つきせぬ想い~たとえこの恋が報われなくても~

宮里澄玲

文字の大きさ
27 / 59

27

しおりを挟む
 
 ダイニングに戻った一平は、とりあえず繭子が用意してくれたものを食べることにした。
 梅干しが載ったお粥はほんのり塩味で美味しかったし、鮭も柔らかく煮てありちょうどいい甘辛さで一平の好みだった。こういう素朴な家庭料理は久しぶりだった。他にも豆腐の卵とじや、蒸し焼きにしたささみにゴマだれを和えたものだったり、和風のおかずが何品も冷蔵庫に入っていて、自分ではあまり作らないようなおかずばかりだった。
 
 食後のコーヒーを飲みながら、どうしてさっきあんなことを口走ってしまったのか…と落ち込んだ。別に他意はなく自然に口から出てしまったのだが、考えてみたら彼女のような女性が男の家で気軽に風呂なんて入るわけないよな、俺に何か下心があるんじゃないかと警戒されてしまったかもしれない…だからあんなに慌てて出て行ってしまったんじゃないか…。はぁ…とため息が出た。でも、とにかく後日改めてきちんと礼だけはしたい。彼女の都合を聞かなければ、と思った時、初めて繭子の連絡先を知らないことに気がついた。ああ、俺って奴は……。一平は頭を抱えた。また店に来てくれるだろうか、もし俺に嫌気がさしてもう来てくれなくなったら…。一平の心に微かな痛みが走った。  

 自宅アパートに帰ってシャワーを浴びると繭子はベッドに突っ伏した。
 何もあんな逃げるように出て行かなくてもよかったのに……。マスターに失礼なことをしてしまった…。  
 一平が特に深い意味はなく単に親切心からああ言ってくれたのは分かっていた。だからこそ、自分は一平から女性として全く意識されていないことを改めて知らしめられたような気がして、いたたまれなくなったのだ。それに、一平がうなされて依子の名を呼んでいたのを聞いて、やはり彼の心に自分が入り込む余地がどこにもないということも……。でも、そもそもマスターが依子さんのことを愛し続けていても構わない、自分の想いが叶わなくてもいい、って決めたんだから、落ち込むこと自体が間違ってる。なのに……モヤモヤしてしまう自分が嫌になり、自己嫌悪に陥った。
 
 
 
 「ふーん…そうか……。で、それ以来、店には行ってないんだ?」
 「なんとなく行きにくくなっちゃって……仕事が立て込んでいたっていうのもあったし…」
 「マスター、急に繭ちゃんが来なくなって心配してんじゃないの?」
 「どうでしょう…。私はただの客の一人なだけですし…」
 「あのね~、ただの客が店のマスターを一晩中看病なんてする?」
 「それは、前にマスターに助けられたからそのお返しをしただけのことで。私が客の立場なのは変わりませんよ」  
 繭子の向かいに座っている男性は、軽くため息をつくとコーヒーを口に運んだ。
 そう、今、繭子は智久とレストランにいる。先日彼から連絡が来て、食事をしようということになったのだ。
 智久は繭子の協力のおかげで両親からの見合い攻撃がなくなって感謝していると言い、それは繭子も同じだったのでお礼を言って笑い合った。そして、お互いの近況を報告していた時、繭子はこの前のことを智久に話してしまった。  
 「でも、マスターは本当に繭ちゃんのこと何とも思ってないのかなぁ…。それだけ自分に献身的にしてくれたら感謝以上の気持ちが湧き上がると思うんだけどな…」
 「感謝はされましたけど、それ以上の気持ちはないですよ。寝ている時だってうわごとで奥様の名前を……」
 「でもさ、こう言っちゃあなんだけど、依子さん、だっけ? 彼女はもう亡くなってしまったんだよ。マスターには酷なことかもしれないけど、彼の心の中では彼女は生き続けることはできても実際に触れ合えることはできないんだよ。でも繭ちゃんは生きていて、話すことも触れることもできる、直に存在を感じることもできる。もし俺がマスターと友達だったら、奥さんのことを完全に忘れ去るのは難しいかもしれないけど、もうそろそろ新たな人生のパートナーを見つけてもいいんじゃない、その相手はすぐ近くにいるんだよ、って言えるんだけどな……。とにかく、生きている繭子ちゃんの方が絶対的に有利なのは間違いないんだよ」
 「智兄さん…」
 そう力説する智久の気持ちがとても嬉しかった。
 「ねえ、繭ちゃん、自分の気持ちは二の次でいい、なんて決めつけずに、彼に想いを伝えてみたら? もし、彼がいつか繭ちゃん以外の女性と再婚なんてことになったら? 本当に心から祝福できる? 自分の想いを伝えておけばよかったって絶対に後悔しない?」
 「それは……」
 決意したはずなのに、すぐに「うん」とは頷けなかった…。
 「……まあ、俺もあんまり偉そうなこと言えないけどね。じゃあ、お前はどうなんだ、自分だってカミングアウトする勇気なんてないくせに、ってね」
 智久が苦笑いをした。
 「ううん、そんなこと…。智兄さんの場合は私と違って同じ会社にいる人だし色々複雑な問題もあるからそう簡単にはいかないと思いますし……。そういえば、後藤さんはお元気ですか?」
 「最近、あいつも忙しくしててあまり社内で顔を合わせる機会がないんだけど、元気でやってると思うよ」
 「そうですか。仕事が落ち着いたらまた一緒に飲みに行けたり出かけたりできるといいですね。また、後藤さんとの楽しい話を聞きたいですし」
 「うん、そのうち俺から誘ってみる」
 「私も、自分は本当はどうしたいのか、もう一度よく考えてみます」
 「うん。俺は繭ちゃんの味方だから、いつでも相談に乗るからね。何かあったら連絡して」
 「ありがとう。私だって智兄さんの味方だし応援してますから」

しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

初恋の人

凛子
恋愛
幼い頃から大好きだった彼は、マンションの隣人だった。 年の差十八歳。恋愛対象としては見れませんか?

苺の誘惑 ~御曹司副社長の甘い計略~

泉南佳那
恋愛
来栖エリカ26歳✖️芹澤宗太27歳 売れないタレントのエリカのもとに 破格のギャラの依頼が…… ちょっと怪しげな黒の高級国産車に乗せられて ついた先は、巷で話題のニュースポット サニーヒルズビレッジ! そこでエリカを待ちうけていたのは 極上イケメン御曹司の副社長。 彼からの依頼はなんと『偽装恋人』! そして、これから2カ月あまり サニーヒルズレジデンスの彼の家で ルームシェアをしてほしいというものだった! 一緒に暮らすうちに、エリカは本気で彼に恋をしてしまい とうとう苦しい胸の内を告げることに…… *** ラグジュアリーな再開発都市を舞台に繰り広げられる 御曹司と売れないタレントの恋 はたして、その結末は⁉︎

睡蓮

樫野 珠代
恋愛
入社して3か月、いきなり異動を命じられたなぎさ。 そこにいたのは、出来れば会いたくなかった、会うなんて二度とないはずだった人。 どうしてこんな形の再会なの?

15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~

深冬 芽以
恋愛
 交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。  2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。  愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。 「その時計、気に入ってるのね」 「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」 『お揃いで』ね?  夫は知らない。  私が知っていることを。  結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?  私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?  今も私を好きですか?  後悔していませんか?  私は今もあなたが好きです。  だから、ずっと、後悔しているの……。  妻になり、強くなった。  母になり、逞しくなった。  だけど、傷つかないわけじゃない。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』

鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、 仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。 厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議―― 最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。 だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、 結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。 そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、 次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。 同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。 数々の試練が二人を襲うが―― 蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、 結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。 そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、 秘書と社長の関係を静かに越えていく。 「これからの人生も、そばで支えてほしい。」 それは、彼が初めて見せた弱さであり、 結衣だけに向けた真剣な想いだった。 秘書として。 一人の女性として。 結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。 仕事も恋も全力で駆け抜ける、 “冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。

処理中です...