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労災調査士『ファイル22 墜落(レッコ)』 3
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二和工業に入社してから十年後、まじめに勤める高品に『うちで鳶をしてみないか』と誘った親方がいた。それが織田であった。土工だが、鳶の人手が足りないときは、作業ズボンを七分ズボンに履き替えて俄か鳶をしていた。それを見た織田がこの男は使えると判断し誘ったのである。
青森の実家から洋二の一件を聞かされた高品は、ある日酒の席で織田にこぼした。その時期は横浜の現場が忙しい最中であった。織田は、そんないい息子を遊ばせておくのはもったいないからうちに連れて来いと勧めた。そしてゴールデンウィークを利用して洋二のアパートを訪ねたのであった。
「はっ、捨てた息子の惨めな姿を確かめに来たのか?」
「何言われてもしょうがねえ、おめえの言う通りだ。もし気が向いたらこっちに来ねえか、部屋は俺が用意するから、すぐに仕事しなくてもしばらく向こうの空気に慣れるまでのんびりしていていい、生活費は俺が面倒見る。俺が勤めてるとこの親方がよかったら連れて来いって声かけてくれた。悪い男でねえ、考えてみねえか、これ住所だ、立場は逆だがおめえの気持ちはよくわかる、説教するつもりも、そんな立場でもねえのもよくわかってる。身体だけは大事にしろや、その気になったら電話してくれ」
高品は歩き出した。
「けえんのか、こんな夜中に。タクシーなんか走ってねえぞ、東京と違うんだから」
「駅まで歩いて始発を待つ、三時間も待てば来る、どうってことねえさ」
「親と言われてそんなことできっか、泊ってけや、布団ならなんぼである」
突然の父親の来訪から三日目に洋二は高品に電話を入れた。佐和子のことを諦めたわけではないが、僅かの蓄えも半年間の酒代に消えてしまい、どうすることもできなくなってしまったからである。
アパートはこのまま残すことにした、佐和子達が帰ってきたとき、困るだろうと思ったからである。それにたいした荷物はない。佐和子達が帰らなくても、三ヶ月間は家賃を送り、その先は放っておけば大家が勝手に処分するであろうと考えていた。
高品は息子のために、すぐ近所の、風呂屋の前にあるアパートを借りた。親子の距離は二十数年ぶりに、煙草一本吸っているうちに行き来が出来るまでに縮まった。
洋二は高品の、少しのんびりすればいいじゃないかとの厚意を断り、越した翌日から現場に出た。半年間あび続けた酒が抜けるまで苦労したが、自衛隊で鍛えた強靭な肉体と精神力で頑張った。鳶職の最たる仕事である、高所作業もなんなくこなすようになった。
当時織田班は横浜の保土ヶ谷で高層マンションの現場を手がけていた。千六百戸が入居するこのマンションは、三年間、三期に及ぶビッグプロジェクトで、完成すればひとつの街が誕生し、周辺商店街にも多大の恩恵をもたらし、地域上げての歓迎ムードであった。
洋二がこの現場に来たのは三期工事半ばで、現場の職長を織田代理で父親の高品がその任にあたっていた。当初高品は、洋二を材料の片付けや運搬作業など職人達の手元をさせていたが、現場の空気にも慣れ、ある程度高所作業にも適応出来るようになったのを見計らって、安全回りのグループに入れた。このグループを率いていたのが、岡田であった。
「まったく、こんなことやったって無駄じゃねえか、すぐ外すようになるぞ」
岡田はあまりにもしつこい安全回りが無駄に思えて仕方なかった。今日設備した手摺は、明日左官屋が作業する前に外さなければならないのだ。これから整備する手摺と幅木を取り外し、命綱を掛けるための親綱を張るのだ。作業足場として完璧な形で他職に引渡し監督に確認させる、これが織田の手法であった。織田だけではなく親方なら誰でもそうさせるのである。そういう無駄作業は、作業員を多く確保をするための布石である。
「リフトは使えんのか、たけちゃん?」
「ボード屋が上げてるから当分駄目じゃねえのか」
安全回りは通常二~三人で回ることになっているが、洋二が加わったことにより、岡田、織田のいとこの瀬田、瀬田の弟で武の四人で回っていた。
高層ビル工事で、一番重要なのが材料の荷揚げである。この現場も大型クローラークレーンが五台も稼動しているがほとんどがP Cの取り付けに大方の時間を費やされている。
クレーンの使用割り振りは毎日13:00時から行われる打ち合わせ会議で決定する。この打ち合わせ会議での決定は絶対となるので、各職職長は、より有利な時間にクレーン使用の予約を主張する。しかし、工程を進めて行く上で、やはり躯体の建設が最優先となるのは当然であり、PC工法の現場ではPC屋がクレーン使用の主導権を握る。彼等にも厳しい取り付け個数のノルマがあり、途中でクレーンを他業者に貸すことを拒む。したがって、早出、残業、十時、十二時、十五時、休憩時間などに調整される。
PC工法の現場は躯体がすっかり建ちあがってから仕上げ業者、及び内装業者が乗り込むわけではない。外壁、床の取り付けが終了した下階から順次仕上げて行くのである。まず土工によって残材が片付けられ清掃される。続いて測量屋によって部屋の間仕切り等の墨出しが行われる。サッシ屋、硝子屋が風雨を遮断する。軽天屋によって軽量鉄骨で各部屋間仕切りがされる。電機屋が各所に配線をめぐらす、追ってそこにボード屋がボードという壁材を貼って行く。造作大工が床やフローリングを仕上げて行く。設備屋がユニットバス、トイレの設置、ボードが貼られるとクロス屋が壁紙を貼り仕上げて行く。途中に細かい作業は色々あるがこの繰り返しが千六百戸で行われるのだ。業者の乗り込む順序は決まっていて、後の業者が手の空いていることを理由に先に手がけてしまうと、本来先にやらなければならなかった業者は作業不可能になってしまう。仮に出来たとしても数倍の手間がかかる上、制度も落ちてしまう。だからこの後戻り作業を徹底的に無くそうと打ち合わせ会議で綿密にすり合わせて行くのである。
材料楊重にはもうひとつ建設用エレベーター(人も上り下り可能)と建設用リフト(荷物専用)がある。これは主にクレーンでは用の足さない内装業者が占有してしまう。これも打ち合わせ会議できっちりと時間割されていて、途中に割り込むことは非常に難しい。鳶職に至っては、随時空いているときに使うという暗黙の了解で成り立っているが、使用時間を制限されて、総動員で搬入及び楊重をしている業者に『一回貸せ』とはさすがに言いづらい。従って業者間の引継ぎを見計らって使用するのが慣例となっていた。
「しょうがねえなあ、終わるまで待つか、七階にクランプ(パイプとパイプを接続する金具で直交といって直角に接続するもの、自在といって角度が自由に交差接続できるもの、この二種類が主となる)が転がっているから、集めて十四階までかついで上がるか」
岡田は面倒臭そうにみんなに言った。
「ぼちぼちやってりゃあ十時になんだろう、一服したら材料をリフト前に用意しておいて、ボード屋が終わったら一回借りよう」
安全周り班では最年長の瀬田が言った。鳶としての技術力は岡田より瀬田の方が数段上であるが、監督や他業種とのやりとりが不得手の上、無断欠勤の多いことが織田の信用を欠いていた。弟の瀬田武は五年前まで織田の先代が経営していたパブで店長をしていた。まるで建築畑とは縁のない男であった。先代が死去し、景気がバブル以降急降下し、先代の娘が継いだそのパブも売却することに伴って織田グループに入ったのである。不器用で気の弱いこの男は、仕事覚えも異常に遅く、五年が経過した現在も安全回りで手元をしている。二和建設にとっても織田にしても技術力の有無はあまり関係ない。安い労働力で事故さえ起こさなければそれでいいいのだ。
「十四階終わったらなんかあんの?」
武が岡田に聞いた。
「他は何も言ってなかったなあ、予定を全部指示してくれりゃあいいんだけどなあ朝礼のあとによ、土方上がりの鳶さんだから段取り悪いんだ」
洋二は岡田が父親の高品を馬鹿にする発言を愛想笑いで堪えていた。二十年間ほったらかしにした父親ではあるが、それでも仲間から直接悪口を耳にするのは嫌であった。この頃から洋二は岡田を嫌い始めていた。
「それに何を言ってるのかさっぱりわかんないよ、訛っちゃってよ」
武が岡田の調子に合わせる。仕事はさっぱりだが煽てたり、賺したり相手に会わせるのは水商売が長かったせいか非常に長けていた。岡田に父親の悪口を言われるのは我慢出来ても、武に父親の悪口を言われると洋二は無性に腹が立った。経験は武の方が長いが、仕事は上であると洋二は自負していた。それは織田班の全員が認めている。ろくな仕事も出来ず、金魚の糞みたいに兄の瀬田について回るだけの男に、悪口を言う資格などないといつも思っていた。
高品の津軽弁は東京に出て三十年が過ぎても標準語に近づくことはなかった。それに加えて声が小さく、朝礼後のTBM(ツールボックスミーティング・各職が個別に集まりその日の作業と指示を確認するためのミーティングで、通常五分ぐらいで終了する)でも耳を済ませて暗号を解読しなければならなかった。岡田は岩手県出身なので高品の声さえ耳に届けば理解するのは難しくなかった。高品の訛りのひどさをばかにする岡田も相当訛っているし、瀬田も武も茨城県出身で尻上がりの独特の発音をしている。標準語圏で育った者が聞けば、茨城弁と岩手弁が手を組んで、津軽弁を攻撃している様は滑稽に思えてならないであろう。
安全回りが一組では間に合わなくなると、俄かにもう一組編成する。そのときのリーダーになるのが職長高品であり、武と洋二を指名して回ることが多かった。高品は岡田達が整備是正した足場を見て、『なんだありゃ』とその仕上がりにけちをつける。すると武が『誰がやったんだみっともねえなあ』岡田の指示とはいえ、その足場の組立に携わった武がとぼけて相槌を打つ。そんな武が洋二には虫けら以下に思えて踏み潰したくなる。しかし織田の親戚である遠慮と、父親に迷惑をかけたくなくて、歯茎にのめり込むほどの憎さを噛み締め、我慢していたのであった。
(五)
「おい、源さんが滑って落ちた」
高品にこの急報が届いたのは十一時を回ったときだった。横浜保土ヶ谷のマンションも躯体はすべて建ち上がり、現在は内装と外交工事が主流となり、残り少ない工期を、一日二十四時間フル稼働で竣工までの完成を目指し、まさにゼネコン職員は血眼になって作業を指揮していた。
着工当初に近隣との約束に基づき作成されたマニュアルも総崩れとなっていた。始業時間は七時三十分、騒音を伴う作業については九時より、作業終了時間については十八時まで、日曜祝祭日の作業は一切行わない。着工当初はその規則をうるさく指摘していた職員達も、切羽詰り、竣工に間に合わなかった場合の責任を考えると暢気なマニュアルなど頭から消えてしまい、現場に出て職人達に気合をかけて煽るようになっていた。
本来ならすべての工事を終え、とうに引き上げているはずの二和建設であるが、内部、外部の制度の悪い部分が多数あり、その部分の是正、補修工事をするための足場の架け払い工事に追われていた。
特にPCの精度が悪かった。素人が見ても一目瞭然なタイルの目地違いなど、外見で目立つ部分の是正工事が主であった。本来PC盤は、工場で製作され、大型トラックまたはトレーラーで輸送し、現場で下ろされ取り付けられるが、大竹工業ではその輸送コストを削減するために画期的な現場生産を実行している。
しかし工場のように作業空間が広くはない。現場面積は広大だが、躯体以外の空地はそれほど広くないのが現状である。それに工場と違い、製作する条件もかなり悪い。砂利の上に鉄板を並べた上でPC盤を作成しているのである。長いうちにはレベルも狂い、コンクリートを入れる型枠も歪んでくる。それになにより炎天下、鉄板上で作業しなければならない作業環境の苛酷さ、それが製品制度の甘さに繋がってくる。机上で描いた誤差ゼロの完璧は、職人達の環境と体調でズレが生じるが、微妙なずれは取り付けてみなければ発見出来ない。見た目の悪い箇所は中堅職員がすぐに是正するよう若い監督に指示する。鳶が足場を架ける。斫り屋(建設現場では主に打ち終えたコンクリートを壊す作業)が削いだり、切ったり、誤魔化しの効かないひどい箇所は最悪壊す。そのあとを左官屋、タイル屋、目地をうつ防水屋、そしてペンキ屋、全ての駄目作業が終わると足場を解体する。この作業が現場のあちこちで繰り返されている。この一連の駄目作業は当然予算には繰り込まれていない。莫大な経費が赤字を膨張させていく。工事が終わり、さて支払い段階になると大竹工業と下請け各社の折衝になる。元受は駄目作業で浪費した人件費、材料代を、請け負った業者の製品制度の甘さが招いた出費であるから受注金額から差し引くと脅かす。下請け各社は次の工事をちらつかせながらの恫喝に耐えられず、渋々引き上げる。下請け各社はそれを孫受けに、孫受けは職人に、悪の連鎖が底辺を直撃する。机上の計算通りにいかなければ赤字になる。コストを下げなければゼネコンは受注出来ない。最悪の景気の中で、積算、施工管理の甘さが、職人達の生活を圧迫しているのである。
バブル崩壊後、共同住宅所謂マンション工事で大手ゼネコンが高利益をあげることはまずない。利益どころか差し引きゼロであがれば成功と言ってよい。ほとんどが赤字覚悟で、その赤字幅をいかに抑えるかが現場所長以下スタッフの腕にかかっているのだ。腕というのは下請けいじめである。この現場もご多分に漏れずひどい赤字である。着工前から赤字になることは計算されていて、会社が想定した赤字内で竣工を迎えるために努力していた。だが既にこの現場は赤字幅の問題ではなくなっていた。いくら金がかかろうとなんとしても工期内に仕上げなければ社命に関わる一大事である。着工前から好評なこのマンションは、販売開始からひと月程度で完売となった。この八月半ばからはオーナーが続々と入居してくる。もう残り五十日を切った。内装関係、外構工事、入り乱れてのどたばた時に事故は起きた。
「もしもし、織田さん、源さんが落ちたらしい、俺もすぐ行くから、B棟の屋上、うん、倉田さんに連絡入れて、うん、状態?全然分からない、はいはい」
青森の実家から洋二の一件を聞かされた高品は、ある日酒の席で織田にこぼした。その時期は横浜の現場が忙しい最中であった。織田は、そんないい息子を遊ばせておくのはもったいないからうちに連れて来いと勧めた。そしてゴールデンウィークを利用して洋二のアパートを訪ねたのであった。
「はっ、捨てた息子の惨めな姿を確かめに来たのか?」
「何言われてもしょうがねえ、おめえの言う通りだ。もし気が向いたらこっちに来ねえか、部屋は俺が用意するから、すぐに仕事しなくてもしばらく向こうの空気に慣れるまでのんびりしていていい、生活費は俺が面倒見る。俺が勤めてるとこの親方がよかったら連れて来いって声かけてくれた。悪い男でねえ、考えてみねえか、これ住所だ、立場は逆だがおめえの気持ちはよくわかる、説教するつもりも、そんな立場でもねえのもよくわかってる。身体だけは大事にしろや、その気になったら電話してくれ」
高品は歩き出した。
「けえんのか、こんな夜中に。タクシーなんか走ってねえぞ、東京と違うんだから」
「駅まで歩いて始発を待つ、三時間も待てば来る、どうってことねえさ」
「親と言われてそんなことできっか、泊ってけや、布団ならなんぼである」
突然の父親の来訪から三日目に洋二は高品に電話を入れた。佐和子のことを諦めたわけではないが、僅かの蓄えも半年間の酒代に消えてしまい、どうすることもできなくなってしまったからである。
アパートはこのまま残すことにした、佐和子達が帰ってきたとき、困るだろうと思ったからである。それにたいした荷物はない。佐和子達が帰らなくても、三ヶ月間は家賃を送り、その先は放っておけば大家が勝手に処分するであろうと考えていた。
高品は息子のために、すぐ近所の、風呂屋の前にあるアパートを借りた。親子の距離は二十数年ぶりに、煙草一本吸っているうちに行き来が出来るまでに縮まった。
洋二は高品の、少しのんびりすればいいじゃないかとの厚意を断り、越した翌日から現場に出た。半年間あび続けた酒が抜けるまで苦労したが、自衛隊で鍛えた強靭な肉体と精神力で頑張った。鳶職の最たる仕事である、高所作業もなんなくこなすようになった。
当時織田班は横浜の保土ヶ谷で高層マンションの現場を手がけていた。千六百戸が入居するこのマンションは、三年間、三期に及ぶビッグプロジェクトで、完成すればひとつの街が誕生し、周辺商店街にも多大の恩恵をもたらし、地域上げての歓迎ムードであった。
洋二がこの現場に来たのは三期工事半ばで、現場の職長を織田代理で父親の高品がその任にあたっていた。当初高品は、洋二を材料の片付けや運搬作業など職人達の手元をさせていたが、現場の空気にも慣れ、ある程度高所作業にも適応出来るようになったのを見計らって、安全回りのグループに入れた。このグループを率いていたのが、岡田であった。
「まったく、こんなことやったって無駄じゃねえか、すぐ外すようになるぞ」
岡田はあまりにもしつこい安全回りが無駄に思えて仕方なかった。今日設備した手摺は、明日左官屋が作業する前に外さなければならないのだ。これから整備する手摺と幅木を取り外し、命綱を掛けるための親綱を張るのだ。作業足場として完璧な形で他職に引渡し監督に確認させる、これが織田の手法であった。織田だけではなく親方なら誰でもそうさせるのである。そういう無駄作業は、作業員を多く確保をするための布石である。
「リフトは使えんのか、たけちゃん?」
「ボード屋が上げてるから当分駄目じゃねえのか」
安全回りは通常二~三人で回ることになっているが、洋二が加わったことにより、岡田、織田のいとこの瀬田、瀬田の弟で武の四人で回っていた。
高層ビル工事で、一番重要なのが材料の荷揚げである。この現場も大型クローラークレーンが五台も稼動しているがほとんどがP Cの取り付けに大方の時間を費やされている。
クレーンの使用割り振りは毎日13:00時から行われる打ち合わせ会議で決定する。この打ち合わせ会議での決定は絶対となるので、各職職長は、より有利な時間にクレーン使用の予約を主張する。しかし、工程を進めて行く上で、やはり躯体の建設が最優先となるのは当然であり、PC工法の現場ではPC屋がクレーン使用の主導権を握る。彼等にも厳しい取り付け個数のノルマがあり、途中でクレーンを他業者に貸すことを拒む。したがって、早出、残業、十時、十二時、十五時、休憩時間などに調整される。
PC工法の現場は躯体がすっかり建ちあがってから仕上げ業者、及び内装業者が乗り込むわけではない。外壁、床の取り付けが終了した下階から順次仕上げて行くのである。まず土工によって残材が片付けられ清掃される。続いて測量屋によって部屋の間仕切り等の墨出しが行われる。サッシ屋、硝子屋が風雨を遮断する。軽天屋によって軽量鉄骨で各部屋間仕切りがされる。電機屋が各所に配線をめぐらす、追ってそこにボード屋がボードという壁材を貼って行く。造作大工が床やフローリングを仕上げて行く。設備屋がユニットバス、トイレの設置、ボードが貼られるとクロス屋が壁紙を貼り仕上げて行く。途中に細かい作業は色々あるがこの繰り返しが千六百戸で行われるのだ。業者の乗り込む順序は決まっていて、後の業者が手の空いていることを理由に先に手がけてしまうと、本来先にやらなければならなかった業者は作業不可能になってしまう。仮に出来たとしても数倍の手間がかかる上、制度も落ちてしまう。だからこの後戻り作業を徹底的に無くそうと打ち合わせ会議で綿密にすり合わせて行くのである。
材料楊重にはもうひとつ建設用エレベーター(人も上り下り可能)と建設用リフト(荷物専用)がある。これは主にクレーンでは用の足さない内装業者が占有してしまう。これも打ち合わせ会議できっちりと時間割されていて、途中に割り込むことは非常に難しい。鳶職に至っては、随時空いているときに使うという暗黙の了解で成り立っているが、使用時間を制限されて、総動員で搬入及び楊重をしている業者に『一回貸せ』とはさすがに言いづらい。従って業者間の引継ぎを見計らって使用するのが慣例となっていた。
「しょうがねえなあ、終わるまで待つか、七階にクランプ(パイプとパイプを接続する金具で直交といって直角に接続するもの、自在といって角度が自由に交差接続できるもの、この二種類が主となる)が転がっているから、集めて十四階までかついで上がるか」
岡田は面倒臭そうにみんなに言った。
「ぼちぼちやってりゃあ十時になんだろう、一服したら材料をリフト前に用意しておいて、ボード屋が終わったら一回借りよう」
安全周り班では最年長の瀬田が言った。鳶としての技術力は岡田より瀬田の方が数段上であるが、監督や他業種とのやりとりが不得手の上、無断欠勤の多いことが織田の信用を欠いていた。弟の瀬田武は五年前まで織田の先代が経営していたパブで店長をしていた。まるで建築畑とは縁のない男であった。先代が死去し、景気がバブル以降急降下し、先代の娘が継いだそのパブも売却することに伴って織田グループに入ったのである。不器用で気の弱いこの男は、仕事覚えも異常に遅く、五年が経過した現在も安全回りで手元をしている。二和建設にとっても織田にしても技術力の有無はあまり関係ない。安い労働力で事故さえ起こさなければそれでいいいのだ。
「十四階終わったらなんかあんの?」
武が岡田に聞いた。
「他は何も言ってなかったなあ、予定を全部指示してくれりゃあいいんだけどなあ朝礼のあとによ、土方上がりの鳶さんだから段取り悪いんだ」
洋二は岡田が父親の高品を馬鹿にする発言を愛想笑いで堪えていた。二十年間ほったらかしにした父親ではあるが、それでも仲間から直接悪口を耳にするのは嫌であった。この頃から洋二は岡田を嫌い始めていた。
「それに何を言ってるのかさっぱりわかんないよ、訛っちゃってよ」
武が岡田の調子に合わせる。仕事はさっぱりだが煽てたり、賺したり相手に会わせるのは水商売が長かったせいか非常に長けていた。岡田に父親の悪口を言われるのは我慢出来ても、武に父親の悪口を言われると洋二は無性に腹が立った。経験は武の方が長いが、仕事は上であると洋二は自負していた。それは織田班の全員が認めている。ろくな仕事も出来ず、金魚の糞みたいに兄の瀬田について回るだけの男に、悪口を言う資格などないといつも思っていた。
高品の津軽弁は東京に出て三十年が過ぎても標準語に近づくことはなかった。それに加えて声が小さく、朝礼後のTBM(ツールボックスミーティング・各職が個別に集まりその日の作業と指示を確認するためのミーティングで、通常五分ぐらいで終了する)でも耳を済ませて暗号を解読しなければならなかった。岡田は岩手県出身なので高品の声さえ耳に届けば理解するのは難しくなかった。高品の訛りのひどさをばかにする岡田も相当訛っているし、瀬田も武も茨城県出身で尻上がりの独特の発音をしている。標準語圏で育った者が聞けば、茨城弁と岩手弁が手を組んで、津軽弁を攻撃している様は滑稽に思えてならないであろう。
安全回りが一組では間に合わなくなると、俄かにもう一組編成する。そのときのリーダーになるのが職長高品であり、武と洋二を指名して回ることが多かった。高品は岡田達が整備是正した足場を見て、『なんだありゃ』とその仕上がりにけちをつける。すると武が『誰がやったんだみっともねえなあ』岡田の指示とはいえ、その足場の組立に携わった武がとぼけて相槌を打つ。そんな武が洋二には虫けら以下に思えて踏み潰したくなる。しかし織田の親戚である遠慮と、父親に迷惑をかけたくなくて、歯茎にのめり込むほどの憎さを噛み締め、我慢していたのであった。
(五)
「おい、源さんが滑って落ちた」
高品にこの急報が届いたのは十一時を回ったときだった。横浜保土ヶ谷のマンションも躯体はすべて建ち上がり、現在は内装と外交工事が主流となり、残り少ない工期を、一日二十四時間フル稼働で竣工までの完成を目指し、まさにゼネコン職員は血眼になって作業を指揮していた。
着工当初に近隣との約束に基づき作成されたマニュアルも総崩れとなっていた。始業時間は七時三十分、騒音を伴う作業については九時より、作業終了時間については十八時まで、日曜祝祭日の作業は一切行わない。着工当初はその規則をうるさく指摘していた職員達も、切羽詰り、竣工に間に合わなかった場合の責任を考えると暢気なマニュアルなど頭から消えてしまい、現場に出て職人達に気合をかけて煽るようになっていた。
本来ならすべての工事を終え、とうに引き上げているはずの二和建設であるが、内部、外部の制度の悪い部分が多数あり、その部分の是正、補修工事をするための足場の架け払い工事に追われていた。
特にPCの精度が悪かった。素人が見ても一目瞭然なタイルの目地違いなど、外見で目立つ部分の是正工事が主であった。本来PC盤は、工場で製作され、大型トラックまたはトレーラーで輸送し、現場で下ろされ取り付けられるが、大竹工業ではその輸送コストを削減するために画期的な現場生産を実行している。
しかし工場のように作業空間が広くはない。現場面積は広大だが、躯体以外の空地はそれほど広くないのが現状である。それに工場と違い、製作する条件もかなり悪い。砂利の上に鉄板を並べた上でPC盤を作成しているのである。長いうちにはレベルも狂い、コンクリートを入れる型枠も歪んでくる。それになにより炎天下、鉄板上で作業しなければならない作業環境の苛酷さ、それが製品制度の甘さに繋がってくる。机上で描いた誤差ゼロの完璧は、職人達の環境と体調でズレが生じるが、微妙なずれは取り付けてみなければ発見出来ない。見た目の悪い箇所は中堅職員がすぐに是正するよう若い監督に指示する。鳶が足場を架ける。斫り屋(建設現場では主に打ち終えたコンクリートを壊す作業)が削いだり、切ったり、誤魔化しの効かないひどい箇所は最悪壊す。そのあとを左官屋、タイル屋、目地をうつ防水屋、そしてペンキ屋、全ての駄目作業が終わると足場を解体する。この作業が現場のあちこちで繰り返されている。この一連の駄目作業は当然予算には繰り込まれていない。莫大な経費が赤字を膨張させていく。工事が終わり、さて支払い段階になると大竹工業と下請け各社の折衝になる。元受は駄目作業で浪費した人件費、材料代を、請け負った業者の製品制度の甘さが招いた出費であるから受注金額から差し引くと脅かす。下請け各社は次の工事をちらつかせながらの恫喝に耐えられず、渋々引き上げる。下請け各社はそれを孫受けに、孫受けは職人に、悪の連鎖が底辺を直撃する。机上の計算通りにいかなければ赤字になる。コストを下げなければゼネコンは受注出来ない。最悪の景気の中で、積算、施工管理の甘さが、職人達の生活を圧迫しているのである。
バブル崩壊後、共同住宅所謂マンション工事で大手ゼネコンが高利益をあげることはまずない。利益どころか差し引きゼロであがれば成功と言ってよい。ほとんどが赤字覚悟で、その赤字幅をいかに抑えるかが現場所長以下スタッフの腕にかかっているのだ。腕というのは下請けいじめである。この現場もご多分に漏れずひどい赤字である。着工前から赤字になることは計算されていて、会社が想定した赤字内で竣工を迎えるために努力していた。だが既にこの現場は赤字幅の問題ではなくなっていた。いくら金がかかろうとなんとしても工期内に仕上げなければ社命に関わる一大事である。着工前から好評なこのマンションは、販売開始からひと月程度で完売となった。この八月半ばからはオーナーが続々と入居してくる。もう残り五十日を切った。内装関係、外構工事、入り乱れてのどたばた時に事故は起きた。
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