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一章
12.秘密
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なんとか落ち着きを取り戻した香澄がお手洗いから戻ると、さっきまで座っていた席には別の男性が座っていた。
彼と談笑している安達は、香澄が戻ってきたことにまだ気付いていない。
先ほどの話題から元の席へ戻る気分になれなくて、どこか空いている席がないか探していると、少し離れたところから「久遠さん」と声をかけられた。それも、よく聞き慣れた声に。
「こっち、来れば?」
声の方を振り返ると、永瀬だった。
ちょうど人が立った後らしく、彼の右隣の空席に来るよう、香澄を手招きしている。
永瀬を囲む女性陣から一斉に突き刺さる鋭い視線。
中でも正面席の天沢は敵意剥き出しで睨みつけていて、まるで容赦がない。
居心地が悪い上、下手したら周囲に勘づかれてしまいそうなのでできれば遠慮したかったが、他に席もなく、香澄はやむをえずそちらへ足を向けた。
「すみません。ご挨拶遅れてしまいました。今後、同じフロアでお世話になります」
永瀬の隣に腰を下ろし開口一番に挨拶をすると、永瀬は「そういうの、気にしなくていいから」と笑って飲み放題メニューを渡した。
その時に少し指先が触れて、途端に鼓動が跳ねる。だが女性陣の殺気立つ雰囲気を読んで、なんとか平静を装った。
「えっと…カシスオレンジで」
そう答えると同時に店員が呼ばれて、香澄はひとつ息を吐いた。
永瀬のテーブルは営業部の人たちで埋まっていて、仕事の話や営業メンバーの話など、話題に事欠くことがなかった。
香澄はほとんど会話に入れずもっぱら聞き役だったが、そちらの方が性に合ってて気楽だった。
「そういえば、久遠さん」
周囲の話を聞きながらカクテルをちびちび飲んでいると、突然ななめ前の天沢に話を振られた。
「さっき安達さんとすごく楽しそうにお話してましたね。安達さんも、随分と久遠さんのことお気に入りみたいで」
言い方は丁寧だが、棘がある。まるで早く安達の元へ戻れと暗に言われているようだ。いや、おそらくその推測は間違いではない。
するとそこに別の営業事務の女性が言葉をかぶせた。
「安達さん、総務のみなさんが引っ越してきた時からずーっと言ってましたよ。久遠さん可愛い、仲良くなりたいって」
「そう、ですか…」
なんて返したらいいか分からなくて、香澄は新しい皿によそったばかりの煮込み料理を箸で切ったりしながらなんとか動揺を隠そうと試みた。
(――よりによって、永瀬さんの前でそんな話をされるなんて)
女性陣からの視線とは別の意味で、非常に気まずい。
「安達さん、いい人ですよ。仕事も頑張ってるし、もし気が合いそうなら考えてみてください」
「そうそう。ああ見えて、けっこう安達さんも人気あるんですよ」
「お二人、すごくお似合いだと思います!」
にこやかな笑顔で女性陣が口ぐちに言う。どうやら本気で安達と香澄をくっつけようとしているらしい。少しでも永瀬に近づくライバルを減らしたいのだろう。
「おい、あんまり困らせるなよ。総務部長や町谷に俺が叱られる」
香澄が答えに窮していると、横から永瀬が助け舟を出してくれた。
「もし安達にセクハラされたりしたらすぐに報告して。即コンプラに通報するし。その時は査定も下げないとな」
「わ、課長、それ一歩間違えたらパワハラですよ!」
皆が一斉に笑って、香澄も合わせるようにぎこちなく笑った。が、くれぐれもそういったことにならないよう、肝に銘じねば。
「あ、査定といえば永瀬さん、今年の評価基準って…」
幸いにも香澄と安達の話題はそこで途切れ、彼女は内心ほっとして続きの話に耳を傾けた。
…と、箸を置いて膝の上に手を置いたとき、手の甲にふと温かいものを感じた。
見る必要もなくそれが何か分かって、香澄の心臓が大きく震えた――永瀬の手だ。
おのずと速くなる鼓動。
左手に感じるやけに熱い温もりは、香澄のものか永瀬のものか。
周囲の視線に注意しつつ、不自然にならないタイミングでちらりと彼を見上げたが、彼は全く表情を変えず部下との会話に応じていた。
永瀬の周囲にはもともと人が多く集まっているので、一人一人の席の間隔がとても狭い。
それ故におそらく他人からは完全に死角となっているし、永瀬と香澄の腕の距離もおかしくはないはずだ。
けれど、もし万が一、誰かに気付かれでもしたら――安達に隠した意味がないし、何より永瀬に迷惑がかかってしまう。
だから早く、この手を離さなければ。
こんなところで、リスクがあまりに高すぎる。そう分かっているのに…。
結局、香澄は自分からその手を拒むことができなかった。
暫くの間、二人の手はテーブルの下で密かに繋がれたままだった。
彼と談笑している安達は、香澄が戻ってきたことにまだ気付いていない。
先ほどの話題から元の席へ戻る気分になれなくて、どこか空いている席がないか探していると、少し離れたところから「久遠さん」と声をかけられた。それも、よく聞き慣れた声に。
「こっち、来れば?」
声の方を振り返ると、永瀬だった。
ちょうど人が立った後らしく、彼の右隣の空席に来るよう、香澄を手招きしている。
永瀬を囲む女性陣から一斉に突き刺さる鋭い視線。
中でも正面席の天沢は敵意剥き出しで睨みつけていて、まるで容赦がない。
居心地が悪い上、下手したら周囲に勘づかれてしまいそうなのでできれば遠慮したかったが、他に席もなく、香澄はやむをえずそちらへ足を向けた。
「すみません。ご挨拶遅れてしまいました。今後、同じフロアでお世話になります」
永瀬の隣に腰を下ろし開口一番に挨拶をすると、永瀬は「そういうの、気にしなくていいから」と笑って飲み放題メニューを渡した。
その時に少し指先が触れて、途端に鼓動が跳ねる。だが女性陣の殺気立つ雰囲気を読んで、なんとか平静を装った。
「えっと…カシスオレンジで」
そう答えると同時に店員が呼ばれて、香澄はひとつ息を吐いた。
永瀬のテーブルは営業部の人たちで埋まっていて、仕事の話や営業メンバーの話など、話題に事欠くことがなかった。
香澄はほとんど会話に入れずもっぱら聞き役だったが、そちらの方が性に合ってて気楽だった。
「そういえば、久遠さん」
周囲の話を聞きながらカクテルをちびちび飲んでいると、突然ななめ前の天沢に話を振られた。
「さっき安達さんとすごく楽しそうにお話してましたね。安達さんも、随分と久遠さんのことお気に入りみたいで」
言い方は丁寧だが、棘がある。まるで早く安達の元へ戻れと暗に言われているようだ。いや、おそらくその推測は間違いではない。
するとそこに別の営業事務の女性が言葉をかぶせた。
「安達さん、総務のみなさんが引っ越してきた時からずーっと言ってましたよ。久遠さん可愛い、仲良くなりたいって」
「そう、ですか…」
なんて返したらいいか分からなくて、香澄は新しい皿によそったばかりの煮込み料理を箸で切ったりしながらなんとか動揺を隠そうと試みた。
(――よりによって、永瀬さんの前でそんな話をされるなんて)
女性陣からの視線とは別の意味で、非常に気まずい。
「安達さん、いい人ですよ。仕事も頑張ってるし、もし気が合いそうなら考えてみてください」
「そうそう。ああ見えて、けっこう安達さんも人気あるんですよ」
「お二人、すごくお似合いだと思います!」
にこやかな笑顔で女性陣が口ぐちに言う。どうやら本気で安達と香澄をくっつけようとしているらしい。少しでも永瀬に近づくライバルを減らしたいのだろう。
「おい、あんまり困らせるなよ。総務部長や町谷に俺が叱られる」
香澄が答えに窮していると、横から永瀬が助け舟を出してくれた。
「もし安達にセクハラされたりしたらすぐに報告して。即コンプラに通報するし。その時は査定も下げないとな」
「わ、課長、それ一歩間違えたらパワハラですよ!」
皆が一斉に笑って、香澄も合わせるようにぎこちなく笑った。が、くれぐれもそういったことにならないよう、肝に銘じねば。
「あ、査定といえば永瀬さん、今年の評価基準って…」
幸いにも香澄と安達の話題はそこで途切れ、彼女は内心ほっとして続きの話に耳を傾けた。
…と、箸を置いて膝の上に手を置いたとき、手の甲にふと温かいものを感じた。
見る必要もなくそれが何か分かって、香澄の心臓が大きく震えた――永瀬の手だ。
おのずと速くなる鼓動。
左手に感じるやけに熱い温もりは、香澄のものか永瀬のものか。
周囲の視線に注意しつつ、不自然にならないタイミングでちらりと彼を見上げたが、彼は全く表情を変えず部下との会話に応じていた。
永瀬の周囲にはもともと人が多く集まっているので、一人一人の席の間隔がとても狭い。
それ故におそらく他人からは完全に死角となっているし、永瀬と香澄の腕の距離もおかしくはないはずだ。
けれど、もし万が一、誰かに気付かれでもしたら――安達に隠した意味がないし、何より永瀬に迷惑がかかってしまう。
だから早く、この手を離さなければ。
こんなところで、リスクがあまりに高すぎる。そう分かっているのに…。
結局、香澄は自分からその手を拒むことができなかった。
暫くの間、二人の手はテーブルの下で密かに繋がれたままだった。
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