叫べ、まだ終わりじゃない

おくなみ

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叫んだのは、あなただけだった

終わりは静かに滲む

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ライブハウスからの返信は、意外にもすぐに届いた。
 「OKです。詳細は後日DMします」――それだけの簡潔な文面に、今の自分は救われた気がした。

 小さな灯を抱えたまま、外へ出たのは夜。
 雨がぱらついていたが、傘を持たずにそのまま歩く。
 音が身体にしみる感覚が、妙に心地よかった。

 歩道に沿って、街灯が濡れたアスファルトを照らす。
 その光の先、駅前の裏通りに差しかかったときだった。

 「……え?」

 何気なく目をやった先で、ふたりの人影が見えた。
 ひとりは、黒のレザージャケットにスキニー。もうひとりは、
 ――見覚えのある、白いスカート。

 立ち止まる。
 動けなくなった。

 ふたりは寄り添うように歩いていた。
 藤原。そして、美咲。

 笑っていた。
 肩をすくめて、なにか冗談でも言い合っていたのだろう。
 藤原が美咲の腰に手を回し、自然な流れで彼女もそれを受け入れる。

 そして、そのままふたりは――
 小さなホテルの軒先に、ゆっくりと入っていった。

 「……」

 何か言おうとした。声を出そうとした。
 でも、喉が固まっていた。
 誰かに叩き落とされたみたいに、心が地面にへばりついて動かなかった。

 ドアの閉まる音は聞こえなかった。
 ただ、雨の音だけがやけに鮮明に響いていた。

 信じたくなかったわけじゃない。
 すでに“そうかもしれない”と知っていた。
 でも、知っていることと、目の前で見ることはまったく違った。

 足元の水たまりに、自分の顔が映っていた。
 あまりにも無表情で、誰にも何も言えない顔をしていた。

雨は、止まなかった。
 ホテルの看板の明かりが濡れた地面に反射して、歪んで揺れている。
 その中にふたりの姿はもうなかった。
 でも、焼き付いた映像は、まぶたの裏から消えなかった。

 傘を持っていたら、もっと現実味が薄れていたかもしれない。
 だけど、濡れたまま立ち尽くすこの身体は、否応なく“今”を刻んでいた。

 自分たちは、いつから壊れてたんだろう。

 最初に手をつないだ日。
 最初にライブに来てくれた日。
 最初に俺の曲を聴いて、泣いた日。

 あの日々が、まるでフィルム越しの出来事みたいに遠かった。
 何が“終わり”だったのかは分からない。
 ただ、今この瞬間が、“もう戻れない”ことだけを確信させていた。

 スマホを取り出す。
 美咲とのトーク履歴は、ライブの日から更新されていなかった。
 「頑張ってね」
 たったその一言を最後に、時間が止まっていた。

 もう、何かを聞くつもりもなかった。
 問い詰める気も、責める気も、不思議となかった。
 ただ、心の中にあった“繋がっていたかった”という一点が、
 静かに、ゆっくりと、滲んで消えていくのを感じていた。

 カーディガン。
 歯ブラシ。
 一緒に選んだコーヒーカップ。
 何気ない日常のすべてが、“かつて恋人だった証拠”として、
 今日からは、ただの“置き土産”になるのだと思った。

 「……終わったんだな」

 口に出すと、思ったよりも軽い声だった。
 泣けなかった。
 怒れなかった。
 何も感じないわけじゃない。
 ただ、心が静かに風化していく音がしただけだった。

部屋に戻ったのは、深夜近くだった。
 服は濡れたまま。靴下まで水が染みて、冷え切っていた。
 それでも、灯りをつけずにリビングまで歩いた。

 ソファの背に掛けられたままの白いカーディガン。
 その存在だけが、かろうじて“この部屋に彼女がいた時間”を証明していた。

 でも、もう何も聞きたくなかった。
 彼女の声も、言い訳も、やさしさも。
 全部、いまの自分には届かない場所にある気がした。

 ギターケースを開ける。
 弦の冷たさが、逆に安心感をくれる。

 指で弦をなぞる。コードを押さえる。
 音が出る。それだけで、まだ自分が“ここにいる”と感じられた。

 「これが、俺の終わり」

 つぶやいた声は、誰に向けたわけでもない。
 ただ、区切りが欲しかった。
 感情のままぶつけるんじゃない。
 静かに、冷静に、“終わった”ことを音にしようと思った。

 コード進行は自然に浮かんだ。
 メロディはまだなかったけれど、
 初めて「歌詞じゃない何か」が、自分の中に流れはじめた気がした。

 音楽って、こうやって始まるのかもしれない。
 誰かに見せる前の、もっと手前。
 自分が自分のためだけに鳴らす音。
 その先に、何かがあるかもしれないと思えた。

 スマホの画面がふと光る。
 通知はひとつ。
 あかねからだった。

「ちょっとだけ聴いてみたいかも。
……今の、あんたの音。」

 たったそれだけのメッセージに、胸が少し熱くなる。
 まだ何も伝えられるような音じゃない。
 でも、**“誰かが待ってる”**という事実が、
 この夜を、少しだけ意味のあるものに変えてくれた。

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