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鳴らすために、生きている
答えのない一曲
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スタジオの空気が、やけに静かだった。
東京、名古屋、大阪の対バンツアーを終えたばかり。
Zeppを埋め尽くした熱狂は、まだ耳の奥に残っている。
けれど、今この空間にあるのは、静けさと、ひとつの葛藤だった。
「……《無題》、どうする?」
結華が、ギターをケースに仕舞いながらぽつりと聞いた。
その言葉に、悠人は返事ができなかった。
アルバムは、もうリリースされている。
《無題》も、そのラストに収録されている。
音源としての“形”は、完成している。
でも、悠人の中では、それは“仮”のままだった。
「まだ……何か、足りない気がしてる」
スタジオの天井を見上げながら、悠人は呟く。
誰に向けたわけでもない、答えのない独白だった。
翼がスティックをくるくる回しながら言う。
「ツアー中も、ずっとやってなかったしな」
「ていうか……できなかった、んじゃない?」
蓮が続けるように言った。
誰も責めるような口調ではなかった。
全員が、あの曲の“未完成さ”を、どこかで共有していた。
「野音で、やるんだよね?」
そう結華が口にしたとき、悠人はようやくうなずいた。
「うん……そこで、初めて“完成”させる」
野音——日比谷野外大音楽堂。
これまでの集大成、そして“その先”を示す場所。
そこで初めて《無題》を鳴らす。
それが、このツアーとこのアルバムの締めくくりになる。
でも、そのはずなのに——
「まだ、“届く言葉”になってない気がしてさ」
悠人は、自分の胸を指差しながら続けた。
「歌詞も、音も、メロディも全部入ってる。
でも、なんか……“俺の声”がそこにいない感じがするんだ」
静かに、誰も何も言わなかった。
それが軽々しく言えるものではないことを、全員がわかっていた。
だから、代わりに結華がそっと言った。
「野音で完成させるんでしょ? ……だったら、それでいい」
悠人は少しだけ笑った。
「うん。……間に合わせる。絶対に、完成させるよ。俺の声で」
夜の街をひとり歩くのは、久しぶりだった。
ビルの谷間をすり抜けるように吹く風。
コンビニのガラス越しに流れる音楽。
イヤホンの中では、自分の声が繰り返し響いていた。
——《無題》。
「……やっぱ、違うんだよな」
ひとつひとつのフレーズは、間違っていない。
音も言葉も嘘じゃない。
けれど、全部を繋げたときに、“誰かに届く像”になっていない気がする。
「もっと……俺じゃなきゃ歌えない、何かが欲しい」
そうつぶやいた瞬間、信号の向こうで
自転車に乗った若い子が、何かを歌いながら走り去っていった。
——なんのために歌う?
——誰のために歌う?
その問いが、再び胸に刺さった。
帰宅後、机に向かってノートを開く。
そこには、書いては消してを繰り返したメモの山。
“最後の一節が浮かばない”
“このままじゃ、音源の延長戦”
“あの場所で、何を伝えたいんだ”
悠人はペンを握り、じっとページを見つめる。
そして、心の中で問いかけた。
——自分は、誰にこの曲を届けたい?
バンドの仲間?
観客?
音楽そのもの?
違う。
たぶん、もっと手前にいる。
あのとき音を始めた自分、
過去に迷って止まった自分、
何も信じられなかった、あの夜の自分——
「……お前に、歌ってやらなきゃな」
ひとりごとみたいに笑って、
ノートの一番上に、ようやくひとことだけ書き込んだ。
「届け。まだ言葉にならない声へ」
スタジオに、音が鳴っていた。
蓮のベースがうなり、翼のドラムが地面を打つ。
結華のギターが、雷のように鳴り響く。
その上に、悠人の声が乗る。
いつもよりも荒々しく、でも確かに前に進む音だった。
——野音ワンマンまで、あと一週間。
「……よし、次。あとは《無題》だけか」
翼が汗を拭きながら言う。
その一言に、場の空気がすこしだけ変わる。
張り詰めたような緊張。
誰もが感じている、“それはまだ未完成だ”という事実。
「……今日も、通すだけでいい?」
結華がそっと尋ねる。
悠人は少しだけ考えてから、うなずいた。
「うん。まだ“鳴らす”段階じゃない。……“探ってる”って感じ」
その言葉に、蓮も翼も、ゆっくりと楽器を構え直した。
《無題》が始まる。
イントロ。
静かなギターと、ためるようなドラム。
いつものように、音は形になっていく。
けれど、やはり何かが足りない。
音は確かに美しい。けれど“誰かの魂を打ち抜く”には、遠い。
悠人自身も、それを理解しながらマイクを握っていた。
——この曲だけは、まだ“完成”していない。
でも、それでもいい。
「……野音で、終わらせる」
曲の終わり、マイクを置いて呟いた悠人の声は、どこか優しかった。
結華がギターを降ろしながら、小さく笑った。
「“無題”って、やっぱ正解だったんじゃない?」
「うん。まだ、名前を持たせられない曲。
でも——誰かにとって、いちばん必要な歌になる気がする」
スタジオの壁には、ツアーで回ったZeppのステッカー。
そして、真ん中に貼られた、野音ワンマンのポスター。
誰も言葉にしなかったが、
全員が同じ方向を向いていた。
次の一音で、全部が決まる。
東京、名古屋、大阪の対バンツアーを終えたばかり。
Zeppを埋め尽くした熱狂は、まだ耳の奥に残っている。
けれど、今この空間にあるのは、静けさと、ひとつの葛藤だった。
「……《無題》、どうする?」
結華が、ギターをケースに仕舞いながらぽつりと聞いた。
その言葉に、悠人は返事ができなかった。
アルバムは、もうリリースされている。
《無題》も、そのラストに収録されている。
音源としての“形”は、完成している。
でも、悠人の中では、それは“仮”のままだった。
「まだ……何か、足りない気がしてる」
スタジオの天井を見上げながら、悠人は呟く。
誰に向けたわけでもない、答えのない独白だった。
翼がスティックをくるくる回しながら言う。
「ツアー中も、ずっとやってなかったしな」
「ていうか……できなかった、んじゃない?」
蓮が続けるように言った。
誰も責めるような口調ではなかった。
全員が、あの曲の“未完成さ”を、どこかで共有していた。
「野音で、やるんだよね?」
そう結華が口にしたとき、悠人はようやくうなずいた。
「うん……そこで、初めて“完成”させる」
野音——日比谷野外大音楽堂。
これまでの集大成、そして“その先”を示す場所。
そこで初めて《無題》を鳴らす。
それが、このツアーとこのアルバムの締めくくりになる。
でも、そのはずなのに——
「まだ、“届く言葉”になってない気がしてさ」
悠人は、自分の胸を指差しながら続けた。
「歌詞も、音も、メロディも全部入ってる。
でも、なんか……“俺の声”がそこにいない感じがするんだ」
静かに、誰も何も言わなかった。
それが軽々しく言えるものではないことを、全員がわかっていた。
だから、代わりに結華がそっと言った。
「野音で完成させるんでしょ? ……だったら、それでいい」
悠人は少しだけ笑った。
「うん。……間に合わせる。絶対に、完成させるよ。俺の声で」
夜の街をひとり歩くのは、久しぶりだった。
ビルの谷間をすり抜けるように吹く風。
コンビニのガラス越しに流れる音楽。
イヤホンの中では、自分の声が繰り返し響いていた。
——《無題》。
「……やっぱ、違うんだよな」
ひとつひとつのフレーズは、間違っていない。
音も言葉も嘘じゃない。
けれど、全部を繋げたときに、“誰かに届く像”になっていない気がする。
「もっと……俺じゃなきゃ歌えない、何かが欲しい」
そうつぶやいた瞬間、信号の向こうで
自転車に乗った若い子が、何かを歌いながら走り去っていった。
——なんのために歌う?
——誰のために歌う?
その問いが、再び胸に刺さった。
帰宅後、机に向かってノートを開く。
そこには、書いては消してを繰り返したメモの山。
“最後の一節が浮かばない”
“このままじゃ、音源の延長戦”
“あの場所で、何を伝えたいんだ”
悠人はペンを握り、じっとページを見つめる。
そして、心の中で問いかけた。
——自分は、誰にこの曲を届けたい?
バンドの仲間?
観客?
音楽そのもの?
違う。
たぶん、もっと手前にいる。
あのとき音を始めた自分、
過去に迷って止まった自分、
何も信じられなかった、あの夜の自分——
「……お前に、歌ってやらなきゃな」
ひとりごとみたいに笑って、
ノートの一番上に、ようやくひとことだけ書き込んだ。
「届け。まだ言葉にならない声へ」
スタジオに、音が鳴っていた。
蓮のベースがうなり、翼のドラムが地面を打つ。
結華のギターが、雷のように鳴り響く。
その上に、悠人の声が乗る。
いつもよりも荒々しく、でも確かに前に進む音だった。
——野音ワンマンまで、あと一週間。
「……よし、次。あとは《無題》だけか」
翼が汗を拭きながら言う。
その一言に、場の空気がすこしだけ変わる。
張り詰めたような緊張。
誰もが感じている、“それはまだ未完成だ”という事実。
「……今日も、通すだけでいい?」
結華がそっと尋ねる。
悠人は少しだけ考えてから、うなずいた。
「うん。まだ“鳴らす”段階じゃない。……“探ってる”って感じ」
その言葉に、蓮も翼も、ゆっくりと楽器を構え直した。
《無題》が始まる。
イントロ。
静かなギターと、ためるようなドラム。
いつものように、音は形になっていく。
けれど、やはり何かが足りない。
音は確かに美しい。けれど“誰かの魂を打ち抜く”には、遠い。
悠人自身も、それを理解しながらマイクを握っていた。
——この曲だけは、まだ“完成”していない。
でも、それでもいい。
「……野音で、終わらせる」
曲の終わり、マイクを置いて呟いた悠人の声は、どこか優しかった。
結華がギターを降ろしながら、小さく笑った。
「“無題”って、やっぱ正解だったんじゃない?」
「うん。まだ、名前を持たせられない曲。
でも——誰かにとって、いちばん必要な歌になる気がする」
スタジオの壁には、ツアーで回ったZeppのステッカー。
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誰も言葉にしなかったが、
全員が同じ方向を向いていた。
次の一音で、全部が決まる。
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