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一章
挿話 懸想のランチタイム2 ※永瀬視点
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結局四人でランチしようということになり、揃って執務スペースを出た。
宮原達が一緒なのは想定外だが、香澄と業務以外での関わりを持つという意味では当初の目的どおりとも言える。
それに同期達の扱い方は心得ているし、うまく避ければ毒にはならないだろう。
廊下は狭いわけではないが、かといって人が行き交う昼休みに四人が並んで歩ける広さでもない。
自然と二列になって歩く中で、さりげなく永瀬は香澄の隣に滑り込んだ。
嬉しい反面、緊張もするが、ここで怯むわけにはいかない。
食堂に辿り着くまでのわずかな時間で、少しでもこの関係を前進させたかった。
「久遠さんは食堂じゃない時は自席で食べてるんだっけ」
永瀬は話を途切れさせないように意識しつつ、前を歩く宮原と町谷が話に割って入ってこれないよう、あえて少し距離をあけて歩いた。
何気ない風を装いながらも、彼の頭の中はタイミングを伺うのに必死だ。
何とかして連絡先を聞き出したい。だが軽い男だとも思われたくもないので、ここは焦らず、慎重に…。
「はい。食堂がレディースデーの水曜ぐらいですね、執務スペースから出るのは」
「ずっと職場で、息が詰まったりしない?」
「平気です。むしろ動きたくないくらいで。だからご飯も持参しますし」
「前にそう言ってたね。弁当買うんだっけ?」
「そうです。節約のために作ることもありますが、朝に弱くて」
「俺も朝は苦手だな。毎朝目覚ましと死闘してる」
「ふふっ、死闘ですか。なんだか壮絶ですね」
永瀬を見上げて、香澄が笑った。
その上目遣いだけでも心臓が騒ぎ出すのに、笑顔が伴えばひとたまりもない。
可愛い。もっと笑って欲しい。
近づきたい、手を握りたい。
細い肩を抱き寄せて、潤う唇にキスしたい。
――そんな本音を隠しながら、会話を繋ぐ。
「だから朝に弁当作るっていうだけで本当に尊敬する。せめてもう少し時間に余裕持てたらいいんだけど。かといって、早くベッドに入ってもなかなか寝付けないんだな、これが」
「うわあ、私もです。体を温めたり色々してみるんですけど、なかなか難しいですね。理由の一つに、枕が合ってない可能性があるらしいですよ。なのでオーダーメイドの枕とか気になってるんですけど、通販は嫌で。実際に触って決めたいというか…。店舗に行ってみたいんですが、車がないと行けないところにあるんです。レンタカー借りるにも、私ペーパーなので」
運転する勇気がなかなか、と苦笑する香澄を見て、今だ、と永瀬は思った。
連絡先を聞き出すきっかけ。二人で会う約束。
そのチャンスが今、目の前に差し出されている。当然、これを見逃す理由はない。
冷静を取り繕いながら、永瀬は思い切って言葉を紡ぐ。自然と、声に力がこもった。
「そうなんだ。俺、車持ってるからよかったら今度――」
「カスミン、今日のレディースセットはチキン南蛮だって!良かったねえ!」
と、その瞬間、なんともタイミング悪く前方から町谷の声が響いて永瀬の言葉に重なった。
見やると、食堂はもうすぐそこだ。入口に飾られている案内板を指差しながら、町谷が香澄を手招きしている。
「え、ほんとですか?やった!」
香澄は目を細め、町谷のところに小走りで駆けていく。
町谷と並ぶようにしてメニューを覗き込むと、その眩しい笑顔が輝きを増した。
「わ、しかも今日のデザートは自家製プリンなんですね。嬉しい」
「食堂の自家製プリン、美味しいよね~。なめらかで濃厚で大好き。私もレディースセットにしようっと」
そう言った町谷に香澄は微笑んで頷くと、思い出したように永瀬を振り返った。
「あ、すみません永瀬さん。お話の途中でしたね。あの、何か言いかけて…?」
香澄は促したが、さっきとは違い、すぐそこには町谷と宮原もいる。
ここで誘いの言葉を続けるのは、かなり気まずい状況だった。
「あ…いや。大したことないから、大丈夫。じゃあ久遠さんはレディースセットでいいかな?」
「はい!」
「ん、了解」
表面上は笑顔を作ったものの、せっかくのチャンスを逃してしまったことに内心落胆を隠せない。
だが、強引に押し通すこともできない。
まだきっとチャンスはあるはずだから、ここは一旦引いたほうが得策だろう。
「私、トイレ行ってくる。社員証渡すから、私の分も一緒にオーダーしてくれない?あとでお金払う」
町谷が永瀬を見上げて言った。
自社の食堂は、よくあるフードコートと同じで、事前にオーダーして出来上がると呼び出される形式だ。
レディースセットのオーダーは女性限定だが、オーダー時に社員証を提示すれば、代理購入が可能だった。
「いいよ。いつもどおり送金しといて」
永瀬は短く頷いて答えた。
同期で飲む時も、誰かが一旦立替え、あとで全員からキャッシュレスで回収することが多い。”いつもどおり”で会話が通じるのはそのためだ。
「ありがとう!じゃあこれ、社員証」
町谷は首にかけていた社員証を外すと永瀬に手渡し、食堂のすぐそばにある女子トイレへと消えていく。
それを見送って、香澄が男二人を見上げた。
「永瀬さんと宮原さんは何になさいますか?」
「俺はA定にしようかな」
永瀬は答えた。今日のA定食は生姜焼きだ。
午前中は外出していたので腹が減っているし午後は戦略会議の予定なのでガツンといきたい。
すると、そんな永瀬の肩を宮原が叩いた。
「気が合うな永瀬、ついでに俺のも一緒に頼むわ」
なんとこの男は奢ってもらうことをまだ諦めていないらしい。
どこまでも図々しい奴である。
「自分で頼めよ」
「俺も後払いするからさ~」
「利子10パーね」
「は?ひどくね?町谷からも利子とるのかよ」
「とらない、お前と違って踏み倒すことがないからな」
「うっ!」
「行こう、久遠さん」
煩わしい同期など放って、永瀬は香澄を食堂の中へと促した。
踏み倒してないちょっと忘れてただけじゃん、と拗ねたような声がすぐ後ろから聞こえてくるが、気に留めるつもりもなければその必要もない。
そもそも宮原さえいなければ今日こそ香澄を二人きりのランチに誘えていたはずなのだ。
そう考えるとますます憎たらしく思えてきて、自ずと厳しい態度になる。ただの八つ当たりだと分かっていても。
「お二人は本当に仲良しなんですね。私、同期とは疎遠なので、すごく羨ましいです」
宮原と永瀬を見上げて微笑む香澄の言葉は、永瀬にとっては心底遺憾だったらしい。彼は大きく顔を顰めた。
「いや別に仲良くはない。同期だし仕事で絡むことも多いから仕方なく」
「そう照れんなって。俺ら、同期の中でも一番仲いいじゃん。ちなみに俺はお前のこと好きだよ?」
「やめろ。お前に好かれてもな…」
ため息まじりの永瀬の言葉を、宮原が目ざとく拾う。
「何、その意味深な言い方。まるで他に好かれたい奴でもいるようだな」
――ああ、いるよ。いま、目の前に。
「永瀬さんのこと嫌いな人なんて、いないと思いますよ」
――なら、俺と付き合って。
頭の中では簡単に言えるのに、口にするとなるとこんなに難しい。
まるで越えられない高い壁がそこにあるかのようだ。
仕事ではすらすらと嘘も並べられるのに、彼女の前では途端に臆病になる。なんて情けないことだろうか。
「ありがとう。そう言ってもらえると日々の努力が報われるよ」
「ほう、つまり素顔は隠していると?」
訳知り顔で宮原が覗き込んでくる。
いちいち香澄との会話に割り込んできて、そろそろ本当にうざくなってきた。
「お前もだろ」
「えーなんの話?」
宮原が惚けたが、永瀬はうんざりした視線を投げただけで取り合うのをやめた。
反論できなくはないが、それすら楽しむような男なのだ、宮原は。つまるところ、究極に面倒くさい。
「想像できないです。私の中ではお二人ともそのままのイメージなので。特に永瀬さんは何があっても穏やかで怒らなさそうな」
「本当?俺、この短時間の間に二十回は頭の中で宮原を張り倒してるけどね」
「ああ、それは…うん、仕方ないと思います」
「いやだからさ、二人とも俺の扱いがなんか雑なのよ、さっきから!」
嘆く宮原に、香澄は楽しそうに笑っている。
彼女の笑顔はそれだけで特別だ。何より、永瀬を嬉しい気持ちにさせた。
そうして今日も思い知る。彼女が好きだという、どうしたって抗えない真実を。
たとえ彼女にとって自分が何の意味を持たなくても、想いが叶う可能性がどれほど低かろうと――諦めたくない。
だから一歩ずつでもいい。少しずつ近づいて、距離を縮めて、そうしていつかその笑顔を誰より一番側で見られたなら。
「俺らオーダーしてくるから、久遠さんは先に席とっててくれる?」
決して狭い食堂ではないが、多くの社員で混雑するこの時間帯では場所取りが最優先だ。
見渡してみれば、席はもう2/3ほど埋まりつつある。
ぐずぐずしていたら四人で食べることができなくなるだろう。
「承知しました。では私の社員証もお預けします。お水、汲んでおきますね。すみません、本当にご馳走になって。ありがとうございます」
香澄は永瀬に社員証を渡し、丁寧に頭を下げると、空きスペースを探しながら飲食スペースへと歩きだした。
その背中を見送りながら永瀬は思う――きっと、いつか必ず振り向かせてみせる。
その小さな手を取って抱き寄せてキスして、どんな些細な仕草も表情も見逃さない。
彼女すら知らない彼女を知って、誰よりも一番近くで、どんな時でも彼女を守れる男になる。なってみせる、必ず。
「――で、誰なの好かれたい人って?」
声が届かない距離まで香澄の背中が遠のいた頃、にやり顔で宮原が尋ねた。
本当は気付いているだろうに、嫌味なやつだ。
そもそも、そうでなければこの男がこれほどしつこく絡んでくるわけがないのだ。
おそらく、永瀬の恋心を揶揄いたい一心なのだろう。
「うるさい」
「俺とお前の仲じゃん」
覗きこむ目は完全に面白がってる。ますます言いたくない。
「お前にだけは教えない」
「素直じゃないねえ」
「それはお互い様」
言い捨てたら、宮原がははっと笑った。
「永瀬さー、仕事だとあんなにガツガツ攻めるくせに、プライベートになると急に奥手になるのなんなの?思春期なの?」
「黙れ」
「モテるのに全然遊ばないし、誰か紹介してやるって言っても頑なに拒むからずっと疑問に思ってたけど…なるほど、そういうことね。いいと思う、そういう誠実で一途なところ。男としては正直理解できねーけど、元上司としては安心して任せられるっつーか」
その言葉に、永瀬は隣の宮原を睨みつけた。
――ほらやっぱり気付いている。
確信犯決定、うざいを通り越して怒りすら沸いてきた。
「おーおー、そんな怖い顔すんなって。大丈夫、俺は味方だよ?あの子、結構人気あるのになかなか隙がないらしいじゃん。協力してあげるよ、何してほしい?連絡先もう知ってんの?まだなら教えてやろうか。飲みに誘うのはどう?そんで最後は二人きりにしてやるから」
善人面で宮原は言ったが、冗談じゃないと永瀬は思った。
大体、そんなことしたら一生分の貸しがあるとこの先ずっと言われるに決まっている。そもそも、この男の協力など端から当てにしていない。
「構うな、近づくな、連絡先消せ、以上」
「ははっ、なんだそりゃ。おもろー、お前でも嫉妬すんのな。マジで応援してる、頑張れ」
「だからうるさいんだよ、さっきから。いい加減その口閉じろ」
「へーへー」
降参とでも言うように両手をあげて笑う宮原を躱して、永瀬はオーダーの列に向かう。
この調子では、いつかこの想いが実ったとしても色々と横槍を入れられそうで今から憂鬱だ。それこそデートについていきたいとか言い出しかねない。
隠し通せるとは思っていないが、だからといってあまり積極的に打ち明けたくもないことは確か。
宮原と二列で並びながら視線を飲食スペースの方へ向けると、無事に席を確保した香澄の正面席にトイレから戻った町谷が座るところだった。
楽しそうに談笑する香澄の笑顔からは、目の前の人物に絶対的な信頼を寄せていることが伝わってくる。
いつか自分もそんな存在になれたら、どれだけ幸せなことだろう。
「おーい永瀬くーん、誰見てんの?」
宮原が気持ち悪い笑顔を浮かべながら肘でつついてきたので、永瀬は視線を前に戻した。
「べつに誰も」
「ふーん?」
意地汚い同期を横目で牽制したところで列が進み、ようやくオーダーの順番が来た。
直後に隣の列の宮原もオーダーで呼ばれたようだ。
いつもならこの後宮原を待つのだが、今日はそんな気分にはなれなかった。
三人分の呼び鈴を受け取るなり、永瀬はさっさと列から離れていく。
だがそんな永瀬に宮原も気付いているのだろう、手早く自分のオーダーを済ませると、速足でめげずについてきた。
そもそもこちらは三人分のオーダー、あっちは一人分なのでそこで時間を詰められたせいもある。
「ひどいなー泣きそうだよ俺」
「勝手に泣いてろ」
冷たく言い捨てた永瀬だが、宮原はさも可笑しそうに笑っている。
やはり、全く堪えていないらしい。
「そんな急がなくてもさあ、隣は譲ってやるって」
小さな声で宮原が囁いた。
彼なりの気遣いなのだろうが、そんな優しさを見せられたところで永瀬の表情は依然堅いままだ。
――当たり前だ、そんなことしたら本当に張り倒してやる。
そう心の中で呟きながら、永瀬は奥の席で待つ香澄の元へと急ぐ。
言われるまでもなく、彼女の隣に座るために。
宮原達が一緒なのは想定外だが、香澄と業務以外での関わりを持つという意味では当初の目的どおりとも言える。
それに同期達の扱い方は心得ているし、うまく避ければ毒にはならないだろう。
廊下は狭いわけではないが、かといって人が行き交う昼休みに四人が並んで歩ける広さでもない。
自然と二列になって歩く中で、さりげなく永瀬は香澄の隣に滑り込んだ。
嬉しい反面、緊張もするが、ここで怯むわけにはいかない。
食堂に辿り着くまでのわずかな時間で、少しでもこの関係を前進させたかった。
「久遠さんは食堂じゃない時は自席で食べてるんだっけ」
永瀬は話を途切れさせないように意識しつつ、前を歩く宮原と町谷が話に割って入ってこれないよう、あえて少し距離をあけて歩いた。
何気ない風を装いながらも、彼の頭の中はタイミングを伺うのに必死だ。
何とかして連絡先を聞き出したい。だが軽い男だとも思われたくもないので、ここは焦らず、慎重に…。
「はい。食堂がレディースデーの水曜ぐらいですね、執務スペースから出るのは」
「ずっと職場で、息が詰まったりしない?」
「平気です。むしろ動きたくないくらいで。だからご飯も持参しますし」
「前にそう言ってたね。弁当買うんだっけ?」
「そうです。節約のために作ることもありますが、朝に弱くて」
「俺も朝は苦手だな。毎朝目覚ましと死闘してる」
「ふふっ、死闘ですか。なんだか壮絶ですね」
永瀬を見上げて、香澄が笑った。
その上目遣いだけでも心臓が騒ぎ出すのに、笑顔が伴えばひとたまりもない。
可愛い。もっと笑って欲しい。
近づきたい、手を握りたい。
細い肩を抱き寄せて、潤う唇にキスしたい。
――そんな本音を隠しながら、会話を繋ぐ。
「だから朝に弁当作るっていうだけで本当に尊敬する。せめてもう少し時間に余裕持てたらいいんだけど。かといって、早くベッドに入ってもなかなか寝付けないんだな、これが」
「うわあ、私もです。体を温めたり色々してみるんですけど、なかなか難しいですね。理由の一つに、枕が合ってない可能性があるらしいですよ。なのでオーダーメイドの枕とか気になってるんですけど、通販は嫌で。実際に触って決めたいというか…。店舗に行ってみたいんですが、車がないと行けないところにあるんです。レンタカー借りるにも、私ペーパーなので」
運転する勇気がなかなか、と苦笑する香澄を見て、今だ、と永瀬は思った。
連絡先を聞き出すきっかけ。二人で会う約束。
そのチャンスが今、目の前に差し出されている。当然、これを見逃す理由はない。
冷静を取り繕いながら、永瀬は思い切って言葉を紡ぐ。自然と、声に力がこもった。
「そうなんだ。俺、車持ってるからよかったら今度――」
「カスミン、今日のレディースセットはチキン南蛮だって!良かったねえ!」
と、その瞬間、なんともタイミング悪く前方から町谷の声が響いて永瀬の言葉に重なった。
見やると、食堂はもうすぐそこだ。入口に飾られている案内板を指差しながら、町谷が香澄を手招きしている。
「え、ほんとですか?やった!」
香澄は目を細め、町谷のところに小走りで駆けていく。
町谷と並ぶようにしてメニューを覗き込むと、その眩しい笑顔が輝きを増した。
「わ、しかも今日のデザートは自家製プリンなんですね。嬉しい」
「食堂の自家製プリン、美味しいよね~。なめらかで濃厚で大好き。私もレディースセットにしようっと」
そう言った町谷に香澄は微笑んで頷くと、思い出したように永瀬を振り返った。
「あ、すみません永瀬さん。お話の途中でしたね。あの、何か言いかけて…?」
香澄は促したが、さっきとは違い、すぐそこには町谷と宮原もいる。
ここで誘いの言葉を続けるのは、かなり気まずい状況だった。
「あ…いや。大したことないから、大丈夫。じゃあ久遠さんはレディースセットでいいかな?」
「はい!」
「ん、了解」
表面上は笑顔を作ったものの、せっかくのチャンスを逃してしまったことに内心落胆を隠せない。
だが、強引に押し通すこともできない。
まだきっとチャンスはあるはずだから、ここは一旦引いたほうが得策だろう。
「私、トイレ行ってくる。社員証渡すから、私の分も一緒にオーダーしてくれない?あとでお金払う」
町谷が永瀬を見上げて言った。
自社の食堂は、よくあるフードコートと同じで、事前にオーダーして出来上がると呼び出される形式だ。
レディースセットのオーダーは女性限定だが、オーダー時に社員証を提示すれば、代理購入が可能だった。
「いいよ。いつもどおり送金しといて」
永瀬は短く頷いて答えた。
同期で飲む時も、誰かが一旦立替え、あとで全員からキャッシュレスで回収することが多い。”いつもどおり”で会話が通じるのはそのためだ。
「ありがとう!じゃあこれ、社員証」
町谷は首にかけていた社員証を外すと永瀬に手渡し、食堂のすぐそばにある女子トイレへと消えていく。
それを見送って、香澄が男二人を見上げた。
「永瀬さんと宮原さんは何になさいますか?」
「俺はA定にしようかな」
永瀬は答えた。今日のA定食は生姜焼きだ。
午前中は外出していたので腹が減っているし午後は戦略会議の予定なのでガツンといきたい。
すると、そんな永瀬の肩を宮原が叩いた。
「気が合うな永瀬、ついでに俺のも一緒に頼むわ」
なんとこの男は奢ってもらうことをまだ諦めていないらしい。
どこまでも図々しい奴である。
「自分で頼めよ」
「俺も後払いするからさ~」
「利子10パーね」
「は?ひどくね?町谷からも利子とるのかよ」
「とらない、お前と違って踏み倒すことがないからな」
「うっ!」
「行こう、久遠さん」
煩わしい同期など放って、永瀬は香澄を食堂の中へと促した。
踏み倒してないちょっと忘れてただけじゃん、と拗ねたような声がすぐ後ろから聞こえてくるが、気に留めるつもりもなければその必要もない。
そもそも宮原さえいなければ今日こそ香澄を二人きりのランチに誘えていたはずなのだ。
そう考えるとますます憎たらしく思えてきて、自ずと厳しい態度になる。ただの八つ当たりだと分かっていても。
「お二人は本当に仲良しなんですね。私、同期とは疎遠なので、すごく羨ましいです」
宮原と永瀬を見上げて微笑む香澄の言葉は、永瀬にとっては心底遺憾だったらしい。彼は大きく顔を顰めた。
「いや別に仲良くはない。同期だし仕事で絡むことも多いから仕方なく」
「そう照れんなって。俺ら、同期の中でも一番仲いいじゃん。ちなみに俺はお前のこと好きだよ?」
「やめろ。お前に好かれてもな…」
ため息まじりの永瀬の言葉を、宮原が目ざとく拾う。
「何、その意味深な言い方。まるで他に好かれたい奴でもいるようだな」
――ああ、いるよ。いま、目の前に。
「永瀬さんのこと嫌いな人なんて、いないと思いますよ」
――なら、俺と付き合って。
頭の中では簡単に言えるのに、口にするとなるとこんなに難しい。
まるで越えられない高い壁がそこにあるかのようだ。
仕事ではすらすらと嘘も並べられるのに、彼女の前では途端に臆病になる。なんて情けないことだろうか。
「ありがとう。そう言ってもらえると日々の努力が報われるよ」
「ほう、つまり素顔は隠していると?」
訳知り顔で宮原が覗き込んでくる。
いちいち香澄との会話に割り込んできて、そろそろ本当にうざくなってきた。
「お前もだろ」
「えーなんの話?」
宮原が惚けたが、永瀬はうんざりした視線を投げただけで取り合うのをやめた。
反論できなくはないが、それすら楽しむような男なのだ、宮原は。つまるところ、究極に面倒くさい。
「想像できないです。私の中ではお二人ともそのままのイメージなので。特に永瀬さんは何があっても穏やかで怒らなさそうな」
「本当?俺、この短時間の間に二十回は頭の中で宮原を張り倒してるけどね」
「ああ、それは…うん、仕方ないと思います」
「いやだからさ、二人とも俺の扱いがなんか雑なのよ、さっきから!」
嘆く宮原に、香澄は楽しそうに笑っている。
彼女の笑顔はそれだけで特別だ。何より、永瀬を嬉しい気持ちにさせた。
そうして今日も思い知る。彼女が好きだという、どうしたって抗えない真実を。
たとえ彼女にとって自分が何の意味を持たなくても、想いが叶う可能性がどれほど低かろうと――諦めたくない。
だから一歩ずつでもいい。少しずつ近づいて、距離を縮めて、そうしていつかその笑顔を誰より一番側で見られたなら。
「俺らオーダーしてくるから、久遠さんは先に席とっててくれる?」
決して狭い食堂ではないが、多くの社員で混雑するこの時間帯では場所取りが最優先だ。
見渡してみれば、席はもう2/3ほど埋まりつつある。
ぐずぐずしていたら四人で食べることができなくなるだろう。
「承知しました。では私の社員証もお預けします。お水、汲んでおきますね。すみません、本当にご馳走になって。ありがとうございます」
香澄は永瀬に社員証を渡し、丁寧に頭を下げると、空きスペースを探しながら飲食スペースへと歩きだした。
その背中を見送りながら永瀬は思う――きっと、いつか必ず振り向かせてみせる。
その小さな手を取って抱き寄せてキスして、どんな些細な仕草も表情も見逃さない。
彼女すら知らない彼女を知って、誰よりも一番近くで、どんな時でも彼女を守れる男になる。なってみせる、必ず。
「――で、誰なの好かれたい人って?」
声が届かない距離まで香澄の背中が遠のいた頃、にやり顔で宮原が尋ねた。
本当は気付いているだろうに、嫌味なやつだ。
そもそも、そうでなければこの男がこれほどしつこく絡んでくるわけがないのだ。
おそらく、永瀬の恋心を揶揄いたい一心なのだろう。
「うるさい」
「俺とお前の仲じゃん」
覗きこむ目は完全に面白がってる。ますます言いたくない。
「お前にだけは教えない」
「素直じゃないねえ」
「それはお互い様」
言い捨てたら、宮原がははっと笑った。
「永瀬さー、仕事だとあんなにガツガツ攻めるくせに、プライベートになると急に奥手になるのなんなの?思春期なの?」
「黙れ」
「モテるのに全然遊ばないし、誰か紹介してやるって言っても頑なに拒むからずっと疑問に思ってたけど…なるほど、そういうことね。いいと思う、そういう誠実で一途なところ。男としては正直理解できねーけど、元上司としては安心して任せられるっつーか」
その言葉に、永瀬は隣の宮原を睨みつけた。
――ほらやっぱり気付いている。
確信犯決定、うざいを通り越して怒りすら沸いてきた。
「おーおー、そんな怖い顔すんなって。大丈夫、俺は味方だよ?あの子、結構人気あるのになかなか隙がないらしいじゃん。協力してあげるよ、何してほしい?連絡先もう知ってんの?まだなら教えてやろうか。飲みに誘うのはどう?そんで最後は二人きりにしてやるから」
善人面で宮原は言ったが、冗談じゃないと永瀬は思った。
大体、そんなことしたら一生分の貸しがあるとこの先ずっと言われるに決まっている。そもそも、この男の協力など端から当てにしていない。
「構うな、近づくな、連絡先消せ、以上」
「ははっ、なんだそりゃ。おもろー、お前でも嫉妬すんのな。マジで応援してる、頑張れ」
「だからうるさいんだよ、さっきから。いい加減その口閉じろ」
「へーへー」
降参とでも言うように両手をあげて笑う宮原を躱して、永瀬はオーダーの列に向かう。
この調子では、いつかこの想いが実ったとしても色々と横槍を入れられそうで今から憂鬱だ。それこそデートについていきたいとか言い出しかねない。
隠し通せるとは思っていないが、だからといってあまり積極的に打ち明けたくもないことは確か。
宮原と二列で並びながら視線を飲食スペースの方へ向けると、無事に席を確保した香澄の正面席にトイレから戻った町谷が座るところだった。
楽しそうに談笑する香澄の笑顔からは、目の前の人物に絶対的な信頼を寄せていることが伝わってくる。
いつか自分もそんな存在になれたら、どれだけ幸せなことだろう。
「おーい永瀬くーん、誰見てんの?」
宮原が気持ち悪い笑顔を浮かべながら肘でつついてきたので、永瀬は視線を前に戻した。
「べつに誰も」
「ふーん?」
意地汚い同期を横目で牽制したところで列が進み、ようやくオーダーの順番が来た。
直後に隣の列の宮原もオーダーで呼ばれたようだ。
いつもならこの後宮原を待つのだが、今日はそんな気分にはなれなかった。
三人分の呼び鈴を受け取るなり、永瀬はさっさと列から離れていく。
だがそんな永瀬に宮原も気付いているのだろう、手早く自分のオーダーを済ませると、速足でめげずについてきた。
そもそもこちらは三人分のオーダー、あっちは一人分なのでそこで時間を詰められたせいもある。
「ひどいなー泣きそうだよ俺」
「勝手に泣いてろ」
冷たく言い捨てた永瀬だが、宮原はさも可笑しそうに笑っている。
やはり、全く堪えていないらしい。
「そんな急がなくてもさあ、隣は譲ってやるって」
小さな声で宮原が囁いた。
彼なりの気遣いなのだろうが、そんな優しさを見せられたところで永瀬の表情は依然堅いままだ。
――当たり前だ、そんなことしたら本当に張り倒してやる。
そう心の中で呟きながら、永瀬は奥の席で待つ香澄の元へと急ぐ。
言われるまでもなく、彼女の隣に座るために。
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