月は、冷たいスープの中の底

宇土為名

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 何かが鼻先をくすぐっている。
 気持ちいい。
 すごく柔らかくてあたたかい。
 なんだろう、これ…
「…ん」
 瞼が重くて開かない。
 手を伸ばすと、温かく、ふわふわとしたものが指先に触れた。
 朔は瞼を震わせ、どうにか開こうとする。
 どうしてこんなに眠いんだろう…
 ようやくうっすらと開いた目に、白い光が見えた。
 ほんの少しだけグレーを溶かしたような白磁の光。
 …朝?
 ぼんやりとしていた焦点がゆっくりと合っていく。淡い光の中、手の先で、金色の丸いふたつの目がこちらを見ていた。
 その小さな体は、シーツの上に伸びた朔の手のひらに頭をぐりぐりと押し付けてくる。
 にゃあ、と鳴いた。
「……あ」
 そうだった。
「おまえ、尻尾大丈夫だった…?」
 掠れた声で朔は言った。
 返事の代わりに、猫はぱたりと長い尻尾を朔の頬に下ろした。
 そっか、と朔は微笑んだ。
 大丈夫そうだ。
「…よかった」
 昨夜、──
 急いで帰る途中、いつものように茂みからはみ出していた尻尾を避けきれず、踏みつけてしまった。
 物凄い声を上げて鳴いたので、慌てて抱きかかえて連れ帰ったのだ。
「ごめんな」
 頬をくすぐる尻尾の先を軽く握る。
 猫はシーツの上に寝そべって大きく欠伸をした。
 それを見て、朔は笑った。
 早朝の少し冷たい空気。
 シーツに包まる気怠い体。
 あたたかな夜の記憶。
 満ち足りたまどろみが、またゆっくりと瞼に降りてくる。
 青桐はどこだろう?
 どこかのドアが開く音。廊下から足音が近づいてくる。開いていた部屋の入り口から青桐が顔を出したとき、朔はまた眠りの中に引き込まれていた。

***

 申し訳なさでいっぱいだった。
「はい、本当にすみません。こちらの勝手で…本当に申し訳ないです」
 電話の向こうで、いいえ、と笑う五十嵐の声がした。
『随分お急ぎのようだったので、何か事情がおありなのかと。どうぞこちらのことはお気になさらないでください』
「…そう言っていただけると…ありがとうございます」
 朔は見えないと分かっていても、頭を下げずにはいられなかった。間違いなく迷惑をかけた相手に、スマホ越しに腰を折る。
 もう一度謝罪の言葉を述べて通話を切ると、全身から力が抜けて、大きなため息が漏れた。
「おー藤本、どうした?」
 フロアの休憩スペースの前を通りかかった上司の公通が、朔を見て首を傾げた。
「いえ、まあ、ちょっと」
「ちょっと?」
 言葉を濁すと、じっと見つめてくるのはこの上司の癖だ。言わなくてもいいことでも、あまりに見つめられると居心地が悪くなってしまい、いつも朔は仕方なしに話してしまう。そこが詰めが甘いところなのだと、同僚や先輩によく弄られていた。
 軽いため息をついて肩を竦めた。
「家を、──借りるのに、契約までしたんですけど、事情があってキャンセルすることになって。今のはその不動産屋への電話です」
「はーん、そりゃあごねられただろう」
 朔は苦笑して、スマホをポケットに仕舞った。
「いえ、全然。むしろ気を遣ってもらったくらいで。知ってる方からの紹介だったんですよ。ミノリ屋の堂島さん」
「ああ、堂島さんね。へえ、そうだったのか」
 公通は壁際に設置された自動販売機に小銭を入れ、ボタンを押した。
「まあでもおまえも色々災難だったよなあ」
 聞いたぞ、と公通は抽出口からカップを取り出しながら朔を振り仰いだ。
「前住んでたとこの火事、結局下の住人の放火だったって?」
 どこから聞いたのかと、苦笑しながら朔は頷いた。
「はい。昨日警察から連絡があって…、僕もびっくりしました」
「総務にも連絡が来たから、まあそれで俺は知ったんだけど」
 ああそうか、と朔は思った。
「総務室長ってチーフの同期でしたっけ」
「まあそうね」
 取り出したカップを手に、公通はもう一度自販機に小銭を入れボタンを押した。
「最近、××区近辺で起きてた放火もそいつだって本当か?」
「そう、みたいですね」
「とんでもねえ野郎だな」
「まあでも…自首したようなので」
 警察や前のアパートの不動産屋から聞かされた情報が、朔の頭の中でぐるりと廻る。
 公通の言った通り、煙草の火の不始末に見せかけて、下の階の住人がアパートに故意に火をつけたのだ。
 あの夜も──青桐と気持ちが通じた夜も、少し離れた場所で放火があった。サイレンが鳴っていたのをぼんやりと覚えている。
 そしてあのとき路地の奥から飛び出して来て朔にぶつかったのは、その住人だったと警察に告げられた。 
『どうやら藤本さんの顔は知っていたようで、遠野本人もかなり驚いたようです』
『え?』
 まるで──気がつかなかった。
 遠野、というのが下の住人の名前だ。
 朔はいつも煙草を吸う彼の後ろ姿しか見たことがなかった。ましてやあの暗がりでは分かるはずもなく、万が一知っていたところで判別できたかどうか怪しいものだった。
 言葉のない朔に、警察官はあっさりと言った。
『あの夜は××町で放火し、その付近の住民に見つかって逃げている途中で藤本さんに遭遇して、もう駄目だと思ったと』
 同じアパートに住んでいた住人が、全く別の場所で出会い頭にぶつかる──そんな偶然がそうそうあるわけがない。彼もそう感じたからこそ、これが何かの啓示だと思い、終わりにしようとしたのだろうか。
『それで自首ですか…』
『まあ概ねそのようですね』
 でも、と朔は続けた。
『どうして放火なんか…?』
 答えてはもらえないだろうと思って呟いたが、予想外にも警察官は話してくれた。
『あなたと一緒に消火に当たった、もうひとりの住人を憶えていますか?』
『ええ、はい…?』
 同じ階の反対側に住んでいた男性だ。確か名前は三好だった。
『三好さん、ですよね』
 急な話題の転換に戸惑いながら言うと、警察官は淡々と頷いた。
『その三好に、どうやら遠野は脅されてやったとの供述が取れまして』
『お…』
 脅された?
『以前アパートの近くで放火をしようとしていたところを──ああ、これは全くの未遂だったんですが、三好に目撃され、アパートに火をつけるように脅迫されて──』
 取り壊しが決まっているアパートに残っていたのは、三好が金に困っていたからだそうだ。そこに折よく遠野が放火未遂を起こした現場を見て、三好はある計画を思いついた。
「それが保険金詐欺?」
「保険金っていうか…示談金詐欺、ですかね…? 言うなら」
「ああ、まあそりゃそうか」
 朔も罪状が何になるかまではよく知らない。ただ警察官が言っていたのは、火事を起こし、それを不動産屋や大家の責任を問うことで示談金や和解金、次の居住を探すための資金を搾り取ろうという魂胆だったと、三好は白状したようだ。
「共犯じゃなかったってことか?」
「どうなんでしょうね、一方は脅されてたわけだし…共犯ではないのかも」
 そういう意味で朔も当初は疑われていたと、警察官の口ぶりから感じ取れたが、それはこの際言わなくてもいいことだろう。
「まあ何にせよ、そいつは──おまえに出くわして、やめる気になったってことだろ。ある意味おまえのお陰だな」
「それは過大解釈ですよ」
「そうとも言い切れないんじゃない? 人の出会いなんてさ、そうやって誰かを変えていくものだし、ま、良かったってことだな──ほい」
「あ、ありがとうございます」
 自販機から取り出したカップを渡されて、朔は素直に受け取った。手のひらから温かさが広がっていく。
 公通の言うことはかなり大袈裟だが、朔はそれならいいと、少し思えた。
 それで、と公通が言った。
「じゃあまた住むとこ探すわけか? 今はあれだろ、同級生のとこにいるんだっけ」
「はい。それで、このまま一緒に住むことになったので」
「おー、そりゃいいね」
 公通がカップに口をつけたのを見て、朔もカップを傾けた。思いがけないほどの甘さに咳き込んで咽せると、公通が喉奥で笑う。
「ちょ、っこれ、いちごラテじゃないですかっ」
「そーよ? 甘くて美味しいだろ」
「いや、僕そんな甘いのは…」
 温かいいちごラテは舌を突き刺すほどの甘さだった。嫌いではないが出来るならもっと控えめがいい。暴力的な甘さに顔を顰めると、おそらく自分はブラックコーヒーを飲んでいるだろう公通が朔の顔を指差した。
「いやさ、おまえ疲れてるだろ? 目の下見てみ? 隈出来てるぞ」
「──」
「思いっきり寝不足の顔」
 ごく、と朔はいちごラテを飲み込んだ。
「…いろいろ、ありまして…」
 甘いいちごラテが喉を通っていく。
 あの夜から十日余りが過ぎた。
 色々思い出しそうになって、朔は誤魔化すようにカップに口をつける。
 ああそう、と公通が笑った。
「そういえばおまえに一個企画があるんだけど、こないだの青木由の朗読会で…──ん、どした?」
 突然真っ赤になった朔を見て、公通が不思議そうに首を傾げた。

***
 
 頭を下げると、座っていた小林はひどく慌てて立ち上がった。
「や、やめてください、青桐さん」
 顔を上げさせようと、小林は青桐の顔を覗き込むように言った。
「悪かった。こんなに時間が経って今さらだけど、本当に──あんな場であんなことを言うべきじゃなかった」
「先生、いいですから、…顔上げてください」
 ようやく青桐が顔を上げると、小林は眉を下げて笑っていた。
 青桐がもう頭を下げない気配を感じ取ってから、彼はゆっくりと向かいの席に座り直した。
 青桐をまっすぐに見て、小林は言った。
「青桐さんが謝ることなんて何もありません。僕のほうこそあの場を上手く収めきれなくて、申し訳なかったと思っています」
 店員がやってきて、それぞれの前にカップを置いた。店員が去って行くまで、ふたりは無言だった。
「そっちは、大丈夫だったか? 俺のせいで何か、仕事に影響は…」
「まさか、そんなことはありませんよ」
 にこりと小林は笑った。
「本当に?」
「はい。減給もクビも左遷も異動もありません。むしろ、先生には感謝しているくらいです」
「…は?」
 驚いた青桐が可笑しかったのか、小林は笑い声を漏らした。
「特に編集長が。ここだけの話ですが、プレモアに限らず、うちは大塚先生とは、いずれ縁を切るつもりでいたんです」
 カップから立ち上る湯気が、窓から差し込む午後の光に溶けていった。
「今回、青桐さんとああいったことになって、大塚先生から青桐さんを切れと要求がありました」
「…ああ」
 要求というよりもそれはいわば圧力だろうと、青桐は察した。
 大塚という男は長く文芸界にとどまっている分、それなりに人脈はある。桐白の重役との繋がりも、きっとその中から生まれたものに違いなかった。
「でもお断りしました。うちとしては、青桐さんとこれからも長く、お付き合いしたいと思っていますので」
「色々と、それで面倒なことが起こるんじゃないのか?」
 カップを取ってひと口飲む。少し冷めたコーヒーの苦みが舌の上に残った。
 ふふ、と小林が笑った。
「先生、うち、出版社ですよ?」
 その言葉の意味を青桐は噛み締める。
「タダでは転びませんから」
「そうか」
「そうですよ」
 小林は穏やかな笑顔でカップに口をつけた。
 彼が青桐の担当になってから一年が経つ。
 こんなふうに話をしたのは初めてな気がした。
 そうそう、と小林は思い出したように言った。
「キイ先生と若宮先生、青桐さんのファンになったみたいですよ」
「俺の?」
「あれは、おふたりを庇った言葉でもあったでしょう?」
 青桐は黙り込んだ。
 確かにそうだったかもしれない。
 好きなものを好きだと、堂々とそれを公言して生きている人が侮辱されるのは我慢がならなかった。
 結果的にそう聞こえてしまっただけかもしれないけれど、彼女たちを羨ましいと青桐は思っていたのも本当だ。
 思いのままに生きられない人のほうが圧倒的に多い。
 自分も、その中のひとりであったかもしれないのだ。
 朔に会わなければ。
 きっとあのまま何も変われずにいた。
「すっごくかっこいいから、同人のほうの創作の参考にしたいそうです」
「…まあ、いいけど」
「えっ、ほんとですか!」
 ぽつりと呟くと、小林が声を上げた。
 青桐は身を乗り出した小林をまじまじと見た。
「え、何…、おまえ、ふたりのファンだった?」
「僕は青木先生のファンですっ」
 何の答えにもなっていない小林の言葉に青桐はぷっ、と噴き出した。
「今度四人で食事しましょう、僕セッティングっ、しますので!」
「…なんなの、おまえ」
 ようやくこの男と少しだけ打ち解けた気がして、なぜ小林が頭数に入っているのかとは、あえて青桐は問わなかった。


 小林と別れ、青桐はいつものように煉瓦造りの図書館に寄った。借りていたものを返し、また幾つか資料を借りる。何度も借りているものは購入してもいいのだが、今住んでいるあのマンションは元々父親の会社の持ちものなので、いつ出てもいいように出来るだけ身軽でいたかった。
 次に家を探すのなら、もう少し広くてもいい。今までは広すぎる家にひとりでいることが苦手だったけれど、これからは違う。
「いつもありがとうございます、また来てくださいね」
 貸出カウンターに座る年配の女性が柔らかく微笑んだ。
 青桐も礼を述べて会釈を返す。ふと、そこに貼られていた紙に目が留まった。
「あの、それ」
 咄嗟に指を差すと、彼女はそれを目で追って、ああ、と言った。
「今年度いっぱいでここは民間に委託されることが決まったんですよ。それで、少し規模を大きくするみたいで募集してるんです。今は職安に求人を出しても中々見ていただけませんものね」
「そうですか」
「どなたかいらっしゃったら、是非紹介して下さい」
「はい」
 青桐はそう言って図書館を出た。
 心当たりはある。
 彼がもしもここにいたら、自分は毎日通うだろう。
 高校生だったあの頃、あの時間、何ものにも替えがたいあの思い出を上書きするように。
 思い出すように笑うと、髪が堤防から吹いてきた風に煽られた。
 暗くなりはじめた空にはもういくつかの星が光っている。
 帰ろう。
 スマホが音を立てた。
 朔からのメッセージで、今日は残業、とあった。

***
 
 暗がりの中で、金色のふたつの目が光っている。
「…ただいまー」
 そっと入った暗いリビングのソファの上、小さな体がすっと起き上がって朔の足下に駆け寄ってきた。
「ただいま…、ご飯貰ったか?」
 しゃがんで手を伸ばすと、柔らかな体が擦り寄ってくる。顎の下をくすぐるとぐるぐると気持ちよさそうに喉が鳴った。
「おいで、リト」
 コートを脱いでソファの背にかけ、朔は猫を抱き上げた。名前は小さい、の意味から朔が名付けた。元々どこかの家猫だったらしいリトは、マンションに連れてきて数日で朔と青桐に甘えるようになった。
 リトがいた場所で飼い主を見つけようと貼り紙をしているが、いまだにどこからも連絡はない。
「何か飲もうかな。おまえも飲む?」
 にゃあ、とリトが鳴く。
 朔は冷蔵庫から水を取り出し自分の分をグラスに注ぐと、リト用の器の水も取り替えてやった。
 ペットボトルを戻そうとして、ふと冷蔵庫の奥の鍋を思い出す。
 いい加減、これがなんなのか聞いてみてもいいだろうか。
 そっと足下に下ろすと、リトは水を舐め、また甘えるように朔の足に上ろうとした。やっぱりお腹が空いてるみたいだ。
「こら、ちょっと待…」
 スラックスに立てた爪を剥がそうとしたとき、リビングのドアが開いた。
 振り返ると、青桐が立っていた。
 朔は笑みを浮かべた。
 そうだ、ちょうどいい。
「ただいま。なあ、これなんだけど──あ、こら、リト」
 かりかりと引っ掻き出したリトを抱き上げようと、朔は屈もうとして、朔は後ろからきつく抱き締められた。
「おかえり」
 そのまま強引に振り向かされて、噛みつくように口づけられる。
「ん…っ」
 青桐の舌が、苦しさに喘いだ唇の隙間から入りこみ、朔の舌先を捉えて吸い上げた。朔の全身が青桐の腕の中で震える。甘噛みされ、上顎をくすぐるようにされれば、もうひとたまりもない。
 朔は自分を抱き締める青桐の腕に縋った。
「や…、ちょ、と、ま…っ」
「酒…、飲んできたの?」
 アルコールの匂いがする、と青桐が目を眇めた。
「付きあ…だけ…、っあ」
「酔ってる?」
「酔っ、てな…ん、んっ、んう…」
 口づけはどんどんと深くなり、朔の唇の端から飲み込みきれなくなった唾液が滴り落ちた。口の中に残るアルコールをこそぎ落とそうとでもするように、青桐の舌は朔の腔内をめちゃくちゃに動き回って犯していく。
 最近はいつもこうだ。
 公通に指摘されたことは間違っていない。
「朔、さく、ねえ、したい」
 合わさった唇をようやく解かれたころには、朔はぐったりとして、青桐に背中から抱きかかえるようにされていた。快感を教え込まされた体はもう立っていられなくて、朔は膝から崩れ落ちそうだった。
「あお、ぎ…」
 足下にいるリトが、抗議するように鳴いた。
「リトが」
「そんなのどうでもいいだろ」
「よくな…、ちゃんと、ご飯…っ」
「いいから」
 ぐい、と強引に抱え上げられ、朔はそのまま青桐の寝室に連れ込まれた。リトが追いかけてくる音がする。
 なだれ込んだベッドから顔を上げようとすると、青桐に腰を掴まれ咎めるように引き戻され、何も見えないように目元を覆われて口づけられた。


 どこかでリトが鳴いている。
 確かめようとするたびに、きつく肌を吸い上げられ痕を残された。
「あ、や…っ、ん、ふか、深い…い…っ」
「朔、朔」
 気持ちいい?
 気持ちいいの?
 答えられずに朔は首を振った。
「あ、ああーっ…あ、」
 背後から高く腰だけを上げた格好で、朔は青桐を受け入れていた。強く突き上げられるたびに胎内は怪しく蠢いて、ぴったりと背中に貼りついている青桐の胸が汗でぬめる。半端に脱がされたシャツが、片手に引っ掛かったままだ。
 ぎしぎしとベッドが軋む。
 執着を表すように、青桐の行為は段々と激しくなる。
 平日の夜は出来ない分、いつもは抱き合って腔内を激しく貪るようにキスされるだけだった。だから今夜はこうなるかもしれないと、どこかで朔は分かっていたのだ。
 でも。
 ありえないほど、奥の奥まで入り込んできそうなそれに朔は泣きながら振り返った。
「も、やだ、こわい、こわ、い…っ」
 肩越しに目が合った青桐は、朔、と耳元で囁いた。
「ごめん…、ごめんね、でも、もっと、入りたい」
「あッ、あ、ひ、や、やあ…っ」
 前立腺を思い切り抉られ、あ、と仰け反った瞬間、青桐がぐうっと奥まで入り込んできた。
 先端が奥に当たり、体の底から駆けあがってきた恐ろしいほどの愉悦で、目の前が真っ白に弾けた。
「い、あ──」
 朔の両眼から涙が溢れ出る。
 青桐の大きな手に握り込まれていた朔の先端はイクことが許されず、朔は青桐の下でもがいた。
「ひ、あ、も、いやあ、あ…っ」
「朔」
「いき、た…っ、も、いかせ、て、…え」
 拘束された腕の中、青桐が怖いほどの表情で朔を見下ろしている。頼むから、と哀願すると、耳元でそっと囁かれた。
「いきたいの?」
「あ、あ、…んっ」
 こくこく、と朔は頷いた。冷たい涙が火照った頬の上を伝っていく。
「じゃあ、俺だけ見る?」
 涙を舌で拭われて、朔の体が震えた。
「み、てる…っ」
「見てないよ、あいつばっか構って」
「そんなことな、い」
「嘘」
 なんにも見ないで。
 どこにも行かないで。 
 俺だけ見てて。
 肩越しに見た青桐の瞳は淡く光っていた。
 まるでそれは…
 同じだと朔は思った。
 うさぎに自分だけを見て欲しくて、月を隠してしまう狼の王。
 それは寂しくて、不安だからだ。
 言葉に出して言えないから、怖くてたまらない。
 見つめ合った目が揺れている。
 朔は手を伸ばして青桐の髪を撫でた。
「由也、…」
 普段は言わない名前を呼ぶ。
 青桐の体がぴくっと震えた。
「…好きだよ」
 くしゃりと青桐が泣きそうな顔をした。
 その目からぽたりと雫が落ちた。
「朔…」
 縋るような声に、朔は微笑んで青桐を引き寄せた。言えない言葉の続きを口移しで与えるように、深く唇を重ねていた。
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