにって。彼は安全だからって。それに彼には『KIHI=貴妃』を完成させてほしいって願いがあった」
「はあー。それで珍しく日本の仕事引き受けて、ここに来たってわけか」
「うん。でもそれをまだ薫樹に上手く伝えることが出来ていないの」
すっかり着衣の乱れを直して環はしずかに話を終えた。それでも涼介はある疑問がぬぐえない。
「環さん。もう一つ気になるんだけど。――どうして俺と寝ようとしたの?」
環は叱られた子供のような顔でうつむき答える。
「大人になりたかったの。もう、本当に一人になったから。自立しないとって。ほかに方法が分からなかった……。薫樹はきっと私に関心がないし、あなたは薫樹と仲が良くて慣れていそうだったから」
「うーん。光栄だと思えばいいんだろうか。実際、出会った時の印象は最悪だったが、正直に言うと今は君がとても気になってる。――だけど、そういう理由ならなおさら無理だ。男と寝たからって自立できるわけじゃないんだ」
「そうよね……」
か弱い少女のような環の潤んだ瞳から涼介は目を逸らすことが出来ない。
「もし……もしもだよ? 君が僕を愛すると言うなら――別だが」
「愛する……」
「ああ、男として、そうだな。ジャンよりも、俺を選べるなら」
「ジャンよりも……」
「王より王子を選ぶなら、俺は君の皇帝になってみせるよ」
涼介は知らず知らずに環のことで頭がいっぱいになり、口説いている。
「そろそろ、帰るよ。従業員に変に思われてもいけないから」
「うん。ありがとう」
「今度、うちに招待するよ。おやすみ。プリンセス」
柔らかくなった表情の環を一目見て、涼介は部屋を立ち去った。
何事もなかったように冷静さとミントの清涼な香りを身に纏い、ホテルの従業員たちに笑顔を振りまきながら涼介はホテルの外へ出た。
薫樹の前では毅然と女王様然とした環はTAMAKIの姿なのだろう。薫樹と出会った時にはもうスーパーモデルとして活躍していた頃であったため環の素顔は薫樹ですら知りえなかったようだ。恐らく、ジャンとマリーが環の事を想い、立ち振る舞いやコミュニケーションの取り方なども教え込んだのだろう。実際の彼女は鎧をつけた王女のようだ。本心を率直に告げることはない。思わせぶりと曖昧さによって虚像を演じている。本来の彼女が見えるのは外見では足先だけだ。
涼介は自分にも薫樹のように得るべき相手、失わざる相手が見つかったのだと実感する。
「今度会ったら絶対に抱こう」
心をきめて環を想った。
14 パフューム『KOMACHI=小町』の製作
小野小町が愛したという芍薬(ピオニー)の甘く華やかな香りをメインの香りにと最初に考えたが、小野小町自身のイメージとは違うと薫樹は感じる。
しかも外国人が小野小町をどれだけ知っているかというと、よほどの日本文化通でないといないのではないかと思う。恐らく『芸者』のほうが知名度が高いだろう。
「うーん。海外向けのジャパンか」
純粋に小野小町のイメージで調香すると、おそらく海外進出は無理だろう。
気分転換に研究室から出て、屋上に向かった。
初めて芳香と会った場所で、彼女の足の匂いを思い出す。
「うーむ。環よりも芳香の方が小町という雰囲気なのだがな」
せまっ苦しく、簡素な水道があるだけの寂しい屋上で薫樹はポケットから環の名刺を取り出し匂いを嗅ぐ。
「外国人が思う東洋とはやはりこのジャンの作った香りの方だろうなあ」
エキゾチックな残り香は湿り気を帯びた竹林や、水墨画などを連想させる。
日本の香水と言えど、多少は中華の華やかさを足さねば繊細すぎてすぐにかき消されてしまうだろう。マニアックな香りづくりではないのだ。
そう考えれば考えるほど、この『KIHI=貴妃』よりも成功するイメージのノート(調香)が思いつかなかった。
久しぶりに薫樹は頭を悩ませる。
「なかなかジャンを超えることはできそうにないな」
全く気分転換にならず研究室に戻ることにした。
週末になり、薫樹のマンションに芳香が訪ねてきたが、うまくいかない調香のせいで珍しく二人の時間はぎくしゃくしている。
寡黙に考えている薫樹を目の前にし、芳香は居心地も悪い。自分の存在が邪魔ではないかと声を掛ける。
「あの、薫樹さん、サンドイッチ作っておきましたから後で食べてください。私はこれで帰ります」
「ん? どうして? なぜ帰るんだ」
「あの、忙しそうだし。邪魔したくないので」
「ああ、すまなかった。せっかく君と過ごせる時間なのに。上手く気分転換できなくて……」
心から申し訳なさそうに思っているような薫樹に芳香は慌てて「こっちこそ、すみません。謝らないでください。――ああ、どうやったら気分転換できるものですか? 私にできることがあればなんでもしますよ?」
黒い目でまっすぐ見つめてくる芳香を薫樹は愛しく思う。
「君が側にいるだけで安らぐよ。不思議だ」
「え、あ、そうですか。それなら嬉しいです」
頬を染める芳香は嬉しそうで、ふわっと彼女の体臭が薫樹を包んだ。
「お願いがある。――匂いを嗅がせてくれ」
「えっ?」
きょとんとする芳香の手を引き素早く薫樹は口づけをする。もう彼はいきなり匂いを嗅いだりしない。最初に必ずキスをする。
「んんっ、うふぅ」
甘いキスを交わすと薫樹は随分と慣れた手つきで、芳香のニットのトップスをめくり上げ、ブラジャーを片手で外す。
「あっ」
すぐに胸の中に顔をうずめ、両乳房を揉みしだきながら薫樹は深呼吸する。
「この胸の間の香りは優しく甘い」
「あ、あ、あん」
匂いは部位によって異なるらしい。
二人はまだ結ばれてはいないが、以前、ルームフレグランスで芳香が暴走して以来、大胆な愛撫を施し合っている。
芳香はもういつでも抱かれたいと望むが、薫樹の方が納得しない。こだわりの強い彼はきっと今日も芳香を抱かないだろう。
ショーツを剥ぎ取り、薫樹は芳香の膝裏を持ち、そっと開脚して茂みに鼻先をうずめる。
「う、う、は、恥ずか、しい」
恥ずかしさと興奮と快楽で芳香はすでに秘所を濡らしている。
匂いを嗅がれ、鼻先で花芽を弄ばれ、舌を這わされる。
「うぁぅう、あっ、ああん」
「ああ、いい香りだ」
「わ、私も、し、げきさんの、匂わせて……」
「ああ……」
ソファーから芳香を抱いて寝室に移る。
全裸になって貪るようなキスをした後、薫樹は身体の向きを変える。
芳香の秘裂に舌を這わせ、捻じ込む。親指で花芽を回転させると、芳香は腰を浮かせにじりだす。
「あ、あ、あっ、や、も、もう、来ちゃう、ん」
「ああ、僕もだ」
芳香は快感の中、夢中で薫樹のものを口に含み、しゃぶり続けている。
「し、げき、さあん、お願い、抱いて。もう、もうあたし」
「ごめん、今の仕事が終わるまで、待ってほしい。――ちゃんと抱きたいから」
「ああんっ、あんっ、や、いっ、くっぅ――」
わななきながら芳香は身震いをする。薫樹も彼女の口淫に精をこぼす。
「うっ――」
「あうぅ、薫樹さんっ、のいい、匂い――」
うっとりとした表情の芳香を見ると薫樹は乏しい征服欲を満たされる気がする。
「君は、嫌じゃないのか。――普通の女性は嫌らしいよ」
口元を清拭しながら薫樹は芳香の髪を撫で尋ねる。短い息をしながら芳香は「わ、わかりません」と答え恥ずかしそうに目を伏せた。
ベッドで香りと快感を愉しんだ後、芳香の腹が空腹で鳴るまで、抱き合っていた。
15 続・パフューム『KOMACHI=小町』の製作
環の持っていた故ジャンの香水『KIHI=貴妃』とほぼ変わらない調合ができたが、今一つ足りないものを感じて薫樹は一人研究室に残り、実験を続ける。
さすがに疲労を覚え、休憩をすべくロビーに出ると環が静かに座っている。
「どうしたんだ。来ていたなら、呼んでくれたらいいのに」
「ん。調香中は邪魔したくないから」
「そうか」
ジャンの元で過ごしてきた彼女は調香師の集中力を妨げない。
「で、どうした?」
「これ」
小さな小瓶を渡す。『KIHI=貴妃』だ。
「ジャンの遺品だろう。たくさんあるのか?」
「ううん、これだけ。だけどこれはジャンからあなたへのプレゼント。完成させてほしいって。もう私には必要ないしね」
確かに環は香料を身につけていないようだ。
「うーん、もうこの香り自体はほぼ完成しているんだ。これより上の完成っていうのは君が付けて初めてなすものだな」
「さすがね」
「今、何もつけていないのか」
「ええ」
「ちょと嗅いでもいいかな」
「どうぞ」
環は立ち上がり、すっと薫樹の前に立つ。
薫樹は頭の天辺から眉間、鼻筋、口元に鼻先を沿わせ、首筋、肩、胸元、腋へと移動する。
「ああ、これか」
納得した後、「環、そこに座って靴を脱いでくれ」と指示する。環は言われるまま、キャンバス地の小さなフラットシューズを脱ぎ素足を出す。
ムエット(試香紙)を嗅ぐように、爪先の匂いを嗅ぐ。
「やっぱり、君はシベット(ジャコウ猫)だな」
「ジャンもよく私の足の匂いを嗅いで調合してたわ」
「そうだろう。この香水は基本的にこのシベットの香りだ。それと君の上半身から感じられるクローブ(スパイス)の香りが混じって香水を完成させているようだ」
「そうなのね。ジャンは私の足しか嗅いだことがないからなのかしらね」
「ん? そうか」
恋人同士であれば全身の香りを嗅いだことがあるだろうと普通なら気づくのだろうが、薫樹はそのまま納得しただけだった。
そんな世間の一般的なことにまるで関心を寄せない薫樹に環は安心感を得る。
「じゃあ、用事はそれだけなの。帰るわ」
「おかげですっきりした」
「そうそう、その『KIHI=貴妃』は薫樹が手を加えたらもう『KIHI=貴妃』じゃないから『KOMACHI=小町』になるならそうして」
「うーん。なかなか難しいな。元がジャンの作品だけにな」
「ふふ、じゃ、よく考えて。私はもう渡したから。――じゃ」
環は随分と軽くなった足取りで去って行く。ふと薫樹は彼女の雰囲気が変わったような印象を受けていた。
16 涼介のミントガーデン
グランデホテルへ環を迎えに行く。
グリーンのオフロード車をホテルの前に着けると環はいつもの白いシャツにワイドパンツそして小さなスニーカーを履いて現れた。ドアマンが環を車のドアを開き、恭しく、しかし親しみを込めて「行ってらっしゃいませ」とドアを閉める。
環も「明日帰るわ」と笑ってドアマンに返す。
「ご機嫌いかがかな?」
「うん。いいわ」
「よかった」
険が取れたような環の様子に涼介も優しい気持ちになる。
これから環を涼介の家に連れて行くのだ。3日前にホテルに電話をし、環に自分の家に招待したいと告げるとすぐに了承を得た。
町を抜け車は山奥へと向かう。
「こんなところに家があるの?」
「うん、もう少しで着くよ」
もう辺りは見渡す限り林しかない。林道を駆け上がると少しだけ整地された場所があり車が止められる。
涼介は助手席のドアを開け、環の手を取り降ろす。そのまま手を引きうっそうと茂るシダ植物をかき分けるとまた一面、グリーンに拓けた場所に出た。
「まあっ!」
広いミントガーデンだ。一陣の風が吹き、環と涼介をミントの香りで包み込む。
「なんて気持ちのいいところかしら」
目を閉じて風と香りを感じる環は伸びやかな新芽のようだ。ミントだらけのようだがきちんと区分けしてあるようで、何種類ものミントがそれぞれの場所に植わっている。
ひざ丈くらいのミント群を眺め、小道を歩くと、柔らかい芝生のひかれた東屋につき、木のベンチに腰かけた。
「疲れた?」
「いいえ。ここは素敵だわ」
「もう少し奥に家がある。ここは僕が煮詰まって、リセットしにくる場所なんだ」
「へえ。あなたでも煮詰まることがあるのね」
「そりゃ、あるよ。家に入る前にちょっとミントを摘むから待ってて」
涼介は近くのオレンジミントを摘み、開花しているスペアミントの花を手折る。そしてその花を環の耳にそっと差す。
「君はゴージャスなものもよく似合うが、こんな可憐なものもよく似合うね」
環はこぼれるような微笑みを涼介に向ける。
「さあ、いこう。これでミントティーを淹れるから」
ミントの道を抜け涼介のレンガ造りの小さな家の前に立つ。カフェ『ミンテ』とよく似ていて、とても可愛らしい建物だ。
「ああ、客用のがなかったな。俺の履いて」
涼介は自分のスリッパを指さすと、環は小さなスニーカーを脱ぎ、そのスリッパを履いたが、子供が大人の靴を履いてぶかぶか歩くような姿になる。
「あちゃー、大きすぎるな」
「そうね」
小さな足で大きな履物を履いた姿に涼介は思わずキュンとなってしまう。
「ルームシューズはなくても平気」
「ん、今度君のを用意することにしよう」
キッチンはアイランド型で小さいが開放感があり、こざっぱりとして清潔だ。
「そこ座ってて」
環はすぐキッチンに隣接されている小さな木のテーブルにつく。涼介は湯を沸かし、使い込まれているがよく磨かれた銀のポットとグラスをだしてカチャカチャとお茶の用意をする。
やがて爽やかで甘い香りがうっすら漂い始めると、涼介はテーブルに置いたグラスへモロッコミントティーを注ぐ。
「どうぞ」
「ありがとう」
二人で静かに香りを嗅ぎ、リラックスしながらお茶を愉しむと時間の流れがここだけゆるやかな気がする。
「あなたはこんな雰囲気のところが好きなのね。カフェもそうだったけど」
「うん。俺は結構カントリーっぽい方が好きなんだよ。君はホテル慣れしてるのか、ああいうところの方がやっぱり好きなの?」
「好きでも嫌いでもない。でも施設育ちだから、別になんとも思わないだけ」
「ああ、そうなのか。じゃあこういうところは嫌い?」
「ううん。ここはとても素敵ね。温かい気がする」
「よかった。もっと君の事を聞いてもいいかな」
「いいけど、そんなに面白い話はできないわ」
「面白くなくていいんだ。ただ、なんていうか、もっと知りたいだけ。どうしてモデルを目指したのかとかさ」
「そうねえ……」
――幼い頃に家族を亡くし、親戚に引き取り手もなかった環は18歳まで児童養護施設で過ごすが、16歳の時にはすでに身長が175センチを超えており、非常に目立っていて、すでにモデルのスカウトがあった。特にモデルになりたいと思ったわけではないのだが、施設の仲間や職員がそれをぜひ生かすべきだと勧めた。運動神経も学力も平凡な環にはその道しか当時選択の余地がなかった。
しばらくモデル活動を行い、自分の力で生きてはいたが、日本での活動には限界があった。
日本で人気を得ようと思うには環の身長は高すぎて、しかも顔立ちが素っ気なさすぎるのだ。モデルとしてのスタイルや資質は申し分ないが、日本独特の可愛らしいアイドル性が足りない。そこで奮起してパリに単身で挑んだのだ。
「確かに君はあんまり日本人受けはしそうにないな」
「残念ながらね」
良く笑うようになった環は懐かしそうに当時を振り返った。
「しかし、そんなに小さな足でよくそこまで背が伸びたね」
「ああ、それはよく言われるけど、普通だったらもっと大きかったかも」
――施設では衣服のおさがりは多く困らなかったが、靴は不足していた。運動量の多い子供たちの履き古す靴は、洋服のおさがりの並みでなく汚れ、破れ、履けるものではない。新品の靴を買ってもらうことがあることにはあるがサイズが上がればすぐ買ってもらえるわけでもない。
環は中学入学のために買ってもらった黒の革靴を大事に履いた。サイズが上がるとボロボロの靴に変わってしまうのが嫌で、きつくても我慢して履き続けていた。
「まるで、纏足じゃないか」
「そうね、そのせいであんまりスポーツも得意じゃなかったのよね」
「しかし、スーパーモデルともなると違うね。自分は平凡だなあと思うよ」
「あなたって不思議ね。私の話に同情しないのね」
「うーん。可哀想な目に合っている最中に出会っていたらそう思うかもしれないね。でも、もうそれを乗り越えて目の前にいる君が素敵だと思うだけだ」
「ありがとう。そういわれると楽だわ」
「ははっ、まあ、誰だって辛い思いも苦しい思いもして生きてきてるんだしね」
「あなたの話も聞かせて。どうしてこの世界に? ミントがずっと好きなの?」
「そうだなあ。ミントはうちの母が庭に植えていたんだ。最初からそれが好きだったわけじゃないんだが」
――涼介には上に兄と姉がいて下に弟と妹がいる。幼いころから中途半端な位置で、両親から溺愛されたこともなければ、厳しくされたこともない。ある夏、母親の趣味で植えていたハーブ類の中でミントが暴走し庭一面を覆いつくす。どうやら『ミントテロ』と呼ばれるもので繁殖力の強いミントは、他のハーブを遮り雑草化し、庭がただの草むらになったことがある。
それを家族中で必死に抜き、整地し直した。その後二度とミントは植えられなかった。
家庭でも学校でも特に目立つことのなかった少年、涼介にはそのミントの強さが衝撃的だった。
そしてその除草の時に初めて『ミント』を知り、意識するようになった。ミントは生活の至る所にある。歯磨き粉、シャンプー、チューイングガム。さりげなく生活に侵食する力そのものに涼介は感心し、気が付くとミントに相当詳しくなっていた。高校に入ってすぐに身長が伸び、自由に振舞ってきた闇のない明るい性格が日の目を見る。ミント好きが高じて、生物、化学にも好成績を残し、高身長を生かして入ったバスケット部でも注目を受ける。勿論、ミントの恩恵をそのままに大学では化学を専攻し、卒業してからベルサイユの調香学校に入学し、大手の化粧品会社に勤めた。経歴は薫樹とよく似ている。そして今はフリーの調香師、フレーバリストとして活躍中だ。「ミント王子」という呼び名は会社勤めをしているときに、社内のコンクールでマウスウォッシュのサンプルを提出した時からだ。ミントは清涼感や爽快感を得られるため圧倒的に多く使われていて、入っていないものはなかった。逆にそれを避け別の香り付けを行うものもいたが今一つパッとしなかった。涼介も勿論、好きなミントの香料を使う。並みいる強豪の中、押し分けて涼介はトップに躍り出て、そのサンプルは商品化されることとなる。そこからミント王子の快進撃が始まる。
「どうして、同じミントなのにあなたの作品がとびぬけたの?」
「当時はね。みんなミントの表面の香りにしか注目してなかったんだよ。みんな口の中をさっぱりさせて、口臭をごまかそうとするだけだった。――俺はミントを道具にしたくなかった。ミントがメインになる様に、味わいと爽快感。そしてリフレッシュとリラックスを感じられる調香を施したんだ。ただ、これじゃあ清涼飲料水みたいに飲んでしまいそうだということで、味わいを変更する羽目になったけどね」
「へえ。追及すると奥が深いのね」
まるで興味がないという表情をしていたTAMAKIが、今、涼介の話を少女のような目をして聞き入る。
「環さん。俺は――君ももっと追及したい」
一瞬の間の後、環は頷いて「シャワーを貸してもらえる?」と席を立った。
17 ミントガーデンの上で
シャワーを浴びた環は涼介のベッドの上で横たわる。
「何も身につけていなくても君は素敵だ。――香料も何も使っていないのに芳しい」
恥ずかしがることなく環は全裸の肢体をさらけ出す。
少し湿った髪と頬を撫でると、環はその大きな手を取り、掌にキスをする。
「ベッド狭いかな。ダブルでも俺たちには狭い気がする」
環は少女のように笑った。
「ねえ、外で。――ミントが見える――外で抱いて」
「え? 外で?」
「誰か来るの?」
「いや、来たとしてもたぬきかイタチかな」
「じゃあ、お願い」
「動物でも見せるのが嫌だけど」
「モデルだから見られるの平気なの」
二人でクスクス笑う。 涼介はシーツごと環を抱きかかえ、外に出る。
清涼なミントの香りとここちよい気温は確かに家の中に居てはもったいない。
東屋の柔らかい芝生にシーツと一緒に環をおろす。
「ああ。君は緑に良く映える」
じっと笑んで見つめる環に軽くキスをして、涼介も全裸になった。
「あら、あなたも彫刻みたいだわ。服を着て仕事をするのがもったいないくらい」
上に覆いかぶさった涼介の筋肉質の胸元を撫でた。
「そんなに堂々とされて、見られると俺が恥ずかしいな」
「ふふっ、私は全裸でうろうろするのは当たり前だったし、みんなそうだった。――だけど、変ね。今は少し恥ずかしいわ」
肌と肌を合わせて、温かさと鼓動を共有する。
口づけを交わし、舌を絡め、指先も絡め合う。
涼介は指先にキスし、ゆっくりと手首から肩まで丁寧に優しく食む様に上っていく。
環はくすぐったさと心地よさの両方を感じ、涼介の愛撫を堪能すべく目を閉じて集中している。
くびれたわき腹に舌を這わされると、環は「ふふっ、くすぐったいわ」と我慢できずに笑った。
「ごめんごめん。くすぐったいのは感じやすいってことなんだけど、ここはやっぱりくすぐったいよね」
明るく笑いながら涼介は環のウエストから臀部に掛けてひと撫でする。環も涼介の背筋をするっと指先でなぞる。
「はははっ、くすぐったいな」
大きな身体で二匹の獣のようにじゃれ合う。
涼介が環の長い足を曲げさせ、小さな爪先をとらえ、指の一本一本に口づけをすると彼女はふるふると身体を震わせ短い声をあげる。
柔らかい踵を持ち、足の甲に舌を這わせ、十分に足を堪能しようとする涼介に環は喘ぎながら質問する。
「ど、どうして、そんなに足が好きなの? み、んなはバランスが悪いって、あ、ん、あんまり好まれなかったけど」
「さあ、なんでだろうね。子供のころから好きだった。足はいつも隠れているからね。俺も子供の頃は埋もれていたから隠されているものが好きだ。――特に君の足は宝物を見つけたような気分になるよ」
「そ、そう――んんっ」
「足、感じやすいね」
よく締まった足首を持ち太腿を舐める。もう片方の足を撫で上げ、足の付け根を優しく撫でまわす。
整えられた三角の茂みから環の秘部が覗いている。指先で花芽をそっと押すように撫でると環の身体がびくっと跳ねる。
「我慢できなくなるな」
「我慢? なぜするの?」
「大事にしたいから」
「もう大事にされてるわ」
ふっと優しく笑む環に涼介は「ああ、そうだ。いいものがあった」と身体を起こす。
「ちょっとだけ、待ってて」
シーツでひらりと環をくるみ素早く家に入り、手に小瓶を持って出てきた。
「これを使おう」
「なあにこれ」
「兵部さんと開発したローション」
「へえ。いろんな仕事するのね」
「ははっ、これはプライベートの作品。どう嗅いでみて」
蓋を開けるとふわっと甘い花の香りと森の香りが同時に漂う。
「いい香りだわ」
「だろう? これは口に入っても大丈夫なんだ」
指先にローションをつけ、環の小さな唇に塗り、舐め合うように口づけをする。
「ああ、甘い、のね」
小瓶の中身を涼介は口に含み、温めると、環の胸に少しずつ出しながら赤く色づいた蕾を舐めあげ甘噛みをする。
「んんっ、あ、あぁ」
指先にローションをのせ、環の花芽にも塗り付け、そのまま秘裂をなぞり、蜜源へ指を滑らせる。優しく上下になぞり続けると環は身体に力を込めはじめ、やがて痙攣させる。
「くううぅうっ――」
額ににじませた汗をぬぐうと環は頬を紅潮させ荒い息を吐きながら涼介を見つめる。
「気持ちよかった?」
「うん」
「そう、よかった」
環の身体が落ち着くまで涼介は優しく身体中を撫で、キスをする。
平常に戻った呼吸で「あなたのそこはすごく大きいけど平気なの?」と率直に尋ねる。
「ん? そろそろ我慢の限界」
涼介は笑うが、目は真剣だった。硬く膨張したそこへ涼介はローションを塗ろうと瓶を取る。
「私が塗りたいわ」
起き上がって環は瓶からローションを涼介がしたように口に含み、そしてそのままエレクトしたそこへ口づけ、含んだ。
「うっ――ああ、きもち、いいよ」
涼介はのけぞり太陽を拝む。反らせた背中を戻し、環の頬をそっと持ち口淫をやめさせる。
「抱いていいかな?」
環はにっこり頷いて横たわる。
もう一度口づけしあい、涼介はそっと鈴口を環の秘園へあてがう。ローションと愛液で濡れそぼり、そこは優しく涼介を受け入れようとしている。
少し抵抗を感じたか、涼介は腰をすすめ、カリを挿入する。
「う、くっ――」
「ごめん、痛い?」
「ううん。平気、びっくりしただけ」
平気を装うが環の表情はこわばっている。思わず、腰を引こうとしてしまう涼介に環の長い足が絡んだ。
「だめ、引かないで」
「うん。このままいくよ」
ゆっくりと環の内部に入り込む。狭く熱く絡み付く感覚に涼介は呻く。
「これで、全部――」
動かずに抱き合ったまましばらく時を過ごす。
「動かないの?」
「もうちょっと、このままで」
唇が腫れるくらいキスをした後、涼介はストロークは浅めにゆっくり腰を動かし始めた。
「あ、な、中がいっぱいな感じ」
「辛い?」
「ううん。満たされる、感じ」
「早く、気持ちよくさせたい」
苦痛しかないだろうと、涼介は最小の動きで早く射精することを考えた。
「いま、でも、きもちいい」
少しだけ慣れてきたのか環の身体から力は抜けている。涼介は片方の足を開かせ、爪先を持ち、口に含んだ。
「きゃっ、あっ、あっ、はぁっ――」
足が性感帯のようで、愛撫を施すと環の蜜がまた溢れてきた。
「ああ、イキそうだ」
出来るだけゆっくりと思っていても絶頂が間近に迫ると動きが早くなってしまう。
「いいの、いっ、ぱい――う、動いて」
「ああっ――た、環っ――う、うぅ――あぁ……」
初めて避妊せずに女性を抱いて中に放出した。
「ああ、なんだかまた満たされる、感じがする」
環は和らいだ表情で涼介を見つめ、その背中を抱きしめる。温かいぬくもりを感じながら涼介は告白する。
「環。好きだ。結婚しよう」
「家族になるの?」
「嫌かな」
「嫌じゃないわ」
汗ばんだ身体にミントの風が爽やかに吹く。日が陰るまで二人は自然の中で寄り添い抱き合い、これからの生活についてまるで少年と少女のように夢を語り合った。
18 パフュームの完成
完成した試作品の香水を持ち、薫樹は会社の会議に出席する。
これからの売り出し方やコマーシャルなどのことはほぼ決まっている中で、薫樹は発言の機会をうかがっている。
試作品とはいえ調香した香水は役員他、一般社員にも試香されたが高評価で変更はないだろう。出来栄えの良さに社長は海外進出がもう成功したような顔をしている。
「すみません。よろしでしょうか」
「なんだね、兵部君」
「この『KOMACHI=小町』ですが名称を変えていただきたい」
「ええ? 何を言い出すんだね」
ざわめく中で薫樹は澄んだ声で続ける。
「小町という商品名では、外国の方々には少しマニアックでしょう。いっそのこと『TAMAKI』にしてみては」
薫樹の発言で更に騒めくが、半分以上はその提案の方がよさそうだと頷いているものもいる。
「確かにTAKAKIさんの知名度は海外で高いからなあ」
「小野小町が世界三大美女って言ってるの日本だけらしいし……」
この議題はまた会議にかけられることになったが、おそらく薫樹の提案が通るであろう。
会社を出て、薫樹は芳香の勤める園芸ショップ『グリーンガーデン』に向かう。
スーパーの駐車場が見え、ショップの店先で甲斐甲斐しく、植物に水をやっている芳香の姿が見えた。
しばらく遠目から様子をうかがう。
やってくる客に愛想よく笑いかけ丁寧に接客をし、深々と頭を下げている。
生き生きと瑞々しく働く彼女の様子を見ると、ここしばらくの疲労が消えていく気がしている。
「芳香の魅力は香りだけではないな」
そばで彼女の香りを嗅がずとも彼女の存在は薫樹にとって安らぎを与える。30分ほど眺めて薫樹は芳香に会わずに帰る。こうしたことを何度か繰り返していることを芳香は知らない。薫樹の秘かな楽しみであった。
香水が完成して名前も『TAMAKI』となった。日本人名のつけられた香水は数少ないが、この『TAMAKI』は今世紀で一番有名なものになるだろうと会社は睨んでいる。
芳香の友人の真菜は会社のパーティで薫樹と環が抜けだし、そして香水の名前が変わったことに不安を感じている。
昼休みに少しでも芳香に会って顔を見ようかと思い玄関に向かうと薫樹とすれ違った。
「やあ、立花さん」
「兵部さん――」
機嫌よく立ち去ろうとする薫樹に思わず真菜は声を掛ける。
「あの、すみません、ちょっといいですか?」
「ん? なんだい?」
「なんで香水の名前変えたんですか?」
「コンセプトと完成した香りが環だったからね。小町より売れるとおもう」
「えーっと、そうではなくてぇ」
「ん?」
言い辛いことだが親友のためだと思い、周囲に人がいないことを確かめて真菜は思い切って告げる。
「環さんは薫樹さんの恋人ですか? それとも元カノ? 芳香ちゃんとどっちが大事ですか? 私、パーティで二人が抜け出したり、こっそり会ってるの見たんですよ」
「――」
薫樹は一瞬きょとんとしたが、真菜の言いたいことがわかりハッとして説明した。
「誤解をさせてすまない。彼女とは古くからの友人で、全くそれ以上の関係はないんだ。僕の愛する女性は芳香だけだよ」
はっきりという薫樹に「そうですか。よかったです」と真菜は照れたが安心した。そしてこの不安を芳香に知られることがなくてよかったとも思った。
「じゃ、失礼します」
真菜は頭を下げてランチに向かうことにした。
薫樹は立ち去った真菜の言葉を反芻し、出来るだけ誤解を招く行動を避けねばと思う。今までのように無頓着のままでいては芳香に心配や不安を与えるかもしれない。
「そろそろきちんとしなければな」
ネクタイを正し、薫樹は次なる調香のコンセプトを頭に巡らせながら研究室へと戻った。
19 TAMAKIから環へ
壇上では黒地に金銀の唐草模様と大輪の花々が描かれている振り袖を着たTAMAKIがパフューム『TAMAKI』を手に持ち、アルカイックスマイルでポーズを決めている。
漆黒のボブヘアーには何も飾られておらず、褐色の肌はブロンズ色に輝いていてジャパネスクとアジアンがいい塩梅で融合している。香水の瓶はシンプルなスクエア型で中には琥珀の液体がきらめき揺れる。バシャバシャとたくさんのフラッシュがたかれ撮影は長く続くが環の集中力は衰えを知らない。彼女と香水を目の当たりにすると成功しないわけがないと誰もが感じる。
これをきっかけに『銀華堂化粧品』の海外進出が滞りなくなされていくだろう。
大きな仕事を終えて薫樹は少し有給休暇を取ることにした。今回も高評価を得るが0から生み出した作品ではないため薫樹にとっては複雑な気分だ。
のんびりマンションでくつろいでいたが、リフレッシュしたいと思いカフェ『ミンテ』に行くことにした。
芳香に昼休みがあるなら『ミンテ』にいるとメールを送り、休日を楽しむべくゆるゆると出かけた。
昼前に着くと珍しく店はがらんとしており、ドアに目をやると「定休日」となっていた。
「ああ、休みなのか」
うーんと考えているとちょうど芳香が走ってやってきた。
「薫樹さーん」
「ああ、芳香。すまない定休日だった」
「あ、ほんとだ。どっか他に行きます?」
「そうだな。できるだけ君の職場の近くにするかな」
「ありがとうございます。店長がゆっくりしてきていいよって言ってくれたのでそんなに急がなくても大丈夫です」
「そうか」
「はい」
嬉しそうな芳香と見つめ合っているとカフェ『ミンテ』の扉が開き中から声がかけられた。
「兵部さーん。芳香ちゃーん」
「あ、清水さん」
「ん?」
涼介がエプロン姿で出てきた。
「来てくれたんですか?」
「ああ。でも定休日だったと知らなくて今、他所へ行くところだったんだ」
「そうでしたか。どうぞ、良かったら入ってください。今、試作の料理だしますから」
「いいのかい?」
「どうぞどうぞ。ちょっと報告もありますしね。芳香ちゃんもどうぞ」
「は、はい。失礼します」
店内にはいると温かい雰囲気の中に爽やかなミントが香る。
「そこ掛けててください」
店の中央に薫樹と芳香は腰かけ、涼介は厨房へと入っていった。
「試作ってなんでしょうね」
芳香はすでにわくわくした様子で、目を輝かせている。薫樹はそんな彼女にもう満たされていた。
「お待たせしましたー」
大きなトレイに4つ鉢がのせられている。箸も4膳だ。誰のだろうと芳香が思っていると、もう一人涼介の後ろからトレイを持った女性が現れた。カフェエプロンを身に着けた環だ。
「あっ、た、た、TAMAKI!」
芳香は話には聞いていたが、実物を目にすることなどないと思っていたのでとても驚き、そして美しさに目を見張った。
スーパーモデルのTAMAKIが自分の目の前にデザートを配っている。
芳香はあんぐりと様子を見守るだけでじっとしていた。
涼介と環が並んで腰かけると、環が芳香に声を掛けた。
「初めまして。唐沢環です。薫樹の恋人の芳香ちゃんね」
柔らかい笑顔を見せられて芳香はハッとし、慌てて「柏木芳香です。よろしくお願いします」と立ち上がって深くお辞儀をした。
動揺している芳香の指先を薫樹はそっと触り、席に着かせる。環の「なかよくしてね」という言葉に芳香は興奮して「あ、あの。私、前に雑誌で環さんのインタビューに感動して、それから、えっと私も頑張らなきゃって思って、あの、これからも頑張ってください」と一気に告げる。
「インタビュー?」
涼介が尋ねると環は一度自分の生い立ちを語ったことがあるということだ。ジャンから「チャンスを使うように」と最初に言われた言葉を座右の銘にしているということが芳香に感銘を与えたらしい。
芳香もその言葉をいつも思い、今こうしていられるのはその魔法の言葉のおかげだと話した。
薫樹は二人の前向きな女性の話を聞きながら、今回の仕事も自分へのチャンスだととらえようと思い返す。
少し緊張が砕けたところで涼介が「じゃ、これ食べてね。バミーナーム(タイ風ラーメン)とクルアイブワッチー(バナナのココナッツミルク煮)をミントで仕上げてみたんだ」と食事を促した。
芳香はまた目を輝かせ「いただきます!」と箸に手を付けた。
「僕のも食べるか?」
薫樹は芳香の元気な食べっぷりにすっとクルアイブワッチーを差し出すと、芳香は恥ずかしそうに「だ、大丈夫です」と答えた。
「元気で可愛い人ね」
環にそう言われた芳香はさらに恥ずかしそうに赤面する。
大柄な三人に囲まれた芳香はまるで幼気な子犬のようだ。
食事を終えると涼介は食器を下げ、アイスミントティーを配り座ってコホンと咳払いをした。
「えっと。兵部さん、僕たち結婚します」
「ほう。いつの間に」
薫樹はそんなに驚くこともなく受け入れているが芳香はまたびっくりさせられた。しかし目の前のゴージャスな二人を見るととてもお似合いだと思った。
「おめでとう、環」
「ありがとう」
環は豊かな表情を見せるようになっている。これから彼女はモデルを引退して涼介の側にいると言うことだ。
「それはそれは。各界に激震が走りそうだな」
「はははっ。そりゃあ世界の環を僕が射止めたんですからね」
芳香はモデルのキャリアを環が捨てることをどう思っているのか知りたかった。
「あの、すみません。モデルをやめることは惜しくないんですか? まだまだご活躍中なのに」
涼介に気を使いながら恐る恐る尋ねる芳香に環は笑顔で答える。
「もうモデルはやりつくしたの。後進もたくさんいることだし、私じゃなくてもいいのよ。私は次のチャンスが現れたから、それを生かすのよ」
「はあー、か、かっこいい……」
芳香はうっとりと環に見惚れたが、アラームを設定してたスマートフォンが鳴りはっとする。
「あ、私、そろそろ仕事に戻ります」
「そうか、じゃ僕も」
「あの、薫樹さんはせっかくのおやすみなので、どうぞゆっくりしてください。清水さん、ごちそうさまでした」
「芳香ちゃん、またきてね」
「はーい。失礼しますー」
軽やかに立ち去る芳香を見送り、しばらくすると薫樹も席を立った。
「あれ? 兵部さんも帰るんですか? ゆっくりすればいいのに」
「ん。 これから芳香の仕事ぶりをゆっくり眺めるんだ」
「は、はあ。相変わらずですねえ」
「薫樹も幸せそうで嬉しいわ」
「ありがとう。環は綺麗になってるな。清水君のおかげだろう」
「え? 前から綺麗でしょう。はははっ」
「ああ、そう言われるとそうだな」
薫樹には10年前の環よりも今の、涼介と結ばれてからの彼女の方が美しいと感じていた。そしてこれからますます美しくなるのだろうと予感している。
――数十年、仲良く幸せに過ごした後、先に涼介が逝き、環は『ミントの女王』と呼ばれその生涯を閉じた。
20 ラブローションに溺れて
湯煎して温めたローションを手に薫樹は寝室に向かう。
広いベッドでは芳香が全裸で待っている。
「お待たせ」
白いローブはまるで白衣のように薫樹に良く似合っている。寝具から目だけ出している芳香の隣に薫樹はするっと滑り込んだ。
「芳香。今夜はゆっくりしよう」
「――はい」
芳香はごくりと息をのんで薫樹の顔が近づき口づけされるのを待った。ひんやりとした唇が触れ、薄い舌がするすると忍び込んでくる。
十分にキスを愉しむと薫樹は身体を起こし、まだ温かいローションを手に取った。
「それは?」
「これは、マッサージ用のローションだ」
「マッサージ……」
たっぷりと胸に塗られ、撫でまわされる。
「口に入っても良いように原材料はすべて食品成分で出来ている」
「あ、あ、ん、すごいん、ですね」
蕾を甘噛みされながら芳香は喘ぎながら答える。
「全身に塗ってあげよう。もちろん美容効果もあるんだ」
「あ、はっ、そう、です、かぁ、んん」
ぬらぬらした手で全身をくまなくマッサージされるが如何せん、マッサージではなくはっきりとした愛撫だ。汗腺と言う名の性感帯をきっちり押さえた愛撫に芳香は身をよじる。
「足は特に大事だな」
爪先の指の一本一本にローションを塗り、指の間に舌を這わせられると、芳香はうずうずと身体が疼き、思わず足をひきM字に開脚してしまう。
「むぅっ」
「あ、きゃあっ」
薫樹の前で開脚した足をさっと閉じようとしたが薫樹の動きの方が早く閉じさせてもらえなかった。
「ここはローションがいらないくらいだな」
「や、やだっ」
中指で緋裂を撫でられあげ、波打たせられる。
「しかし一応ここもほぐしておこう」
ローションを垂らし、外側全体を撫でまわし、もう片方の手で内部にゆるゆると指を進める。
「中は熱くて絡んでくるよ」
くちゅくちゅと中指で内壁をこすり、馴染ませほぐしかき混ぜながら、外で小さく尖った花芽を舌先で回す。
「あん、ああん、やああん、そん、なこと、早く、あん、来て、薫樹さ、ん」
「ああ。これはよくないな」
薫樹は愛撫の手を緩め、芳香の方へ向き替える。
「君はイキそうになるとすぐセックスをしたがるからね」
「ええっ、ひどい、うぅ」
残念そうな芳香にローションに濡らした指先を咥えさせる。
「あ、甘い……」
「ゆっくり抱きたいんだ」
「じゃ……私にも、薫樹さんをマッサージさせて……」
「ああ……」
芳香のてのひらにローションを垂らすと彼女は薫樹の首筋から硬い胸にそっと伸ばして塗り付け、円を描く。
痩せて骨ばっているが広い肩にもローションの伸ばし、首筋にキスをしてローションを舐めとる。
「ああ……気持ちがいいよ」
「男の人ってここは感じますか?」
白い広い胸を撫でながら、薫樹の固い乳首を口に含み、自分がされるようにコロコロと口の中で転がすように舐める。
「ん――なかなかいいよ……」
腰まで脱げた白いローブをはぎ取って、芳香はちらりと薫樹のものが大きくなっていることを確認し、ローションをかける。
咥えたい衝動を堪え、手でぬるぬると撫でまわすと怪しい香りが立ち込める。
「芳香……」
硬質の澄んだ声に湿り気が帯びられ、その声で名前を呼ばれると芳香の身体の中心が疼く。
「薫樹、さん……」
甘くてエロティックな香りがするローションをお互いの身体に塗っては、撫でまわし、舐めとる行為を続けているといつの間にかローションが無くなっていた。
「あ、なくなっちゃった……」
「うーむ。結構な量があったはずなのに」
ふっと我に返ると芳香は「くっぷっ」と小さなゲップをした。
「あ、やだっ、ご、ごめんなさいっ」
「フフ、いいよ。起きてミントティーでも飲もうか」
「そ、そうですね……」
ゆっくりキスをして二人は笑い合う。
ローションのせいで胃が満たされてしまい欲望が薄らいでしまった。
結局、マッサージをするだけで今夜は終わってしまったが不満はない。
ただ薫樹はローションに良い味が付くことは必ずしも良いことではないと後で涼介に意見しようと思っていた。
終わり
仕事の帰り道、芳香は薫樹に会えるかもと思い、彼の勤める化粧品会社『銀華堂化粧品』の前を通ることにした。社員たちはすでに帰宅してしまっているが、研究開発部の薫樹は定時に帰ることがあまりない。本人が仕事が好きだという理由で残業ではないが居残っていることが多いのだ。
芳香も遅い時間まで勤めているので、平日は待ち合わせることなくふらっと薫樹の職場を通りがかっている。
「まだ、帰らないかもなあー」
時間は7時半だ。いつも8時までは会社に残っているようなので、期待せずに少しだけうろつく。
道路に小石が落ちているのを見つけた。思わず、芳香はポーンと蹴ろうとするが、小石にかすることなくシューズがスポッと足から抜け会社の入り口付近まで飛んでしまった。
「ああー、やっちゃたあー」
ケンケンと片足で跳びながらシューズを拾いに向かう。すると男の話す声が聞こえ始めた。
長身の男二人が玄関から話し合いながら出てきている。遠目にもわかる、一人は薫樹だ。
「あっ、薫樹さんだ。珍しいー」
嬉しくて駆け寄りたかったが、シューズを飛ばしてしまい、もう一人知らない人物がいることに芳香はためらい少しずつ近づいて行った。
薫樹よりも、もう少し背の高い男が「おや?」と芳香のシューズを拾う。
「あっ、まずいっ」
芳香は急いで駆け寄り二人に近づいた。
「あ、あの、すみません、それ」
声を掛けるより前に長身の男があろうことかシューズの匂いを嗅ぎだす。
「いっ!ちょっ!」
ひるんでいると男はシューズを薫樹に嗅ぐように促す。
「やっ、やだっ!」
男二人がうんうん頷きあっている。
たまらず芳香は「そ、それ私のです! 返してください!」と目の前に飛び出した。
「ああ、芳香。やっぱり君の靴か。こんな芳香をさせる足がまだ世の中にあるのかと思ってびっくりしていたところだ。ああ彼女は柏木芳香。僕のフィアンセです」
「いやあ、芳しい。素晴らしい香りだ。留学中によく食べたエポワスを思い出しますね」
「ああ、確かに。僕もよく食べた。やはり合わせるのは同郷のブルゴーニュ産のワインだろうか」
「ええ、でも日本酒も案外合うんですよ」
「ほう。今度その組み合わせで食べてみたいものだな」
二人は芳香のシューズを持ったままお構いなしでチーズについて話し合っている。
「ちょ、ちょっとあの、返してもらえませんか?」
「ああ、失礼、シンデレラさん」
男は屈んで芳香の裸足の足を掌に載せシューズを履かせようとする。
「え? あ、あの自分で――」
ぐらつく芳香を薫樹が支え、「履かせてもらうといい」と足を差し出すように言う。
「ええー?」
困惑する芳香に男は「うーん、これはこれは。香りもさることながら足の形も素晴らしい」と褒め始めた。
薫樹はそこにまた食いつく。
「ん? 形もいいのか」
「ええ、エジプト型で多い形ですが、指も爪も綺麗に伸びている。土踏まずもしっかりあって、踵も柔らかいな」
「ほう」
「さすがは匂宮様、素晴らしい恋人をお持ちですね」
薫樹はまんざらでもない様子だが、芳香は気が気ではない。夜で人気はさほどなくまばらだが、通りがかる人々はこの奇妙な三人組をチラチラ見ている。
「か、返し下さいっ」
「おっと、失礼。僕は女性の足が一番、女性らしさが出る美しいところだと思っているのでついつい」
すっとシューズを履かせ立ち上がる。
ふわっとミントの爽やかな香りが芳香を包み込む。
「さ、爽やか……」
「芳香。彼は清水涼介君。うちの会社にしばらく助っ人で来てくれているフリーの調香師だ」
「よろしく。僕はパフューマ―(化粧品の調香師)の兵部さんと違って、フレーバリスト(食品の調香師)なのでちょっと毛色が違いますけどね」
「日本で彼の手が入っていないミント製品はないんじゃないかな。この業界では『ミント王子』と呼ばれているんだ」
「み、ミント王子……」
フフフと微笑むミント王子こと清水涼介を改めて見る。
長身でゆるいウエーブのかかった長めの真黒な髪に健康的に焼けた肌に彫りの深いはっきりとした顔立ち。薫樹とは対照的にギリシャの彫刻のようだ。
このような『宮様』やら『王子様』などの貴族階級のような人たちは変わった人が多いのだろうと芳香は少しめまいを感じた。自分の庶民さを再確認して「かっこいいけど変かあ……」とぼんやり呟いた。
「これから彼と仕事の打ち合わせがあるんだ」
薫樹の言葉にはっとし「いえ、通りがかっただけなので、また週末に」と告げて芳香はその場を去った。
後姿を見送る薫樹のとなりで清水涼介は「うーん。素晴らしい足だ」と感心していた。
2 ミントの効果
店の前にミントの苗を整頓しながら芳香は「変な人だったなあ」とミント王子のことを思い出した。
そこへ常連の勝俣房枝がやってきた。
「おはようございます。勝俣さん」
「おはよう、芳香ちゃん。あらあ、ミントあるのねえ。それ頂くわー」
「あらミントお好きでしたっけ? いつもはお花を飾られるのに」
「うふふっ、芳香ちゃん昨日のハーブ講座のテレビ観てないのぉ?」
「ああ、昨日は見逃がしちゃって」
「もうっ、ミント王子のカッコいことカッコイイこと!」
「み、ミント王子……」
「王子が言うことにはねえ――」
房枝はぽっちゃりした身体を揺さぶりながらミントのリフレッシュ効果と消化の促進の話を始める。
「で、さっそくフレッシュミントティーを飲んで、ミントのサラダを食べたいなあ、なんてね」
溌剌と恋をする少女のように初々しい様子で房枝は苗を取り上げる。
「あ、そっちはペパーミントですね。こっちのスペアミントの方が香りも優しいのでお料理に使いやすいかも」
「あらっ、ほんと。ちょっと違うわねえ。さすがね。芳香ちゃんもよく知ってるのね」
「いえー、まだまだ店長の聞きかじりで。じゃ、袋に入れてきますね」
ミントの葉が揺れると清涼な風が吹いたように爽やかな気持ちになる。(薫樹さんもミントティー好きだもんね)
芳香はミントを房枝に手渡しながら、今週末はちょっと手の込んだミントの飲み物を薫樹に振舞ってみようかと思案した。
週末に芳香は店長の小田耕作から商品にするには少し不格好なミントを大量にもらい、薫樹のマンションを訪れた。
「薫樹さん喜ぶかなあ」
ミントの香りを嗅ぎながら今日はまずモロッコミントティーを淹れようとエントランスの扉を開ける。
芳香は薫樹からいつでも来ていいということで鍵をもらっている。しかし遠慮深い彼女は結局、薫樹のいる週末にしか使わない。
「失礼します」
玄関に入ると、薫樹のシンプルな黒のビジネスシューズの隣に薄いグリーンのスニーカーがあった。
「ん? 薫樹さん、ランニングでも始めたのかな」
上がって少し廊下を歩きダイニングに近づくと話し声が聞こえる。
「あ、来客なのかな……。どうしよ……」
入るのを躊躇っていると、カチャリとドアが開き薫樹が芳香に気づく。
「やあ、待ってたよ。さあ、中へ」
「は、はい。お邪魔します」
頭を下げ、入って上げるとダイニングで背の高い男が立って何か作業をしている。後姿ではあるが見覚えがあった。
「み、ミント王子?」
「ん? ああ、芳香ちゃん、いらっしゃい」
明るい笑顔で涼介はまるで我が家のように芳香を出迎える。服装の会社の前で会ったときのスーツ姿とはまるで違い、薄いグリーンのパーカーに白いハーフパンツという軽装ぶりだ。
「こ、こんにちは……」
「清水君が美味しいモロッコミントティーをご馳走してくれるようなんだ」
「ああ、そうなんですかあ……」
「少し待ってて」
せっかく自分が振舞いたかったのにと思い、持ってきたミントに一瞥をくれ芳香は荷物をリビングの隅に置き、ソファーに腰かけた。
ふうっとため息をつき、すべすべしたヒノキのセンターテーブルを撫でて木の香りを嗅いでいると、清水涼介が「じゃ、そちらに持っていきますので」と作業を見ている薫樹にリビングに移動するように促した。
カチャカチャと茶器が運ばれる音がし、銀の丸い盆に、やはり銀のポットとグラスが乗せられてテーブルに置かれる。
「うわっ、本格的」
芳香は自分が淹れようと思っていたグレードをはるかに上回っている様子に、自分がやらなくて良かったかもと考え直した。
涼介はポットからミントティーを立ったままグラスに注ぎ始めた。器用なものでこぼれることはなく、ふわっと爽やかな香りが部屋を包み込む。
「ほぉ。素晴らしい」
「わあー。いい香りー」
爽快感が突き抜ける。
「さあ、どうぞ。今回はアップルミントを多めにしてみましたよ」
芳香の隣に薫樹は座り、涼介は床に胡坐をかく。
「あ、こっちへどうぞ」
慌てて芳香は立ち上がり、涼介をソファーへ促すが「ありがとう。俺、床好きだから気にしないで」と爽やかな笑顔で答える。
「は、はあ」
非常にカジュアルな振る舞いで屈託なく明るく爽やかでしかも濃い顔だがイケメン。
先日、店にミントを買いに来た客の房枝を思い出す。一番初めの出会いがなければ彼女のように涼介を素直に素敵だと思えたのかもしれないが、おそらく足フェチだろう彼を芳香は『残念なイケメン』だと思うだけだった。
一方、涼介は、床が好きというのは嘘ではないが実は芳香の足を眺めてるだけだった。(スリッパ邪魔だなあ)
踵から足首、ふくらはぎのラインを眺めて悦に入ってはいるが、本当は爪先が好きだ。
薫樹の恋人なのでうかつなことはできないが、まだ結婚してないしなと気楽に芳香にちょっかいを出してみようと考えている。
美味しそうにミントティーを飲んでいる二人を尻目に涼介はリビングの隅の紙袋から、ミントの葉が覗いているのが見えた。
「ん? ミント?」
近寄って袋を覗くとやはり大量のミントが入っている。
「あ、それ、私のお店の……」
「ふーん。お店でミント扱ってるの?」
「え、ええ。園芸店に勤務してますので」
「見ていい?」
「ええ、ああ、でもそれちょっと商品にするには今一つなのでもらったものだから」
ミントを袋から出し涼介は長いムエット(試香紙)を嗅ぐように、ミントから少し距離をとり、高く筋の綺麗に通った鼻先で香りを吸い込んでいる。
「いいスペアミントだ。香りが強いし元気だね」
「そうですか」
店のミントが褒められて芳香は嬉しかった。
ミントティーを飲み終えた薫樹が「ご馳走様。とても美味しかったよ。これならお客もたくさんくるだろうね」と涼介に話しかける。
「お客?」
芳香が首をかしげていると薫樹が説明を始める。
「今度、彼はミント専門のカフェをプロデュースするんだよ。うちの会社には今開発中のメンズボディーローションの調香に来てくれている」
「へー、多忙極まりないですねえ」
にっこり笑って涼介は「疲労もミントでばっちりリフレッシュですよ」とウィンクしながらまるでタレントのように決めていた。
「は、はあ、すごいですね」
「フフ、僕も最近香りの効果というものを実感したばっかりだ。清水君は造詣が深いね」
「いやあ、匂宮さまにそういわれると――。俺はミントだけですからね」
同じ調香師ではあるが少し専門が違う二人は互いを敵視することもなく認め合っているようだ。
芳香は男同士は爽やかなものだなあと甘くて爽やかなミントティーを味わっていた。
3 カフェ『ミンテ』
ミント王子のおかげですっきりと爽やかに薫樹と過ごしてまた新しい一週間を迎える。
今月は薫樹の出張と開発の追い込みによってあまり会える時間がないので芳香はつまらない気分で町をうろうろしている。
親友の真菜も結婚式に向けて忙しい様で、あまり邪魔もできない。
一人でいることに慣れていたはずなのに、このところ濃密な人間関係を形成するようになってから、誰かと過ごす時間の楽しさを芳香は知ってしまっていた。
適当に歩いていると新しくオープンされるカフェに出くわす。
「カフェ『ミンテ』もうすぐオープンかあ。真菜ちゃんとこれるかなあ」
外観はレンガ造りで大きな窓がたくさんあり、まるで童話にでも出てきそうな建物だ。
看板を眺めていると後ろから声を掛けられる。
「芳香ちゃん?」
「え?」
振り返るとかっちりとスーツで決めた清水涼介が立っている。
「あ、清水さん。こんにちは。どうしてこんなところで……」
芳香が不思議がっていると涼介は「ここが、この前、兵部さんと話してたカフェなんだ」と看板を指さした。
「そうなんですかあ。ミンテって書いてるからわからなかったです」
「ははっ。ミンテっていうのはね。ミントの語源になった妖精の名前なんだ」
「へえー。きっと可愛い妖精でしょうねえ」
「うん。ミンテはね。ハーデスって神様に無理やり連れていかれるところを嫉妬した妻のペルセポーネがミントに変えたんだってさ」
「えー。ミンテは何も悪くないのに可哀想」
「だよねえ。もう一つ話が合って、やっぱりハーデスに連れていかれそうにはなるんだけど、ペルセポーネがそれを気の毒に思って助けようとしてミントに変えたらしい。俺はこっちの話の方が好き」
「そうですね、そっちのほうが随分いいですよね」
ほっとする芳香に涼介は「今一人で暇してるの?」と尋ねる。
「え、ひ、暇というわけじゃ」
どう見ても暇に見えるだろうが芳香は暇ですとは言えず口ごもる。
「時間があるなら、店の中見てみない?ミントのメニューもたくさんあるんだ。良かったら何か意見してよ」
「中、見てもいいんですか?」
可愛い外観にミントのメニューと芳香は好奇心をくすぐられ、誘われるまま裏口から店内に入った。
レンガ造りの内部のあちこちにミントの鉢植えが置いてあり、光をとる窓は大きく明るい。
「中も可愛いー」
「ほんと? 良かった」
人懐っこい笑顔を見せ、涼介はメニューを持ってきて芳香に見せる。
「モロッコミントティー、モロッカンサラダ、ミントノカプレーゼ、ミントアイス――へえ色々あるんだあ」
「どうかな? まだ増やしたいけど」
「んー、そうですねえ。夏はいいけど、冬ってなんかミントは寒い気がして――」
「はあはあ。なるほど。芳香ちゃんは鋭いねえ。うーん、冬メニューね、うんうん」
「すみません、あんまり気にしないでください」
「いやいや、いい意見だよありがとう。ミントで何か鍋とかどうかなあ。ちょっとまた考えてみよう」
仕事に真剣に向き合っている姿は恰好いいんだなと芳香は涼介を見つめた。
「じゃあ、この辺で私は失礼します」
「ああ、待って。急いでる?」
「いえ、そういうわけじゃありませんけど」
「ご飯でも行こうよ。夜、何か約束がある? 今日、兵部さん出張中でしょ?」
「よくご存じで……。でもほかの男性と食事するとかってちょっと……」
「ええー。ご飯だけだよ? 兵部さんが怒るかなあ。ちょっと待ってて」
薫樹ははたして怒るのだろうかと考えていると、涼介はスマートフォンをさっと取り出し電話を始めた。
「――そうですか。わかりました。きっちり最後までエスコートしますからご心配なく」
電話を切り芳香の方へ向き直る。
「兵部さん良いってさ」
「ええ!?」
「今電話で聞いたら、よろしくって言ってたよ」
「……」
「いこうよ、すぐ近くに美味しい串料理屋があるんだ」
薫樹がダメだと言わないことが芳香を複雑な気分にさせる。
「ですね、じゃ、いきます」
あまり気分が乗らないが夕飯をまだ決めていなかったのでついて行くことにした。
4 続・ミントの効果
明るく元気な掛け声で迎えられ、串料理屋に入る。
まだ早い時間なのに座敷は一杯でカウンターしか席は空いていないようだ。
「ああ、残念。座敷の方が楽だよねえ」
「あ、いえ。私、カウンターの方が好きなんですよ」
今でも人前で靴を脱ぐことが躊躇われる芳香にとって、座敷に案内されるより随分気が楽だ。
今日はよく歩いていたようで、肉の焼けた匂いが芳香の空腹を促す。
「お腹空いてきたなあ」
「ははっ、いっぱい食べてよ。ここはさあ、いろんな串があるんだよ。ほら、シュラスコとか」
炭火で焼かれた肉が大きな串に刺され、カップルが嬉しそうに店員から受け取っている。目の前のメニューを見ると串カツなど揚げ物もあり、焼き鳥、シシカバブなど多国籍な串料理が並んでいる。
「へえ、美味しそう」
「しかもここはね、飲み物も色々あるんだ。お酒飲める?」
「え、強くはありませんが、少しなら」
「じゃ、とりあえずモヒート二つ」
涼介が飲み物を注文し、少しずつ串ものを頼んだ。
「じゃ、かんぱーい」
「あ、乾杯」
初めて飲むロングスタイルのモヒートの匂いを嗅ぎ、芳香はそっと口をつける。
「わっ、美味しい。さっぱりしてる」
「初めてだった? ミントとラムのカクテルなんだ。本来はミントじゃなくてキューバのハーブを使うんだけど、日本じゃミントを使っててさ。俺はもちろんミントが好きだから本場よりこっちがいいかな」
「へえ。揚げ物ともあいますねえ」
「うん。この店はとくに甘さも控えめだからね」
気さくな涼介は芳香になんら緊張を与えず、楽しく朗らかだ。芳香には今まで恋人はおろか友人もやっとまともに出来たので、異性の友人はもちろん居ない。男の友達とはこういう感じなのかなと思い始めていた。
「ねえねえ。兵部さんとの馴れ初めは?」
唐突な質問に芳香は手が停まる。
「え、な、馴れ初めですか……」
「うん。今を時めく匂宮さまを射止めるなんてなかなか出来ないでしょ。彼っていつもうわさが絶えないし。ちょっと前までは今売れっ子モデルの野島美月ちゃんと付き合ってたとか」
「……」
野島美月とは仕事上の関係しかなかったのにいつの間にか薫樹の恋の遍歴に加えられている。
「なんか芳香ちゃんみたいなタイプが兵部さんの恋人ってちょっと不思議だよなって」
「で、ですよね」
自分でもわかっていることなので指摘されてもおかしくないだろうと芳香は腹も立たない。
「しかも兵部さん君にべた惚れっぽいしね」
「え? ど、どこが」
「ん? 昼とかランチ行こうって俺が誘うとさ、君の料理の話を始めたり、会社にいる可愛い子を褒めても、全く興味がないみたいだし」
「そ、そうですか」
「まあ、芳香ちゃんは確かにぱっと人目を惹くタイプじゃないけど、兵部さんが選ぶだけあって奥が深いんだろうねえ」
「そんなことはないと思います……」
他所で自分の話をされているとは全く思っていなかった芳香は嬉しくもあり恥ずかしくもあるが、聞いた人は首をかしげるのだろうなと苦笑した。
涼介は軽快で王子と呼ばれる割に気取ることもなく芳香は楽しく過ごせた。
帰りもアパートまで送ってくれるという。
「まだ早い時間ですから、ここで全然大丈夫です」
「うーん、兵部さんにちゃんと送り届けるっていってあるしなあ」
「いえ、ほんとに」
頭を下げて芳香は帰ろうとすると涼介が「まって」と引き留める。
振り返る芳香に「芳香ちゃん、足、痛くない?」と爪先を指さす。
「えっ」
長い間歩くのに適していないパンプスは芳香の足に靴擦れを引き起こしていた。軽く痛んではいたが気にするほどではないのに、少し違和感のある引きずった様子を涼介は鋭く見つけている。
「ダメだよ。そのままにしちゃ。ほら、そこ座って」
ひらりとスーツからハンカチを出し、道端のブロックに敷き芳香を座らせる。
「あの、何を」
「いいからいいから」
ポケットからウエットティッシュと小瓶を取り出した涼介は芳香のてのひらにそれらを置き、スッと手早く彼女のパンプスを脱がせる。
「あっ」
すぐにウエットティッシュを取り出し、爪先を綺麗に拭き上げ、今度は小瓶の蓋を開け手のひらに数滴落とし、指でかき回す。
「ペパーミントの精油で作ったアロマオイルだよ。鎮静効果もあるし、炎症も抑えるんだ」
優しくマッサージするように涼介は芳香の爪先にオイルを塗る。
「ふぁっ」
まるで上等なリフレクソロジーを受けているかのようで、気持ちの良さに思わず声を出してしまった。
「少し合わない靴で歩きすぎたみたいだね。このオイルあげるから、たまにフットバスに使ってみてよ」
「すごい。むくみが取れてる」
少し赤く膨れた足が鎮静されていく。
すっきりと軽くなった足に涼介はするっとパンプスを履かせ芳香の手を取り立たせる。
「はい。どうぞ、シンデレラさん」
「あ、ありがとうございます」
もう少しだけ送るという彼にバス停まで送ってもらい、芳香がバスに乗るまで一緒に涼介はいた。
バスの窓から振り返ると、涼介はまだこっちも見送っている。
「変な人かと思ったけどいい人なのね」
警戒心が少し薄れた芳香は楽しくて親切な涼介の好感度を上げる。そして薫樹にミントの効果を報告したいなと思っていた。
「やっぱ、良い足だなー。触った感じもよかったし。もうちょっとで舐めちゃうとこだったな。アブナイアブナイ」
涼介はニヤニヤしながら芳香の爪先の感触を思い返している。
「次、また触れる機会があるかなあ」
とりあえず、薫樹と仲良くしていれば芳香の足を堪能できるかもしれないと思い、ラインで「芳香ちゃんは無事帰宅しました^^」と報告を入れておいた。
「さて、明日からも忙しいぞ」
ウエーブのかかった前髪をさっとかき上げ、ミントの香りをその場に残し、涼介は人ごみの中に消えていった。
5 招待状と妄想
涼介、プロデュースのカフェ『ミンテ』はオープンしてから数日たったが人は途切れることなく流行っている。
芳香は久しぶりに会える真菜との時間をこのカフェで過ごしたかったが、賑やかで落ち着きがない様子にいつものオープンテラスのあるカフェに行った。
「真菜ちゃん、久しぶり」
「ほんと久しぶりだね。元気だった?」
「うん」
三ヵ月も会っていなかったので芳香はいっぱいお喋りがしたかった。
「今日はゆっくりできる?」
「うん、もうね、ほとんど決まったから大丈夫だよ。これ招待状」
「あ、くれるの? 嬉しい!」
「そりゃ呼ぶよー。来てくれる?」
「ぜったーい、いく! 何があっても行くよ!」
「ふふっ、ありがとう」
シンプルだがキラキラ光るピンクの招待状には真菜の幸せが詰まっているような気がする。
眩しく招待状を眺めていると「芳香ちゃんたちは最近どう? 何か進展した?」と真菜は優しく聞いてくる。
「えっとねえ」
特に進展はないが仲良くしている話と少しずつだが薫樹の愛情を心から感じられるようになったことを話す。
「うんうん。いいねいいね。順調じゃん」
真菜に肯定されると芳香も嬉しくなり少し自信が付く。そして薫樹と同じ会社に勤める真菜からミント王子の話題が出た。
「ミント王子がまた人気でさあー。匂宮さまとはまた違って気さくだし爽やかでイケメンだから会社中もうざわざわしちゃって」
相変わらず真菜はマイペースで他の女子社員が騒ぐ男たちに関心は薄い。
「その、ミント王子なんだけどね」
最初からの出会いとこれまでのことを包み隠さず、真菜に話す。
「んんー、なんか匂う」
「えっ? ごめん。あたしかなあ?」
「やだっ、ふふっ、違うわよ。――そのミント王子よ」
「ん? ミントのいい匂いするねえ」
「もうっ、芳香ちゃん、気を付けて。ミント王子、きっと芳香ちゃんのこと狙ってるよ?」
「ええっ!? まさかー」
「兵部さんいるから、たぶん大丈夫だとおもうけどさ」
「ううーん。変な人だけどそんな感じはしないなあ」
「ふふっ、芳香ちゃんの方は心配なさそうだね」
「なにが?」
「んんー、ミント王子のこと好きにならなさそうってこと」
「やだぁー、ならないよー」
男女の機微に疎い芳香は真菜の話があまり理解できなかったが、やはり薫樹という恋人がいるのだから誤解を招くような行動は慎もうと心に決めた。
また涼介のことを好きになれるかどうか考えたとき、全く心が動かされないと実感する。出会いの印象が良かろうとも彼に恋はしないだろう。
もし薫樹と涼介と出会い方が逆であったらどうだろうか。
――こっそりと芳香は妄想を愉しむ。
「君の足を研究させてよ」
薫樹に変わり、爽やかにミント王子に言われ検体になったと想像する。
(すっきりして終わりそうかな)
「失礼、シンデレラ」
無表情な薫樹に靴を履かされる。
(やっばーい。すっごいドキドキする)
はあはあしていると真菜が心配して顔を覗き込む。
「どうかした、芳香ちゃん、顔赤いよ」
「え、そう? 今日暑いもんね」
「ん、夏日だね」
薫樹のことを考えると胸がどきどきして、彼の指先を嗅ぎたくなる。
「ねえ、真菜ちゃん、いつまで好きな人のことを考えるとドキドキするのかな。結婚してもドキドキするのかなあ」
「ふふっ、芳香ちゃんはときめいてるねえ」
「え、あ、うん」
「私はなんかときめいたことないんだよねえ」
「へー、そうなんだあ」
「うん、興奮することはあるけどね。それってドキドキじゃないよね」
「そ、そうだね、なんか違うね」
赤面する芳香に真菜はニヤニヤする。
「まあでもさ、相手のことを想う気持ちがあるのが大事じゃないかな。ドキドキでもワクワクでも」
真菜のさっぱりとした回答はいつ聞いても気持ちが良い。想う人がいることは幸せなことだと芳香は実感した。
――真菜は芳香と別れてスーパーに立ち寄った。
恋人の鳥居和也は隣同士に住んでいるので、結婚を機に二人でアパートを借りることにしている。
今はお互いの家を行き来して、和也の母親と一緒に料理を作ったり、また真菜の家に和也がやってきて夕飯を食べたりする。今日は真菜の家で彼女が夕飯を作る。
二人が結婚すると言い始めたとき双方の両親は非常に驚いたが、もともと仲の良い隣人であったため、すぐに満場一致、万歳という状況になった。
スムーズな結婚なので楽に事を運べるのだが一つ問題なのがセックスに関してだ。
真菜と和也が家族同然なので二人で部屋に居ても、お互いの家族が遠慮なく平気で出入りしてくる。
「はやく二人で暮らしたいなあ」
家族が目の前にいない隙に、真菜は和也をこっそりいじめる。昨日は和也のペニスの根元に輪ゴムをつけ、人がいないときに上から擦ってやった。
和也は目をウルウルさせ、勃起を必死で隠していた。
そのまま時間があればわずかな時間で真菜と和也は繋がったが、昨日はそんな時間がなく和也を置いて、真菜は自宅へと戻った。
「あの後自分でしたのか聞いてやろう」
くくっと思い出し笑いをしてしまい、人目をハッと気にして適当な野菜をかごに入れる。
二人きりになったらしたいことはいっぱいある。
「目隠しいいなー。スパンキングははずせないし」
新居探しに一番骨を折ったのが防音だ。鉄筋コンクリート造りの角部屋を選び、ペット可のアパートを選んだ。
自分たちが静かに暮らしたいのではない。音がよりごまかされやすい環境を選んでいる。
真菜が「バイブの振動音って案外響くみたいだものね」と和也に告げると、彼は目を泳がせながら「ど、どっちが使うんだよぉ」と大きな身体をもじもじさせた。
「ああー、楽しみだなー」
ご機嫌で買い物を終え、真菜は精力のつくメニューを考えながら帰宅した。
6 宮と王子
研究開発のピークを終えて薫樹は帰宅し自室の研究室で調香をする。何を調香しているのか興味があるという清水涼介を薫樹は気にせず部屋に招き入れる。
勿論涼介は邪魔をせず、静かに調合する様子を見ている。芳香の足に触れるチャンスをうかがっていることもあるが、純粋に薫樹が個人的な調香をすることに興味があるのだ。
「清水君、ちょっといいかな」
「ええ、いいですよ」
「この部分の配合なんだが――」
「ん? どれどれ――ちょっと酢酸ベンジル多いんじゃないですか?」
「そうか」
「んんー。この配合……。フェロモン香水でも作ってるんですか? はははっ」
「流石だな。よくわかったね」
「ちょ、ちょっと、匂宮さまともあろうものがフェロモン香水なんか必要なんですか? それ会社の企画じゃないでしょう」
「うむ。実は僕と芳香はまだ結ばれていないんだが、できるだけ良い夜にしたいと思っていて――前回の配合はちょっと彼女を暴走させてしまって」
「いっ、あ、そ、そうですか、ははっ……」
眼鏡を直しながら真剣にレシピを眺める薫樹を涼介は気を取り直して咳払いしアドバイスする。
「兵部さん。真面目な話、この調合だと女性が男性に向けるフェロモン効果になりますよ。兵部さんが芳香ちゃんを落とすほうなんでしょ?」
「ああ、そう言われてみればそうだな。僕は十分、その気だからね」
「いやあ、参った、のろけか……。まあとにかく彼女をその気にさせる男のフェロモンと暴走させ過ぎないストッパーも必要ですね」
涼介は配合メモにサラサラと万年筆で書き加える。
「カストリウムにメントール……か。ほうっ、さすがミント王子だな。これはいい!」
「お役に立てて光栄です」
芳香にモーションを掛けていたことなどに気づかず、調香の配合のアドバイスを素直に聞き信頼してくる薫樹を涼介は感心して眺める。
「今まで友人なんかいなかったけど……」
「ん? 何か?」
「いえ、別に」
薫樹とは友人になれる気がしていた。
「俺も紫の上探さないとなあ」
「ふっ、芳香は紫じゃないな。どちらかというと宇治の大君かな。育てるところなんかなかったから」
「なーるほどね。対等なわけだ」
「それどころか彼女は新しい創作のヒントをくれたりすることもある。女神だな」
「はあ。ああ、確かにこの前カフェのメニュー見せたら冬のミントメニューを考えさせられたなあ。鋭いですねえ彼女」
「フフッ、そうだろうそうだろう」
薫樹の満足そうな様子に涼介は芳香を手放すことはないだろうと実感する。
「あーあ、あんないい足の娘。滅多にいないのになあ。宮様のものかあ」
「よく、足、足言ってるがそんなに珍しい足なのか」
「付き合った娘たちと眺めた数と、これからの出会いの予想で換算すると、たぶん万分の1かなあー」
「ほう、万分の1か」
「ええ、ほんとそれくらいかな」
「ふむ。僕は女性と付き合うのは芳香が初めてだが、恐らく彼女の香りは億に一つだな」
「ほええー、億に一つかあ。じゃあ、やっぱかなわないなあ。諦めます――」
「何を?」
「いえいえ、こっちの話です」
「万に一つならまだまだ出会えるだろう。希望を捨てないように。僕は芳香に出会うまで、一生独りで過ごすだろうとさえ思っていたからね」
大げさではないだろうが本当に妥協をしそうにない薫樹に涼介は自分ももう少しストイックに過ごそうかと一瞬考えたが、性格的に無理だなと思い直す。同じ調香師でも、人の口に入るものに香り付けをするフレーバリストを選んでいる時点で涼介は人と交わっていくこと、社交が好きなのだ。
「完成した。どうかな」
「どれどれ」
細く長いムエット(試香紙)に鼻先をそっと近づけ涼介は香りを嗅ぐ。
「うんっ、素晴らしい! これ商品化した方がいいですよ」
「うーん。ちょっと目的が目的だけによした方がいいだろう」
「むうっ、確かにこれじゃアダルト商品になっちゃうかなあ。――それなら、いっそ、どうです? こうしたら」
「ほうっ。ルームフレグランスよりもいいかもしれないな。流石だな。パフューマ―にはない発想かもしれない」
「お役に立てて光栄です。いつか僕も使いたいのでレシピ置いといてくださいね」
「ああ、もちろんだ」
「さて、俺、ミントティーでも淹れますよ」
「ありがとう」
色々なことにすっきり納得した涼介は心爽やかにキッチンへと向かった。
キッチンでは薫り高いミントティーが薫樹を待っていた。
「どうぞ、あったかいうちに」
「いただきます」
「芳香ちゃんが持ってきてたミントを乾燥させて淹れてみましたよ」
「そうなのか。フレッシュとはまた違った味わいだ」
以前、芳香が持ってきていた大量のスペアミントは涼介が持ち帰り、ドライハーブにしていた。
「長持ちしますしね。これはこれでいいものですよ」
二人はいつの間にか仕事関係を超えている。薫樹にとっても涼介のように人懐っこい男は初めてだが不愉快ではない。
女性なら薫樹に対して親しく接するのは恋愛関係を想定してのことであるが、男の涼介には勿論ない。利益を得ようとすることなく接してくる涼介に好感を得ている。学生時代に友人はいたが、各々研究と追及が主にやることであり、このように日常会話を交わすような交流は皆無だったような気がする。
「本当に君はミントのようだな。ミント王子という名は伊達じゃない」
「なんですか。いきなり。はははっ」
薫樹も芳香と同様に人と親密な関係を構築している最中であった。
7 スーパーモデル『TAMAKI』
『銀華堂化粧品』では創立50周年を記念してパーティーが行われることになった。
社員である薫樹はもちろんのこと、真菜も参加する。
ミント王子こと清水涼介もゲスト招待されていた。芳香は薫樹から同伴で参加しないかと誘われていたが、自分を知っている他の女子社員に彼と付き合っていることを知られたくないため断った。しかも社員とはいえ、会社の中でエースという立場の薫樹と平凡な自分が一緒に出掛けても場違いであろう。
薫樹にパーティの様子を聞いても、きっとよくわからないだろうと思い、芳香は後で真菜にどんなパーティだったか聞こうと思っていた。
パーティーはホテルを貸し切って行われる。
招待人数も多いので立食パーティーだ。壇上では開会式の挨拶をはじめ、『銀華堂化粧品』を設立した会長、現取締役たちがスピーチを行った後、今後の方針、展開について語られた。
『銀華堂化粧品』は今までスキンケア、ボディケア用品に力が入っており、それらに香りをつけるため薫樹は調香をしていた。今回、50周年を記念して、香水を開発、販売するという。日本では香水そのものに販売力があるわけではない。日本人の体臭が薄く、香水を必要とすることがないためである。古代では香を着物に焚き込み、現在、柔軟剤などで衣服に香料を浸み込ませる、そのやり方は間接的であって、直接、身体に身に着けるものではない。また香水を好むものは海外の有名ブランドのものをすでに身に着けている。
会社の狙いとしては、日本人を対象とした香水開発ではなく海外に向けた日本の異国情緒を感じさせる、ジャパネスクパフュームを販売したいのだ。それが海外に評価されて初めて国内のユーザーが増えるであろうという目論見だ。
ある意味社運を賭けた開発になるだろう。
薫樹も調香師として意欲を燃やしている。
司会のものがここで今回の香水のイメージとなるモデルの紹介を始める。カツコツと軽妙なヒールの音がする方を社員一同目を向ける。そして息をのみざわついた。
「皆さん、お静かに」
壇上にすらりと伸びた高い身長のエキゾチックな女性が現れる。漆黒で硬いまっすぐなショートボブに切れ長で鋭い目。鼻筋は細く、高く鷲鼻に小さいが肉厚の唇が、東洋人だが謎めいた印象を与え無国籍な様子でもある。くっきりとした鮮やかなオレンジ色のタイトなカクテルドレスが浅黒い肌を引き立たせている。
「ご存じない方はいらっしゃらないと思いますが、ご紹介いたします。世界でも活躍中のスーパーモデル『TAMAKI』さんです!」
「よろしく。TAMAKIです」
クールな表情に少しだけ笑みを乗せ会場を一瞥する。
社員たちはまたざわめき始める。
「すごいなあー。TAMAKI呼んだのかあー」
「これ、会社めっちゃ本気じゃん」
「うわー、でっかいのに顔ちっちぇえー」
「何、あのウエストの細さ、信じらんないー」
コホンと司会者が咳払いすると会場は静まった。
「えー、では皆さん、今夜はゆっくりと楽しんでください」
管弦楽団による演奏が始まり、会場は賑やかになった。
壇上の下で薫樹はスーパーモデルのTAMAKIこと唐沢環を眺め、懐かしく感じていた。
彼女とはまだ薫樹が調香学校の学生であったころ、フランスのヴェルサイユで出会っていた。もう10年以上前のことだ。
彼女は売り出し中のモデルで薫樹の調香学校の教師でもあるジャン・モロウの恋人だった。
会長をはじめとする会社の重鎮に囲まれ、媚びることなく環は言葉を交わしている。
「さすがにスーパーモデルを間近で見るのは初めてですよー。かっこいいですねえ。女性だけどきりっとして」
薫樹の隣で涼介が感嘆している。
「うん、そうだね」
やがて環が社長に連れられて薫樹の前にやってきた。環より背は低いが恰幅の良い社長は機嫌よく薫樹に紹介始めると環が制する。
「社長、私、彼とは旧知の仲なのです。ご紹介は結構ですわ」
「えっ? 兵部君と知り合いなのか? それは知らなかったなあ。そうなのかね?」
「ええ、とは言っても、お会いするのは10年以上ぶりですがね」
「そうかそうか。まあコンセプトは君に伝えてあったがTAMAKI君を目の前にするとよりイメージが沸くだろう。あとは君に任せるよ」
社長は愛想を振りまきながら他会社の重役たちの中へ入っていく。
「お久しぶり」
「本当に久しぶりだね。そうだ紹介するよ、今、チームに加わってくれている清水涼介君」
「清水涼介です。お美しい環さんにお会いできて光栄です。よろしく」
「よろしく」
爽やかに笑顔を見せる涼介とは対照的ににこりともしない環は差し出された手にも無視をする。
「馴れ馴れしかったですかね。失礼」
さっと手を涼介は引いた。後ろの方で自由にパーティを愉しむ女子社員たちが着飾った様子で涼介の様子をうかがっている。
彼女たちは涼介が今フリーであることを知っており、あわよくばと狙っているのだ。薫樹と違い気さくな涼介はそんな女子社員たちに愛想よく振舞う。
「じゃ、兵部さん、僕も楽しんできます」
「ああ」
涼介はこちらをチラチラ見ている女子社員数名の中に紛れ込んでいった。軽く黄色い歓声が上がっている。
「ふん。何、あの人。軽そうな男ね」
「清水君は日本では有名なフレーバリストでね。ミント王子と呼ばれている。気さくで楽しい人だよ」
「へえ。王子様ね」
「ところで、珍しいね。日本の企業の仕事を引き受けるなんて。ジャンは一緒に居ないのか」
「ジャンは……。死んだの……」
「えっ!? いつ?」
「去年。もう高齢だったし、いつでもおかしくないって思ってたけど」
「そうか……。残念だ。調香界の王が……」
「それで、私ももうフランスにもいる意味がないし、モデルにも飽きたから日本で適当に過ごそうと思ってた時に『銀華堂化粧品』からこの話が来たのよ。ジャンもいないし、もう落ち目の私には断る理由がなかったから」
「……」
「今回の香水の名前『KOMACHI=小町』ですってね。私に本当に合ってるのかしらね」
「君は小町というよりも楊貴妃というイメージだからかなり僕にとっても違うんだが、まあ善処するつもりだ」
「ふふん。ジャンが最後に私のために作ったパフュームがまさに『KIHI=貴妃』よ。今、身に着けてるわ」
1メートル離れて話していた二人の距離をスッと縮めて環が薫樹の懐に入る。
「むっ、これは!」
「どう?」
「素晴らしい。ちょっとこっちに来てくれないか」
薫樹は環に庭へ出るように促す。
二人が会場を後にするのを涼介と真菜だけが気づいていた。
8 楊貴妃の香り
木の陰ですんなりとした肢体の環を、薫樹は上から下まで一瞥し、彼女の首筋に鼻先を添わせ、やがて胸元、二の腕、から指先までたどる。
「素晴らしいな。これは名香中の名香だ。彼はどうしてこれを商品化しなかったのだろう。このパフュームを発表すればまたトップに躍り出でただろうに」
「そんなにいいの? 実は未完成だったの。私が着けて初めてこの香りになるのよ。ベースはこちら」
環はゴールドのパーティバッグから小さなアトマイザーを取り出す。
「嗅いでもいいかな」
「ええ」
薫樹はスーツの中から手帳を取り出して白紙の部分を少し破り取り、環の香水をかけた。そしてゆっくりと鼻先に近づける。
「ふーむ。このままでも素晴らしいが、確かに、何か足りない。君の体臭と混じることで完成度が高くなっているようだ」
「ジャンは楊貴妃の香りを再現したかったみたいよ」
「なるほど。ジャンも君のイメージを小野小町でなく楊貴妃ととらえたわけだ」
濃厚でセクシーな名香を前に薫樹は興味を隠せない。
「もっと近くで嗅いでもいいわよ」
月光に照らされた環の冷たい笑顔と香りが薫樹の思考を停止させる。思わず手を伸ばしかけたとき、ガサガサと茂みから音がしてするっと涼介が現れた。
「やあ、兵部さん、こんなところに居たんですかー。おや? 環さんもご一緒で。お邪魔だったかな? そろそろ閉会式の挨拶ですよ」
「あ、いや、ありがとう。今行くよ」
環は冷たい視線を涼介に送り、すっと会場へ入っていた。
後姿を見送り、涼介は薫樹に尋ねる。
「どうしたんですか? 兵部さん。なんか彼女とわけありなんですか? お二人やけに親密だなあ」
「そういうわけじゃないが」
「ふーん。まあ、しかし怖い女性ですねえ。にこりともしないし。あんな態度女性にとられたのは初めてですよ」
涼介は珍しく機嫌を悪くしている。
「元々アイスドールと呼ばれてたくらいだからね。でも、去年恋人を失くしたんだ。こんなところへ出てきてるだけでもすごいと思うよ」
「ああ、恋人を……」
同情を見せる涼介は気を取り直した様子で、会場へ戻ろうと薫樹を促した。
帰り際、環は「いつでも連絡して」と薫樹に名刺を渡した。『KIHI=貴妃』の香り付きで。
名刺の香りを嗅いでいると、涼介がまた薫樹を構う。
「兵部さん、そんなに彼女の匂いがいいんですか?」
「あ、ああ。久しぶりにハッとする香りなんだ」
「ふーん。芳香ちゃんよりもですか?」
「芳香……か。彼女はムスク(ジャコウ鹿)だが、環の体臭はシベット(ジャコウ猫)の香りがする。しかも香水と混ざって完成度を高めている。配合が少しつかめなかった」
「なんだかなあ。環さんに興味があるのか、匂いだけなのかはっきりしてくださいよ。芳香ちゃんが心配しますよ」
「ん? ああ。大丈夫。環自身に関心を寄せることはないと思う。――ふぅ、なんだか少し疲れた。今日はもう帰って休むよ。じゃ」
「はーい。お疲れ様でした」
環の出現が何かしら薫樹に揺らぎを与えている様子に涼介も何かしらの動揺を感じる。
「兵部さんに限ってなあ」
涼介から見ても、環と薫樹の関係は芳香と彼の関係以上の深さが感じられた。なぜか薫樹が環の方へ流れてしまわないように、芳香を支えたい気持ちが芽生えている
「あれ? おかしいな。兵部さんと環が上手くいけば占めたものじゃないか」
自分自身の感情に困惑する。涼介はいつの間にか薫樹と芳香のカップリング自体も好きになっているのだ。
とんちんかんな薫樹と芳香のやり取りはまるで漫才のようにも見える。
「ふー、なんか俺も色々忙しいんだけどなあ」
お節介を焼こうとしている自分がなんだか愉快に感じる。胸元からスッとアトマイザーを出しミントのオーデコロンをさっと顔に向けて吹きかける。
「さて、俺も帰ろう」
濃厚な『KIHI=貴妃』の香りを爽快なミントの香りが打ち消す。しかしそれぞれのラストノートは仲良く交わっていた。
9 魅惑の足
彼が関わったメンズボディーローションは驚異的な売り上げを見せ、他社を圧倒する。メンズ製品はもう街にあふれており、いくらミント王子による芳しい爽快なローションを開発したとしても、そこまでの売り上げは見込めないはずだった。そこを他社と差別化を図るべく、涼介はある提案をした。
「どうでしょう。ペアローションにしてみては?」
「ペア?」
「ペアねぇ」
開発チームの社員にメンズのみならず、それに添ったレディースのローションを同時発売することを進言する。
薫樹をはじめとする、チームのメンバーは有能ではあるが、社交の部分では著しく欠けがあり、開発することに関して長けてはいるが企画には向かない。
早速、涼介の提案は会議に掛けられ、すんなり通る。
開発が二種類になるので社員たちは過労気味ではあったが、黙々と作業をこなす。
こうしてできたのがペアローション『ナギ&ナミ』だ。主にニホンハッカ(ジャパニーズ・ミント)を使用し、男性用のナギには清涼感を強くし、女性用のナミは潤い成分を多く配合している。ペアローションではあるが個別販売にした。
カップルで使用したり、プレゼントに使われたりとそれぞれ偏ることなく売れ行きは上々だ。
会社から十分な報酬と評価をもらい、涼介はまた『ミント王子』の名称を確固たるものにする。
もう会社との契約は切れているが、こうして開発中の研究室以外、自由に出入りできることになっている。
「兵部さん、どうですかー、一緒に僕のプロデュースしたカフェ行きませんか?」
一応終業時刻を待ち、涼介は薫樹を誘う。
「んー、そうだな。今日はキリがいいからそうしてみようかな」
二人連れ立っていると帰宅する女子社員たちはザワザワざわめいている。
「まだまだミント王子、うちに来てくれるのかなあ」
「あーん、かっこいいー」
「匂宮さまはクールで素敵だけど、王子は甘くて母性本能くすぐられちゃうー」
「二人並んで歩いてるとほんと貴公子って感じよねえ」
「はあー。いい香り」
やはり残り香を嗅ぎながら女子社員たちはうっとりして後姿を見送り続けていた。
カフェ『ミンテ』は賑やかでほぼ満席だ。
「奥に、席とってありますから」
「ありがとう」
二人が店内を歩くと、ほぼすべての女性客が騒めき視線を送る。
「あ、あれミント王子じゃない?」
「ほんとだー、隣の人だれ?かっこいー」
「芸能人じゃないの? あの二人って」
涼介は教育番組ではあるがテレビ出演したこともあるので、知っているものは知っているようだ。
艶やかなナラの木の椅子に腰かける。
「ミント王子はやはり人気者だな」
「いやあ、兵部さんも女性の注目集めてるじゃないですかあ」
「しかし、意外な内装だな。もっとスタイリッシュな雰囲気だと思っていた」
「俺、こういうカントリーちっくなほうが好きなんですよ。寒々しいのやだし」
「なるほど」
香り高いミントアイスティーを飲んでリフレッシュしていると、また店内が騒めき始める。
「ん? なんだろ。有名人でも来たのかな」
テーブルに影ができ、見上げると環が立っていた。身体のラインが見えにくいメンズライクな白いシャツと黒のワイドパンツ姿は環のスタイルの良さを隠すどころか引き立てている。
「ここ、いいかしら?」
4人掛けのテーブルの薫樹の隣に環は一瞥をくれる。
「どうぞ」
薫樹が答えると環はスッと腰かけ、長い足を組むと、テーブルからミュールを履いた爪先がはみ出て見えた。
「こんにちは」
涼介が挨拶すると環も「どうも」と返す。
「どうしてここに?」
「会社の人からたぶんここだって。あなた全然連絡を寄こさないから」
淡々と会話を交わす薫樹と環を交互に涼介は眺めた後、店内の様子をチェックし、店員の接客態度や客の年齢層性別など素早く判断する。
カップルは少なくほぼ女性グループで占められている。
一通り眺め、視線をふと環の足元に置く。
涼介は心臓に矢が刺さったような衝撃を感じた。
「な、なんて小さい……」
白い革製のミュールはとても小さい。環の身長は高いヒールを履くとほぼ薫樹に近くなる。彼女をかっこいい女性だと涼介は思ったが、大きな女性は大抵足も大きいだろうと、全く好みの対象ではなかった。相手も全く自分に関心がない様なのでお互い様なのだが。
ところがいざ足を見るとどうだろう。身体と比例しなくてもサイズが小さいことがわかる。恐らく22センチないだろう。自分のてのひらよりも小さいかもしれないと涼介は環の足と自分の手を見比べる。
環のような素っ気ない女性になんら好感は持てないが涼介は彼女の足のことが頭にこびりつく。頭を抱えていると薫樹との話は終わったようで、「それじゃ」と彼女は立ち上がり、また濃厚な香りを残して立ち去った。
10 涼介のお節介
「彼女何しに来たんですか?」
「ふーん……。彼女自身もどうすればいいのかわからないんだろう。彼女は天涯孤独でね。亡くなった恋人以外に親密な知り合いがいないんだ」
「兵部さんは親密なんですか?」
「いや。一応友人かな。出会った頃は彼女とその恋人と一緒に過ごすこともあったが」
「うーん。なんかイマイチ分かり辛いなあ。なんで恋人なんです? 夫じゃなくて」
「大きな声じゃ言えないが彼女の恋人はジャン・モロウ氏なんだ」
「ええっ!? あの!? 香水王の!?」
「うん。清水くんならフランスにもいたし、知ってると思うが彼は結婚していたんだ」
「あらまあ。でも離婚すればいいじゃないですか、そんなに長く恋人関係を築いてるんなら奥さんに愛情なかったでしょ」
「なかなか簡単にはいかないようだったよ。宗教上の問題もあったしね」
「ああ、まあ、あの辺の国はそこら辺が大きい壁になりそうですねえ」
「しかも、環は売り出し中だったから、スキャンダルもまずいしね。それで僕がよく一緒に関わることになっていたんだ」
「はあー。兵部さんがまさかのカモフラージュとはねえ。すごい世界だ」
「ジャンの奥方が亡くなって、再婚するかと思ったがもうそのころには環は有名になっていてね。ジャンの愛人になって仕事を取ったと中傷されることもまずかったのだろう。結局二人は親密な関係で終わったんだ」
「なるほど。なんだかかわいそうですね」
「ん。性格が悪いわけじゃないから、優しくしてやって欲しい」
「え? あ、はあ。そんな機会があったらですけどね」
残りのミントアイスティーを飲み干し、二人は女性客の騒めきに見送られながら店を出た。
ちょうどそこへ芳香と真菜が通りがかる。
「あ、薫樹さんと清水さん。こんにちは」
「こんにちはー」
「ああ、芳香と立花さんか。お疲れ様」
仕事帰りの芳香と真菜はこれからカフェ『ミンテ』でゆっくり過ごすつもりのようだ。
「やあ、芳香ちゃんと、えっと、『銀華堂化粧品』の社員さんだよね?」
涼介は言葉も交わしたことのない真菜のことを覚えている。
「ええ。そうです。よく私のことご存じでしたねえー」
感心する真菜に「そりゃあ、可愛い女性は一回見たら忘れないからね」と涼介は爽やかに笑顔を見せる。
「ふふっ、ありがとうございます」
「じゃあ、私たちここでお茶しますから、また」
「ああ、また週末に」
「お店に来てくれてありがとうね」
頭を下げて芳香と真菜は店内に入っていった。
涼介は「うーん」と腕組みをして首をかしげる。
「どうかした?」
「いえね、ここんとこ素っ気ない女性が多いなって」
「そうかな」
「そうですよ」
「ふむ」
芳香も真菜も環もまるで涼介に関心がない様子に涼介は少し不満げだ。
「モテ期が終わったってことかなあ」
「そんな期間があるのか」
「ええ。人生には3回モテ期があるようですよ」
「ふむ。君は面白いことをいっぱい知ってるな」
「やだなあ。常識ですって。さてなんか場所換えて飯でも食べません?」
「ん? ああ、いいよ。しかし君も忙しいだろうによくうちの会社やらに来る暇があるね」
「え、ええ、まあ、ちょっと色々心配もありますしね」
「そうか。無理しないように」
「そうしますー」
「じゃ、この近くの串屋いきましょうー。前、芳香ちゃんといったとこですよー」
「うん、いこう」
涼介は薫樹と環が接近しないようにできるだけ見張るつもりだ。そして早く薫樹と芳香が結ばれてほしいと親心のように願っている。
11 続・涼介のお節介
手がけている仕事のキリをつけ涼介は『銀華堂化粧品』に向かう。今日も薫樹と夕飯を共にしようと思っている。明日は恐らく薫樹は芳香と過ごすだろうが、平日はいつ環がやってくるかわからない。天涯孤独で恋人を失くした環のことを考えると少し罪悪感が沸くが、薫樹には芳香と結びついていてほしいと思っていた。薫樹と芳香の出会いを知り、やっと巡り合えた二人が結ばれることは涼介にとっても唯一の相手と結ばれる理想的なもので、邪魔されたくなかった。
玄関が見えると、長身の女が見えた。環だ。(ほらみろ、やっぱりな)
警戒は当たったと涼介は環に近づいて声を掛けた。
「こんにちはー、環さん」
くるっと振り向き、環は鋭い目で涼介を一瞥し「こんにちは」と静かに返す。
「どうしたんですか? こんなところで。注目集まってますよ? 兵部さんに会いに来たんですか?」
「そうよ」
「ああ、それは残念だ。今日、彼、出張でいないんですよ」
「出張?」
「ええ、僕もさっき思い出して。明後日まで帰ってこないみたいですよ」
「そう……なの。じゃ、帰るわ」
適当な嘘をつき、その場を凌いだ涼介は、帰ると言う環の言葉にほっとする。立ち上がると環は涼介の鼻先くらいに頭があり、ふわりとエキゾチックな香りが漂う。
少し香りにくらっとして環の後ろ姿に目をやると、片足を引きずっていることに気づいた。
「ちょっと待って」
環を引き留め、「足、怪我したの?」と指をさす。
「あ、さっきくじいて」
環は小さな中国の花の刺繍が可憐に施された赤いビロードの靴を履いている。涼介はまるで纏足のような見える小さな足にごくりとつばを飲み込むが、冷静さを取り戻し、「そこに座って」バス停のベンチに環を促す。やはり足が痛いのだろうか、素直に環は腰かけた。
涼介は胸元からミントの精油を取り出し、ハンカチに垂らして環の足首に巻く。
「ありがとう」
素直に礼を言う。モデルだからなのだろうか、人に何かされることに無抵抗でいる環は非常に無防備に見える。
「病院に行く? それとも帰る?」
「病院はいい。帰る」
「どこまで帰るの?
「グランデホテル」
「ああ、ホテル住まいなのか。送るよ」
「タクシー呼ぶから平気」
「いやあ、君は薫樹さんの友人でしょ。こんなんで放置しちゃったら俺も、気まずいからさ。ちょっと肩を貸すだけだから」
「そう、じゃあいいわ」
話していると目の前をバスが停まる。
「これに乗る」
「ん? バスにする? まあこれなら一本で行けそうか」
環の手を取り、二人でバスに乗り込むと、当然のように車内はざわめく。席はちょうど二人掛けの席が一つ空いていたので環を奥に座らせ涼介は立ったまま、シートの肩を持つ。
「座らないの?」
「うん。狭いでしょ」
「そう」
出会った頃や、カフェで会った時の環と違い、今日はやけに大人しくきつさがない。薫樹がいないせいで元気がないのだろうか。そんな環の様子に涼介はペースを崩されるような、かき乱されるような、もやもやしたものを抱えている。
バスはちょうどホテル前につく。
「部屋まで送るよ」
腕を出すと環はすがりつくように腕を組み、軽く足を引きずってゆるゆる歩く。
若いドアマンの「おかえりなさいませ」との第一声を始め、部屋に着くまでに何人ものスタッフに声を掛けられ、その度に環は「ただいま」と言い尋ねられる足のことを答えた。
全てのスタッフを無視することのない環に感心しながら涼介はどんどん印象が変わっていくのを感じる。
部屋に入るとスーパーモデルという存在とは無縁の小さな簡素な部屋だった。
「ありがとう。どうぞ、そこへ。今お茶を頼むわ」
「あ、いや。お構いなく。足、痛む?」
「いえ、もう、ほとんど痛くない」
「そっか、よかった。しかしシンプルな住まいだねえ。もっと贅沢してても良さそうなのに。ドレスがバンバン飾られててさー、なんかごちゃごちゃアクセサリーがあって、化粧品臭いかと思ってたよ」
「くふっ」
初めて環が笑う。思わずそのあどけない笑顔に涼介は見入ってしまった。
「私、服とアクセはあんまりないの。靴だけはいっぱいあるけど」
「ああ、そうなんだ。君の足小さいからシューズなかなかないでしょ」
見ないようにしていた環の足を見てしまう。
「そうね」
「綺麗な……靴だ。可愛い足だ……」
「ありがとう。ジャンもよく言ってたわ」
「そ、そうか」
ジャンの名前が出たことで涼介は本来の目的を思い出す。
「あ、あのちょっと聞いておきたいんだが、環さんは兵部さんとどうしたいのかな?」
「どうって?」
「うーん。彼には今恋人がいてね。なんていうか環さんがそのー、なんていうか」
「私が薫樹を奪うと思ってるの?」
はっきりという環に涼介は言葉を濁す。
「ジャンと私の関係を知ってるから、そう思うの? それともそういう女に見えるの?」
「いや……。そんな風にはとても見えない。なんていうか思いたくないんだ」
「あなたっていい人なのね。育ちがいいのかしら。あまり人に悪意を持たないのね」
「さあ、どうだろうか……」
涼介は狭い部屋で環とその香りに圧迫され息苦しさとめまい、そして喉の渇きを感じる。
「ねえ。私のとこどんな女だと思う?」
「どんなって……。最初は素っ気なくて高慢そうだと思ったが……今は……無防備で、あどけなくて、少女のようだ」
「少女……。ジャンはよく私をプリンセスって呼んでいたわ」
「そうか……。そろそろ帰るよ」
ソファーから立ち上がろうとする涼介の前に環は立ちはだかる。
「ねえ。男と女が部屋に二人きりってただお喋りするだけなのかしら。私のことを、どんな女か確認しなくていいの?」
「なっ、何を言い出すんだ。――俺を誘ってるのか」
答えずに環は白いシャツのボタンを外し始めた。その下には何も身につけていない。
滑らかで一切の無駄がないしなやかな肢体を環は晒す。
「一体、何をしているんだ」
「やっぱりモデルの身体なんて男には魅力的じゃないわよね」
切れ長の大きく鋭い目と浅黒い細い体は美しいネコ科の獣のようだ。
「こ、こんな綺麗な身体――初めて見たよ……」
「じゃあ、きて……」
めまいを感じながら涼介は環の薄いかろうじてふくらみのある胸元に顔をうずめ、スパイシーな獣の香りを嗅いだ。
12 王と姫
環の乾いたさらさらした褐色の肌に涼介は頬ずりしながら背中に指を這わせ、ワイドパンツとTバックの小さなショーツをずらし形の良い上向きのヒップを出させる。
身体を抱きかかえ、ベッドに寝かせ涼介は覆いかぶさったまま浅黒い肌に柘榴のように輝く小さな乳頭にキスをする。
9等身の整ったスタイルと手足や小さなパーツのあどけなさが涼介を倒錯させる。
「綺麗なのに……なんて……可愛い」
肌を撫で、身体中にキスを降らせ、そっと短く整えられた茂みに手を伸ばす。環は身動きせず簡単に涼介の指先を秘園へ迎え入れる。
優しく指先で柔らかい波打つそこを愛撫している涼介が、いきなりがばっと上体を起こす。
「どうしたの?」
環は不思議そうに尋ねた。
「君は……初めてじゃないか……」
涼介は大きく深呼吸をしてベッドの端に引っかかっていた環の白いブラウスを、彼女の身体を見ないように背中からふわりと掛けた。
「わかる――の」
「あまり大きな声では言えないが、それなりに女性経験はあるんだ。――女性がヴァージンかどうかは、最後までしなくてもわかるよ」
「そう――。じゃあ、抱かないのね」
「抱きたいと思ったのは本当だが……。もっと大事にした方がいい」
「もうジャンもいないのに……」
「そうだ。どうしてなんだ。君はジャンの恋人だっただろう?」
「ジャンの……私はリトルプリンセス……」
――施設を出た後、旅費をため単身でパリに渡り、モデルになるべくオーディションを受けて歩く。帰る家もなく背水の陣で挑んできたが、世界の壁は大きく日本人への蔑みも手伝い受け入れは針の孔よりも小さい。
有名なセーヌ川を眺めながら、自分はどこにも行くところはないと環は冷たい指先をこすり合わせる。
何度もオーディションに落ちて気持ちは沈んでいるが、まだまだ環は頑張るつもりでいた。
悩んでもいてもしょうがないと思い、ウォーキングの練習を始める。靴を痛めてはいけないと思い、彼女は裸足で冷たい道を気取って優雅に歩いていた。
そこを通りがかったのがジャン・モロウと妻のマリーだった。
「ねえ、ジャン、その靴見て頂戴」
「ああ、娘のクロエのものと全く同じだ――サイズも34だ」
「どこかに子供がいるのかしら?」
グレーのつばの広い帽子を脱いでマリーはきょろきょろとあたりを見渡す。その間、ジャンは小さな赤いダブルストラップのフラットシューズを手に取り、ふわっと香る匂いを嗅いでいた。
向きを変えて歩く環が自分の靴をまえに二人の夫婦が話しているのを見かけ慌てて駆け寄る。
「あ、あの、ムッシュウ、マダム。それ、私の靴です」
ジャンとマリーは振り返って大柄な東洋人に目を見張る。
「ん? マドモアゼル、君のなのか」
「あ、はい」
片言のフランス語と混じった英語で足をもじもじさせながら環は答える。
マリーは目を細めて赤い靴を見る。
「この靴はもう販売されてないはずなのに……」
環は日本から履いてきた靴がボロボロでパリで買い替える際に、出来れば安くて丈夫なものをと店主に頼んだ。店に入ってきた大きな東洋人に店主はからかい半分で「4足買っても足りないんじゃないか?」と笑ったが、環は自分の足を指さし「大人のだと1足でも余ってしまう」と返す。店主は「こりゃあ参った」と薄くなった髪を撫で、店の奥からこのシューズを出してきた。
「ああ、フィリップの店に行ったのか」
「クロエの靴はいつもあそこで買ったわね」
二人のしんみりした様子に環は首をかしげて見守った。
ジャンはグレーのジャケットを直して、マリーの肩を抱き、環に話す。
「実は娘が亡くなって10年なんだ。今日が命日でね。最後に――事故に会った時に履いていた靴が、それと同じものなんだよ」
マリーもジャンとお揃いのグレーのシックなワンピースを着て、目元を白いハンカチで拭う。
「そうですか……」
「君はここで何をしているんだね?」
環はしんみりとした二人に自分はモデルになるべく日本からパリに着てオーディションを受けている最中だと説明した。
擦り切れたジーンズと寒空の下、薄いシャツ1枚の環にマリーは同情の目を向ける。
「あの、あなた、一人なの? 友人とかご家族とか。どこに住んでらっしゃるの?」
日本人は裕福だと彼らも思っており、実際に日本人留学生は裕福層が多いため、環は非常に珍しく映る。
「え、と、この通りを右に曲がったパン屋の上です。独りです」
環の話を聞きながらマリーはどんどん彼女に傾倒していく。
「ねえ、あなた、うちにいらっしゃいよ。きっとこれは神様の思し召しだわ。クロエが生きていたらあなたと同じ歳になる。ねえ、ジャンそう思わなくて?」
すっかりその気になっているマリーを優しく見つめるジャンは環の靴の匂いが気になっていた。
「ふむ。そうかもしれない」
「あ、あの……」
戸惑いを隠せない環はどうしたら良いのかわからない。遠い異国の地で初めて会った夫婦にうちに来いと言われる。二人が悪人ではないと信じたいが、警戒心を緩めるわけにはいかない。
落ち着きなく目を泳がせる環にジャンが名刺を渡す。
読めないフランス語であったが、裏を返すと英語でも書かれてあり読むことが出来た。
「調香……学校。ジャン・モロウ……」
「確か、あそこが今度モデルをオーディションするって言っていたな。公開じゃないから情報は知ってるものしか知らない。私の紹介だと言いなさい」
「え、で、でも……」
「まさか、君は実力だけで勝負したいとか言わないだろうね。国籍ですら不利なのに。ちゃんとチャンスを使うように。ダメな時はそれでもだめなのだから」
マリーは優しい目で頷きながら環を見つめる。
「あ、ありがとうございます」
初めて希望の光が見え始めた環は頭を深くさげた。
「今日は、ここで失礼するわ」
二人の夫婦を見送り、セーヌ川の向こうのオーディション会場へ目をやった。
そのオーディションをきっかけに環はモデルの道を進むことが出来た。いつの間にかジャンとマリー夫婦のところへ居候することになり、家族のような関係を築く。
ジャンは調香学校やら、公私ともに行く先々に環を連れて行った。環がジャンの恋人だと噂されるのは至極当然のことである。
そのことについてマリーに申し訳ないと胸を痛め、一緒に出歩くのは止したいと申し出たが、マリーは逆に環の身が安全であると言うことを説いた。
香水王の愛人であれば、並の男はもちろんのこと、悪意のある権力者からも危険な目に合うこともないだろうと言うことだった。
ジャンもマリーも一人娘を失くしているせいで、環を過保護に守る。自分たちが醜聞の的になることなど、全く恐れないのだ。
亡くなったクロエが履いていたシューズを20足ほど受け取る。ジャンは仕事や旅行に出かけたときにいつも娘にお土産として靴を買っていた。亡くなる前、最後に履いていた靴――環が二人と出会った時に履いていた靴――は捨てたらしい。
こうしてジャンとマリーに守られながら、環はTAMAKIとしてスーパーモデルの道を歩み続ける。ジャンが亡くなるまで。
13 姫と王子
「そうか……。そんな事情が……。兵部さんも知らないのか」
「ええ。薫樹は、そういうことにあまり関心がないから、周囲が私とジャンが恋人だと噂していれば、そうだと思って追及もしないはず」
「う、ん。確かに。普通、そういう関係には否定的な反応もあるだろうに、彼は淡々としてたなあ」
「そうなの。薫樹は肯定も否定も、非難もしない。そこがジャンにとっても安心して付き合えると思っていたようなの」
「なるほどね」
「マリーは臨終の際に、よかったらジャンと結婚しなさいと言っていたけど、ジャンと私はやっぱり父と娘だった。ジャンは自分が死んだら薫樹のところへ行くようにって。彼は安全だからって。それに彼には『KIHI=貴妃』を完成させてほしいって願いがあった」
「はあー。それで珍しく日本の仕事引き受けて、ここに来たってわけか」
「うん。でもそれをまだ薫樹に上手く伝えることが出来ていないの」
すっかり着衣の乱れを直して環はしずかに話を終えた。それでも涼介はある疑問がぬぐえない。
「環さん。もう一つ気になるんだけど。――どうして俺と寝ようとしたの?」
環は叱られた子供のような顔でうつむき答える。
「大人になりたかったの。もう、本当に一人になったから。自立しないとって。ほかに方法が分からなかった……。薫樹はきっと私に関心がないし、あなたは薫樹と仲が良くて慣れていそうだったから」
「うーん。光栄だと思えばいいんだろうか。実際、出会った時の印象は最悪だったが、正直に言うと今は君がとても気になってる。――だけど、そういう理由ならなおさら無理だ。男と寝たからって自立できるわけじゃないんだ」
「そうよね……」
か弱い少女のような環の潤んだ瞳から涼介は目を逸らすことが出来ない。
「もし……もしもだよ? 君が僕を愛すると言うなら――別だが」
「愛する……」
「ああ、男として、そうだな。ジャンよりも、俺を選べるなら」
「ジャンよりも……」
「王より王子を選ぶなら、俺は君の皇帝になってみせるよ」
涼介は知らず知らずに環のことで頭がいっぱいになり、口説いている。
「そろそろ、帰るよ。従業員に変に思われてもいけないから」
「うん。ありがとう」
「今度、うちに招待するよ。おやすみ。プリンセス」
柔らかくなった表情の環を一目見て、涼介は部屋を立ち去った。
何事もなかったように冷静さとミントの清涼な香りを身に纏い、ホテルの従業員たちに笑顔を振りまきながら涼介はホテルの外へ出た。
薫樹の前では毅然と女王様然とした環はTAMAKIの姿なのだろう。薫樹と出会った時にはもうスーパーモデルとして活躍していた頃であったため環の素顔は薫樹ですら知りえなかったようだ。恐らく、ジャンとマリーが環の事を想い、立ち振る舞いやコミュニケーションの取り方なども教え込んだのだろう。実際の彼女は鎧をつけた王女のようだ。本心を率直に告げることはない。思わせぶりと曖昧さによって虚像を演じている。本来の彼女が見えるのは外見では足先だけだ。
涼介は自分にも薫樹のように得るべき相手、失わざる相手が見つかったのだと実感する。
「今度会ったら絶対に抱こう」
心をきめて環を想った。
14 パフューム『KOMACHI=小町』の製作
小野小町が愛したという芍薬(ピオニー)の甘く華やかな香りをメインの香りにと最初に考えたが、小野小町自身のイメージとは違うと薫樹は感じる。
しかも外国人が小野小町をどれだけ知っているかというと、よほどの日本文化通でないといないのではないかと思う。恐らく『芸者』のほうが知名度が高いだろう。
「うーん。海外向けのジャパンか」
純粋に小野小町のイメージで調香すると、おそらく海外進出は無理だろう。
気分転換に研究室から出て、屋上に向かった。
初めて芳香と会った場所で、彼女の足の匂いを思い出す。
「うーむ。環よりも芳香の方が小町という雰囲気なのだがな」
せまっ苦しく、簡素な水道があるだけの寂しい屋上で薫樹はポケットから環の名刺を取り出し匂いを嗅ぐ。
「外国人が思う東洋とはやはりこのジャンの作った香りの方だろうなあ」
エキゾチックな残り香は湿り気を帯びた竹林や、水墨画などを連想させる。
日本の香水と言えど、多少は中華の華やかさを足さねば繊細すぎてすぐにかき消されてしまうだろう。マニアックな香りづくりではないのだ。
そう考えれば考えるほど、この『KIHI=貴妃』よりも成功するイメージのノート(調香)が思いつかなかった。
久しぶりに薫樹は頭を悩ませる。
「なかなかジャンを超えることはできそうにないな」
全く気分転換にならず研究室に戻ることにした。
週末になり、薫樹のマンションに芳香が訪ねてきたが、うまくいかない調香のせいで珍しく二人の時間はぎくしゃくしている。
寡黙に考えている薫樹を目の前にし、芳香は居心地も悪い。自分の存在が邪魔ではないかと声を掛ける。
「あの、薫樹さん、サンドイッチ作っておきましたから後で食べてください。私はこれで帰ります」
「ん? どうして? なぜ帰るんだ」
「あの、忙しそうだし。邪魔したくないので」
「ああ、すまなかった。せっかく君と過ごせる時間なのに。上手く気分転換できなくて……」
心から申し訳なさそうに思っているような薫樹に芳香は慌てて「こっちこそ、すみません。謝らないでください。――ああ、どうやったら気分転換できるものですか? 私にできることがあればなんでもしますよ?」
黒い目でまっすぐ見つめてくる芳香を薫樹は愛しく思う。
「君が側にいるだけで安らぐよ。不思議だ」
「え、あ、そうですか。それなら嬉しいです」
頬を染める芳香は嬉しそうで、ふわっと彼女の体臭が薫樹を包んだ。
「お願いがある。――匂いを嗅がせてくれ」
「えっ?」
きょとんとする芳香の手を引き素早く薫樹は口づけをする。もう彼はいきなり匂いを嗅いだりしない。最初に必ずキスをする。
「んんっ、うふぅ」
甘いキスを交わすと薫樹は随分と慣れた手つきで、芳香のニットのトップスをめくり上げ、ブラジャーを片手で外す。
「あっ」
すぐに胸の中に顔をうずめ、両乳房を揉みしだきながら薫樹は深呼吸する。
「この胸の間の香りは優しく甘い」
「あ、あ、あん」
匂いは部位によって異なるらしい。
二人はまだ結ばれてはいないが、以前、ルームフレグランスで芳香が暴走して以来、大胆な愛撫を施し合っている。
芳香はもういつでも抱かれたいと望むが、薫樹の方が納得しない。こだわりの強い彼はきっと今日も芳香を抱かないだろう。
ショーツを剥ぎ取り、薫樹は芳香の膝裏を持ち、そっと開脚して茂みに鼻先をうずめる。
「う、う、は、恥ずか、しい」
恥ずかしさと興奮と快楽で芳香はすでに秘所を濡らしている。
匂いを嗅がれ、鼻先で花芽を弄ばれ、舌を這わされる。
「うぁぅう、あっ、ああん」
「ああ、いい香りだ」
「わ、私も、し、げきさんの、匂わせて……」
「ああ……」
ソファーから芳香を抱いて寝室に移る。
全裸になって貪るようなキスをした後、薫樹は身体の向きを変える。
芳香の秘裂に舌を這わせ、捻じ込む。親指で花芽を回転させると、芳香は腰を浮かせにじりだす。
「あ、あ、あっ、や、も、もう、来ちゃう、ん」
「ああ、僕もだ」
芳香は快感の中、夢中で薫樹のものを口に含み、しゃぶり続けている。
「し、げき、さあん、お願い、抱いて。もう、もうあたし」
「ごめん、今の仕事が終わるまで、待ってほしい。――ちゃんと抱きたいから」
「ああんっ、あんっ、や、いっ、くっぅ――」
わななきながら芳香は身震いをする。薫樹も彼女の口淫に精をこぼす。
「うっ――」
「あうぅ、薫樹さんっ、のいい、匂い――」
うっとりとした表情の芳香を見ると薫樹は乏しい征服欲を満たされる気がする。
「君は、嫌じゃないのか。――普通の女性は嫌らしいよ」
口元を清拭しながら薫樹は芳香の髪を撫で尋ねる。短い息をしながら芳香は「わ、わかりません」と答え恥ずかしそうに目を伏せた。
ベッドで香りと快感を愉しんだ後、芳香の腹が空腹で鳴るまで、抱き合っていた。
15 続・パフューム『KOMACHI=小町』の製作
環の持っていた故ジャンの香水『KIHI=貴妃』とほぼ変わらない調合ができたが、今一つ足りないものを感じて薫樹は一人研究室に残り、実験を続ける。
さすがに疲労を覚え、休憩をすべくロビーに出ると環が静かに座っている。
「どうしたんだ。来ていたなら、呼んでくれたらいいのに」
「ん。調香中は邪魔したくないから」
「そうか」
ジャンの元で過ごしてきた彼女は調香師の集中力を妨げない。
「で、どうした?」
「これ」
小さな小瓶を渡す。『KIHI=貴妃』だ。
「ジャンの遺品だろう。たくさんあるのか?」
「ううん、これだけ。だけどこれはジャンからあなたへのプレゼント。完成させてほしいって。もう私には必要ないしね」
確かに環は香料を身につけていないようだ。
「うーん、もうこの香り自体はほぼ完成しているんだ。これより上の完成っていうのは君が付けて初めてなすものだな」
「さすがね」
「今、何もつけていないのか」
「ええ」
「ちょと嗅いでもいいかな」
「どうぞ」
環は立ち上がり、すっと薫樹の前に立つ。
薫樹は頭の天辺から眉間、鼻筋、口元に鼻先を沿わせ、首筋、肩、胸元、腋へと移動する。
「ああ、これか」
納得した後、「環、そこに座って靴を脱いでくれ」と指示する。環は言われるまま、キャンバス地の小さなフラットシューズを脱ぎ素足を出す。
ムエット(試香紙)を嗅ぐように、爪先の匂いを嗅ぐ。
「やっぱり、君はシベット(ジャコウ猫)だな」
「ジャンもよく私の足の匂いを嗅いで調合してたわ」
「そうだろう。この香水は基本的にこのシベットの香りだ。それと君の上半身から感じられるクローブ(スパイス)の香りが混じって香水を完成させているようだ」
「そうなのね。ジャンは私の足しか嗅いだことがないからなのかしらね」
「ん? そうか」
恋人同士であれば全身の香りを嗅いだことがあるだろうと普通なら気づくのだろうが、薫樹はそのまま納得しただけだった。
そんな世間の一般的なことにまるで関心を寄せない薫樹に環は安心感を得る。
「じゃあ、用事はそれだけなの。帰るわ」
「おかげですっきりした」
「そうそう、その『KIHI=貴妃』は薫樹が手を加えたらもう『KIHI=貴妃』じゃないから『KOMACHI=小町』になるならそうして」
「うーん。なかなか難しいな。元がジャンの作品だけにな」
「ふふ、じゃ、よく考えて。私はもう渡したから。――じゃ」
環は随分と軽くなった足取りで去って行く。ふと薫樹は彼女の雰囲気が変わったような印象を受けていた。
16 涼介のミントガーデン
グランデホテルへ環を迎えに行く。
グリーンのオフロード車をホテルの前に着けると環はいつもの白いシャツにワイドパンツそして小さなスニーカーを履いて現れた。ドアマンが環を車のドアを開き、恭しく、しかし親しみを込めて「行ってらっしゃいませ」とドアを閉める。
環も「明日帰るわ」と笑ってドアマンに返す。
「ご機嫌いかがかな?」
「うん。いいわ」
「よかった」
険が取れたような環の様子に涼介も優しい気持ちになる。
これから環を涼介の家に連れて行くのだ。3日前にホテルに電話をし、環に自分の家に招待したいと告げるとすぐに了承を得た。
町を抜け車は山奥へと向かう。
「こんなところに家があるの?」
「うん、もう少しで着くよ」
もう辺りは見渡す限り林しかない。林道を駆け上がると少しだけ整地された場所があり車が止められる。
涼介は助手席のドアを開け、環の手を取り降ろす。そのまま手を引きうっそうと茂るシダ植物をかき分けるとまた一面、グリーンに拓けた場所に出た。
「まあっ!」
広いミントガーデンだ。一陣の風が吹き、環と涼介をミントの香りで包み込む。
「なんて気持ちのいいところかしら」
目を閉じて風と香りを感じる環は伸びやかな新芽のようだ。ミントだらけのようだがきちんと区分けしてあるようで、何種類ものミントがそれぞれの場所に植わっている。
ひざ丈くらいのミント群を眺め、小道を歩くと、柔らかい芝生のひかれた東屋につき、木のベンチに腰かけた。
「疲れた?」
「いいえ。ここは素敵だわ」
「もう少し奥に家がある。ここは僕が煮詰まって、リセットしにくる場所なんだ」
「へえ。あなたでも煮詰まることがあるのね」
「そりゃ、あるよ。家に入る前にちょっとミントを摘むから待ってて」
涼介は近くのオレンジミントを摘み、開花しているスペアミントの花を手折る。そしてその花を環の耳にそっと差す。
「君はゴージャスなものもよく似合うが、こんな可憐なものもよく似合うね」
環はこぼれるような微笑みを涼介に向ける。
「さあ、いこう。これでミントティーを淹れるから」
ミントの道を抜け涼介のレンガ造りの小さな家の前に立つ。カフェ『ミンテ』とよく似ていて、とても可愛らしい建物だ。
「ああ、客用のがなかったな。俺の履いて」
涼介は自分のスリッパを指さすと、環は小さなスニーカーを脱ぎ、そのスリッパを履いたが、子供が大人の靴を履いてぶかぶか歩くような姿になる。
「あちゃー、大きすぎるな」
「そうね」
小さな足で大きな履物を履いた姿に涼介は思わずキュンとなってしまう。
「ルームシューズはなくても平気」
「ん、今度君のを用意することにしよう」
キッチンはアイランド型で小さいが開放感があり、こざっぱりとして清潔だ。
「そこ座ってて」
環はすぐキッチンに隣接されている小さな木のテーブルにつく。涼介は湯を沸かし、使い込まれているがよく磨かれた銀のポットとグラスをだしてカチャカチャとお茶の用意をする。
やがて爽やかで甘い香りがうっすら漂い始めると、涼介はテーブルに置いたグラスへモロッコミントティーを注ぐ。
「どうぞ」
「ありがとう」
二人で静かに香りを嗅ぎ、リラックスしながらお茶を愉しむと時間の流れがここだけゆるやかな気がする。
「あなたはこんな雰囲気のところが好きなのね。カフェもそうだったけど」
「うん。俺は結構カントリーっぽい方が好きなんだよ。君はホテル慣れしてるのか、ああいうところの方がやっぱり好きなの?」
「好きでも嫌いでもない。でも施設育ちだから、別になんとも思わないだけ」
「ああ、そうなのか。じゃあこういうところは嫌い?」
「ううん。ここはとても素敵ね。温かい気がする」
「よかった。もっと君の事を聞いてもいいかな」
「いいけど、そんなに面白い話はできないわ」
「面白くなくていいんだ。ただ、なんていうか、もっと知りたいだけ。どうしてモデルを目指したのかとかさ」
「そうねえ……」
――幼い頃に家族を亡くし、親戚に引き取り手もなかった環は18歳まで児童養護施設で過ごすが、16歳の時にはすでに身長が175センチを超えており、非常に目立っていて、すでにモデルのスカウトがあった。特にモデルになりたいと思ったわけではないのだが、施設の仲間や職員がそれをぜひ生かすべきだと勧めた。運動神経も学力も平凡な環にはその道しか当時選択の余地がなかった。
しばらくモデル活動を行い、自分の力で生きてはいたが、日本での活動には限界があった。
日本で人気を得ようと思うには環の身長は高すぎて、しかも顔立ちが素っ気なさすぎるのだ。モデルとしてのスタイルや資質は申し分ないが、日本独特の可愛らしいアイドル性が足りない。そこで奮起してパリに単身で挑んだのだ。
「確かに君はあんまり日本人受けはしそうにないな」
「残念ながらね」
良く笑うようになった環は懐かしそうに当時を振り返った。
「しかし、そんなに小さな足でよくそこまで背が伸びたね」
「ああ、それはよく言われるけど、普通だったらもっと大きかったかも」
――施設では衣服のおさがりは多く困らなかったが、靴は不足していた。運動量の多い子供たちの履き古す靴は、洋服のおさがりの並みでなく汚れ、破れ、履けるものではない。新品の靴を買ってもらうことがあることにはあるがサイズが上がればすぐ買ってもらえるわけでもない。
環は中学入学のために買ってもらった黒の革靴を大事に履いた。サイズが上がるとボロボロの靴に変わってしまうのが嫌で、きつくても我慢して履き続けていた。
「まるで、纏足じゃないか」
「そうね、そのせいであんまりスポーツも得意じゃなかったのよね」
「しかし、スーパーモデルともなると違うね。自分は平凡だなあと思うよ」
「あなたって不思議ね。私の話に同情しないのね」
「うーん。可哀想な目に合っている最中に出会っていたらそう思うかもしれないね。でも、もうそれを乗り越えて目の前にいる君が素敵だと思うだけだ」
「ありがとう。そういわれると楽だわ」
「ははっ、まあ、誰だって辛い思いも苦しい思いもして生きてきてるんだしね」
「あなたの話も聞かせて。どうしてこの世界に? ミントがずっと好きなの?」
「そうだなあ。ミントはうちの母が庭に植えていたんだ。最初からそれが好きだったわけじゃないんだが」
――涼介には上に兄と姉がいて下に弟と妹がいる。幼いころから中途半端な位置で、両親から溺愛されたこともなければ、厳しくされたこともない。ある夏、母親の趣味で植えていたハーブ類の中でミントが暴走し庭一面を覆いつくす。どうやら『ミントテロ』と呼ばれるもので繁殖力の強いミントは、他のハーブを遮り雑草化し、庭がただの草むらになったことがある。
それを家族中で必死に抜き、整地し直した。その後二度とミントは植えられなかった。
家庭でも学校でも特に目立つことのなかった少年、涼介にはそのミントの強さが衝撃的だった。
そしてその除草の時に初めて『ミント』を知り、意識するようになった。ミントは生活の至る所にある。歯磨き粉、シャンプー、チューイングガム。さりげなく生活に侵食する力そのものに涼介は感心し、気が付くとミントに相当詳しくなっていた。高校に入ってすぐに身長が伸び、自由に振舞ってきた闇のない明るい性格が日の目を見る。ミント好きが高じて、生物、化学にも好成績を残し、高身長を生かして入ったバスケット部でも注目を受ける。勿論、ミントの恩恵をそのままに大学では化学を専攻し、卒業してからベルサイユの調香学校に入学し、大手の化粧品会社に勤めた。経歴は薫樹とよく似ている。そして今はフリーの調香師、フレーバリストとして活躍中だ。「ミント王子」という呼び名は会社勤めをしているときに、社内のコンクールでマウスウォッシュのサンプルを提出した時からだ。ミントは清涼感や爽快感を得られるため圧倒的に多く使われていて、入っていないものはなかった。逆にそれを避け別の香り付けを行うものもいたが今一つパッとしなかった。涼介も勿論、好きなミントの香料を使う。並みいる強豪の中、押し分けて涼介はトップに躍り出て、そのサンプルは商品化されることとなる。そこからミント王子の快進撃が始まる。
「どうして、同じミントなのにあなたの作品がとびぬけたの?」
「当時はね。みんなミントの表面の香りにしか注目してなかったんだよ。みんな口の中をさっぱりさせて、口臭をごまかそうとするだけだった。――俺はミントを道具にしたくなかった。ミントがメインになる様に、味わいと爽快感。そしてリフレッシュとリラックスを感じられる調香を施したんだ。ただ、これじゃあ清涼飲料水みたいに飲んでしまいそうだということで、味わいを変更する羽目になったけどね」
「へえ。追及すると奥が深いのね」
まるで興味がないという表情をしていたTAMAKIが、今、涼介の話を少女のような目をして聞き入る。
「環さん。俺は――君ももっと追及したい」
一瞬の間の後、環は頷いて「シャワーを貸してもらえる?」と席を立った。
17 ミントガーデンの上で
シャワーを浴びた環は涼介のベッドの上で横たわる。
「何も身につけていなくても君は素敵だ。――香料も何も使っていないのに芳しい」
恥ずかしがることなく環は全裸の肢体をさらけ出す。
少し湿った髪と頬を撫でると、環はその大きな手を取り、掌にキスをする。
「ベッド狭いかな。ダブルでも俺たちには狭い気がする」
環は少女のように笑った。
「ねえ、外で。――ミントが見える――外で抱いて」
「え? 外で?」
「誰か来るの?」
「いや、来たとしてもたぬきかイタチかな」
「じゃあ、お願い」
「動物でも見せるのが嫌だけど」
「モデルだから見られるの平気なの」
二人でクスクス笑う。 涼介はシーツごと環を抱きかかえ、外に出る。
清涼なミントの香りとここちよい気温は確かに家の中に居てはもったいない。
東屋の柔らかい芝生にシーツと一緒に環をおろす。
「ああ。君は緑に良く映える」
じっと笑んで見つめる環に軽くキスをして、涼介も全裸になった。
「あら、あなたも彫刻みたいだわ。服を着て仕事をするのがもったいないくらい」
上に覆いかぶさった涼介の筋肉質の胸元を撫でた。
「そんなに堂々とされて、見られると俺が恥ずかしいな」
「ふふっ、私は全裸でうろうろするのは当たり前だったし、みんなそうだった。――だけど、変ね。今は少し恥ずかしいわ」
肌と肌を合わせて、温かさと鼓動を共有する。
口づけを交わし、舌を絡め、指先も絡め合う。
涼介は指先にキスし、ゆっくりと手首から肩まで丁寧に優しく食む様に上っていく。
環はくすぐったさと心地よさの両方を感じ、涼介の愛撫を堪能すべく目を閉じて集中している。
くびれたわき腹に舌を這わされると、環は「ふふっ、くすぐったいわ」と我慢できずに笑った。
「ごめんごめん。くすぐったいのは感じやすいってことなんだけど、ここはやっぱりくすぐったいよね」
明るく笑いながら涼介は環のウエストから臀部に掛けてひと撫でする。環も涼介の背筋をするっと指先でなぞる。
「はははっ、くすぐったいな」
大きな身体で二匹の獣のようにじゃれ合う。
涼介が環の長い足を曲げさせ、小さな爪先をとらえ、指の一本一本に口づけをすると彼女はふるふると身体を震わせ短い声をあげる。
柔らかい踵を持ち、足の甲に舌を這わせ、十分に足を堪能しようとする涼介に環は喘ぎながら質問する。
「ど、どうして、そんなに足が好きなの? み、んなはバランスが悪いって、あ、ん、あんまり好まれなかったけど」
「さあ、なんでだろうね。子供のころから好きだった。足はいつも隠れているからね。俺も子供の頃は埋もれていたから隠されているものが好きだ。――特に君の足は宝物を見つけたような気分になるよ」
「そ、そう――んんっ」
「足、感じやすいね」
よく締まった足首を持ち太腿を舐める。もう片方の足を撫で上げ、足の付け根を優しく撫でまわす。
整えられた三角の茂みから環の秘部が覗いている。指先で花芽をそっと押すように撫でると環の身体がびくっと跳ねる。
「我慢できなくなるな」
「我慢? なぜするの?」
「大事にしたいから」
「もう大事にされてるわ」
ふっと優しく笑む環に涼介は「ああ、そうだ。いいものがあった」と身体を起こす。
「ちょっとだけ、待ってて」
シーツでひらりと環をくるみ素早く家に入り、手に小瓶を持って出てきた。
「これを使おう」
「なあにこれ」
「兵部さんと開発したローション」
「へえ。いろんな仕事するのね」
「ははっ、これはプライベートの作品。どう嗅いでみて」
蓋を開けるとふわっと甘い花の香りと森の香りが同時に漂う。
「いい香りだわ」
「だろう? これは口に入っても大丈夫なんだ」
指先にローションをつけ、環の小さな唇に塗り、舐め合うように口づけをする。
「ああ、甘い、のね」
小瓶の中身を涼介は口に含み、温めると、環の胸に少しずつ出しながら赤く色づいた蕾を舐めあげ甘噛みをする。
「んんっ、あ、あぁ」
指先にローションをのせ、環の花芽にも塗り付け、そのまま秘裂をなぞり、蜜源へ指を滑らせる。優しく上下になぞり続けると環は身体に力を込めはじめ、やがて痙攣させる。
「くううぅうっ――」
額ににじませた汗をぬぐうと環は頬を紅潮させ荒い息を吐きながら涼介を見つめる。
「気持ちよかった?」
「うん」
「そう、よかった」
環の身体が落ち着くまで涼介は優しく身体中を撫で、キスをする。
平常に戻った呼吸で「あなたのそこはすごく大きいけど平気なの?」と率直に尋ねる。
「ん? そろそろ我慢の限界」
涼介は笑うが、目は真剣だった。硬く膨張したそこへ涼介はローションを塗ろうと瓶を取る。
「私が塗りたいわ」
起き上がって環は瓶からローションを涼介がしたように口に含み、そしてそのままエレクトしたそこへ口づけ、含んだ。
「うっ――ああ、きもち、いいよ」
涼介はのけぞり太陽を拝む。反らせた背中を戻し、環の頬をそっと持ち口淫をやめさせる。
「抱いていいかな?」
環はにっこり頷いて横たわる。
もう一度口づけしあい、涼介はそっと鈴口を環の秘園へあてがう。ローションと愛液で濡れそぼり、そこは優しく涼介を受け入れようとしている。
少し抵抗を感じたか、涼介は腰をすすめ、カリを挿入する。
「う、くっ――」
「ごめん、痛い?」
「ううん。平気、びっくりしただけ」
平気を装うが環の表情はこわばっている。思わず、腰を引こうとしてしまう涼介に環の長い足が絡んだ。
「だめ、引かないで」
「うん。このままいくよ」
ゆっくりと環の内部に入り込む。狭く熱く絡み付く感覚に涼介は呻く。
「これで、全部――」
動かずに抱き合ったまましばらく時を過ごす。
「動かないの?」
「もうちょっと、このままで」
唇が腫れるくらいキスをした後、涼介はストロークは浅めにゆっくり腰を動かし始めた。
「あ、な、中がいっぱいな感じ」
「辛い?」
「ううん。満たされる、感じ」
「早く、気持ちよくさせたい」
苦痛しかないだろうと、涼介は最小の動きで早く射精することを考えた。
「いま、でも、きもちいい」
少しだけ慣れてきたのか環の身体から力は抜けている。涼介は片方の足を開かせ、爪先を持ち、口に含んだ。
「きゃっ、あっ、あっ、はぁっ――」
足が性感帯のようで、愛撫を施すと環の蜜がまた溢れてきた。
「ああ、イキそうだ」
出来るだけゆっくりと思っていても絶頂が間近に迫ると動きが早くなってしまう。
「いいの、いっ、ぱい――う、動いて」
「ああっ――た、環っ――う、うぅ――あぁ……」
初めて避妊せずに女性を抱いて中に放出した。
「ああ、なんだかまた満たされる、感じがする」
環は和らいだ表情で涼介を見つめ、その背中を抱きしめる。温かいぬくもりを感じながら涼介は告白する。
「環。好きだ。結婚しよう」
「家族になるの?」
「嫌かな」
「嫌じゃないわ」
汗ばんだ身体にミントの風が爽やかに吹く。日が陰るまで二人は自然の中で寄り添い抱き合い、これからの生活についてまるで少年と少女のように夢を語り合った。
18 パフュームの完成
完成した試作品の香水を持ち、薫樹は会社の会議に出席する。
これからの売り出し方やコマーシャルなどのことはほぼ決まっている中で、薫樹は発言の機会をうかがっている。
試作品とはいえ調香した香水は役員他、一般社員にも試香されたが高評価で変更はないだろう。出来栄えの良さに社長は海外進出がもう成功したような顔をしている。
「すみません。よろしでしょうか」
「なんだね、兵部君」
「この『KOMACHI=小町』ですが名称を変えていただきたい」
「ええ? 何を言い出すんだね」
ざわめく中で薫樹は澄んだ声で続ける。
「小町という商品名では、外国の方々には少しマニアックでしょう。いっそのこと『TAMAKI』にしてみては」
薫樹の発言で更に騒めくが、半分以上はその提案の方がよさそうだと頷いているものもいる。
「確かにTAKAKIさんの知名度は海外で高いからなあ」
「小野小町が世界三大美女って言ってるの日本だけらしいし……」
この議題はまた会議にかけられることになったが、おそらく薫樹の提案が通るであろう。
会社を出て、薫樹は芳香の勤める園芸ショップ『グリーンガーデン』に向かう。
スーパーの駐車場が見え、ショップの店先で甲斐甲斐しく、植物に水をやっている芳香の姿が見えた。
しばらく遠目から様子をうかがう。
やってくる客に愛想よく笑いかけ丁寧に接客をし、深々と頭を下げている。
生き生きと瑞々しく働く彼女の様子を見ると、ここしばらくの疲労が消えていく気がしている。
「芳香の魅力は香りだけではないな」
そばで彼女の香りを嗅がずとも彼女の存在は薫樹にとって安らぎを与える。30分ほど眺めて薫樹は芳香に会わずに帰る。こうしたことを何度か繰り返していることを芳香は知らない。薫樹の秘かな楽しみであった。
香水が完成して名前も『TAMAKI』となった。日本人名のつけられた香水は数少ないが、この『TAMAKI』は今世紀で一番有名なものになるだろうと会社は睨んでいる。
芳香の友人の真菜は会社のパーティで薫樹と環が抜けだし、そして香水の名前が変わったことに不安を感じている。
昼休みに少しでも芳香に会って顔を見ようかと思い玄関に向かうと薫樹とすれ違った。
「やあ、立花さん」
「兵部さん――」
機嫌よく立ち去ろうとする薫樹に思わず真菜は声を掛ける。
「あの、すみません、ちょっといいですか?」
「ん? なんだい?」
「なんで香水の名前変えたんですか?」
「コンセプトと完成した香りが環だったからね。小町より売れるとおもう」
「えーっと、そうではなくてぇ」
「ん?」
言い辛いことだが親友のためだと思い、周囲に人がいないことを確かめて真菜は思い切って告げる。
「環さんは薫樹さんの恋人ですか? それとも元カノ? 芳香ちゃんとどっちが大事ですか? 私、パーティで二人が抜け出したり、こっそり会ってるの見たんですよ」
「――」
薫樹は一瞬きょとんとしたが、真菜の言いたいことがわかりハッとして説明した。
「誤解をさせてすまない。彼女とは古くからの友人で、全くそれ以上の関係はないんだ。僕の愛する女性は芳香だけだよ」
はっきりという薫樹に「そうですか。よかったです」と真菜は照れたが安心した。そしてこの不安を芳香に知られることがなくてよかったとも思った。
「じゃ、失礼します」
真菜は頭を下げてランチに向かうことにした。
薫樹は立ち去った真菜の言葉を反芻し、出来るだけ誤解を招く行動を避けねばと思う。今までのように無頓着のままでいては芳香に心配や不安を与えるかもしれない。
「そろそろきちんとしなければな」
ネクタイを正し、薫樹は次なる調香のコンセプトを頭に巡らせながら研究室へと戻った。
19 TAMAKIから環へ
壇上では黒地に金銀の唐草模様と大輪の花々が描かれている振り袖を着たTAMAKIがパフューム『TAMAKI』を手に持ち、アルカイックスマイルでポーズを決めている。
漆黒のボブヘアーには何も飾られておらず、褐色の肌はブロンズ色に輝いていてジャパネスクとアジアンがいい塩梅で融合している。香水の瓶はシンプルなスクエア型で中には琥珀の液体がきらめき揺れる。バシャバシャとたくさんのフラッシュがたかれ撮影は長く続くが環の集中力は衰えを知らない。彼女と香水を目の当たりにすると成功しないわけがないと誰もが感じる。
これをきっかけに『銀華堂化粧品』の海外進出が滞りなくなされていくだろう。
大きな仕事を終えて薫樹は少し有給休暇を取ることにした。今回も高評価を得るが0から生み出した作品ではないため薫樹にとっては複雑な気分だ。
のんびりマンションでくつろいでいたが、リフレッシュしたいと思いカフェ『ミンテ』に行くことにした。
芳香に昼休みがあるなら『ミンテ』にいるとメールを送り、休日を楽しむべくゆるゆると出かけた。
昼前に着くと珍しく店はがらんとしており、ドアに目をやると「定休日」となっていた。
「ああ、休みなのか」
うーんと考えているとちょうど芳香が走ってやってきた。
「薫樹さーん」
「ああ、芳香。すまない定休日だった」
「あ、ほんとだ。どっか他に行きます?」
「そうだな。できるだけ君の職場の近くにするかな」
「ありがとうございます。店長がゆっくりしてきていいよって言ってくれたのでそんなに急がなくても大丈夫です」
「そうか」
「はい」
嬉しそうな芳香と見つめ合っているとカフェ『ミンテ』の扉が開き中から声がかけられた。
「兵部さーん。芳香ちゃーん」
「あ、清水さん」
「ん?」
涼介がエプロン姿で出てきた。
「来てくれたんですか?」
「ああ。でも定休日だったと知らなくて今、他所へ行くところだったんだ」
「そうでしたか。どうぞ、良かったら入ってください。今、試作の料理だしますから」
「いいのかい?」
「どうぞどうぞ。ちょっと報告もありますしね。芳香ちゃんもどうぞ」
「は、はい。失礼します」
店内にはいると温かい雰囲気の中に爽やかなミントが香る。
「そこ掛けててください」
店の中央に薫樹と芳香は腰かけ、涼介は厨房へと入っていった。
「試作ってなんでしょうね」
芳香はすでにわくわくした様子で、目を輝かせている。薫樹はそんな彼女にもう満たされていた。
「お待たせしましたー」
大きなトレイに4つ鉢がのせられている。箸も4膳だ。誰のだろうと芳香が思っていると、もう一人涼介の後ろからトレイを持った女性が現れた。カフェエプロンを身に着けた環だ。
「あっ、た、た、TAMAKI!」
芳香は話には聞いていたが、実物を目にすることなどないと思っていたのでとても驚き、そして美しさに目を見張った。
スーパーモデルのTAMAKIが自分の目の前にデザートを配っている。
芳香はあんぐりと様子を見守るだけでじっとしていた。
涼介と環が並んで腰かけると、環が芳香に声を掛けた。
「初めまして。唐沢環です。薫樹の恋人の芳香ちゃんね」
柔らかい笑顔を見せられて芳香はハッとし、慌てて「柏木芳香です。よろしくお願いします」と立ち上がって深くお辞儀をした。
動揺している芳香の指先を薫樹はそっと触り、席に着かせる。環の「なかよくしてね」という言葉に芳香は興奮して「あ、あの。私、前に雑誌で環さんのインタビューに感動して、それから、えっと私も頑張らなきゃって思って、あの、これからも頑張ってください」と一気に告げる。
「インタビュー?」
涼介が尋ねると環は一度自分の生い立ちを語ったことがあるということだ。ジャンから「チャンスを使うように」と最初に言われた言葉を座右の銘にしているということが芳香に感銘を与えたらしい。
芳香もその言葉をいつも思い、今こうしていられるのはその魔法の言葉のおかげだと話した。
薫樹は二人の前向きな女性の話を聞きながら、今回の仕事も自分へのチャンスだととらえようと思い返す。
少し緊張が砕けたところで涼介が「じゃ、これ食べてね。バミーナーム(タイ風ラーメン)とクルアイブワッチー(バナナのココナッツミルク煮)をミントで仕上げてみたんだ」と食事を促した。
芳香はまた目を輝かせ「いただきます!」と箸に手を付けた。
「僕のも食べるか?」
薫樹は芳香の元気な食べっぷりにすっとクルアイブワッチーを差し出すと、芳香は恥ずかしそうに「だ、大丈夫です」と答えた。
「元気で可愛い人ね」
環にそう言われた芳香はさらに恥ずかしそうに赤面する。
大柄な三人に囲まれた芳香はまるで幼気な子犬のようだ。
食事を終えると涼介は食器を下げ、アイスミントティーを配り座ってコホンと咳払いをした。
「えっと。兵部さん、僕たち結婚します」
「ほう。いつの間に」
薫樹はそんなに驚くこともなく受け入れているが芳香はまたびっくりさせられた。しかし目の前のゴージャスな二人を見るととてもお似合いだと思った。
「おめでとう、環」
「ありがとう」
環は豊かな表情を見せるようになっている。これから彼女はモデルを引退して涼介の側にいると言うことだ。
「それはそれは。各界に激震が走りそうだな」
「はははっ。そりゃあ世界の環を僕が射止めたんですからね」
芳香はモデルのキャリアを環が捨てることをどう思っているのか知りたかった。
「あの、すみません。モデルをやめることは惜しくないんですか? まだまだご活躍中なのに」
涼介に気を使いながら恐る恐る尋ねる芳香に環は笑顔で答える。
「もうモデルはやりつくしたの。後進もたくさんいることだし、私じゃなくてもいいのよ。私は次のチャンスが現れたから、それを生かすのよ」
「はあー、か、かっこいい……」
芳香はうっとりと環に見惚れたが、アラームを設定してたスマートフォンが鳴りはっとする。
「あ、私、そろそろ仕事に戻ります」
「そうか、じゃ僕も」
「あの、薫樹さんはせっかくのおやすみなので、どうぞゆっくりしてください。清水さん、ごちそうさまでした」
「芳香ちゃん、またきてね」
「はーい。失礼しますー」
軽やかに立ち去る芳香を見送り、しばらくすると薫樹も席を立った。
「あれ? 兵部さんも帰るんですか? ゆっくりすればいいのに」
「ん。 これから芳香の仕事ぶりをゆっくり眺めるんだ」
「は、はあ。相変わらずですねえ」
「薫樹も幸せそうで嬉しいわ」
「ありがとう。環は綺麗になってるな。清水君のおかげだろう」
「え? 前から綺麗でしょう。はははっ」
「ああ、そう言われるとそうだな」
薫樹には10年前の環よりも今の、涼介と結ばれてからの彼女の方が美しいと感じていた。そしてこれからますます美しくなるのだろうと予感している。
――数十年、仲良く幸せに過ごした後、先に涼介が逝き、環は『ミントの女王』と呼ばれその生涯を閉じた。
20 ラブローションに溺れて
湯煎して温めたローションを手に薫樹は寝室に向かう。
広いベッドでは芳香が全裸で待っている。
「お待たせ」
白いローブはまるで白衣のように薫樹に良く似合っている。寝具から目だけ出している芳香の隣に薫樹はするっと滑り込んだ。
「芳香。今夜はゆっくりしよう」
「――はい」
芳香はごくりと息をのんで薫樹の顔が近づき口づけされるのを待った。ひんやりとした唇が触れ、薄い舌がするすると忍び込んでくる。
十分にキスを愉しむと薫樹は身体を起こし、まだ温かいローションを手に取った。
「それは?」
「これは、マッサージ用のローションだ」
「マッサージ……」
たっぷりと胸に塗られ、撫でまわされる。
「口に入っても良いように原材料はすべて食品成分で出来ている」
「あ、あ、ん、すごいん、ですね」
蕾を甘噛みされながら芳香は喘ぎながら答える。
「全身に塗ってあげよう。もちろん美容効果もあるんだ」
「あ、はっ、そう、です、かぁ、んん」
ぬらぬらした手で全身をくまなくマッサージされるが如何せん、マッサージではなくはっきりとした愛撫だ。汗腺と言う名の性感帯をきっちり押さえた愛撫に芳香は身をよじる。
「足は特に大事だな」
爪先の指の一本一本にローションを塗り、指の間に舌を這わせられると、芳香はうずうずと身体が疼き、思わず足をひきM字に開脚してしまう。
「むぅっ」
「あ、きゃあっ」
薫樹の前で開脚した足をさっと閉じようとしたが薫樹の動きの方が早く閉じさせてもらえなかった。
「ここはローションがいらないくらいだな」
「や、やだっ」
中指で緋裂を撫でられあげ、波打たせられる。
「しかし一応ここもほぐしておこう」
ローションを垂らし、外側全体を撫でまわし、もう片方の手で内部にゆるゆると指を進める。
「中は熱くて絡んでくるよ」
くちゅくちゅと中指で内壁をこすり、馴染ませほぐしかき混ぜながら、外で小さく尖った花芽を舌先で回す。
「あん、ああん、やああん、そん、なこと、早く、あん、来て、薫樹さ、ん」
「ああ。これはよくないな」
薫樹は愛撫の手を緩め、芳香の方へ向き替える。
「君はイキそうになるとすぐセックスをしたがるからね」
「ええっ、ひどい、うぅ」
残念そうな芳香にローションに濡らした指先を咥えさせる。
「あ、甘い……」
「ゆっくり抱きたいんだ」
「じゃ……私にも、薫樹さんをマッサージさせて……」
「ああ……」
芳香のてのひらにローションを垂らすと彼女は薫樹の首筋から硬い胸にそっと伸ばして塗り付け、円を描く。
痩せて骨ばっているが広い肩にもローションの伸ばし、首筋にキスをしてローションを舐めとる。
「ああ……気持ちがいいよ」
「男の人ってここは感じますか?」
白い広い胸を撫でながら、薫樹の固い乳首を口に含み、自分がされるようにコロコロと口の中で転がすように舐める。
「ん――なかなかいいよ……」
腰まで脱げた白いローブをはぎ取って、芳香はちらりと薫樹のものが大きくなっていることを確認し、ローションをかける。
咥えたい衝動を堪え、手でぬるぬると撫でまわすと怪しい香りが立ち込める。
「芳香……」
硬質の澄んだ声に湿り気が帯びられ、その声で名前を呼ばれると芳香の身体の中心が疼く。
「薫樹、さん……」
甘くてエロティックな香りがするローションをお互いの身体に塗っては、撫でまわし、舐めとる行為を続けているといつの間にかローションが無くなっていた。
「あ、なくなっちゃった……」
「うーむ。結構な量があったはずなのに」
ふっと我に返ると芳香は「くっぷっ」と小さなゲップをした。
「あ、やだっ、ご、ごめんなさいっ」
「フフ、いいよ。起きてミントティーでも飲もうか」
「そ、そうですね……」
ゆっくりキスをして二人は笑い合う。
ローションのせいで胃が満たされてしまい欲望が薄らいでしまった。
結局、マッサージをするだけで今夜は終わってしまったが不満はない。
ただ薫樹はローションに良い味が付くことは必ずしも良いことではないと後で涼介に意見しようと思っていた。
終わり
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