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SCREAM OUT
その熱狂の果てで
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音が消えた瞬間、会場は爆発した。
拍手でも歓声でもない。叫びだ。
「まだ終わってない!!」「アンコール!!」――どこからともなく上がった声が、瞬く間に広がっていく。
フロアの全員が、立ち尽くしたまま拳を掲げていた。
興奮と熱が、ステージに向かって一斉に放たれている。
もう誰にも止められない。終わらせない――それがこの夜に集まった者たちの総意だった。
ステージ袖では、《まだ終わりじゃない》の4人が顔を見合わせていた。
予定にはなかった。セットリストにも入っていなかった。
だが、全員の目は自然と揃っていた。もう行くしかない。
結華がギターを背負い直す。
翼はゆっくりとタオルで額を拭き、スティックを握り直した。
蓮が深く一呼吸してから、ベースを構える。
悠人は、一歩ステージの先を見て――小さく笑った。
「……行こう。ちゃんと返さなきゃな」
舞台が再び明るくなる。
会場からは悲鳴のような歓声。フロアの熱が、再び沸点を超えていく。
悠人がセンターに立ち、マイクを手にする。
「……ラスト、じゃないけど」
一拍置いて、彼は続けた。
「最初にやるのは、《まだ終わってない》――今日は、二人で歌います」
その横に、すでに結華がマイク前に立っていた。
普段はギターだけの彼女が、今夜は“歌う”。
イントロが鳴り響く。
結華のギターが、柔らかく、鋭く、空気を切り裂く。
そのあとを悠人の声が追い、重なり、溶け合っていく。
二人の声は決してぶつからない。
ハモりでも、交互でもない。まるで異なる旋律が、それぞれ主旋律として成立していた。
悠人の声が突き刺さるように前へ出ていく。
結華の声はその軌道を柔らかく包み込み、補完し、時に引き上げていく。
“ぶつかり合う”のではない。
“共鳴する”――このツインボーカルは、そういう関係だった。
観客の多くが、体を揺らしながらも目を逸らせずにいた。
ステージに立つ二人の間には確かに熱があった。
それは“恋愛”ではない。けれど、“信頼”以上に深いものだった。
「すげぇ……」
「声、喧嘩してない。……噛み合ってる」
「……今日、初めて気づいたけど、あの二人、バンドの中核なんだな」
そんな声が、ステージ前方から漏れていた。
どの客も気づいていた。
――いま、この瞬間の《まだ終わってない》は、“本物”だった。
間奏でギターが前へ出る。
結華が指先で暴れ、音を刻み、そのまま歌へ戻る。
翼のドラムが全体を支え、蓮のベースが芯を通す。
そして――二人の声が、ラストサビで一つになった。
観客の誰もが、その瞬間を脳裏に焼きつけた。
これはただのアンコールじゃない。
まるで“始まり”のような、最初の一歩のような。
そんな、新しい《まだ終わりじゃない》の姿だった。
観客の歓声が渦巻く中、悠人はマイクを置いた。
何も言わず、ギターもその場に降ろす。
視線をフロアへ――いや、“戦場”へ向けたその瞳には、もう迷いなどなかった。
そして――飛んだ。
悠人の身体が宙を舞い、ステージから客席へと投げ出された。
受け止める手と、沸き上がる咆哮。
その瞬間、メンバーの中に緊張はなかった。
「行け」――そう思った。誰も止めない。止められない。
結華が、ステージの端で口元を吊り上げる。
悠人がいつも飛んでいく理由が、今なら分かる気がした。
「ふふ……仕方ないな」
そう呟くと、ギターを背負ったままの姿勢で、結華もフロアへ身を投じた。
会場が一瞬息を呑み、そして割れるような歓声が響く。
「おい、結華まで!? 嘘だろ……!」
ステージ上では、蓮が少しだけ苦笑していた。
ギターもボーカルも無くなったステージ。
「……あー、うん。今日は、分かるわ。その気持ち」
ため息交じりの呟きとともに、蓮もまたフロアへと飛び込んでいった。
観客のボルテージは限界を超えた。
もうライブでもアンコールでもない、“出来事”だ。
ステージに残ったのはただ一人。
ドラムセットの中央に座る、翼。
彼は誰よりも冷静で、誰よりも楽しんでいた。
頬に笑みを浮かべ、肩を回し、スティックを構える。
「……全員、バカじゃん。でも――最高だな」
翼が叩き始めた瞬間、音の全てが変わった。
彼のドラムが、全フロアとステージを繋ぎ止める。
軽やかに、正確に、そして狂気的に――鼓動のように。
メロディも歌詞もない。ただ、“音”を鳴らすだけのパート。
けれどそこには、言葉以上の叫びがあった。
悠人はフロア中央で、拳を突き上げる。
結華が観客とぶつかりながらも、ギターをかき鳴らす。
蓮が肩を組まれながらも、客の波を泳いでいる。
全員が“音”になっていた。
バンドそのものが、もはやステージではなく観客の中に存在していた。
袖から見ていたバンドマンたちは、言葉を失っていた。
「……なにこれ、バケモノだよ」
柚葉がぽつりと呟く。
「曲でもなんでもないのに、こんなにフロア掴むか……?」
橘一誠が腕を組んだまま、目を見開いていた。
「これが……《まだ終わりじゃない》……」
真田は喉を鳴らしながら、ただ立ち尽くしていた。
全員が思った。
この光景は、常識じゃない。
音楽の枠すら越えている。
だが、それこそが彼らの真骨頂――“ライブバンド”としての、頂点の姿だった。
音が鳴る限り、終わらない。
そう確信させられる、地鳴りのようなアンコール第2章だった。
3人がステージへ戻る頃には、会場全体が沸騰していた。
ステージに足をかけた悠人が、額の汗を拭い、マイクを再び握る。
その声はもう枯れていたが、逆にその“枯れ”こそが全てを物語っていた。
「なあ――」
悠人がゆっくりと、袖の暗がりへ目を向ける。
そこに、黙って様子を見ていた多くのバンドマンたちがいた。
共演してきた仲間たち。ライバル。憧れ。尊敬。因縁。
彼らの視線を受け止めた悠人が、にやりと笑う。
「……なに、燻ってんだよ。出てこいよ」
空気が、一瞬で変わった。
袖の暗がりがざわつく。
最初に動いたのは柚葉だった。真っ直ぐにステージへ向かってくる。
続いて真田晴翔、橘一誠、東郷真。
CRAWLのギターが、フロアを飛び越えるように駆け上がる。
さらに、SCREAM OUT出演バンドのあらゆるメンバーが、次々とステージへ。
気づけば、ステージはパンパンになっていた。
ギター、ベース、ドラム、コーラス、ボーカル、ハンドクラップ、叫び。
全員が自分の音を持ち寄り――ひとつの曲を鳴らそうとしていた。
「――じゃあ、行こうか。最後の《まだ終わりじゃない》」
悠人が叫ぶ。
誰かのカウント。翼のスティックが叩かれる。
そして――音の洪水が始まった。
ギターが幾重にも重なり、ベースが地を這い、ドラムが怒涛のリズムを刻む。
マイクは誰か一人のものではなく、リレーのように受け渡されていく。
悠人の歌声に、柚葉のハーモニーが重なり、
真田のギターに、橘のリフが絡む。
観客はすでに悲鳴に近い歓声を上げていた。
誰もが前へ、前へと押し寄せ、ステージとの距離が崩壊する。
「なにこれ、バンドの垣根がない……!」
「全員が《まだ終わりじゃない》になってる……!」
フロアもステージも、もはや“バンド”という形の枠を失っていた。
ただ、“音を鳴らす奴ら”と“それを受け止める奴ら”だけの世界。
照明がぐるぐると回り、ステージには文字通り“カオス”が生まれていた。
だがそれは、誰ひとり止めたくなるものではなかった。
その光景を、客席の隅――少し離れた立ち位置で、志賀零士がじっと見つめていた。
腕を組んで、口元に少しだけ笑みを浮かべながら、ぽつりと呟いた。
「……あそこにいたかったな、俺」
誰にも届かないような、優しい声だった。
そして、その声に答えるように、ステージは最後のサビへと突入していく。
“まだ終わりじゃない”のフレーズが、
何十人、何百人の声に重なって、空を貫いていった。
全員がぶつけきった“最後の一音”が、ステージを揺らした。
叫びでも、音でも、拍手でもない。
ただ、その場にいた全員が――息を止めた。
観客も、スタッフも、バンドマンも、
すべてを出し尽くしたその瞬間に、
それぞれの鼓動だけが、静かに響いていた。
ステージの中央、マイクを握ったままの悠人が、ぐっと空を睨んだ。
全身汗まみれ、声も枯れ、手は震え、脚はふらついている。
けれどその顔には――どこか笑みがあった。
「……なあ、今日来てくれた全部のバンドマン、スタッフ、観客」
悠人が、ゆっくりと言葉を選ぶように声を発する。
「――あんたらのこと、全員ブチ抜きに来たつもりだった」
笑いがフロアに起こる。だがその直後、悠人はぐっとマイクを握り直した。
「でもな――俺たちだけじゃ、ここまで来れなかったって、今なら分かる」
ステージ袖には、出番を終えた仲間たちの姿。
フロアには、目を潤ませる観客の顔。
最前列には、ショートカットの女の子――あかねが、涙を流していた。
「……だから、ありがとう」
短いその言葉に、どこか“すべて”が詰まっていた。
歓声は上がらなかった。ただ、長い、長い拍手が鳴り響いた。
悠人はマイクを静かに置いた。
メンバーそれぞれが、楽器を抱えて一礼する。
ステージ袖へと戻っていく彼らの背中に、
観客の「またな!」や「最高だったぞ!」という声が重なっていく。
が――そのとき、
フロアのどこかから、誰かの叫びが響いた。
「……まだ終わりじゃない!!!」
一人の観客が拳を突き上げる。
「お前らなら、まだ行けるだろ!!!」
その声に呼応するように、別の場所からも声が上がる。
「まだ終わってないぞ!!!!!」
「おい、アンコールだろ!?やれよ!!!!!」
「もう一発だけ!!マジで頼む!!!!」
どよめきが、歓声に変わっていく。
まるで再び焚きつけられた炎のように、
“帰ろうとしていた空気”が、今また熱を持ち始めていた。
ステージ袖で止まった悠人たちが、顔を見合わせる。
誰もが予想していなかった“最後の爆発”。
「……やばいな」
蓮が笑う。
「予定、完全にぶっ壊れたな」
翼が肩を竦める。
「……けど、やるしかないっしょ」
結華が、ギターを握り直す。
悠人が、マイクを拾い直す。
足音が――再びステージに戻る音が、スピーカーを通じて響いた。
誰かが叫ぶ。
「もう一度、《まだ終わりじゃない》!!!」
そして、地鳴りのような歓声が、SCREAM OUTの夜を、再び揺らした。
悠人が静かにマイクを拾ったとき、空気が一変した。
あれほど鳴っていた歓声が、不思議とぴたりと止まる。
「……最後にもう一曲だけ」
その言葉に、観客は息をのんだ。
誰もが、何が来るか分かっていた。
《無題》。
このステージのために取っておかれた、一度も披露されていない最後の曲。
蓮がベースを抱える。
結華は目を閉じ、音を待つ。
翼が、スティックを静かに交差させる。
音が始まる。
1音目は、限りなく静かだった。
ギターが夜の水面のように揺れ、
ドラムは呼吸のように淡く、
悠人の声は、まるで語りかけるようにフロアへ降りていく。
〈終わりって何だろう 名前がないこの痛みを〉
〈誰かに渡せないまま 僕は歌ってる〉
観客も、バンドマンも、関係者も、
ただ静かに、その“語り”を聴いていた。
中盤、結華のギターが光を強めていく。
だが、それでも爆発はしない。
〈この声はまだ 未完成なまま〉
〈でもそれでも それでも――〉
そして――ラスサビ。
ギターが轟き、翼のドラムが一気に解き放たれる。
悠人の声が叫びに変わる。
〈終わりじゃない! 今が始まり!〉
〈名前なんてなくても! ここにいるって!〉
〈俺たちの全部を、焼きつけろ!!!〉
フロアが爆発する。
立ち上がる観客。飛び跳ねる拳。
誰もがその叫びに呼応し、歌う、叫ぶ、泣く。
蓮がベースを振りかざすように掻き鳴らし、
結華が拳を突き上げながらリードを刻み、
翼はこの瞬間だけでドラムセットを壊すんじゃないかという勢いで叩き抜く。
――静寂からの爆発。
それがこの曲のすべてだった。
歓声は、曲が終わっても止まなかった。
ステージに残る彼らの背中に、
「ありがとう」と、「やばすぎる」が重なっていく。
この“最後の曲”は、名もなかった。
でも、誰よりも強く、
誰よりも確かに、“ここにいた”と証明した。
静まり返った野外ステージに、最後の一音が消えてから数分。
誰一人、動けなかった。
観客も、スタッフも、演者たちも、まるで“魂”だけが取り残されたように、しばらくその場に立ち尽くしていた。
《無題》のラスサビ――あの爆発的なエモーションは、
もはや言語化できるものではなかった。
「……すげぇ……なに今の……」
「泣きすぎて声出ない」
「人生変わったって、マジで言えるかもしれない」
出口に向かう道すがら、多くの観客が泣いていた。
バンドTシャツに涙が染み、パンフレットを胸に抱きながら、
「ヤバかった」とだけ繰り返していた。
誰かが呟いた。
「“無題”って曲名、完璧すぎるだろ……」
ステージ脇では、照明チームのリーダーが呆然と天を仰いでいた。
「……あの展開、誰が予想できたよ……」
「最後のアンコール含めて、全部がバグってた。いい意味で」
音響スタッフが真顔で言う。
「仕事忘れてた。手が震えてた。録音、ちゃんと入ってるよな……?」
業界席では、大小さまざまなレーベル、イベント主催者、ライターたちが一様に言葉を失っていた。
「おい、“あれ”をどう記事にするんだよ。文字が追いつかねぇ」
「マジで“時代”が変わったぞ。今日ここで」
ある有名音楽ライターが、ノートパソコンにただ一言打ち込んでいた。
『無題』――名前のない、完璧。
袖にいたバンドマンたちは、皆呆然としていた。
柚葉は、マイクを持つ手を見つめながら呟いた。
「まだ、負けてないと思ってた。でも――今日は、完敗だわ」
真田は、蓮がベースを鳴らしながら汗まみれになっていた姿を思い出していた。
「なんなんだよ……あの音圧、あの息の合い方。
ステージの真ん中にいたの、悠人じゃなくて《まだ終わりじゃない》そのものだった」
橘一誠は、黙って翼の演奏映像を頭の中で再生していた。
「“ドラムの奴”が……支配してた。音全体を、完全に」
誰かがぽつりと呟いた。
「もう一回……戦ってぇな、あいつらと」
そして、そのステージの一番後ろ、照明の陰に立っていた男――志賀零士は、
両手をポケットに突っ込んだまま、苦笑いを浮かべていた。
「“化けた”どころじゃねぇな……お前ら。とっくに、もう“鬼”だわ」
彼はステージを一瞥し、静かに踵を返した。
拍手でも歓声でもない。叫びだ。
「まだ終わってない!!」「アンコール!!」――どこからともなく上がった声が、瞬く間に広がっていく。
フロアの全員が、立ち尽くしたまま拳を掲げていた。
興奮と熱が、ステージに向かって一斉に放たれている。
もう誰にも止められない。終わらせない――それがこの夜に集まった者たちの総意だった。
ステージ袖では、《まだ終わりじゃない》の4人が顔を見合わせていた。
予定にはなかった。セットリストにも入っていなかった。
だが、全員の目は自然と揃っていた。もう行くしかない。
結華がギターを背負い直す。
翼はゆっくりとタオルで額を拭き、スティックを握り直した。
蓮が深く一呼吸してから、ベースを構える。
悠人は、一歩ステージの先を見て――小さく笑った。
「……行こう。ちゃんと返さなきゃな」
舞台が再び明るくなる。
会場からは悲鳴のような歓声。フロアの熱が、再び沸点を超えていく。
悠人がセンターに立ち、マイクを手にする。
「……ラスト、じゃないけど」
一拍置いて、彼は続けた。
「最初にやるのは、《まだ終わってない》――今日は、二人で歌います」
その横に、すでに結華がマイク前に立っていた。
普段はギターだけの彼女が、今夜は“歌う”。
イントロが鳴り響く。
結華のギターが、柔らかく、鋭く、空気を切り裂く。
そのあとを悠人の声が追い、重なり、溶け合っていく。
二人の声は決してぶつからない。
ハモりでも、交互でもない。まるで異なる旋律が、それぞれ主旋律として成立していた。
悠人の声が突き刺さるように前へ出ていく。
結華の声はその軌道を柔らかく包み込み、補完し、時に引き上げていく。
“ぶつかり合う”のではない。
“共鳴する”――このツインボーカルは、そういう関係だった。
観客の多くが、体を揺らしながらも目を逸らせずにいた。
ステージに立つ二人の間には確かに熱があった。
それは“恋愛”ではない。けれど、“信頼”以上に深いものだった。
「すげぇ……」
「声、喧嘩してない。……噛み合ってる」
「……今日、初めて気づいたけど、あの二人、バンドの中核なんだな」
そんな声が、ステージ前方から漏れていた。
どの客も気づいていた。
――いま、この瞬間の《まだ終わってない》は、“本物”だった。
間奏でギターが前へ出る。
結華が指先で暴れ、音を刻み、そのまま歌へ戻る。
翼のドラムが全体を支え、蓮のベースが芯を通す。
そして――二人の声が、ラストサビで一つになった。
観客の誰もが、その瞬間を脳裏に焼きつけた。
これはただのアンコールじゃない。
まるで“始まり”のような、最初の一歩のような。
そんな、新しい《まだ終わりじゃない》の姿だった。
観客の歓声が渦巻く中、悠人はマイクを置いた。
何も言わず、ギターもその場に降ろす。
視線をフロアへ――いや、“戦場”へ向けたその瞳には、もう迷いなどなかった。
そして――飛んだ。
悠人の身体が宙を舞い、ステージから客席へと投げ出された。
受け止める手と、沸き上がる咆哮。
その瞬間、メンバーの中に緊張はなかった。
「行け」――そう思った。誰も止めない。止められない。
結華が、ステージの端で口元を吊り上げる。
悠人がいつも飛んでいく理由が、今なら分かる気がした。
「ふふ……仕方ないな」
そう呟くと、ギターを背負ったままの姿勢で、結華もフロアへ身を投じた。
会場が一瞬息を呑み、そして割れるような歓声が響く。
「おい、結華まで!? 嘘だろ……!」
ステージ上では、蓮が少しだけ苦笑していた。
ギターもボーカルも無くなったステージ。
「……あー、うん。今日は、分かるわ。その気持ち」
ため息交じりの呟きとともに、蓮もまたフロアへと飛び込んでいった。
観客のボルテージは限界を超えた。
もうライブでもアンコールでもない、“出来事”だ。
ステージに残ったのはただ一人。
ドラムセットの中央に座る、翼。
彼は誰よりも冷静で、誰よりも楽しんでいた。
頬に笑みを浮かべ、肩を回し、スティックを構える。
「……全員、バカじゃん。でも――最高だな」
翼が叩き始めた瞬間、音の全てが変わった。
彼のドラムが、全フロアとステージを繋ぎ止める。
軽やかに、正確に、そして狂気的に――鼓動のように。
メロディも歌詞もない。ただ、“音”を鳴らすだけのパート。
けれどそこには、言葉以上の叫びがあった。
悠人はフロア中央で、拳を突き上げる。
結華が観客とぶつかりながらも、ギターをかき鳴らす。
蓮が肩を組まれながらも、客の波を泳いでいる。
全員が“音”になっていた。
バンドそのものが、もはやステージではなく観客の中に存在していた。
袖から見ていたバンドマンたちは、言葉を失っていた。
「……なにこれ、バケモノだよ」
柚葉がぽつりと呟く。
「曲でもなんでもないのに、こんなにフロア掴むか……?」
橘一誠が腕を組んだまま、目を見開いていた。
「これが……《まだ終わりじゃない》……」
真田は喉を鳴らしながら、ただ立ち尽くしていた。
全員が思った。
この光景は、常識じゃない。
音楽の枠すら越えている。
だが、それこそが彼らの真骨頂――“ライブバンド”としての、頂点の姿だった。
音が鳴る限り、終わらない。
そう確信させられる、地鳴りのようなアンコール第2章だった。
3人がステージへ戻る頃には、会場全体が沸騰していた。
ステージに足をかけた悠人が、額の汗を拭い、マイクを再び握る。
その声はもう枯れていたが、逆にその“枯れ”こそが全てを物語っていた。
「なあ――」
悠人がゆっくりと、袖の暗がりへ目を向ける。
そこに、黙って様子を見ていた多くのバンドマンたちがいた。
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「……なに、燻ってんだよ。出てこいよ」
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袖の暗がりがざわつく。
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気づけば、ステージはパンパンになっていた。
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全員が自分の音を持ち寄り――ひとつの曲を鳴らそうとしていた。
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すべてを出し尽くしたその瞬間に、
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ステージの中央、マイクを握ったままの悠人が、ぐっと空を睨んだ。
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けれどその顔には――どこか笑みがあった。
「……なあ、今日来てくれた全部のバンドマン、スタッフ、観客」
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「――あんたらのこと、全員ブチ抜きに来たつもりだった」
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「でもな――俺たちだけじゃ、ここまで来れなかったって、今なら分かる」
ステージ袖には、出番を終えた仲間たちの姿。
フロアには、目を潤ませる観客の顔。
最前列には、ショートカットの女の子――あかねが、涙を流していた。
「……だから、ありがとう」
短いその言葉に、どこか“すべて”が詰まっていた。
歓声は上がらなかった。ただ、長い、長い拍手が鳴り響いた。
悠人はマイクを静かに置いた。
メンバーそれぞれが、楽器を抱えて一礼する。
ステージ袖へと戻っていく彼らの背中に、
観客の「またな!」や「最高だったぞ!」という声が重なっていく。
が――そのとき、
フロアのどこかから、誰かの叫びが響いた。
「……まだ終わりじゃない!!!」
一人の観客が拳を突き上げる。
「お前らなら、まだ行けるだろ!!!」
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「……やばいな」
蓮が笑う。
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誰かが叫ぶ。
「もう一度、《まだ終わりじゃない》!!!」
そして、地鳴りのような歓声が、SCREAM OUTの夜を、再び揺らした。
悠人が静かにマイクを拾ったとき、空気が一変した。
あれほど鳴っていた歓声が、不思議とぴたりと止まる。
「……最後にもう一曲だけ」
その言葉に、観客は息をのんだ。
誰もが、何が来るか分かっていた。
《無題》。
このステージのために取っておかれた、一度も披露されていない最後の曲。
蓮がベースを抱える。
結華は目を閉じ、音を待つ。
翼が、スティックを静かに交差させる。
音が始まる。
1音目は、限りなく静かだった。
ギターが夜の水面のように揺れ、
ドラムは呼吸のように淡く、
悠人の声は、まるで語りかけるようにフロアへ降りていく。
〈終わりって何だろう 名前がないこの痛みを〉
〈誰かに渡せないまま 僕は歌ってる〉
観客も、バンドマンも、関係者も、
ただ静かに、その“語り”を聴いていた。
中盤、結華のギターが光を強めていく。
だが、それでも爆発はしない。
〈この声はまだ 未完成なまま〉
〈でもそれでも それでも――〉
そして――ラスサビ。
ギターが轟き、翼のドラムが一気に解き放たれる。
悠人の声が叫びに変わる。
〈終わりじゃない! 今が始まり!〉
〈名前なんてなくても! ここにいるって!〉
〈俺たちの全部を、焼きつけろ!!!〉
フロアが爆発する。
立ち上がる観客。飛び跳ねる拳。
誰もがその叫びに呼応し、歌う、叫ぶ、泣く。
蓮がベースを振りかざすように掻き鳴らし、
結華が拳を突き上げながらリードを刻み、
翼はこの瞬間だけでドラムセットを壊すんじゃないかという勢いで叩き抜く。
――静寂からの爆発。
それがこの曲のすべてだった。
歓声は、曲が終わっても止まなかった。
ステージに残る彼らの背中に、
「ありがとう」と、「やばすぎる」が重なっていく。
この“最後の曲”は、名もなかった。
でも、誰よりも強く、
誰よりも確かに、“ここにいた”と証明した。
静まり返った野外ステージに、最後の一音が消えてから数分。
誰一人、動けなかった。
観客も、スタッフも、演者たちも、まるで“魂”だけが取り残されたように、しばらくその場に立ち尽くしていた。
《無題》のラスサビ――あの爆発的なエモーションは、
もはや言語化できるものではなかった。
「……すげぇ……なに今の……」
「泣きすぎて声出ない」
「人生変わったって、マジで言えるかもしれない」
出口に向かう道すがら、多くの観客が泣いていた。
バンドTシャツに涙が染み、パンフレットを胸に抱きながら、
「ヤバかった」とだけ繰り返していた。
誰かが呟いた。
「“無題”って曲名、完璧すぎるだろ……」
ステージ脇では、照明チームのリーダーが呆然と天を仰いでいた。
「……あの展開、誰が予想できたよ……」
「最後のアンコール含めて、全部がバグってた。いい意味で」
音響スタッフが真顔で言う。
「仕事忘れてた。手が震えてた。録音、ちゃんと入ってるよな……?」
業界席では、大小さまざまなレーベル、イベント主催者、ライターたちが一様に言葉を失っていた。
「おい、“あれ”をどう記事にするんだよ。文字が追いつかねぇ」
「マジで“時代”が変わったぞ。今日ここで」
ある有名音楽ライターが、ノートパソコンにただ一言打ち込んでいた。
『無題』――名前のない、完璧。
袖にいたバンドマンたちは、皆呆然としていた。
柚葉は、マイクを持つ手を見つめながら呟いた。
「まだ、負けてないと思ってた。でも――今日は、完敗だわ」
真田は、蓮がベースを鳴らしながら汗まみれになっていた姿を思い出していた。
「なんなんだよ……あの音圧、あの息の合い方。
ステージの真ん中にいたの、悠人じゃなくて《まだ終わりじゃない》そのものだった」
橘一誠は、黙って翼の演奏映像を頭の中で再生していた。
「“ドラムの奴”が……支配してた。音全体を、完全に」
誰かがぽつりと呟いた。
「もう一回……戦ってぇな、あいつらと」
そして、そのステージの一番後ろ、照明の陰に立っていた男――志賀零士は、
両手をポケットに突っ込んだまま、苦笑いを浮かべていた。
「“化けた”どころじゃねぇな……お前ら。とっくに、もう“鬼”だわ」
彼はステージを一瞥し、静かに踵を返した。
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お金が無くては生活出来ません!働いて稼いで、美味しい物を食べるんです(๑>◡<๑)
・・・えっ?全部ある?
働かなくてもいい?
ーーー惑わされません!甘い誘惑には罠が付き物です!
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目に止めていただき、ありがとうございます(〃ω〃)
未熟な所もありますが 楽しんで頂けたから幸いです。
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