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しおりを挟む夜になって雨が降り始めた。
天気予報を確認するとこれから大雨になるそうだ。
今は店内に客は誰もいない。この様子だとこれから客が来ることはないだろうと思った一平は、30分ほど早いがもう店を閉めることにした。雨がひどくならないうちにアルバイトの子を早めに上がらせた後、ドアの外のプレートを変えるために出ようとした時、カランと静かにドアが開いて、傘を閉じながら若くてスラリとしたサラリーマン風の男性が入ってきた。
「あ…すみません、もしかしてもう閉店ですか?」
「いえ、大丈夫ですよ。どうぞ」
初めて見るお客さんだな、しかもこんな雨の日に来てくれるなんて…。
カウンター席に座った男性は、ホットコーヒーをお願いします、と注文すると、一平のことを興味深そうに見つめた。しかし、ただ見つめるだけで何も言わない。
ん…? 何だろう、と訝しく思いつつ、一平はコーヒーの準備に取り掛かった。
それから男性はゆっくりを店内を見渡しながら呟いた。
「へぇ…すごいな……。彼女が言っていた通りだ……。アンティークの時計やら調度品が見事で確かに落ち着く空間かもしれない…」
それを耳にした一平は、もしかしてこの人の知り合いか誰かがうちの店に来たことがあるのかな、だから来てくれたのかなと思った。
「お待たせいたしました」
一平がコーヒーを出すと、男が、ありがとうございます、と言ってブルーのロココ調のカップをしげしげと眺めた。
「このカップもアンティークですか? 素敵ですね」
「はい。店で出しているカップ類は全て一点物のアンティークです」
「うわぁ、割ったら大変だ。気を付けて飲まなければ……いただきます」
熱いコーヒーをゆっくり味わいながら飲むと、男性は大きく頷いた。
「…とても美味しいです。ハーブティーが美味しいと聞いていたのですがコーヒーも絶品ですね」
「ありがとうございます。あの、お客様はどなたかにうちの店のことを聞いて来店してくださったのですか?」
男性が一平の顔を見つめた。
「あなたはここのマスターですよね? 僕は広岡智久と申します」
一平の顔色が変わった。この男が……! そして、彼の次のセリフにさらに動揺が走った。
「この前、坂井繭子さんとお見合いをしたんです。その時彼女からこの店のことを聞きました。今日たまたま仕事でこの近くに来たので寄りました」
えっ、何だって…!? ということは彼女はこの男と結婚するのか…!? さすがにそこまでは想像しておらず、カウンターの下で拳を強く握りしめた。
智久は一平の動揺を見逃さなかった。必死で平静を装っているが、自分に対して敵対心アリアリなのが丸分かりで、思わず笑ってしまいそうになった。これだけで一平の気持ちが分かった智久は、少しだけ安心させてやろうと思った。
「お見合いをしましたが、ただそれだけです」
「…? それだけとは…? あなた方は結婚するのではないのですか…? それに、なぜ私にその話を…?」
「これ以上は僕の口からは言えません。後は直接彼女に聞いてください」
智久はそう言うと黙ってコーヒーを飲んだ。一平はどうして彼がわざわざ繭子と見合いしたことを自分に知らせてきたのか気になったが、彼が口を閉ざしてしまったので一平はモヤモヤしながら洗い終わった食器類を黙々とふきんで拭いていた。
コーヒーを飲み終わった智久は勘定をしようと財布を出すと「サービスいたしますのでお代は結構です」と一平に言われたので、素直に財布をしまってから礼を言った。
「ありがとうございます。閉店間際に来てしまってすみませんでした。美味しいコーヒー、ごちそうさまでした」
「ありがとうございます。お気をつけてお帰り下さい」
智久はドアを開けて出ていく前に、一平に向かって真剣な面持ちで言った。
「これだけは言わせてください。彼女は僕にとって妹のような存在で、とても大切な子です。だからどうか彼女を幸せにしてやってください、よろしくお願いします」
「えっ…」
どういう意味だ…? 君たちの関係は一体何なんだ……?
一平は訳が分からないまま、頭を下げて出ていく智久の後ろ姿をただじっと見つめるだけだった。
智久は駅に向かいながら先ほどの一平の様子に笑いが込み上げた。
俺が彼女と見合いをしたと言った時のあの顔……! 一瞬鬼のような顔になってた。もし他のお客さんが見たらびっくりするだろうな……ハハッ…。
でも、一平の繭子に対する気持ちを知ることができてよかったと思った。
繭ちゃん、勝手にマスターに会いに行っちゃってごめんね。彼の態度次第では少しお節介を焼こうと思ってたけど、初めからそんなことする必要なかったね。まあ、ちょっと思わせぶりな発言を残しちゃったけど……。
とにかく、自信を持って大丈夫だよ。後は君が一歩踏み出すだけだ。頑張れ!
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