降りしきる黄金の雫は

はぎわら歓

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春の訪れを知らせてくれる沈丁花の香りが漂い始めた。この花は初夏に咲くクチナシと秋に咲く金木犀と並んで三大香木と言われる。
また金木犀と同じく中国から室町時代に日本へ伝わったようで更には雌雄異株の上、日本には雄株しかないところまで共通している。
桂さんに出会うまでは『良い香り』だと思うだけだったが、共通点の多さに親しみを覚える。そしてもしも沈丁花が桂さんのように擬人化したらどうなるのかと想像した。
「中国名で瑞香かな……」
ぼんやり春の陽気と香りを楽しんでいると、その香りを覆いつくすようにより甘い香りが漂う。
「あっ、桂さん。こんな時間に珍しいですね」
「それは浮気というものか?」
「え!? や、やだなあ、違いますよ」
少し笑んだ桂さんは随分柔らかい物腰になってきている。するっと音もなく近づき、僕の横に座って一緒に沈丁花の香りを嗅いだ。
「いい香りだ。私たちの古くからの友人だ。香りが重ならないように季節をずらしている」
「へえー。確かにかぶっちゃうともったいないですよね」
山吹色の伏せられたまつ毛の影が桂さんの眼差しをより美しくする。
「私ではなく、彼らと先に出会っているかもしれなかったな」
「もうっ!桂さん、意地悪を言わないでください!」
「ふふ。悪かった」
「僕は、金木犀の香りが一番好きですよ。沈丁花の次にクチナシが香って、秋になると金木犀。待ち遠しいです」
彼の手がふわりと伸びて、僕の頭を膝へ乗せ、髪を撫でる。心地よさにうっとりしながら、沈丁花の英名がダフネだったことを思い出す。
「ねえ、桂さん。人間は植物になれるとおもいますか?」
「さあな」
「ギリシャの神話にダフネという人間の娘が月桂樹の木になる話があるんです」
「なぜ、木になったのだ」
「――嫌いな神からの求婚を逃れるためだったかな」
「そうか」
なんとなく悲しい話をしてしまったことを後悔したが甘い香りと小春日和の陽気に瞼が重くなった。

身体を揺さぶられ、名前を呼ばれて目を覚ました。
「芳樹、こんなところでうたた寝か?」
「え、あ、先輩」
僕は身体を起こして辺りを見回すともう日は傾いていて薄暗かった。
「どうしたんですか? いきなり」
「ん、いや、あれからなんかあんまり話してなかったと思ってな」
先輩はすっと背を向け、金木犀の方へ視線を移した。以前、彼から告白をされた後、意図的ではないが個人的に話し合う機会が減っており、距離感があった。
「なんだか忙しくて先輩と昼も別々でしたね」
「ん」
金木犀に先輩が近づいたとき、さあっと風が吹き枝がしなり彼の頬をぴしゃりと打った。
「いてっ、なんだ? ――なんかこの木に嫌われてる気がするな」
「まさか」
そういいながらも、もしかして桂さんが意図的に?と思わずにいられなかった。夕暮れが2人の、いや3人の影を長く伸ばす。
言い様のない沈黙の重圧に耐えかね、僕は先輩を食事に誘った。
「近所に蕎麦屋ができたんです。どうですか?一緒に。歩いて5分くらいですよ」
「蕎麦か。たまにはいいな」
いつも焼き肉屋以外に誘うと、一言不満が出るのだが今日はそんなこともなく乗り気な様子を見せる。
「じゃ、少し支度してきます」
「おう」
スウェットからシャツとチノパンに着替え、桂さんに「いってきます」と声を掛けて先輩と出かけることにした。

少しだけ歩くと「今は沈丁花の匂いがいい時期だなあ」と先輩がしみじみ言う。
「ええ、いい香りです」
桂さんに聞かれませんようにと思いながら答えた。
蕎麦屋にすぐ到着した。真新しい、いい香りのする檜の引き戸を開け店内に入った。今夜は客は少ない様で座敷でゆっくりできるようだ。
「えっと。何にすっかな」
「ここは鴨汁せいろと箱天そばが人気ですよ」
「ふーん。どっちも美味そうだな。じゃ両方頼むかな」
「僕は山菜おろしにしようかな」
「もっと精のつくもの食えよ」
いつもの明るい先輩の笑顔にほっとしながら、久しぶりに温かい食事をすることが出来た。
蕎麦と言えども多い量に先輩は少し目を見張ったが難なく食べ終え、蕎麦湯を飲んだ後、デザートにゴマアイスを食べることにした。
「なかなかいい店だな」
「ええ、店主は定年して無理せずやってるみたいなので、がつがつしてなくて雰囲気いいんですよ」
「うん。ファミレスじゃこう、くつろげないしな」
リラックスした先輩は足を伸ばして手を後ろについている。
「このところ調子はどうだ? 良さそうだけど、結構過労気味じゃないかと思ってさ」
「すこぶる調子がいいです。あ、でも、無理してないですから」
「そうか。なら――いいんだ」
笑顔を見せながらも、何か言いたげな様子だがもうそれ以上言わない。僕もはっきりさせないまま微笑み返すしかできない。
「先輩。いつもありがとうございます」
「なんだよ、改まって」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど、なんとなく」
「――何か、困ったことがあったら、真っ先に俺に言えよ?」
「はい」
口の中で溶けるアイスは舌の上にゴマを残して流れて消えた。

「ただいま」
寝室の襖を開けるとベッドに横たわる桂さんが月光に照らされて輝いている。
「今夜はもう帰らぬかと思っていた」
「ま、まさか。どうしてそんなことを言うんです」
僕は怒って見せたが彼は全く動じることなく眉一つ動かさない。
「あやつが麝香の男か」
「あの、先輩は、兄みたいなものでそんな、そんな関係じゃありません。疑わないでください」
「疑ってなどいない」
「じゃあ、なんで変なことを言うんですか」
「あの男はお前を好いているようだ」
「だから、なんです?」
それ以上言葉を発しない桂さんが何を考え何が言いたいのかわからず、僕は途方に暮れるばかりだ。
「僕は、僕は――桂さんが好きなんです」
「知っている」
「もう――何も、言わないで」
僕は桂さんに覆いかぶさって口づけをし、下半身だけ脱ぎ、桂さんのモノを窪みにあてがった。
「無理をするな」
「嫌です。今すぐつながりたい」
不安な心をつながる身体で消し去りたい一心だった。
「わかった」
桂さんは自在に愛液を扱い、僕を濡らし、ゆっくりと侵入する。
「あっ、あぅ――け、桂、さん――」
「しばらくじっとしておけ」
「あ、い、いや、だ」
聞き分けずに彼の上で動く僕を桂さんは慈しむような愛しむような、それでいて悲しむような表情で僕を見つめる。
きしむベッドの音が、悲しむ鳥の鳴き声のように聞こえた。



桜並木を作る計画は順調に進んでいる。道路を挟んで左右に1キロメートル程度の並木道を作る。
桜は成長の速く、皆が知っているということでソメイヨシノが選ばれた。3年も経てば十分な桜並木になるだろう。
しかしほかの有名な桜並木通りより木と木の間の間隔を多くとってもらったので少しばかり隙間を感じるかもしれない。
ソメイヨシノだと10メートル弱の間隔が必要だが今回12メートル開けている。本数は片側80本で合わせて160本だ。苗木を植え始めるのはおそらくこの秋になるだろう。

現場を見学しながら桜が開花したところを想像する。左右、桜色に染められ、春の陽気の中のんびり歩く。
「綺麗だろうなあ。桂さんと一緒に歩けたらどんなにいいだろう」
桂さんと会えるのは狭い庭と寝室だけ。それが嫌ではないが、もっと彼といつでもどこでも一緒に居たいと願ってしまう。ふと、庭に何かほかの木を植えてみようかと考える。庭には金木犀が一本だけ。思案していると後ろから「影島先生!」と呼ばれたので振り向くと植木職人の林田さんともう一人かなり年配の男性が立っていた。
「あ、林田さん、こんにちは。こちらは?」
「うちの隠居おやじ」
「初めまして、いつもお世話になってます。影島芳樹と申します」
「噂はかねがね――木の先生だねえ」
「まあ――先生っていうのは単なる名称で……」
「いやいや、あんたは木に愛されてるねえ。先生みたいな人がいるからまだ少しは安心だ」
白髪で少し腰が曲がっているが林田さんによく似た意志の強そうな眉と黒い瞳だ。

「心配しなくても、あんたのいつもそばにいるよ。ふぇふぇっ」
「え?」
きょとんとしていると、現場を眺めていた林田さんが振り返って「おやじは木に育てられた人だからたまに変わったこと言うんだけど、気にしないで」とこともなげに言う。
「木に育てられたんですか」
「んんー。まあな。子供の頃はいつも木をねぐらにしていた。よく椎の木(シイノキ)の子供とも遊んだんだぞ」
「ええ? 椎の木の子供?」
「うんうん。戦後なにも食べるものがなかったが、シイちゃんはよく椎の実をくれたもんだ」
「シイちゃん――ですか」
「大人になるといつの間にかおらんようになってしまったがな」
林田さんが割って入る。
「シイちゃんの話は話半分で。たぶん近所の子だよ」
「そんなことはない!」
「わかったわかった」
やれやれという様子で林田さんは冗談ぽく受け止めていたが、僕にはその話が真実だと思った。ご隠居は少し遠くの空を眺めて、まだ何も植えられていない地面に目をやる。優しい眼差しはシイちゃんを想っているのだろうか。
「じゃあ、この辺で。先生、秋からだよね。植樹は」
「はい、そうです。スケジュール平気ですか?」
「うん、調節しとくよ、岡田社長にもよろしく言っておいて」
「わかりました。お父さんもご苦労様でした」
「またな、先生」
二人を見送りながら秋の忙しさと金木犀の開花の楽しみを考え僕も職場へ戻った。

桂さんに何か庭にほかの木々を植えようかと提案したが、どちらでも良いというそっけない返事だった。
「お前がしたければするといい」
「そうですか。好きな花とかないですか?」
「好き――か」
以前なら『ない』と一言で終わっていたが桂さんが思案してくれている。それが嬉しい。
「グミがよかろう。実を食せ」
「ああ、グミですか。懐かしいなあ。昔、入院してた病院の庭に植えてあってこっそり食べたことがあったなあ」
「ここは日当たりが良いからよく育つだろう」
「そうですね。今ちょうど植えられそうな時期ですね」
桂さんと一緒に赤いグミの実を眺められたら楽しいだろう。
「しかし、なんでもよく知ってますね」
「長く生きておるしな。人からもだが、動物からも情報を得る」
「へえー。そうなんですかあ」
「だが、得た情報を使うのはこの姿になってからだな」
何千年も生きている大樹は恐らく知恵の宝庫なのだろう。しかしそれを伝えたり、使ったりすることはないのだろう。
ただ人は畏怖し、想像し、そこから知恵を拝借しようと奔走する。樹木を崇拝し宗教も起きる。

「シイちゃんってどうして消えたんでしょう」
「もう求められなくなったからだろう」
「そういうものですか」
「こちらから意図的に与えることはないからな」
林田さんのお父さんは戦後の食糧難をシイちゃんのおかげで生き抜いたが、復興すると椎の実はもう必要になかったのだ。
「桂さんはずっと居てくれますか?」
「ああ、お前が求める限り」
「よかった。じゃあずっとです」
桂さんの眼差しが今日見たご隠居のそれに似ている気がした。
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