祭囃子を追いかけて

壺の蓋政五郎

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祭囃子を追いかけて 10

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ドアを開け世津子は降りた。ベンツは静かに走り去り世津子の視界から消えた。番屋に置きっ放しにしておいた食器を抱えると饐えた臭いがしたが、それはすき焼きの残り汁からくるものではなく、もしかしたら自分の体液なのかもしれないと思った。  
 番屋の段差を降りるとき、お盆の上の食器が跳ねて短い高音を発した。裏の犬がブロック塀に跳びつき吠えまくった。ブロックの上に黒くまだらな足の裏だけが覗いている。               
 
(九)
 
「内田、北川、おまえら道場行く前に職員室に来い」
 柔道部顧問の迫田が廊下の壁に寄りかかっている拓郎と内田の長男 大(まさる)に怒鳴った。
 「まずいなあ、二人でサボったのはやっぱりまずかったよな、でもあいつに小間使いさせられるのは絶対嫌だよな。よし、拓、今日あいつにはっきりと言おう、小間使いはもうしないって」
 あいつとは三年生の中島である。中島は入部当初からレギュラーに選ばれ、二年になると大将を任される程の実力者であった。身長百八十五センチ、体重九十二キロの恵まれた体格は、中学だけではなく高校柔道界からも注目を浴びていて、既に特待生として進学校もほぼ決まっていた。
 二人は入部と同時にその中島から目をつけられ、コンビニへの買い付けや、掃除当番の代打を命令されていた。大も父親譲りのがっちりした体格で、身体だけでは中島にひけを取らなかったが、力任せに突進あるのみで、いつも足を払われては、受身も取れずにひっくり返っていた。拓郎に至っては組むことすらできず、向かい合った瞬間に投げ飛ばされる。
「ただやらないって言うだけじゃあ許してくれないと思うよ」
「よし、あいつから一本取ってやろう、どんな作戦使ってでもいいから一本取るんだ、そうすればあいつだってもう俺達に小間使いはさせなくなるよ」
「大、それは無理だよ、一年後っていうなら大ならなんとか取れるかもしれないけど、俺なんかあいつの襟にさえ触ったことないんだよ、この前なんかあいつ後ろ向きに立って、かかって来いって言うから腰に喰い付いて振り回してやろうと思ったら、あいつの手が背中越しに伸びてきて俺の奥襟掴んでそのまま背負い投げ喰らったよ。倒れた俺の頭をきったねえ足でぐりぐり擦ったんだ。それも両手を腰に当て大笑いしながら」
「そりゃあすげえなあ」
「まだあるよ、巴投げで畳の外まで飛ばされたんだ、俺がのびていたら引っ張り込まれて押さえ込みを十分もされたんだ、もう苦しくて苦しくて死にそうだったよ。俺が落ちかけていたらあいつ、俺の顔にきったねえけつ押し付けて屁ーしやがった。すんげえ臭えのを」
「そうか拓おまえもか、俺も何度もその臭いのぶちかまされた。ちぃきしょう、一本取ってあいつに俺達の屁をぶちかましてやろうぜ」
 大はその決意を分かち合うために拳で拓郎の胸を突いた。胡座をかいていた拓郎は不意に突かれたため後ろに倒れてしまい、後頭部を床にぶつけてしまった。ゴンという鈍い響きに、すぐ近くに座っていた三人の女子学生が振向いた。
 拓郎があたまを押さえていると彼女達は舌を出して笑った。拓郎はそれほど痛くなかったが、彼女達のたくし上げたスカートの股間から下着が見えるので、起き上がらずにそれを愉しんでいた。
「アッ子、拓が覗いてるよ」
 ひとりが拓郎の作戦を見破り仲間に知らせた。
「もう見ちゃったもんねえ、アッ子のしーろー」
 拓郎と大は立ち上がり逃げ出した。そのあとを女の子が追いかけていく。
「なんで俺まで逃げんだよ、見てねえっつうの」
「じゃあな放課後」
 
「おう、来たか、よし外行こう、ここクーラーねえから外のが涼しい、そうだ昇降口がいいや、風が抜けていいんだあそこは」
 迫田がジャージを膝までまくり上げて言った。着古した白の丸首シャツは襟も伸びきってしまい鎖骨がのぞいている。汗っかきな体質だから乳首の部分が湿って黒い点が薄汚く透けて見える。
 迫田は廊下に腰を下ろし、踵の潰れた運動靴を脱いですのこに素足を投げ出した。靴の内部は真っ黒でメーカーもサイズの数字も読み取れない。
「お前等すのこに正座しろ」
 右手の人差し指で右足の小指と薬指の間を擦っている。
「ああっ痒いなちきしょう」
 左手でも擦り始めた。「両刀使い」訳のわからぬジョークをかましてひとりでニヤニヤしている。
「なんで来なかった?」
 指を小指と薬指の間から薬指と中指の間に差し替えた。
「ああっ痒い気持ちいい、ううっ」
「水虫ですか?」
「うるせい、なんで昨日来なかったんだ、それも二人共無断でよ、おめえらホモか、裏山で抱き合ってたんか?抱き合うんなら道場でやれ」
「おっす」「おっす」
「おっすじゃわかんねえよ、理由を言ってみろ、部活より大事で、無断でも休まなきゃならねえしっかりとした理由があるなら許してやる」
 二人は下を向いたままでいる。無言で切り抜けようと考えをまとめていた。
「なんだおめえら、だんまり決め込んでうやむやにしちゃおうってそう考えてんのか?甘いぞ」
 迫田は大の肩に手を乗せ力を入れた。すのこの割れ目に脛の皮が喰い込んだ。
「うわっ」
「何がうわっだばか野郎」
 今度は拓郎の肩に体重をかけて押した。
「ぎゃっ」
 拓郎の足は細いので、すのこの隙間に肉を削ぎとられそうに痛い。
「家族、親類縁者、友達、近所に不幸でもあったか?」
 二人は下を向いたまま首を振った。
「そうかないか、そりゃあ良かった。それじゃあその人達が急な事故や病気に遭い、連絡する間もなく看病に行ったのか?」
 首を振る。
「そうか、そりゃあ尚良かった。それじゃあお前等のどちらか或いは偶然に二人とも連絡や伝言のできないほどの激痛に襲われて休んだのか?」
 二人はさらに首をうな垂れて横に首を振った。迫田の死角で大と拓は視線を交錯させた。
「合図送ってんじゃねえよばかったれ」
 水虫を擦った人差し指で二人の額を同時に突いた。
「と言うことは休むにしても連絡や伝言をするぐらいの余裕はあったわけだな、そうだな」
「おっす」「おっす」
「ばか野郎、辞めちめえ柔道なんか、人を投げ飛ばすだけのスポーツじゃねえってさんざん言ってんじゃねえか、礼から始まり礼に終わる、その礼をお前等は忘れて、ひとに迷惑かけてんじゃねえか、お前等みたいなぼんくらだって、姿が見えなきゃ心配するひとだっているんだぞ、おまえらに限って、黙って練習さぼるはずがないって、校内や裏山走り回って捜してくれる先輩もいるんだぞ、俺が電話したらすぐ出たなあお前等、親が出る前に受話器取りやがって、お前等でも親には気を使うんだなあ、みえみえなんだよばか野郎。言え、言えよ、なんで練習さぼったかよ」
 沈黙が続いた。下校する生徒達が、唯ならぬ雰囲気に、音を立てずに靴を履き替えていく。拓郎の同級生で野球部に所属する生徒が、迫田の後方で廊下に寝そべって、すのこに正座させられている二人を笑わそうと、百面相を演じている。笑い上戸の大が、ひょっとこ顔に耐えられず『くっくっ』と声をあげてしまった。
「なんだ内田、おまえ泣いてんのか、俺に叱られて悔しいのかそれとも足が痛えのか?」
 迫田が、泣いていると勘違いしてくれて大は助かった。
「くっくっくっくっ」
 さっきよりもボリュームをあげて泣きまねができた。耐えていた拓郎も大の泣き笑いに嵌ってしまった。
「なんだおまえも泣いてんのか、悔しいのか痛えのかどっちだ?・・んん?」
 二人のおかしな泣き方に感付いた迫田は後ろを振り返った。すると、トドのように寝そべり、例えようのない顔をした野球少年が、急に振り向いた迫田に驚いて、そのままの顔で固まってしまっている。
 迫田はその野球少年を手招きした。
「いいからいいから、立たたくていい、そのままこっちゃ来い」
 野球少年は両肘を器用に滑らせて迫田の手の方へ進んだ。やっとのことで辿り着いた野球少年に、すのこの上でUターンするように迫田は指で円を描いた。
「おまえら、小休止だ、俺の横に座れ、足崩していいから。さあ楽しみだ。おまえ四組だな、北川と一緒だよな、名前なんて言ったっけ」
「佐山です」
 野球部の一年生は身体の割に太い声で言った。
「佐山か、おまえなかなかの役者みてえだな、やれ」
「はい?」
「やれって」
「はい」
「やれって言ってんのがわかんねえのか、やれっ」
 佐山は真っ赤な顔をして百面相を始めた。三人とも腹を抱えて笑い出した。特に迫田には受けたらしく涙と涎まで垂らして笑い転げている。
「はっはっは、誰が止めていいって言った、続けろはっはっはっ」
 いつのまにか、すのこ舞台での独り芝居を見物する客が三人の後ろに集まっていた。
「はっはっはお前おもしれい奴だなあ、野球部辞めてうちに来い。寝技で相手にそれ見せたら大概落ちるぞはっはっは」
 通りかかった野球部の監督も見物していた。
「迫田先生、こいつは渡せないよ、しかし上手く表情を作るもんだなあ、おい佐山、見直したぞおまえ、へーっ」
「あっ田中先生、ちょっとお借りしています。こいつらを説教してたら面白いもん見せてくれたんで、こいつらだけに見せるんじゃもったいないから舞台で演じてもらってます。そろそろ幕ですからお返しします。しかし天才ですよこいつは、あっ、お前達何見てんだ、子供の見るもんじゃない、用のない奴はとっとと下校しろ、部活のある奴は早く行け」
 迫田に追い払われた観客はどれもこれも不満そうに散って行った。  
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