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バスを降り、10分ほど歩くと家に着く。古くて小さいが一人で住むには十分だ。以前は大家さんの祖母が住んでいたが亡くなって何年も空き家だった。庭も3坪程度で何も生えていなかった。最近植えたばかりの咲かない金木犀があるだけだ。仕事で植木や植物を扱うことがあってもプライベートでは初めてかもしれない。玄関の引き戸を開け、誰もいない部屋に「ただいま」と声を掛けるが、やはり返ってこない。荷物を置き、裏の庭に出て金木犀を見に行った。
「ただいま」
誰か――この場合、何かか――に向けて初めて声を出す。少し木が揺れた気がして頭一つ分高い樹高を下から上まで眺める。
「ああ、そうだ」
中村さんに教えてもらったことを実践すべく、対峙するように金木犀に近づく。幹は手の中にすっぽり収まるくらい。樹齢は20年ちょっとだろうか。
近寄って抱きかかえるように幹に腕を回す。
「元気になって、花を咲かせておくれ」
呟いてしばらく立っていると確かに腕の中に温かいものを感じる気がする。
「これがそうかな?」
なんとなくでしか、感じないが納得いったので部屋に戻った。
「今日は疲れたなあー」
眠気が強いので早々に眠ることにする。金木犀を植えてからベッドの位置を庭の近くにし、少しカーテンを開け庭を眺められるようにした。
横たわるとあっという間に意識が途切れた。
胸のあたりをさすられる感覚に虚ろながら意識が戻る。ぼんやりと何時だろうかと思うが眼鏡をはずしているので暗闇の中の壁の時計は見えなかった。
再び意識が表層から落ちそうになったときに何かささやく声が聞こえ、身体を刹那的な快感が突き抜ける。ふわっと浮くような体感の後、僕は闇に落ちて行った。
華やかな芳香で目が覚める。
「んん?この香りは――」
勢いよくベッドから降り、カーテンを開けると満開の金木犀が咲いている。
「ああ、咲いたんだ。綺麗だ」
黄金の小さな花をいっぺんに開花させ、麗しい香りを四方八方に放っている。サンダルを履き、木の側へ行くとさわっと風が吹き、黄金の香りが僕の全身を包みこんだ。
まるで香りのシャワーのようだ。香りに当たったのか少しめまいを感じたので金木犀から距離を取り縁側に座ってしばらく眺める。
香りもさることながら、やはり立ち姿が美しい。円筒型に剪定されており品の良い佇まいで、格式の高さを感じさせる。
「大家さんが言ってた、由緒ってなんだろうなあ」
金木犀は中国で栽培されており、日本へは江戸時代に入ってきたと言われている。樹齢1200年以上となる天然記念物の「三島神社のキンモクセイ」は実際は金木犀の親戚の薄黄木犀(ウスギモクセイ)だ。
この金木犀の強い芳香はやはり外国のものだなあと実感する。平安時代などからこの香りがあれば、また日本の香り文化は変わっていたかもしれない。
ぼんやり木を眺めて時間をつぶす。普段は木々の病気や傷などを発見、治療で忙しく、このように木を愉しむことは少ない。
素晴らしい同居人が出来たような気がして僕は改めて木の存在意義を感じた。
いつの間にか眠っていたらしく、風に頬を撫でられて目が覚めた。
「うわっ、寒いな。こんなとこで寝ちゃってたのか」
身体を起こすと眩しい人が目の前に座っていて息をのんだ。
「――!」
切れ長の一重の深緑の瞳、象牙色の肌にオレンジに近い金色(こんじき)のゆるく波打った髪。薄い透け感のある、とび色のローブがふわりと身体を覆っている。胡坐をかいてこちらを見つめながらじっと佇んでいる。恐怖はないが絶対に人間ではないことは確かだ。何もアクションを起こしてこないその人に向かって、僕は息を整え尋ねる。
「あ、あなたは、誰――ですか」
ふわっと風が動き、その人は庭へ目線をやり「あれだ」と艶やかなそれでいて威厳のある声で答えた。
「え、あ、あれって?」
視線の先にあるのは金木犀だ。
「あ、あなたは金木犀の精なのですか!?」
「お前たちに言わせるとそうなるのかな」
今一つこの状況が頭の中で整理が出来ず、おろおろしていると金木犀の精はふふっと笑んだように見え、その瞬間、金木犀――彼の香りがあたりを漂った。その芳香で落ち着きを取り戻し、僕は姿勢を正し質問をすることにした。
「あなたはどうして現れたのですか? その姿で。いつから? 目的はなんなのです?」
深い緑の瞳が僕を射るように見つめる。そして彼が語り始める。
「この姿になったのはお前が私に血を与えてからだ。理由はわからない。目的があるとすれば生命を得続けることと繁殖だ。それはお前たちも同じなのだろう」
「えーっと……」
彼は姿が人間ではあるが木なのだ。彼を見つめながら考えてはみるものの上手く状況をとらえることが出来ない。
「何歳ですか?」
思わずどうでも良さそうな質問をしてしまったが、彼は表情を変えずに答える。
「この一個になってから25年だ」
「元々はどうだったんですか? 良かったらあなたの成り立ちを教えていただけませんか」
不思議過ぎて眉間がつーんとする。
「覚えている最初から話そう」
こうして彼の歴史を聞くことにした。
「初めに集合意識の中にいた。
大元の木から切り離された時に今の『私』は生まれる。
集合意識だった時の記憶もある。
住み慣れた土から掘り出され、形を小さく整えられ、多くの同胞たちと船に乗り、この国へやってきた。
風土が変わっても秋になると花を咲かせてきた。
しかし咲かせても咲かせても実りがない。そうこの国にはつがう雌がいないのだ。
そのことに気づいたのは親木から切り離されて、植えられ、何度も花を咲かせた後だった。
更に頻繁な植え替えですっかり花を咲かせる力が残っていなかった。
あのまま枯れていくのだろうという時にお前が私に血を与えたのだ」
僕は聞き入っていたが次の一言ではっと我に返る。
「この姿になったおかげでもう一度、お前から精をもらうことができ、花を咲かせた。」
「えっ? 今、なんですって? もう一度?」
「そうだ。昨晩、お前から精を吸った」
「まさか――」
昨晩の不思議な感覚と淫らな感覚が身体に走ったことを思い出す。
「今日は礼をしよう」
「礼? 金木犀の精さん、あの礼なんかいいです」
「お前は強くない。吸ったままでは弱ってしまう。私はもう力が満ちている」
深い強い視線が僕を催眠術にかけるように絡む。お礼とはなんだろう。木の恩返しなどどうなるのだろう?
彼の大きな両腕が僕に伸びてきて抱きしめる。
「あっ――」
体温は感じないがしなやかな肉体を僕は受け止めた。
大きな両掌が頬を包み込み、彼の端正な顔が近づいてくる。少し硬い肉厚な薄蘇枋の唇が僕の唇に重なり、新鮮な酸素が流れ込んできた。
緊張が解け始めリラックスしてくると、彼は僕のハーフパンツに手をかけ、トランクスごとはぎ取った。
「あっ、ちょっと、いったい何をするんです?」
慌てて跳ね起きようとしたが、注入し続けられている呼吸を跳ね返すことが出来ず、彼の身体の下でうごめくしかなかった。
「お前に養分を与えるだけだ」
「よ、養分って」
「この身体は面白い。直接、養分を得られ、更には決めた個体に養分を与えることが出来るな」
何を言っているのか理解が出来ないが、この状況に危機感を覚え、やめてくれるように懇願することにした。
「僕は――人間は食事をとれば栄養を得られますから、お礼は結構です」
「食事、か。それも良いが、直接、注入する方が確実で早い」
聞き入れてもらえそうにない。
抵抗を試みたが金木犀の香りと高濃度の酸素によって身体があまくしびれていく。金木犀の香りは人によって好みがはっきり分かれるが、このような催淫されるような香りではなかったかのように思う。
βーイオノン、リナロールなど成分を思い出して冷静さを保とうとしても思考は緩みはじめ、下腹部から甘い疼きが立ち上ってくる。
「だ、だめ」
彼は僕の両手首をつかんでいるはずなのに、太腿と下腹部を撫でられているような感覚がある。
「ど、どうして? どうなってるの?」
不思議がっている僕に彼は息を吹きかけ、「枝が四本あるのを知らなかったか?」と当然だという表情で言う。
「腕が――4本……」
さすがに脱出を諦めた。思わず涙をこぼしてしまう。――男なのに情けない。
それに気づいた金木犀の精が頬を伝う涙を舐めとった。
「苦痛なのか? 苦痛は生成を妨げる。これでは与えても効果がないな」
彼は僕を解放してふわっと座る。
「あ、ありがとう」
「いや、礼はこちらがしたかったのだ。受け入れがたいようだな」
「すみません。こういうことは男性と考えたことがありませんので」
「雌であればよいのか」
「え、あ、僕はあ、あのこういう経験自体ないのでちょっとはっきり言えませんが、普通は男と女で――」
言いかけて、僕は彼を傷つけるかもしれないと思い口をつぐむ。
金木犀の木は雌雄異株で雄と雌の木に分かれる。しかしなぜか日本には雄の木しかないのだ。雌の木を持ってきても雄に変わってしまうという話も聞く。つまり彼は雌の木には会ったことがないだろう。
「すみません。金木犀の精さん」
「何を謝るのだ」
「いえ、その……」
「お前が思うような感傷は私にはない。ただお前からもらったものをお前にも与えようとしただけだ」
「ありがとうございます。あの、いつまでその姿でいられるんですか?」
「さあな。ずっとこういう姿でもない。その庭とこの部屋くらいにしかこの姿を現すことはできないようだ。来るなというならもう来ないようにしよう」
「え、そ、そんな。そんなつもりじゃないんです」
彼が去ろうとすると思うと僕は強い寂寥感を覚えた。不思議で美しく尊大な金木犀の精。
「行かないでください」
「ふむ。ではたまに出てこよう。この身体もお前も興味深いしな」
「よかった……」
胸をなでおろし、彼のことを呼ぼうと思い「金木犀の――」と言いかけて、何か良い呼び名はないかと尋ねた。
「名前? 私にはどちらでも良いことだが」
「えっと、金木犀の精さんって呼ぶのもなんだか、ゴロがいいんだかなんなのか、ちょっと長いですしね」
「好きに呼ぶがいい」
「好きに――ですか」
金木犀――中国では「丹桂」や「金桂」と呼ばれているが上手く発音が出来ない。
「桂(ケイ)さん、と呼んでもいいでしょうか」
「よい。ではお前の名は?」
「芳樹(ヨシキ)です」
「では芳樹。今日は戻る」
「あ、はい。さよなら桂さん」
すーっと部屋を出て金木犀の木のほうに向かい溶けるように消えた。
僕はぼんやりと庭を眺め、現実感のない状況に夢なのかと思うが、金木犀の香りが鼻腔をくすぐり、下半身がむき出しになっていることに気づき、急いでトランクスを履いた。
庭の金木犀が不思議な同居人となったのだろうか。
とりあえず、桂さんに栄養不足だと思われないようにと食事をとることにした。
「ただいま」
誰か――この場合、何かか――に向けて初めて声を出す。少し木が揺れた気がして頭一つ分高い樹高を下から上まで眺める。
「ああ、そうだ」
中村さんに教えてもらったことを実践すべく、対峙するように金木犀に近づく。幹は手の中にすっぽり収まるくらい。樹齢は20年ちょっとだろうか。
近寄って抱きかかえるように幹に腕を回す。
「元気になって、花を咲かせておくれ」
呟いてしばらく立っていると確かに腕の中に温かいものを感じる気がする。
「これがそうかな?」
なんとなくでしか、感じないが納得いったので部屋に戻った。
「今日は疲れたなあー」
眠気が強いので早々に眠ることにする。金木犀を植えてからベッドの位置を庭の近くにし、少しカーテンを開け庭を眺められるようにした。
横たわるとあっという間に意識が途切れた。
胸のあたりをさすられる感覚に虚ろながら意識が戻る。ぼんやりと何時だろうかと思うが眼鏡をはずしているので暗闇の中の壁の時計は見えなかった。
再び意識が表層から落ちそうになったときに何かささやく声が聞こえ、身体を刹那的な快感が突き抜ける。ふわっと浮くような体感の後、僕は闇に落ちて行った。
華やかな芳香で目が覚める。
「んん?この香りは――」
勢いよくベッドから降り、カーテンを開けると満開の金木犀が咲いている。
「ああ、咲いたんだ。綺麗だ」
黄金の小さな花をいっぺんに開花させ、麗しい香りを四方八方に放っている。サンダルを履き、木の側へ行くとさわっと風が吹き、黄金の香りが僕の全身を包みこんだ。
まるで香りのシャワーのようだ。香りに当たったのか少しめまいを感じたので金木犀から距離を取り縁側に座ってしばらく眺める。
香りもさることながら、やはり立ち姿が美しい。円筒型に剪定されており品の良い佇まいで、格式の高さを感じさせる。
「大家さんが言ってた、由緒ってなんだろうなあ」
金木犀は中国で栽培されており、日本へは江戸時代に入ってきたと言われている。樹齢1200年以上となる天然記念物の「三島神社のキンモクセイ」は実際は金木犀の親戚の薄黄木犀(ウスギモクセイ)だ。
この金木犀の強い芳香はやはり外国のものだなあと実感する。平安時代などからこの香りがあれば、また日本の香り文化は変わっていたかもしれない。
ぼんやり木を眺めて時間をつぶす。普段は木々の病気や傷などを発見、治療で忙しく、このように木を愉しむことは少ない。
素晴らしい同居人が出来たような気がして僕は改めて木の存在意義を感じた。
いつの間にか眠っていたらしく、風に頬を撫でられて目が覚めた。
「うわっ、寒いな。こんなとこで寝ちゃってたのか」
身体を起こすと眩しい人が目の前に座っていて息をのんだ。
「――!」
切れ長の一重の深緑の瞳、象牙色の肌にオレンジに近い金色(こんじき)のゆるく波打った髪。薄い透け感のある、とび色のローブがふわりと身体を覆っている。胡坐をかいてこちらを見つめながらじっと佇んでいる。恐怖はないが絶対に人間ではないことは確かだ。何もアクションを起こしてこないその人に向かって、僕は息を整え尋ねる。
「あ、あなたは、誰――ですか」
ふわっと風が動き、その人は庭へ目線をやり「あれだ」と艶やかなそれでいて威厳のある声で答えた。
「え、あ、あれって?」
視線の先にあるのは金木犀だ。
「あ、あなたは金木犀の精なのですか!?」
「お前たちに言わせるとそうなるのかな」
今一つこの状況が頭の中で整理が出来ず、おろおろしていると金木犀の精はふふっと笑んだように見え、その瞬間、金木犀――彼の香りがあたりを漂った。その芳香で落ち着きを取り戻し、僕は姿勢を正し質問をすることにした。
「あなたはどうして現れたのですか? その姿で。いつから? 目的はなんなのです?」
深い緑の瞳が僕を射るように見つめる。そして彼が語り始める。
「この姿になったのはお前が私に血を与えてからだ。理由はわからない。目的があるとすれば生命を得続けることと繁殖だ。それはお前たちも同じなのだろう」
「えーっと……」
彼は姿が人間ではあるが木なのだ。彼を見つめながら考えてはみるものの上手く状況をとらえることが出来ない。
「何歳ですか?」
思わずどうでも良さそうな質問をしてしまったが、彼は表情を変えずに答える。
「この一個になってから25年だ」
「元々はどうだったんですか? 良かったらあなたの成り立ちを教えていただけませんか」
不思議過ぎて眉間がつーんとする。
「覚えている最初から話そう」
こうして彼の歴史を聞くことにした。
「初めに集合意識の中にいた。
大元の木から切り離された時に今の『私』は生まれる。
集合意識だった時の記憶もある。
住み慣れた土から掘り出され、形を小さく整えられ、多くの同胞たちと船に乗り、この国へやってきた。
風土が変わっても秋になると花を咲かせてきた。
しかし咲かせても咲かせても実りがない。そうこの国にはつがう雌がいないのだ。
そのことに気づいたのは親木から切り離されて、植えられ、何度も花を咲かせた後だった。
更に頻繁な植え替えですっかり花を咲かせる力が残っていなかった。
あのまま枯れていくのだろうという時にお前が私に血を与えたのだ」
僕は聞き入っていたが次の一言ではっと我に返る。
「この姿になったおかげでもう一度、お前から精をもらうことができ、花を咲かせた。」
「えっ? 今、なんですって? もう一度?」
「そうだ。昨晩、お前から精を吸った」
「まさか――」
昨晩の不思議な感覚と淫らな感覚が身体に走ったことを思い出す。
「今日は礼をしよう」
「礼? 金木犀の精さん、あの礼なんかいいです」
「お前は強くない。吸ったままでは弱ってしまう。私はもう力が満ちている」
深い強い視線が僕を催眠術にかけるように絡む。お礼とはなんだろう。木の恩返しなどどうなるのだろう?
彼の大きな両腕が僕に伸びてきて抱きしめる。
「あっ――」
体温は感じないがしなやかな肉体を僕は受け止めた。
大きな両掌が頬を包み込み、彼の端正な顔が近づいてくる。少し硬い肉厚な薄蘇枋の唇が僕の唇に重なり、新鮮な酸素が流れ込んできた。
緊張が解け始めリラックスしてくると、彼は僕のハーフパンツに手をかけ、トランクスごとはぎ取った。
「あっ、ちょっと、いったい何をするんです?」
慌てて跳ね起きようとしたが、注入し続けられている呼吸を跳ね返すことが出来ず、彼の身体の下でうごめくしかなかった。
「お前に養分を与えるだけだ」
「よ、養分って」
「この身体は面白い。直接、養分を得られ、更には決めた個体に養分を与えることが出来るな」
何を言っているのか理解が出来ないが、この状況に危機感を覚え、やめてくれるように懇願することにした。
「僕は――人間は食事をとれば栄養を得られますから、お礼は結構です」
「食事、か。それも良いが、直接、注入する方が確実で早い」
聞き入れてもらえそうにない。
抵抗を試みたが金木犀の香りと高濃度の酸素によって身体があまくしびれていく。金木犀の香りは人によって好みがはっきり分かれるが、このような催淫されるような香りではなかったかのように思う。
βーイオノン、リナロールなど成分を思い出して冷静さを保とうとしても思考は緩みはじめ、下腹部から甘い疼きが立ち上ってくる。
「だ、だめ」
彼は僕の両手首をつかんでいるはずなのに、太腿と下腹部を撫でられているような感覚がある。
「ど、どうして? どうなってるの?」
不思議がっている僕に彼は息を吹きかけ、「枝が四本あるのを知らなかったか?」と当然だという表情で言う。
「腕が――4本……」
さすがに脱出を諦めた。思わず涙をこぼしてしまう。――男なのに情けない。
それに気づいた金木犀の精が頬を伝う涙を舐めとった。
「苦痛なのか? 苦痛は生成を妨げる。これでは与えても効果がないな」
彼は僕を解放してふわっと座る。
「あ、ありがとう」
「いや、礼はこちらがしたかったのだ。受け入れがたいようだな」
「すみません。こういうことは男性と考えたことがありませんので」
「雌であればよいのか」
「え、あ、僕はあ、あのこういう経験自体ないのでちょっとはっきり言えませんが、普通は男と女で――」
言いかけて、僕は彼を傷つけるかもしれないと思い口をつぐむ。
金木犀の木は雌雄異株で雄と雌の木に分かれる。しかしなぜか日本には雄の木しかないのだ。雌の木を持ってきても雄に変わってしまうという話も聞く。つまり彼は雌の木には会ったことがないだろう。
「すみません。金木犀の精さん」
「何を謝るのだ」
「いえ、その……」
「お前が思うような感傷は私にはない。ただお前からもらったものをお前にも与えようとしただけだ」
「ありがとうございます。あの、いつまでその姿でいられるんですか?」
「さあな。ずっとこういう姿でもない。その庭とこの部屋くらいにしかこの姿を現すことはできないようだ。来るなというならもう来ないようにしよう」
「え、そ、そんな。そんなつもりじゃないんです」
彼が去ろうとすると思うと僕は強い寂寥感を覚えた。不思議で美しく尊大な金木犀の精。
「行かないでください」
「ふむ。ではたまに出てこよう。この身体もお前も興味深いしな」
「よかった……」
胸をなでおろし、彼のことを呼ぼうと思い「金木犀の――」と言いかけて、何か良い呼び名はないかと尋ねた。
「名前? 私にはどちらでも良いことだが」
「えっと、金木犀の精さんって呼ぶのもなんだか、ゴロがいいんだかなんなのか、ちょっと長いですしね」
「好きに呼ぶがいい」
「好きに――ですか」
金木犀――中国では「丹桂」や「金桂」と呼ばれているが上手く発音が出来ない。
「桂(ケイ)さん、と呼んでもいいでしょうか」
「よい。ではお前の名は?」
「芳樹(ヨシキ)です」
「では芳樹。今日は戻る」
「あ、はい。さよなら桂さん」
すーっと部屋を出て金木犀の木のほうに向かい溶けるように消えた。
僕はぼんやりと庭を眺め、現実感のない状況に夢なのかと思うが、金木犀の香りが鼻腔をくすぐり、下半身がむき出しになっていることに気づき、急いでトランクスを履いた。
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