蠱惑

壺の蓋政五郎

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蠱惑『夢現』

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『見知らぬ駅で一人待っている。何を待っているのかよく分からない。ぼやっとした記憶しかない。トロッコ電車が入って来た。
「早く乗りな」
 私に言っているのだろうか。手荷物はない、ジーンズの尻ポケットに二つ折りの財布がある。
「あんただろう、早く乗りなよ」
 ランニングシャツを着た痩せた男が額から汗をだらだらと足元に落としている。私は言われるままに乗った。
「何処に行くんですか?」
「自分が分からねえのに俺が分かるか」
 おもったよりスピードが出ている。前に大きなカーブがあり円の内側は谷底のような気がする。予想通り脱線して私は宙に投げ出された。落ちたところは見知らぬ駅で家内が待っていた。私が手を振ってもにこりともしない。辺りは薄暗い、ホームに時計はなく時間もはっきりしない。焦げ茶色の電車がホームに入って来た。長い電車で後方は視力で追えない。
「とりあえず乗って大きな駅で降りよう」
 車内は混んでいて二人一緒に座れない。私は家内を座らせてドアの前に立った。次の駅で乗客全員が下車した。
「あんた達ここで下りなくていいのか」
 ハンチングを被った男が私を睨んで言った。私は家内の手を引っ張って男の言われるままに降りた。ホームには誰もない。改札がない。顔の薄い駅員に尋ねた。
「この駅は何処ですか?」
「ここは駄目ですよ、私が案内しましょう」
 駅員は私達を先導して歩きだした。しばらく行くと花屋があり開き戸を開けた。
「ここしかないですね」
 駅員が言った。家内が頷いた。私は花屋に入って花を見ている』

「昨夜君の夢を見たよ」
「あら、珍しいわね。どんな夢?」
「日記をね、夢日記を始める。まとまったら君に読ませてあげるよ」
 私は方眼紙ノートにペンを走らせた。

『私は中学校の教師になっている。女教師と一緒に校内を歩いている。女教師はずっと下を向いている。廊下で男子生徒と擦れ違う。生徒は私達を見て笑っている。私が連れ歩いている女教師、アレ好きで誰とでも何処ででも寝ると噂である。実は私もこの女教師とやりたくていた。ただ何処ででもやるつもりはない、自分はそんなはしたないことはしない、彼女の尊厳を冒したくない、それなりの場所を求めて移動していたのだった。体育館に入った。ジャージ姿の生徒達が運動をしている。その中を斜めに横断している時だった。私の友人、土建業をしている坪井と言う男が浴衣姿で私達を追い掛けて体育館に入って来た。そして何をするかと思ったら女教師を押し倒し服を脱がせに掛かった。女教師も進んで脱衣に協力している。半裸の女教師の股を広げて自分の浴衣を捲った。
「何をするんだ」
 私はバインダーで坪井を叩いた。
「痛い、痛い、何すんだよ」
 坪井は不思議そうな目で私を下から睨んだ。
「こんなとこでお前は人間の屑だ」
 坪井は立ち上がり開けた浴衣を直しながら立ち去った。私は女教師を抱え起こし着衣の乱れを直した。綿の下着が染みていた。そしてまた一緒に歩き出した。私も早くやりたい、だが適当な場所が見付からない。そして校庭から外に出た。辺りは暗くなってきた。歩けど歩けど場所が無い。小高い丘の上に不良少年が屯している。近寄って来て私達を取り囲んだ。どう見ても小学生それも低学年の不良集団だ。何も言わない。
「大人を舐めると痛い思いをするぞ」
 この子達なら赤子の手をひねる如く簡単に蹴散らせそうだった。子供達は笑っている。女教師も笑っている。私はひとりの少年を掴えて殴る蹴る絞める捩じるの暴力を加えた。その子以外はみな消えた。
「可哀そうにこんな子供を」
 横を通る老婆が目を顰めて行き過ぎた。
「さあ、行きましょうか」
 私達はまた歩き始めた』

 この夢は鮮明だった。特に女教師とやりたい、だけど他の犬畜生とは違い、二人だけの空間に拘るがために目的を果たせないジレンマは夢の中であっても苦しんだ。

『父親が難しい顔をして車で出かけた。高齢車の事故が多いから運転は控えるようにと母親もお願いしていた。平屋の大きな家だが決して裕福な内装じゃない。粗末なベニヤ張りの家で床もところどころ腐り、抜けているところもある。畳もボロボロで一番奥の窓のない部屋にもう一つ家がありそこに母親がいた。大きな握り飯を幾つも飯台に直に並べている。
「こんなに要らないんじゃないの?」
 私だと思う人物が母親に問う。母親は膨れて布団の中で握り飯を食べ始めた。暫くして父親が帰宅した。
「金が無い、金が無い」
 ぶつぶつ言いながら床の抜けた部屋に布団が敷いてあり朝早いからと寝てしまった。私は家を出て歩き回るうちに自宅までの帰り道が分からなくなってしまった。公道から私道に変わり行き止まりになり他所の二階を通り裏の階段を下りてまた他所の庭に出る。夫人が洗濯物を干していて挨拶すべきかどうか迷うが垣根の隙間から抜け出ると父親が地下足袋のコハゼを留めていた。
「何処に行くの?」
「仕事だよ、二日ばかり帰らない」
 私は母のいる部屋を探すがその部屋は消えている。そして抜けた床から落ちて暫く遊泳していたら先日の女教師と歩いていた』

 夢日記を始めてから夢を見る機会が多くなり、自然と記憶するようになった。忘れてしまいそうな短い夢は床から這い出て記す癖がついた。
「あなた、何をしているんですか?」
 三時を回ったばかりだが書斎に座っている私に家内が声を掛けた。
「日記だよ日記、夢日記始めると君にも伝えたじゃないか。ははあ、読みたいのかな、まだ駄目」
 私が笑うと家内は気味悪そうに戻りました。

『大きなラックの途中にいます。家具屋の倉庫のように高く重ねられたラックです。隣のラックとの隙間は50センチぐらいです。私はかなり上の方に居て、その隙間から隣のラックに移ろうともがいています。しかしそのラックの一段上には五年前に肝臓がんで死んだ一つ上の先輩が陣取っていて私を妨害するのです。上から覆い被さる先輩を下から押し上げようとしますが思うようにいかない。力尽きて下まで落ちると柔らかいクッションがありラックの街から出て行きました』

『喉が渇いて流しに立ち蛇口を捻ると赤い水が出て来たので赤ワインだと喜んで飲んだら苦くて吐き出しました。排水溝のずっと奥の方でカサカサと音がする。じっと見ていたら排水溝の蓋を跳ね上げて大きな蜘蛛が飛び出して来ました。蜘蛛はシンクを這い上がりマットに落ち、カウンターテーブルに沿って逃げました。するとその後を大きな百足が出て来て蜘蛛を追い掛けるのでした。
「おい、百足が出てきた」
 私は家内を呼びましたが知らん顔しているので仕方なく百足を踏み潰しました。だけど踏んだのは尻尾の方で頭はスリッパの上まで伸びて私の親指の付け根に嚙み付きました。私は頭に来てその百足を掴み握り潰すと家内が呼んでいる声が聞こえました』

「あなた、どうしたの?」
「百足だよ」
 私は家内に揺り起こされて奇声を発したようです。
「あなた最近少し変よ、夢日記止めたらどうです」
 私は百足の死骸を家内に見せてやりたくてシンク周りを舐めるように探しましたがいませんでした。ただ蜘蛛の足が一本落ちていたので家内に「ほら」と摘まんで揺らすと気持ち悪がって寝室に戻って行きました。
「あいつ等生命力が強いから」
 私は寝室の襖を少し開けて一言伝えました。
「きゃあ」
 驚いたようです。

『私は誰かに追われています。逃げているのは道ではなく水を張ったばかりの田んぼです。追い掛けて来るのは何だかよく分かりません。ただそいつも田んぼの泥濘に足を取られてなかなか私に追い付けないでいます。私は必至です。少しでも足を止めたらそいつに喰われてしまうからです。そいつが私の横に並びました。追い付いているのに私に襲い掛からないで並走している。もしかしたらこいつは弱いんじゃないかと思いました。私はそいつの後ろに回りました。そいつも必死です。私が左に逃げるとそいつは右に逃げました。二人の距離は離れる一方です』

 私は布団の中で汗をぐっしょりと掻いていました。枕カバーから枕本体まで染みています。夜中の三時でした。私は家内の寝室の襖を静かに開けて押し入れの枕カバーを探しました。
「何やってるの、あなた?」
「何をって枕カバーに決まってるじゃないか」
「今日取り替えたばかりですよ」
「だってびっしょりだよ、あれじゃいい夢みれないもんね」
 家内は気持ち悪そうに私を見つめ寝室から出て行きました。そもそもどこにしまっているかなんて知らない私には枕カバーの置き場所が分かるわけがありませんでした。仕方なく寝室に戻り枕を裏返して寝ることにしました。それでも濡れていると言う先入観が首筋に嫌な冷感を感じさせるのでした。

『若い女が私の前で足を組んでいます。丈の短いスカートなので内腿のずっと奥まで私の視線は潜り込んで行きました。顔を見るとまだ幼児です。しかし身体は成人で、その妖しい仕草は素人とは思えませんでした。その女の隣にもう少し、そう十代前半の女、この子も短いスカートです。そして私の前で左足を大きく上げてその足首を手で掴んだのです。子供用のパンツでしょうか、小さいので弾ける肉はほとんどがパンツからはみ出して、それにひどく汚れています。二人の少女は姉妹でしょうか顔を合わせては笑っています。そこにもう一人女がやってきました。この女はリクルート服を着ています。恥ずかしそうに下を向いていますが服を脱ぎ始めました。二人の少女も脱衣に協力しています。
「おかあちゃん、ブラジャー臭い」
 十代の女の子が幼児に向かって言いました。まさかこの二人が親子なわけはありません。
「おかあちゃん、ブラジャー小さい」
 そう言って幼児のブラジャーを外そうとしますが鉄で出来ているらしく爪を痛めてしまいました。するとリクルート服の女が剥がれかけた爪を自分の爪と差し替えました。そしてリクルート服の女は悶えているのです。何処かで見たことのある女。そうだ前に見た夢で私が連れ歩いた女教師だ。どうしてここにいるのだろう。幼児がパンツを脱いで肩の上でぐるぐる回しています。十代の女はそのパンツに合わせて首を回しています。
「そんなに回したら目が回るよ」
 二人は笑っています。リクルート服の女が立ち上がり凄い速さで歩き出しました。私は追い掛けますが駅で見失いました』

「そっちじゃない」
 そう言ったかどうか覚えていませんが、唸って上半身起き上がりました。その姿勢で首を左右に振ると左後ろに誰か居ます。死角なのでそのまま更に首を回すとコキッと首の関節が鳴りました。
「どうしたんだい、そんなとこで?」
 家内でした。
「あなたこそどうしたの?大声出して」
「首が疲れるから戻すよ」
 家内は自室に戻って行きました。私は書斎に行きさっきの夢を記しました。薄ぼんやりしている記憶をじっと考えていました。すると方眼帳の升目に切れ目があるのに気が付きました。万年筆で引っ掻いた傷でしょうか。漢字の『女』の左の『く』の字の頂点が升目と重なった部分です。私はペン先で切れ目を捲ってみました。五ミリほど剥がれました。帳面が切れているなら下のページの字が見えるはずですがおかしなことに灰色です。その切れ目を摘まんで持ち上げると不思議なことにどんどん広がる。顔が覗けるほど広げると中で何かが動きました。
「誰か居るの?」
 これも夢だと思いながらその穴に声を掛けて見ました。帳面一杯に広げて頭を突っ込んでみました。薄暗い、そう、急に夕立が来る前の薄暗さです。
「きょ」
 誰かが変な声を出しました。上半身突っ込んで左右を見渡しました。遠くでトロッコ電車が走っています。その辺りは灰色の田園風景が広がっていました。どこだここはと思いながらページから頭を出しました。そしてもう一度『女』の『く』の頂点の切れ目をペン先で捲ってみました。そうです、これは夢ではありません、夢の入り口なのです。そして他のページにもないか探してみました。『く』が升目と重なっていないと切れ目は生じない。ありました。女教師の『女』のくが升目と重なり少し捲れています。もしかしたら一緒に歩いた女教師と出遭えるかもしれません。いたらどうしよう、私が中に入ろうか、それとも引き摺り出してやろうか。でも家内に見つかるとまずい。想像するだけで欲が破裂しそうです。ペン先を当てました。広げました。灰色の世界、間違いありません、夢の入り口です。指先で摘まんで広げました。貼ったばかりのガムテープを剥がす程度の力加減、ゆっくりと広げるとそこは体育館です。顔を突っ込んで見回すとブルマ姿の学生が歩いています。そして入り口から体育館を斜めに歩いて来るのは私です。その後ろに女教師。友人の坪井が浴衣姿で女教師に襲い掛かりました。
「何だ坪井、貴様はどういうつもりだ」
 私が声を掛けると夢の私も女教師も友人の坪井も不思議そうにこっちを見ています。
「あなた何やってんの?」
 家内の声です。私はページから顔を引き抜いて家内を見ました。
「夢だよ、夢」
 私が笑うと家内は震えて声が出ませんでした。
「どうしたんだよ、そんなに震えて」
 家内は書斎から逃げ出すように出て行きました。私は朝まで夢の入り口をチェックしました。そして日の出の頃に帳面を閉じて床に就きました。
 目が覚めると既に夕方でした。キッチンのテーブルに家内の置き書きがありました。『耐えられません、恐ろしくてあなたの顔を見るのもつらい。しばらく留守にします。追伸、夢日記はあなたを壊します。破り捨ててください』
 馬鹿げたことを、どうせ行くあてなどありません。二~三日すれば頭を下げて帰ってくるでしょう。そうだ明後日は家内の誕生日、旅行に連れて行ってあげよう。勿論夢の世界旅行。私がページを大きく広げてエスコートしてあげよう。考えて見れば随分と苦労させた。還暦の祝いも兼ねて列車の旅もいい。その為にも一度散策にいかなければならない。今夜行こう、先ずは女教師をなんとかしよう。私は背広を着ました。革靴を履いてソフト帽を被りました。手には革の鞄、尻のポケットには財布、ハンカチ。そして夢日記帳を広げました。女教師が出演するページを開きました。『女』の『く』と升目が重なる染みのような跳ね上がり。ペン先で広げました。指でつまみました。ゆっくりと開いていくと夢も開けて行きました。帳面一杯に広げて、足から入りました。深いのかそれとも初めから着地面など無いのか、足が付きません。落ちても痛くはなく死なないことは学習済みです。下半身が夢の中に、出口を忘れてはいけないとページを閉じながら万年筆のペン先を升目に挟みました。夢の中から現の灯が見えます。あれ、家内だ。やっぱり心配になって帰って来たのでしょうか。慌てているのは私がいないからでしょう。後で還暦祝いに夢の話をしてあげましょう。その瞬間ふわっと落ちる感覚、夢の中で落ちるのと同じです。着地した所は体育館の入り口です。私の後ろには下を向いた女教師がいます。
「さあ、行きましょうか」
 私は女教師を誘った。そうだ名前を知らない、聞いてみようか。
「失礼ですがあなたの名前は?」
 女教師が顔を上げると友人の坪井でした。私は驚いて後ずさりしました。おかしい、夢では坪井は開けた浴衣姿のはずだ。
「坪井、こんなとこで何をしているんだ?」
 坪井は不思議そうな顔をしてじっと私を見つめています。
「お前の方こそここで何をしている。お前は俺の夢に出て来たな。教師に成り済まし俺をぶった。またここに来ると思っていたよ」
 同じ夢を見ていた。
「それで今のお前は誰なんだ?」
 坪井が夢の中にいるのか、やはり私と同じように現の世界から忍び込んだのか知りたかった。
「お前は夢のページから入り込んだのか?」
 坪井は薄笑いを浮かべて私に問いました。
「ああそうだ、お前は?」
「俺もだ」
「お前も夢日記を付けているのか?」
「そんなもんはつけていない」
 坪井は夢日記を付けていない、それならどうやってここに入り込んだのだろう。
「どうやって入り込んだんだ?」
「夢精するだろ、その時うつ伏せになると顔から夢の中に入り込める」
「出る時はどうする?」
「現の人物が登場した時に後ろから抱き付いて眠れば連れ出してくれる、人のことばかり聞いてお前はどうやって入ったんだ」
 私は真実を語るかどうか迷いました。私は坪井が嫌いです。坪井に後ろから抱き付かれたくありません。
「私はお前みたいにいやらしい入り方はしていない。それに出口はちゃんと覚えている」
 私は現から差し込む一筋の光を確認しました。しかし届かない高さでした。入る時は落ちたけど出る時はどうする。脚立でもあれば何とか手が届くがそれらしきものはない。まずいことに坪井が現からの一筋の光に気付いたようです。掌に載った光を転がしています。そして光の筋を追って上を見ました。ニコと笑って私を見ました。
「あれ?あれ出入口?」
 私は仕方なく頷ずきました。
「もし出たければ連れて行ってもいいが」
 私は坪井に肩車をさせ先に出てページを閉じてしまおうと考えました。
「どうやって?肩車じゃ届かないよ。俺はここに数度来ている。脚立があるから用意してあげよう。それよりお前はもう少し散歩した方がいいんじゃないのか、折角めかし込んできてあの女教師とやるつもりだろ」
 坪井が歯を剥きだして笑っています。
「一度戻ってもう一度作戦を練ってからにする」
「それじゃ脚立用意する、その代わり俺が先に登る、いいな。お前が考えているような悪さはしないさ」
 坪井は体育館の裏に行きました。私は窓から外を見て見ました。夢で見た光景以外はすべて灰色でした。そうです、夢以外の所には行けないのです。坪井は脚立を立てました。
「お先に」と鼻歌交じりに登りました。挟んだペン先に手を掛け広げました。頭を突っ込み脚立の最上段まで上りました。そして両手を突いて足を畳みながら現に入り込みました。そして出入り口から顔を突っ込み私を見ています。
「上れるものなら上ってな」
 どういう意味でしょうか。私は脚立に足を掛けました。しかしいくら上ろうにも手応え足応えがないのです。
「夢の中の道具は夢の中の人間でしか使えない。お前のように現から出入りした人間は夢の道具を使えない」
「それじゃお前はどうして上れたんだ?」
「夢でお前と会えたからさ、今夜は夢精の入り口からじゃない。女教師の夢を見ていたんだ」
 坪井は夢の入り口から首をぶら提げて笑っています。そして家内が顔を出した。
「あなた、今日は私の還暦祝いですよ。それが坪井さんですか?」
 家内が涎を垂らして笑っている。また坪井が顔を出した。
「それじゃな」
 坪井は出入り口を塞ぎました。私の夢日記を閉じたのです。
「ここは駄目ですよ、案内しましょう」
 顔の薄い駅員が私に言いました。仕方なく着いて行きました。そうだ、花屋だ、夢の中では花屋に連れて行ってくれた。そこで家内に還暦祝いの花束を買って待っていればきっと現に戻れるはずだ。
「ここしかないですね」
 花屋じゃない。トロッコ電車が入ってきた。
「あんただろ、早く乗りなよ」
 ランニング姿で大汗を掻いた男が言った。
「何処に行くんですか?」
「自分が分からねえのに俺が分かるか」
 仕方なく乗りました。前には大きなカーブがあります。恐らく私はあの谷底に落ちるでしょう。

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