祭囃子を追いかけて

壺の蓋政五郎

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祭囃子を追いかけて 2

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「社長の考えを聞いてからにしようと思っていたんですけど取り敢えず連れて来ちゃいました。カズ自己紹介しろ」
「吉田和男です、よろしく」
 ズボンをけつの割れ目まで下げた坊主頭の少年は、賢治に向かって表情を変えることなくぺこんと頭を下げた。
「はい、こんにちは」
「社長、こいつ俺んちのアパートの前に住んでるんです。俺がいた焼鳥屋でバイトしていたんですけど、首になって俺んとこに相談に来たんです。俺、一生懸命仕込みますからこいつを使ってくれませんか。もし半年以内に挫けて辞めちゃったりしたら、俺も独立を延ばします。社長お願いします」
 お願いしたいのはこっちの方だと賢治は言いたかった。昭和六二年当時鎌倉は下水道整備に力を入れていて、地元大手設備会社から個人事業主まで、回り切れない程の仕事量を抱えている。自称水道屋と名の付く者は引く手あまたであった。大小に関係なく業者の思惑は一致していて、ひとつの現場に技術者は一人いれば充分で、あとは懸命に穴掘りや、材料運搬をしてくれる賃金の安い労力を求めているのである。賢治もまったく同様で、安くて動ける労力を期待しているのであった。
「部屋はあるのか?」
「うちのすぐ近所なんですよ、おふくろさんと二人暮しで、生活費も半分入れてるらしいですよ、そんな風には見えないけど」
 カズは明が家庭の事情を初対面の賢治に漏らしたことに少しむっとして下を向いた。明と違って無表情で、声の小さいこの子が、肉体労働に耐えて半年も辛抱できるか賢治は疑問に思ったが、その場合は明が独立を延長してくれると請合ってくれているのだからこれほどの好都合はない。
「わかった、明日からでも出て来い」
 賢治はスーツの内ポケットから札入れを取り出した。
「明、これでこの子の作業服や長靴、そうだかっぱも用意してやれよ。残ったらおふくろさんに果物でも持っていってやってくれないか」
 二万円と名詞を明に渡した。
「よかったなあカズ、明日の朝から俺が迎えに行くから」
 カズはもごもごと、よく聞き取れない小さく濁った声で、宜しくお願いしますと言い、会ったときと同じようにぺこんと頭を下げて二人の前をあとにした。
「あのけつなんとかならねえのか、仕事じゃだめだからな、そうだバンドも買ってやれ」
「はい、でも今流行りなんですよ、高校に行ってれば三年生なんですよねカズは」
 二人の目は、今にもずり落ちそうな少年のパンツに釘付けになっていた。

(二)

 「おまえ、裁判長から証人席に呼ばれたとき、色々俺を庇ってくれたけど泣かなかったよなあ、涙流して陳情してたら執行猶予付いたんじゃないかなあ」
「だって出ないものはしょうがないでしょう、それにそんなこと関係ないわよ。最初に捕まってから反省もせずに酔っ払い運転を繰り返していたから当然の罪を言い渡されたのよ」
 世津子は肩から落ちかけた買い物バッグを、勢いを付けて首の付け根までたくし上げた。裁判所の帰りに、折角関内駅まで来たのだから中華街で買い物して帰りましょうと世津子に付き合わされ、二人とも両手いっぱいに漢字だらけの買い物袋を提げていた。根岸線の終点大船駅には、学生の団体が横須賀線の下りホームにぎっしりと並んでいる。
「タクシーにするか?」
「もったいない、バスで帰りましょう」
 賢治は荷物が重いというより、地元で知り合いに会うのが恥ずかしかったのだ。今日が判決日であることは友人関係、仕事関係のすべての知人に知れ渡っている。別に女房の世津子や友人が漏らしりしたわけではない。生まれつき寂しがりやの彼は、飲み相手を捕まえては自分から一部始終を話してしまうのだ。駅の階段を下りると、ちょうどパチンコ屋から出てくる大工の高橋に出っくわした。裁判結果を早く知りたくてうずうずしている。
「あなた、無視しなさいよ」
 腹をくくると女の方が強い、世津子は軽く会釈して高橋を振り切った。高橋は横断歩道の対面で「どうだった」と声を出さずに賢治に問いかけた。世津子も気付いたらしくきつい目を賢治に向けて返事を拒ませた。賢治は肩を大きくストンと落とした。ジェスチャーで判決の結果を知らせた。高橋は青になっても横断歩道を渡らず、薄笑いを浮かべ、小刻みに何度も頷きながら、賢治達の向かう反対方向に足取りも軽く歩いて行った。賢治が後ろを振り返ると、高橋は駅前の公衆電話ボックスに入った。楽しそうに話している、仲間に報告しているのだとすぐにわかった。
「だから言ったじゃない」
  世津子は悔しそうに賢治に吐き捨てた。世津子はバスの運賃を払わずに、空いている一番後ろの長椅子に、両手に提げた紙袋を投げ捨てるように置いた。賢治はてっきり世津子がバス賃を支払うものとばかり思っていたので、慌ててポケットをまさぐった。運転手がエンジンをかけると、甲高いテープの音声が、次の停留所と、その近辺にあるらしきカタカナの歯医者のコマーシャルを流した。こんなときに限って小銭は足りない。仕方なく札入れをズボンの後ろポケットから引き出した。賢治は嫌な予感がしていた。中華街で晩のつまみにと焼鴨を買ったときに、千円札は使い切ってしまったのを覚えていたからだ。運転手にとぼけるてまえ札入れを開く。案の定千円札はなく、福沢諭吉が薄笑いを浮かべているように見えた。
「何が人の上にだこのやろう、人の下にだてめえ」
 ぶつぶつと偉人にやつ当たりした。
「お急ぎください、発車時間を過ぎております」
 運転手がマイクを通して言った。目と鼻の先に向かい合っているのにマイクを通す必要はないだろうと賢治は思ったが、反論する余裕もパワーも今日の判決で萎えてしまっていた。
「すいません、これっきゃないんですけど」
 諭吉の顔を強く摘んで運転手にひらひらさせて見せた。
「困りますねえ、途中駅ならまだしも始発駅じゃないですか。お急ぎのお客様にご迷惑がかかるでしょう。えーっ、ご乗客の皆様、大変申しわけありませんが、今しばらくお待ちください」
 運転手はバックミラーで車内を窺いながら、嘲け笑うように独特の節回しで唸った。賢治は客席を眺める。両サイドの乗客の大半が身体を半分通路に傾け、ついていない男の滑稽劇に見入っている。赤いシートにたっぷりと座っているおじいさんだけが正面を向いて難しい顔をしている。一番後ろの席で、荷物を両脇に抱えた赤鬼のような世津子が、角を天井に突き刺す勢いで睨んでいる。運転手は賢治と視線を合わせずにつり銭を渡した。
「発車します」。
 通路の両脇に座る乗客の冷たい視線を感じる。奇襲戦法にしくじった力士が花道を引き上げるときもこんな感じなのだろうかと、鬼と化した世津子が待ち受ける指定席についた。
「ドジ」
 世津子は身体と荷物を滑らせて進行方向右側に移動した。赤いシートのおじいさんが賢治を見て笑っている。賢治は顔をしかめ、親指を立て世津子のほうに二度振った。
 
(三)
 
「おふくろ、お祭り終わったら半年ばかり留守にするから」
「釣りかい?」
 母のサキはとぼけているのだ。サキは擦り切れた祭半纏の肩に当て物を縫い付けていた。
 祭りは毎年交代で当番が回ってくる。今年は北川家を含む五軒が担当であった。当番に当たると祭りの神事に協力し、神輿に移された御霊を守るために交代で番をしなければならない。神輿は七月の二十二日だけに町内を練り歩く。二十二日が祝祭日とは限らず、地元の若い者は仕事を休んで参加する。しかし、一旦社会人になってしまうといくら町内の大事な行事であろうと休みにくいものである。万が一地元の若い衆が予定通り集まらなく、神輿が上がらなくなってしまっては一大事である。それを補佐するために外部からかつぎ衆を募集する。賢治は毎年従業員を含む四~五人のかつぎ衆を必ず手配するので、町内からも頼りにされていた。
 賢治の暮らすこの地域は、鎌倉でも観光地ではない。昔は田畑の広がる農地であった。しかし、開発の波に押されて、専業農家を営む古農、豪農はアパートや借家のオーナーとなった。また勤めの合間に農作業をするという兼業農家が大多数を占めている。従って、三代目、四代目跡取りのほとんどが桑も持ったことのないサラリーマンである。土間でぴかぴかの革靴に履き替え、大きな茅葺屋根の家から鞄を提げたスーツ姿の若者が、庭で藁を叩くもんぺ姿のおばあさんに「行ってきまーす」というのも珍しくない。
 その世代になると極端に近所付き合いが薄れ、町の行事に興味も関心もなくしてしまうのであった。旧き良き伝統行事を守っていくのは、仕方なく農家を継いだ長男と、地元地区で働く職人達、それと旧き良き伝統に気付いて帰って来た者達によって、かろうじて継承されていくのであった。この町の長老達には、悪い意味ではなく排他的なところがある。それは町内の神事行事は町内の人間達で行うという基本的な考えに立ってのことである。しかし現実はそう甘くはなく、年々減っていく町の若い衆だけで神輿を上げることは不可能になってきていたからである。昔からの慣わしで、神輿は村のもんでと言う長老達と、比較的若い世代の跡取り達との間でしばし論争が繰り返されてきたが、長老達に神輿をかつぐ体力はなく、結局外部からかつぎ手を頼もうという意見を選択せざるを得なかった。しかし長老達が頑なに拒んだ、他保存会、神輿会からの応援は遠慮してもらい、かつぎ手の友人知人に限るとの条件付きであった。今年賢治の手配したかつぎ手は同級生、仕事関係、それに社員の明とカズの合わせて八人である。そのためにサキは古い半纏を引っ張り出しては洗濯し、ほころびを繕うのであった。口では忙しさをふれ回っているが、内心は賢治が町の行事に貢献していることを喜び、満足しているのである。
「とぼけやがって、半年も釣りに行ってどうすんだよ、これだよこれ」
 賢治は両手を腹の前でクロスさせ言った。
「なんだいオートバイかい?」
「俺は曲乗り士じゃねえっつった、これでどうやってオートバイ運転すんだよ、お縄だよお縄」
「おまえ人殺しでもしたのか?」
「殺してねえっつうの、交通だよ、交通刑務所」
 サキは泣き始めた。涙をぼろぼろと半纏に垂らしながら、縫い物を続けている。サキは夫の治義に先立たれ十五年になる。治義はこの町では名の知れた道楽者であった。北川家も例外に漏れず、治義の父の代で専業農家を放棄した。分家、それも三男であった治義の父は、生活に余裕ができるほどの農地を相続したわけではなく、食っていくのが精一杯であった。祖父の死後、この地域にも開発の波が押し寄せた。跡を継いだ治義は、農地を切り売りし、酒、女、博打につぎ込んだ。農地をすべて手放してしまうと、庭や駐車場まで売ってしまった。辛うじて残った土地は、祖父が分家するときに建ててもらった母屋だけである。子供達がかくれんぼして遊べるくらい広かった庭もそぎ取られ、道路から玄関までの細い通路と、母屋の裏にある陽の当たらない十坪程のスペースだけが現在も残っている。金の切れ目が縁の切れ目と言うが、ご多分に漏れず治義も妾には逃げられ、金を融通してくれた不動産関係絡みの金融屋も相手にしてくれなくなった。必然的に博打もできなくなってしまった。これといった定職についたことのない治義は、気の向いた日だけ近所の土建屋で働いていたが、その大半は飲み代に化けた。残った僅かな金では二人の子供達の学費にも足りず、サキが隣町の工場で働きながら家計を切り盛りしていたのである。
治義の放蕩三昧に泣くサキに同情し、優しく庇ってくれた姑も、北川家に嫁いだ七年目にこの世を去ってしまい、悲しみ辛さを独りで耐えていかなければならなくなってしまった。工場からの帰りに買い物をし、腹を空かしている子供達の夕食と、飲んだくれの亭主のつまみを支度するために、休憩する間もなく台所に入るのであった。子供達を寝かせ、飲みに出かけた治義が帰宅するまでの時間、薄暗い裸電球の下で、得意の裁縫をしながら涙していた。それが日課となって、治義が死んだ後も、裁縫がストレス解消となっていた。
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