祭囃子を追いかけて

壺の蓋政五郎

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祭囃子を追いかけて 11

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「ようし、もういい、佐山、いいもん見せてもらった、それだけでもこいつら関わった価値がある。また頼むな、今度は飯奢るからな。内田、北川、今日は佐山に免じて許してやる。道場に戻れ」
「おっす」「おっす」
「田中先生、どうもすいませんでした。天才児お返しします」  
  グラウンドの土埃が生温い南風に乗って昇降口に吹き込んで来た。来賓用のスリッパが片方、正門の前まで飛ばされていった。正門の真正面にある文房具店の主人が、昇降口から吹きつける土埃に目を細め、ポストの中の郵便物を取り出してはぶつぶつとなにか言っている。
 
(十)
 
「社長、あんまり言いふらさないでよ、もう町中みんな知ってるよ、俺の務所行き。まあ俺が社長に言ったのが間違いだっんただけどね」
 賢治は高橋工務店の高橋に言った。
「そうか?俺が?そんなに口軽くないぞ、わかった、そうだわかった、俺が黙ってろよって言ったのにみんな喋っちまうんだ。いや俺はな、賢ちゃん一人が恥をかくんじゃないから他言無用だぞって言ったんだけどなあ、あいつらみんな口が軽いから。おい佐々木、そこじゃねえよ右側から止めろよ」
 高橋は佐々木が担当する現場で階段をつけながら、当然であるかのように自分が言いふらした相手に責任をなすり付けた。
「でもよう賢ちゃん、半年なんてあっと言う間に過ぎちゃうから心配すんなって。だってそうだろう、タイのバンコク行ったの二月だよ。二、三、四、五、六、七、もう半年経っちゃうんだよ。なっ、あっと言う間だろ、そんなもんだって人生は」
「これだもんなあ、心配すんなっつうのは普通俺の方じゃない。だいたい社長は飲んだら運転するなよって言ってるわりに、俺に送って行けって言うじゃない。俺が捕まった二回とも社長んとこの建て前で盛り上がってさ、二次会に行った帰りだよ。誰も運転する奴がいないから俺がやってやってんじゃない、ほんとだったらこの懲役はみんなで割り勘にならなきゃおかしいんだよ」
「じゃあ賢ちゃん、俺は定員オーバーで乗れなかったから三日間の禁固刑ぐらいかなあ」
 高橋の指示で階段上部を釘止めしている佐々木が歯茎を出して笑いながら言った。
「てめえ、地獄に道連れにしてやるか、社長、あの野郎ぶっ飛ばしてもいい?最近ちょっと勘違いしてるとこあるよ」
「おい佐々木、おまえ恩人にその口の聞き方はないだろう。おまえが福島から出てきて、苛められているのを賢ちゃんが助けてくれて、働き口まで世話してくれたんじゃないの、いくら立場が逆転したからっていって、昔の恩が消えてなくなるわけじゃないぞ」
「はいすいません、反省します。現場責任者である僕が、設備工事を北側設備に発注することによって、仕事上の上下関係がはっきりしたとはいえ、それで過去の関係を相殺しようなんて考えてはいけないんですよね。すいません賢治さん、これからも宜しくお願いします」
「なんか気になる言い方だなあ、それ反省している言い方か」
 毎日顔を合わせて、繰り返しその人から説教されていると、自然と口調まで似てくるものである。佐々木の厭味ったらしい言い方は高橋とそっくりになってきた。
「なあ賢ちゃん、佐々木も反省してるし勘弁してやってよ。あっそうそう、来月釜利谷に建売だけど三棟決まったから、賢ちゃん頼むね。水周りは全部賢ちゃんとこにやってもらうから予定入れといてね」
 北川設備へ発注してくれる元受会社の中で、高橋工務店が圧倒的に単価がいい。大手のハウスメーカーに比べると二倍近くはある。高橋は地元出身の大工ではないが、まめに営業に回り、調子のいいことをほざいては仕事を取ってくる。特に地主農家に人気があり、高橋の言い値で発注してくれる。賢治は高橋の性格は嫌いだが、高予算で任せてくれる元受として貴重な存在である。厭味と口の軽いのさえ我慢していれば高橋工務店の設備工事は百%、北川設備に回ってくる。最近は佐々木も現場を受け持つようになり、現場数も増えてきた。以前のように脅かしているだけでは、他の業者に入れ替えられるとも限らない。いくら若い頃からの付き合いでもビジネスが絡むと難しくなってくる。
「あっそうか、賢ちゃんいなくなっちゃうんだよなあ、でも明がいるから問題ないよな。いい若い衆捉まえたよなあ、みんな言ってるよ。明は将来大物になるって、独立したら株式会社の社長になるって、でもあれかあ、あいつ義理堅いから生涯賢ちゃんとこに勤めるかもな、賢ちゃんには悪いけどなんか可哀想だよなあ、技術があってもそれをひけらかすようなことはしないし、年上を立ててくれるし、後輩の面倒看もいい、ほんとに羨ましいよ。佐々木、そこじゃねえよまったく、おまえも明を見習え」
 佐々木が歯茎全開で照れ笑いをした。
 明は八月に独立することを賢治以外には一切口外していなかった。自分が入所して、明が独立してしまえば、カズ一人になってしまう、技術的に難しい仕事ではないにしても、カズでは高橋の仕事を任せることはできないと思った。
明に独立を半年間延期してもらおうか。明の結婚披露宴で、半年後の独立を告白されたとき、あまりのショックで水割りグラスを落としてしまったのを想い出した。しかし明ほどの技術を持っている者が、いつまでも人の下で使われている方が不自然だ。自分だってそうだったじゃないか、ある程度の技術を身につけると使われているのが馬鹿くさくなってくる。カズが半年間辛抱できなかったら、責任を取って残ると言ってくれたが、幸か不幸かカズは辞めずに続いている。明のように仕事覚えも早くはないが、彼の懇切丁寧な指導で、ある程度設備工事の基本はマスターしてきた。しかし僅か半年足らずでは到底現場を任せられるまでに至っていない。それに人付き合いが苦手な彼は、他業者からあまり好かれていない。正直に事情を説明して、カズを引き立ててやってくれと頼んでも、いい返事は返ってこないだろう。特に佐々木はカズと馬が合わないようだ。賢治は悩んだ。
 高橋工務店の三棟の建売を受注すれば十分に留守中の家族の生活費を賄える。明に独立を延期してもらうか、それとも高橋に土下座してでもカズでやらせてもらおうか。混乱したあたまの中は、悪い予想しか閃めいてこない。もしかしたらカズも明について行ってしまうことだってある。そもそも明が連れて来て、一から十まで仕事を仕込んだのだから、そうであっても不思議はない。そうなったらうちの家族はいったいどうなってしまうのだろう、ひと月やふた月なら預貯金を切り崩しても生活していけるだろうがその先は、世津子がパートに出ても香織の学費にもならないだろう。悪の連鎖が賢治の脳を駆け巡る。
 香織が学校を辞めてしまい、アルバイトに専念する。バイト先を転々としていくうちにより短時間で高収入の方へと欲が出てくる。当然水商売に突入していく。居酒屋、スナック、クラブ、ピンクキャバレー、風俗、売春。
拓郎も柔道を辞め、不良グループと付き合いだす。煙草、酒、シンナー、マリファナ、覚醒剤。賢治は首を振って連鎖を吹き飛ばした。
「社長、話があるんだけど時間割いてくれないかなあ」
「なんだい、改まって」
「俺が留守にしてる間のことなんだけど」
「なんか心配事でもあるのかい、うちの仕事は生涯北川設備って決めているんだから、賢ちゃんが居ようが居まいがやってもらうよ。ただ金の貯えはないから、支払日を早くしてくれって相談だったら協力できない。施主から出来高で戴いているから賢ちゃんとこにも、末締めの出来高を翌月の末でなきゃあ支払えない。でも一ヶ月待ちは今時いい方じゃないの」
「そんなことじゃないんだ、社長んとこには面倒看てもらってるし、支払日も全然問題ないんだ」
「じゃあ何、まさかこれ?」
 高橋は小指を立てて下から賢治を窺った。
「まさか、実は明のことなんだ」
「明の?急ぐの?」
「二、三日のうちにははっきりさせたいことなんだ」
「わかった、明後日の晩一杯やろうよ、そうだ玲ちゃんの店でどう?」
「いいよ、それがいい、社長となら飲みに出かけてもうちの奴文句言わないから都合がいい」
 佐々木が取り付けの完了した階段を上がったり下りたりしている。始めて受け持った現場の完成を一段一段踏み締めて喜んでいる。残すはブロックやフェンスなどの外溝工事だけである。それは鳶内田組に任せてあるので、佐々木は境界や高さを内田と確認するだけでいい。
 農家の次男が敷地内に建ててもらった五LDKのこの二階建ても三ヶ月で竣工を迎える。階段が寸法間違いで付け直した以外はそつなく終えることができた。
「階段がつきましたよ賢治さん、上り下りが楽になりましたよ」
「おせえっつうの、もう仕事はないっつうの、俺も初めてだよ、階段が最後っつうのはよう」
  裏の石垣に立て掛けてある足場丸太にあぶら蝉がとまりやかましい鳴き声をあげ始めた。人の気配を感じるのか、なかなか本調子になれずに、グジュグジュと耳障りの悪い声をあげている。
「じゃあ社長、明後日オリーブで、下地入れてきてよ。あそこで食いもん頼むとめちゃくちゃ高いんだから」
「心得てますよ、『常屋』に寄ってチューハイにマグロのぶつで体調整えてから行きますよ」
 この昼下がり、いつもならセーラー服の行列が歩道を占領する時間帯である。しかし夏休みとあって生徒もまばらである。薙刀を担いだり、テニスラケットを脇に挟んだりとそれぞれが入部している部活動のスタイルである。一時期踝まである長いスカートが流行ったが今はたくし上げるのが流行である
。太腿露な生徒が賢治をじっと見つめている。お茶でも誘えば乗ってきそうな感じであった。化粧の濃さが一瞬香織とラップしてしまった。もし女子高生との遊びがばれたら香織はどんな顔して罵声を浴びせるだろう。それに世津子も一緒になって何年も言われ続けるだろう。通り過ぎた少女のふくらはぎが蚊に刺されて赤く腫れている。なかよしになれば親指の爪で痒み止めのばってんをしてあげられるのにと賢治は思った。
「賢治さーん、穴が開いちゃいますよそんなに見つめちゃあ、だいたい無理無理、ただの勘違い」
二階の窓から賢治の行動をじっと見ていた佐々木が言った。
「おまえとは違うんだよ俺は」
「お疲れさんです、ありがとうございました」
 佐々木が珍しく労いの言葉をかけた。無事責任を果たした開放感から気持ちに余裕ができたのだ。賢治は手を上げてそれに応えた。
 
(十一)
 
「俊夫、今日父さんな、親戚関係へ挨拶に回って来た」
 重太郎は短くなったキャビンをブリキの灰皿でもみ消した。  
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