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こざっぱりとした庭の木々を眺めて帰宅していると、大家さんが唸っているのが聞こえて足を止めた。
「どうしたんですか?渡辺さん」
「んん?ああ、影島君、今帰りかね?ちょっとこの木を見てくれんかね」
「ああ、いいですよ。お邪魔します」
庭先に入り大家さんの目の前の木を眺める。2メートル近い綺麗に剪定されている金木犀だがこの時期にまだ花をつけていない。
「散った後でもないですよねえ」
「そうなんだよ。知り合いから譲ってもらったんだが全然咲かないんだ。なかなか由緒のある木らしいんだが、どうも色々整頓を始めてなあ。植物もあちこちに譲っているようで、うちはまあまあ庭が広いからってこいつが来たわけだが、咲かない金木犀をもらってもなあ……」
木肌を撫でたが弱くはなく葉も艶やかな緑だ。
「病気はなさそうだし、むしろ元気ですけどね」
「うーむ」
大家さんは薄くなったおでこをペシペシと叩きながら唸り続ける。もう関わって数年になるが、彼はせっかちな性格でなんでも先回りしたがるため、このままでは金木犀の存在が危ういかもしれない。
「渡辺さん、よかったら僕がこの木を引き取りましょうか。庭先に植えて管理しますよ」
「おっ、そうかい? 樹木医の君なら安心だし、うちの庭でもあるから知人に面目もたつなっ」
ぱっと顔を輝かせて掌でポンとこぶしを叩くと、そそくさとスコップとバケツを持ってきた。
「えっ、今掘り返すんですか?」
「ダメかね? 先週植えたばかりだから、早く掘った方が楽だろう」
「それは、まあ……そうですね」
可愛そうにこの金木犀は休む間もなく移動させられているようで、これじゃあ花をつける暇もないなと僕は同情した。せっかちだが快活な渡辺さんは、勢いよく土にスコップを差し込みあっという間に掘り返す。そしてビニールに根っこをくるんで気持ちよさそうに額の汗をぬぐった。
「じゃ、頼むよ」
「は、はあ。じゃあ僕はこれで」
両手に鞄と金木犀を抱え、100メートルほど先の自宅へ帰ることにした。
翌日出勤し、デスクに座り今日のスケジュールを確認していると、後ろから明るい大きな声がかかった。
「おはよ、芳樹」
「あ、社長おはようございます」
「なんだ?なんか疲れてるのか?顔色があんまりよくないぞ」
「え、そうですかね」
「まあ、そんなにひどくはないけど、お前はあんまり強くないんだから無理しなくていいぞ」
「大丈夫ですよ。昨日ちょっと家で作業しただけなので」
「う、ん。まあ今日は田中さん所の植木の確認くらいだからぼちぼちでいいからな」
「はい、わかりました」
社長の岡田大地は大学時代の先輩で、卒業と同時に父親の造園業を受け継ぎ、更には身体の弱い僕をこの会社へ誘ってくれた。
彼が継いだばかりの頃は造園技能士である父親と事務の母親と彼しかいなかったが、一年の間に事業を拡大し、ここ3年間の間に僕を含め従業員が4人に増えた。
どうやらドッグランの庭造りというのがウケたらしい。本来なら身体の弱さから就職は非常に困難である僕がこうして仕事に就けるのは彼のおかげだ。学科が違ったがなぜか顔を突き合わせることが多く、気が付けば飲みに誘われたり、一緒に森林を散歩する関係になっていた。
面倒見のよい彼は寡黙で覇気のない僕にも親切に接してくれ、今では誰よりも信頼できる人間になっている。いつも依存ばかりしている気がして申し訳ないが、できるだけ仕事で返したいと思っている。
正午のサイレンが鳴り、従業員たちはそれぞれ昼食のために外へ出て行った。入れ替わりで外回りをしていた岡田先輩と植木職人の林田さんが戻ってきた。二人が並んでいる姿はとても迫力がある。
岡田先輩は学生時代ラグビー部に所属し、スーツの上からでもわかるがっちりとした体格で、林田さんはもう50代だが空手の師範でもあり、小柄ながら鍛えられた筋肉と日に焼けた浅黒い肌が精悍さを感じさせる。
生白く、生気のない体質の僕は明るい活力のある二人を眺めると、とても眩しく感じる。同じ男でも違うものなのだなと諦めを超え、悟ってしまっている。
「じゃ、林田さん、お疲れ様でした」
「おうっ、またな」
白い歯を見せ、林田さんは去った。
「芳樹、昼は?」
「ああ、今から、コンビニでも行ってこようかと」
「俺もまだなんだ。『春日』にでもいこうぜ」
近所の定食屋で昼食をとることにした。
店は混雑しているが、二人掛けのテーブルが残っており二人で向かい合わせに腰かけた。
『春日』は古い定食屋だが、ボリュームがあり、価格も安く、味も良いのでサラリーマンに人気が高い。
「いつも繁盛してますね」
「ああ、ここはいつも美味いしな。おばちゃん、俺はカレーとラーメンのセット」
「僕は野菜炒め定食で」
「もっと食えよ」
「いえ、ここは本当に量が多いですから」
いつも食の細さを先輩は気にするが、僕の体格では十分すぎる量の食事だ。
「白くて細いな。ん? なんだ怪我したのか」
僕の指先を見つめ、手のひらの大きな絆創膏に気づき、手首をとった。
「実は昨日……」
大家さんから金木犀の木を譲り受けた話をした。
庭に穴を掘り、木を植える前に根っこをほぐしていると鋭利なガラスの破片があり手を傷つけてしまったのだ。
「ちゃんと消毒したのか? 全く……。昨日やらなくてもよかっただろ。明日は休みなんだし、言えば俺がやってやったのに」
「まあ、そうなんですけど。なんだかかわいそうで」
「かわいそう――か。まあ、そういうお前だから樹木医なんだろうがな。――もっと自分の事も大事にしろよ?」
「してますよ。社長は心配性だなあ」
「二人の時は先輩でいいよ」
優しい眼差しを僕に向けふっと笑む彼のところに、スパイシーなカレーライスとラーメンが運ばれてきた。
「お先っ」
大きな口に運ばれるというよりも放り込まれるという表現のほうが似合うワイルドな食べ方で、見ていると爽快感を伴う。
ラーメン鉢を軽々と片手で持ち上げ、スープを啜る。男らしいというのは先輩のことを言うのだろうといつも思う。
「芳樹、冷めるぞ。急がなくていいけど熱いうちに食べろよ」
「は、はい」
本当に熱いキャベツに悩まされたがなんとか食べ終えて店を出た。
午後から、田中邸の植木を確認する。田中さんの家は築40年で、息子夫婦が同居するために二世帯住宅に建て替える。そこで庭も今までの雑多に植えられていた庭木を整頓し、子供にも良いものに変えたいという希望だ。いわゆる『リガーデン』というものだ。植木は、モクレン、梅、松などと和風なものが多いが、手入れがなされておらず、それぞれがせめぎ合っており見るに忍びない。梅の木は枝が伸び放題だ。田中さんは立派な枝ぶりだろうと松を見せてくれたが、実際は松くい虫にやられていて中身はスカスカだった。梅は毎年、実をつけているようなので、梅の木だけ残し、あとは処分の方向となる。処分すると言っても『ガーデン岡田』の裏山に植えたり、別のお客様に譲ったりする。以前、同じように木の植え替えをしようとするお客が、もういらないからと言って枝をへし折ろうとした。それを見ていた僕の青ざめた顔色を見て、岡田先輩が不必要になった植木をこちらで引き取るとすかさず、お客の手を制してくれた。あの時は本当に安堵したなと今更のように胸をなでおろし、田中邸の新たな植木をリストアップした。
「えっと、月桂樹、オリーブ、適当にコニファー、それともともとある梅か……。うーん……」
新しい家はモダンな洋風の建物になるらしくそれに合わせて若夫婦が選んだ植木は少し梅とバランスが悪い気がする。
庭は案外広いので梅の木だけ少し離れた場所に――田中さん老夫婦が眺められるところへ植えることにして景観のバランスを考えることにしパソコンの電源を落とした。
仕事帰りに会社と取引のある植木販売の店『ナカムラ・グリーン』に立ち寄ることにした。
こじんまりとした個人経営だが、丁寧な苗木の扱いと社長の中村さんの誠実な人柄で、評判の高い店だ。
低い柵の木の扉を開くと、中村さんの愛犬のタロウが出迎えてくれる。
タロウはもう10歳になる柴犬だが元気よく、くるっと丸まったしっぽを左右に無限大に見えるような勢いで振り、僕に駆け寄ってくる。
「よし、よし、タロウ。いつも元気だね」
しゃがんで撫でてやると嬉しそうに目を細め指先を舐める。手のひらの傷に気づくと彼は匂いを嗅ぎ、手を舐めるのをやめた。
「君は賢いねえ」
褒めてやると、喜んで飛びつき顔を舐め始める。
「あ、わっ、ちょっと、眼鏡はダメだよ。見えなくなっちゃうよ」
ハアハアと激しい息遣いとベロベロと舐めあげてくるタロウを落ち着かせていると、社長の中村さんがやってきた。
「こらこら、タロウ。影島先生が困ってるだろう」
中村さんが声を掛けるとタロウは「アォン?」と鳴き、中村さんの足元にのそのそと座った。
「こんにちは。今度手がける庭の植木を見せてもらいに来たんですが」
「ああ、こっちによけてあるよ。良さそうなの選んでくれたらいい」
「ありがとうございます。いつもいい植木を選ばせてもらって」
「いやあ、こっちこそ。この前の柿の苗。よく病気を見つけてくれたねえ。この仕事もう40年近くやってるのに気づかなかったよ。やっぱり専門家は違うねえ」
「いえいえ。こういう普段の手入れにはかないませんよ」
中村さんのような丁寧でマメな手入れを行うと植木は病気知らずで、しかも元気がいい。植物も自分が大事にされていることがわかるのだろうか。同じ手入れをなされていても、愛情を与えられている植木はすぐにわかる。
「最近、金木犀を譲り受けたんですがまだ咲かないんですよ」
「ほう。病気じゃなくて?」
「ええ。ちょっと植え替えの頻度が多かったようなので栄養がうまく回ってないのかもしれませんが」
「ふうむ。じゃ、あれだな。寂しいんだよ」
「寂しい――ですか」
「そうそう。こうやって抱きかかえるようにしてやるといい」
中村さんは輪にした腕の中にそばにあった植木の苗を通す。
「こうですか?」
「うんうん。なんとなくじんわり感じるものがあったら、それが木との会話だ」
「へええ」
いつもここに来ると知識や学習では得られない、経験の情報を得ることが出来る。中村さんのほうがずっと樹木医のようだ。
「コニファーはどれがいい? あんまり大きくならない方がいいんだろ?」
「ええ。冬にクリスマスツリーの飾りつけをしたいらしくて、手の届く範囲がいいそうです」
「んー、じゃエメラルドかシルバースターか。庭の日当たりはどう?」
「南向きで相当日当たりいいですね」
「じゃあ、エメラルドのほうがいいか」
青々と艶やかな葉から甘酸っぱいようないい香りが漂う。とてもいい木だ。
「オリーブと月桂樹はこれで」
「あいよ」
「それじゃ、しばらく取り置きでお願いします」
よい植木に囲まれると元気が出る。中村さんとタロウに見送られて家路につくことにした。
「どうしたんですか?渡辺さん」
「んん?ああ、影島君、今帰りかね?ちょっとこの木を見てくれんかね」
「ああ、いいですよ。お邪魔します」
庭先に入り大家さんの目の前の木を眺める。2メートル近い綺麗に剪定されている金木犀だがこの時期にまだ花をつけていない。
「散った後でもないですよねえ」
「そうなんだよ。知り合いから譲ってもらったんだが全然咲かないんだ。なかなか由緒のある木らしいんだが、どうも色々整頓を始めてなあ。植物もあちこちに譲っているようで、うちはまあまあ庭が広いからってこいつが来たわけだが、咲かない金木犀をもらってもなあ……」
木肌を撫でたが弱くはなく葉も艶やかな緑だ。
「病気はなさそうだし、むしろ元気ですけどね」
「うーむ」
大家さんは薄くなったおでこをペシペシと叩きながら唸り続ける。もう関わって数年になるが、彼はせっかちな性格でなんでも先回りしたがるため、このままでは金木犀の存在が危ういかもしれない。
「渡辺さん、よかったら僕がこの木を引き取りましょうか。庭先に植えて管理しますよ」
「おっ、そうかい? 樹木医の君なら安心だし、うちの庭でもあるから知人に面目もたつなっ」
ぱっと顔を輝かせて掌でポンとこぶしを叩くと、そそくさとスコップとバケツを持ってきた。
「えっ、今掘り返すんですか?」
「ダメかね? 先週植えたばかりだから、早く掘った方が楽だろう」
「それは、まあ……そうですね」
可愛そうにこの金木犀は休む間もなく移動させられているようで、これじゃあ花をつける暇もないなと僕は同情した。せっかちだが快活な渡辺さんは、勢いよく土にスコップを差し込みあっという間に掘り返す。そしてビニールに根っこをくるんで気持ちよさそうに額の汗をぬぐった。
「じゃ、頼むよ」
「は、はあ。じゃあ僕はこれで」
両手に鞄と金木犀を抱え、100メートルほど先の自宅へ帰ることにした。
翌日出勤し、デスクに座り今日のスケジュールを確認していると、後ろから明るい大きな声がかかった。
「おはよ、芳樹」
「あ、社長おはようございます」
「なんだ?なんか疲れてるのか?顔色があんまりよくないぞ」
「え、そうですかね」
「まあ、そんなにひどくはないけど、お前はあんまり強くないんだから無理しなくていいぞ」
「大丈夫ですよ。昨日ちょっと家で作業しただけなので」
「う、ん。まあ今日は田中さん所の植木の確認くらいだからぼちぼちでいいからな」
「はい、わかりました」
社長の岡田大地は大学時代の先輩で、卒業と同時に父親の造園業を受け継ぎ、更には身体の弱い僕をこの会社へ誘ってくれた。
彼が継いだばかりの頃は造園技能士である父親と事務の母親と彼しかいなかったが、一年の間に事業を拡大し、ここ3年間の間に僕を含め従業員が4人に増えた。
どうやらドッグランの庭造りというのがウケたらしい。本来なら身体の弱さから就職は非常に困難である僕がこうして仕事に就けるのは彼のおかげだ。学科が違ったがなぜか顔を突き合わせることが多く、気が付けば飲みに誘われたり、一緒に森林を散歩する関係になっていた。
面倒見のよい彼は寡黙で覇気のない僕にも親切に接してくれ、今では誰よりも信頼できる人間になっている。いつも依存ばかりしている気がして申し訳ないが、できるだけ仕事で返したいと思っている。
正午のサイレンが鳴り、従業員たちはそれぞれ昼食のために外へ出て行った。入れ替わりで外回りをしていた岡田先輩と植木職人の林田さんが戻ってきた。二人が並んでいる姿はとても迫力がある。
岡田先輩は学生時代ラグビー部に所属し、スーツの上からでもわかるがっちりとした体格で、林田さんはもう50代だが空手の師範でもあり、小柄ながら鍛えられた筋肉と日に焼けた浅黒い肌が精悍さを感じさせる。
生白く、生気のない体質の僕は明るい活力のある二人を眺めると、とても眩しく感じる。同じ男でも違うものなのだなと諦めを超え、悟ってしまっている。
「じゃ、林田さん、お疲れ様でした」
「おうっ、またな」
白い歯を見せ、林田さんは去った。
「芳樹、昼は?」
「ああ、今から、コンビニでも行ってこようかと」
「俺もまだなんだ。『春日』にでもいこうぜ」
近所の定食屋で昼食をとることにした。
店は混雑しているが、二人掛けのテーブルが残っており二人で向かい合わせに腰かけた。
『春日』は古い定食屋だが、ボリュームがあり、価格も安く、味も良いのでサラリーマンに人気が高い。
「いつも繁盛してますね」
「ああ、ここはいつも美味いしな。おばちゃん、俺はカレーとラーメンのセット」
「僕は野菜炒め定食で」
「もっと食えよ」
「いえ、ここは本当に量が多いですから」
いつも食の細さを先輩は気にするが、僕の体格では十分すぎる量の食事だ。
「白くて細いな。ん? なんだ怪我したのか」
僕の指先を見つめ、手のひらの大きな絆創膏に気づき、手首をとった。
「実は昨日……」
大家さんから金木犀の木を譲り受けた話をした。
庭に穴を掘り、木を植える前に根っこをほぐしていると鋭利なガラスの破片があり手を傷つけてしまったのだ。
「ちゃんと消毒したのか? 全く……。昨日やらなくてもよかっただろ。明日は休みなんだし、言えば俺がやってやったのに」
「まあ、そうなんですけど。なんだかかわいそうで」
「かわいそう――か。まあ、そういうお前だから樹木医なんだろうがな。――もっと自分の事も大事にしろよ?」
「してますよ。社長は心配性だなあ」
「二人の時は先輩でいいよ」
優しい眼差しを僕に向けふっと笑む彼のところに、スパイシーなカレーライスとラーメンが運ばれてきた。
「お先っ」
大きな口に運ばれるというよりも放り込まれるという表現のほうが似合うワイルドな食べ方で、見ていると爽快感を伴う。
ラーメン鉢を軽々と片手で持ち上げ、スープを啜る。男らしいというのは先輩のことを言うのだろうといつも思う。
「芳樹、冷めるぞ。急がなくていいけど熱いうちに食べろよ」
「は、はい」
本当に熱いキャベツに悩まされたがなんとか食べ終えて店を出た。
午後から、田中邸の植木を確認する。田中さんの家は築40年で、息子夫婦が同居するために二世帯住宅に建て替える。そこで庭も今までの雑多に植えられていた庭木を整頓し、子供にも良いものに変えたいという希望だ。いわゆる『リガーデン』というものだ。植木は、モクレン、梅、松などと和風なものが多いが、手入れがなされておらず、それぞれがせめぎ合っており見るに忍びない。梅の木は枝が伸び放題だ。田中さんは立派な枝ぶりだろうと松を見せてくれたが、実際は松くい虫にやられていて中身はスカスカだった。梅は毎年、実をつけているようなので、梅の木だけ残し、あとは処分の方向となる。処分すると言っても『ガーデン岡田』の裏山に植えたり、別のお客様に譲ったりする。以前、同じように木の植え替えをしようとするお客が、もういらないからと言って枝をへし折ろうとした。それを見ていた僕の青ざめた顔色を見て、岡田先輩が不必要になった植木をこちらで引き取るとすかさず、お客の手を制してくれた。あの時は本当に安堵したなと今更のように胸をなでおろし、田中邸の新たな植木をリストアップした。
「えっと、月桂樹、オリーブ、適当にコニファー、それともともとある梅か……。うーん……」
新しい家はモダンな洋風の建物になるらしくそれに合わせて若夫婦が選んだ植木は少し梅とバランスが悪い気がする。
庭は案外広いので梅の木だけ少し離れた場所に――田中さん老夫婦が眺められるところへ植えることにして景観のバランスを考えることにしパソコンの電源を落とした。
仕事帰りに会社と取引のある植木販売の店『ナカムラ・グリーン』に立ち寄ることにした。
こじんまりとした個人経営だが、丁寧な苗木の扱いと社長の中村さんの誠実な人柄で、評判の高い店だ。
低い柵の木の扉を開くと、中村さんの愛犬のタロウが出迎えてくれる。
タロウはもう10歳になる柴犬だが元気よく、くるっと丸まったしっぽを左右に無限大に見えるような勢いで振り、僕に駆け寄ってくる。
「よし、よし、タロウ。いつも元気だね」
しゃがんで撫でてやると嬉しそうに目を細め指先を舐める。手のひらの傷に気づくと彼は匂いを嗅ぎ、手を舐めるのをやめた。
「君は賢いねえ」
褒めてやると、喜んで飛びつき顔を舐め始める。
「あ、わっ、ちょっと、眼鏡はダメだよ。見えなくなっちゃうよ」
ハアハアと激しい息遣いとベロベロと舐めあげてくるタロウを落ち着かせていると、社長の中村さんがやってきた。
「こらこら、タロウ。影島先生が困ってるだろう」
中村さんが声を掛けるとタロウは「アォン?」と鳴き、中村さんの足元にのそのそと座った。
「こんにちは。今度手がける庭の植木を見せてもらいに来たんですが」
「ああ、こっちによけてあるよ。良さそうなの選んでくれたらいい」
「ありがとうございます。いつもいい植木を選ばせてもらって」
「いやあ、こっちこそ。この前の柿の苗。よく病気を見つけてくれたねえ。この仕事もう40年近くやってるのに気づかなかったよ。やっぱり専門家は違うねえ」
「いえいえ。こういう普段の手入れにはかないませんよ」
中村さんのような丁寧でマメな手入れを行うと植木は病気知らずで、しかも元気がいい。植物も自分が大事にされていることがわかるのだろうか。同じ手入れをなされていても、愛情を与えられている植木はすぐにわかる。
「最近、金木犀を譲り受けたんですがまだ咲かないんですよ」
「ほう。病気じゃなくて?」
「ええ。ちょっと植え替えの頻度が多かったようなので栄養がうまく回ってないのかもしれませんが」
「ふうむ。じゃ、あれだな。寂しいんだよ」
「寂しい――ですか」
「そうそう。こうやって抱きかかえるようにしてやるといい」
中村さんは輪にした腕の中にそばにあった植木の苗を通す。
「こうですか?」
「うんうん。なんとなくじんわり感じるものがあったら、それが木との会話だ」
「へええ」
いつもここに来ると知識や学習では得られない、経験の情報を得ることが出来る。中村さんのほうがずっと樹木医のようだ。
「コニファーはどれがいい? あんまり大きくならない方がいいんだろ?」
「ええ。冬にクリスマスツリーの飾りつけをしたいらしくて、手の届く範囲がいいそうです」
「んー、じゃエメラルドかシルバースターか。庭の日当たりはどう?」
「南向きで相当日当たりいいですね」
「じゃあ、エメラルドのほうがいいか」
青々と艶やかな葉から甘酸っぱいようないい香りが漂う。とてもいい木だ。
「オリーブと月桂樹はこれで」
「あいよ」
「それじゃ、しばらく取り置きでお願いします」
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