祭囃子を追いかけて

壺の蓋政五郎

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祭囃子を追いかけて 17

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「いや違うんです、中の、重太郎さんに」
「失礼しました、どこでお目にかかったか考えていたんですけど、早とちりだったかしら」
 賢治は一瞬固まってしまった。御仮屋に務めた晩に重太郎の結婚相手が洋子にそっくりだと俊夫が言っていたが、これほど似ているとは思わなかった。学生時代、わくわくしながらブロック塀を乗り越え、着地したときの落ち葉の混じった柔らかい土の感触が蘇った。
「もしかして洋子さんと比べているんじゃありませんか?」
 博子がおかっぱをかきあげて笑った。
「失礼しました。その通りなんです。先日俊夫君にあなたのことをちらっと聞いたんですが、マジびっくりしました」
 二人は並んで歩きだした。
「ところで、どちらまで?もしかしたらバス停とか?だったら方角が違います、こっちから行くと二十分、あっちに行けば十五分で行けますよ。なんだ重太郎さん教えてくれなかったんですか、やさしくねえなあ」
「バス停まで一本道だからわかりやすい路を教えてくれたんだと思います。彼すごく慎重なひとだから」
「すいませんねえ、僕の性格は大雑把で」
 博子は首を振りながら笑った。 
「僕は重太郎さんとこの裏に住んでる北川賢治です、賢ちゃんでいいですよ、みんなそう呼んでるから」
「佐々木博子です。折角ですから近道行きます」
「それがいい、僕もバス停まで行くとこなんで案内します。それにお神輿も拝めるし、子供達がお囃子の練習をしてますよ」
「わー嬉しい、重太郎さんちの居間からもお囃子聞こえるんですよ、それに昨日俊夫さんも吹いてくれたんです」
「そうですか、俊夫君の笛は定評があったんですよ、町内一だって、うちの娘も彼から教わったんです」
「すばらしいですね、伝統を継承していく子供達って、きっとやさしい大人になれると思うわ」
「そうですか、なんか照れちゃうなあ、ささっ、どうぞどうぞ」 
 賢治は、やくざが姐さんを先導するように平手を低く進行方向に差し伸べて先に歩き出した。再び通過する中田重太郎宅の玄関に二人の姿はなかった。
自宅の前に戻ってきた。賢治は家の者に遇わなければいいと思ったが、運悪く、サキがポストに挟まった夕刊を取り出していた。目が合った。薄暗くて表情はわからないが視線の強さを感じる。
「あれ、おふくろです」
「あっ始めまして、佐々木博子と申します」
「おふくろ、こちら重太郎さんの嫁さん、しっかりと挨拶しねえかよ」
 サキも賢治と同じように洋子の生き写しに固まってしまったのだ。
「はあ、初めまして」
 そのまま絶句してしげしげと博子を見つめた。
「まったく、尋常小学校しか出ていないからろくな挨拶もできないですいません、さあ行きましょう」
 博子はサキに深く一礼して歩き出した。囃子の舞台中央では酒屋の守屋を挟み、二人の男子中学生が太鼓を叩き、その後ろでは小学生高学年の女の子達が笛を吹いて、本番さながらの練習をしている。
 舞台の隅では幼児達が騒いでいる。子守役の女の子に叱られたときだけ、息もできないほど口を真一文字に結んで静かにするが、それがにらめっこに変わり、一文字は端から崩れ、味噌っ歯の奥に喉ちんこが見えるほど大笑いして、またすぐに騒ぎ出す。

てんつく、てんてん、てんつ・・・・・
ひゃーりら、ひゃらりら、ひゃ・・・・
 
 賢治と博子が舞台の前で足を止めると囃子は鳴り止んだ。守屋が撥を上げたまま固まったので子供達もそれにつられて止めてしまったのだ。
「なんだよ守屋さん、続けてくれよ、重太郎さんの嫁さんだよ、わざわざ囃子の練習を見に来てくれたんだよ、さあやったやった」
 守屋の撥が振り下ろされた。
 
てんてん、てんつく、ひゃーり、ひゃりらり、
 
 博子は賢治の言い方がひどく気になったが、演奏を再開してくれた守屋や子供達にあたまを下げた。
「おい、おめえ賢坊じゃねえか」
 磯田という祖父の友達が声をかけた。現氏子会会長の祖父である。
「あっどうも磯田のおじいさん、相変わらずお元気で」
「例大祭は宜しく頼むぞ、わしもかつぎたいが潰れて死んでしまったら若い衆に申し訳ねえからなあ」
 磯田は笑うと、噎せて痰を飛ばした。
「おっと」
 賢治は大袈裟に避けた。
「嫁さんだったか?」
「いや違います、中田重太郎さんの嫁さんで博子さんです」
「重太郎、おお、伝兵衛さんとこの分家か?おうおう想い出した、町一番の美人奥さんだ」
 磯田は洋子の葬儀にも出席していたが、忘れてしまっている。賢治は磯田の勘違いを正そうと身振り手振りで説明し始めたが、耳が遠い上、物忘れがひどく、立ち話では無理だと諦めた。
「すいませんねえ、じいさん耳遠いし、いくらかボケが始まってるから」
「いいえ気にしません、でもお元気ですねえ」
「なんか言ったか賢坊」
「いや、じゃあ失礼します」
 賢治は振り返り、客人のために見事な演奏をしてくれた守屋に手を上げた。守屋は撥を空中に放り投げ、それを掴んでは太鼓を叩いた。
「うわーすごい」
 博子が守屋の技に拍手した。守屋は得意になって連続で撥を放り投げた。博子は目を丸くして拍手を続けた。
「さあそろそろ、行きましょうか、あなたが拍手するといつまでもやってますからあいつ」
 賢治と博子はバス停に向かって歩き出した。気配を察した御仮屋の裏の犬がブロック塀に飛びついて吠えまくっている。
 
(十六)
 
「世津子、世津子、せ、つ、こ」
「ああ、里美さん、いらっしゃい」
「いらっしゃいじゃないわよ、さっきからずーっと呼んでるのに流しで何やってんの?水流しっ放しにして、あんたんちだけでそんなに使われたんじゃ鎌倉の水無くなっちゃうわよ、そうじゃなくても雨が少ないっていうのに」
「麦茶でも入れようか?」
「賢治は?留守?」
「高橋工務店の社長と打ち合わせに出掛けたの」
「いないの?打ち合わせなんて嘘に決まってんじゃん、例の女んとこに行ったんだよあいつ。ビールちょうだい」
 里美は冷蔵庫からビールを出し、スカートをたくし上げて飯台の前で胡坐をかいた。
「あーっうめえ」
 世津子は里美の飲みっぷりを見て笑った。
「うちのデブ酒一滴も飲まないじゃん、あたし一人で飲むのも可笑しいし、大の奴あたしが飲んでると変な目付きするのよ最近」
「あたしも一杯飲もうかな」
「そうしろ、そうしろ、なんか食うもんないのか、おっあるじゃん、冷シャブだな」
「あっそれはだめ、拓の晩のおかずだから」
「拓の?じゃしょうがないなあ、世津子これ切って、かまぼこ、これでいいや」
 世津子はかまぼこを厚切りにし、中央に筋目を入れ、山葵漬を挟んだ。
「拓遅いじゃん、大と一緒だよ多分、ところで拓、こないだクラブ休まなかった?」
「うん休んだみたい、あたし買い物で遅かったからわからないけど、主人が御仮屋の番の日で、元気がないから美味いもんでも食わしてやれって言ってたわ」
「そうやっぱり、休んだんだあいつら、ところで拓はもう知ってるの?賢治の刑務所行き」
「まだ言ってないと思うわ主人、最初ね、あたしとお母さんに言ってくれって、でもねお母さんに大事なことだからおまえからしっかりと話してあげなさいって叱られて」
「いつだっけ、行くの?」
「月曜日、今度の」
「もう幾日もないじゃない、あの子はデリケートな子だから心配だよ。おまえがしっかり看てやらなきゃだめだよ。あの酔っ払いのぼんくら野朗はどうしょうもないねえ、今日はがっちりと言って聴かせてやろうと不意打ちかけたんだけど、あいつ勘がいいから逃げやがったんだ」
 世津子は、里美に賢治のことをくそみそに言われると、なぜだか庇いたくなった。里美の言っていることはまさにその通りで、自分の内心を代弁してくれているのだが賢治を庇ってしまう。
「でも人殺しとか強盗とかじゃなくて、飲酒運転で、それも人を跳ねたわけじゃないし、上棟式のあと、みんなを送って帰る途中だし、可哀想というか、運が悪いっていうかあのひと」
 里美は世津子の弁護を聞いて大笑いしてしまった。里美は故意に賢治の悪口を大袈裟に言って、世津子の反応を探っていたのである。そして世津子の弁護を聞くと安心する。
「あーっ暑い暑い、どっちもこっちも」
 里美はスカートをパタパタさせて股間に風を送った。
「ところでおまえ、流しで何考えてたの?まああんなぼんくらでも半年もうち空けるんじゃきついわな、金ならあたしの蓄えがあるから遠慮しないで使っていいよ。五百万はあるから好きなだけ使いな、貸すんだから遠慮はいらないよ」
「お金持ちね、里美さん」
「そうじゃないわよ、うちのデブと一緒になる前にキャバレー勤め長かったから貯めていたのよ、知らねえじじいにいじくられてさあ、それも仕事帰りの汚ったねえ指でよ、三十になったらちっちゃなスナックでも出そうと思って貯めていたのよ。でもデブと一緒になっちゃったからその必要はなくなっちゃったし、定期預金で預けっぱなし」
「ありがとう、お金はなんとかなるの、お母さんもいくらか貯金があるから使っていいって言ってくれるし、それにうちのひとが言うには留守中にも仕事が決まっているらしいからなんとかなると思うわ、それにそんな大事なお金使えないわ」
「気にすることないわよ、結構愉しむ時は愉しんだんだから、若い、いい男が来るのよ、そんときはねえ、本番までサービスしちゃってたんだから、やるときは本気でやっちゃうんだからあたし」
 世津子はあけすけな里美が羨ましかった。過去の反省も過ちも、陽気に打ち明ければ楽しい想い出になっていくような気がした。思い切って北川との関係を里美に相談してみようかと思った。
「おまえら夜は?上手くいってんの?やってないんじゃないの、誰か遊び相手でもできたか?」
「そんなのいるわけないじゃない」
 世津子は少し動揺したので声がうわずってしまった。勘のいい里美がそれを見逃すはずはなかった。
「ビールお代わり頂戴」
世津子は立ち上がり冷蔵庫を開けた。
「発泡酒でもいい?それか酎ハイ、レモンかグレープフルーツ」
「レモンでいいや」
 グラスを取りかけた里美に、缶を咥えながら里美は首を振った。世津子も酎はいグレープフルーツを缶のまま飲みだした。
「ジュースと変わんないわね」
 半分ぐらいを一気に飲み、ふーっと息を吐き、げっぷをした。里美の男勝りの仕草が世津子にはとても可笑しかった。
「可笑しい?もうおやじと変わんないわな、これじゃ」
「うんう、羨ましいわ里美さんが、なんでも前向きに考えられて、辛いことも引きずらないし、あたしもそんな風に生きていけたらいいなあ。ところで髪伸ばすの?」
「前の髪型あたし気に入っていたんだけど、大がバッハみたいで嫌だって言うのよ生意気に、だから伸ばして茶髪にしたら今度はハイドンだって、だからもう思い切って短くしちゃう、角刈りかなんかに。鳶の女房だからさあ、ダボシャツ着て七分ズボン履いて、授業参観行っちゃうからなって大の奴脅かしてやろう」
 世津子は腹を抱えて笑った。吹出した酎ハイが口元から垂れた。
「ところで香織は?まだ行ってんの竹内んとこ、なんたっけあいつの海の家?」
「もう海の家じゃなくて鵠沼のレストランでウェイトレスをしているの、毎日遅くなるけど竹内さんが必ずうちの前まで送ってくれてるの、だから安心してお願いできるわ」
 竹内と発声するだけで唇の感触、抱きついたときの乳首の刺激が蘇り、顔の火照りを感じていた。
「香織がねえ、学校を辞めるって言ってるらしいの」
「この最初の夏がヤバイんだ、この休みを乗り切っちゃえばなんとか持つんだよねえ最後まで。あたしもバイト先で三つ上の男ができてさあ、もう学校なんかどうでもよくなっちゃってさあ、でも二学期が始まる前に別れたから良かったのよ、でもさあ、高校出たからってなんか得したってことないしなあ、世津子おまえある?」
「そう言われれば特にないわ」
「そうだろう、あんな数学や化学なんか、主婦やってて必要な場面に出くわした経験なんかないよなあ、友達だって高校より中学からの地元の子と遊ぶ方が断然多いしさあ、ただみんな行くから行っただけなのよあたしなんか、もし目標がしっかりしているなら高校なんて行かなくてもいいんじゃないかと思うわ。で、香織はどうして辞めたいって?」
 世津子は香織の問題が竹内からの情報であるのを隠した。
「あたしも直接じゃなくてお母さんから聞いたの、あの子うちにいるときは母屋の部屋に篭りっきりだから最近」
「そういう時期だからなあ、今になって反省しても遅いけど、母親は随分と心配していたんだろうよ、あたしなんかうちに居るほうが少なかったからね。繰り返しなんだなあ、こういうのって」 
「それでね、コックになりたいらしいの、バイト先の料理長に憧れて弟子志願までしているらしいわ、彼がね、竹内さんがね、留めてくれたらしいけど香織の意志は固いって難しい顔していたわ」
 世津子が竹内と発声するときの淫靡な表情を見て、里美は謎が解けたように首を小刻みに縦に振った。
「賢治はなんて?」
 里美は世津子を探るように質問した。世津子は賢治が考えそうなことを瞬時に想定したが里美の二の矢が早かった。
「賢治は?おまえ言ってないんだろう賢治に」
 世津子は冷めてしまった酎ハイを飲み干した。水滴が喉を伝わりシャツの襟で消えた。
「拓や香織のことよりおまえが心配だ。あいつだけは止めとけよ、あいつの、ここがあそこがって具体的にはなにもわからない。でも長い間男に絡んだ商売やってたあたしの勘さ、悪いことは言わない、あいつだけは止めとけ」
 世津子は俯いたまま、缶のラベルを見つめていた。里美が世津子の後ろに回り、肩を揉みだした。
  
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